中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「BLUE gate Open」 輝風 龍矢  (MAIL)

The last song

第19章:BLUE gate Open

 禅鎧は夢の中にいた。それはここエンフィールドを訪れてからというもの、継続的に見続けている夢だった。いつものように遠近感のない、無機質な暗闇の中に禅鎧はポツリと佇んでいる。だが、これまでと違っていたところは、自分は今それまで夢の中で血眼になるほど探し回っていた扉の目の前にいた事だった。
 此処しばらくの間、ジョートショップでの仕事の疲労のせいもあってか、最近夢と呼べる夢‥‥‥記憶に濃く刻まれるような夢を見ていなかった。最初にこの夢を見たのは、意識不明の状態でジョートショップのベッドの中。2度目は自警団事務所の地下拘置室の中。そして今回は、再びジョートショップのベッドにて。
「‥‥‥またこの夢か」
 不思議と禅鎧はその夢を見ることに、徐々に安心感を憶えるようになっていた。これまでに夢を見なかったという事も、それを盛り上げているのかもしれない。
 禅鎧はその微妙な輝きを見せている扉の取っ手に手を伸ばした。中からなのだろう、青白い光が扉の形を縁取るように漏れている。それもまた、これまでに見た夢ではなかった事だった。
 スウ‥‥‥‥。
 その扉は軋む音1つ出さず、何の抵抗もなく開け放たれた。ひょっとしたら、また中から突然光を浴びせられるかと思ったが、そのような事は起こらなかった。
(やはり、中は劇場か‥‥‥。しかし‥‥‥)
 中もまた、以前と同じように劇場となっていたが、空間の雰囲気が一変していた。全てが『青』を主体としたカラーリング。段々状に所狭しと設置された、青の観客席。ステージに取り付けられた蒼い幕と緞帳。ステージを照らす蒼白い光は、ろくに明かりのともっていない観客席をぼんやりと照らしている。そのステージの壁には、いつものように何らかのスクリーンが取り付けられてあった。ふと天を仰いでみると、そこにはまるで天井がないかのように漆黒の闇が腕を下ろしていた。
(また何かの映像が映し出されるのだろうか?)
 とりあえず禅鎧は、いつものように半ば光が当たった中央の席に座ることにした。青い絨毯が敷き詰められた通路を降りていき、目当ての席に腰を下ろすと同時に、ステージ上を照らす光の量が少なくなり、不気味なほどに青く照らされた状態になった。そして、スクリーンに何らかの映像が映し出された。
(‥‥‥‥‥‥?)
 まず一番始めに禅鎧の目に飛び込んできたのは、草木の生い茂った深い森だった。小鳥たちのさえずりや、木々のざわめき。暖かそうな光のカーテンを創り出す木漏れ日。
 シュッ‥‥‥!
 突然何かの黒い人影が横切った。それは器用に深々と生い茂った草木の中をくぐり抜けている。そしてそれを包囲するかのように、数個の光の球が追跡している。
 バシュッ!!
