中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「キミガイナイセカイ」 式部瞬  (MAIL)
立っているのか、横になっているのか。
意識がはっきりしているのか、靄(もや)がかかっているのか。
それさえも定かではない。

目の前に広がるのは真っ暗な空間だった。
手足の感覚はない。
それどころか、体がそこに存在するかどうかさえ瞬には解らなかった。
まるで魂だけが無限に続く深遠な海に投げ出されてしまったかのように、意識がゆらめく。
だが不安はない。むしろ、妙な安堵すら感じる。

不意に、一寸先も見渡せない闇の中に微かな光がこぼれ落ちた。
そして少しづつ収束し、徐々に何かを形成し始める。
やがて瞬の前に現れたもの、それは二人の少女と一人の青年だった。
「よ、瞬。今日ゲーセンでも寄ってかねぇ?新しいゲームが入荷されたんだと。」
センターで髪をわけた、細身の青年が人の良さそうな笑みで呟く。
「瞬〜。なんかいいCD貸してよ。いいでしょ?」
ショートボブの髪型が利発的な印象を与える少女が鈴のような声を鳴らす。
「あ…瞬君…。あ、あの、今日…あ、やっぱり、な、何でもない…。ごめんね…。」
艶やかで長い黒髪の、少し小柄の少女が遠慮がちに春の霞のような儚げな声を漏らす。
……?
…誰だ、君たちは…?
…俺を知っているのか?…
「瞬!!一生ぉぉぉぉのお願いだ!!ノート写させてくれぇ!!」
「ほら!これお母さんから瞬にって。味わって食べなさいよ。」
「瞬君は、どの季節が好きなの?私は春が好きなの…。」
…俺は…君たちを……知っている…?
「お〜い瞬。次のライブにギターでサポート入ってくんねえ?な、頼むよ〜。」
「ねね、瞬ってば明日暇?みんなでカラオケでも行こーよ。」
「すごいよね、一人暮らしなんて…。私じゃきっとすぐ寂しくなっちゃってできないよ…。」
…思い出せない。
…とても、大事な人たちのはずなのに……思い出せない…。
…思い出せない…。
…とても、大事な…。
…思い……だ…せ……な……い……。

夢は、いつもそこで終わっていた。
そしていつものように、その夢の内容は朧気に脳裏に刻まれているだけだった。
気がつけばカーテンから差し込む朝日を受けて、天井をぼうっと見つめている自分がいた。
しばらくすればアリサさんかテディが朝食だと知らせてくれるだろう。
それにしても……。
瞬は軽くため息をつくと、ベッドから起きあがり額に落ちかかる前髪をかきあげた。
「また同じ夢か…。もう一週間も連続とは、さすがに少し異常だな…。」
呟き、カーテンを一気に引く。
真新しい朝日が部屋一杯に差し込み、夜の残滓を浸食してゆく。
「今日も、暑い一日になりそうだ…。しかし…何か寝た気がしないな…。」
独り呟き、瞬は寝汗を吸って重くなった黒い肌着を脱ぎ捨てた……。


