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「Es Durのピアノ線」 輝風 龍矢  (MAIL)

The last song

第18章:Es Durのピアノ線

 エンフィールドを再び恐怖に陥れた『エンフィールド連続強盗事件』を解決したジョートショップには、初日の頃の勢いこそ無くなってしまったものの、毎回10数件ぐらいの仕事依頼が来るようになった。そしてその度に、アレフたちがアルバイト感覚で仕事を手伝いに来てくれている。
「みんな、今日も一日お疲れさまでしたッス〜」
 そして今日も無事、仕事を終えた禅鎧・アレフ・パティ・クリスの4人は、ジョートショップでアリサが入れてくれた紅茶で一息ついていた。テディは、それにあやかってホットミルクを飲んでいる。と、そこへ‥‥‥。
 ドンドンドン。
 突如ジョートショップのドアがノックされた。
「あら…、誰かしら? 開いてますので、どうぞ」
 ガチャッ!
 アリサがそう言うと、中に入ってきたのはシーラと見知らぬ30代半ばのスクウェアフレームの眼鏡を掛けた男性だった。走ってきたのだろう、2人とも息切れを起こしている。
「あら、シーラさんじゃない。どうしたの、そんなに慌てて?」
「‥‥‥あ、アリサおばさま。突然お邪魔しちゃって、すいません」
 何とか息を整えると、ペコリと申し訳なさそうにお辞儀をするシーラ。
「…シーラ?」
「あ、朝倉くん…。ハァ…、居てくれて良かった」
 禅鎧の姿を見て、安心したかのように胸を撫で下ろすシーラ。とりあえず座るように彼女を促すアリサ。
「シーラ、そちらの方は誰なの?」
 パティはシーラの後ろに立っている男性に視線を移す。
「ああ、申し遅れました。私はピアノの調律師をやっている、ウォンサーという者です」
 座ったままお辞儀をする。アレフたちもそれにつられてお辞儀をする。
「ピアノの…ね。で、どうしたんだ」
「うん…。リヴェティス劇場のピアノが、近いうちに売られてしまうらしいの」
 深刻な表情で事情を説明するシーラ。それでもアレフたちにはピンと来ないらしい。
「…売られるって。それは古くなったからじゃないの?」
 怪訝な表情を浮かべながらパティ。だがシーラは、静かにかぶりを横に振った。
「ううん、そんなはずはないの。だってあのピアノは、今でも名匠と詠われている『シュタイハルク』の作品だから…」
「『シュタインハルク』?」
 そのあまり聞き慣れない固有名詞に反応したのは、他でもない禅鎧だった。
「おい、禅鎧。誰なんだ、その…シュタイン何とかって」
「ああ…。世界でも指折りの楽器制作者で、特にピアノを作る事に関しては、右に出る者はいないとされている。何故なら彼の作ったピアノの音色は大きく温かく空気を伝い、そしてその透明感のある上品な音には、破邪の力があると言われているほどだからな」
 そしてその後を、シーラが続ける。
「うん。…それに彼のピアノは少なく見積もっても100年以上は保つとされている程頑丈な造りになっているの。そして、値段もとても付けられない程重宝されているわ」
 禅鎧とシーラの言葉に、アレフたちは感慨のため息しか出てこなかった。
「へぇ〜。‥‥‥良く分からないけど、すごいピアノな訳だな?」
「…そう。それ程の物を売りに出すとなると、確かに一大事だな」
「うん。それで私、いてもたってもいられなくなって…。それで…その、朝倉くんなら何とかしてくれるんじゃないかなって思って」
 途中から、頬をほのかに紅潮させながら、俯き加減でそう言うシーラ。そんな彼女を見て、困ったように前髪を掻き上げる禅鎧。
「‥‥‥で、ウォンサーさん。どうして売られてしまうんですか?」
「ええ。詳しい話は、リヴェティス劇場にてお話し致します。まずはそちらの方まで足を運んでいただけますか」

