中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「love me,I love you」 式部 瞬
「もう〜、つ・か・れ・た!!きゅ〜け〜タ〜イム!!」
30分ほど前と、内容にも言い方にも寸分の違いもなく叫び、マリアはドスン、とその場に座り込んだ。
その傍らで梱包された箱を抱えて右往左往していた瞬も、ため息とともにそれを足元に慎重に置き、マリアと向かい合うようにして埃だらけの床に胡座をかいた。
本来の彼なら、働かざるもの食うべからず!とばかりに無理矢理にでもマリアを働かせるのであろうが、今回
ばかりは彼女の提案を受け入れざるを得なかった。吐き出されたため息も、彼女の軽快かつ頻繁に発議される
休憩宣言に呆れたわけではなく、純粋に今回依頼された仕事の前途を憂うあまりに漏れたものであった。
−倉庫の片付けと清掃−
今にして思えば、その単純な仕事内容のわりに、あまりにも賃金が多すぎる、と不信感を持つべきだったと瞬はほんの数十時間前の軽率な自分を呪った。
荷物が発狂したほどに多いわけではない。
それと比較して倉庫が馬鹿みたいに無闇に大きいわけでもない。
問題なのはその荷物の持つ“価値”にあったのである。
そう、10m×10m程のその敷地内にある荷物一つ一つが、恐ろしいくらいに価値の高い美術品なのであった。
古代王国の石像に巨匠の手による絵画、気品溢れる硝子細工などなど……数えきえたものではない。
依頼主はエンフィールド一の好事家であり、有数の資産家であるヴァルフォード=ダレイオス氏だ。
交易商を営む傍ら、骨董鑑定人としても名をはせている彼は、同時に熱狂的な収集家でもある。
そんな彼が金に糸目をつけずに集めに集めた国宝クラスの御宝の山が、今まさに瞬とマリアの眼前に、ゴロゴロと転がっているのである。
しかもご丁寧なことにそれら全てには落札価格を記入した値札がしっかりと張られているのだ。
−壊したら、一瞬にして比類なき借King!!−
その、気の弱い人間なら心理的圧迫感で死後の世界にすら旅立てそうなプレッシャーが瞬とマリアの仕事の能率を極限までに削減させているのであった。
「も〜やぁってられな〜い!!神経がスリ減っちゃうわよ〜!!!」
魂の叫びを上げ、マリアは服が埃で汚れるのも気にしないで、そのまま床に仰向けに寝転んでしまった。
就業開始直後は「埃っぽい〜!!」を連呼して瞬を悩まし続けたマリアだが、もはやそんなことを気になどしている余裕すらなくなってしまったようであった。
「全く…なんで国宝クラスの御宝をこんなに乱雑に放ってあんだろ〜な…」
「何言ってんのよ!!手入れ知らずのヴァルフォードって噂、聞いたことなかったの!?有名なんだから、あの髭親父の不精加減は!!」
一息に言い放ち、思わず舞いあがった埃を吸いこんでしまったマリアは激しく咳き込むと、涙目のまま瞬を睨みつけた。
「依頼人くらい、しっかり確認しなさいよ!!」
「んなこと言ったって、昨日の依頼はこれだけだったし、給料もやたら高かったしなぁ」
「高いお金払ってくれるってことは、それに見合ったリスクがあるってことのしょ〜こじゃないのぉ!」
正論である。
楽して大もうけできる仕事など、この世に存在するはずなど、どんなに譲歩して考えたとしてもあるわけがない。
痛いところをしたたかにつつかれて、瞬は苦笑いを零すだけであった。
「悪かったよ…。かわりに仕事が終わったら、ラ・ルナのディナーをご馳走してやる」
「馬鹿」
「な、何だよ!お詫びのつもりで言ってるのに、馬鹿はね〜だろが!」
「馬鹿よ!こんな薄汚い格好で入れるわけないでしょ!つまみ出されるのがオチよ!」
これまた正論である。
カクテルドレスにネクタイを強要するほどに格式張っているわけではないが、流石にこれだけ埃と汗に塗れた姿では、いいとこ営業妨害が関の山である。
「まぁ…確かに、ラ・ルナって感じじゃないかな…」
「そうよ。ロマンチックが尻尾巻いて逃げてくわよ」
「わけのわからん例えだな」
言いながら、瞬は今日初めて苦笑い以外の笑みを零した。
「他には…そうだなぁ、やっぱさくら亭か」
「うん、いいよ。別に、奢りじゃなくてもいいし…」
「ん?何でさ?」
