中央改札 悠久鉄道 交響曲

「裸足の女神 後編」 式部 瞬  (MAIL)
「なんだ、貴様は?」
金髪の青年は、内から溢れ出すドス黒い瘴気を押さえようともせずに、吐き捨てるように呟いた。
抑揚と、人間味に著しく欠けるその口調は、青年のその白皙秀麗な風貌からは想像もできない程
に醜く、鋭く、あたかも切り付けたものを侵食し腐食させる毒に塗れた刃のようであった。
瞳は深海のように淀み、そのほとんどは狂気の炎に焼かれていた。
「………。」
対峙する、黒髪の青年は答えない。
ただ、名工に鍛えられ研ぎ澄まされた名刀のような、それでいて人を殺すことのみをただひた
すらに追求した果てに生まれた殺人剣のような、見る者に感嘆と恐怖を同時に与える鋭い視線
を両の瞳にたたえているだけだった。…その瞳に人間の体温はほとんど感じられない。
「ふん、私は人間の言語で話し掛けたつもりだがな…虫ケラには理解できないか?」
人を見下したような薄ら笑いを浮かべ、侮蔑と嘲笑と嫌悪に満ちた言葉を吐き出す。
が、黒髪の青年−瞬−の次の言葉はそんなクレヴァルの不気味な笑みを凍り付かせ、本性を慎ま
しく隠していた小さな仮面を砕き去るのに充分であった。
「…この道は通行止めだ。他を当たれ…。」
「…何だと…?」
「消えろ。下らない夢は寝てる間に見てな…。まだ死にたくないだろう?」
「……貴様、虫ケラが偉そうに人の言葉を話すな!虫唾が走る!!」
狂気の炎がその四肢を天に届かんばかりに激しく突き出し、毒に満ちた瘴気はその濃度をより
一層増し、無尽蔵に吐き出される。だが、それに全く動じることなく瞬は再び口を開いた。
「消えろ。ここから先、一歩たりともエンフィールドには近づかせない…。」
「……。クク、そうか、そういうことか…。」
クレヴァルは理解した。
この堅牢な石橋を挟んで対峙する黒髪の青年が、自分にとって唾棄に値し、憎悪の対象として
申し分のないということに。
「ククク…ふふ、はははは、はっーーーははははは!!!」
狂ったように、クレヴァルは高笑いを上げた。
「………。」
「ふはははは!!くく、ふはははははは!!……。」
そしてひとしきり笑い、口元に肉食獣めいた、サディスティックな薄ら笑いを浮かべた。
「殺してやる。」
「………。」
「殺してやる。“偽善者”が…。どこで私のことを知ったが知らんが、大義名分を抱えて英雄
気取りか?さぞ気分がいいのだろうな。何が望みだ?金か?名誉か?賛辞の言葉か?」
口元に卑げた笑みが浮かぶ。
「それとも女を侍らせて酒池肉林ときめこむか?“街のため”、“正義”といった言葉を高々
と抱えて!」
「……偽善…ね…。」
相変わらず、どこまでも冷たい凍てつくような瞳のまま瞬は独語し、そして少しだけ自嘲的に
口の端を歪めた。
「否定はしないさ。今ここに立っているのだって酷く個人的な理由からだ…。」
呟き、利き腕にまかれたバンダナに視線を落とす。
その時、瞬の脳裏に去来していたものは美しいエンフィールドの街並みでもなく、仲間達の
顔でもなく、ただ一人の生意気そうな、しかしそれでいて愛らしい少女の微笑みであった。
無論、流れ着いてきてから今まで生活をしてきた街を、そして自分を受け入れてくれて数え切
れない喜怒哀楽を共有してきた仲間達を守りたいという気持ちはある。だが、今の瞬を一番強
く突き動かしているもの、それは他ならぬ最愛の女性を命を懸けてでも守りたいという想いで
あった。
「さて、おしゃべりはもうやめにしてくれ。早く帰りたいんでね。」
「…貴様ぁ!!殺してやる!バラバラに切り刻んでやる!!」
「一度言えばわかる。御託はいいから、とっとと始めよう。」
静かにそう呟くと瞬は懐から一枚の紙切れを取り出し、そしてそれを天にかざすように高々と
掲げた。
