中央改札 悠久鉄道 交響曲

「学園SS 2nd Act2 With−You」 式部 瞬  (MAIL)
ザァァァァァ………。
昼頃から降りだした雨は放課後になってもその勢いを弱めようともせず、厚い水のカー
テンとなって窓の外の景色を灰色に染めている。ふと下げた視線の先の灰色のキャンパ
スは、少しづつ赤や青や黄色といった鮮やかな色で侵食されていく。が、やがてその鮮
やかな模様も散り散りに別れ、キャンパスは再び灰色一色へと染まる…。
「……傘、もってくりゃあよかった……。」
机に突っ伏して俺は恨めしげに呟いた。薄暗い、静かな教室には俺以外の生徒の姿もな
く、雨音と俺自身の声が空しく響くだけだった。
「………。」
………た、退屈すぎる…。くそ…こんな時に限ってアレフはとっとと帰っちまうし、
パティはパティで「傘にいれてってくれよ。」に、即答で「やだ。」だしな…。幼なじ
みってこんなモンかよ?お兄さんは悲しいよ…。…まあ、前パティが傘忘れた時、俺も
同じ事言ったから、偉そうなこと言えた義理ではないけどな。それにしても……
「やまね〜な〜…。」
独り言でも呟いてないとやってられないぜ…。ふぁぁ…、欠伸を噛み殺し、腕時計に目
をやる。…もう5時か…。何が悲しくて残業なんてしなきゃいけないんだよ〜、おまけ
に残業手当てなんてでないし…濡れてもいいから帰ろうかなぁ…。と、そんなことをボ
ンヤリと考えていた時、
ガラ……
遠慮がちに教室のドアが開き、誰かが教室に入ってきた。なんだ、お仲間がいたのか?
何となく嬉しくなった俺は笑顔で振り向き、そして…
「あ……。」
「!……。」
そのまま硬直した。入り口で、まるでいたずらの見つかってしまった子供のように所在
なげに立ち尽くしていたのは……シーラだった。
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
シーラは教室の中には入ろうとせず、胸元に視線を落としたまま、立ち尽くしている。
お、俺がいるからか…?と、とにかくなんか話さないと、このままでは気まずすぎる…。
俺は一度大きく息を吐き出し、そして…
「………。」
頬杖をついて、窓の外の退屈な風景に再び目をやった。まるで、シーラに、全く興味が
ないかのように…。やってから、自分の情けなさに心底腹がたった。昨日、あれだけ考
えて、今度こそ話しかけようと決めたのに。虚空に浮かぶシーラには、あんなにも簡単
に話し掛けることができたのに。…一体、俺は何をやっているんだろう…?
「………。」
そんなの、考えるまでもない。また、逃げたんだ。いつものように、いままでのように。
答えなんて分かってる。なのに、心のどこかでは、いまだに迷惑云々と言い分けをして
陳腐な自尊心を守ってる…。どうしようもないな、まったく…。
「………。」
「………。」
物音一つしない、痛い、沈黙…。それは時間にすればほんの数分だったけど、何故か途
方もなく長いように感ぜられた。
ガタ…
不意に遠慮がちな物音がし、それに小走りに駆けていく足音が連なる。恐る恐る振り向
いたそこに、シーラの姿はなかった。俺は深いため息をひとつつき、鉛のように重い心
を引きずって教室を後にした…。

切れかけて点滅している蛍光燈の弱々しい灯火に照らされる廊下には、誰もいない。
窓の外は相変わらずの大雨…青く澄んだ空も灰色の雲に満たされて、日の光さえもほと
んど届かない。
「……。」
無言で、俺は階段を下った。無人ゆえの、その限りない静けさが、心地良くもあり、ま
た胸に痛かった。ふと、立ち止まり廊下に備え付けられている鏡の向こうに自分を認め
た。と不意に脳裏に哀れむような、淋しいような、そんな声が聞えた気がした。
(怖いんだ…?)
