中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「Harmit and Milk -1st contact-」 輝風 龍矢  (MAIL)
The last song

第11章:Harmit and Milk -1st contact-

「はい、禅鎧クン。コーヒーが入ったわよ」
「‥‥‥‥‥すみません」
 テーブルに2つのコーヒーカップと、テディ用のホットミルクが入った大皿が置かれた。テディは器用に床からイス、イスからテーブルに飛び移り、湯気が気持ちよさそうに揺らめいている大皿の前へと歩み寄る。
 アリサは禅鎧の向かい側のイスに腰を下ろし、ほどよい温かさのコーヒーにミルクと砂糖を入れる。だが、禅鎧はようとして差し出されたコーヒーに口を付けようとはしない。ある程度ミルクを飲み干して一息ついているテディが、不思議そうな表情を浮かべつつ、禅鎧に視線を向ける。
「どうしたッスか、禅鎧さん? コーヒー、飲まないッスか? あっ‥‥‥。ひょっとして、猫舌ッスか?」
 禅鎧を元気づけようとでも思ったのか、テディは意地悪い笑みを浮かべながら、下らない茶々を入れる。だが、禅鎧からの反応はない。時折、深いため息を付いては、コーヒーカップから湧き出る湯気を掻き消している。
「どうしたの、禅鎧クン? 早く飲まないと、冷めてしまうわよ」
 先のテディの言葉で分かったのか分からなかったのか、アリサもコーヒーを飲むように促した。
「俺には‥‥‥、このコーヒーを飲む資格はありません」
 禅鎧がやっと重い口を開いたのかと思うと、そんな事を思い詰めた表情で言った。
「? どうしてかしら?」
 アリサは最初、何を言っているのか分からないといった顔をしていたが、禅鎧の心理を悟ってか、いつもの穏やかな笑顔を彼に向ける。
「自慢じゃないけど‥‥‥。うちは、今日のようにこれと言った仕事が入ってこないというのはいつもの事なのよ」
 クスリと苦笑いを浮かべながら、元気のない禅鎧を慰めるかのように淡々と語るアリサ。
「‥‥‥ですが」
 それでも禅鎧は、その深く思い詰めた表情を崩そうとはしない。むしろ、自分の無力さのあまり、身体を震わせているとも言えよう。アリサは苦笑いを浮かべながらため息を1つついた。それは、決して呆れてしまったが為に出たため息ではない。
 アリサがジョートショップの土地を担保に、100000ゴールドの借金をして自警団に納める事で、禅鎧は3日と経たずに釈放された。そして禅鎧は、その借金返済と再審議請求のために、ジョートショップに現在まで溜まっている仕事を一昼夜掛けてやりこなし続けた。公園のゴミ拾いやペットの散歩から、『リヴェティス劇場』の清掃まで‥‥‥。仕事を選ぶなどという余裕がなかった。いや、それを禅鎧自身が許さなかったと言っていいだろう。無論、美術館からの仕事の依頼はない。
 それを続けること1週間。
 その頃になると、街中に『ジョートショップに元盗人が居候している』という理由で、徐々に仕事の依頼が減ってきたのだ。仕事があったとしてもそれは小さな仕事であったり、大きな仕事でありながら報酬が少ないといった状況が現在までに続いていた。
 時には「これからも仕事を依頼してもいいけど、お前以外の奴を今度派遣させるよう、アスティアさんに伝えておいてくれ」と、冷たく突き放される事もあった。
 アレフ達からも「手伝おうか?」と言ってきてくれたが、禅鎧は「他人に自分の尻拭いはさせたくない」と断り続けてきた。仕事があまりにも少なすぎるという理由もあるのだが、禅鎧は敢えてそれを口にしなかった。
「ねえ…禅鎧君。私が貴方と初めて会った時に言った言葉を覚えている?」
「‥‥‥えっ?」
 アリサは両肘をテーブルの上につき、顎の下辺りで指を絡ませるように組みながら、遙か虚空を見つめるような表情で話を続けた。