 リヴェティス劇場に到着した禅鎧たち5人は、舞台裏の大道具室に案内された。
「へえ、舞台裏ってこんな風になってたのか‥‥‥」
 物珍しそうな目で、辺りをキョロキョロ見回すアレフ。そこには何かの劇で使われたと思われる城壁が描かれた大きな壁紙、そして豪華な造りの椅子、赤絨毯など、様々な物が安置されてあった。そしてそのほぼ中央に、問題のグランドピアノが置かれてあった。
「‥‥‥確かに、これは間違いなくシュタインハルクのピアノだ」
 計88の鍵盤の上には、銀色のエンボスで『SHUTAIN HARC』という文字が刻まれてあった。
「それでは説明しましょう。とりあえず、音を出してみますので良く聞いていて下さい」
「‥‥‥分かりました」
 鍵盤の上に掛けられた赤い埃よけを取ると、ウォンサーは鍵盤をランダムに押し始める。
 ピン、ポン、ガン、ドン。
 最初は高音部、そして低音部へと指を滑らせていく。
「音がずれている…?」
 禅鎧がそう一言呟く。シーラもこくりと頷いた。
「そうです。最初は誰かが、悪戯に弦の調整をメチャクチャにしたのだと思っていましたが、何度調整してみても音がずれてしまうんです」
 困惑の表情を浮かべながらウォンサー。
「更にこのピアノには、こんなピアノなだけにかなりの維持費が掛かっています。それを良い事に、この劇場のオーナーがこれを期に引き取って貰おうとしているんです」
「そんな‥‥‥」
 心配そうな表情を浮かべながらシーラ。
「‥‥‥ちょっと弾いてみていいですか?」
「え? ええ、構いませんが‥‥‥弾けるのですか?」
「大丈夫ですよ、ウォンサーさん。禅鎧の音楽能力は生半可なものじゃないから」 
 クリスが、怪訝な表情を浮かべるウォンサーに自慢げに話しかける。
「シーラ。以前、禅鎧の演奏が聴きたいって言ってたでしょう? ちょうどいい機会だから、じっくり聴いた方がいいわよ?」
「え? ‥‥‥う、うん」
 シーラたちもまた、禅鎧を取り囲むようにピアノに近寄る。
「いや…、元々音がずれてるんだから、まともな演奏は期待しない方がいい」
 苦笑いを浮かべながら禅鎧。そして一呼吸置くと、ピアノを弾き始めた。やはりそれでも音はずれてしまう。すると今度は、キーを1つ上げて弾いてみる。それでも音は合わない。そして1つ、更に1つと上げてみるが、絶対に音が合うことはなかった。それはつまり‥‥‥。
「ウォンサーさん、この劇場内で変な噂とか流れてませんか? 例えば『幽霊』とか…」
「えっ、なぜそれを‥‥‥!? 私も詳しくは知らないのですが、確かに劇場内で『幽霊』を見たという噂を耳にしています」
 その2人のやりとりを、深刻な表情で見守るアレフたち。
「今俺は、ある1つの短めの曲を、キーを1個ずつ上げながら弾いてみたんです。ところが、全部試しても1つも合う事はなかった。弦が原因であるならば、音がずれていてもそれなりのメロディラインには聞こえるはず。このピアノに、何か別の力が働いているとしか思えません」
「…なるほど、それがその噂の幽霊の仕業かもしれないと…。確かに考えられますね」
「よし…と。そうと決まったら、その噂の出所を確かめようぜ」
 自分で自分に気合いを入れるかのように、アレフはそう言った。禅鎧も静かにかぶりを縦に振った。