 やがてその影から、パチンコ玉大の小さな光球が、浮遊している光の球めがけて数発打ち出された。見事命中すると、光の球が白い音を立てて散り散りに砕け散った。すると別の光球は充分な距離を取り、レーザーのようなもので反撃を始めた。人影は素速くそれをかいくぐり、もう1つの光球へと急接近した。その瞬間、その人影の正体が明らかになった。
「‥‥‥あれは、俺なのか?」
 思わず声を出してしまう禅鎧。ロイヤルブルーの細い瞳を始め、余計な筋肉がついていない身体付きまで、自分にそっくりだった。ただ1つだけ違うところを挙げるとすれば、髪の毛の色だった。禅鎧の髪の毛は瞳と同じ色のはずなのに、スクリーンの中の禅鎧は銀髪だった。
 シュン‥‥‥。
 スクリーンの中の禅鎧は、さらにもう1つの光球を手刀で真っ二つにしていた。そこに間髪入れずに別の光球から反撃が入り、それもまた素速い身のこなしで楽によけた。ランダムに生えている樹木にぶつかることなく、茂みや雑草に足を取られることなく、禅鎧のその浮遊した謎の光球を仕留める行動が繰り返されている。
(‥‥‥この光景は、何処かで)
 またも禅鎧の頭の中で強烈な既視感が生まれた。思わず前髪を持ち上げるように、額に手を当てる。記憶の空間を何度も探してみるものの、どうしても思い出すことが出来ない。だが、その既視感に更に追い打ちをかけるような光景が禅鎧の目に飛び込んできた。
 スクリーンの中の禅鎧は、既に全ての浮遊する光球を消しており、しばらくすると森の出口が見えてきた。出口の先にあったのは、実に見晴らしの良い小高い丘の上に出来た中規模の平原だった。半ば飛び出た崖の方には大きな一本杉が生えていた。
 『朝倉禅鎧』は1つ大きく深呼吸すると、その一本杉の方へと歩き始めた。丘の上を吹き抜ける風が、身体の火照った『禅鎧』にはとても快く感じられた。一本杉まで辿り着くと、幹に身体を預けるようにペタリと座り込んだ。しばらくして‥‥‥。
「フゥ…。やっと森を脱出することが出来ましたか‥‥‥」
 もう1つの人影が森の方から姿を現した。
(‥‥‥‥あれはっ!)
 禅鎧と同い年ぐらいだろうか。ロイヤルブルーの髪の毛と瞳。禅鎧よりもいくらか長身で、スレンダーな体型。整った顔つきはかなり魅力的だ。その青年に、禅鎧は見覚えがあった。それはまさしく、2度目の夢に出てきた青年にうり二つ…いや、同一人物だった。
 青年は周囲を見渡し、一本杉にもたれ掛かるように座っている『禅鎧』の姿を発見すると、苦笑いを浮かべながら彼の元へと歩いていった。
「アハハ…、流石ですね。また貴方が一番ですか‥‥‥」
 透き通っているかのような、かなりの美声の持ち主だ。その口調は嫌味でも皮肉でもなく、限りなくさっぱりとしていた。
「‥‥‥『凍司』か」
「これで、あなたの11勝10敗ですね」
「‥‥‥勝敗なんて関係ない」
 苦笑いを浮かべつつそう応える『禅鎧』。凍司…と呼ばれた青年…は自分もその一本杉に寄りかかる。 
 『凍司』と呼ばれたあの青年、やはり何処かで見覚えがある…。誰だ? 彼は一体、何者なんだ? そしてこの奇妙な親近感の正体は‥‥‥。
 禅鎧の頭の中で様々な思考が渦巻いていた。だが、何か別の力がそれを抑制しているかのように、出すべきものを出すことが出来ない状態がずっと続いている。
 『禅鎧』と凍司はしばらくの間、一本杉の元で無言で身体を休めている。やがて、凍司は『禅鎧』の方に振り向き、口を開いた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
 なぜかその部分だけは声が聞こえなかったが、禅鎧は凍司の口の動きを読み取った瞬間、我が目を疑った。
 パアアアアアアアアアッ!!
 それと同じくして、またいつものように真っ暗な天井から、目映いばかりの光が襲いかかってきた。青を基盤とした劇場は、瞬く間に真っ白な空間へと姿を変えた。映像の方はまだ続いていたようだが、既にもう何も見えなくなっていた。
「くっ…! また、こんな中途半端なところで終わりなのか…?」
 急に身体が軽くなったと思ったが、それは自分の身体が浮遊していた為だという事がすぐに分かった。そして禅鎧は何の抵抗もできないまま、またも光と融合するように消えていった。

 チュン、チュン‥‥‥。
 ジョートショップの自分の部屋で、いつものように静かに目を覚ました。だが身体中が汗だくの為、肌にくっつくパジャマの感触が気持ち悪い。禅鎧は静かにベッドから起きあがり、椅子の上に置かれた私服を身につける。
 シャアアッ!!
