中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「恋せよ乙女」 式部瞬
夜の帳と共に空は漆黒の闇の支配下に置かれ、光源は無数の宝石のような星々の瞬きと銀色の月のかざす冷め
た光に頼るのみとなる。が、人々は本能的に恐怖を与えてくる「炎」を自らの手中に収め、同じく恐怖の対象
であった「闇」を切り裂く術を、何千年も前に編み出している。故に、ここエンフィールドも夜の訪れと共に
そう易々と寝静まってしまうはずもなく、夜は夜で、昼間とはまた違った装いをその身に纏うのであった。
その日、日中にさくら通りで催された歩行者天国の波及を受けて、さくら亭はいつにもましての大盛況であっ
た。少々乱雑に置かれた、北ローレンシュタイン調の流れを組む無骨ながら温かみのあるテーブルには既に
空きもなく、看板娘であるパティも注文を聞き、料理を運び、と動いていない時がないほどの忙しさで、正に
「嬉しい悲鳴」のひとつでもあげたくなるような状況であった。
そんな喧騒から逃れるように、一人の女性がカウンターの一番奥で一人静かにグラスを傾けていた。
誇り高き狼を思い起こさせるような、銀髪。
深遠なルビーのように紅い瞳。
洒落っ気は皆無であるが、機能美が極限まで追求された服装。
そして何より人の目を引く、腰に携えられた巨大なナイフ。
この街で知らぬ者がいないほどの腕利きの女戦士、リサ=メッカーノである。
カラン…
グラスに満たされた琥珀のに浮かぶ氷が、グラスに軽くぶつかり切なげな旋律を奏でる。
喧騒に飲みこまれてしまいそうな微かな音を立てて、幾重もの亀裂が走る氷を見やりながら、リサは一人
グラスを弄んでいた。と、その時不意に顔に冷たい物が触れた。
「うわ!」
「よう、リサ。な〜にボケっとしてんだ?」
彼女らしからぬ、狼狽した声に「してやったり」と皮肉っぽい笑顔を浮かべたエルは、まるでそうするのが
当然のようにリサの隣に腰を下ろした。手には今しがたエルに頬に押し付けた、髪の色と同じようなエメラル
ド・グリーンのカクテルに満たされたグラスを持っていた。
「エル〜やめなよ、そういうのは!心臓に悪いだろ!」
「街中だからって、安全とは限らないだろ?常に警戒してないと」
「今日は疲れてるんだよ…。仕事がついさっき終わったばっかだからね…」
「ああ…そうか」
呟いて、エルは納得した。今日はさくら通りの歩行者天国に加え、日のあたる丘公園での移動サーカスの公演
会も重なっていたのだ。警備のバイトとして借り出されていたリサ達一人当たりの負担した仕事量も、相当な
ものであったことであろう。それは、体力自慢のリサの注意が散漫になってしまうほどなのだから、推して知
るべし、といったところであろう。
「悪い悪い。じゃ、一杯奢るよ」
そう言って、エルはグラスの中身を一気に飲み干した。
同じように、リサもグラスに残った琥珀を飲み干す。
それを確認し、エルは軽く微笑むと、
「パティ、エメラルド・スプラッシュとシルバー・チャリオッツをおねがい」
「OK〜!!」
両手の御盆に料理を山のようにつみこみ、こちらを一瞥もせずに叫ぶパティ。あれだけ他のことに気を回しな
がらも、決して注文を聞き漏らさない点については、脱帽するしかない。流石は自称、世界一働く看板娘と言
ったところであろうか。
「そう言えば、今日は瞬も一緒だったんだろ?体力自慢のリサがそこまでグロッキーになったんだ、瞬なんか
今日明日足腰が立たないんじゃないか?」
「ちょいと、人を体力馬鹿みたいに言わないでよ。まあ…」
と、リサは何かを思い出すように、くくく、と声を殺して肩を振るわせた。
「何?」
「いや、今日の瞬は確かに大変だったよ。何せ仕事をこなしながら、我侭なおチビちゃん二人のエスコートに
東奔西走してたからね〜」
揶揄するような笑みを浮かべながら、リサはグラスの中の琥珀を胃に流し込んだ。
同じように、グラスに口をつけ、エルも同じように軽い苦笑いを浮かべる。
「マリアとローラか…。よくまあ、アイツもあんな威勢がいいの二人を相手にしてられるものだねぇ」
マリアとローラに全く別々の方向に両手を引っ張られながらも、それでも苦笑いを浮かべることしかでき
ない瞬の姿が容易に想像され、エルはこみ上げる笑いをかみ殺した。
「全くだよ。あの体力と忍耐力があるからこそ、何でも屋なんてやってられるのかもしれないね」
「本当に、よく続くもんだと思うよ。日がな座ってれば終わる武器屋の店番してる私から見ればね」
「私も似たようなもんだね。力仕事やモンスター退治なら何でもないけどね。いい加減、仕事の種類も千差万別なのに、
よくまあそれぞれに及第点を貰えるもんだねぇ」
「でも、その一つ一つが絶対に90点を越えることはないんだよね」
「そうそう、ボウヤは器用貧乏だからね〜。見てて危なっかしいよ」
「いや、忍耐力とお人よし加減は100点かな?」
「そのかわり、危険感知とトラブル回避に関しては赤点もいいとこだけどね〜」
「あはは、確かに。年がら年中、トラブルの渦中にいるからね、アイツは」
もはや言いたい放題である。
が、恐らく当の本人がこの場に居合わせたとしても、否定も肯定もしはしないだろう。
ただ「まいったな」という、いつもとまったく変わらない、お得意の苦笑いを浮かべるだけ。
そして、いつも、彼自身ではない、他の誰かが代理役とばかりに、声を荒げるのだ。
ドン!カラン!ドン!カラン!
