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天の繰り糸6「夢の様な現実」 雨水 時雨(MAIL)

「えぇん、え〜ん。」
 男の子が泣いている。
 そう、この子は僕だ。
 悲しくて泣いているのではなかった、寂しいから、不安だから泣いていた。
 初めて訪れたその街で、僕は父とはぐれてしまった、だから僕は泣いていた。
幼い僕には、泣く以外に何も思い付かなかった。
 見知らぬ山道、いい加減に泣き疲れた時だった。
「どうしたの?」
 誰かに声をかけられて、僕はゆっくりと顔を上げた。
 綺麗なお人形さんが、そこにあった。
 僕は、一瞬不安を忘れ、その人に見入っていた。
ーけど何だろう?僕はこの人を知っている様な気がするー
「どうしたの?」
 再び聞かれ、僕は孤独な僕を思い出した。
 枯れるほど流したと思った涙が、また溢れてくる。
 僕は何も言わずに、涙でぐちゃぐちゃになった顔を、その人の胸に埋めた。
「あらあら。」
 その人は、少し困った様な、でも決して僕を嫌っていない声を出し、僕を抱き締めてくれた。
 初めてのぬくもりだった、お母さんの暖かさを知らない僕だったけど、たぶんこれがそうなんだと思った。
 ひとしきり泣いて、僕は初めてその人の顔を見た。
 その人は、やぱりお人形さんの様だった、硝子でできたお人形さん。
 でも、その目はやさしく僕を見つめ、その腕はやさしく僕を抱いていてくれた。
ーでも、何だろう?やっぱり、僕はこの人を知っているー
 やがて、本当に涙が枯れてきた。そしたら、その人が聞いてきた。
「どうしたの?」
 袖で顔を拭う、途切れ途切れにだけど答える。
「僕…、迷子…になっちゃたん…だ。どうすれば…いいか…解らないんだ…。」
 その人がやさしく笑った。
「もう、大丈夫。」
 そう言って、その人は僕の手をとった。冷たいけど、暖かい手だった。
ーでも、何だろう?僕は、このぬくもりと知っている…ー
 その人の顔を、一生懸命見ようとする今の僕。でも、何だろう、ぼやけてきちんと見る事ができない。
 じっと見ていると、その唇が動いた。
「私と一緒に…」
 唇だけが、やけにはっきりと見える。
「イキマショウ…」
 僕は、元気に頷いた。

 突然、目の前が暗くなった。

「…行かないで、連れて行かないで!」
 僕は泣き狂っていた。
 しかし、大きな手が僕を抑えつけていた、大きな手は突然に僕を抱き締める。
 少し僕の抵抗が弱まる、手の主を見る。
 お父さんだった…。
「………………!!」
 声にならない悲鳴が、僕の耳を貫き、僕は再び暴れだした。
「連れて行かないで、その人を…お母さんを連れて行かないで!」
 そうだ…、僕にはお母さんが居なかったんだ…。
 だから、その人を僕は、その日出会ったやさしい人を僕はお母さんだと思ったんだ…。
 僕の思いとは逆に、その人は何人かの男の人に引っ張られて、連れて行かれてしまった。
ー……隊長?あれは、ノイマン隊長?ー
 どんどんその人が遠くに行ってしまう、その人は何もできずに僕の方を見ていた。
 酷く、悲しい瞳だった…。

 そこで、目が覚めた。
 久々に、自分のベッドでゆっくり寝たはずだったのに、目覚めはここ最近の中でも最悪だった。
 何気無く、視線を外へと向けたが、どんよりと曇っている空は、まるで自分の心を写している様で、それが一層気分を萎えさせた。
「…ノイマン隊長…」
 レインは、今は亡きその姿を思い浮かべ、ついで夢で見た男の姿を思い浮かべた。
ーあれは…、確かにノイマン隊長だ、たぶん若い頃の…。でも、何で?ー
 それをかわきりに、レインは様々な事に思いを巡らす。
 あの女性は誰だろう?
 知っている筈なのに、頭の中でうまく像を結ばない。
 幼い自分がいた、あそこは何処だ?
 それは解る、たぶん、偶然にも、このエンフィールドの近くだ。
 でも、何故今になってこんな夢を?
 考え出せばきりが無かった、だからレインは一度思考を止め、トーヤに言われた事を思い出し、机に向かった。
「嫌な日になりそうだ…。」
 レインは外を見て呟いた、軽い雨が窓をうっていた。


