中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想

天の繰り糸9「完全で不完全な心」 雨水 時雨(MAIL)

ーやっと、取り戻したー
 彼女は少し微笑む。
ーけど、こうも落ち着かないの、何故なの?ー
 心の奥底、澱の様に溜まった不安が、彼女から笑みを奪う。
 彼女がしばらく考えていると、彼女が座るベッドに寝ていた者が、ゆっくりと目を開けた。彼女はそれに気付く。
 寝ていた者は目を開けたものの焦点の合わぬ瞳で虚空を見つめていた。
 彼女はその顔をいとおしいそうに覗き込む、しかしすぐに目を背ける。
 胸に手を当て、何度も空気を出し入れを口から行い、気を静める。
 彼女は平静を取り戻すと、寝ている者の顔の上に手をかざした。手を額の方からゆっくりと顎の方に動かすと、その者は再び目を閉じ、眠りについた。
ー瞳の中の私が泣いているー
 彼女は今見たばかりの自分の姿を思い出す。
ーこの子を取り戻したのに、私はまだ泣いているの?ー
 何かを決意する。
ーやっぱり、あの子を…。でも、それは正しいの?ー
 彼女は立ち上がる。
ー私のやろうとしている事は正しいの?答はどこなの?解らない…ー
 座りなおす彼女。
ー何故、解らないのかしら?私が不完全だから?人では無いから?ー
 再び立ち上がる。
ーでも、きっとあの子はこの子を取り戻しに来るー
 座る、まるで二つの動作をするだけの人形の様…。
ーそれは駄目、それは許せない、やっぱり…ー
 立ち上がりかける、しかし、座ったまま動かなくなる。
ー焦る事は無い、まだ時間は有る。それより、今はもう少しこの時間を…ー
 彼女は手を伸ばし、寝ている者をやさしく撫でた。

ーあまねく神々が空にいるとしたらー
 彼女は空を見上げ考える。
ーこの雨は、これからの私達の運命を悲しんで流す神の涙かしらー
 彼女はしばらく空を見上げて頬を濡らしていた。
「やっぱり、一人で来たのね。」
 彼女は振り向く、そこにはもう一人の自分が、否、彼女と同じ顔をした者が居た。
「もう、話あっても無駄なの?」
 彼女はその言葉に最後の望みをかけた、しかし、その願いは脆くも砕け散った。
「聞くまでは無いわ。」
 相手は何の躊躇なく答える。
 彼女は一瞬、天を仰ぐ。
ーあまねく神々が空に居て…ー
 相手が腕を広げた、目に見えぬ何かが雨粒を散らし、彼女に迫る。
ーそして、その中に運命の神が居るのなら…ー
 彼女は迫る糸を紙一重でよける。一瞬の間を置き、背後の樹に斜めの線が入り、倒れる。
ーこの雨は…ー
 彼女は小声で何かを呟き始める。相手は両手を引く、すると雨の中、目では捕らえ難い糸が手元へと戻る。
ー運命の神が、人々を操る為に落とした…ー
 彼女が片手を突き出す、少し遅れてそこに火球が生まれ、彼女は気を込める。すると火球は相手目がけ疾駆する。
 相手も彼女目がけ糸を放つ。
 火球、糸、両者がぶつかり共に散る。
ー人々を操る為に落とした…ー
 彼女はすぐに次の魔法の詠唱を始め、相手も新しい糸を取り出す。
ー天の繰り糸なのかもしれないー
 白糸が止む事無く、二人に降りそそいでいた。

