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「アンタッチャブルGIRLS?」 輝風 龍矢  (MAIL)
The last song

第22章:アンタッチャブルGIRLS?

 『陽の当たる丘公園』。日々、エンフィールドに住まう人々が求める癒しの場を、一身で勤めているこの場所には、まるでそれとは正反対の空気で満ち溢れていた。比較的長身の青年2人が、お互いに武器を構えたまま静止している。
 決闘か…?
 ちょうどその場を訪れた人間ならば、誰もがそう考えるであろう。
「ねえ、アレフさん。さっきからこの2人、全然動かないッスよ」
 そんな2人の事情を知っているテディが、怪訝な表情を浮かべて傍らにいるアレフに話しかける。
「ああ‥‥‥‥」
 腕組みをしながらアレフ。彼ら2人‥‥‥正確には1人と1匹だが‥‥‥の視線の先にいるのは禅鎧と凍司。凍司は我が身よりも若干短い長剣を片手で持ち、腰を低くして構えている。一方の禅鎧は、片刃に奇妙な溝が数カ所付いた短剣を携え、特に目に付くような構えはとっていない。お互いに隙をうかがっているようで、時折吹き抜けるそよ風で前髪や衣服が揺らめく意外は、一歩も動こうとはしない。
 なぜこのような事になったのか。それは、今日の早朝に遡る。

「僕と、手合わせをして頂けませんか?」
 久々の休日。同じマンションで暮らすアレフと共に、ジョートショップの禅鎧を訪ねた凍司が発した第一声だった。突然の申し出に、テディは驚いてしまう。片やアレフは以前、凍司が自分たちは戦闘術に長けていると話していたのを思い出し、「ああ、そういえば‥‥‥」と1人納得していた。
「俺が、か‥‥‥?」
「ええ…そうです。『憶えていない』かもしれませんが、僕らは昔から良く一緒に手合わせをしていたものですよ」
 こんな事を言っても無駄だろうと、凍司は分かっていた。だが、これで少しでも禅鎧の記憶の扉を開ける鍵の部品にでもなれば…、と思っての言葉だった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 禅鎧は視線を傍らに背ける。凍司は以前から、自分のことを知っているような口調で話しかけてくる。あいにくと禅鎧にはそんな記憶は微塵も残っていない。しかし、凍司との出会いといい、この間の凍司が出てくる夢といい…。凍司の言っていることは真実で、自分はただ単に思い出せないだけなのではないかと、考えるようになった。
 客観的に見ればそれは強制的なインプリンティグだと思うだろうが、それとは全くの別物であるということは禅鎧自身にも分かっていた。
「勿論、無理にとは言いませんよ」
 人の良い、爽やかな笑顔で凍司。そこへ、傍らで2人を見守っていたアリサが助け船を出そうとした時、禅鎧は静かにかぶりを横に振った。
「そこまで言う必要はない。…分かった、じゃあ陽の当たる丘公園で移動しよう」
 助け船を出し損ねたアリサだが、安心したように優しげな笑みを浮かべた。

 ‥‥‥そんなやりとりがあり、現在の状況に到っている。
「未だ動かないぞ? 死んでんじゃないのか?」
 微動だにしない2人を見ててイライラしてきたらしく、靴のつま先を地面に打ち付けるアレフ。
「ふ〜ん、面白いことやってるじゃないか」
 そこへ、リサが姿を現した。恐らくはさくら亭の店番を終えて、疲労を快復するために公園を訪れたのだろう。その言葉からして、リサは決闘ではない事を見抜いているようだ。彼女の声に気付いたアレフはそちらに振り向き、簡単な挨拶を交わした。テディもアレフに習い、リサに挨拶をした。
「面白い…か? さっきから2人とも、少しも動こうとはしないんだぜ?」
 と、肩をすくめるアレフに、リサは意味ありげに微笑する。
「素人のアンタから見ればそうだろうね。でも2人の間では、既に戦いは始まっているんだよ」