悠久幻想曲アンソロジー
「キミガイナイセカイ」


「瞬。瞬ってば。」
「…………。」
「瞬〜。ねえ、瞬!!起きろ!!起きてってば!!」
「…ん…あと五分…。」
スカーン!!
その瞬間妙に乾いた音が鼓膜を刺激し、それに遅れること一刹那、鈍痛が痛覚をしたたかに刺激し、
瞬ははっと目を覚ました。
「痛ぇ!!あ、あれ…マリア…。」
その声に応じるかのように、杖を構え、瞬の前で仁王立ちになっていたマリアは思い切り不機嫌そ
うに頬を膨らませてみせた。
「あ?ええと…。」
半覚醒状態の頭のまま、慌ててあたりを見回す瞬。
降り注ぐ日差し、青々と茂る芝生、はしゃぐ子供達、道行く人々…。
そこはエンフィールドのほぼ中央に位置する日の当たる丘公園に他ならなかった。
「あ、あれ…あ、そうか…。」
ようやく頭の靄が晴れ始める。
今日はマリアと待ち合わせしていて、それでそのままベンチにもたれて……。
「悪い、寝てた。」
「そんなの見ればわかるわよ!!」
「ああ、そうだな…。」
言いながら前髪をかきあげると、瞬はバツが悪そうにマリア見上げた。
と、そんな瞬の仕草にマリアは不意に唇を尖らすと、少しだけ申し訳なさそうにソッポをむき、
「そりゃあ、さ…少し遅れちゃったマリアも悪いケドさ……。」
頬を少しだけ紅く染めながら、消え入りそうな声でそう呟いた。
「………。」
「な、なによ…?」
「いや、お前も最初に逢ったった頃と比べて随分素直になったなぁって、ははは。可愛いよ。」
「!!……と、とにかく!レディを待ってる時に寝ちゃうなんて、失礼よ!!」
可哀相なくらいに耳まで真っ赤にしてそう叫ぶマリア。
瞬は軽く苦笑いを浮かべると、「よっ」とベンチから腰を上げ頭一つ以上低いマリアの頭をポンポ
ンと優しく叩いた。
「悪い悪い。最近よく眠れなくてさ…、つい。」
「え!?あ、そうなんだ…。あ、その…。」
「…おいおい、そんな申し訳ないような顔すんなよ。」
「べ、別に…。も、申し訳ないなんて思ってないもん!!」
「はは、そういうことにしておくか…。さ、今日はどこに行く?」
まだ何か言いたげなマリアの機先を制しつつも、瞬はこみ上げてくる欠伸を必死にかみ殺した。
これ以上「レディ」の前で粗相をしては、何を言われるか解ったものではない。
そんな瞬の思惑に気がつくはずもなく、マリアはつい今し方の不機嫌などどこ吹く風といった感じ
で、その大きな瞳をキラキラとさせ始めた。
「あのねあのね、今日は図書館に行きたいの。」
「はぁ?たまのデートだってのに、図書館でいいのかよ?」
「うん…。だって、ホラ外暑いし〜。それに…。」
「それに?」
しばらく沈黙し、マリアは瞬に聞こえないくらい小さな声で独り言のように漏らした。
「…図書館なら、静かだし、涼しいし、眠かったら寝てもいいし…。」
「何?よく聞こえない。」
「ううん、何でもないよ。」
そう言ってマリアは普段、特に瞬以外にはまず見せないであろう、慈愛に満ちた優しい笑みを浮か
べた。
「…よくわかんねぇけど、まあいいや。で、図書館に何か用事でもあるのか?」
「うん。あのね…。」
瞬の言葉にマリアは背中に背負っていたリュック−何も考えてなさそうな可愛らしいペンギン
のぬいぐるみ型の−から、古ぼけた小さな手鏡を慎重に取り出した。
「これについて調べたいのよ。」
「何だ、その汚……由緒ありげな鏡は?」
思わず本音を言ってしまいそうになり、瞬は慌てて、半ば無理矢理に単語をすり替えた。
そもそも、いくら変わったといってもマリアはマリアである。
もともと骨董品に興味があるわけではない彼女がこんなものを持ち出す…それはつまるところ
この薄汚い手鏡が何らかの魔力を秘めたマジックアイテムである可能性が高いといえよう。
瞬のその予感はどうやら正鵠を射ていたらしく、マリアは嬉しそうに顔一杯に笑顔を浮かべ、
「昨日家の倉庫の中で見つけたんだ☆微かに魔力を感じるの。」
「へぇ…それでどんな魔法が封じられてるんだ?」
「知らない。」
即答である。
「お、おい、知らないってお前ね…。」
「だ・か・ら・図書館で調べたいんじゃないの☆」
「ん〜、だったら組合にでも鑑定を頼んだほうが簡単だろ?そんなに高くもないし。」
その言葉にマリアはチッチッチッと下手くそに舌を鳴らしてみせた。
「解ってないわね〜。自分で調べるのが楽しいんじゃな・い・の。」
「でもよ、もし呪われてたりしたら……な、なんだよ…?」
その時、マリアが自分の瞳をのぞき込むように見つめているのに気がつき、瞬はガラにもなく
照れてしまった。そんな少年じみた仕草に、マリアは暖かいような、感謝を込めたような、そんな
笑顔を向け、
「…相変わらず心配性だね、瞬は。出逢った頃と同じ。いつもマリアのこと心配してくれる。」
「…そ、そりゃあ、まあ、な……。一応、な。アレだし…。」
「何々?アレじゃわかんないよ〜?」
可愛らしい声とともに、小悪魔的な笑みを浮かべるマリア。
「だ、だから…まあ、一応、付き合ってるわけだし…まあ…。」
「………あはは☆瞬てっば真っ赤っか。可愛い〜の♪」
「う、うるさい!ほれ、行くぞ。」
「あ、待ってよ、もう。照れちゃって☆」
「言ってろ!」
追いついたマリアの見上げるような視線を完全に黙殺しながら、瞬は素っ気なくそう呟いた。
傍目に見ても解るほどに、耳の先までも真っ赤にそめながら。