「マリアはいわば、アンタに雇われてる身分なんだから。雇い主がやるって決めた仕事はこなさなきゃなんないでしょ?それにいちいちお詫びをする?」
よいしょ、と上半身だけ起こしマリアは髪の毛にまとわりついた埃を煩わしげに払った。
「まあ、普通はしないな。しかし、悪かったな、浅はかな雇い主で」
「気にしてたら身が持たないわよ〜だ。す〜まじきは宮仕えよね〜」
その年齢に全くもって不相応な台詞を、まるで中年過ぎの会社員のぼやきの如く吐き出すマリア。
そんな滑稽な演技に、瞬は思わず声を上げて笑ってしまう。
「ちょっと〜笑ってる場合じゃないわよ!ど〜すんのよ、これ!!」
夏の夕暮れのごとく一瞬にして表情を一変させ、マリアは乱雑に置かれている美術品達を恨めしげに睨み付けた。
これが仕事ではなく、さらに美術的価値が全く皆無だったとしたら、彼女は間違いなく御得意の魔法で粉微塵にふきとばしていただろう。
「どうするっていわれてもなぁ〜…もう少しペースを上げるしか…」
「反対」
瞬の言葉を遮り、端然と言い放つマリア。
が、この意見には、実のところ瞬も多いに賛成であった。
ただでさえ必要以上の緊張と慎重さを要するというのに、ここで能率を無理に上げ様などとすれば、まず間違いなく名だたる芸術化の崇高な魂の結晶は
ただの粗大ゴミへとその姿を変えることだろう。
一つでも破壊したら、俺達に明日はない。
そんなギリギリのスリルに、さらにスリルを上乗せさせようとするほど、瞬は精神的マゾヒストではなかった。
「俺も反対意見に賛成だ。しかしなぁ…絶対、今日中に終わらん気がするが……」
「大〜丈〜夫よ!!」
やけに自身マンマンに薄い胸を張るマリア。
「その根拠は?」
「ヴァルフォード爺さんをタイムズ・ウィスパーで止めちゃう」
「止めるなぁ!!」
「じゃあ、強制転移魔法で一日じゃ帰れない場所に飛ばしちゃうとか」
「飛ばすなぁ!!」
「じぁあ…」
「もういいわぁ!!」
「や〜ね〜、冗談に決まってるじゃないの。冗談を楽しむ心の余裕くらい、持ちなよ〜」
「冗談に聞こえないんだよ、お前の場合は…」
大きく、それこそ心の底から吐き出すかのようなため息をつき、瞬は汗で額に張りつく前髪を煩わしげにかきあげた。
「とにかく、やれるだけやってみるしかないよな〜」
「本当に大丈夫よ。ヴァルフォード爺さんはいい加減だから、“終わりませんでした〜デヘヘ〜”とか笑って誤魔化せばど〜にでもなるわよ」
「マリア!ジョートショップの社訓は!?」
「……信用第一」
「よろしい」
「…だったら無茶な仕事受けないでよ」
「さ〜て、そろそろ休憩終了だ。ガンバルゾ〜」
あからさまにマリアのナイフのような追及の言葉を無視し、瞬は立ちあがると腕を捲り上げた。
「ほれ!お前も働かんかい!」
不満ド100%の恨めしげな二つのジト目が、真っ直ぐに瞬の瞳を上目遣いに睨みつけている。
だが、無論そんなものは無視である。
「給料−25%な」
「わ!横暴〜!!」
「なら働け」
「(小声で)大体、何でマリアがこんな雑用みたいな力仕事をしなきゃいけないのよ。
そもそも、マリアにはもっと教養を必要とするような頭脳的な仕事のほうがむいてるのよ。
ま〜ったく、何が悲しくてうら若く美しい乙女が汗まみれ埃まみれになって働かなきゃいけないのよ。
おかしい、おかしい、絶対、おかしいわよ。法律が間違ってるわよ。
労働基準法にしっかり適合してるの〜って感じよね〜。それでいて御給料なんか…」
「ブツブツ言わんで、とっとと働かんか〜〜〜〜い!!!!」
一際大きな怒声が飛び、倉庫の厚い壁に反響し木霊する。
「わかったわよ!そんな大声ださなくても……わぁぁぁぁぁ!!う、後ろ〜!!!」
「またそうやって誤魔化そうとしやがって。その手には…」
「後ろ!後ろ〜!!明日から戦後最大の債務者になっちゃうわよ〜!!!」
「な、なぬ!?」
慌てて振りかえる瞬。
その顔が一気に青ざめる。
まるで嫌がらせのように、棚の最上部に山のように詰まれているクリスタル製の食器が、今にも重力にの甘い誘惑に心奪われんばかりに大きく揺れていたのだ。
「ぐわ!や、やべぇ…おい、マリア、これ以上大きな声は…」
「ハ、ハ、ハ、ハ〜〜〜〜〜ックション!!!!!」
「そんなお約束あってたまるか馬鹿野郎〜!!!!あ〜!!」
慌てて口を押さえるが、もはや時すでに遅し!