 恐らく今彼ら2人の頭の中では、予測できるであろうお互いの動作を全て算出し、それに対する自分の動作を頭の中でシミュレートし続けている。余程戦闘慣れした人間でなければ、そんな細かな事を分析している暇はないだろうとは、こちらも戦闘慣れしたリサの言葉だ。
「へえ〜…。だけど、それにしては時間が掛かりすぎてないか?」
「…これはアタシの推測だけど、恐らく一撃で終わらせるつもりなんだろう。そしてその為の、『合図』を待っているんじゃないか」
「『合図』ッスか?」
 怪訝な表情を浮かべるテディ。だったら、何かそれに使うものを事前に渡しておいてくれと心中でぼやくが、リサはそれを読み取ったかのように言葉を紡いだ。
「…合図といっても人為的なものじゃなくて、偶発的な合図が必要なんだよ」
 つまりは、自然に身を任せた合図の方法だとリサは付け足すが、アレフとテディは頭上に疑問符を打ち出すだけだ。
「フフッ、その刻が来ればすぐに分かるさ。‥‥‥ところで、アレフはどっちが勝つと思う?」
「う〜ん…。やっぱり、長剣を装備している凍司…が無難なところか。でも、禅鎧のあの変わった溝の付いた短剣も気になるし」
 事実、アレフもリサも禅鎧と凍司の戦闘シーンを全く見たことがない。禅鎧の場合は、以前に起きた連続強盗事件で犯人と闘っただけだが、アレフにはその動作が速すぎた事と、魔法が吸い込まれるという信じられない光景も手伝ってか、いまいち実感が湧かないというのが現状だ。
「どうやら、その時が来たみたいだね」
 虚空を見上げながら、リサはそう言った。彼女の視線は、公園に生えた比較的高くそびえ立った木々に向けられていた。アレフもそちらを向くと、ちょうど1羽の鳥が木々に止まったところだった。
「? あれがどうかしたのか?」
「シッ! 黙って見てな。…多分、瞬きしてる暇はないだろうね」
 深刻な面もちでリサはアレフに注意を促した。先程から、2人の『氣』がグングン上昇している事を感じ取ったからだ。生半可な戦闘訓練を受けた人間のそれなど、比べモノにはならない。流石のアレフもそれを感じ取ることが出来ているらしく、無意識に生唾を飲み込んでしまった。
 そして、その時は訪れた。
 バササササササーッ!!
 リサが視線を向けていた木から、一斉に鳥が飛び立った。そしてそれを『合図』に、2人は一斉に行動を開始した。
 イニシアティブを取ったのは凍司だった。手にした長剣の重さなどまるで感じさせないような俊敏な動きで、一気に禅鎧との間合いを詰める。間髪入れずに長剣を目の前に切り込むが、ヒュッとむなしい音をたてながら空を薙いだ。だが凍司は地面に突き刺さる寸前で剣を止めると、そのままそれを後ろに、首筋を覆い隠すように持ってくる。
 カキイイイイン!!!
 けたたましい金属音が鳴り響いた。凍司の背後に移動していた禅鎧が短剣を振り下ろすが、凍司の冷静な判断により物の見事に受け止められたのだ。すると凍司はそれを軸に宙返りする。禅鎧の背後に回る瞬間、握っていた長剣を手放す。禅鎧は凍司の長剣を地面に叩き付けただけだ。
「後ろがガラ空きですよ、龍矢! 『ライジング・サン』!」
「‥‥‥‥!」
 器用に地面に着地すると、すぐに禅鎧との間合いを広めながら、凍司はあらかじめ練っていた『氣』を飛剣に具現化させる。そして間髪入れずに、禅鎧にそれを投げつける。これは凍司の徒手空拳に於ける、唯一の間接技でもあった。
 その場にいた誰もが、禅鎧の負けを確信していた。しかし‥‥‥。
 フウッ…。
「‥‥‥えっ!?」
 実体のない飛剣が禅鎧に命中したと思った瞬間、禅鎧の身体が真っ二つに切り裂かれた。‥‥‥否、透き通ったというべきだろう。そしてそれは、陽炎の如く揺らめくと凍司の投げつけた飛剣と共に散り散りになって消えた。
「詰めが甘い…」
 背後からの聞き慣れた声。すかさず振り向くと、そこには禅鎧の全く無事な姿があり、拳が握られた左手を前に突き出している。
 バシュッ!!
