中央改札 悠久鉄道 交響曲

「裸足の女神 中編」 式部 瞬  (MAIL)
肩を並べて歩くことはできないなんて、解っているの。
マリアとあなたでは、歩幅が違いすぎるから。
だから、あなたの背中を必死に追いかけるの。
立ち止まってくれなくてもいい、ただ、たまに振り向いて微笑んでくれれば、それでいいの…。
そうしたら、マリアは少しだけ強がって笑って、そしてあなたは相変わらずの苦笑いを浮かべ
て、また歩き出す。

その、繰り返し…。
多分、初めてあなたを意識した時から、ずっと…。

今までは欲しいものは何がなんでも手に入れないと気がすまなかった。
だけど、あなただけは……。
…嫌われたくないし、迷惑もかけたくない。
だから、いつか追いついて、並んで歩けるまで、ずっとこのままでいいの…。
それで…それだけで、マリアは満足なの…。

なのに……。

ねえ?
なんで?
なんで振り返ってくれないの?

こんな小さな願いさえも、望むことは許されないというの…?

そんなに早く歩かないでよ…、追いつけないよ……。
あれ…?背中が見えない……どこ?ねえ、どこに行っちゃったの?

ねえ…振り返って笑ってよ……。

「……さよなら、マリア。」

不意に聞えたあなたの言葉。
悲しくて、淋しくて、大っ嫌いな、お別れの言葉。

…さよ…な…ら…?

「さよなら」

嫌だよ…そんなの嫌だよ…

「さよなら」

嫌だ!!嫌だよ!!!!
お願い!やめて!!…お願いだから…やめてよ………。

「行かないで!!!置いていかないで!!!!!」
悲鳴と共にマリアは目を覚ました。胸が張り裂けそうなくらいに脈打ち、まともに呼吸をする
ことすらできない。病的に青白い額には大粒の汗、そして頬には涙の軌跡が残されていた。
「……………。」
カーテンの合間を縫って降り注ぐ優しい陽光と小鳥達のアンサンブルが朝の訪れを室内に告げ
ている。が、そんな新たなる朝の訪れを感じることすらできず、マリアはベッドに横たわった
まま、放心したように天井を見上げていた。
「…夢…なの…?」
言葉にして初めて、マリアは胸をなで下ろした。
言葉にして、無理にでも吐き出さなければ、不安に押しつぶされてしまいそうだった。
「…嫌な…夢……。」
呟き、上体を起こしてみる。動悸は大分おさまっていたが、今だに体のほうは熱をはらんでい
て、少し呼吸が苦しい。
「ふう…。」
ため息を一つつき、再び体をベッドに投げ出すマリア。と、その刹那可愛らしい悲鳴が上がる。
寝汗を吸って冷たくなったパジャマが背中に張りついたのである。あれだけうなされたのだ、
寝汗もすごいだろうし、髪の毛もひどく乱れているだろう。
「…気持ち悪い……お風呂にでも入ろう…。」
ため息まじりにそう呟き、マリアはのろのろとベッドから這い出して浴場へと向かった。
…寝汗と共に不吉な夢の残滓をも洗い流してしまうために…。

汗を吸い、すっかり重くなってしまったパシャマと下着を脱ぎ捨て浴場へと飛び込む。
大理石の浴槽にクリスタルガラスの天窓を透かした七色の陽光が降り注ぐ、豪華で、広い浴場。
だが、その広い空間がかえって今のマリアには孤独を突きつけてくるようでつらかった。
「もう!何でそんなコトばっかり考えちゃうのよ!!」
不機嫌な声を誰もいない浴場に投げかける。が、無論、答えなど返ってくるはずもなく、空し
く声がこだまするだけだった。
「…ふん…。」
呟き、マリアは浴槽に少しずつ体を沈ませた。少し冷たいくらいであったが、それが火照った
体に心地よい。マリアは「ふう。」と一息つくと、そのまま浮力の法則に忠実に従い、体を預
けた。まだ自分の魔法(チカラ)で空を飛んだことはないが、きっと大空を舞うという感覚は
こんな感じなんだろう、そんな事をボンヤリと考えながら豪奢なクリスタルガラスを見上げる
マリア。水に浮かんでいるという浮遊感と七色の光、それが今のマリアにはこの上もなく優しく、
安堵を与えてくれるような気がした。そしてそれは先程までの彼女らしくない、ネガティブな
思考を溶かし去るのに充分のように思われた。が、
「…今日学校が終わったら、瞬と一緒にいよう…。…さよらななんて、そんなこと言わないよ
ね…。」
その呟きは、少しだけ震えていた。