鈍い音と甲高い硬質な音が交互に響き、リサとエルのばか笑いを半強制的に停止させた。
「はい!エメラルド・スプラッシュとシルバー・チャリオッツ!!お待ちどうさま!!」
およそ接客、という言葉を遥か下方向に逸脱した態度と口ぶりで、パティは二人の前に特製カクテルを叩き置いた。
その拍子に零れ落ちた雫が、ランタンから漏れた淡い灯火に跳ね、宝石のように煌く。
「ちょ、ちょっとパティ、もっと静かにおきなよ」
「全くだよ、グラスが割れちまうだろ?私が皿を割ると烈火の如く怒るくせに」
「うるさいわね!これくらいで壊れるような根性無しのグラスなんて、いらないわよ!」
無茶苦茶を言うパティ。
そもそも、割れる割れないはこの際グラスの強度や根性の問題ではなく、扱う人間の問題であろうに。
「おいおい、そんなに怒るなって」
「怒ってないわよ!」
「…説得力0だよ、アンタ…」
「うっるさいなぁ、もう!」
と、その時、エルとリサの脳裏には、寸分の違いもない、あることが思い浮かんでいた。
「「ハッハ〜ン、なるほどね」」
異口同音に、大人の女性を思わせる色っぽい声が紡ぎ出される。
その瞳は、明らかにパティを冷やかすような、悪戯っぽい光彩が溢れんばかりに輝いている。
「な、何よ、一体…」
「いやいやいや、だってねぇ?リサ?」
「うんうん、そうそう」
「も〜、一体何だってんのよ!!はっきり言いなさい、はっきり!!」
もはやパティは爆発寸前である。
拳を握り締め、可愛らしい顔を思い切り引きつらせている。
が、チョン、と可愛らしく飛び出した八重歯のおかげで、その怒りの表情にもあまり迫力が感じられない、ということに、パティ本人は気がついていない。
「この状況でさ〜」
「アンタが怒る理由なんて〜」
お互いの顔を見やり、リサとエルはニヤリ、と口の端を歪めた。
「「ひとつしか、ないじゃ〜ん」」
寸分の狂いもなく、見事に声が重なり合った。
それはさながら、男装した麗人が舞う、オペラの名歌手のような美しい響きとなって、パティの神経を鮮やかに逆撫でした。
「だ〜ら、それが何なのかって聞いてんよ!!」
「だから瞬だよ、瞬」
やれやれ、といった感じでリサはとうとうその名を口にした。
瞬間、パティの顔には怒気以外の成分によって構成された、鮮やかな紅葉が晩秋のように舞った。
「な、な、な…」
「ナマステ?」
「なに言ってんのよ、ば、バッカじゃないの!?」
「うむ、確かにナマステはないだろう、リサ」
「そうじゃないわよ!!」
「そうじゃないのか…」
「…あ、アンタ達、いい加減に……」
「お〜い、パティ」
「うっさいわね!!今忙しいのよ!!少し黙って……」
そこまで叫んで、パティはハッと我に返った。
今の声は、明らかにエルのものでもリサのものでもない。
そもそも、その声は男性の声であった。
しかも、パティが、とてもよく知っている、青年の声だった。
「そうか…忙しいんじゃしょうがないな…」
「な、何?べ、別に忙しくなんかわないわよ!!」
叫ぶようにいい、パティは慌てて背後を、声の主である瞬へと体ごと振向いた。
支離滅裂なパティの言動に、思わず眉をしかめる瞬。
「そ、そうか?なら、いいけど…注文していい?」
「あ、うん、いいわよ、ちょっと待って!!」
「「パティ〜ちゃ〜ん、頑張ってね〜」」
「……この、酔っ払いがぁ!!」
限りなく、小さな声で、それでも吐き出すように叫び、パティは瞬のもとへと慌てて駆け出した。
駆け出す瞬間、右足の踵でリサの向う脛に、手にしたお盆でエルの即頭部に報復の一撃を見舞ってから、ではあったが。
「いった〜…」
