中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「三年後」 式部 瞬  (MAIL)
どこまでも広がる海原は、まるで磨き上げた黒曜石の鏡のように満天の星空を映し出す。
どこまでが海で、どこまでが夜空なのか、それすらはっきりとは解らない。
零れ落ちる宝石の微光がぼんやりと海の鏡面をなぞり、時折を頬を撫でる潮の香りを含んだ
風は精霊ルナの奏でるその神秘的な竪琴の音色を運ぶように吹き抜けてゆく。

幻想的で、ロマンティックで、でもどこかもの悲しい砂銀の砂浜に二人きりの人影。
肩を並べて座っている。
一見すれば、ロマンティックな雰囲気に浸っている恋人同士に見えたかもしれない。
……その、二人の間に置かれた微妙な間を除けば、だが。
「……。」
「……。」
重くのしかかる静寂。
その重圧に耐え切れず、口を開いたのは少女のほうだった。
「…わたしのこと、もう、嫌いになったの…?」
「……。」
青年は答えず、ただゆっくりと首を左右に振る。
「…じゃあ、じゃあ何で!?なんで旅に出るなんて言うの!?」
「……。」
「ねえ!黙ってたら解らないわよ!何か言ってよ、瞬!」
「…パティ…。」
堰を切ったように心のうちを吐露するパティ。
そしてそのの震える肩に無意識のうちに手を回しそうになり、そして何とかそれを無理矢理に
押さえつける瞬。やがて、絞り出すように鳴咽にも似た声が漏れる。
「…嫌いになったわけじゃない……。」
「じゃあ、何で!?」
訴えるような、哀願するような、そんな瞳で瞬を真っ直ぐに見つめるパティ。だがその先に瞬
の瞳はない。
「…正直に言うよ、自信がない…。」
耳を被いたくなるような悲痛な声で瞬はそう呟いた。そして、決心したかのようにゆっくりと
パティの瞳に答える。星から降り注ぐ微光に青白く照らしだされたパティの頬には、悲しみの
色に染めあげられた雫が伝わっていた。
「今、俺はお前のことが好きだ…。誰よりも、何よりも…。」
「…わたしだって…。じゃあ、何で…。」
「……自信がないんだ。…これから先、ずっとお前を好きでいられるか…自信がない…。」
「ど、どういうこと?」
その問いに瞬は一度口を閉ざし、そして再び静かに呟いた。
「俺は本当にお前の想いに答えてやれてるのか、何があっても、どんな時でも、お前を愛して
やることができるのかどうか…それが、わからない。」
「………。」
瞬はいつだってわたしの想いに答えてくれた、いつだって愛してくれていた、…そう叫ぼうと
して、パティは不意にハッとなって唇を強く結んだ。
…もしかしたら、わたしは想いや気持ちを押し付けてしたのかもしれない…。
…今まで一緒に過ごせなかった時間を取り戻すように、独占欲や自分勝手で瞬を縛りつけてい
たのかもしれない…。
…それが、瞬の負担になっている?だから、瞬はわたしが嫌いになった…?
頭の中に、様々なことが浮かんでは消えて行く。
もし、もしそうだとしたら…全ては…わたしのせいなんだ…。
胸の底に冷たいものが触れ、罪悪感と自己嫌悪が喪失感を伴って頭の中を駆け巡る。
その恐怖から逃げるかのように、パティは震える唇を必死に動かし、最愛の人の名を呼んだ。
「瞬!わたし、わたし……。」
「それ以上…言わないで…。もし、パティが自分を責めているんなら、やめるんだ。多分、俺
が悪いんだ…。お前を誰より好きなはずなのに…。好きなら、答えてやれるはずなのに…。」
吐き出すようにそう呟いた瞬は、パティの視線から逃れるように顔を伏せた。
その右腕は、白くなるくらいに強く砂を握り締めていた。

