中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「ワラフヲトコ」一日目 其の弐 雨水 時雨
「あ〜すごいすごい、お兄ちゃん見て見て〜。」
 ローラがジャグリングの練習をするピエロを指さしながらはしゃぐ、ピエロはローラの視線に気づくとポロポロと投げていた物を落としてしまった。しかし、すぐに気を取り直しておどけ見せる。ローラが笑う。
「遊びじゃないって言ったろ、ちょろちょろしないでしっかりついて来い。」
「は〜い。」
 ローラは素直に頷いて少し先を行くフェイを追った。
 その光景をピエロがじっと見ていた。

「たっか〜い。」
「高いね、こりゃ。」
 二人は柱を見上げながら同じ感想を洩らした。
「そうだろ、そうだろ〜。」
 二人は突然声をかけられて、びっくりして振り向く、そこには長い長いロープの束を持ったピートが居た。
「綱渡りって言えばサーカスの花形だからな。それにうちの綱渡りは、高さでは十本の指に入る、って団長がいつも自慢するぐらいだからな。」
ー高いのは認めるが、下手すりゃ見えないぞ、これはー
 フェイはそう思ったが、無論口には出さない。それより別の事を考える、確かに高い柱ではあるが、柱に登れる人間は溢れるほど(ここに)居るではないか、人手は充分なのに何故自分にロープ張りの手伝いを頼んできたのか?
 フェイはその理由をすぐに知る事になる。
 ドスッ…
 ピートが担いでいたロープを降ろした、地面が少し揺れた…。
「なっ…」
 フェイが恐る恐るそれを手にとった、見た目は普通のロープと大差は無かった。
「何だ…こりゃ。」
 思わず洩らす。重すぎる、少し持っただけだから真の重さは解らないが、少し持ち上げただけでも腕にずっしりと重みが伝わる。
「おい、こいつは何だ?」
「あん?ああ、そいつは特別な奴でさぁ、特注で特別丈夫に作ってもらったら重くなっちまったんだって。俺はそうは感じないんだけどな…」
 ピートは言いながらロープを軽々と持つ、そして、
「じゃあ仕事するか、フェイ。」
 ピートがロープの片端をフェイに差し出す。
「仕事って?」
「あれ?まだ説明してなかったか?」
「ああ、詳しい事は聞いて無いな…」
 そうは言いながらも大体の予想はついているフェイ。
「フェイはこっち側を持って、これを登ってくれ。」
「おい、仕事ってロープを張るだけじゃ…」
「いや、ロープを上に持っていくだけでいいんだぞ、後は上のみんながやってくれるんだ…ってそれ言ってなかったっけ?」
「何も聞いていないぞ。」
「まあ、いいじゃんか。」
「おい、高い所に登るんだったら、他にできる奴が一杯いるだろう、何で俺に頼んだんだ?」
「う〜ん、登れる奴ならいっぱいいるんだけどよ〜、みんなこいつを持ったままってわけにはいかね〜んだ。」
ーなるほどーフェイはその時理解した。
ー確かに、軽業師がこれを持って、これを登るには少々難が有るな、無理をすれば…できるかもしれないが、万が一があったら困るだろう。その点、俺とピートなら…しかもピートなら万が一があっても掠り傷ぐらいですみそうだー
「しょうがねえ、パッと登って、パッと片付けるか…。」
 フェイは決心してロープを持った。

「お兄ちゃ〜ん、大丈夫〜?」
 ローラの声が遥か下の方から響いてきた。下を確かめようとしたフェイだが、すぐに止めた、そして一心不乱に手足を動かし、ただひたすらに上を目指した。
 ほどなくして、何事も無く上の待機場に着いた。
「ご苦労さま。」
 上で待っていた一人がそう言うと、そこに居た二人でフェイを引きずり上げた。フェイは肩にかけていたロープを外すとその者達に渡し、しばらくの間ロープ付けの作業を見ていた。
 遠くを見るとピートはフェイより先に着いていたらしく向こうもすでに取り付け作業にはいっていた。
「……い……ん…」
 下から誰かの声が聞こえてきた、フェイは台から顔を出 し覗く、あまりの高さに一瞬目眩がするがそれを抑えて目をこらす。
 そこには、待っているのに飽きたのか、上に来ようと柱を登ってくるローラの姿があった。
「…にい…ゃん。」
 ローラもフェイの姿をとらえて何度も呼びかけてきた。
「何やってんだ…」
 フェイが呟く、ローラは一生懸命登っているのだが、途中何度も動きが止まる、その度にフェイは肝を冷やした。
「あんな服で…、もし何かあったらどうする気だ…」
 フェイが言う、そして…、不安が的中する…。
 ローラが次の取っ手に手をのばした。それを掴み体をまた少し上へ持って行こうとする、しかし何かが引っかかり上にあがれない。ローラが何故かと確かめる、すると丈の長いスカートがいくつか前の取っ手に引っかかっていた。ローラはそれを外そうと手をのばした…。
「あっ…」
 二人の言葉が遠い所で重なる、そしてローラがフェイの目の前で暗闇に吸い込まれ小さくなっていった…。
「馬鹿…」
 フェイが呟いた。はたしてそれは誰に向けられたのか。それは落ちて行くローラに向けられたのか、それとも自らもその暗黒に身を躍らせた自分自身に向けられたのか…。
 一つ間を置いて悲鳴が辺りに響いた。