マリアの豪快なクシャミと瞬の叫び声の相乗効果に、超高級食器群はとうとうこの世で最高の美の瞬間を求めて宙へと身を躍らせたのであった。
この世で最高の美の瞬間。
それは花火と同じ、砕け散る瞬間、そう、まさに破壊の美学である。
「そんな終末的な美的センス、断じて認め〜〜〜ん!!」
叫び、瞬は跳躍した。
落下する、アクアマリンのような淡い蒼の皿に張りつけられた値札が目に飛び込んでくる。
7のあとに0が7つ!!…それ以上、確認する時間的余裕も心のゆとりも、今の瞬には皆無であった。
「うをををを〜!!!」
目一杯に右手を伸ばす!
食器は今まさに床へと激突する!
「イヤァァァァァ!!」
叫び、マリアは思わず顔を背け瞳をキツク閉じた。
が……二人の新たなる真っ暗闇の人生の幕開けを告げる、高音質な破壊音が鼓膜を刺激することはなかった。
「……し、瞬?」
呟き、マリアはそっと瞳を開けた。
その瞳に飛びこんできたもの、それは無様に床に転がり埃塗れになりながらも、その手にクリスタルの食器をしっかりと握り締めている瞬の姿であった。
「………た、助かった…」
呻くように吐きだし、瞬は慎重に立ちあがった。そしてさらにこのうえなく慎重に、それを開いている食器棚へと閉まった。
「やれやれ…寿命が縮んだぜ……」
「それはこっちの台詞よ!あんな馬鹿でかい声だして!!何考えて生きてんのよ!!!」
「んだとこの野郎!お前があんな時にくしゃみなんかするから!!」
「しょうがないでしょ!?生理現象なんだから!!」
「気合で止めとけ!!!」
「何ですぐそう精神論に行きつくのよ!!そもそも瞬が最初に大きな声あげたんじゃないの!!!」
「お前がブツブツ言って働かんからだろ〜がぁ!!!」
「う〜!!」
「が〜!!」
グラグラ…
「はう〜!!」
「キシャー!!」
グラグラグラグラ……
「ごぁ……あああ〜!!う、後ろ!!!」
「その手に…」
「人生の裏街道歩みたいの!?」
「なぬ〜!?」
振り向いた瞬の瞳に、元気よく床へ向かってDIVEする七色の食器が飛びこんできた。
七色?そう、同時に7つである。
それは神の試練というには、あまりにも無慈悲なものであった。
取れるもんなら取ってみろ。
神様の悪辣な笑い声が聞こえた気がした。
「死ぬ気で受け止めなさ〜〜〜〜いぃぃぃぃ!!!」
「畜生ぉぉぉぉぉぉ〜〜〜!!!何の因果でぇぇぇぇぇ〜!!!!」
腹の底から魂の叫びを吐きだし、瞬は再び埃に白く化粧を施された床に飛びこんだのであった。



「はぁはぁ……お、俺、もう胃に穴が開きそうだ…」
「…ねぇ、マリア達、馬鹿!?馬鹿!?」
「…安心しろ、間違いなく、大馬鹿だ…」
床に突っ伏したまま、同じようにだらしなく床にへばっているマリアを見ながら、瞬は淡々と告げた。
奇跡的にも、瞬らの明日が漆黒の闇に染まってしまうことはなかった。
床を見れば粉々に砕け散って粉末となったクリスタルが混じりあい、七色のグラデーションを描き出している。
が、それでも瞬らはまだ真っ当な社会生活を営むことができる。
何故か?
