中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「Forest and Beast 0'00"」 輝風 龍矢  (MAIL)

The last song

第21章:Forest and Beast 0'00"

 いつもと変わらぬ朝。いつものように禅鎧がアリサとテディとともに朝食を食べ終え、いつものように仕事依頼のファイルを整理しながら小さな雑談を交わしていると、いつものようにジョートショップのドアをノックする音が聞こえてきた。アリサの「どうぞ」という声とともに、木製のドアが開け放たれる。
「おはようございます」
「う〜っす、禅鎧」
 それは、凍司とアレフだった。礼儀正しく朝の挨拶をする凍司とは正反対に、適当な挨拶をしてくるアレフ。
「あらっ? 今日はいつもと違う方がいるわね…」
 少し間延びした声でアリサ。目が不自由とはいえ、幸い弱視程度で済んでいるのだから、この言葉に矛盾を感じる者など、ここにいるわけがなかった。
「あっ、ホントッス。禅鎧さん、知り合いッスか?」
「…ああ、昨日さくら亭でね。テディ、アリサさん、紹介します。彼は‥‥‥」
 そこまで言ったところで、凍司がそれをかぶりを振って制した。
「いえ、自分で自己紹介させて下さい。初めまして、僕は壬鷹凍司といいます。龍…禅鎧とは昔からの親友です」
「もっとも、禅鎧自身は記憶を失っているせいで、覚えていないようだけど」
 凍司の言葉を、補うようにしてアレフ。今日から自分もジョートショップの仕事を手伝う事も付け加えると、深々とアリサに紳士的に頭を下げた。
「そうなの…。私はアリサ・アスティア。一応、ここのオーナーを務めています。そしてこちらはテディ。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
 かなり礼儀を弁えている凍司に少し驚くアリサだが、すぐに自分も自己紹介を行い聖女の如き穏やかな笑みを向けた。
「禅鎧さんのお友達なんスね。だったら、ボクにとってもお友達ッス。よろしくお願いしますッス〜」
 特徴的な言葉遣いをするテディの方に振り向くと、「へえ…」と感心したような声を漏らした。
「魔法生物ですか…。書物などで見た事はありますが、直接お目にかかれるとは思いませんでした」
「えっ…、分かるッスか?」
 テディの驚きに満ちた問いかけに、静かにうなずく凍司。
「…う、うれしいッス! 初めてボクの事を、魔法生物と認めてもらえたッス!」
 クリクリしたコバルトブルーの瞳を潤ませながら、ちょっと大袈裟に歓喜の声をあげる。
「初めてって…。それは俺たちはともかく、アリサさんも今まで犬だと思っていた事になるぞ?」
 と、ジト目で突っ込みを入れるアレフ。それにハッとして、冷や汗を流すテディ。
「あ…い、いや、それはその‥‥‥嬉しさのあまり、つい‥‥‥。ううっ、ごめんなさいッス! ご主人様〜」
 必死になって謝るテディに、アリサはいつもと変わらぬ表情で抱き上げる。
「ウフフ…、気にしなくていいわよ。正直、私も最初はそう思ってたんだから…」
「ひっく、ご主人様ァ…」
 アリサの胸の中で泣き崩れるテディ。それを半ばうらやましそうに見つめるアレフの姿があった。
 カチャッ‥‥‥。
 再びジョートショップの扉が開け放たれる。シーラ、リサ、パティの3人だった。それぞれ、アリサたちと簡単に挨拶を交わす。
「じゃあ、これが今日入ってきた仕事だ」
 ドサリと重い音を立てる机。例の強盗事件を解決した時よりも、かなりの数だった。禅鎧と凍司を除いた全員が、驚きのあまり目を見開いてしまう。
「おい、今回は随分と多いな…。なぜだ?」