「我、命ずる。古の契約にもとづき、風の精霊よ、その力を今ここに解放せよ。」
言い終わると同時に辺り一帯は激しい光の奔流に飲み込まれた。そして一しきり光りを放出し
たのちに、瞬の目の前に現われたもの、それは、
「呼んだ〜?」
風の精霊…というより、ぬいぐるみのような妖精であった。
ピンク色の可愛らしい服に帽子、とおよそ書物の中に見られる神秘的な風の精霊とはほど遠い。
が、別にそんなことはこの際どうでもよかった。力になってくれさえすれば、それでよかった。
「あ〜久しぶりね〜、こっちの世界にくるのも。」
「おい。」
「あ、あら??瞬じゃないの!?アンタ…なんで?」
大きな瞳をクリクリと動かし、その妖精は顔一杯に「?」といった表情を浮かべていた。
「?…人違いだ。初対面だろう。」
「何!覚えてないの!?って…あれから何100年立ってると思ってるの!アンタが生きて…
モガガ。」
このままほっておいたら、いつまでもしゃべり続けそうな妖精の小さな口を軽く押さえる。
「おしゃべりは他でやってくれ。それよりも風を起こせ。それも特大の乱気流をだ。できるな?」
「ち、ちょっと!何なのよイキナリ。」
「いいから、できるだけ強力なヤツを頼む。」
短くそう言うと瞬は腰の愛刀を抜き放った。陽光を浴び、それでもその刀身は瞬の心のように、
鬼気迫るほどに限りなく冷たく輝いていた。
その横顔に、妖精は自分と、そしておそらくはもう一人のとぼけた吟遊詩人の心の中にのみ残
っているであろう、古の戦いの情景を重ね合わせていた。
(…あの時と同じ。そっか。また大切な人ができたんだ。)
妖精はクスリ、と笑い、相も変わらない目の前の青年の頭の上へと降り立った。
(変わらないわね〜。また無茶するんだ…。よし!)
子を見守るような、まるで母のようであった瞳に、今度はイタズラを思い付いた子供のような
光をたたえて、妖精は軽く瞬の回りとクルリと回った。
「まかせなさい!超特大の乱気流を起こしてあげるわ!!」
「期待している。」
「そのかわり、死んじゃダメよ!」
声と共に妖精は空高く飛翔し、そして溶け込むように風に消えた。その刹那、空が歪んだ。
そして、先程までの晴天が嘘のに雲が垂れ込め、激しい突風が吹き荒んだ。木々は悲鳴を上げ
つつも、必死に大地を掴み、生あるものも突然の転変地位から逃れるべくこの場を離れる。
「予想以上だ。感謝するぜ…。」
呟き、瞬は腰の鞘を投げ捨てた。
「さあ、来いよ。」
「く…虫ケラが…。本当に殺されたいようだなぁ!!!」
狂ったように叫び、右手を空高く掲げるクレヴァル。そして、
「ガ・スティール・デル・フィーシュアース…。」
呪詛のように言葉が吐き出される。そしてその右腕が虚空に文字を描き出す。
「ΣΨΛΓ……ΠΦΖ!!来れ…我が同胞よ…。」
その言葉に応ずるかのように、クレヴァルの足元の大地が蠢動する。そして、一人、また一人
と大地から、“人形(ひとかた)”が生まれ落ちる。
「サモナー(召喚士)か…アイツのいっていたことは本当らしいな。」
吐き捨てるように呟く瞬。その眼前にはすでに一個大隊を遥かに凌駕する数の人形が、何も見え
ていない虚ろな瞳で獲物を捕らえていた。その姿はまるで古代遺跡に安置されている石像のよう
に精巧な作りの、騎士の姿をしたストーンゴーレムであった。それぞれが、手には巨大な手槍を
構えている。
「死ね。」
死の宣告は、飾り気もなにもない、静かな一言だった。
「………。」
物音一つなく、天を被わんばかりの手槍が一斉に投ぜられた。その標的は、紛れも無く瞬である。
身動き一つしない、いや、身動き一つすらできない、ケレヴァルは甘美なる断末魔と、心を潤し
てくれるであろう真っ赤な鮮血に悦のこもった笑みをもらした。が、それはすぐに凍り付いた。
ゴオオオオオオオオ!!