「『なんだか家族が増えたみたいでうれしい』って…。‥‥‥ここはね、昔は私と夫のサリオス・アスティアとで切り盛りしていたの」
「‥‥‥‥‥!」
 アリサが突然そんな事を話してきたために、禅鎧は思わず伏せていた顔を上げた。そこで初めて、アリサが未亡人であることを知る禅鎧。
「そして今から十数年前‥‥‥、あの人は不治の病を患って間もなくこの世を去ったわ。それからはずっとこのテディと2人暮らしなの。テディは、サリオスが旅の途中怪我をしているのを見付けて連れてきたのよ」
 そう言いながら、テディのフサフサの毛で覆われた頭を優しく撫でる。テディはちょっと照れくさいらしく、頬を赤く染めている。
「あの人が死んだとき、私は一晩中泣き暮らしたわ。そんな時、ずっと付き添いで慰めてくれたのがテディなのよ」
「‥‥‥‥‥‥アリサさん」
 禅鎧は自分がじっとアリサを見つめているのに気が付くと、ハッとして頬を赤く染めて目を逸らした。アリサも禅鎧の視線に気付いてか、こちらもハッとして苦笑いを浮かべる。
「あっ、ごめんなさい。貴方を元気づけようと思ったんだけど、逆にしんみりさせちゃって‥‥‥」
「いえ、そんな事は‥‥‥」
 禅鎧は静かな、でもハッキリとした口調でアリサの言葉を否定した。
「フフ…、ありがとう。だからね…禅鎧君、そんな『申し訳ない』とか『資格がない』とかなんて寂しい事は言わないで‥‥‥。私はね、家族が増えたみたいで内心嬉しいんだから。それだけは分かってくれるかしら?」
「アリサさん‥‥‥」
 禅鎧は胸が痛かった。自分の最愛の人を失った時の事を、一体どんな想いで自分に話してくれたのか? 更に深く追求すれば、自分があのような態度を取らなければ、アリサさんはこんな辛い事を打ち明けずに済んだのだ。
 禅鎧の瞳の色には、徐々にいつもの光を取り戻してきたようだ。そして‥‥‥。
「そうッスよ、禅鎧さん。それでも、アリサさんの厚意を無駄にするつもりなら、この僕が許さないッスよ!」
 そのテディの言葉を鏑矢に、禅鎧の言葉でアルベルトから言われたあの時の言葉がよみがえった。
『その人の想いを無駄にするような事は絶対にするな!!』
 その人とはアリサのことを指しているのは明らかだ。その言葉が禅鎧の頭の中で何回もリフレインする。
 アリサの言葉、アルベルトの忠告が禅鎧の頭の中で融合を始める。それらが完全に1つとなった時、禅鎧の瞳から一滴の涙がこぼれ落ちる。だがその瞳はそれまでの迷いを断ち切った、いつもの『朝倉禅鎧』の瞳に戻っていた。
「‥‥‥‥。そうですね。きっとあまりの出来事に、頭が混乱していたのかもしれません。アリサさんの気持ちも考えずに‥‥‥。本当に…、済みません」
 流れた涙を拭いながらそう言う禅鎧。
「フフフ…。いいのよ、分かってくれれば。‥‥‥さぁ、冷めないうちに早く飲んでしまいなさい」
 その言葉を聞いて、アリサとテディは安堵の笑顔を浮かべた。やっとの事で禅鎧は、湯気が完全に見えなくなったコーヒーに口を付けた。そして、まだ体内に残っているモヤモヤした感情を振り切るように大きく深呼吸をする。
「禅鎧さん、これも食べるッス!」
 そう言ってテディが差し出してきたのは、程良い色に焼き上がった、若干大きめのチョコクッキーだった。未だ遠慮がちな禅鎧だったが、テディの顔から「遠慮しても、無理矢理食べさせてやるっス!」といった意気込みを察したので、禅鎧は黙って1枚だけ手に取って口へと運ぶ。
「どうッスか? 美味しいッスか?」
「‥‥‥‥ああ、美味しい」
 わずかながら禅鎧の表情が綻んでいるのを確認したテディは、嬉しそうな顔をしてウンウンと首を縦に振る。口に残ったクッキーの欠片を全て胃に流し込むように、禅鎧はコーヒーをひとすすりした。クッキーの甘さとコーヒーのほろ苦さが、見事にフィットしていた。その為か、禅鎧の表情が心なしか柔らかくなった気がした。