それは俺の声だった。まるで、鏡の向こうのもう一人の俺が語り掛けてきているようだった。
(怖いんだね?傷つくのが…シーラの迷惑を訴える瞳や、想いを否定されてしまう言葉
を聞くのが?)
(ああ、怖いよ…本当は二人きりでいろんな事を話したい。誕生日を聞きたい。好きな
音楽や本の話しなんかもしたい。他のみんながしてるように、学校での出来事やくだら
ないTVの話なんかを、時間を忘れるくらいにしゃべっていたいよ…。)
(知ってもらいたいんだよね?本当の気持ちを…。)
(ああ、知ってもらいたい。冗談抜きで、シーラのことを想うあまりに眠れない夜があ
ったこと、シーラの笑顔を、それがたとえ俺に向けられていなくても、思い浮かべるだ
けで何でも頑張れたこと、…胸が、張り裂けそうなくらいに…好きなことを…。)
(でも…。)
(そうさ、怖いんだ…。だから…。でも、“俺”ならわかるだろう?)
(うん…でもね、それは君だけじゃないんだよ?)
(……。)
(みんな、怖いんだよ。誰だって傷つきたくなんてないさ…。見えないものに向かう時
人は誰だって孤独なんだ。でも、だからって逃げていたら駄目なんだ。陳腐な言葉だけ
ど、何もしないのなら、何も変わりはしないんだよ?)
(…わかっているよ、それくらい…。)
(…そうだよね、なら……頑張りなよ。シーラを、心から好きなら、なおさらね。)
(……ああ、そうだな…。)
もう一人の自分に軽く頷き、俺は視線を反らして、昇降口へと足を向けた。

小さな灯火の欠片すらない、薄暗い昇降口。
でも、そこには、佇んでいた。
小さな手の平を前で重ねあわせ、黒い雨雲に侵食された空を見上げている少女が…。
しばらくの間、俺はその儚げで華奢な背中を眺めていた。でも、すぐにわかった。もう、
限界だってことに。「遠くで見ていられればいい、自分のことなんか知らなくたって、
自分ではない誰かに向かっていたとしても、微笑んでいてくれるのなら…」、もう、そ
んなことで自分の気持ちを誤魔化せないほどに、俺の中にはシーラの存在が溢れている
ことに…。もう、どうしようもないくらいに、シーラのことが好きなんだ、俺は…。
(何もしないのなら、何も変わりはしないんだよ)
もう一人の俺が呟く。
(わかっているさ、もう大丈夫だ。)
(そう、ならよかった。頑張れよ。)
(ああ。)
俺は一度だけ前髪をかきあげると、大きく深呼吸をした。そして、ゆっくりと、俺の凍
り付いていた心の扉をあっけなく開いてしまった少女に近づいた。
「シーラ。」
「あ…瞬君…。」
少しだけ驚いたように、シーラは俺に振り返った。心なしか、頬が少し赤みを帯びてい
るような気がする。
「…具合でも悪いの?」
「え?え?何で?」
「いや、なんか顔が赤いから…。」
「!…な、何でもないよ、うん。心配しないで…。」
そう言ったシーラの顔はまるで蕾から一輪のバラがその花びらを開いたかのように、パ
ッと赤く染まった。
(…可愛いな……。)
胸の鼓動が痛いくらいに高鳴る。多分、俺の顔を他人から見たら滑稽なくらい赤くなっ
ているだろう。だけど、今はそんなことを気にするつもりなんてない。今はただ、シー
ラを見ていたい。もっともっと話をしてシーラのことを知りたい。俺のことを知っても
らいたい…。俺は静かにシーラの隣に並ぶように立ち、空を見上げた。
「雨、やまないね…。」
「は、はい…。」
「……。」
「……。」
雨音が、二人の言葉を紡ぐ。
「…今日は、お迎えが来てくれないの?」
「…うん。今日は…来ないの。」
「そう…。」
「……。」
「……。」
「シーラも傘忘れたんだ?あ、あはは、実は俺もさ…はは。」