一陣の激しい突風が吹き付けた。何かに掴っていなければ吹き飛ばされてしまいそうな
ほどの、である。そしてその突風は瞬に襲いかかる手槍を跡形もなく吹き飛ばしていた。
「な、なんだと!?」
「アハハ、ば〜か。そんなのきかないわよ〜だ。」
狼狽したクレヴァルの目の前に可愛らしい妖精が姿を現す。
「く、蚊蜻蛉がぁぁぁぁ!!!」
腰から引き抜いた短刀で斬りつける、がそれはまたもや激しい突風によってその軌跡をVの字に
曲げさせられたのであった。
「きゃあ〜、こわ〜い。」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、妖精は再び風に消えた。
「……虫ケラがぁ…虫ケラ共がぁぁぁぁぁぁ!!!!」
狂気、殺意、怒り……およそ考え付く負の感情をちりばめた怒号が大気を揺らす。
血走り、このうえなく見開かれた瞳は一直線に瞬を射抜いていた。
「行け!!バラバラに切り刻めぇ!!!」
絶叫にも近いその命令に8体のゴーレムが突撃した。黒曜石のように黒光りする剣を構え、目の
前で身じろぎ一つしない青年に、正に四方八方から斬りかかる。
その刹那、閃光が真一文字に閃いた。
そしてそれに遅れること半瞬、八体のゴーレムはその姿形を維持することを拒否し、大地へと
崩れ去った。
「ば、そんな馬鹿な!?たった一撃で…。」
「違うな。3回は斬った。」
呟き、瞬は呆れたように、唇の端を吊り上げた。
「伊達に“鎧不要(よろいいらず)”の二つ名で呼ばれてはいない…ということさ。
あと、物量で攻めるなら、せめて今の3倍にしときな。」
「な、なんだと…。」
「こっちとしても手間が省けるんでね。」
「…奢るなよ、小僧があぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
獣のようなその雄たけびが、戦いの幕開けといっても過言ではなかった。
無個性なゴレーム達は主人に命ぜられるままに、まるで全てを飲み込み破壊し尽くすかの
ような怒涛となって襲い掛かる。それを、今度は迎え撃つべく、瞬も駆出す。
「はあああああああ!!!」
堅牢な石橋を舞台に、命を懸けた死闘が始まったのであった…。


「…ですから、こうして古代王国は滅びたという説もあるのです。まあ、これは学会では異端
とされ、それほど支持はされてないのですが……。」
無意味に大きな講堂の中に歴史の教師の妙に間延びした声が響く。本人は半分自分の世界に入り
熱っぽく語ってはいるのだが、聴かされている生徒達はと言えば、「また始まったよ。」とばか
りにすこしウンザリとした表情を浮かべていた。そしてそれぞれが思い思いに手紙をやりとりし
たり課題を終わらせるべく、内職を始めたりする。
もともとこの「歴史学」は出席して試験さえうければ単位が貰える、と有名な講義であるため、
生徒らももとより真面目に授業を聞くつもりがなあまりないようなので、しかたないと言えばし
かたなにのかもしれないが。
「相変わらず、眠くなる講義だよね、ファァァァ……。」
席の一番後ろで欠伸を噛み殺したトリーシャは、隣に並んで座っているマリアにそうこぼした。
「うん、そうだね…。」
「あれ?何か元気ないね…って、マリアも眠いのか、アハハ…。」
「…うん……。」
曖昧にそう頷いたマリアであったが、本当は眠気などまったく感じていなかった。そんなものを
感じる暇もなく、マリアの心を満たしていたもの、それは朝から続く不安であった。
(さよなら…お別れの言葉…もう、あえない人に告げる哀しい言葉…。)
胸が、締め付けられる。
(さよなら…さよなら………。お別れの…言葉…?違う!お別れだけど、また会えるのよ!!)