 その者は、持っていた燭台で、机の上のランプに火を灯した。
 ここ最近の不天候、特に今日は朝から黒雲が空を覆っており、普段でも光の少ないその部屋は、明かり無しではから何も見えなかった。
 明かりをつけると、今ではその真の主を迎えることのできない椅子に腰かけた。
 何故だか、朝からそこに座りたかった。
 机の上に一冊の本がのっていた。
 何気ない手つきでそれを取る、それは何かの本では無く、日記帳だった。
 それは、今は亡きこの部屋の主の物で、とある手紙と共に最近見つけた物だった。
 それを開き、しばしページをめくる。探していた部分を見つけると、もう文面さえ覚えてしまった、その部分を読む。
ー作らなければ良かった、やらなければ良かった…ー
 そんな言葉から始まっていた。
ー私は、今ほど私の行った事が愚かだと思った事は無い。しかし最早、悔やんでも遅い、私は作り上げてしまったのだ。今は、探さなくてはなるまい、あの娘をー
 そこには、日記の持ち主の苦悩が、まざまざと書き付けられていた。
 そこを読み終えると、本を閉じ、ぼそりと呟いた。
「探さなくては…。」

「雨…。」
 窓辺をつたう滴を見つめ、一人呟く。
「今日も、仕事は休みね。」
 そう言いながらも、コートを手に取り、外に出る用意をする。
「また…、探さなくては…。」
 折角見つけたのに、邪魔が入った…。考えると、あいつは…。
 光を当ててきた者の顔が思い出される。
 途端、口の端が吊り上げる、笑ったのだろうか。しかし、硝子に写る顔の、その瞳は冷たい光を放っている。
「これも…運命…」
 一つ呟くと、コートに袖を通し、フードを被る。
 扉に手をかけ、開く、出る、そして歩きだす。
 一瞬、思考が止まりそうになる。
 何の為に外に出るの?彼女を見つける為?
「それは、違う。本当の目的じゃない。」
 その時、ふとあの瞳の事が思い出される。
「そう、これ、私はこれを求めている…。」
 ならば、やる事は一つ。
 今は…、
「探さなくては…。」