簡単な話しである。
最初の一枚以外の食器は、単なるガラス細工の安物だったのであるから。
日曜市で、いいとこ一枚10Gというところであろう。
「何でこんな安モンが一色単においてあるんだ!!ふざけんなぁ!!」
「…大体、クリスタルなんて大昔じゃ武器や防具の原料にしてたんだから。木張りの床に落ちたくらいで壊れるわけないじゃん…」
「そーいうことは最初に言え!!」
「普通知ってるわよ!魔法鉱物学の基本よ!?学園の年少組でも知ってるわよ〜だ!」
ピシャリ、と言い放ちべ〜っと舌を出して見せるマリア。
どうやらこの世界では、しごく常識なことのようだ。
「悪かったな、無知で!」
「悪いわよ!全く、剣ばっかで…魔法も少しは勉強したら?」
「…いいよ、どーせできね〜し。それに…」
喧嘩はお終い、とばかりに瞬は相変わらずに苦笑いを浮かべた。
「魔法なら覚えなくても、お前に任せときゃいいだろうしな」
「え…?あ、あ、うん!当たり前田のクラックシュートよ!」
「誰だよ、前田って…」
自分に気配りに気がつき、合わせようとして馬鹿なことを言うマリアを見やり、瞬は軽く微笑んだ。
と、ふと瞬はさらにこの場が和むであろう、あることを思いつき徐にポケットを弄った。
「おいマリア」
「何?」
「お前に俺の魔法を見せてやろう」
「いい」
即答である。思いきりコケそうになる瞬。座ってるくせに、器用なヤツである。
「冗談冗談!見せて見せて〜!…これでいい?」
「最後の一言は余計だっちゅ〜に。いいか〜、こうやって穴の開いた硬貨に紐を通してだな…」
言いながら、瞬はどこから取り出したのか、「5」と刻印された穴開きの硬貨に紐を通し始めた。
そしてそれを指からたらし、マリアの大きな瞳の前に突き出すようにつきつけた。
「なによ〜魔法じゃなくて催眠術じゃん」
「違う!これは魔法だ!!」
「うそうそ〜こんなのインチキだよ。かかるわけないジャン」
揶揄の笑みを浮かべ、マリアは肩をすくめ、ふぅ、と失笑した。
「くわ!お前に鼻で笑われると、めっちゃ腹立つ!!」
「へへ〜んだ」
「いいから!この硬貨から目を離すなよ!」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、思わず引っ込みがつかなくなってしまう瞬。
こうなったら最後までやるしかない。中途半端な笑い取りほど惨めなものはないのである(謎)
「はいはい、わかったわよ…」
やれやれ、とマリアはため息と苦笑まじりに突き出された硬貨を見つめた。
「いいか、行くぞ…」
無闇に真剣に呟き、瞬は摘んだ紐をゆっくりと、振り子のように左右に揺らした。
硬貨の動きを追うように、マリアに両の瞳を右往左往する。
「……息を吸って」
言われた通りに、マリアは息を吸いこみ、
「……息を吐いて」
そしてゆっくりと吐き出した。
「…心を落ちつけて……心をカラッポにして……何も考えないで……」
「…………」
「今、何を考えてる?」
「………何も…考えて……な…い…」
うわごとのように、マリアはそう呟いた。
真剣な顔のまま、瞬は心の中で苦笑した。
(何だよ、この演技。やる気マンマンじゃね〜か、全く)
馬鹿馬鹿しいと思いながら、瞬はそれでもなお似非催眠術ゴッコを続けた。
「あなたは何も見えなくなる…」
「……何も…見えない…」
「私の声以外、何も聞こえなくなる…」
「……あなたの声以外……何も聞こえない…」
(ガッハハハハ!!マリアが、あなた、だってぇ?死ぬ!笑い死ぬぅぅぅぅ!!)
こみ上げる笑いを必死に押し止め、瞬は大きく息を吸い、一際大きな声を張り上げ、硬貨を放り投げた。
「あなたは私の言いなりになります!!!!!ハイ!!!!!!」
パァン!!!