 左手が一瞬青白く輝いたかと思うと、ビー玉大の光球が数発打ち出された。禅鎧の持つ素手の技では汎用度の高い『指弾』だ。
「まだ終わらせませんよ。『風牙』!」
 すぐに一度手放した長剣を拾い、それが空を一閃すると同時に、剣先から真空の刃が放たれた。それは次々と降りかかる光球を次々とうち消していき、最後の一発と同時に相殺した。
 それを確認した禅鎧は間髪入れずに、凍司の懐へと詰め寄ろうとする。凍司も再び邪魔な長剣を手放すと、禅鎧に向かって走り出した。徐々に2人の距離が狭まっていく。
 ドンッ!!
 禅鎧と凍司の拳がぶつかり合った瞬間小さな衝撃波が起こり、土埃が宙を舞った。手合わせを見守っていたリサとアレフも、思わず目を瞑ってしまう。土埃が自然の風によって払拭され、やっとの事で目を開けることが出来た。
 手でまだ残っている砂埃を振り払い、2人の様子を確認してみる。2人はしばらく拳を合わせたまま、その体勢を保っていた。お互い満足げな笑みを浮かべたまま拳を離して元の位置に戻ると、お互いに礼をする。
 パチパチパチパチパチッ!!
 手合わせの終了を確認したアレフとリサ、そしてテディは驚きの表情を隠せないまま夢中で拍手をした。禅鎧と凍司が、アレフとリサの元へ戻ってくる。
「凄いじゃないか、アンタたち! こんな手合わせ、滅多に見られるモンじゃないよ」
「ああ‥‥‥。といっても、殆ど俺には見えなかったけどな…」
「右に同じッス‥‥‥」
 アレフは帽子の上から後ろ髪を掻きながら、苦笑いを浮かべる。凍司は静かな笑みを浮かべて、それに応えた。
「ところで、凍司。どうして、急にこんな事をやろうと思ったんだ?」
「こういう事はやっておかないと、常に衰えるものですからね。今日はジョートショップも休みでしたし、ちょうどいい機会だと思いまして」
 凍司の長剣を拾い上げ、刀身にくっついた砂埃をハンカチで拭き取る禅鎧。それを凍司に手渡してから、禅鎧はその後を続けた。
「俺もここしばらくは、戦闘と呼べるものに遭遇してなかったからな。そういう意味では、手合わせに誘ってきた凍司に感謝しなくてはな…」
 以前に禅鎧たちが関わった連続強盗事件、ピート行方不明事件。これらでも魔法を操る犯人やモンスターたちとの遭遇があったが、これらの程度の戦闘は禅鎧は回数に入れていない。それ以外はずっと、ジョートショップの仕事や音楽関係の事に打ち込んでいるぐらいしかなかったのだ。
「フ〜ン…、アタシも見習わないとね。ここしばらくは、さくら亭の仕事ばかりしてたからね‥‥‥」
 半ば逆立てた前髪を撫でながら、感心したようにリサ。そこでアレフはふと何かを思いついたらしく、指をパチンと鳴らした。
「…だったら、リサも禅鎧たちの訓練に混ぜて貰えばいいんじゃないか?」
「なるほど、それは良い考えですね。僕もリサの戦闘術には興味がありますし‥‥‥。僕は賛成しますよ」
「じゃあ…、いいのかい?」
 リサは少し期待を持ったような口調で聞き返してきた。凍司は禅鎧に視線を移して同意を求める。
「俺にも断る理由も何もない。あまり大がかりなものは出来ないが、それで良ければ俺も歓迎させて貰うよ」
 こういう時でもその淡々とした口調の禅鎧にアレフは苦笑いを零すが、凍司は禅鎧の心底を見抜いたように分かったような微笑を浮かべていた。
「ああ、それで構わないさ。それじゃ、宜しく頼むよ」
「決まりだなっ。‥‥‥ところで、凍司。禅鎧に投げつけたあの技は何だったんだ? 魔法じゃない…よな?」
 戦闘術に関しては全くの素人であるアレフだが、やはり親友の放った技が気になるらしい。凍司は嫌な顔1つする事無く、質問に答えた。
「あれは体内に流れる『氣』を、自分の思い通りに具現化させたものです。もちろん単なる手合わせなので、殺傷能力はゼロに設定してましたが…」
「へえ…。やっぱり、魔法じゃないんだね」
 興味ありげに相づちを打つリサ。似たようなものです…と、凍司は付け足した。
