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「Daydream Cafe」 輝風 龍矢  (MAIL)

The last song

第20章:Daydream Cafe

 パチパチパチパチパチパチパチ‥‥‥!!
 禅鎧の演奏が終わると同時に、またもさくら亭は拍手の渦に飲み込まれた。禅鎧もまた、満足げな笑みを浮かべていた。
 こうして禅鎧が演奏をし始めて1時間以上が経過していた。その間にも、さくら亭への来客数は鰻登りに急上昇をし始め、今ではさくら亭の外までにも溢れかえっているほどだった。
「ホント…、禅鎧の演奏ってすごいわね」
「全くだ。見ている者全てを魅了しているかのようだな」
 そんなアレフの台詞を聞いてか、リサは思わず吹き出してしまった。
「…アレフにそんなガラにもない台詞を言わせるくらいにね」
「リ、リサ…。『ガラにもない』ってどういう事だよ?」
「そのまんまの意味さ」
 苦笑いを浮かべて反論するアレフだが、リサは自分の発言を訂正することはなかった。エルは目を閉じて、指でリズムをとりながら演奏に聴き入っている。その傍らでは、凍司は静かな笑みを浮かべつつも、禅鎧を見守っていた。
(腕は落ちていない…。むしろ、更に頭角を現してきたというべきか)
 心の中でそう呟く。それは自分の記憶の中にある、過去の禅鎧の姿と重ね合わせながら、じっくりと分析をした結果、凍司が得た結論だった。指の使い方も滑らかに、そして独創的にもなっていたし、ハイテンポのフレーズでは、よほど動体視力が優れた人間でない限りは、禅鎧の指が見えないであろう。
「おい兄ちゃん、今度はオレのリクエストに応えてくれよ」
「OK、分かったよ。何の曲がいい?」
 その客からリクエストの曲を聴くと、頭の中でその曲の譜面を思い出してから、客にOKの返事を送る。普段通り1つ大きく深呼吸した後、再び禅鎧の演奏が始まった。それと同時に、観客のざわめきはおさまる。
「凍司…だったよな?」
「そうです。何でしょうか?」
 他の客に迷惑が掛からないように、アレフは凍司の隣りの席に座ってから小声で話しかけた。
「禅鎧が音楽を始めたっていうのは、いつからなんだ?」
「僕が龍矢と知り合ったのは14の時でしたからね。もうその時には、やってたみたいですよ」
 それを聞いたアレフは、なるほどな…と納得したようだ。ということは、少なくとも5年以上のキャリアを持っているということになる。とそこへ、トリーシャが割って入ってきた。
「ねえねえ、さっきから気になってたんだけど‥‥‥。禅鎧さんって歌ったりしないの?」
「‥‥‥気が付きましたか」
 静かな口調で凍司はトリーシャの意見を肯定した。トリーシャの言葉通り、禅鎧は演奏はしているものの歌うことは今までで一度もない。歌うのかと思えば、それはただの詞の朗読であったりするだけだった。
「そう言えばそうだな‥‥‥」
 アレフもトリーシャに指摘されて気が付いたようだ。
「ねえ、2人して何を話しているのよ?」
 野次馬のように、マリアもグループの輪の中に加わろうとしてくる。
「マリアか…。言っておくが、2人じゃないぜ」
 アレフは凍司の方にマリアを促すように目配せをした。マリアの方に顔を向けると、凍司は優しい笑みを彼女に向けた。
「? …ねえ、あんた誰なのよ?」
「壬鷹凍司といいます。龍矢とは昔からの友人なんですよ」
「リュウヤ‥‥‥?」
 マリアが頭の上に疑問符を浮かべたので、凍司は『朝倉禅鎧の本名ですよ』と付け足すが、マリアはまだ合点がいかない様子だ。
「う〜っ、ややこしいわね。…そだ、いっそのことどっちかに統一したらどう?」
「それは考えていましたが、本人の了承なしに勝手に統一する訳にはいきません」