       『完全で不完全な心』

 レインはゆっくりと目を醒ました。
「ふわあぁぁぁ…。」
 間の抜けた欠伸をしながら、ベッドから足をおろす。
 久々にゆっくりできた気がした、しかし頭はまだぼ〜っとした。
「ん〜っ!」
 一度大きくのびをする、新しい空気を吸い込む。少しずつ頭が冴えてくる。
 そして、次の瞬間、レインは呆然とした。
「ここは…何処だ…?」
 そう問うても答えてくれる者は居ない。
 一つの疑問が呼び水となり、レインの頭の中で、昨日の事がめまぐるしく展開されていく。
「確か、雨の中…イヴに会って、いやあの人に会って…、あの人って誰だ?急に気が遠くなって、それでイヴが…、アルベルトが…、っ駄目だ、全然解らない。」
 考える事を放棄するレイン、そしてあても無く視線をさまよわせると、床に何か光る物を見つけた。
 それを手に取るレイン、それはロケットだった。
「……!?」
 覗き込んだレインが息をのむ。
 そこには、とある家族の色褪せた絵が埋め込まれていた。
 一人の男を挟む様に二人のイヴがそこに居た。二人と言っても、片方は今の年頃、もう片方は幼い頃(あくまでも彼の想像だが)のイヴがいた。すると真ん中の男がルークなのだろう。
「それにしても…」
 このイヴは、いや、イヴに良く似た女性は誰何だろう…。とレインは考える。
 色の褪せ方から、この絵が描かれてからかなりの年月を経ている事が解る。
 すると大きな方が今のイヴでは無いと考えるのが自然だ、何故ならそれではイヴはこの時から成長していあない事になるし、それにイヴに妹がいるなんて聞いた事も見た事も無い。
 ならば、小さい方がイヴだと仮定する。とすると大きいイヴは、イヴの姉か?もしくは母親か?いや、母親である筈が無い。
 ならば姉だ、こっちならすんなりと納得できる、レインは自ら数度頷く。しかし、何かが引っかかる。
 ルーク=ギャラガーの完成された人形が、いや娘がイヴなのである。だとすると、それより先の存在のイヴの姉、そう自分が昔会った人(レインはそう確信している)は…、
「もしかして…」
 レインは今回の事件の要因の一つを、おぼろげながらも悟った。
「未完成の人形…、それが…」
 その時だった、地面が僅かに振動し、続いて「ドォン」と鈍い爆発音が響いてきた。
「近い!?」
 反射的に腰に手をまわす、しかしそこにいつものたなごごろが無い。レインは慌てて辺りを見る。すると、探していた物は、ご丁寧にも衣服と一緒に置かれていた…。
 レインはその時になって、自分が素っ裸なのに気付く、そして…、
「へっくしゅ!」
 思い出した様にくしゃみをすると、急いで服を着て小屋を飛び出した。

ー赤い糸が呼んでいるー
 茂みをかき分け、音のした方へ走る。
ー運命の人とは赤い糸が…ー
 少女の言葉が断片的に思い浮かぶ。
「赤い糸…。」
 レインは自分の手を見る、そこに確かに赤い糸が結ばれている。
 目の前に丈の高い草がそびえ、レインはふと足を止める。
「居る…、この先に…。」
 手元を見る、糸が二股に分かれている。
 一瞬戸惑うだが、意を決して、草の中に踏み込む。
 次の瞬間、目の前には、彼が考えた最悪の光景が広がっていた…。
 争う二人の、いや、争う一人同士…。
「くそっ!!」
 レインは思いきり足をふり上げる、しかしその足は静かに下ろされた。
 そして、彼も人形劇の舞台の上へと飛び込んで行く。

「止めろ!」
 レインが叫ぶ、二人が一瞬彼を見た。
 一人は酷く悲しい目をしていた、もう一人も悲しい目を…いや…。
「止めなきゃ…、でもどっちを…!?」
 雨と乱立する木々が、レインに二人の区別をできなくさせる。
 ゆっくりとしている暇は無い、レインは先ほど見た瞳を思いだし、そして一方の元へと駆けた。
「はあぁぁ…」
 腰の愛刀に手を当て、少しづつ闘気を高めていく。
「…?!」
 片方が近づいてくるレインに気づいた、しかし、レインは軽く跳躍すると真上から剣を一閃させた。
「何故…?」
 誰かが悲しげに呟いた。

 イヴがゆっくりと瞳を開けた。
「レインさん…。」
 目の前に、糸を剣で絡め取ったレインが居た。
「何故…?」
 リリスが呟くように聞いた。
「今の貴方は間違っている、こんな事をしたってどうにもならないって、貴方なら気付いているでしょう?」
 レインは何故だか今にも泣き出しそうな声だった。
「貴方達には解らないわ、私の悲しみなんて…、こんな中途半端な私の悲しみなんて…。」
 レインは小声で後ろのイヴに聞く。
「イヴ…、もしかしてあの人は…」
 イヴがこくりと頷く。
「姉さんは父が初めて完成された心を入れた人形よ。でも…完全だったのは心だけ…、身体は…。父の日記には何度もその事について書かれていたわ。」
「それは嘘、あの人が私達の事を考えていたと思うの?あの人は自分の欲望の為に私達を作りだしたのよ。」
「違うわ姉さん、父は確かに己の為…そんな思いもあったのかもしれない、けど、それだけの為に私達を生みだしたのではないわ。」
「貴方には解らない、完全な人として作られた貴方には…。」
 リリスが空いた手を器用に動かし、肘より少し下の所に糸をかける、そして…。
 何の躊躇もなく、己の手を、斬り落とした…。
 一瞬、鮮血が飛び出す、しかしリリスは顔色一つ変えない。
「良く見なさい…。」
 イヴとレインは言われるまでもなく見た、肉の様に見える層の中心を、糸と骨に似せた何かでできている造り物の身体を…。
「確かに…、真に恨むべき者は死に、妹の貴方にその矛先を向けた所で…、貴方を殺した所で私の身体は何も変わらない…。」
 今まで弛んでいたレインの剣に絡まっていた糸が張りを取り戻す。
「けど、その子の瞳の中の私は変われるのよ。昔の様にやさしい私に…身体の事を知っても強くのり越えられた私に戻れるのよ。けど、貴方が居るから、その子は私を悲しい目で見るの…、貴方さえ…。」
 リリスが力任せに糸を引き始めた。レインは力を入れて耐えるが、片手なのに恐ろしい力を発揮するリリス。