 だが、禅鎧は静かにかぶりを横に振るだけだ。ふと、パティが「あっ…」と口元を手の平で覆い隠す。
「…ひょっとして、先週の弾き語りのせいじゃないかしら?」
「なるほど、それはありえるな。トリーシャもその場にいたことだし、きっとあの後、町中に情報を撒き散らしたんだろう」
 あごに手を当てて、冷静に分析をはかるアレフ。禅鎧は静かな苦笑いをこぼした。
「よかったですね、アリサおばさま」
「…ウフフ。嬉しい悲鳴といったところかしら?」
 と、これはシーラとアリサ。雰囲気が似通っているせいもあってか、2人の会話はどこか優雅な空気を醸し出していた。
 簡単な雑談を終えると、自分たちが担当する仕事をそれぞれ見つけては腕に収めていく。
「ところで凍司。あんた、これからどこに寝泊まりするの?」
「ああ、まだ決めていないですね」
 昨日は、さくら亭に部屋を借りていたので、一晩そこで過ごすことが出来た。素晴らしい演奏を聞かせて貰ったという事で、パティは宿代を返金すると言ってきたのだが、凍司はそれを断った事を付け加えておく。
 それを聞いたアリサが口を開こうとした瞬間、アレフが突然ある提案を凍司に突きつけてきた。
「だったら、俺が住んでるマンション紹介してやろうか? 確かまだ空室があったはずだ」
「えっ? ですが、そこまでして頂く訳には‥‥‥」
「いいっていいって。お前が禅鎧の親友であるなら、俺にとっても親友だ。その親友が困っているのを、黙って見ている訳にはいかないぜ?」
 その提案を拒もうとはしたが、そこまで言われてしまっては反論の余地がない。それに、他人の厚意を無駄にする事はかえって失礼に当たると凍司は考えた末、申し訳なさそうに首を縦に振った。アリサが半ば残念そうに苦笑いをこぼす。
「と、いうわけだ」
「とか何とか言って、本当は自分のしょーもないナンパのダシに使おうと思ってるんじゃないでしょうね?」
 鋭いところを追求してくるパティ。思わずアレフは、ギクリと身体を震わせた。
「…ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺は純粋に友情というものをだな…」
 パティが「はいはい…」と適当な返事をし、再び仕事選びに取り掛かる。不満げな表情でアレフも自分の作業に戻った。ふと何かを思いだし、アレフは禅鎧を呼ぶ。
「おい、禅鎧。以前ちょこっとだけ紹介した、サーカス団のピート覚えているか?」
 以前とは、禅鎧がアレフたちと初めて知り合った時の事だ。エンフィールドを案内して貰っていた時、クラウンズサーカスの前を通ったときに声をかけられたのだ。
「ああ…、ちゃんと覚えている」
「何でも、3日前から行方不明らしいんだ」
「へえ…、それはアタシも初耳だね」
 ピートはさくら亭の良き常連客でもある。そこに住み込みで働いているリサも、やはりピートの事は気になるらしい。
「どっかに内緒でブラリと遊びに行ったんじゃないの?」
「それはないな。ピートは何処かに出掛けるとすれば、必ず団長に話をつけてから行かなければならないんだ。だが今回は、それが無かった。クサイと思わないか?」
 禅鎧・凍司以外の誰もがまず頭に浮かんだ思考をパティが代表して言うが、アレフはそれをあっさりと否定した。
「まさか…。あいつもまだ子供とはいえ、しっかりしてる所はあるんだ。そのうちひょっこりと帰ってくるはずさ」
 と、これはリサ。しばらく考えてから、アレフは考え過ぎか…とそれ以上深く追求するのをやめた。しかし、禅鎧の次の言葉でみな表情に緊張が走った。
「どうやら、そうでも無くなってきたようだな」
 禅鎧が手にした書類にはこう書かれてあった。