 凍司はあくまで冷静だった。マリアも「ぶ〜☆」と怒るかと思われたが、さすがにその辺の事についてはちゃんと理解しているようで、「あっ、そっか」と唇に人差し指を当てる。そんなマリアの反応を確認した凍司は静かな笑みを浮かべると、話題を元に戻すことにした。
「ところで、聞きたい事は全く別の事なんじゃないんですか? ‥‥‥え〜と」
「マリアだよっ☆ マリア・ショート」
「どうして禅鎧は歌わないのか、話してたんだよ」
 アレフの言葉に、マリアは怪訝な表情を示した。
「えっ、そうなの? マリアは今日初めて聴いたから良く分からないけど、音痴なんじゃないの?」
 アレフの説明を聞いて、まず一番始めに思い浮かんだ思考を口にするマリア。トリーシャは思わず苦笑いを浮かべる。
「マリア…、禅鎧さんは自分の曲も演奏してるんだよ? 音痴だったら、あんな素敵な曲作れるわけないよ。ねえ、えーっと‥‥‥、凍司さん?」
「アハハ…。でも、彼女がそう思うのも無理はありませんよ」 
 と、苦笑いを浮かべて凍司。
「禅鎧って、けっこう美声だと思わないか?」
「…そうね。歌わないのはちょっと勿体ない気がするわ」
 パティもまた凍司たちの輪の中に入ってくる。それを聞いてか否か、凍司は意味ありげな笑みを浮かべながら口を開いた。
「そんなに言うのであれば、聴かせてあげましょうか?」
 その言葉を聞いて真っ先に驚きの声を上げたのはトリーシャだった。
「えっ? でも禅鎧さんは歌いたくないんじゃ…」
「僕はそんな事一言も言ってませんよ。龍矢もちゃんと条件がそろえば、歌ってくれます」
 凍司の発した『条件』は分からないが、アレフたちは期待に満ちた笑みを演奏中の禅鎧に向けた。ちょうどその時、リクエスト曲を弾き終わった時だったために、客たちから渦巻くような拍手の洗礼を受けていた。
 凍司はカウンターに立て掛けておいた、中型のソフトケースに手を掛ける。漆黒のそれは、アコースティック・ギターを象ったものだった。
「おっ? やっぱり凍司も楽器を持ってるんだな」
「という事は、凍司さんも一緒に演奏するんだね? うわぁ、楽しみだなぁ」
 胸の前で両手を絡ませながらトリーシャ。静かな笑みを浮かべながら、凍司がケースから取り出したもの。それは‥‥‥。
「うわぁ…。何か…格好いいわね、それ」
 パティたちは思わず感慨に満ちた溜め息を漏らした。凍司が取り出したそれは、ギターのように六本の弦が張られている所以外は、すべてアレフたちの想像を越えていたものだった。ネックとフレット以外のすべてが、プリズムのような透明な物質で作られていて、デリケートな印象を与える。またギターにしては共鳴孔が空いておらず、代わりに小さな摘まみが数個ほど付いている。軽量化の為だろうか、比較的薄っぺらい設計になっていた。
「凍司、それはギターなのか?」
「それには違いありません。ですが、中身は皆さんの考えているギターとはちょっと違います。…そうですね、龍矢のエーテルシンセと同じようなものです」
 ということは、かなりの腕じゃないと使いこなせない訳だ…とアレフは心の中で納得する。一見嫌味の込められたような言葉だが、それを感じさせない所が凍司なのであろう。
「じゃあ、凍司さんも一緒に演奏するんだね?」
 それに凍司が頷くと、トリーシャはその大きな瞳をパッと輝かせた。
「でも、それと禅鎧を歌わせる事と何の関係があるの?」
「ご心配なく…。言ったはずですよ、条件が揃えば歌声を聞ける…と。まあ、僕に任せて下さい」
 興味あり気に尋ねてくるマリアに静かに微笑み、自分の座っていた椅子を持って立ち上がると、静かに禅鎧の方へと歩み寄って行った。今度は他の客にリクエストを聞こうとしていた禅鎧が、近付いてきた凍司に気づき振り向く。
「今度は僕と一緒に演奏して貰えませんか?」