手の平を激しくぶつけ合う、乾いた音が倉庫内に響く。
そして静寂…。
「…………」
「……これでお前は俺の言いなりだ〜」
「…はい…」
「な〜んてな、あはははは。そんな簡単にかかるわきゃね〜よな」
「…………」
「中々の名演技だったぞ?笑いをこらえるのが大変だったよ、あはははは」
「…………」
「あはははは…」
「…………」
「……お、おい…」
笑い声が徐々に張りつき、最後には乾いくように消えた。
慌ててマリアに近寄り、肩を揺さぶる。
「おいおい、冗談は終わりだ!おい!!」
ガクンガクン、と首が人形のように前後に揺れる。
その光彩に満ちた瞳は、まるで星空を映し出したかのように澄んで、何も映っていない。
瞬の頬を一筋の嫌な汗が伝う。
「ま、まさか、マジでかかったのか?そ、そんな馬鹿な…」
「…………」
「はは、まさか…。よし、試してやる…。おい、マリア」
「はい」
「は、は、は、はい〜??」
それだけで瞬は腰が抜けそうになってしまった。
だが、それでも瞬はまだ信じようとはしない。
「よ〜し、なら、今すぐ笑ってみろ!!」
「クスクス、アハハハハハ!!!」
「泣いてみろ!!」
「う…グス…ウェェェェェン!!!」
「怒ってみろ!!」
「………(怒)」
「よし!じゃあル○ル○の物真似をしろ!!」
「…馬鹿ばっか……」
「そ、そんなマニアックなことまで……ま、マジかよ…」
「…マジです」
「ぐはぁ!」
さらにマニアックなネタを振られ、再び腰が砕けそうになる瞬。
どうやら冗談抜きに、あのいい加減な催眠術が効果を発揮してしまったようである。
焦りまくる瞬をよそに、マリアは相変わらず人形のように微動だにせず、瞬の次の言葉を待ち続けていた。
「よ〜し、それなら、今すぐ服を脱げ〜!!」
「はい」
ゆっくりと、その華奢でしなやかな指が上着の裾へと伸ばされる。
「わ〜!!やめ!!やめろ!!中止!!」
「はい」
言われたとおり、上着から指が離される。
(危ねぇ危ねぇ…あと一歩で爆弾が送りつけられるとこだったぜ…)
無意味に額の汗を拭いながら、瞬はため息をついた。
と、その時、瞬はあることを思いついた。
それは、瞬が常々考えていたことで、しかもそれは実現不可能に近いことであった。
が、今ならできる。
しかし、いいのだろうか?
それは許されることなのだろうか?
瞬は何となく、自分の両肩に自分と同じ顔をしたチビ天使とチビ悪魔が乗っかっているような錯覚に襲われた。
「いけません!そんなことは!!」
「いいじゃねえか、少しくらい」
「いけません!」
「GOGO〜!!」
と、そんな葛藤の末、瞬はとうとう意を決して口を開いたのであった。
「マリア…」
「はい」
「これから質問に正直に答えてくれ」
「はい」
「だけど、答えた後すぐにその質問を忘れてくれ…で、できますか?」
背徳感からか、思わず丁寧語になってしまう瞬。
「あなたがそうしろというのなら、そうします…」
「そ、そうか……。え〜と、じゃあ、質問だけど…」
「はい……」
「お、お、お……俺のことを、お前はどう思ってる?」
「………」
意を決し、ついにその禁断の質問を、瞬は口にした。
聞きたいようで聞きたくない、それは正に青い春を享受している青少年が異性に対しだれもがもつ最大の質問であろう。
気になっている異性に自分のことを聞く。
それは、下手をすれば単なる自殺行為であろう。
が、それでも瞬は知りたいという願望に、ものの見事に負けてしまったのだった。
顔を真っ赤にしてそれを口にした瞬と相反するかのように、マリアはどこまでも無機質な雰囲気を保っていた。
そして、数秒思考をまとめるかのように沈黙し、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「…馬鹿だと思います」
「はうあ!!!」
思いきり地すべりをかます瞬。が、そんな瞬を無視し、マリアは容赦なく言葉を続ける。
「お人好しで、いつも貧乏クジをひいて、不幸を背負い込んで、おまけにわたしの魔法で痛い目にあってるの