「アイテテ、おふざけが過ぎたかな?」
頭と脛をさすりながら、お互いの顔をみやり、思わず吹き出してしまう二人。
そしてどちらからともなく、その視線は問題の二人へと引き寄せられていった。
瞬が話す。
パティが怒ったような顔で聞き返す。
困ったように、苦笑いを浮かべて、お得意の仕草で前髪を掻き揚げる瞬。
顔を背け、少しだけ唇を尖らすパティ、その頬は、薄くさくら色に彩色がなされている。
…そして、いつしか瞬の包容力に包み込まれるように抱かれ、他の男性には絶対見せない、純粋な笑顔が零れ落ちる…。
「…ふ〜ん、思ったより、全然イイ感じなんだねぇ、あの二人」
エメラルド・スプラッシュをグイ、と口に含み、呟くエル。
「最初の頃は、そりゃあもう酷い剣幕だったのにねぇ」
クク、と喉の奥で笑いながら、リサはおつまみのバターピーナッツを口に放りこんだ。
「でもま、いいでしょ、こんなお約束な感じでもさ。ボウヤにはパティみたいなしっかりした娘がお似合いだし、あの娘と一緒になるなら、瞬くらい器が大きくないとね」
「お〜、何か大人っぽい意見だねぇ。でも恋愛ってのは、そんな具体的にどうこう言えるモンじゃないと思うよ。何となく好きになって、何となく一緒になるもんじゃない?」
「エ〜ル、あんた、酔ってるでしょ?まさかあんたから恋愛ゴトの話を振られるとはねぇ」
「あはは、そうかもしんない。でも、何かいいよね、人を好きになってるってのってさ」
「まあね、人間、生きる目標を持つと…」
「だ〜ら、そういうモンじゃな〜いの!ほら、見なさい!」
言いながら、リサの首に絡み付き裸締めをかますエル。
そして、無理矢理に瞬とパティのほうへとリサの顔を向けた。
「ね?あ〜んなに幸せそうに笑えるのよ?いいじゃない、ああゆうの」
「ま、何と言うか、見ていてむずがゆいけどね」
「あはは、そこがいいんじゃない」
「ま、ね。う〜ん、“恋せよ、乙女!”って感じかね、ありゃ」
「何それ、何か、ちょっといいフレーズじゃない」
「私が考えたんじゃ、ないけどね」
「解ってるわよ、そんなこと」
「なにを〜?どういう意味よそれ、あはははは」
「あははははは」
笑いながら、エルはリサを解放した。
同じようにリサも、少女のような笑みを零した。
「じゃ…」
と、呟き、エルはグラスを自分の目線に掲げると、少しだけトロンとした瞳をリサに向けた。
「もう二人とも、乙女とは口が裂けても言えないけど」
「クスクス…そうだね、パティみたいに、素敵な恋が見つかりますように…プッ」
言いながら自分で吹き出し、リサは自分のグラスをエルのそれにそっと近づけた。
「ナイフが恋人になりませんように」
「チェスが人生の伴侶にならないようにね」
「………」
「………」
沈黙、そして…
「「あははははは、カンパ〜イ!!」」
カツン…
グラスの重なり合う、澄んだ硬質の音が、宙に舞って、そして粉雪のように溶けて消えた。
宵闇の海に浮かぶ星の島々が増えてゆくたびに、銀月の弓矢が大地に降り注ぐたびに、それに比例するかのように、サクラ亭の歓声も高らかになってゆく。
そんな心地よい喧騒に抱かれるように、エルは机に伏して寝息を立て始めていた。
そんなエルに苦笑いを一つ浮かべ、リサは顔を上げ、窓から覗く満天の星空へと視線を流した。
「ふふ、いいもんだね…何ていうか…こういうのも…ね…」
カラン…
弄ばれたグラスに浮かぶ、どこまでも澄んだ氷が静かに優しい音色を奏で、そしてやがて喧騒に呑まれるように、消えていった…




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