中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「Chase In Labyrinth -前編-」 輝風 龍矢  (MAIL)

The last song

第23章:Chase In Labyrinth -前編-

 世界的に有数な資産家であるショート財閥が誇る大豪邸。エンフィールドはノースウェストの最北端にて、その豪華な佇まいを披露している。中流階級の一戸建ての住宅が1つ入るほどの中庭には、一流の庭師が手入れしたものと思われる『芸術作品』が、所々に植えられており、時々小鳥たちが空の散歩の休憩がてら、きれいな囀りを聞かせてくれる舞台にもなっている。その中庭のほぼ中央に位置する噴水は、常に新鮮な水とマイナスイオンを周囲に散布してくれていた。そしてそれを取り囲むように設置されたベンチ。恐らくは、雇われた使用人たちや来客用の為に配慮されたものなのだろう。
 そんな大衆的な休憩場所の一角を見下ろす、とても不自然な人影が、豪邸のある一室のバルコニーに姿を現した。比較的ガタイの整った身体を包み込んでいるのは、ごくありきたりで且つ特徴的でもない黒っぽいスーツ。はめられた白い手袋は、他人から見れば嫌味とも取れる。髪の毛は大きく逆立てられ、そして何よりも奇妙なのは、不思議な遊び心が見受けられるような白い仮面を付けているところだった。
「ふむ‥‥‥。秘書という役職は、意外と暇なものでございますねぇ」
 鼻につくような声のその男は、大きな深呼吸と同時に大きく伸びをすると、ベランダに置かれたイスにドカリと腰を下ろす。
(…ですが、暇な時こそこうやって羽を休めておかなければ…。いつでも、ショート会長のお役に立てるためにっ!)
 言葉には出さずに、自分の中で改めるように気合を入れ直す。だが…。
「ククク…。随分といいご身分だな‥‥‥」
 次の瞬間、彼の背中に何やら冷たいものが走ったような感覚を覚える。思わずイスから立ち上がり、辺りを見回すも人影1つ見当たらない。
「だ…誰ですか? 姿を現しなさい!」
 外ではない事を確認すると、男は自分の部屋の中に恐る恐る足を踏み入れる。しかし、謎の声の正体とおぼしき人影は見当たらなかった。
「おいおい…、自分の『相棒』の声をもう忘れちまったのかい?」
 ヴンッ!!
 耳障りなノイズ音が背後から聞こえた。振り向くと、いつの間にそこから現れたのか、1人の謎の男が立っていた。上半身には下着を付けておらず、胸元のわざと開けた漆黒のジャケット1枚だけ。首には奇妙な文字が描かれた漆黒のチョーカー。クールなまばゆさを見せつける銀髪。両目には、不気味な紋様が刻まれた眼帯が為されてあった。
「あ、あなたは確か‥‥‥!」
「1ヶ月ぶりだな、ハメット」
 正体が分かった途端、安堵の溜め息を漏らす男…ハメット。すぐに来客用のソファーに座るよう勧めるが、眼帯の男は静かにかぶりを横に振った。
「来るなら来ると早く仰有って頂かないと…。待って下さい、何かお飲み物を用意いたしますから」
 だが壁に身体を預けたまま、男は再びかぶりを振った。仮面の上からでは分からないが、訝しげな表情を浮かべるハメット。
「…必要ない。用件だけ言ったら、すぐに行動を移らなければならないからな。もちろん、お前にも俺の言う通りに動いて貰うぜ」
「えっ? …ということは、いよいよあの計画を実行に移せるということでございますか!?」
 興奮したようにハメット。すると男は、突然高らかな笑い声を上げた。
「ハハハ…! そう焦るな。言ったはずだぜ、しばらくは目立った行動を取るなと…」
「そ…、そうでしたね。‥‥‥それで、用件というのは?」
 興奮気味の自分の感情を制御するように、咳払いを1つ零すハメット。真剣な面もちで、本題を尋ねてくる。
「な〜に、大したことじゃない。以前も言ったとおり、ちょっとばかり奴らの邪魔をして貰いたいのさ。…お前、『目薬茸』という植物を知っているか?」