「なるほどねぇ‥‥‥と、そろそろ小腹が空いてくる時間だな。『さくら亭』になんか軽いモン食べに行こうぜ?」
 青の海原に浮かぶ太陽を仰ぎ見ていたアレフが、そう切り出してきた。太陽も南西を通り過ぎる頃で、4人の影も大きく地面に腰を下ろしている。
「ああっ、それもそうだね。今日は面白いものを見せて貰ったことだし、特別にアタシが奢ってやるよ」
「いや…、そこまでして頂く必要は‥‥‥」
 凍司がみなまで言う前に、アレフが凍司の首に腕を回してくる。
「いいんだよ。人の好意には素直に甘えておけって!」
「ちょっと、アレフ。アタシは別にあんたの分も奢ってやるなんて言ってないけど? アタシは禅鎧と凍司の分だけ、奢ってやるって言ってるんだよ」
 そのリサの言葉に、アレフは思わず地面に身体を預けてしまいそうになる。
「第一、あんたは何もやってないんじゃないか?」
「‥‥‥トホホ。はいはい、分かりましたよ」
 諦め混じりにガクリと肩を落とすアレフ。それを見て、「アハハ」と乾いた笑いをあげるリサ。
「‥‥‥な〜んてな、冗談だよ。今日は気分がいいから、アレフの分も奢ってやるよ」
「…お、ホントか? 流石はリサ。そう言ってくれると、俺は信じてたぜ!」
 先程までのモヤモヤを一気に振り払ったかのように、態度を一変させる。呆れたように苦笑いを零すアレフを覗く3人。
 ふと、禅鎧が公園の入口からこちらに向かって走ってくる人影を発見した。特徴のあるシルエットだったので、誰なのかはすぐに分かった。
「禅鎧さ〜ん!!」
 大きく手を振りながら、トリーシャが禅鎧の元に駆け寄ってくる。
「あれ? みんなで揃って何してたの?」
 やはり、こんな大人数で公園にいることが気になるらしい。凍司やアレフならまだしも、リサも加わっている事がそう考える位置づけとなったようだ。
「…そんな大した事じゃない。それよりも、俺に急ぎの用があるんじゃないのか?」
 『急ぎ』と付け加えたのは、禅鎧のトリーシャの様子を見ての勝手な推測である。
「ううん、急ぎというわけじゃないんだけど‥‥‥。是非禅鎧さんに、会って貰いたい人がいるの」
「禅鎧に会わせたい人? …ハハーン、つまりアレだな? 一目惚れしたから、禅鎧と面識のあるトリーシャをダシにという‥‥‥痛ででっ!!」
 リサがアレフのつま先を強く踏みつけてきたため、アレフの身勝手な推理は途中で終わってしまった。かなり底の堅いブーツで踏まれたため、抗議しようとするも足の痛みがそれをはるかに上回ってしまっている。
「…コホン。それでトリーシャ、どういう事なんだそれは?」
「う〜ん…。ボクがここで説明するより、実際に会った方がいいと思うよ」
 禅鎧はしばし考えてから、静かに頭を縦に振った。
「…分かった。それじゃあリサ、悪いけどまた次の機会に‥‥‥」
「ま、仕方ないさ。何だったら、それが終わってからでもアタシは一向に構わないけど?」
「‥‥‥ああ、そうしてくれるか? それじゃあ行こうか、トリーシャ」
 その言葉を最後に、禅鎧は凍司たちと別れることにした。

 トリーシャの話では、その人を『旧王立図書館』で待たせているという事で、同じ通りに位置するさくら亭までは凍司たちと一緒に行動を共にした。
「…そう言えば、大きな図書館があるとアレフから教えられた事があったな」
「うん。かなり昔に建てられたらしくて、古い蔵書とかいっぱい置いてあるんだよ。それに、妖しい噂とかもちらほら‥‥‥」
 旧王立図書館は、さくら亭から歩いて5分もかからない距離に建設されてあった。トリーシャの言葉を裏付けるように、歴史を感じさせる所々から雑草がはみ出ている正門。幾多もの嵐に耐え抜いてきたと思われる、ところどころにヒビが描かれた壁。止めどなく降り注ぐ太陽光が、この建築物の荘厳さを増長させているかのように思えた。
「ボクもここで、友達と一緒に学校の宿題とかやってるんだ」
