中央改札 悠久鉄道 交響曲

「悠久学園ストーリーAct6 坂道」 式部瞬  (MAIL)
男の子と女の子がいた。
補助輪のついた、子供むけのアニメのキャラクターがペイントされた自転車に、二人は
仲良く乗っていた。
「どこにいくの?」
後ろに乗った女の子はおっかなびっくりといった感じで男の子に必死にしがみついてい
る。男の子は得意そうに笑って見せた。
「ひみつきちだ。すごいんだぞ。」
「ひみつきち?」
「うん。わるいかいじんからまちをまもるんだ。そのためのきち。」
「すごいね!しゅん、せいぎのみかたなんだ〜。」
「えへへ、よし、いくぞ〜。」
そう言って男の子はペダルを力一杯踏みこんだ。二人分の重さに悲鳴を上げながらも、
自転車は少しづつスピードを増していく。並木道から裏路地に入り、車も通れないよう
な狭い道を二人を乗せた自転車が風と共に駆け抜けて行く。と、その時、男の子は不意
にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ぱてぃ、きちをみにいくまえにちょっとちがうみちにいってみようよ。」
「え?しらないみちにいくの?」
女の子は不安な声を漏らす。だが男の子はハッと思い付いた二人だけの小さな冒険に
完全に心を奪われたといった感じで、目をキラキラと輝かせていた。
「だいじょうぶだよ、いこ?」
「…うん、しゅんがそういうなら、いく…。」
「よし!じゃあ、つぎのみちをひだりにいってみよう。」
男の子は意気揚々とハンドルを左に切った。程なくして二人の前に見たことのない風景
が表れる。真っ白で綺麗な家、大きな団地、おしゃれなお菓子屋、ただ一つ道を曲がっ
ただけなのにそこは幼い二人にとって見るもの全てが目新しく、新鮮だった。
「わあ〜。みて、しゅん。おかしのおうちみたい〜。」
「ほんとうだ。あかいやねはいちごのチョコレートかなぁ?」
「うん。しろいかべはショートケーキだよ〜。」
「あはは、おいしそうだね。」
「うん。」
二人の微笑ましい会話を乗せ、自転車はさらに進む。そしてしばらく進んだところで少
年はふと脇道を見やり、そしてあわててブレーキを踏んだ。
「わ!どうしたの??」
「みて、あそこ。」
そう言って男の子は先程みつけたものを指差した。
「わ…すごいね。」
「うん、あんなにしたまでつづいてる。」
それは大きな坂道だった。大人からみればそれは大したものに見えないであろうが、小
さな二人が小さな冒険中に見つけた秘境とすれば、二人にとってそれは絵本の中のお城
や魔女のすむ森を見つけたと等しいくらいに胸弾む発見であった。
「よし。」
言うが否や男の子は再びペダルに足をかけ、坂道へと向かってこぎだした。びっくりし
た女の子は慌てて靴の底を地面に擦り付けて止めようとする。
「なんだよ?」
「やだ!こわいよ!!あんなとこおりたくない!」
「だいじょうぶだよ。」
「やだやだやだやだ!!」
「しょうがないなぁ。じゃ、やめるよ。」
「ほんとう?」
「うん、ほんとう。」
男の子の微笑みに女の子は軽く頷き、そして地面から足を放した。と、その瞬間、
「そっれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「え??きゃあああああああ!!!」
男の子は思いきりペダルを踏みこみ、それに従い二人を乗せた自転車は滑るように坂を
下り始めた。
「いやっほ〜〜〜!!」
「いや〜!おろして!!こわいよ〜!!!」
車輪が激しく揺れ、時折補助輪が悲鳴とも不平ともつかない声を上げる。だがそんなこ
とお構い無しに、小さな二人を乗せた自転車はもの凄いスピードで坂道を下ってゆく。
景色を飛び越し、風をきって、自転車はものの10秒もたたないうちに坂道を一気に下
りきった。男の子はゆっくりとブレーキをかけながら、
「すっげえ〜!きもちよかった〜!!」
と興奮覚めやらぬ口調でそう言った。それに反し女の子は男の子に必死にしがみつきな
がら、小さな声でしゃくりあげていた。
「ぱてぃ?どうしたの?」
「グス、ひどいよ、しゅん…。やめるっていったのに…ふぇぇぇぇ。」
「な、なかないでよ、きもちよかったでしょ?」
「こわかったもん!グス…ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!!!!」
こらえきれず、女の子はとうとう大きな声で泣き始めてしまった。
「あ…ごめん…。ぱてぃ、ごめんなさい。」
「う、グス……。」
「もう、しないから…。ぜったいにうそつかないから…。」
「…ほん、とう?」
「うん、やくそく。もうぱてぃのことなかせたりしない…。」
知らず知らずのうちに、男の子も涙目になっていた。幼心に自分が犯してしまった罪を
意識していたのだろうか、好きな子を自分のせいで泣かせてしまった、という罪を…。
「…じゃあ、ゆるして、あげる…。」
「うん、ありがとう…。グス…。」
泣きだしてしまいそうな男の子に、女の子は慌てて自分の瞳をごしごしとぬぐってみせ
ると、健気に微笑んでみせた。
「こわかったけど、でもこのさかはすきだよ。」
「え…?」
「くだるのはやだけど…こんどふたりでまたこようね。」
「…うん!」
そう言って男の子もまた、女の子に微笑んでみせたのだった……。