マリア自身、わかっていた。
自分の今の言葉は自分がそうだと勝手に思っている、いわば願望の現われであり、確証など、
どこにもないことに。
だが、それでも、マリアはこの言葉にすがった。
気がついていない振りをしてでも、この言葉、この想い、この願望にすがりついた。

…それ以外の言葉など聞きたくもないし、何よりも怖かったから。
「さよなら」という言葉と、やっと見つけた大切なものを失うかもしれないということが……。

「さよならなんて、言わないよね…?」
声は、空しく響き渡り、やがて清廉な空気に溶け込むかのように、消えてなくなった…。

エンフィールドを東に向かい、“銀狼の森”とよばれる森を抜けると、大きな河に行き当たる。
太古よりこの土地を育み、そして近隣の人々の生存を可能にしてきた絶え間なき、悠久の流れ。
その辺に瞬は立っていた。何度もあたりを見てまわり、立ち止まっては地図を広げしきりに地
形を確認していた。その瞳は普段の温厚なそれとはくらべものにならないほど打算的で、冷た
い、そう、人を殺すことを追求した「式部流」継承者としての色をはらんでいた。
「…やはり、この河を渡るにはここしかないか…。好都合だな。」
独語し、瞬は1Kmほど上流にかけられた石橋に視線を移した。その昔、エンフィールドとグ
リム=ノヴァが、お互いの交流のために共同出資で築き上げたその橋は、幾百、いや幾千の風
雨さらされたにもかかわらず、その堅牢は現代の建築家をうならせる程の出来栄えらしい。
建築学的にも、歴史学的にも、文化的にも多大な影響を人々に与えつづけてきたこの橋が、も
うじき死闘の場になろうとは誰が予想できようか。文化でも、特産品でもなく、災厄がこの橋
を伝ってエンフィールドに渡ろうとしているとは、なんと皮肉なことであろうか。
だが、今そんなことは関係なかった。重要なのは訪れるであろう災厄がこの橋を渡らない限り
エンフィールドにその汚れた食指を伸ばすことができないということである。もちろん、空を
飛ばれてしまってはその限りではないが、無論それに対しての策も練ってある。
真の「式部」となった今の瞬に、隙やぬかりは微塵もない。
「………。」
橋に近づいた瞬は軽く前髪をかきあげ、やがて訪れるであろうまだ見ぬ招かざる客へと冷たい
視線を向け、呟いた。
「…ここさえ死守すれば俺の勝ちだ。来るなら来い…。歪んで肥大した夢は寝ている間にみる
からこそ甘美で幸せだということを教えてやる…。」
冷たくはき捨て、そして利き腕に結わえられたバンダナに視線を落とす。
風に揺れるバンダナに、少女の笑顔が重なる。
「…必ず、守る…。この命にかえても…必ず…。」
呟き、瞬はゆっくりと瞳を閉じた。
それゆえに、そのバンダナがまるで瞬の独語に呼応するかのように、どこか淋しげになびいた
ことに、瞬は全く気がつかなかった……。


…砂時計の中の砂は一時も止まることなく滑り落ちる。無論、逆さまに返されて時を溯ること
もない。ただ、無情に、しかし確実に時は流れる。そして、やがてひとかけらの微粒も残るこ
となく砂は滑り落ち、…死闘が、始まる…。


「………。」
ゆっくりと、瞳を開く。
「来たか…。」
静かに呟く。
「…式部流、式部瞬…参る。」
青年は踏み出した。
負けることも、逃げ出すことも許されない目の前の戦いへと向かって…。

…死闘が、始まる…。



中央改札 悠久鉄道 交響曲