 カーテンを開けると同時に、窓際に止まっていた小鳥が一声に飛び立った。窓を開ければ、朝の新鮮な空気があっという間に室内を埋め尽くした。そんな日常的な風景を見ているうちに、禅鎧の思考は徐々に現実世界へと戻ってくる。
(『リュウヤ』…。あの『凍司』と呼ばれた青年は、俺の事をそう呼んでいた。‥‥‥どういうことなんだ?)
 ひょっとして、俺の記憶が無いことと何か関係が…? そこまで考えて禅鎧は、頭を軽く左右に振って思考を完全に現実の方へと向ける事にした。
(…まあ、それは今の状況を何とかしてからでも遅くはないな)

「おはようございま〜す!」
 午前10時を回る頃、いつものようにアレフたちが尋ねてきた。今日のメンバーは、アレフ・エル・リサの3人のようだ。シーラはピアノのレッスン、パティは店番、トリーシャとクリスとマリアは、学校がある為に手伝いに来られなかった。
「あら、アレフくん。おはよう…」
「おはようございますッス〜」
「これはこれはアリサさん。今日もまたお美しくていらっしゃる‥‥‥痛てっ!」
 得意のイントネーションを和らげた美声で挨拶をするアレフは、後ろから誰かにどつかれたようだ。
「朝っぱらからアリサを口説こうなんて、全く良い度胸してるね」
「痛ってぇなエル。別にいいじゃねぇかよ、ねぇアリサさん?」
 だがアリサは「フフッ…」と微笑んでいるだけだった。しばらくして、2階から携帯型エーテルシンセを抱えた禅鎧が降りてきた。
「おーっす、禅鎧! ちゃ〜んと起きていたようだなっ」
「‥‥‥アレフ、幾ら何でも朝倉がこの時間帯に寝ている訳ないだろう」
 性懲りもなく調子の良い事を言うアレフに、呆れたようにリサが忠言する。
「まあ、いつもと比べれば今日は遅かった方だけどな…」
「へえ〜。なんか悪い夢にでもうなされてたのか?」
 苦笑いを浮かべている禅鎧に、けっこう鋭いところを追求してくるアレフ。しばし間を置いてから禅鎧は再び口を開いた。
「‥‥‥そんなところだ。ところで、エル…だったか。エルも仕事を手伝ってくれる事になったのか?」
 リサが仕事を手伝いに来たのは今回が初めてだ。リサはパティを通じて仕事を手伝うように頼まれていた。
「ああ…、トリーシャに頼まれてね。それに、アタシもアリサにはたくさん世話になってるからね。それらを引っくるめて、返事2つで手伝うことになったんだよ。ま、暇があったら手伝いにきてやるから宜しく頼むよ」
「いや、それだけで充分だ」
 そう言いながら、書類が閉じられたファイルをテーブルの上に並べる。今日はいつもよりも若干少なめだとは、禅鎧の言葉だ。
「そういえば今日は禅鎧には、パティとの約束があったな。それなら、その分アタシたちが多めにやっておいてやるよ」
 ハッと何かを思いだしたようにリサ。
「? 何の約束‥‥‥。ああ、あの時にかわした『交換条件』のことか」
 アレフの言う交換条件。それは以前起こった連続強盗事件の犯人を捕まえる際に、犯人を誘き寄せる場所として『さくら亭』を使うために取り交わしたものだった。
「そういう事だ」
 そう言いながら、手に持っていたエーテルシンセをアレフに見えるように軽く持ち上げる。取り交わした条件の内容、それは『週に3回の1ヶ月間、さくら亭で弾き語りをやる事』だった。毎日ではないところが、パティのささやかな気遣いなのだろう。
「でも交換条件というよりは、仕事の依頼のような気がするんだが‥‥‥」
「最初からパティは、条件なしで了承するつもりだったんじゃないのかい?」
「パティ自身が、ただ聴きたいという事もあるかもしれないね」