夏らしい強い日差しが、風に揺れるカーテンの隙間を縫って部屋の中に飛びこんでくる。
ベッドの上に全身を投げ出していた俺は目だけ目覚し時計にむけた。12時15分…、
午前中の授業も終わり、今はきっと昼休みの喧燥が学校を包み込んでいるだろう。俺は
のろのろとベッドから這い上がると、セットした時間から延々と流れ続けていたCDを
止めた。流行の、だが取り留めもない、安っぽいラブソングだ。「一杯傷つけたけど、
それはキミのことが好きだから…傷つけてしまっただけ、キミを大切にできる気がする」
そんなフレーズを思い出し、俺は知らず知らずのうちに誰もいない虚空に向かって独語
していた。
「好きだから傷付けただと!?傷つけた分大切にできるだと!?そんなことあるハズが
ない…。好きな人なら…傷つけたりなんかしないさ…傷つけなくたって…大切にできる
さ……。」
そう呟いて、俺は自嘲的に、大声で笑った。そして再びベッドに体を投げ出した。
……また、夢をみちまった…。昔の…自分の気持ちに素直でいられた頃の、今みたいに
いろんなしがらみや押し付けられた枠を気にせずに無垢でいられたころの、夢だ…。
……あの時、パティを泣かせてしまった俺は心から後悔した。もう二度と泣かせまい、
と強く思った。…そして、それは俺がパティを好きだったという証拠に他ならなかった。
だけど…それは昔の話だ。古ぼけたアルバムにしまいこんでいつのまにか色褪せてしま
ったセピア色の写真にすぎない…すぎない、はずだ……。今は…もう違う…はずだ…。
…「わたしと瞬は幼なじみだから。それ以上でも以下でもないから。」
そう、俺にとってパティは永遠に「幼なじみ」なんだ。もう二人でお菓子でできた家を
探すこともないし、お姫様と王子様になって、稚拙なストーリーに酔うこともない、大
人になってしまったけど、たまに馬鹿をやりあったり、くだらない冗談を飛ばしあった
りする「幼なじみ」なんだ。これは長い月日をかけて築いて来た俺達の大切な関係だ。
それを…幼い頃の色褪せた想いだけで壊してしまいたくなんて、ない…。…そうさ、「想
い」は変わったんだよ。沢山の人々と触れ合って、大人になっていくうえで、変わって
いったんだよ。そうに、決まってるさ…。
俺はベッドから鉛が詰まっているように重い体をのろのろと引きずり出した。今から行
ても遅刻だけど、学校へ行こう。行ってパティと話をしよう。何かの誤解があったんだ、
だから俺達はおかしくなっちまったんだ。だったらその誤解を解こう。そうすればまた
「ただの幼なじみ」に戻れるさ。そう…「ただの、幼なじみ」に、ずっと、永遠に変わ
らない「ただの幼なじみ」に…。
身支度を終えた俺は誰もいない部屋を後にした。
セミの鳴き声が、やけに癪に障る気がした。