休むことなく、嫌みな程に自分の職務を全うしている太陽の日差しから逃れ、涼と静寂を求めた
人々でごった返し、図書館はその本来の役割を否定されたかのように諦めのため息をついて……
いなかったのは、一重にさっきからこちらをジ〜と見つめているイブの職務へ対する真摯な態度の
賜であろう、と瞬は苦笑い混じりに思った。それでも、きっと一日に何人かは一欠片の希望にすが
ってここに涼を求めに来たであろうが、恐らく、この冷たい印象を与える司書の見も凍るような冷
やかな視線に一瞥され、冷や汗混じりに回れ右をして逃げ出したことであろう。
…ある意味、冷房より効果的だったりして。
思わず馬鹿なことを考えてしまう瞬。と、
「瞬さん。」
「うわ、な、なんだよイブ…。」
それまでまるでよくできた人形のように微動だにせずに瞬を見つめていたイブは、カウンターから
立ちあがると、相変わらずの抑揚の少ない声を無表情の内に発した。
「わたし、これから書庫の整理をします。」
「そ、そう。がんばれよ。」
「しばらく席を外します。その間、マリアさんがあまりハメを外さないように、注意してください。」
「あ、ああ。大丈夫、そう心配しなさんな。」
「………では、お願いします。」
お気楽な瞬の言葉に、それでも表面上は何ら変わらない態度でそう呟いたイブは静かに背を向ける
と、音もなくその場を立ち去っていった。
…実はイブって……どっかの暗殺者(アサシン)なんじゃないか?
再びばかばかしい想像の翼を広げる瞬。と、その時両手一杯に分厚い書物を抱えたマリアがおぼつ
かない足取りでフラフラと閲覧室へと戻ってきた。
「おいおい、まだそんなに読むのかよ?」
すでに机の上に乱雑に積まれた本の山と、たった今築かれた新たなる山を交互に見やって、瞬は
呆れたようにため息をついた。
「もちろんよ。こうなったら、意地でも調べてやるんだから!」
決意も新たにそう宣言するや否や、マリアはそれで殴られたらさぞ痛いであろう、異様に分厚い本
のページをぱらぱらとまくり始めた。そんなマリアの一生懸命の姿を見ながら、瞬は自分の読みか
の小説で口元を隠すと、クスッと小さく笑い声を漏らした。
…まったく、魔法のこととなると周りが見えなくなるのは相変わらずだな。
ま、そういうとこ、嫌いじゃないぜ…。
「?何か言った、瞬?」
「いや、何も。」
大きな瞳をクリクリと動かしてそう問いかけるマリアにしれっと軽く微笑み、瞬は再びたいして
面白くもない小説に視線を落としたのであった。