自分のせいで、大好きな人が、何よりも大切な人が……苦しんでいる…。

想えば想うほど、愛すれば愛するほど、最愛の人を苦しめてしまう。
無意識の内に自分がそうするのと同じだけの想いを、同じだけの愛を要求してしまう。
想うが故に、愛するが故に想いが空回る…。
それどころか、傷つけてしまう…。
そのひどく残酷で、認めたくない事実はパティの心に深く、そして鋭利に突き刺さった。
「わたし、瞬を求めすぎている…。」
「俺は、時々、お前の想いを重みとして感じてしまう…。そんな自分が、許せない…。」
「違う!違うの!!悪いのは、わたしなの……。」
「違わないさ!…悪いのは俺だ!…好きなのに、愛してるのに…何で…素直に想いを返せない
んだ…。なんで、重みに感じちまう時があるんだ…。」
「やめて!それ以上自分を責めないで!わたしが求めすぎたから…。だから…う…。」
「やめろ!もう、言うな!」
「ッ……。う……。」
「……………。」
再び、砂浜には耳が痛くなるような静寂が訪れる。
夜風が、音もなく二人の間を吹き抜ける。
まるで、二人の間にポッカリと空いてしまったその間を、二人に再認識させるかのように…。
「………。」
「………。」
「…俺は、お前のことをずっと好きでいたい。愛し続けたいと願ってる…。」
「わたしだって、そうだよ…。」
「だけど、きっとこのままじゃあ、いつか駄目になってしまうと思う。たとえ駄目にならなか
ったとしても、それは…多分、どこかで無理をして、誤魔化しているだけだと思う…。」
「………。」
「だから、俺、必死に考えたんだ。…身勝手な言い草だし、ただの詭弁かも知れないけど…。」
呟き、瞬はパティの細い肩に両手を伸ばし、真っ直ぐにパティの瞳に自分のそれを重ねた。
「…三年後に、もう一度ここで逢えないかな…?」
「…三年…後…?」
「…その時、俺がまだお前のことを本当に愛していたのなら…きっとこれからずっと、お前を
愛し続けてやれる気がするんだ…。」
「……。」
パティは無言だった。
だが、本当は解っていた。
多分、それが二人にとって最良の選択であることに。
溢れるこの想いのままに瞬の全てを愛してしまったら、お互いが傷ついてしまうことに。
だから、パティは力なく頷いた。その瞳に、一杯の涙を溜めながら…。
「…待ってる…。わたし待ってる…。」
「…うん…。次に逢った時は、ただ純粋に、お前の想いに答えてやれると思う…。」
「うん、…わたし、ずっと待ってる…。瞬のこと好きなままで、ずっと待ってるからね…。」
「俺だって、お前を好きなままで、ずっと…。」
月明かりに照らされた二人のシルエットがゆっくりと、重なる。
手と手が重なり、唇が重なり、だが、心だけは重ねなかった。
まだ、怖かったから。
自信がなかったから。
自分が許せなかったから。
そんな資格ないと思ったから。

だから、無意識に心だけは重ねなかった。

…やがてそれは二つに分かれる。
一人は立ち去り、そして一人はその場に泣き崩れる…。

夜の浜辺に静かに響く、寄せては返す波の音は悲痛なほどに儚げで、降り注ぐ月の微光も冷た
さを孕んで二つの人影を照らしていた……。

時の歯車は軋みながらもその手を休めない。
時の奏でる音色も、変わりこそすれ、途切れることはない。
留まることを許されないかのように、穏やかに、しかし確実に流れ続ける。


暖かなさくら色の季節。
風に飛ばされ舞い上がる小さな息吹に染め上げられ空も大地も一色に染まる。
冬の残滓を吹き散らすような、暖かな風が頬をくすぐる。
こんな日は一緒にいたい。
肩を寄せあって日だまりの中でまどろんでいたい。
でも、芽生えるのは淋しさと愛しさだけ。
胸に積もる深い雪を溶かしてはくれない。