 感心したように、禅鎧は鼻を長めに鳴らした。ブロンズ製の扉を開くと、新しい書物やかなりの年代物の蔵書から放たれる見事にリミックスされた臭いが鼻腔を刺す。1階はどうやら事務室になっていて、一般の利用客の姿は見当たらない。
 若干軋んだ階段を2人並んで昇っていくと、綺麗に区画整理された道路のように本棚と長テーブルが設置された閲覧室に辿り着いた。まだ上の階があるようだが、2階だけでもかなりの数の本が陳列されてある事に、禅鎧は内心驚いていた。所々に建てられている支柱には、案の定『静粛』と書かれた貼り紙があった。
「なるほど。トリーシャの言う通り、いろいろ揃っていそうだな。音楽の書物なども、置いていればいいが‥‥‥」
「アハハッ。禅鎧さんなら、そう言うと思ってたよ」
 外からでは良く分からなかったが、建物の壁は大理石で出来ており、天井を見上げれば若干豪華なシャンデリアが飾られてあった。今日は休日なのだが、その割には利用客が少なく、ただでさえ広い閲覧室がより一層広大な一室に錯覚できる。
「…それで、会わせたい人っていうのは?」
「うん…、ボクのクラスメートなんだけど‥‥‥あ、いたいた! シェリル〜〜!!」
 室内をしばらくの間キョロキョロ見回し、イスに座っているクラスメートの後ろ姿を発見すると小走りに近寄る。禅鎧も遅れて、彼女の元へ辿り着く。
「シェリル、連れてきたよ‥‥‥って、シェリル?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 トリーシャが呼び掛けてみるが、シェリル‥‥‥と呼ばれた少女‥‥‥からの反応はない。肩を揺さぶってみても、暖簾に腕押しだった。シェリルの前で見開かれた本を発見すると、トリーシャは額に手を当てつつ苦笑いを浮かべた。
「ああ…。シェリルってば、また本の世界に入っちゃってるよ」
「‥‥‥ふ〜ん、随分とその本が気に入っているみたいだな」
 よく見ると、彼女の唇がパクパク動いている事に気付く。
「アハハ…、シェリルの場合は本なら何でも好きなんだけどね。待ってて、すぐに元に戻すから。‥‥‥‥ていっ!!」
 とすっ!!
 1つ小さく深呼吸すると、トリーシャはシェリルの頭部にチョップを喰らわした。流石の禅鎧も、突拍子な行動にあっけに捕らわれてしまう。
 しばらくして、正気に戻ったシェリルがこちらを振り向く。
「…ハッ! ト、トリーシャちゃん? あっ…もしかして私、また本の世界に入っちゃってたの?」
 トリーシャがためらい勝ちに頷くと、やるせない溜息を付いて俯く。トリーシャは彼女の隣りに座ると、励ますように肩をポンポンと叩いた。そして禅鎧も、2人とは反対側のイスに腰を下ろした。
「トリーシャ…。彼女がその俺に会わせたいという人か?」
「うん、紹介するよ。ボクのクラスメートでもあり、大事な友達でもあるシェリル・クリスティア」
 自慢げにシェリルのことを紹介するトリーシャ。ディープパープルのロングヘアーは、後ろの方で2つに分けて三つ編みされ、青いリボンが巻き付けられてあり、左半分の前髪は、リボンと同色のカチューシャで止められている。澄んだ黒い瞳には、彼女は少し大きめのハーフフレームの眼鏡がかけられている。地味でもなく派手でもない衣服。何の飾り気もない、ナチュラルな容貌の持ち主だ。
 何処かソワソワした様子でシェリルが口を開く。
「…あ、あの。よ、宜しくお願いします‥‥‥」
 そして、ペコリと頭を下げる。頬を微かに紅潮させていて、先程から禅鎧と目を合わせようとはしない。構わずトリーシャが、今度は禅鎧の事を紹介する。
「…で、この人が前に私がシェリルに話していた朝倉禅鎧さんだよ」
「初めまして‥‥‥朝倉です」
 前髪を掻き上げてから、禅鎧も軽く頭を下げる。その時シェリルも一瞬だけ視線をこちらに向けたが、すぐにテーブルに置かれた本に戻す。