 そんな会話をやりとりしているうちに、4人全員の仕事の分担が終了した。パティとの約束がある禅鎧の分をカバーするように、他の3人は仕事を選んだ。
「それじゃあ、今日も宜しく頼む」
「みんな、いってらっしゃいッス〜!」

「さて…と。とりあえずは、宿を探すことにしますか」
 太陽が真南にさしかかる頃に、エンフィールドを訪れた青髪の青年は、とりあえず宿を探すことにした。
「如何致しましたか?」
 祈りと灯火の門前でしばらく佇んでいる青年を不審に思ってか否か、詰所にいた衛兵の1人が声を掛けた。
「いえ…。ちょっと、宿を探そうと思っているのですが‥‥‥」
「ああ、それでしたら‥‥‥」
 衛兵は現在の位置からさくら亭までの道筋を、細かいところまで丁寧に説明をした。そして、エンフィールドの縮尺地図を青年に渡した。
「分かりました…。ご丁寧な説明、感謝いたします」
 妙に改まった言葉遣いで、更には深々と紳士的に頭を下げられたために、その衛兵は少し戸惑ってしまった様子だ。そこでふと何かを思いだし、青年は別の質問を衛兵に投げかけた。
「‥‥‥ああ、それと。この街に銀色の髪をした、僕と同い年ぐらいの青年を見かけませんでしたか?」
「? いえ…、見ておりませんが」
「そうですか…。ありがとうございます」
 表情にこそ現さないものの、その声は若干残念そうだった。無理だとは分かっていたものの、何故か尋ねずにはいられなかった。
(‥‥‥とりあえずは、宿に辿り着くのが先決ですね)
 そう心の中で呟くと、再び歩き始めた。
 しばらく歩いていると、ある1つの建築物…『グラシオ・コロシアム』が青年の目に留まった。太陽の光が眩しすぎて、はっきりと確認は出来ないものの、かなり古い建物であることは容易に分かった。かなり遠くに建てられているものの、何らかの歓声が聞こえてくる。
(どうやら、コロシアムのようですが…。腕試しに参加してみるのも悪くありませんね)
 それとはまた別の何かをその古い建物に感じながらも、青年は比較的静かなエンフィールドの街路を歩いていた。
 ムーンリバーに掛かった橋を渡り『ルクス通り』に入る。正午を少し過ぎた頃だったため、昼食の買い出しなどで道沿いに出された露天商は賑わっていた。ろくに歩けないほどではないが、それでも街の規模に適した賑わいと言えよう。
「あれか‥‥‥‥‥」
 しばらく道なりに歩いていると、ちょうど右手の方に『さくら亭』という看板が付けられた3階建ての建物が見えてきた。かなり賑わっているところが、外からでも確認できた。
「‥‥‥‥‥?」
 店に入ろうとした瞬間、出入口に張ってあった張り紙に目が行った。
『本日夕方 特別なミニイベントを開催いたします −店主−』
「へえ…。これは面白そうですね」
 貼り紙の内容を確認すると、やっと青年は店内に足を踏み入れることにした。
 カランカラン‥‥‥。
「あ、いらっしゃ〜い」
 カウベルの音に反応して、他の客が青年の方に視線を移すが、すぐに興味が失せたかのように自分たちの空間へと戻っていった。予想通り店内はかなり賑わっていて、とてもじゃないが座る場所などないに等しかった。青年は、3つ空いたカウンター前の席の真ん中に腰を落ち着けた。足下にソフトケースを立て掛ける。
「ご注文は?」
 栗毛色のショートボブの少女…パティが青年に声を掛ける。彼女の後ろの壁に掛けられたメニューを一通り見た後、日替わりランチAを注文した。
「あなた、この辺じゃ見ない顔だけど。ひょっとして、旅の人?」
 慣れた手つきでキャベツを千切りにしながら、パティが尋ねてくる。
「…そんなところですね」
「フ〜ン‥‥‥」
 調理の手を休めて、パティは青年をしげしげと見やる。怪訝に思って、青年は彼女に尋ねてみた。