依頼内容:行方不明者の発見
依頼主:クラウンズサーカス団
報酬:未定

「依頼を受けた以上は、俺たちで探すしかないか…」
 アレフは1つ、やるせないため息をついた。アリサ曰く、この依頼は昨日の午後3時頃、サーカス団のメンバーが持ってきたものだという。
「…だとすると、ちょっとタイミングが悪いですね」
 難しい顔をしながら凍司は、手に持っていた書類を禅鎧に渡した。

依頼内容:モンスター退治
依頼主:自警団第一部隊
報酬:1000G以上
その他:午後5時に自警団事務所集合。最低3人パーティを編成してから来ること。

 後ろから覗き込んできたアレフは、内容を確認すると小さな吐息を漏らした。
「また自警団からか? 禅鎧の事を逮捕しておいて、よくやるぜ…」
 名義は第一部隊となっているが、恐らくはリカルドであろう。
「だけど、依頼を受けた以上はやらないわけにはいかない。この中で戦闘術に長けた奴はアタシと‥‥‥、禅鎧と凍司もそうなんだろう?」
 リサは過去、傭兵を生業としてきた為、これまでに幾多もの修羅場をくぐり抜け、そして様々な強敵と出会ってきただろう。誰が戦闘術に長けているかを見抜くことぐらいは実に簡単なことだった。少しだけ…と付け加えてから、禅鎧と凍司は静かに頷いた。
「へえ、それは頼もしいわね。…あれ、でも武器は?」
「僕らの武器はこれですよ」
 訝しげな表情のパティにそう言いながら、凍司は自分の拳を指差した。
「やっぱり格闘技か…。この辺じゃあまり見ない方だね」
 興味ありげな笑みを浮かべてリサ。こうして、これら2つの仕事は禅鎧・凍司・リサが受け持つことになった。
 そこまで話し終えて、全員分の仕事分担が終わった。シーラとパティは教会の孤児の世話など、あまり力を使わないもの。アレフは禅鎧たち3人と共にクラウンズサーカスを訪れた後、それの情報収集も兼ねて他の仕事に行くことにした。
「…となると、まだ時間はたっぷりありますね…。それまでに残った仕事を片づけて、余裕が出来たら自由に暇つぶししていて構いません。今から4時間後に、クラウンズサーカスで落ち合いましょう。それで宜しいですね、禅鎧?」
 だが禅鎧は、静かにかぶりを横に振った。
「悪いがそれを受ける気にはならない」
「えっ、どうしてッスか?」
 怪訝な表情でテディが聞いてくる。
「…あくまでも俺たちは、一介の何でも屋に過ぎない。そういった輩が自分たちの仕事に首を突っ込んでいるとなると、自警団の威信に関わるとして団員たちから苦情を漏らすだろう。それによって統制力が失われてしまい、今後の仕事に支障を来す可能性がある」
 事実、ジョートショップは一度だけだが、自警団の仕事に首を突っ込んでいる。更にそれを解決しているのだから、彼らにとってはあまり気持ちのいいものではなかっただろう。
「‥‥‥では、どうしますか?」
「他の仕事がてら、断りの連絡を入れることにする」
 凍司は何とか反論を試みようとするが、もっともな禅鎧の冷静な判断を受け入れることにした。リサも「まっ、仕方ないな」と小さなため息をついた。ふと禅鎧は心配そうな顔でこちらを見ているシーラに気付くと、彼女を気遣うように小さな苦笑いを浮かべた。
「すまない…。それじゃあ、今日も宜しく頼む」