そして、約一時間後。

「瞬〜。」
「ん〜?」
マリアの声に、ようやくそこそこマシになり始めた小説の文面を追いながら答える瞬。
そして、ほんの少しの間。
「瞬〜。」
「ん〜?」
ページをめくり、いよいよ小説のほうも佳境に突入した。
そして、再びほんの少しの間。
「だ〜い好き〜。エヘヘ〜。」
「ん〜、そうか。……て、お前イキナリ何言って……はぁ、まったく…。」
驚きのあまり小説からマリアへと視線を動かした瞬は、そこで苦笑混じりにため息をついた。
それもそのはずである。さっきまであれほど探求心に燃えていたマリアが、机に突っ伏してグ〜
グ〜寝ていたのであるから。幸せそうな笑顔を浮かべ、時折ニヘラァと口元に笑みが零れる。
出逢った頃と比べ大分女の子らしくなったとはいえ、まだまだこういうところは昔と変わらないん
だなぁ、と瞬は嬉しいような残念なような懐かしいような、不思議な気持ちを感じ、もう一度クス
ッと苦笑いを浮べてしまった。
「まったく、冷房が利いてる部屋で寝ると風邪ひくぞ…。ええと…。」
呟き、あたりを見渡す瞬。そしてカウンターの椅子にかけてあった−恐らくイブが冷房が強い時に
羽織ったのであろう−カーディガンを見つけると、小走りに駆け寄りヒョイと拝借し、マリアの肩
に静かに掛けてやった。と、その時ふと視線が机に大事そうにおかれた手鏡にぶつかった。
何となく興味が沸いた瞬は何の気なしにそれを手に取ると天井の光源に透かすように見上げた。
「全く随分古くさい鏡だよなぁ。」
呟きながら鏡の枠の上下左右に施されているそれぞれ朱、青、白、黒の4つの宝石をのぞきこんで
みる。と、そのときその宝石の中に何かが刻まれていることに瞬は気が付いた。
「なんだ?何々……古代文字か…読めないな。あ、辞書くらいあるか、図書館だしな…。」
別段その文字に興味があった訳ではないが、起きてきたマリアを少し驚かせてやろう、と瞬は少年
のような笑みを浮かべ、古代語の辞書の場所を聞くためにイブのいる書庫へと足を運んだ。

そしてさらに一時間後…。
あ〜でもない、こ〜でもない、となれない辞書と言語相手に悪戦苦闘を強いられていた瞬は、それ
でもどうにかその文字を解読することに成功した。
「ふう、思ったよりずっと大変だ…ええと、まとめると…何々…?」
自ら紙片に書き記した訳文を小さな声でなぞってみた。
「“根元たる魂の帰趨。あるべき空の元、失われし魂の泉、あるべき水瓶を満たし、もって時の歯
車となす。失われし魂の補填はその魂をもってこれをなす”…なんのこっちゃさっぱり解らん。」
ぼやきながらも、瞬は最後に刻まれていた単語を静かに読み上げた。
「ROXANE…ロクサーヌ?時を司る神様の名前だっけっか?ま、いいか…ふぁぁ…。」
欠伸と共に瞬はその鏡を机へとおいた。いや、おいたというより正確に言えば落としたのだった。
なぜか急に激しい睡魔に襲われ、それを支えることすらできないほどに全身に気怠さが満ちてくる。
「あ、やべ…紅い宝石が砕けちまった……マリア、怒る、かなぁ…。」
もはや瞳を開けていることすら億劫になった瞬は、その真紅の宝石が机にたたきつけられるより先
に砕けたしまっていたことに気が付くこともなく、そして何より自分の体がその色を徐々に失いつ
つあることにさえ気づくことなく、深い眠りの海へと埋没していった。
…目が覚めたら、マリアにあやまろう…
そんなことをボンヤリと考えながら……。


「マリアさん。」
「ん〜……ほえ?」
寝ぼけ眼で突っ伏してした机から体を起こしたマリアは、窓から差し込む日がすっかり茜色を帯び
てしまっていることに気が付き、「あ〜!」と素っ頓狂な声をあげた。
「マリア、寝ちゃった…。」
「…確かに、睡眠をとっておられたようですね…。それより、そろそろ閉館時間ですが…。」
「え、あ、ごめんなさい。…って、あれ?瞬は?」
当然自分の向かいに座っているであろう瞬の姿が見えず、マリアはそう呟いた。
読みかけた小説もそのままに、まるでついさっきまでそこにいたかのような雰囲気なのに、何故か
そこに瞬の姿だけがスッポリと抜け落ちているように見えた。
「さあ…?先に帰られたのでは?」
「そんなこと……ないと思うよ、瞬に限って。」
「私も、そう思います…。急用か何かかもしれません。ジョートショップへ行かれてみてはどうで
すか?」
「そだね…うん、そうする。」
呟き、マリアは目の前に乱雑に積まれた魔術書の山を整理し始めた。