「…ゴメンね、禅鎧さん。シェリル、あまり男の人と話すのには慣れていないんだ」  「…いや。別に気にしてはいない」
 咳払い混じりにかくいう禅鎧も、あまり異性の‥‥‥特に初対面の女性‥‥‥と話すのは得意な方ではない。いや、禅鎧自身にも分からない、何らかの因果でそうならざるを得なかったというべきだろうか。
「‥‥‥それで、俺に会いたいというのは?」
「それはボクから説明するよ。実はね‥‥‥」
 以前、発生したエンフィールド連続強盗事件を禅鎧が解決した次の日。やはり、学園中がその話題で持ち切りであった。ただ、禅鎧の名前は1つも出てこず、ジョートショップが解決したとされていたのは、その日に出された号外新聞で告知された通りだった。そして、ほんの数週間前。この話題も消え失せ始めた頃、講義の中休みにシェリルと雑談をしていた時、ふと事件の話題になり、シェリルがそれについて興味を持っていた事を知る。それで、うっかり禅鎧の事を話してしまったのが事の発端。会わせて欲しいと頼まれたという。だが、禅鎧のジョートショップでの仕事が忙しく、やっとの事で禅鎧とコンタクトを取れたのが今日‥‥‥という事だった。
「なるほど‥‥‥な」
「ほら、シェリル。後は自分で説明しなよ」
「う…うん。あ、あの。私、実は…」
 恥ずかしさのあまり、言葉が途切れ途切れになってしまうシェリル。トリーシャはアハハ…と頭に大きな汗を浮かべていた。ふと禅鎧は懐からサングラスを取り出し、それをかけた。
「…これで、少しは話しやすくなるかな?」
 禅鎧のその言葉に、シェリルは怖ず怖ずと頭を上げる。すぐに俯いてしまうが、すぐに頭を上げ、禅鎧に視線を合わせられるようになったようだ。トリーシャも禅鎧がサングラスをかけているのを、今回初めて知ることになる。
「は…はい、すみません。‥‥‥私、本…特に小説が大好きで、もちろん読むことも好きだし、それに自分で小説を書いたりもしてるんです」
 そこまでシェリルが話したところで、禅鎧も薄々彼女が何を言いたいのか既に分かっていた。しかし、そこで口を挟んでこようとはしなかった。
「それで、ミステリー小説を書いてみたいと思ってた頃に、偶然トリーシャちゃんから強盗事件の話を聞いて、あの…朝倉さんのことを知ったんです」
 シェリルの傍らでは、トリーシャが『がんばれ』と表情で激励を贈っていた。
「なるほど、ね。つまりは、俺から強盗事件解決までの経緯を聞きたいと…」
「は、はい‥‥‥。あの、お願いできますか?」
 禅鎧は口元に手を当てて難しい表情を浮かべたまま、しばらく考え込む。トリーシャが胸の前で手を組みながら、こちらを心配そうな表情で伺っている。そして禅鎧は、1つの結論を出した。
「‥‥‥1つ、条件があるけど、それでも構わないか?」
「えっ? …は、はい」
 小さな声ながら、ハッキリとした声でシェリル。彼女を見て、禅鎧は満足げに頷いた。
「あくまで参考までの域に留めておき、それを世間一般に公表するような事はしない。それだけ守ってくれるなら、喜んで話をしよう」
 その瞬間、トリーシャとシェリルの表情が、パッと光を帯びたかのように明るくなった。
「は…はいっ、約束します! ありがとうございますっ!」
「さっすが禅鎧さん! …でも、ボクたちだったら別に完成した小説を読んでもOKだよね?」
 強盗事件解決に協力してくれたトリーシャやアレフたちには、既に事件の詳細を説明していたので無論構わないだろう。禅鎧はすぐにYESの返事を出した。
「やったあ! シェリル、完成したらボクを読者第一号にしてよねっ!」
「そ…そんな、トリーシャちゃん‥‥‥」
 まだ肝心の小説に筆を入れていないのに、トリーシャがそんな期待の言葉を懸ける為に、シェリルはちょっとしたプレッシャーを受けているように思えた。
「それじゃあ早速ですけど、話を聞かせて貰えますか?」
「ああ‥‥‥」