 自警団事務所第一部隊長室。比較的広い部屋で、中央にはリカルドが使用する机が置かれてある。壁には早朝の出勤時に着て来たと思われる、帽子と上着が掛けられてあった。エンフィールドもそろそろ夏を迎えるとはいえ、まだまだ朝は肌寒い風が吹いている。
 部隊長室に、無精ひげを生やした中年のベテラン団員が、敬礼と共に入ってくる。
「報告いたします。先程ジョートショップの者が来訪しまして、モンスター退治には協力できないそうです」
「‥‥‥‥‥。そうか、分かった。持ち場に戻ってくれ」
 中年団員はもう一度敬礼すると、静かに部屋を出ていった。扉の閉まる音と同時に、リカルドは1つやるせないため息をついた。
「失礼いたします!」
 ハキハキとした口調で、黒髪を逆立てた長身の団員…アルベルトが入ってきた。
「ジョートショップの連絡はまだですか?」
「今し方連絡があった。参加できないそうだ」
 アルベルトは一瞬驚きの表情をみせるが、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ホントですか? フフン…、どうやら怖くなって逃げ出したようですね」
 それに対してリカルドは、どちらとも取れる返事をした。
 本当にそれだけの理由か? ジョートショップは今、多額の負債を抱えている。そんな状況で仕事を選ぶような事をするとなると、何か重要なわけがあるのではないか? それにあの時‥‥‥。
『GATE、オープン』
 リカルドの脳裏に、例の強盗事件の犯人を追いつめたときの情景が浮かび上がった。あの魔法を掻き消した技といい、指からパチンコ玉大の物体を飛ばした技…『指弾』といい‥‥‥。そして何よりも、あのように強い魔力を帯びた敵と向かい合っても少しも動じなかった。あれは如何にも戦闘慣れした人間の立ち居振る舞いとしか思えなかった。無意識に白髪混じりの髪の毛を掻き上げるリカルド。
 アルベルトは、そんなリカルドを見て訝しげな表情を浮かべていた。
「如何なさいましたか?」
「‥‥‥ン、いや何でもない。ところで、準備は出来ているか?」
「はいっ、いつでも出動できます」
 1つ気合を入れるように頷くと、リカルドは静かに立ち上がる。
「全員に伝えてくれ。今から作戦会議を執り行うと」

 ジョートショップサイド。集合時間までにそれぞれの仕事を終えた4人は、クラウンズサーカスを訪問し、団長から事情聴取を行っていた。
 いなくなったことに気付いたのが、今から3日前。正確には4日前なのだが、その時にはただ出掛けたものだと思っていたためだ。他のメンバーたちにも呼び掛けて探索してみたものの、誕生の森の方へと何かに取り憑かれたかのように、歩いていったという目撃証言しか得られなかったという。
「う〜ん…。もう少し情報が欲しいところだけどなぁ‥‥‥」
 困惑気味に表情を浮かべながら、アレフがぼやいた。
「団長は他のメンバーにも協力して貰っても、それだけしか情報が得られなかった。という事は、俺たちがこれ以上情報収集をしても進展はないな」
「じゃあ、森に行けばいいんだね。まあ場所を特定できただけでも、これ幸いと思わなきゃね」
「それよりも、そろそろ暗くなってきたぜ? 今から森に入るとなると、完全に暗くなる頃だな‥‥‥」
 橙色の絵の具を零したかのような夕暮れ時の空を見上げながら、アレフは少し不安げにそう言った。