「‥‥‥凍司、だったな。…その楽器は?」
 やはり禅鎧もまた、凍司が持っている楽器が気になるようだ。頭の中で様々な観点からその楽器を分析し始めるが‥‥‥。
「普通のギターとは、訳が違うようだな」
 出た答えはごく一般的なものだった。凍司は禅鎧の持っているエーテルシンセを差し、言葉を続ける。
「そうですね…、貴方の持っている楽器と同じような物ですよ。ところで、先程の僕のリクエスト応えてくれますか?」
 しばらく考え込んでから、禅鎧はYESの答えを示した。禅鎧の左隣りに持ってきた椅子を置き、静かに腰掛ける。またも見た事もない楽器を手にした謎の青年の参加に、他の来店客たちからまたも小さなざわめきが舞い起こる。皆、胸の高鳴りを抑えられないような表情をしていた。
「しっかし、驚いたな。まさか凍司までもが楽器を持っているとは…」
「ホントだよね。しかも、2人とも今までに見た事もない、見るからに特殊な楽器だし」
「アレフ…。『まさか凍司までもが』じゃなくて、『やっぱり凍司も』の間違いじゃないのかい?」
 エルの突っ込みに、アレフは「それには違わないな」と笑い声をあげた。
 禅鎧は今現在では『音楽に長けている』という事以外は、全く謎に包まれている。凍司との再会…なのかどうかは分からないが…により、もう1つの名前が明らかになったものの、ごく最近出会ったばかりのアレフたちにとってはまだほとんどが深い霧の中に覆われている状態なのだ。そんな状況で、エルのように禅鎧の友人もまた『音楽に長けている』という判断も正しいと言ってよいだろう。
「…あら? あの見慣れたリボンは‥‥‥シーラ?」
 ふと最近取り付けられたという窓の外に目をやると、こちらの方向に歩いてくるシーラの姿を発見した。
「ホントに? あっ、でも入口は混雑してるから入ることが出来そうにないよ」
「だったらさ、裏口から特別に入れさせればいいじゃない?」
 マリアの提案に迷う事なくパティは賛成したらしく、急いで裏口からシーラに呼び掛ける。突然呼びかけられて少し驚いていた様子だったが、パティの姿を確認するとすぐに表情を和らげた。
「こんにちは、パティちゃん、みんな。‥‥‥わぁ、今日はすごいお客さんだね」
 裏口から姿を現したシーラは、見慣れた友人たちにあいさつをすると、店内の様子に感嘆の声を挙げた。そろそろ夕刻なのでさくら亭が混雑するのは分かるが、それにしてはあまりにも客が溢れ返り過ぎている。
「…フフーン。それはね、あそこを見れば分かるわよ」
 パティが指し示した方向に沿ってゆっくりと視線を流していくと、シーラのソイルカラーの瞳が大きく見開かれる。
「あっ、朝倉くん‥‥‥」
 ちょうど禅鎧は、凍司と簡単な打ち合わせを終えたところだった。2人共、つまみで音の調整を行っている。歪ませてみたり、シャープにしてみたり、エッジを効かせてみたりなど‥‥‥。端から見ている客たちにとっては、全く何をしているのか分からないであろう。
 そしてシーラの興味は、彼らが肩に掛けている特殊な楽器に向けられた。アレフやクリス、パティはこれまでに数回ほど見ているが、シーラは今日初めて見た事になる。ふと、背後からポンポンと肩を叩かれる。
「はいはい、いつまでも見とれていないで座ったら?」
「パ…パティちゃん。わ、私は別に‥‥‥」
 パティに冷やかされて反論するが、頬を赤く染めていては説得力がないに等しい。半ば膨れっ面なシーラは、取り敢えず椅子に座ることにした。そして一番気になった事を真っ先に尋ねた。
「…朝倉くんの隣にいる人って誰なの?」
「壬鷹凍司といって、何でも禅鎧の昔からの親友らしいぜ。禅鎧は記憶喪失のために、分からないみたいだけどな…」
 説明的な口調でアレフ。シーラは「そうなんだ」と独り言のように呟いた。その2人が持っている楽器の事も尋ねようとするが‥‥‥。