「‥‥‥僕の顔に何かついてますか?」
「あっ…ううん、何でもないの。ただ、雰囲気が知り合いに似ていたものだから‥‥‥」
 ハッと我に返ったパティは、再びいそいそと調理の手を動かし始めた。熱湯が入った鍋にパスタを入れて、グツグツと茹で始める。
「‥‥‥外の貼り紙を見たんですが、一体何があるんですか?」
 ふと青年は、今日このさくら亭で行うという、ミニイベントの内容を聞いてみることにした。
「う〜ん、本当はその時になってからのお楽しみなんだけど…。いいわ、聞かせてあげる。『弾き語り』をやるのよ。小規模なものだけどね」
「弾き語り‥‥‥」
 ふと青年は、銀髪の青年のことを思いだした。彼もまた音楽に大いに興味を持っていて、特に鍵盤系の楽器に対しては能力がかなり突出していた‥‥‥。『弾き語り』といえば、大抵は吟遊詩人がハープやリュートを奏でながら、物語や伝記などを朗読するもの。鍵盤系の彼には関係ないようですね…と、とりあえず話を聞き流すことにした。
「はい、お待たせ」
 そう言ってパティは、青年の目の前にミートソーススパゲティとサラダを配膳した。
「‥‥‥弾き語りというと、吟遊詩人か誰かを呼ぶのですか?」
「フフーン…、ところがそういうわけではないのよね。さ、それより冷めないうちに食べちゃって」
 何かもったいぶったような笑みを浮かべつつ、パティ。話の先が全く見えない状態のままだが、青年は出されたスパゲティを食べることにした。
 数十分後‥‥‥。
「御馳走様でした」
「…けっこうゆっくり食べる方なのね。食後のサービスとしてコーヒーがあるけど、飲む?」
「…それも頂くことにしますよ」
 青年の答えを聞くと、カウンター下の食器棚からコーヒーカップを取り出し、ほんのりとしたコーヒーの香りを帯びたサイフォンから、コーヒーを注ぐ。スティックシュガーとミルクを添えて青年の前に出す。それと入れ替わりに、空になった皿を水を溜めて置いた流し台に付ける。
 青年はミルクと砂糖をサッとコーヒーに溶かし、軽く一啜りする。
「ところで、此処は宿もやっていると聞きましたが?」
「ええ、そうよ。宿屋兼大衆食堂の『さくら亭』だからね」
「これを飲み終わってからで結構ですから、宿泊の手続きをさせて頂けませんか?」
「もちろんOKよ」
 静寂の笑みを浮かべながら、青年はコーヒーをもう一啜りした。
 とりあえずこれで宿を確保することは出来た。この後、どうするべきか? しばらくここに止まって、写真の青年を探すべきか。もしくは明日になったらすぐに別の街へと移動するか。いろいろと考え込んでいるうちに、コーヒーは空になっていた。
「それじゃあ、宿の手続きをお願いできますか?」
「ええ、分かったわ。‥‥‥それじゃあ、これに記入してくれる?」
 パティはかなり使い込まれていると思われる宿帳を、青年の前に差し出した。青年はそれにサラサラと必要事項を書き込んでいく。
「『壬鷹 凍司』? 変わった名前ね」
「ハハ…。よく言われますね‥‥‥」
 苦笑いを浮かべながら凍司。懐から財布を取り出すと、宿代と昼食代をまとめて支払った。
「ありがとう。あなたの部屋は、3階の一番南側の角部屋よ。これが部屋の鍵」
 部屋の鍵を受け取り、ホルダーに刻まれた部屋番号を確認する。とそこへ…。
 カラン、カラン‥‥‥。
「あ、いらっしゃー‥‥‥って、なーんだアレフにクリスか」
「ああ。ちょうど、仕事が終わった所なんだ。その帰り道にクリスと会ってな、こうやってさくら亭に足を運んだ訳だ」
 説明口調でアレフ。2人は凍司のすぐ左隣に並んで席を取った。
「僕、何か冷たいものをお願いします」
「俺も同じく。あと、軽食で何かテキトーに作ってくれ」