 禅鎧たちが誕生の森の中に入ってから約一時間後。自警団たちはモンスターの集団と鉢合わせになっていた。とはいうものの、群れの全てを野犬やウルフたちが締めているため、あまり実戦慣れしていない新人団員もそれ程手こずることはなかった。
「くりゃあっ!!」
 アルベルトは自分の身長以上もある長槍を横一文字に薙ぎ、先端の刃の背の部分でウルフの顔面をひっぱたいた。ウルフは吹き飛ばされ、ちょうど生えてあった木の幹に激突する。余計に動いたりはせず、目の前に来た敵だけを攻撃していく。殺してしまうと、その後の死体の処分に手間が掛かってしまう。それにモンスターたちも誰かに操られていない限りは、余計な殺生をしたりはしないのだから振り払うだけで充分だというリカルドの命令が下ったためだった。
「グワオオオオッ!!!」
 突如、アルベルトの背後の茂みから別の野犬が飛び出してきた。しまった!…と思ったその時、その野犬は突如、放物線を無視するように地面に直角に打ち付けられ気を失った。援護に来たリカルドが、野犬を攻撃したためだった。
「隊長! 助かりました!!」
「うむ‥‥‥。どうやら、こっちの方は片づいたようだな」
 それを聞いたアルベルトは、1つ大きく深呼吸をした。だがまだ他の場所からは、団員たちがモンスターと闘っている喧騒が聞こえてくる。そろそろ午後7時。何の照明器具も持ってきていない自警団には、良く晴れた夜空に浮かぶ月明かりだけが頼りだった。その為、布陣は森の所々に出来た空き地を優先して敷かれている。
「それにしても珍しいですね。モンスターが野犬やウルフだけというのも…」
「お前もそう思うか、アル。実は私も気になっていたところだ」
 小走りで森の獣道を進みながらリカルド。戦闘の喧騒だけを頼りに、暗闇の森の中を突き進んでいくに従って、徐々に暗闇にも目が慣れてきた。
 ウオオオオオオオ〜ン‥‥‥‥。
 突然、謎の遠吠えが夜の不気味な森に鳴り響く。2人は少し走るスピードを緩めてから、周囲の様子をうかがう。音響から察するに、ここから比較的近くで吼えているようだ。やがて森が沈黙を取り戻したかと思うと、再び同じように咆哮が聞こえてきた。
「‥‥‥た、隊長! 大変です」
 もう1つのチームに辿り着いたかと思うと、リカルドの姿に気付いた若手の団員が彼の元へ走ってきた。一度敬礼をし、1つ大きく深呼吸をした後、再び口を開く。
「報告いたします。野犬の群れが大移動を始めました!」