「それでね、禅鎧さんの持っている楽器は『エーテルシンセサイザー』と呼ばれる物なんだって。」
 シーラの心を読み取ったかのように、トリーシャが教えてくれた。その固有名詞を聞いた彼女の頭の中で、何らかの情報が引き出されようとするが、異物に引っ掛かったように思い出すことが出来ない。
(エーテルシンセサイザー…。この名前、どこかで‥‥‥)
 …一方、こちらは禅鎧サイド。
「龍矢、曲は『黎明 -REIMEI-』でよろしいですね?」
「ああ、そうだ」
 曲の確認をし、すべての準備が整うと2人は腰掛けていた椅子に座り直した。それと同時に、観客のざわめきがフェードアウトしていき、耳障りなほどの沈黙が店内を包み込む。アレフたちも同様、真剣な表情で演奏を待っている。
 一呼吸置くと、禅鎧は小さなボタンを押した。スローテンポなリズムが鮮明に流れ始める。ギターを指で叩いてリズムを取り始める凍司。単純なドラムのフィルインが終わると同時に、凍司がギターを弾き始める。それは生のギター音でないのは誰にも分かった。別の何かによって加工が施された音だった。そして、凍司は歌い始める。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
 その場にいた誰もが、言葉を失っていた。それは、アレフたちもまた例外ではない。凍司と会話をしていた時から、かなりの美声の持ち主だということは予想がついていた。だが、凍司の歌声はその予想をはるかに上回っていた。よく伸びる、水気を帯びた涼やかな風のような声。エルやリサは比較的冷静な表情で聞き入っているが、アレフとクリスはポカンと口を開けたままだった。
「す、すごい‥‥‥」
「う、うん‥‥‥」
 トリーシャとマリアも、固唾を呑んで二人の演奏に聞き入ってしまっている。
 やがてイントロで使われたフィルインが再び流れると、曲は最大の見せ場…サビに突入する。そこで初めて禅鎧が口を開いた。
 見事なまでに調和された2人の歌声が、店内にしっとりとした雰囲気を漂わせる。すっかりそれに飲み込まれてしまった表情をしている客たち。女性客の中には瞳を潤ませている人も、数人見受けられた。『黎明』…それは、行き先を失った2人の男女を描いた大人っぽい曲だった。
 禅鎧のエーテルシンセが、奥行きのある柔らかい音を響かせ、気持ちのよい余韻を残してその日の弾き語りは終わりを告げた。
 ワアアアアアアアアアアアッ!!
 禅鎧と凍司を取り囲んだ観客たちから、けたたましい大歓声が騰がった。みな抑えていた興奮を一気に放出するかのように。禅鎧は静かに深呼吸をすると、無表情のまま立ち上がる。満足げな笑みを湛えた凍司が寄ってきたのを確認してから、客に向かって紳士的に同時に一礼すると、一時的に歓声のボルテージが上がった。
「やりましたね、龍矢」
「…そのようだな」
 クールに微笑みながら禅鎧。アレフたちが待つカウンターに戻ると、みな大きな拍手で2人を出迎えた。
「すっげえじゃねぇか禅鎧っ!」
 立ち上がり、バンバンと禅鎧の背中をはたいてくるアレフ。興奮を抑え切れないのだろうと、禅鎧はその手をはねのけようとはしなかった。
「なるほどね。トリーシャの言ってた事は、本当だった訳だ」
「あったり前だよ。ね、禅鎧さんっ!」
 冷静なエルとは対照的なトリーシャ。曲に引き込まれた根拠として、頬がほのかに紅潮していた。
「あそこまで見事な演奏を披露してくれるとはね。内心、驚いているよ」
「うんうんっ☆ さすがは禅鎧よね」
 リサはもちろんの事だが、マリアも意外と落ち着いている様子だった。
「2人とも、凄かったです! 僕、感激しちゃいました!」
 クリスは正直に自分の感想を述べた。凍司はさわやかに笑っているが、禅鎧は照れ隠しなのだろうか、前髪を掻き上げた。