無意識のうちにマリアは頭を左右に強く振っていた。まるで心を満たしている不安の全てを降り
払い、無理矢理忘れようとするかのように。少しクセのある金髪が、サラサラと陽光に揺れる。
瞬のことを、「さようなら」なんて酷く哀しくて残酷な言葉なんていうはずがないことを、信じ
ている。なのに、それでも、心を満たす黒い不安の雲は晴れることなく立ち込めている。
そんな自分が酷く嫌になった。
「はやく…逢いたいな…。」
放課後、一番で瞬に逢いに行く。
そうすればきっと、「考えすぎだ。お前には似合わないよ。」と笑ってくれるに違いない。
そんな瞬に少し怒った振りをして、すねてみせればいい。
そうすればきっと慌てて謝って、それで自分が笑えばそれで心の不安なんて消えてしまう…。
朝からずっとそう考えていた。もう悩まない、そう決めた。なのに、
(なのに…なんでこんなに胸騒ぎがするの?…はやく、逢いたい…。)
握り締められた手の平は、白く染まり、微かに震えていた…。


「…化け物…か?貴様……。」
目の前で起きた、否定しがたい事実を目の当たりにしたクレヴァルは乾ききった唇をなんとか
動かし、そう呟いた。
…全滅…。召喚したストーンゴーレムは、一体残らず、ただの土の塊へとその姿を帰趨させて
いた。今まで、数多くの人間を、怪物どもなぶり殺しにしてきた自分の力が、たった一人の青年
に否定された。信じ難い、光景であった。
「ハアハア…違うね…。ただの…人間さ…。」
石橋の丁度中央の辺りで佇む瞬は肩で大きく息をし、そう呟いた。そして軽く自分の体をみやる。
(脇腹と…あと、肋骨を少しやっちまったかも知れないな…。流石に、一筋縄ではいかせてくれ
ないか……。)
「さて、そろそろ降伏したらどうだ?あれだけの数を召喚したんだ、お前だってもうこれ以上、
何もできやしないだろ?」
「…降伏、だと?」
その言葉に、クレヴァルはピクリと反応した。失っていた自が、黒き業火とともに舞い戻ってく
る。
「…降伏、だと?」
ゆらり、とその上体を起こし、瞬を睨み付ける。…狂気。もはや、その美しい顔にそれ以外の感
情は微塵も残されてはいなかった。
「虫ケラに…神が、私が頭を下げろというのか…?」
「………。」
「ククク…ハハハハハ…ハーハハハハハハッ!!!…よくも、よくも虫ケラごときが私の崇高な
洗礼の邪魔をしてくれたなぁ!!エンフィールドを潰すためにとっておきたかったが…光栄に思
え!!貴様を殺すために使ってやる!!殺してやる、殺してやる、殺してやる!!!」
クレヴァルから放出される殺意が恐ろしい程に膨れあがり、瞬を真っ向から射抜く。
まるで、心臓を冷たい手で握られたような激しい悪寒が瞬の体を稲光のように駆け巡る。
「ギルティア・ゼベク・ギルティア・ゾーグ……デルフィリア・ラ・ゾーグ…。」
吐き出される呪文に呼応するかのように、大地がきしみ、大気が悲鳴を上げる。
吐き出されるその狂気の黒い瘴気は、ストーンゴーレムを呼び出した時の比ではなかった。
「…今度こそ、死ね!!」
目の前で印が切られる。その瞬間、あたりは漆黒の闇に包まれた。
「ク……。」
視界が闇に取り込まれ、一瞬光を見失う。そして視界の晴れた瞬の前に鎮座していたもの、
それは“絶望”であった。
“絶望”は、美しい姿をしていた。
真っ白な体、真っ白な6枚の翼、胸には巨大な血のように紅い宝石をちりばめている。
大きさ、風貌、放出される敵意ともに先程蹴散らしたストーンゴーレムの比ではない。
瞬は自分の右腕が微かに震えていることにすら気がつかずに、ただそれを見つめていた。
…こいつはやばい…。
本能が、式部としての血が、瞬に危険を知らせていた。
冷や汗が止まらない。目の前に「死」が鎮座している気さえする…。
「くく、ははははは!!私の最高傑作だ!!古代王国の遺物を私が改良したのだ!負けるはず
がない!!ミスリルゴーレム“シュトラール”それが貴様を冥途へと叩き落とす物の名だ!!
クク、死ね、死ね、死ねぇ!!!」
「………。」
「ククク、言葉がでない、か。ふん、まあいい。やれ。」
「!!」
命ぜられるままに、シュトラールはゆっくりと右腕をシュンへと向けた。
胸の宝石が妖しく輝く。そしてその刹那、光の奔流が、身動き一つしない…いや、できない瞬の
視界を白一色に焼いたのであった…。


中央改札 悠久鉄道 交響曲