「どうなってんだよこりゃあ‥‥‥」
 同時刻、同じ森を探し回っていた禅鎧たちにも、その謎の遠吠えは聞こえていた。自警団と違うところは、禅鎧たちは今その野犬の群れを追跡している最中である。ピートを探索していた彼らは途中、野犬の群れと遭遇して自警団と同じ様な戦法で闘っていた‥‥‥アレフもリサからバトルナイフを借りて闘っていた‥‥‥が、謎の咆哮が夜空に鳴り響くと同時に、野犬たちが大移動を始めたのだ。
「まずいですね‥‥‥」
 凍司が難しい顔をしてそう言い、禅鎧も「ああ…」と相づちを打った。アレフは訝しげな表情で2人を尋ねてみた。
「野犬やウルフというのは、動物の死体などの大きな餌を見付けると、仲間を呼び寄せる為に今のような咆哮を行います」
「そうだ。もしもそれがピートだとしたら‥‥‥」
 凍司の説明を補うように禅鎧がそう言うと、アレフは思わず顔から血の気が引いたような症状に見回れた。
「…た、確かにそれはまずいな」
「そうだね…ん? どうやらこの森を抜けるようだ」
 森のトンネルの向こうが、月明かりで若干照らされている。途中の獣道から合流してきた野犬たちも、みな一直線にそちらの方に走っていく。アレフは噛みつかれるのではと怖れているが、どうやら禅鎧たちなど眼中には無いようだ。野犬に誘導されるようにトンネルを抜け出たその先には、数え切れないほどの野犬やウルフが、満月を背にそびえる岩山を囲むように集結していた。
 ウオオオオオオン‥‥‥。
 そしてその頂上には、巨大な満月をバックグラウンドに、全身に生やした金色の毛を逆立てながら遠吠えをする獣のシルエットがあった。ルビーのような、深紅に染まった釣り上がった瞳と髪の毛としっぽを持ち、血に飢えた狼のように、研ぎ澄まされた牙が生えた大きな口。ビッシリと毛が生えている所を除けば、筋骨隆々の人間とさほど変わりはなかった。
 どうやら野犬たちは、この遠吠えに引き寄せられたらしい。
「…まさか、あれが最近街で噂になっているという金色の狼なのか?」
 呆然とその場に立ち尽くしているアレフ。
「まあ、とりあえずはピートではなくて良かったかな?」
 そう言って、胸を撫で下ろすリサ。ふと向こうの茂みが騒いだかと思うと、リカルド率いる自警団が姿を現した。
「一体、何なんだこれは? …む、朝倉! 貴様、どうしてここに!」
 禅鎧たちの姿に気が付いたアルベルトが、こちらに近づいてくる。少し遅れてリカルドも、こちらに気づき歩み寄ってきた。
「禅鎧君、これは一体‥‥‥」
 そんな事知っているはずもなく、禅鎧は静かにかぶりを横に振った。そして再び視線を、謎のモンスターに戻す。
 ォォォォォン…。
 遠吠えが終わったらしく、天を仰いでいた顔を地上に戻した。それを取り囲む野犬たちも、うなり声1つあげずにそれを見上げている。やがてそれは、禅鎧たちの姿に気付いたらしく、首をゆっくりと動かしながらこちらを伺っている。まるで獲物を探している‥‥‥選んでいるというべきだろう‥‥‥かのように。
「どうします、隊長? 威嚇攻撃してみますか?」
「…いや待て。迂闊に手を出したらこっちが危ない。今はしばらく様子を見るんだ」
 あくまでも冷静な判断を下すリカルド。
 ガルッ!
 突然、その獣は短い唸り声を挙げた。首の動きを止め、視線を一点に集中している。ジャリッと、岩山にこびり付いた砂を踏む音が聞こえる。その獣の紅い瞳には、禅鎧の姿が映し出されていた。
「来るか‥‥‥」
 標的が自分に向けられた事を察知した禅鎧は素速く身構え、戦闘態勢に入る。リサやリカルドたちも、各々持っていた武器を出して臨戦態勢に入る。
 ゴロゴロゴロゴロ‥‥‥。
 だが突如、エンフィールドの夜空をどす黒い雨雲が、雷鳴を轟かせながら覆ってきた。それは黄金に輝く満月を蝕んでいき、そしてついにはスッポリと覆い隠してしまった。
 ポツ、ポツ…、ザァァァァァァッ!!
 予兆のように雨粒が中空を一閃したかと思うと、それは強いスコールへと変わっていった。自警団は雨から逃れようと、各々の木の下へと避難していった。リカルドとアルベルト、アレフとリサも避難するが、禅鎧と凍司はその場を動こうとはしなかった。
「どうしたんだ禅鎧? そんなところに突っ立ってると風邪引くぞ!」
 だがそれは雨音に掻き消され、禅鎧の耳元まで届かなかった。それでなくとも、禅鎧は目の前の出来事に雨の音さえも聞こえなくなっていた。
 豪雨が薄い緞帳代わりになっていて、向こうに何かに苦しんでいる獣のシルエットを映し出していた。わずかながら、苦痛を訴えているかのような咆哮が聞こえてくる。リカルドたちもその光景に目を奪われてしまっている。
「‥‥‥‥‥‥消えたか?」
 ふと一瞬、金色の獣が岩山から姿を消したかに見えた。だがそれは間違いで、岩山の後ろの方に飛び降りたのだ。岩山を包囲していた野犬たちも、後を追うようにして散らばっていった。それを呆然とした表情で伺うアレフたちと自警団。野犬たちが姿を消したのを確認すると、アレフとリサは2人に近づく。
「あの獣、一体どうしたんだろう?」
 誰もが思っている事を代表するようにアレフ。
「‥‥‥そうだ。みなさん、ピートの事を忘れていませんか?」
 リサとアレフが思わずアッとした。野犬の大移動といい謎の獣といい、突然の出来事にすっかり隅に追いやってしまったのも無理もない。
「そう言えば…。この辺にはまだ、足を踏み入れていない。雨の中だけど、もう少しこの奥を探してみるよ!」
「ああ、もちろんだ。あいつにも風邪を引かれては困るからな」
 再び気合いを入れるように、小さくガッツポーズをするアレフ。そして、野犬たちが走っていった方向へと駆けだしていた。
「お…おい、お前たち! それ以上深追いするな!!」
「アル、追うな。こんな大雨では、これ以上任務を遂行するのは危険だ。…全員に告げる! 森を脱出し点呼を取った後、各自その場で解散とする。今日は本当にご苦労だった。今夜は十分に体を休めて欲しい、以上!!」
「えっ? し、しかし!!」
 だがリカルドは、静かにかぶりを振った。
「大丈夫だ…、彼らならちゃんと無事に戻ってこれる。必ず…な」
 自分でも良く分からなかったが、リカルドにははっきりとした確信があった。