に、いつまでもわたしの側にいようとするところから、マゾヒストなのではないかと思います」
「あうあう」
半泣き状態の瞬をさらに無視し、マリアは続ける。
「魔法が全然つかえない変な人だと思うし、つまらない冗談ばかり言うし、親しい女友達が多くてアレフと同じくらい女たらしなのではと思います」
「そ、そのくらいにしてくれ〜〜〜……」
床に熱烈な抱擁をかましたまま、瞬は情けなく泣いていた。
と、
「だけど…」
マリアの口が、新たな言葉を紡ぎ出した。
「まだなんかあんのかよ〜」
「だけど、わたしはそんな瞬が好きです」
「そうか、そりゃよかったな…」
「大好きです」
「そう、そりゃめでたい……はぁ!?」
ガバッ!と勢いよく立ちあがり、マリアのその人形のような顔を凝視する瞬。
「今何ていったぁ!?」
「わたしは瞬が大好きです」
はっきりと、しかし事務的かつ無機質に、マリアはそう繰り返した。
「誰よりも優しくて、誰よりも頼り甲斐があって、いつも最後にはわたしの側にいてくれる、そんな瞬のことが、私は大好きです」
「…………」
その時、瞬は生まれて初めて自分の耳が赤くなっていく音というものを、自分の耳で聞いた。
大好き…その言葉がグルグルと頭の中を駆け巡る。
角砂糖のように甘く、それは瞬の思考回路を甘く甘く、シビレさせた。
頭に一気に血が上り、目の前がフラつく感じすら襲ってくる。
「ほ、ほ、本当に…?」
「はい。正直に答えるように、と言われてますから」
「じゃ、じゃあ…」
「はい、わたしは瞬のことが、大好きです。誰よりも、好きです。愛してます」
もうその一言で、瞬の理性は限界を大きく飛び越え、モノのみごとに崩壊した。
「マリア〜!!」
ガバ!!
力任せに、その華奢な体に抱きつく瞬。
背中に手を回し、柔らかなその体を思いきり抱きしめる。
勢い余って二人してそのまま床に倒れこんでしまうが、そんなものお構いなしである。
きょとん、とした瞳で不思議そうに瞬を見上げるマリアの頬を軽くなでる。
心なしか、マリアの頬も、瞬がそうであるのと同じように、ほのかに紅みを帯びてゆく。
が、その瞳はどこまで無機質な人形のそれである。
だが、そんなことさえも、今の瞬には関係なかった。
とにかく、どうにかして、今の自分の想いをマリアに伝えたかったのだ。
「マリア…」
「はい」
「俺も、お前のこと…」
「はい」
「好き、だぜ…。誰よりも、何よりも、好きだ……。…あ、愛してる…」
流石に好き、と比べ、愛してる、という言葉には照れがあるのか、想わずどもってしまう。
「…わたしを迷惑と感じていませんか?」
「そんなことない」
「…わたしを妹のように感じていませんか?」
「最初は…な。だけど、今は違う」
「…わたしはあなたの知り合いの女性の中で、一番ですか?」
大きく、瞬は頷いた。
「一番だ。言っただろ、誰よりも好きだ、愛してるって……」
「嬉しいです…」
「だったら、もう少し嬉しそうに微笑めよ」
苦笑いを浮かべながら呟く瞬に応ずるかのように、マリアはその氷のような無表情に春の灯火にように可憐な笑みを灯した。
「嬉しいです…」
「そうだ、そのほうが可愛い…」
「嬉しいです…」
「………」
「………」
微妙な沈黙。そして…
「キス…したい…」
「はい…」
「いいのか…?」
「はい、いいです…」
「これは命令じゃないよ?嫌ならやめる…」
「いいえ、嫌ではありません…」
「よ、よし、わかった……」
自分で言い出しておいて、瞬は思いきり動揺していた。
肩に回した腕が小刻みに触れ、顔が発火するのではないか、というほどに熱く火照ってくる。
そして、意を決し、瞬は床に横たわったマリアに覆い被さるようにして、自分の唇をマリアの小さく可憐なそれにそっと重ね合わせた。
「ん…」
可愛らしい吐息が唇を通じて神経を駆け上る。
柔らかな感触と甘い香りで、瞬はもう何も考えられないほどの、頭の芯まで真っ白になってゆくのを感じた。
ずっとこうしていたい。
いつまでも、この温もりと感触を感じていたい。
そう思った、まさにその時、
バン!