「御馳走さまでした」
「ごちそうさまでしたッス〜!」
 禅鎧は席を立つと、コーヒーカップとテディの食器を手に取り流し台の方へと持っていく。そして、それらを洗おうとした時‥‥‥。
「あっ、そうだわ。禅鎧君、1つお使いを頼まれてくれないかしら?」
「えっ? はい、もちろんです」
 そう言うとアリサはテディと共に自室に入ると、何かの袋を抱えて禅鎧の元へ戻ってきた。
「これを『ローズレイク』の湖畔に住んでいる『カッセル』という人に届けて欲しいんだけど‥‥‥」
「分かりました。‥‥‥でも、ローズレイクは何処に」
「あっ、ごめんなさい。それなら‥‥‥」
「私が案内してあげる〜〜〜!!」
「! ‥‥‥えっ?」
 と、突然禅鎧の側から甲高い声が挙がった。ふとそちらに振り向くと、そこにはいつの間にジョートショップに入ってきたのか、1人の少女が立っていた。
 肩に掛かる程度の長さで整えられた桜色の髪の毛。カチューシャのように結ばれた黄色いリボンは何の飾りっ気もないが、彼女にはとてもよく似合っていた。エメラルドグリーンのグラデーションがかかった、クリリンとした可愛らしい瞳。長旅にはあまり相応しくないような、フリルが所々についたドレスを着ている。
「あら、ローラちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、アリサおばさん。テディも元気? それから‥‥‥朝倉禅鎧さん。ねぇ、お兄ちゃんって呼んでもいいでしょう?」
「あ、ああ‥‥‥えっ? どうして、君も俺の名前を?」
 禅鎧はまたも疑問符を帯びた返事をすると、ローラ‥‥‥と呼ばれた少女は意外そうな顔をしている。
「あれ〜、パティちゃん達から聞いてなかったの? 私がお兄ちゃんの第一発見者なんだよ」
「そうだったんだ‥‥‥。迷惑を掛けたな‥‥‥」
「もう、そんな顔しないでよ〜。困った時はお互い様でしょ?」
 そう人差し指をピンと立てつつ、ウインクをするローラ。そこで、何かを思いだしたかのようにローラは手をパンと叩く。
「あっ、そうだ。まだ私の自己紹介がすんでなかったね。初めまして、お兄ちゃん。私、ローラ・ニューフィールドって言います。宜しくね〜!」
「ん…。あ、ああ‥‥‥宜しく」
 ローラのあまりのハイテンションに、タジっと苦笑いを浮かべる禅鎧。
「ねぇねぇアリサおばさん、私が案内してあげてもいいでしょう?」
「別に構わないけど‥‥‥。そう言えば、神父様はお元気にしているかしら?」
「うん、とっても元気! ローラにもとても優しくしてくれるよ!」
 そんな他愛もない2人の会話をよそに、禅鎧はそれとは別の考えにふけっていた。ローラが話しかけてくるまで、ずっと彼女の存在を察知できなかった事だ。テディやアリサと楽しげな表情を浮かべながら会話をしているローラをじっと見つめながら、禅鎧はそんな事を考えていた。
「それじゃ、ローラちゃん。禅鎧君のこと、宜しく頼むわね」
「は〜い! それじゃお兄ちゃん、一緒に行こう!」
「‥‥‥ん? あ、ああ‥‥‥お願いするよ」
「‥‥‥あっ、禅鎧さん! ちょっと待って下さいッス〜」
 テディは禅鎧を呼び止めると、急ぎ足で2階へと昇っていった。数分後‥‥‥。いつも持ち歩いている箱を持ってくると、そこから禅鎧のショルダーキーボードを取り出す。
「お使いの帰り、ローズレイクで弾いてきたらどうッスか?」
「ねえテディ、それ何なの?」
 興味津々な表情で、テディに尋ねるローラ。
「これは楽器ッスよ。ピアノに似ているッスけど、ギターみたいでもあるッス。いろいろな音が出せるッスよ」
「テディ…。形のことは分かるが、音の事については話していたか?」
 不思議に思ってか、禅鎧はテディに問い掛けてくる。