学校に着いた俺は真っ先に教室には向かわず屋上へと向かった。今はもう5限目が始ま
っている時間だったからだ。今日は勉強をしに来たわけでも先生の非難を聞きに来たわ
けでもなく、パティと話をしに来たのだから休み時間に行けばいいだろう。そんなこと
を考えながら俺はフェンスへと近寄った。ここからなら俺の教室の中の様子がよく見え
る。窓際、俺の席の隣に目をやる……パティはいた。が、どこか上の空という感じで、
ノートに何かを書いては消しているようだった。しばらく、俺はそんなパティを眺めて
いた。と、その時不意に背後から俺の名を呼ぶ声が聞えた。
「よう、サボリか?瞬。」
振り向いた俺の前に立っていたのは、
「…アレフ、何やってんだ?」
「それは俺のセリフだ。」
俺は軽く笑ってみせた。
「見ての通り、サボリだよ…。」
「そんなこと聞いてんじゃねえ!!」
不意にアレフは声を張り上げた。その目はいつもと違い真剣そのものだった。射すくめ
るように、俺を睨み付けている。
「じゃあ、何を聞きたいんだよ?」
「お前は…何をやっている…?」
「……?」
質問の意味が分からなかった。ただ俺は立ち尽くすだけだった…。


(!!瞬と…アレフ!?な、何をしてるの…?)
たまたま窓から見上げた屋上で、二人は対峙していた。ただ話をしているようには到底
みえない。まるで、これから喧嘩でも始めそうな、そんな雰囲気だった。
何?一体何なの…?胸の奥が締め付けられる。言いようの無い不安が心をなぞってゆく。
わたしは無意識のうちに制服の胸のリボンを力一杯握りしめていた。その手は、自分で
も押さえられないくらいに震えていた。
…アレフが瞬に近寄って……そして、胸倉を掴んでる!糾弾するように何かを叫んでい
る!…不意に昨日のことが頭の中をよぎった。もしかして、昨日あんなことをわたしが
言ったから…だからアレフは瞬に…?違うよ!!悪いのは瞬じゃない!!悪いのは……
瞬じゃないんだよ!!!
わたしは弾かれるように席から立ち上がると、何事か、と視線を向けてくるクラスメイ
トや先生に目もくれず教室を飛び出した。廊下へと飛び出したわたしは第一校舎の屋上
へ向かってただがむしゃらに走った。何度か転びそうになりながらも、ひたすら全速力
で廊下を駆け、階段を駆け昇った。
早く!早く行かなきゃ……。