倉庫のドアが景気よく開き、瞬のよく見なれた人物が二人、禁断の花園に飛びこんできたのである。
「瞬さ〜ん、マリアさ〜ん、御手伝いに、きました〜」
相変わらずの間延びした声のセリーヌと
「瞬さ〜ん!クッキーと御茶の差し入れだよ〜!」
こちらも相変わらずの元気印の火の玉娘、トリーシャであった。
予期せぬ突然の闖入者に、瞬は文字通り口から心臓が飛び出すかのように仰天し、
「しゃげげげげげげげげ!!!!」
と、窓ガラスが震えるほどの絶叫をあげた。
「わあああああ!!し、瞬さん、何!?
「あら〜ど〜したんですか〜」
「い、いや、何……い、イキナリなんだモン!ビックリするジャン!?あ、はははは…」
「……セリーヌさん、瞬さんってこんなキャラクターだっけ?」
「さぁ〜??」
きょとんとした顔で御互いを見詰め合い、首をかしげる二人。と、不意にトリーシャは思い出したかのように、
「あれ?そういえばマリアは?」
「え?あ、ああ、え〜とね…」
「な〜に、トリーシャ、呼んだぁ〜?」
「ぐわ!!!」
再び、死ぬほど仰天する瞬。
無理もない、つい先ほどまでマリネットのようだったマリアが、あっけらかんと置きあがっていたのであるから。
無論、その瞳にはいつもと同じように、躍起にあるれる光彩を灯している。
どうやら今の騒動で、瞬の催眠術から開放されてしまったようである。
「何、ゾンビをみたような悲鳴あげてんのよ?」
「……お、お前…」
「何?」
「何って……覚えてないの?」
「何を?」
「………いや、何でもない……」
(まあ、全部忘れろって言ったしなぁ…だけど…、なんかなぁ……)
自分で命令しておいて、瞬は少々残念そうにため息をついた。
と、そんな瞬の心など知る由もないかのように、マリアは目ざとくトリーシャの抱えるバスケットを見つけ、
「わ!差し入れ?」
「うん、クッキーとハーブティーだよ。あとラ・ルナの期間限定のお持ち帰りのイチゴショートもあるよ!
並ぶの大変だったんだからね」
「トリーシャ最高〜!!早く食べよ〜よ〜!!」
まるで、オモチャを与えられた子供のようなか歓喜の声をあげ、マリアはトリーシャとセリーヌを振り向かせると、その背中をグイグイと押した。
「わ、そんあに慌てなくても大丈夫だよ〜」
「あらあら〜」
「早く♪早く♪」
「………」
独り取り残されている瞬。
まるでさっきのことは、自分の夢か妄想の産物なのではないか、という思いすらしてくる。
「はぁ〜……何だかなぁ……」
と、深くため息をついた瞬を、今まさに倉庫から出て行こうとしたマリアが振り向き、そして悪戯っぽく笑い、そしてこう呟いた。
「初めてをあげたんだから、もう逃げられないわよ☆」
「…………は?」
思いきり間抜けに、口をポカンとあけてマリアを見やる瞬。
が、その言葉の意味に気がつくのに、それほど時間は有さなかった。
「お、お、お前……」
「だ〜から言ったじゃん、催眠術なんてインチキだって。かかるわけないジャ〜ン☆」
ペロッと悪戯っぽく舌を出し、マリアはケラケラと笑った。
瞬の顔色が羞恥から怒りに変わる。
「………て、て、てんめ〜〜〜〜!!!!!ダマしやがったな〜!!!!!!」
「キャ〜!!瞬に襲われちゃう〜〜!!あはははは!!!」
「わ、そんな押さないでよ〜〜!!」
「きゃあ−」
ゴン!
グラグラ……
「わ!馬鹿、マリア!!花瓶が倒れる!!」
「へ?わあああああ!!!」
「倒すな!!死ぬ気でとめろぉぉ!!!0が8はついてるぞぉぉぉぉぉ!!!!」
「いや〜ん!!」
「セリーヌぅ!!どいてぇ!!!」
「はい〜」
「あ〜あ〜!!人生が暗転するぅ〜!!!」
四者四様の叫び声とともに、積もりに積もった埃が舞いあがる。
相も変わらず続く、ドタバタに彩られたせわしない日常。
この二人にとって「彼氏彼女」な関係とは、まだまだ遠い世界の未知の言葉のようである。

「「人生の裏街道歩むのはいやぁぁぁぁぁぁ!!!!」」

めでたしめでたし(?)


中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