 何も考えずに飛び降りたフェイだが、ローラの方が下の方で落ちたのだ追い付くわけが無い。否、たとえ追い付いたとしてもフェイはどうするのであろうか…。
「自由なる風の精霊よ、我にその翼を貸し与えよ」
 フェイが言う、すると薄緑の風がその身を包んだ。すると、フェイの落下速度が上がりローラに追い付く。
 フェイが空中でローラの体を抱き締める。
「お兄…ちゃん…」
 安心感に包まれローラはうわごとの様に名を呼んだ。し かし最早、地面は目と鼻の先だった、フェイが声の限りに叫ぶ。
「愛と豊穣の女神イシュタルよ、その慈愛の御手により我を護りたまえ…。イシュタルブレス!」
 瞬間、地面から半透明の手が突き出て、二人を受け止めた…気がした。
 派手な音と共に土煙が舞い上がった。その光景を見ていた者達の間から再び悲鳴が上がった。

 人々は不安と絶望と微かな希望の混じった気持ちで視界が晴れるのを待った、ピートも柱を飛び降りる様な勢いで降りてきた。
 土煙が晴れた…、一組の男女が倒れていた。人々は最悪の結果を想像した。しかし、少女の方が何事も無かったかの様にむっくりと起き上がり、そして一瞬の間を置いてから火が付いた様に泣き出した。その時、見ていた者の中から一人のピエロが出てきた、ピエロはローラに近づくとその体を丁寧に触り始めた。皆何をしているのか疑問に思っている中、ピエロは触るのを止め言った。
「大丈夫、この子には何の怪我も無い。」
 どうやら触診をしていたらしい、人々はその即席の医者を何の疑いも無く受け入れた、そう人々にはそんな事を疑っている暇等無かった。ローラに怪我が無かった、つまりそれは衝撃の全てをフェイが受け止めた事になる。見たところ出血は無かったが、フェイは目を閉じたままだった。
「お兄ちゃ〜ん!」
 ローラが更に激しく泣いた。ピエロが慰めようとするが…、それより早く一つの手がローラの頭にのせられる。
「フェイ〜。」
 ピートが気の抜けた声を出す。
「人を勝手に殺すなよ。」
 フェイは苦しげな息を吐きながらも軽口をたたく、そして苦痛に顔を歪めながらも起き上がろうとした。しかし、ピエロがそれを止める。
「無理をしてはいけません。」
 ピエロはフェイの体をぺたぺたと触りまくる。
「何するん…痛っ!」
 右腕をおさえられた時、フェイは堪えきれずに悲鳴を上げた。
「放っておくといけない、誰か布と適当な添え木を!」
 てきぱきとした指示に従い、すぐに二つの品は用意された。
「応急処置はこれでいいか…、でもすぐにお医者様に見てもらった方が良いです。」
 処置が終わって初めてフェイは目の前の人物が治療してくれたのだと悟った。
「ありがとう…」
 一応の礼をのべた。
 その頃にはサーカスの全員とも思える人数の人間がそこに集まっていた、団長も居て周りの者達から詳しい説明を受けていた。
「何か大変な事になったみたいだね。」
 団長が近づくなりそう声をかけた。
「すみません、俺の責任です。」
「まあ大した怪我も無かったようだし良かったじゃないか。それに仕事はきちんとこなしてくれたようだし、今日はもう帰って病院に行きたまえ、報酬は後で払っておくよ。」
「すみません。」
 折角の好意を断る理由も無いので、フェイはサーカスを退場する事にした。
「痛っ、」
 とっさに魔法で衝撃を和らげたとはいえ、全身をしたたかに打ちつけたのだ、立ち上がろうとするとあちこちが痛んだ。でも右腕の怪我に比べたら我慢できないものでは無い。
ーそれよりー
 フェイはある者の姿を探した。その者はいまだうずくまってしくしくと泣いていた。
「どうしたローラ、何処か痛いのか?」
 ローラは黙って首を振る。
「じゃあ、どうした。」
「ごめんなさい…」
 耳をすまさなければ聞こえない小さな声で言った。
ー泣いている、あの子が泣いている、可哀相にー
 フェイがローラの首に手をのばす…、
「あっ…」
 ローラが驚きの声を上げる。フェイの手はローラの首に絡みつき…、フェイはローラの顔を自分の胸にうずめさせた。
「全く、見てるだけだと言っただろう。」
 その声があまりにもやさし気だったので、ローラは思わず聞いた。
「怒ってないの?」
「んっ?いつもの事だ、怒っちゃいないよ。」
 ローラは何故だか安心したようながっかりしたような、複雑な表情をしていた。でも、泣き止んではいた。
 フェイはローラを離す、そして立たせると言った。
「帰るか。」
「うん。」
 ローラは元気に頷いた。
「ああ、そうだ…」
 何か思い出したように手を打つフェイ。
「そういえば…」
 フェイがその場にまだ残っていたピエロの方に行く、
「怪我見てくれてありがとう。」
「えっ?ああ、いえいえどういたしまして。うろ覚えの応急処置なので、すぐにちゃんとしたお医者様にきちんと見てもらって下さい。」
「ああ、解った。それより、あんた名前は?」
「ピエトロです。少し前からここでピエロをやらせてもらっています。」
「そうか、よろしくピエトロ。俺はフェイだ、こっちはローラ。」
「フェイさんにローラちゃん、どうぞよろしくお願いします。」
 ピエトロが言って軽く会釈する、ローラもぺこりと頭を下げた。
 初対面の三人にそれ以上の話題があるわけも無く、
「それじゃ、今度またゆっくりと礼をしに来るよ。」
 フェイはそう残してローラの手を引いてサーカスを後にした。
 ピエトロは笑い顔で二人を見送った、しかしそれがメイクによるものなのか、心からのものなのか、それは…解らなかった…。