「え…あ…。」
「天気予報みてくればよかったよ。朝はいつもギリギリだから仕方ないんだけど…。」
「あ、あの…。」
「え?あ、ゴメン、一人でしゃべっちまって…。…え〜と、何…?」
「あ、あの…私、傘、もってます…。」
「え?」
間抜けな声と共にシーラのカバンに目をやる。…本当だ、いかにも女の子らしいピンク
色の可愛らしい折り畳みの傘がちょこん、と頭を出している。
「あ、あははは。そ、そりゃあそうだよね。俺くらいなもんだよね、あはは…。」
「そ、そんなこと……。あ、あ、あの、瞬君…。」
「え、な、何?」
「その、あの…よかったら、あの本当に迷惑じゃなかったらなんだけど…。」
「う、うん?」
「い、い、い、い、…。」
と、突然シーラが「い」を連呼しだした。頬は、さっきより一層紅く染まっていた。
「い?」
「い、一緒に入って…いきませんか?」
「…へ?一緒にって…何に?」
間抜けな質問をした、と気がついたのはシーラが可哀相なくらいに顔を染めて下を向い
てしまった後だった。…それって、相合傘で一緒に帰ろうって、コト…?
「………。」
シーラは頑なに、視線を落としている。その横顔だけでも、目眩がするくらいに可愛い。
と、その時、俺はあることに気がつき、そしてそれを言葉にして紡ぎ出していた。
「あの、……もしかして…俺のこと、待っていて、くれた…なんて、はは…。」
と、その言葉にそれまで下を向いていたシーラがゆっくりと、しかし真っ直ぐに俺の瞳
を見つめて来た。真っ黒な瞳に、俺が、俺だけが写っている…。
「…待って、いました…。」
「……。」
「…今日、自分から送迎は断りました。パティちゃんが“アイツは絶対傘なんて持って
いかない”って言ってたから…だから、私、その……。」
そこまで言って、羞恥に負けたシーラはとうとう俺から視線を反らし、声も消え入りそ
なくらいに小さくなってしまった。
「…その、一緒に、一つの傘で帰れたらどんなに素敵かなって…あの、ごめんなさい…。」
「……シーラ…。」
愛しさが、胸から溢れ出さんばかりに募っていた。
張り裂けそうなくらいに、胸が脈打っていた。
何も、もう他に何も考えられないくらいに、シーラを想っていた。
「…ごめん、なさい…。」
「…なんで、謝るのさ?」
「え…?」
俺は、そうするのが当然のように、シーラの肩を抱き、艶やかで長い髪を優しく撫でて
いた。最初、ビクッと肩を震わせたシーラだったが、すぐに俺の胸に全てを預けてきて
くれた。胸のそこが暖まるような、不思議な安らぎ…。心が…暖かい…。
「だ、だって…うう、さっき教室で…私、瞬君に嫌われてるかも、知れないって…う…。
め、迷惑かけて、嫌われたと思って、うう、グス…。」
「!…ごめん、ごめんね。俺…なんて言えばいいか…。その…。」
「…いいの。私、瞬君に、嫌われて、いないんでしょう?」
「ああ、そんなの当たり前だよ。嫌ってなんか、断じてない!」
「じゃあ、いいの…。私、それだけで、う、嬉しい、から…。」
…どうしようもなく、シーラが愛しかった。俺は両手をシーラの背中に回して、力一杯
その華奢な体を抱き寄せた。きつく、強く…。そして、俺も多分、泣いていた。
「…シーラ、好きだよ。すごく、すごく好きなんだ…。」
「…私も好き!好きです…。」
「シーラ…。」
「ん…。」
頑なに握り締められたシーラの手からカバンがすべり落ちた。
そして、精一杯、背伸びをする。
……初めての口付けは、まるで、甘い夢のようだった……



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