「なっ…、何だ君たちは?」
 とりあえず禅鎧たちは、定時の見回りの最中だった警備員から話を聞くことにした。ひょろっとした長身で、腰に警棒らしき物を差している。
「最近、この劇場で幽霊を見たという噂を聞いたのですが…。それについて、何かご存じありませんか?」
 禅鎧の言葉に、その警備員の表情は急に恐怖感に満たされてしまう。
「どんな小さな事でもいいんです。話して頂けませんか?」
 シーラも懇願するようにそう言うが、警備員は身体を震わせながらただ頭を横に振るだけだった。
「‥‥‥お、俺は何も知らないぞっ! 幽霊を見ただなんて、そんな事聞いた事もない…」
 気が動転してしまっているためか、少々早口で丸め込んでしまっている。口ではそう言うものの、この反応からして、やはり何かを知っているのは間違いないだろう。
「なあ、頼むよ。俺たちはその幽霊を退治しに来たんだ」
「なっ、た、退治? そんな事をしたら、幽霊に取り憑かれちまうぞ!?」
 『知らない』の一点張りの警備員に、思わずため息をついてしまう禅鎧。
「落ち着いて下さい。それじゃあ、質問を変えますよ。その幽霊に取り憑かれたという事件は、これまでに起こっていますか?」
「‥‥‥い、いや」
「でしたら、貴方が脅えているような事をするような幽霊ではありませんよ。だから、心配はいりません」
 静かな淡々とした口調で言う禅鎧に、警備員は少しずつだが落ち着きを取り戻してきたようだ。
「‥‥‥話していただけますね?」
「‥‥‥‥‥。分かったよ。ただし、ちゃんと退治してくれよ」
 警備員のその言葉に、シーラの表情がパッと明るくなった。以下が、警備員の話した内容である。
 今から約1週間前。夜中の2時に、いつもの定時の見回りをしていた時のこと。あのグランドピアノが置かれた大道具室を見回ろうと中に入ろうとした時、中からピアノの奏でる音が聞こえたという。恐る恐る中を覗いてみると、白い人陰がピアノの前に座っていたという。しばらくすると、廊下に出ようとしたので慌てて角に隠れた。そしてその白い人陰の後を追ってみると、あまり使われていない地下の階段へと通じる扉の奥へと消えていった。急いで自分も静かに中に入ってみると、もうそこには白い影がなかったという。
「俺が憶えているのはこれぐらいだ。これ以上は何も知らない」
「そうですか…、いえそれだけで充分です。やはり、ピアノの音ズレにはその幽霊が関わっているようだな」
「…ところで、シーラ。いつまで禅鎧に引っ付いているのかしら?」
「えっ…。あっ‥‥‥ご、ごめんなさい」
 パティが意地の悪い笑みを浮かべながらそう言われ、ハッと我に返ったシーラはすぐに掴んでいた禅鎧の衣服の袖を手放した。そして、頬を赤く染めたまま俯いてしまう。
「い、いや‥‥‥。俺の方こそ…」
 そんな話題を振った自分を詫びようとするが、恥ずかしさの余りそれ以上言葉が続かなくなる。照れ隠しに前髪を掻き上げると、咳払いを1つして話を続ける。
「それじゃあ、警備員さん。申し訳ないけど、その部屋まで案内して貰えませんか?」
「‥‥‥わ、分かった。それじゃあ、着いてきてくれ」
 まだ脅えてはいるものの、警備員は最後の力を振り絞るようにそう言った。
「‥‥‥さぁ、シーラ。行くわよ」
「‥‥‥う、うん」
 ポンポンとパティに背中を押される感じで、シーラは歩き始めた。