「全く…、若さと無謀が違うものだと、今度ゆっくりお前達に教えねばならんようだな。」
 クラウド医院の医師・トーヤは包帯を巻きながら、呆れた様に言った。
「おい、先生(ドクター)。お前達ってどういう意味だ?」
「言葉通りだ、最近どうも、お前達若い奴らが無茶をしすぎる…。治療する俺の身にもなってみろ。」
「くっ、先生…」
 フェイがうつむいて肩を震わせる。
「何だ、何故笑っている。」
「先生が随分と年寄りくさい事言うからさ…、『若い奴らが…』なんて。一年の間に随分と歳をとったな。」
 トーヤは黙って包帯をきつく締めた…、フェイが痛みに顔を歪ませる、そしてフェイは黙った。
「それにしても…」
 治療が終わって、話しかけてきたのはトーヤだった。
「んっ?」
「これをやったのは誰だ?」
 トーヤは外された、少し汚い包帯とありあわせの添え木を指さした。
「ああ、それはサーカスにいた奴がやってくれたんだ…、それがどうかしたのか?」
「うん?いやたいした事では無い、なかなかうまい応急手当だから、これをやった者はたぶん医術の心得があるなと思ってな。」
「へえ、」
 心底意外そうな声を上げて、フェイはピエトロの顔を思い浮かべていた。
 その時、診察室の扉が少し開かれた、そしてそのわずかな隙間から声がする。
「もう、いい?」
 おずおずと尋ねる少女の声がした。
「ローラか、治療は終わった、もう入ってもいいぞ。」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
 ローラがおずおずと入って来る。
「あっ?大丈夫だって何度も言っただろ。」
「本当に?」
 ローラは更に聞く、フェイは困った視線をトーヤに送る。
「右腕を少し痛めてはいるが、大したものでは無い、二、三日安静にしていればすぐに治るだろう。」
 トーヤの言葉に安心するローラ。
「さてと、あんまり遅いとアリサさんが心配するから、そろそろ帰るか?」
「うん。」
「それじゃ、どうも先生。」
 フェイはそう言うとローラを連れて仲良く去って行った。
「無茶はするなよ。」
 トーヤはそう言って診断書から顔を上げた…、しかしそこには二人の姿は無かった。
「全く…、何故こうも人の話を聞かない奴が多いんだ。」
 トーヤは言いながら、ここ最近この科白が多いな、と一人思った。
中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