 2人と入れ替わるように、凍司は席を立ち上がり大きめのソフトケースを抱えて部屋へと向かおうとする。が、しかし‥‥‥。
「パティ…。外の貼り紙見たけど、やっぱりアレか?」
「ええ。もちろん、禅鎧の弾き語りよ」
「うわぁ〜、楽しみだなぁ」
「‥‥‥何だって!?」
 思わず声を挙げて、そちらの方向へ振り向いてしまう凍司。アレフたちは、驚きのあまり凍司の方を見やったまま硬直してしまう。他の客もまた、一声に視線を凍司の方へと集中させた。
「…ど、どうしたの?」
 その硬直を解かしたのはパティだった。怪訝な表情で凍司にそう問い掛ける。
「コホン、失礼…驚かせてしまって。‥‥‥今、『禅鎧』と言いましたね? もしかして『朝倉禅鎧』という名前ですか?」
 コホンと咳払いを1つした後に凍司。それを合図に、他の客たちの視線はそれぞれ各々の箇所へと戻っていった。
「え…ええ、そうよ。でもどうしてその事を‥‥‥」
「本当に彼はそう『名乗っていた』のですか…?」
「ああ、そうだけど。‥‥‥ひょっとしてあんた、禅鎧の知り合いか?」
 アレフの言葉に、凍司は静かに頷いた。そして肩に掛けようとしていたソフトケースを再びカウンターに立て掛け、元いた席に腰を下ろした。
「彼のこと‥‥‥。詳しく聞かせていただけますか?」

 一方その頃、禅鎧は最後の仕事を終えてさくら亭に向かっていた。途中、一緒になったトリーシャとマリアも、禅鎧の演奏を聴きたいと言って着いてきている。
「ねえ禅鎧さん、どんな曲を披露してくれるの?」
「ああ…。自分の曲はもちろんだが、観客たちのリクエストにも応えようと思ってる…」
「ホントに!? わぁ〜、楽しみだなぁ」
 禅鎧の演奏が楽しみでしょうがない事が、2人の目の輝きから容易に見て取れた。
「マリアね、とっても楽しい曲が聴きたい〜」
「あ、マリアちゃんずる〜い。じゃあボクは、ちょっと静かな曲がいいなあ…」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 そんな2人をよそに、禅鎧は妙な胸騒ぎを憶えていた。そしてそれは、さくら亭に近づくにつれて大きくなっていっている。それは昨夜、例の不思議な夢を見ていた時の感覚に酷似していた。
「‥‥‥がい。禅鎧っ! 聞いてるの?」
 声を掛けられて、そこでハッと我に返る。マリアが「ぶうっ☆」と頬を膨らませてこちらを睨んでいた。
「マリアたちのリクエスト、応えてくれるわよね?」
「‥‥‥時間のある限りは」
 静かな口調で禅鎧。それがマリアには曖昧に聞こえたためか、あまり納得した表情ではなかった。
 弾き語りの告知の貼り紙がされた『さくら亭』に辿り着く。扉を開けると、中の喧騒が一気に鼓膜を刺激してきた。
 カラン、カラン‥‥‥。
「いらっしゃ〜‥‥‥禅鎧! 待ってたわよ」
 カウンター奥から、パティが呼び掛けてくる。その側にはアレフとクリスに加えて、仕事から戻ってきたリサやエルもいた。そして‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥!!」
 自分と同じ青髪の青年‥‥‥凍司に目を向けた瞬間、禅鎧の表情が硬直した。そこには、夢の中に出てきた謎の青年と、そっくりな人物がいたからだ。妙な胸騒ぎの原因は、凍司であることがすぐに分かった。トリーシャとマリアは何事かと、凍司と禅鎧に交互に見回している。
「‥‥‥‥‥‥! 龍矢」
 スッと席から立ち上がり、凍司はゆっくりと禅鎧の元に歩み寄ってくる。
 凍司には確信があった。髪の色こそ全く違うものの、体型から雰囲気まで全てが探していた青年に酷似していた。