 ギィィィィィィ‥‥‥。
 扉が不気味なほどに軋む。その問題の階段は、リヴェティス劇場の東側に位置していた。扉を開くとそこには地下へと通じる階段と、2人分の広さの廊下が続いていた。
「如何にもな雰囲気の階段だな…」
「まずは明かりだな。『円月光輪』」
 ボウッ…。
 禅鎧の静かな声と共に、彼の左手にドーナツ状の光輪が具現化する。禅鎧が手を広げると、それはフワフワと浮かび上がった。それを見たシーラが、感嘆の声を上げる。
「うわぁ、すごい‥‥‥」
「これなら、半径2m以内を照らすことが出来るけど…。シーラ、あまり無理はしなくていい」
「…ううん、私は大丈夫だから」
 そうは言うものの、シーラも精一杯なのだろう。ここの階段に足を踏み入れてからというもの、ずっと禅鎧の袖を離そうとはしない。
「そうか‥‥‥。それなら、これ以上は何も言わない」
「…ありがとう、朝倉くん」
 シーラは禅鎧に向かって、小さく微笑んだ。禅鎧は照れ隠しに、前髪を持ち上げる仕草をする。
「クリスも、そっちまで光は届いてるか?」
「う、うん。こっちも大丈夫です。本当なら僕が、光の魔法で照らすはずだったんですが」
 最後尾のクリスもまた、少し脅えた口調で答えてくる。禅鎧は気にしなくていい…と、静かに言った。
「お、おい。本当に大丈夫なんだろうな?」
 警備員がクリス以上に脅えた口調でそう言ってくる。当初は扉まで案内する予定だったが、何か思い当たる節があるらしく着いてきたのだ。
「心配は入り‥‥‥。ん? 扉だ」
 真っ暗な廊下を歩いたその先には、古ぼけた扉が目の前にあった。ドアノブ以外は木製で、所々傷が付いている。
「ここは不要になった舞台道具を置くための物置のはず…。俺は当番じゃないから分からないが、週に1回の割合でしかここは巡回しない」   
 と、これは警備員。禅鎧は静かにドアノブに手を触れてみる。禅鎧の衣服の袖を掴んでいるシーラの手に、更なる力が加わる。
「朝倉くん、気を付けて‥‥‥」
「分かってる‥‥‥」
 ガチャッ…。
 古ぼけた扉が静かに開け放たれる。ドアの軋む音がまたも薄暗い廊下に、不気味なサラウンドを響かせた。そしてゆっくりと中に足を踏み入れる。中空に浮いている円月光輪が、部屋全体を照らし出す。
「何も起こらない‥‥‥か。まあ、何もない方がこっちとしてはいいんだけどな」
 サラサラした白い髪を掻き上げながらアレフ。そのアレフにしがみついているのは、他でもないクリスだった。だが、その言葉を禅鎧はあっさりと否定する。
「いや、既に起こっているな。この部屋、余り使われた形跡は見当たらないのに、掃除が行き届いている」
「た、確かに。ここを最後に掃除したのは、大体1ヶ月前のはず」
 警備員も、禅鎧の言葉に部屋の奇妙な現象に驚きの色を露わにする。
「‥‥‥クリス。悪いけど『精霊感知』使ってくれないか?」
「えっ? は、はい…!」
 突然禅鎧から指示を受けるクリス。一つ大きく深呼吸すると呪文の詠唱に入ると、クリスの身体がボウッと光り出した。そしてしばらくすると、魔法を解いて禅鎧の方に向き直る。
「微少だけど、何らかの精霊の波動を感じます」
「なるほどね。警備員さんが見た幽霊は、その精霊の波動に引き寄せられてここに足を踏み入れた可能性が高い」
「…そうだったのか。だが、肝心の幽霊は一体何処に‥‥‥」
 少し落ち着きを取り戻したらしい。警備員の口調は恐怖に震えていなかった。
「あ、朝倉くん…。これを見て‥‥‥」
 シーラが何かの紙を手にとって、禅鎧の元に足早に戻ってきた。
「これは、楽譜‥‥‥?」
 それは紛れもなく、禅鎧やシーラには見慣れた楽譜だった。破れた箇所など1つもなく、汚れも見当たらない。そして裏面の方に目をやった瞬間、禅鎧たちは言葉を失った。