それから二時間後のことである。
瞬がこの街のどこにもいない、そう、まるで“消えてしまった”かのようにいなくなってしまった
という真っ黒な絶望の色に塗り固められた事実を突きつけられ、泣き崩れたのは……。


「瞬!しっかりしろ!!」
「瞬!!起きなさいよぉ!!」
「瞬君…。お願い、目を覚ましてよぉ…。」
聞き慣れた友人達の声が聞こえる。霧がかかったかのような、すっきりしない頭に響いたその声は
吹き抜ける風のようにそれらを散り散りに吹き消してくれる。重い瞳を開き、ぼやけた視界で認識
する。
白い天井、鼻腔をさす消毒薬の臭い、背中に感じるベッドの感触……。
ここは…学校の保健室じゃないか。
何でこんなとこに寝てるんだ、俺は?
と、その時不意に柔らかい感触が俺の胸に飛び込んできた。それと同時に甘い香りが鼻腔をくすぐ
る。
「よかったぁ…死んじゃったかと、思った…。本当に…う…ごめんね…瞬君…。」
「…あ?春霞(ハルカ)…?」
俺の胸に顔を埋めて、泣きじゃくる少女…俺の友達の御影春霞(ミカゲハルカ)だ。
小柄で内気な少女で、いつも一人でいることが多かった娘だ。
腰まで伸びた艶やかな黒髪がとても綺麗で、いかにも大和撫子っていった雰囲気で、男子にも密か
に人気のある娘だ…。
「まったくよぉ、カッコつけすぎだぜ?瞬。」
安堵に彩られた苦笑いを浮かべ、そう呟いたのは俺の悪友兼親友の廻冬弥(メグリトオヤ)だった。
さらさらの髪をセンターでわけた、長身で細身の男だ。黙っていれば目だけで女の子を殺せるとい
われる程の二枚目、ただしゃべり出すと三枚目という、実にもったいないヤツだ。
本人は顔に似合わず女の子には真剣で、妙に「純愛」て言葉に執着しているが。
「だけど、本当によかった。春霞が階段から落ちたのを受け止めたのはいいけど、思いっきり頭
を打ったもんね…。、凄い音がしたし…ねぇ、本当に大丈夫?」
少しきつめな切れ長な瞳と短く切りそろえられたショートボブの髪型が利発な印象を与える、俺
の幼なじみの姫野京華(ヒメノキョウカ)だ。こんな風貌だけど実は超がつくくらいの運動音痴
で、その代わりに実は結構文学少女だったりする。少し気が強いが家庭的でいい娘だ…と思う。
「ああ、大丈夫だよ…。」
まだ泣きじゃくっている春霞の頭を軽くなでながら、俺はゆっくりと上体を起こした。
少し、頭痛がする。だけどまあ、これくらいなら大丈夫だろう。
「おいおい、無理すんなよ瞬。どうせもう放課後なんだから、おとなしく寝てたらどうだ?」
「大丈夫だって。あんなの何でもねえよ。」
「なんていいながら気を失ったくせに、よう言うわ。おい、俺の名前覚えてるか?こいつらは?5
限目の授業は何やった?昼飯は何食った?」
凍弥のヤツ、人を記憶障害者みたいに言いいやがって。
「まったく…お前の名前は廻冬弥。趣味はバンドでギター兼ボーカル担当。コイツは京華でこの娘
が春霞。5限目は鍋島のわけのわからん英語で、昼飯はお前と学校抜け出して…あ、ヤベ。」
と、京華が怖い顔で睨んでいたので慌てて口を閉ざした。コイツはいい子ちゃんだから、こういう
のうるさいんだよなぁ。と、凍弥はふっと口元を軽くつり上げると、
「ま、これなら大丈夫か。救急車呼ばなくてよかったな、京華〜?」
「な、別に、私は…。」
「別になんだよ?“瞬!瞬!”て叫んでたクセに☆素直じゃないねぇ京華ちゃんは…イテテ!!」
「うるさいのはこの口ぃ?!」
顔を真っ赤にして、京華は凍弥の口元を引っ張った。その様はまるで釣り人に抵抗する魚のよう
だった。
「あはは…。」
春霞もようやく落ち着いたようで、目をこすりながらも二人の漫才に笑みをこぼしていた。
「さて、そんじゃそろそろ帰るか…。あれ?」
そう呟いたところで、俺はふと頭の中に何かが引っかかっていることに気が付いた。
…?何か、忘れて…ないか?
何か……大切なこと……なんだっけ?
「お〜い、瞬。何惚けてんだ?やっぱ病院行くか?」
「あ?何でもねえよ。んじゃ、帰ろうぜ。」
多分、何か夢でもみていたんだろう。
思い出せないってことは、たいして重要なことじゃないってことだろうし、な。
俺は意識してそう思い、靄をはらうようにかるく頭をふって保健室を後にした…。