「おい、パティ。2人に飲み物の1つでも出してやれよ」
「‥‥‥あっ。そ、そうよね、忘れてたわ。ちょっと待っててね」
 アレフに声をかけられて、いそいそと準備に取り掛かるパティ。禅鎧と凍司の演奏に夢中で聞き入ってしまい、我を忘れてしまっていたようだ。
「ま、パティも仕事をほったらかしにするほど、凄い演奏だったという事だろ。なぁ、シーラ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 シーラに会話を振ろうとしたアレフだったが、シーラからの反応は全くない。もう一度呼びかけてみるが、それでもシーラからの返事は無かった。そこでトリーシャがシーラの顔を覗き込んでみると、いわゆる『心ここに非ず』の状態だった。ポーッと頬を赤く染めたまま、禅鎧がいた方向をじっと見つめている。
「ちょっと、シーラさん?」
 シーラの視界を遮るように、手のひらを彼女の瞳の前で上下させてみるが、効果はなかった。続けて揺さぶってみるが、それでもシーラが気づく様子は見られない。トリーシャは困った顔でトレードマークの大きなリボンをいじる。
「どうしたの? …あらら、シーラってば完全に禅鎧の歌の虜になっちゃったようね‥‥‥」
 禅鎧と凍司の2人に冷たい飲料水を持ってきたパティが、シーラの状態を見て苦笑いをこぼした。そして悪戯っぽい笑みを禅鎧に向ける。それに気づいてか否か、照れ隠しに小さく咳払いをする禅鎧。
「ちょっと…、シーラ!」
 パンッ!
 シーラの目の前で、軽く手を叩く。
「キャッ‥‥‥!」
 小さな悲鳴を上げると、まるで催眠術から解放されたように大きな瞳を何度も瞬きさせる。そして、キョロキョロと辺りを見回す。
「あれ、私‥‥‥。あ、朝倉くん…。ひょっとして、演奏終わっちゃったの?」
「もう、シーラってば…。でも、そういうあたしも、人のことは言えないんだけどね」
 やっとの事で現在の状況を判断できたシーラに、先程までの自分を重ね合わせるパティ。
「シーラさん、どの辺から覚えて無いか分かる?」
「え、え〜と…。壬鷹さんのヴォーカルに、朝倉くんのコーラスが入った所…だったかな?」
「要するに、一番の聞き所を聞き逃しちゃったわけか…」
 エルが口を挟んでくる。シーラは「うん…」と力無くうなずいた。
「ハハッ…。でも龍矢、これはミュージシャン冥利に尽きるんじゃありませんか?」
「それもそうだな。プロのピアニストも、我を忘れてしまう程、素晴らしかったという事だからな」
「‥‥‥いや、それは」
 凍司の意見に、アレフは迷う事なく賛成の票を投じる。禅鎧は何かを言おうとしているが、思い通りにセルフコントロールが出来ていないようだ。
「プロだなんて…。私は未だそんな‥‥‥」
 と、照れながら謙遜するシーラ。言葉がさすがに最後までは続かなかった。ふと、パティが何かを思いついたらしく、不適な笑みを浮かべた。。
「でもシーラ、安心して。別の日にまた同じ曲を弾いてくれるって、禅鎧が言ってたから」
「なっ‥‥‥‥‥‥」
 突然のパティの勝手な提案に、驚きの声をあげる禅鎧。
「ちょっと待て。俺はそんな‥‥‥」
 反論を試みようとするが、後ろから凍司が説き伏せようとしてきた。
「いいんじゃないですか? 僕は賛成です。ファンの期待に応えることも、音楽家としての務めですよ。違いますか?」
「凍司の言う通りだ。そうじゃなきゃ、俺はお前との縁を切るっ!」
 かなりおおげさな言葉だが、アレフの表情は真剣だった。他の者たちも、どうやら凍司の意見に賛同したらしい。困ったように禅鎧は前髪を掻き上げる。ふと、シーラの方に視線が移った。シーラは一瞬視線を逸らすが、思い切ったようにもう一度視線を元に戻した。