「禅鎧さんの部屋から、時々音が漏れてくるッスから‥‥‥」
「なるほどね」
 ‥‥‥と、禅鎧は苦笑いを浮かべつつ、納得する。たまの休日で部屋に閉じこもっては、キーボード片手に無意識に曲を奏でていることがよくある。
「あっ、そっか! お兄ちゃん、音楽やってるんだよね。じゃあ、お使いの帰りに私に一曲聴かせてくれない? 道案内のお礼はそれでいいから、ね?」
 そう言って、純真無垢な笑顔を見せるローラ。しばし考えると、禅鎧は首を縦に振ってテディからキーボードを受け取った。
「‥‥‥ああ、約束しよう」
「わぁ、本当に!? ありがとう、お兄ちゃん!」
「それじゃあアリサさん、行ってきます」
「いってらっしゃい」
「気を付けるッスよ!」
 禅鎧は1人+1匹に背を向けると、ローラと共にジョートショップを後にしようとした。そして、我が目を疑った。
 スウッ‥‥‥。
 ローラの身体が、ジョートショップの扉に溶け込むように突き抜けていったのだ。禅鎧はその場に固まっていた。考えられる事はただ1つ。
「『実体』がない‥‥‥?」
「ローラさんは、『幽霊』と呼ばれるものみたいならしいッスよ」
 背後で、テディがそう話しかけてきた。
 『幽霊』か‥‥‥。その事で、何かエンフィールドの住民に言われなかったのだろうか?しかし、彼女からはそんな悲しげな雰囲気は感じ取れなかった。いや、感じ取れなかったのかもしれない‥‥‥。
「何やってるの、お兄ちゃん? 早く行こうよ!」
 壁から顔と上半身だけを出して、ローラがこちらへ促してくる。禅鎧はアリサに軽く頭を下げると、今度こそジョートショップを後にした。

「こうやって出歩いてるって事は、もう身体の方は大丈夫なんだね」
「ああ…そうみたいだ」
「よかった‥‥‥」
 ローズレイクへと行く道のりで、禅鎧とローラはそんな会話を続けていた。
「ねえお兄ちゃん、後で弾いて貰う曲にリクエストあるんだけど、いい?」
 腰の後ろ辺りに両手を回して、見上げるように禅鎧の顔を伺う。
「それは構わないけど…。俺の曲知ってるのか?」
「病院でお兄ちゃんの名前を確認する時に、バッグの中から楽譜を見付けてチラッと見ちゃったの。…ダメだった?」
 細い眉毛をハの字に曲げながら言うローラ。
「いや、別にいいんだけどね…。で、何の曲?」
「『Fall in YOU』! あの曲がいいなぁ。詞も一緒に添付されていたけど、気に入っちゃって」
「あれね…。でもあれは、俺が作った曲じゃない。俺が音楽を始めるきっかけとなった‥‥‥俺が尊敬する人が創った曲だ」
「そうなんだ…。でも、他の曲はお兄ちゃんが創ったんでしょ?」
「‥‥‥まあ、ね。分かった、リクエストにお答えしよう」
「ホント!? わ〜い」
 ローラは心から嬉しそうに、飛び跳ねるように禅鎧の前へと躍り出ていった。禅鎧は「やれやれ」といった苦笑いをこぼし、前髪を掻き上げる。
 とローラは、地面に擦り付くほどの長さのスカートを翻しながら禅鎧の元へ駆け寄ってくる。
「ねえお兄ちゃん。ここから、ローズレイクまで競争しよう!」
「えっ‥‥‥?」
「よ〜い、スタート!」
 禅鎧の返事を聴かずに、ローラは駆けだしていた。早く曲が聴きたくてしょうがないのだろう。
「あっ、おい‥‥‥。ハァ、しょうがないな‥‥‥」
 禅鎧はまたやれやれといった苦笑いを浮かべながら、「早く早く〜!」と手を振っているローラの後を追いかけた。
 禅鎧は人一倍自己防衛が強い性格なのだが、不思議とローラの事を「疑わしく」「鬱陶しく」思ってはいなかった。むしろ、ローラと話していると自然と心の中のモヤモヤが消えていくような…、そんな気がした。

To be continued...




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