「ピート! ピートぉ!!」
「ピート、返事をしてくれないか!?」
 木々が雨粒を遮ってくれている為に濡れることはないが、表土がぬかるんでいて思うように歩くことが出来ない。大声で名前を呼んでみるが、返事が聞こえるはずもない。あまり考えたくない思考が頭をよぎろうとした時…。
 ガサリ!!
 視界の傍らの茂みが小さく騒いだ。思わず足を止めるが、そこから出てきたのは栗毛色の可愛らしいリスだった。安堵と脱力が混ざった溜息を零すアレフ。だがそのリスの様子がおかしい事に気付く。それは何らかの布の切れ端をくわえていた。ピンク色のラインに、生地と同じ色の三角形が彩られていた。
「! これは、ピートの服の切れ端だ!!」
 リサが驚きの声を挙げる。禅鎧がその茂みの向こうを覗き込んでみると、案の定そこに泥だらけになって倒れているピートがいた。袖の部分が破られていて、それがリスのくわえていた部分だったのだろう。
「おいピート! しっかりしろ!!」
 アレフが呼び掛けてみると、少しだけ反応があったことに一同は安心する。早速禅鎧は、ピートを身体に負担が掛からないようにおぶると、4人は抜かるんだ表土に足を取られながらも駆けだした。
「ケケケケケ…、奇遇だねえ。まさかこんな所で、こんな面白いものに遭遇できるとはなぁっ!」
 泥だらけのピートをおぶりながら走っていく4人の背後を、小高い樹の枝に立って見ている謎の人影がそこにはあった。

 やがて4人は無事迷うことなく森を脱出し、ずぶ濡れのままクラウド医院までピートを運んだ。高熱を出している上、極端に体力が弱まっていた。その為、その日は一時的に入院させることにし、各自帰路につくことにした。次の日‥‥‥。
「うぃーっす!!」
「お邪魔いたします」
「ウィーッス!」
 正午を回る頃、凍司が退院したピートを連れてジョートショップを訪れてきた。お互い簡単な自己紹介をする3人。禅鎧の名前を聞いて「変な名前だなあ」とピートは言うが、もちろん悪気はない。
「なあ、禅鎧がオレを助けてくれたんだろう? ありがとな」
「…俺だけじゃない。そこにいる凍司と、それにアレフとリサも一緒だ」
 ちなみにアレフとリサは、風邪を拗らせてしまい寝込んでしまっている。
 禅鎧は昨日のことを尋ねてみるが全く記憶が無く、今朝クラウド医院で目覚めてトーヤから話を聞くまで分からなかったという。ピートを気遣い、禅鎧はそれ以上追求しなかった。
「ところでさ、オレ考えたんだけど…。ここの仕事手伝わせてくれよ。こう見えても、体力には自身あるんだぜ。その…、恩返ししたいんだよオレ」
 照れくさそうにピート。禅鎧は一瞬ためらったが、ピートの深層心理を読み取ったかのように、静かに頷いた。クラウンズサーカスで働いているという事もあって、確かに体力はありそうだ。
「良かったですね、ピート」
「ああっ…! それじゃあ禅鎧、これからも宜しくなっ!!」

To be continued...



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