「お前は…何をやっている?」
俺の胸倉を掴んだアレフは、さっきとまったく同じ質問を投げかけて来た。
「…どういう意味だよ、それ。」
「わかんねえのならはっきり言ってやるよ。女の子二人も泣かせて、お前は一体何をや
ってるのかって聞いてんだ!!」
「…何を…言っている…?」
俺のその言葉にアレフは一瞬だけ蔑んだ瞳で俺を一瞥し、押し殺した声で話し始めた。
「…昨日、シーラから電話があった。」
「…シーラ、から?」
「そうだ。自分のせいでお前とパティの関係を無茶苦茶にしちまったって、自分は瞬に
愛されていないって…泣いていた…。」
「………。」
「そして、パティにも会った。」
「………。」
「…泣いていた。」
「パティが……泣いていた…?」
胸の奥に鈍い痛みを感じた。遠い遠い昔に一度感じたことがある、痛み…。
…決めたのに。パティを…好きな人を泣かせるようなことは絶対しないって…あの時、
決めたはずなのに…。なのに俺は…また……泣かせてしまった……?
そして…俺のことを一途に想ってくれた、純真な少女を裏切り…そして癒えることのな
い傷を心に刻んでしまった……?俺は…俺は……。
「満足か!!女の子二人も泣かせて、傷つけて、絶望を与えて、それで満足か!!!」
「………。」
…何だよ?何でそんな目で見るんだよ?何でそんなことばっかり言うんだよ?全部俺が
悪いのか?全部俺が悪いって、お前は言うのか?……お前に、お前なんかに……。
「お前なんかに何が解る!!!!!!」
気がついた時、俺は思い切りアレフを殴り飛ばしていた。爪が手のひらに食い込むくら
いに、拳は強く握られていた。頬が熱かった。無意識のうちに、俺は泣いていた。
自分の馬鹿さかげんが悔しくて、自分の情けなさが悔しくて、どうしようもない自分に
絶望して…。
アレフは切れた唇から流れ出る赤い血を拭うとゆっくりと立ち上がり、俺を正面から睨
みつけた。
「……何が解るか、だと?ああ、俺には解らねえさ、解りたくもねえ!臆病者で大馬鹿
野郎の気持ちなんざ、考えたくもねえ!!!」
「!………。」
振り上げられた拳が振り下ろされる。その刹那、左の頬に激痛が走る。嫌な音がし、口
の中に鉄のような味が広がる。吹き飛ばされた体がフェンスにぶつかり、悲鳴を上げた。
「……痛えか?でもな、シーラやパティの受けた傷の痛みは…こんなもんじゃねえんだ
ぞ!!!」
何発も、何発も、拳は振り下ろされた。その度に、体の随所に痛みが走る。だけど、俺
は抵抗しなかった。殴られてもしかたがないようことをしてしまったのだから。いや、
殴られたくらいでは償いきれないくらいのことを、か……。
「どうした!?何とか言えよ!!黙ってんじゃねえ!!」
「………。」
胸倉を掴まれ、乱暴に体が揺すられる。だが何て言えばいいのか、なんて謝ればいいの
か、どうすればいいのか、俺には解らなかった…。
「くそ!何でだよ!!何でこんなことになっちまうんだよ…。」
アレフもまた、泣いていた。そして苦しそうに、俺の血で紅く染まった拳を振り上げ、
そして振り下ろした。その時…、
「やめて!!!!!!」
屋上に叫び声が響き渡った。
聞きたかった声、でも、聞きたくない声…。
会いたかった人、でも、会いたくない人…。
好きだった人、でも、ずっと好きだと言えなかった人…。
傷つけたくなかった人、でも、傷つけてしまった人…。
「お願いだから……もうやめて…。」
悲痛な声だった。両手を顔に当て、パティは……泣いていた…。不意に、色褪せた遠い
昔の風景が脳裏をよぎった。
一人の女の子、泣いている女の子…。そしてその面影は…パティと重なった…。
「やめてよ…瞬は悪くないよ…誰も悪くないよ…だから……もうやめようよ…。ヤだよ、
こんなのもう、ヤだよ……。」
「…………。」
俺もアレフも、かけるべき言葉を失っていた…。

それからどれくらい時間が経ったのだろうか、気がついた時、アレフの姿は屋上にはな
かった。居るのは償いきれない罪を犯した俺と、傷つき、泣いているパティだけだった。

…さらに時は流れ、やがて夕日が降り注ぐ頃には、屋上にはパティの姿もなかった。
あるのは救い難いくらいの大馬鹿で臆病な、俺の姿だけだった。
フェンスにもたれかかるようにして地べたに両足を投げ出していた俺はボンヤリと虚空
を眺め、そして静かに独語した。

「想いは…変わってなかったんだ……。変わってしまったのは、俺、だったんだ…。」
………そう、あの頃の想いは色褪せてなんかいなかったんだ…。
「やくそく…まもれなかったな……ゴメンな…パティ…。」
………また泣かせちゃったな…あの時みたいに…。
「…だけど、もう一つの約束は守ってみせる…。もう、逃げない……。」
………逃げてちゃ、ダメなんだ。怖くても、前に歩かなきゃ……。

俺はゆっくりと立ち上がり、屋上を後にした。
頬を濡らした涙は、もう消えていた…。

中央改札 悠久鉄道 交響曲