        『夢の様な現実』

「なるほどな。」
 トーヤは読み終えたそれを、机の上に置いた。
「何か…解るかな、ドクター。」
「さあな、読んだばかりだから、詳しい事は何も言えないな。だが…」
「だが?」
 聞き返すレイン、しかしトーヤは焦らす様に間を置く。
「……俺の考えでは、お前の体調不良は、事件の疲れがお前の睡眠と夢に影響を与え、その事による睡眠不足が悪循環で身体を蝕んでいる…。と思っていたが、どうやら、これを読んで、始めの考えが間違いだったと解った。」
 レインは一言も口を挟まず、黙って聞き続ける。トーヤは、一度置いた紙を手に取る。
「この夢は、どうやらお前の過去そのものらしいな…。つかぬ事を聞くが、両親は…?」
 ある程度予想していたのか、レインはすぐに答える。
「母は、生まれてすうに亡くなったそうです。父は健在です。」
 さらりと言う、トーヤも敢えて聞いた事にあやまったりはしない。
「どうやら、お前は迷子になった時に出逢った者に、初めての母性を感じたらしいな。しかし、何故かその者とは、無理やり引き離され、その事がトラウマとなって、お前を悩ませているのだろう。」
ー母への憧れ…ー
 レインは少しぼ〜っと考えた、マザコン何て言葉は、一番自分に縁の無い言葉だと思っていた。
ーでも…、男は誰でも女性に母性を求めるって言うし…。でも、だとすると、イヴとあの人は似ているのか…ー
 途端に、鈍い痛みが襲ってきた。何故か、頭がイヴと夢の中の人を比べるのを拒んでいる、レインはすぐに思考を中断した。
「さて…、もう一つ聞きたいことがある。」
 そんな、彼の葛藤等知らずにトーヤが聞いてくる、レインもすぐにそちらの方に意識まわす。
「何ですか?」
「お前、ここ最近で、何か変わった事は無いか?」
「えっ?変わった事?」
 いきなりの質問に驚く。
「何故、今ごろになってそんな夢を見るのか。いや、全くの偶然かもしれん。だが、お前の生活に、何か変化があったなら、それが引き金になっていると考えれるだろう。」
 レインは腕を組み、考え込んだ。
ー変わった事…、イヴの事…。言わなきゃ駄目かなぁ?でも、関係無かったら、何かおのろけ話聞かせるだけだし…、でもでも…ー
「何を考えているのか…。」
 トーヤは、レインの様子を見て、一つ溜め息をついた。いつの間にか、本人も気づかない内に、レインはにやけながら身体をくねらせていた。
「どうやら…、何も思い付かないらしいな…。」
 その言葉で、やっと妄想の世界から現に戻ってくるレイン。考えていた事を思い、苦笑いを浮かべつつ頷いた。
「まあ、今の段階では、これといったアドバイスはできんが…、そうだなぁ、夢にはカール=ノイマンがでてきたのだろう?」
「えっ?ああ…はい、たぶんですけど…。」
「だったら、過去の記録を調べてみるんだな、もしかすると何か記録に残っているかもしれん。」
「ぽむっ」と手をうつレイン。
「ああ、なるほど、確かに何か残っているかも…。丁度、資料整理にまわされちゃったし…。」
 その資料整理だが、レインは昼からそれをアルベルトに任せて、ここに来ていた(その代わりに、晩飯をおごる事になったのだが…)。
 そして、レインは仕事の事を思い出した。
「それじゃあ、そろそろ仕事に戻ります。」
 レインはそう言って席を立つと、ほど良く水分がなじみ、重みの増したコートを手に取った。
 コートを羽織り、戸口に近づくと、外の雨音が聞こえてきた。
 一度振り返る、トーヤはすでにレインが居ないとでもいうように、机に向かい、仕事をしている。
「それじゃ。」
 別れの挨拶の代わりにそう言うと、やっと片手を上げ、軽く振った。
 そして、レインがノブに手をかけた、その時だった。
「きゃあぁぁ〜〜!!」
 突如、院内中に響くかと思われる悲鳴が聴こえた。
 しかし、二人は少しも慌てること無く、顔を見合わせると、
「いつものですね…。」
「ああ、どうだな…。」
と目で語り合い、どちらからともなく、溜め息をついた。
「先生、大変、大変です〜!早く来て下さ〜い!!」
 が、どうやらいつもと違う危機感に気づき、二人は慌てて声のした病室へ向かった。

「きゃあきゃあ、大変で〜す!」
 扉を開けた途端、ベッドの上で暴れる包帯の少女を抑える、ディアーナの姿が目に入った。
「来る、来るのよ!早く逃げなきゃいけないの!!」
 どうやら、少女はかなり錯乱している様で、いつディアーナを振りほどいて暴れだすか解らない状態だった。
 トーヤはすぐに元の部屋に戻って行った、レインは落ち着いて、ディアーナの代わりに少女を抑えつけた。
 抑えてみると、なるほど桁外れの力である、が、所詮は少女の力である、レインは抑えつけるとトーヤが来るのを待った。
「待たせた。」
 すぐにトーヤが、予想通りに注射を持って現れた。
 少女は直感的に何かを感じたのか、最後の抵抗とばかりに暴れ出した。
 流石に両腕だけでは抑えきれなくなったのか、レインは抱きつく様に少女をベッドに押し付ける。
 トーヤが少女の手を取る、その時、
「……………が…く…る……図……」
 少女は一瞬にもたれかかったかと思うと、滑り落ちる様に手をすり抜け、ベッドに横たわり、静かに寝息をたて始めた。
「驚かせてすまんな。今日は雨だ、この者が運ばれたのも雨の日。たぶん雨がキーワードになって、事件の事を思い出してしまったのだろう…、可哀相に…。」
 トーヤは額に浮かんだ汗を拭いながら言った、しかしレインは何か惚けたままだった。そして、何も言わずに出て行ってしまった。
 トーヤは小首を傾げた。

 レインは雨の中を走っていた、途中、一度だけ歩みを止める。
 激しい雨が身体を濡らしていくが、そんな事には構っていられなかった。
ー黒い人形が来る…、図書館の…ー
 不思議な声が、いや、病院の少女の声が、何度も頭の中でリピートされていた。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
 レインは訳も解らずに、何度も地を蹴った。その度に泥水がはねたが、そんな事は頭に入って来なかった。
 頭に入って来るのは、雨の音と少女の言葉だけだった。


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