「ただいま…。」
もちろん、返事が返ってくる訳なんてない。
3年前に両親が交通事故であえなく昇天しちまってから、この無意味に広い家には俺一人しか
住んでいないんだから。別に寂しいと思ったことはない。元々二人とも仕事やらなんやらで、
中学の頃からほとんど一人で生活してたし、それをどうこう言うほどガキでもないしな。
制服上着を脱ぎ、その辺に放りなげる。きっとまた京華にでも見つかったら文句言われるだろう
な…、なんせアイツはお節介無差別級のチャンピオンだから。
「やれやれ、何か妙に疲れたな。」
腹は減っていたが、飯を作る気力もない。カップラーメンがあるけど、湯を沸かすために一階まで
おりるのが面倒だ…いいや、一眠りしよ。もしかしたら京華が食い物持ってきてくれるかもしれな
いし…。そんなことを考えながら俺はしきっぱなしの布団に横になった。と、その時、視界の隅に
先ほど脱ぎ捨てた制服のすぐ側でキラリと淡い輝きを放つものが飛びこんできた。
…なんだ?一体…?
起きあがり、それに近づいてみる。
「……なんだこりゃ?婚約指輪じゃねえか。」
ため息まじりにそれを拾いあげる。文字が刻まれているだけの、二つの質素な金のリング。
「なんでこんなモンが俺の部屋にあるんだ?…この感じだと、制服のポケットから落ちたのか?」
ま、どうでもいいか。どうせ凍弥のイタズラかなんかだろ。明日追求してやればいいや…。
だけど…。
俺はもう一度、手の平で輝きを放つ、飾り気のない安そうな指輪を見やった。
「なんだろう…何故か…懐かしい感じがする……。」
しばらくそんなことを考えながら二つの指輪を見つめていた俺だが、所詮そんなものただの既視感
だと結論付け、机の上にそれを放り投げもう一度布団に横になった。
目を瞑るとほどなく睡魔が重くのしかかり、俺はそのまま深い眠りに落ちていった…。


泣いている。
少女が泣いている。
「いない…。瞬、なんで、側にいてくれないの…?」
俺がいない…?キミは誰?何で俺がいないからって泣くんだ?
「瞬がいない……。そんな世界、もう、どうでもいいよ…。」
…キミは俺を知ってるのか?俺は…キミを……??


…いない。
…キミがいない。
…キミガ…イナイ。
…キミガイナイセカイ…。
…キミガイナイセカイハ、サミシイ…。
…キミガイナイセカイハ、トテモサムイ…。
…キミガイナイ………………………………。


「………。」
ふと、目が覚めた時、カーテンの向こう側はすでに漆黒の闇に包まれていた。
枕元にメモがおいてある。
「ご飯作ってきてあげたけど、寝てたからキッチンにおいておいたよ。暖めて食べなさいよ。」
京華の神経質そうな筆跡で、メモにはそう書かれていた。
だけど、食欲はなかった。
俺はもう一度、布団に横たわり天井を見上げた。
「………なんで、俺、泣いているんだ……?」
その言葉に返事が返ってくることは、ついになかった……。

続く


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