『いつか僕も あのピアノを使って この劇場で この曲を弾きたかった』

 それを見た警備員の脳内で、引っかかっていたものが取れた。
「そうか、思い出したぞ。あの幽霊…、3週間前からここをよく利用してた若者にそっくりだった。最近姿を見せなくなったと思ったら、まさか死んでいたとは…」
「そんな‥‥‥、可哀想‥‥‥」
 シーラのソイルカラーの瞳が潤んだ。アレフたちも、幽霊の不幸な出来事を知り、何も喋ることが出来なかった。禅鎧も無言のまま、もう一度楽譜にじっくりと目を通す。
(コード進行もしっかりしてる。かなりの才能の持ち主だっ‥‥‥ん? この曲、まだ未完成だ)
 確かに残り10小節には、何も音符が記されていない。これで全部なのかと思ったが、終止記号が書かれていないし、コードも中途半端なところで終わっている。
「シーラ‥‥‥」
 禅鎧の穏やかな声に呼び掛けられて、シーラは禅鎧の顔に視線を向ける。
「‥‥‥この曲を完成させてやらないか?」
「えっ?」
 少し恥ずかしそうにそう言う禅鎧。話が飲み込めなかったシーラだが、禅鎧から手渡された楽譜を見て合点がいったようだ。
「そして、それを舞台の上で弾いてやる。それが彼に対しての、一番の供養になると思うけど‥‥‥」
 それを聞いたシーラの表情はパッと明るくなり、満面の笑顔で応えてみせた。
「うんっ! …ねぇ、朝倉くん。私にも、曲作りを手伝わせて下さい。同じ音楽家として、ピアニストとして、私もその人の事を弔ってあげたい」
 そう言うシーラの表情は、さっきまで恐怖に脅えていた彼女とは全く別物だった。一音楽家としての雰囲気を漂わせた、シーラ・シェフィールドだった。
「ああ、ありがとう。‥‥‥というわけだから、悪いけど少しばかり時間を貰えないか?」
「もちろんだ。どんな曲か、楽しみに待ってるからな」
「頑張って下さい! 期待してますから」
「フ〜ン。エンフィールドが誇る、天才音楽家2人による合作って訳ね。面白そうじゃないの」
 パティの誇大表現に、シーラと禅鎧は戸惑いの苦笑いを零す。
「そんな、パティちゃん。天才だなんて‥‥‥」
「ハハ…、それに2人じゃない。若くして命を失った、若き作曲家も入るんだからな」