深遠なエメラルド色の季節。
淡いカーテンは微熱を孕んださわやかな風に奪われる。
かわりに訪れたのは萌え出ずる緑。
陽光がその四肢を絶えることなく伸ばし続け、新緑の大地は詠う。
遅くなった夕暮れは、ひどく瞳と胸に突き刺さる。
流れ落ちる透明な雫は、雪解けの水ではない。

目も眩むほどの黄金色の季節。
豊饒の詩に酔いしれる色とりどりの世界。
道行く人々の顔にも、どこか幸せな彩りが添えられている。
長い。まるで、終わりがないかのように長い。
大地にひかれた街路樹の残滓を踏む音が、寂寥を孕んで響く。
吹き荒ぶ風よりも、胸の奥が冷たく凍えている。

全てを汚れなく隠してしまう雪色の季節。
薪の爆ぜる音。
音もなくいつまでも降り止まない雪の音。
それでも胸の隙間を埋めることはできない。
凍てつく白い吐息には溜息の緋色が混じっている。
温かいベッドの中で見る夢は、温かくも凍える愛しい人の幻影。

…やがて、再び季節は流転し出逢いと別れを繰り返しながら春を迎える。
何もかもが動きだし、立ち止まることは許されないように変わりつづける。
でも、変わらないものもある。
そう、この想いは変わらない。
あの人を愛する、この想いだけは…。
そして、凍り付いていたわたしの時間が、動き出す時が来た。

蒼い月明かりに風の妖精達の翼の羽ばたきの微かな音が重なる。
そんな夜の静寂(しじま)をぬって波の音が静かに響き渡る。
その波打ち際を、あの日ここで別れと再会を誓いあった二人が肩を寄せ合って歩いて行く。
言葉はない。
だが、二人の顔にあの日のような苦悶や迷いの色は見て取れない。
「………。」
「………。」
ただ無言で歩く二人。
まだ少し冷たい海水が波となって二人の足元を濡らす。
ふと、少女は立ち止まり、そして後ろを振り返る。
夜風になびく柔らかな髪を撫で付け、呟く。
「見て。」
その言葉に青年も同じように後ろを見やる。
「波が足跡を消しちゃった…。」
「ああ…。」
「まるで、たった今ここから二人で歩き出したみたい…。」
「そうだな…。」
「でも…。」
少女の言葉を継ぎ、青年は優しい瞳で呟く。
「ああ、想い出は消えないさ。お前に始めて逢って、好きになって…。」
「うん。哀しいことも淋しいこともつらいことも一杯あったけど…。」
少女は青年を振り返り、精一杯の微笑みを浮かべる。
その瞳に脅えの色はない。
「…なんかこれじゃ、まるで恋愛小説みたいだけど…。」
「………。」
「また、二人で一緒に寄り添いあって…、その、楽しいことばかりじゃないし、ケンカしちゃ
うこともあるかもしれないけど…。」
「うん。」
「ずっとこれから歩いていきたい……って言うのは駄目かな?」
少しだけ照れくさそうに笑い、少女は頬を赤らめてそう呟く。
そんな少女の肩を優しく、だがしっかりと引き寄せ胸に抱き止めながら青年も呟く。
「いいや、そういうの、嫌いじゃないぜ…。」
「…よかった。」
逞しく、懐かしい胸に頬を寄せ、少女はその細い肩を微かに震えさせた。
その肩を優しく包み込むように青年は抱きしめる。
「…なぁ。」
「…何?」
「キス、していいか…?」
「うん…。」
ゆっくりと、お互いがお互いの唇を求め、そして触れ合う。
懐かしい温もりと感触。
そして何より、触れ合う想い…。

頬を伝う雫に月明かりがはね、宵闇に煌きと共に消えて行く。
それは、二人の哀しみの雪解け…。
そして、代わりに心を満たしてくれる温もり、それは他ならぬ“愛”であった…。


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