「母さん。」

 レインが言った、そう呼びかけるのが当然だと思った。
 糸を引く力が無くなった、酷く乱れていたリリスの動きが、時が止まった。
 レインはゆっくりと糸を手繰り寄せながら、リリスに近付く。
「貴方はそんな事をしなくても元に戻れます。貴方はそんな事をしなくても母になれます。子供が生めなくても、普通の身体じゃなくても、貴方は母になれます。」
 彼の言葉を二人が黙って聞いていた。
「貴方は母になるのに、一番大切な『やさしい心』を持っているんです。僕は…、迷子になった僕にやさしくしてくれた貴方に、母親の暖かさを感じました。」
 リリスの瞳が大きく見開かされる、そして…見た。
ー瞳の中の私が…やさしく微笑んでいる…。まるで…そうまるで母親の様…ー
「ああ…」
 リリスが崩れ落ちた…。
「私は…、何て事を…。」
 リリスは己の罪を認めてしまった。
「姉さん、今ならやり直せるわ。」
 イヴがやさしく手を差しのべる。しかしリリスはその手を払い除ける。
「いいえ、私は…私は酷い事をしてしまったのよ、罪も無い人達に…何て事を…。」
「…姉さん…」
 リリスが立ち上がる。
「自分の事です…。私自信が決着をつけます。」
 何をするかは本人にしか解らない。だが、その決意が悲しい結末に向かうのは目に見えていた。
 突然、走り出すリリス。
「母さん!!」
 レインは慌ててもう一度呼ぶ、しかし効果は無かった。
 リリスは残った手の糸を振り回し、二人を牽制しながら逃げて行く。
 自分の罪を認める事、それは正しい事だったが、辛い事だった。
 全てが遅かった、全てを認めるには悲しい事が起きすぎていた…。

 静かな始まりは、突然の終わりをむかえる。
 振り回した糸が大木に引っかかり、リリスは身動きがとれなくなった、すかさず駆け寄ろうとする二人。
 しかし、その時、その木に…空から光の糸が垂れた…。
 一瞬、大きくリリスの身体が跳ねた、しかし次の瞬間にはがくりとうなだれ、糸を枝にかけた…そのままの状態でずるずると崩れ落ちた。
 その姿は、まるで使う者の居なくなった人形が捨てられている様で、酷く滑稽で…、酷く…悲しい姿だった…。


「行こう…。」
 しばらく立ち尽くした後、レインはいまだ放心状態のイヴの手を取った、イヴは黙って従った。
 握りあった手を見るイヴ、一瞬だけレインの手から二本の赤い糸が見えた。
 一つはしっかりと彼と自分を繋いでいて、もう片方はすぐに切れていた。
 レインが突然足を止めた。
「どうしたの?」
 と問うイヴだが、レインは何も答えずに、いつの間にか晴れた空へ向かって、一声吠えた。
「くっっそ〜〜〜〜〜!!!!」
 その姿が、天にいる神に向かって吠えた様に見えるイヴ。
 その時…、
ー天の糸…ー
 降り忘れた雨が、一粒レイン目がけ垂れてきた。
 しかし、レインは何気ない手つきでそれを払った。
 どうやら…、人は神の意のままには動かないらしい…。
 イヴが軽く笑った。
 しかし…。
「レインさん!」
 次の瞬間、自分でも信じられないくらいに大きな声をイヴは出していた。

 自らの糸を斬った人形の如く、レインの身体はぐらりと大きく揺れたかと思うと、静かに崩れ落ちた…。


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