 大道具室に戻った禅鎧たちは、事のあらましをウォンサーに説明した。禅鎧とシーラが執筆をしている間に、アレフたちはグランドピアノを舞台の上に移動させた。禅鎧とシーラは、別に用意された予備のミニピアノを使って曲作りにいそしむ。
「‥‥‥よしと。これで完成かな?」
「うん。ウォンサーさん、終わりました」
 執筆を終えた2人は、舞台のグランドピアノに集まっているアレフたちの元へと足を運んだ。
「え、もう終わったのかよ!? まだほんの10分程度しか経ってないぜ?」
「流石は、天才音楽家のお2人といったところじゃないの?」
 またもわざとらしい笑みを浮かべてパティが言った。
「パティちゃん‥‥‥!」
 頬を紅潮させて反論するシーラ。その表情が可愛らしく、パティはクスクスと笑うだけだった。シーラの後ろで、禅鎧も苦笑いを浮かべている。
「いや…、ほんの10小節埋めるだけだったからね。それにピアノ協奏曲だったから、この程度で済んだんだ」
「…でも、やっぱり2人は凄いですよね」
 クリスも感心したように、何回も頷きながらそう言った。
「さてと…。それじゃあ演奏するから、みんな客席に着いてくれないか?」
「…俺も聴いていって構わないだろうか。俺もあの若者の昇天を見届けてやりたいんだが」
 それはもちろん構わない…と禅鎧。より多くの観客に聴かせてやれば、その若者も浮かばれるだろう。アレフ・クリス・パティにウォンサー・警備員を加えた5人が、舞台から降り一番前の特別席に着いた。禅鎧も続けて舞台を降りようとするが…。
「朝倉くんも…、一緒に弾いてくれますか?」
「‥‥‥えっ? ああ…、そうだな」
 シーラは嬉しそうにクスリと微笑んだ。禅鎧は舞台の上に戻ると、懐から2個のシルバーリングを取り出し、それを両手の中指にはめた。
「あれっ? 朝倉くん、それは何なの?」
「‥‥‥気が付いた時には、これを持っていたとしか言えない」
 そう答えながら、簡単な指の運動をする。そして2人で話し合い、シーラが主旋律、禅鎧がバッキングを奏でることになった。
「‥‥‥連弾なんて、久しぶりだな」
「私もです」
 ポロロロン‥‥‥。
 禅鎧は足でテンポを4つ刻み、演奏が始まった。
「おお、ピアノの音ズレが直ってる‥‥‥」
 と、ウォンサー。アレフたちもどうやら同じ心境のようだ。とても初めてとは思えないほど、2人の演奏は息が合っていた。途中でリズムが狂うこともなく、優しく温かなメロディラインが空気を伝う。
「素敵な曲ね‥‥‥」
 パティは瞳を閉じて、耳だけに精神を集中させている。アレフはそれに腕組みを加えた体勢で2人の演奏に聴き入っている。
「こんな素晴らしい演奏は、今まで聞いたことがないな」
「凄いです。禅鎧さん、シーラさん‥‥‥」
 クリスやウォンサー、警備員もまた例外ではない。
 そしてクライマックス。ここからは、シーラと禅鎧が作ったパートになる。最後らしく、トリルやアルペジオが加わり、ピアノ協奏曲は更に厚みを増していく。やがてテンポはゆっくりとなり、最後の一小節もしっとりと演奏されて終わった。
 パチパチパチパチパチ!!
 アレフたちは惜しみない拍手を2人に送った。禅鎧は1つ大きく深呼吸すると、照れ笑いを浮かべながら前髪を掻き上げた。シーラも立ち上がり、照れながらもアレフたちに向かってお辞儀をした。と、その時。
 コオオオオオ‥‥‥。
 グランドピアノが青白く輝きだした。咄嗟にピアノから離れる2人。アレフたちはすかさず舞台に駆け上がり、2人の元に駆け寄る。やがてピアノから1つの光の球が浮かび上がると、それは徐々に人間の形を形成していった。
「あれは‥‥‥まさか!」
 警備員が言った。禅鎧たちもおおよそ分かったようだ。禅鎧と同い年ぐらいのその若い青年は、まさしく劇場内で噂された幽霊であると。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 その青年は何かを語りかけているが、声は禅鎧たちには聞こえなかった。そしてこちらに微笑みかけたかと思うと、青年の姿は光の球へと戻り、瞬く間に劇場の天井を通り抜けて消えていった。
「朝倉くん‥‥‥、上手くいったんだよね?」
「ああ…。無事に天へと召されていったようだな」
 心配そうに禅鎧に尋ねるシーラだったが、すぐに嬉しそうに、満足げに微笑んだ。
「あっ! みなさん、ピアノの音が元に戻っていますよ。私、早速劇場主の所に行ってこれを伝えてきます。本当にありがとうございました!」
 完全にピアノの音ズレは無くなった事を確認したウォンサーは深々とお辞儀をすると、一目散に劇場主の所へと走っていった。
「やったな、禅鎧! シーラ!」
「僕、感動しちゃいましたっ!」
「やったわね、2人とも!!」
「そ、そんな‥‥‥。私なんて何も‥‥‥」
「もうっ! シーラ、ここまでやっといて謙遜するのは失礼な事よ?」
 苦笑いを浮かべつつパティ。ふと何かを思い出したシーラは、禅鎧の元に歩み寄ってくる。そして、照れくさそうに微笑みかけた。
「本当にありがとう、朝倉くん‥‥‥」
「‥‥‥いや、礼を言うのは俺の方だ。ありがとう‥‥‥」
 静かにかぶりを振り、照れ隠しにそう言う禅鎧。シーラは嬉しそうに微笑み、そのまま俯いてしまった。
 その後、ウォンサーを通じてシーラはもちろん、ジョートショップにもグランドピアノは売られることはなく、再びリヴェティス劇場で使われる事になった事が伝えられたことを付け加えておく。

「けっこう大きな街ですね‥‥‥」
 エンフィールド全体を見下ろせる程の丘の上から、1人の青年が街並みを眺めていた。澄み渡った青空を彷彿とさせるようなロイヤルブルーの髪の毛。そして、全てを見透かしているかのような蒼き瞳。何が入っているのだろう、背中にはギターを象ったような若干大きめの黒い袋を提げている。
「環境も良好、大きな建物もけっこう多い。まさかこんな所に、これほどの規模の街があるとは‥‥‥」
 そして『Enfield』と刻まれた大理石の門をくぐり抜け、街へと続くコンクリートの階段を降りていった。
「今度こそ、君を発見できることを祈ってますよ、朝倉禅鎧。いえ‥‥‥『隼霧龍矢』」

To be continued...


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