「‥‥‥‥あんたは?」
 目を閉じて一度大きくため息をついてから、禅鎧はいつもの静かな口調でそう言った。
「やはり、思っていたとおりでしたか。まだ最‥‥‥、記憶は戻っていないようですね」
 一瞬何か別の事を語ろうとしたが、すぐに別の言葉を紡ぎあげた。とても残念そうに、だが冷静な口調で凍司はそう言った。
「ね…、ねえ凍司。一体どういう事なの?」
 2人の間に流れる張り詰めた雰囲気を何とかしようと、パティは凍司に恐る恐る問い掛けてみる。凍司は静かに彼女を見やった後、静かにかぶりを振った。
「‥‥‥僕の口からは、全てを語るわけにはいきません。ただ今言えることは、僕はこの朝倉禅鎧、いえ‥‥‥『隼霧龍矢』の昔からの友人であるということだけです」
「ハギリ…、リュウヤ‥‥‥?」
 その言葉を聞いた瞬間、禅鎧…龍矢は原因不明の頭痛に襲われ、立ちくらみを起こした。彼のアストラルヴィジョンに、昨夜見た夢のイメージ、それとはまた別のイメージが一気にリフレインしてきた為だ。龍矢もまた必死に何かを思い出そうとするが、それはすぐに散り散りとなって消えていった。
「お、おい禅鎧! 大丈夫か?」
「禅鎧さん、しっかりして!」
「‥‥‥うっ。あ、ああ…心配いらない」
 うっすらと滲み出てきた冷や汗を拭い去ると、大きく深呼吸をして再び立ち上がる。
「パティ、準備は出来てるか?」
「‥‥‥え、ううん。ちょっと待ってて。リサにアレフにクリス、悪いけどちょっと手伝ってくれる?」
「それは構わないが…。でも、大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だ…。自分の身体のことは、自分が一番良く知っているからな」
 そう言いながら、龍矢はしょっていたソフトケースから楽器を取り出した。
「それは‥‥‥まさか、『エーテル・シンセサイザー』ですか?」
「…ああ、その通りだ」
「‥‥‥やはり、貴方は龍矢に間違いないようですね」
 クールな優しい笑みを浮かべながら、凍司はそう言った。
「何だい? そのエーテル何とかってのは?」
 エーテルという言葉に興味を惹かれたのか、エルが尋ねてくる。
「龍矢のもっている楽器の名前ですよ。さてと、それなら僕もお手伝いしますよ」
「ありがとう、助かるわ」
 そう言うと、龍矢とエルを除いた全員が立ち上がり、中央のテーブルに座っていた客に説明をしてから、そのテーブルを別の場所に移動させた。他の客もそちらの方に視線を移し始めるが、出入口の貼り紙を見た客とそうでない客によって反応は様々だ。
「おう。何か始まるのかい?」
「何だお前、入口の貼り紙見なかったのかよ? 今からイベントがあるんだよ」
「そう言えば以前、予告なしで似たような事があったな…」
 そのような会話が、1つのテーブルから他のテーブルへと一気に伝わっていった。
 ちょっと大きめの椅子を中央に置いて全ての準備が完了した。
「禅鎧…じゃなかった。龍矢…でいいわよね? 準備OKよ」
「ああ、ありがとう‥‥‥」
「龍矢…、ちょっといいですか?」
 用意された椅子に座ろうとしたとき、立ち去る寸前の凍司が声を掛けてくる。
「最高の演奏を期待していますよ…」
 凍司の激励の言葉に、龍矢はクールな笑みを浮かべた。
「もちろん、言われるまでもない」
 その答えを聞いた凍司は満足げに微笑み返すと、アレフたちと一緒に元の席に戻った。
「さあみんな、お待たせ。今日の特別イベントの始まりよ!」

To be continued...

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