 そして禅鎧は、1つ1つ事件解決までの道のりをトリーシャも交えて説明し始めた。だが、シェリルの口調が突然活発になった事に気付いていない。

「それで、この本の面白いところは‥‥‥」
 閲覧室の支柱に立て掛けられた時計が、もうすぐ19時を回ろうとしていた。太陽も既に地平線の彼方へと消え、変わりに真円を描いた月がエンフィールドを照らしていた。夜の閲覧室では、豪華なシャンデリアの飾りが見事に栄えている。そろそろ閉館の時間でもあるので、禅鎧たちの利用客は既にいない。
 流石に強盗事件の話題は終わっていた。本来ならばそこで話は終わりなのだが、そこでトリーシャがこの図書館に置いてある音楽関係の実用書について禅鎧が知りたがっていた事を口にした為、シェリルのテンションはそのままに現在までその話題で持ち切りである。流石のトリーシャも、テーブルに突っ伏してしまっているが、禅鎧はじっと口元に手を当てたまま彼女の話を聞いている。
「トリーシャさん‥‥‥」
 ふと禅鎧の背後から、何処かしら無機質な声が聞こえてきた。トリーシャが突っ伏していた上半身を起こし、そちらを振り向く。
「あっ、イヴさん‥‥‥」
 流れるような漆黒のロングヘアー。整った顔立ちからは、知性が滲み出ている。エメラルドグリーンの瞳は澄んではいるが、若干の違和感があるように思えた。スレンダーな肢体を包んだ赤を基盤とした衣服は、やはり図書館司書という事務的な仕事に見合っているように思える。
「? 今日は見慣れない方がいるようだけど‥‥‥」
「うん。ジョートショップで働いている、朝倉禅鎧さん」
 イヴと呼ばれた女性は禅鎧に視線を移す。禅鎧も彼女の視線に気付きそちらを見上げるが、イヴはすぐに興味が失せたかのように話を元に戻す。
「そう…。ところで、もうすぐ閉館の時間なんだけど‥‥‥」
「あっ、そっか‥‥‥。でもその前に、シェリルを元に戻さないと。‥‥‥‥‥とりゃ!」
 とすっ!
 トリーシャは今日2発目のチョップをシェリルにはなった。我に返ったシェリルは、瞬きしながら辺りを見回す。そして、二度目の後悔の溜め息。
「あっ‥‥‥。私、また本の世界に入っちゃってたんですね。あの…ごめんなさい、朝倉さん」
「…いや、こっちも充分に参考になったよ。ありがとう」
 シェリルは恥ずかしそうに頬を染めたまま、俯いてしまった。

「あ…あの、朝倉さん。今日は本当に、ありがとうございました」
 すっかり夜遅くなったので、禅鎧はシェリルの住んでいる学生寮まで送っていった。その帰り道、トリーシャから先程出会ったイヴ・ギャラガーという図書館司書の事を紹介された。また旧王立図書館は、イヴと館長だけで営んでいる事も教えてくれた。
「それにしても禅鎧さん、よくシェリルの話に最後まで付き合ってられたね」
「ああ‥‥‥。ちょっと突拍子過ぎる言葉もあったが…、本当に蔵書選びの参考になったよ。…彼女なら、いい小説家になれるだろうな」
 トリーシャもまるで自分のことのように、うんっ!…と大きく頷いた。
「それに、明日の仕事のために充分な参考資料にもなった」
「‥‥‥どういうこと?」
 禅鎧曰く、明日リヴェティス劇場である舞台が開催されるらしく、それに使うBGMの作曲・演奏の依頼を受けていて、その物語に登場する主人公というのが、シェリルに雰囲気が似ていたのだという。
「フ〜ン。じゃあこれから帰ったら、仕事があるんだね」
「いや、音楽に関しては仕事というよりは遊技に近いな。…何よりも、やってて楽しく感じられるからね」
 シェリルが本というものに対しては人が変わったように口が達者になるように、自分もまた音楽に関わった事になると貪欲になれる。そんな似通った部分があった事も、その理由の1つかもしれないと禅鎧は付け加えた。

To be countinued...


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