「あの…、朝倉くん。ちゃんと、最後まで曲を聴いてなかった事を怒っているのなら謝ります。それなのに、こんな事をお願いするのは烏滸がましいかもしれません。でも私も音楽を志す人間。ちゃんとそれなりのけじめはつけたいんです。…もう一度、私に曲を聴かせてくれませんか?」
「シーラ‥‥‥」
 いつにも増して真剣な表情のシーラ。アレフたちはもちろんの事、パティもがそんないつもとは違う雰囲気を漂わせた親友を見て、内心驚いていた。
 無言のままシーラを見つめていた禅鎧は、ふと何かを悟ったかのように自虐の笑いをこぼした。
「…いや、シーラは悪くない。凍司の言う通り、ちゃんとファンの期待には応えるべきだ。それを拒んだ俺は音楽家失格だな」
「龍矢‥‥‥」
 親友のもう1つの名前をポツリとつぶやく。言い過ぎたと思い詫びようとしたが、禅鎧はこちらを振り返り静かにかぶりを振ると、パティの方に振り向いた。
「パティ…。悪いけど、もう1曲だけ弾いていいか?」
「えっ、それじゃあ‥‥‥」
「でも流石に同じ曲を弾く訳にはいかない。オーディエンスは、まだ沢山いるからな」
 さくら亭に詰め掛けた客を指さしながら禅鎧。アレフたちの表情がパッと明るくなった。トリーシャとマリアは、歓喜のあまり拍手をしてしまう。他の来客たちは「なんだなんだ?」と言わんばかりの顔でそちらに振り向く。
「みんな! 最後にもう一曲だけ、披露してくれるそうよ!」
 全ての客に聞こえるように、パティ。しばし自分たちの仲間と顔を見合わせてから、まるでみなタイミングを合わせたかのように歓声が挙がる。
「凍司、悪いけどもう少しだけ付き合ってくれるか?」
「もちろん…。僕の『マテリアル・ギター』も賛成のようですよ」
 ポロローン…と、魔力加工されたギターの音が気持ちいいぐらいに鳴り響く。
「貴方の『エーテル・シンセサイザー』も、同意見ですか?」
「…俺たちは、常に一心同体だからな」
 クールな笑みを浮かべながら、静かに禅鎧はうなずく。その言葉はまるで、禅鎧ではなく別の何かが言わせたように思えた。
 …と、アレフが禅鎧の肩をポンッと叩いてくる。
「‥‥‥禅鎧、ちょっと手を前に軽くかざしてみな」
「? ああ…」
 パアン!!
 挙手するように手をやや上にかざした瞬間、そこにアレフの手が打ち付けられた。乾いた音が禅鎧たちの耳をかすめて行く。
「‥‥‥最高の演奏を、聴かせてくれよ」
「…約束しよう」
 お互いに強く握り返してからその手を放した。ふと並んで座っているエルとリサと視線が合うと、こちらに「頑張れよ」と無言で合図をしてくる。禅鎧は人差し指を立ててそれに応える。
「朝倉くん‥‥‥」
 禅鎧が中央の椅子に戻ろうとしたところ、背後からシーラの声が聞こえてきた。
「ありがとう…」
 柔らかく、そして穏やかに、こちらに微笑みかけてくる。照れ隠しに咳払いを1つすると、静かにかぶりを横に振り、いつもの静かな口調で話しかける。
「シーラ…。俺も音楽を志す者の1人として、そのけじめをつける。それを…、しっかりと見届けて欲しい」
「‥‥‥はいっ!」
 満面の笑みを浮かべて、シーラは歓喜の声をあげた。わずかながら頬が紅潮しているように見えるのは、さくら亭に差し込むオレンジ色の光のせいだろうか。
 店内中央に設けられた椅子に2人が腰掛けると、先程と同じようにざわめきが静かに吸い込まれていった。
「曲は…、やはり『あの曲』ですか?」
「…そうだな」
「分かりました。‥‥‥それじゃあ、もう1曲だけ聴いて下さい。曲名は‥‥‥」
 さくら亭に、再び2人の心底染み渡るような歌声が響き渡り、その日一番の盛り上がりを見せた。

To be continued...


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