『一週間、お疲れさまでした〜!!』
 一方、こちらはジョートショップサイド。今日もいつもと変わらぬ仕事を無事に終えた面々が、ジョートショップで終礼を終えたところだった。そして、アリサが入れてくれたコーヒー‥‥‥パティとシーラはホットミルク‥‥‥を片手に、雑談に花を咲かせる。
 先の挨拶の後、禅鎧は何か用があるらしく、2階の自分の部屋に行っている。
 今日は凍司は勿論のこと、アレフ・パティ・シーラ・リサが手伝いに来てくれていた。毎週依頼される仕事量も、ここしばらくは平行線を辿っている。
 最近の主な仕事分担は、禅鎧と凍司はオールマイティ、アレフは力仕事でリサはそれに加えてモンスター退治などの戦闘関連、シーラは音楽と頭脳労働専門、今日は来ていないがピートは力仕事、エルは芸術関連、クリスは頭脳労働。全て禅鎧が個々の技量を計算した上での、妥当な分担方法だ。
「…なあ、凍司。明日休みだろ? ちょっとばかり、俺に付き合ってくれないか?」
「えっ? それは別に構いませんが‥‥‥」
 アレフからの突然の申し出に、若干ながらも驚く凍司。その2人の会話を聞き逃さなかったリサが、呆れたように肩をすくめる。
「おい、アレフ。アンタの下らないナンパに、凍司を巻き込むつもりなのかい」
「チッチッチ、下らないとは失敬だな。俺には、世の女性に夢を与えるという使命があるんだよ」
 まるで、ご指名ナンバー1のホストのような事を言うアレフ。これは誇大表現のように思えるが、それもまたつじつまが合っている。事実、彼の所有する衣服、香水、家具など…。付き合っている女性たちからのプレゼントも混ざっているのだ。
「そんな事よりも、今回はそれが目的じゃない。ちょっと、ローレライに買い物に行くんだよ。…凍司とこの街で出会って以来、同じマンションに住んでる俺の知る限りでは、凍司の衣服は2〜3種類ぐらいしか見たことがないんだ」
「それも、そうですね。ここに来るまでは、一カ所に留まるという事はありませんでしたから。ほとんど衣服などの余計な物にお金を注ぎ込んだ憶えはないです」
 それを聞いてアレフは、パチンと指を鳴らした。
「だろう? 折角俺と同じぐらいに美形なんだから、それでは宝の持ち腐れというものさ。だからこの俺が直々に、凍司に似合う衣服を選んでやろうというわけだ」
 偉そうに胸を張るアレフ。リサは少しだけだが感心したらしく、へえ〜…とそんな素振りを見せた。凍司はコーヒーを一啜りして、先を続ける。
「でもそれでしたら、僕なんかよりも禅鎧の方が相応しいんじゃないですか?」
 確かに禅鎧も以前までは凍司と同じ冒険者だった故、同じ事が言えるだろう。今は他にアリサの夫のお古を、1〜2着ほど使わせて貰っている。
 ちなみに凍司はアリサさんにいらぬ心配をかけないようにと、いつもなら本名で親友を呼んでいるところを敢えて『禅鎧』と呼ぶ事にしている。
「心配するな。禅鎧の分も、ちゃ〜んと選んでやるよ」
 任せなさいと言わんばかりに、親指を自分に向けてアレフ。それをずっと黙って聞いていたパティが、何かを言おうとするが…。
「でも‥‥‥」
「? どうしたんだよ、シーラ」
 わずかに早く、シーラの方が口を開いた。その場にいた全員の視線が、一斉にシーラの方へと向けられる。
「朝倉くんって…その、何て言うのかな‥‥‥」
 時折、禅鎧のいる2階へと続く階段に視線を向けながら、か細い声を振り絞るようにシーラがそう言った。
「変に着飾らない方がいい‥‥‥っていうこと?」
 シーラの言いたいことに感付いたパティが後を続けると、シーラは恥ずかしがりながらもゆっくりと頷いた。パティはシーラも自分と同じ考えだったことに気付くと、自信を持ったように先を続けた。
「うん、シーラの言う通りね。それにこれは禅鎧だけじゃなく、凍司にも同じ事が言えると思うのよ」
 パティ曰く、つい数週間前まで、禅鎧と凍司は例の交換条件で、1ヶ月間さくら亭での弾き語りをやっていた。弾き語りを終えて2人が帰った後、数人の若い女性客たちから禅鎧と凍司の事を尋ねられた事があったという。
「何ィ〜? そんな事、何でもっと早く言わなかったんだ!? ということは、禅鎧と凍司もナンパに連れていけば成功率がグンと‥‥‥」
「‥‥‥何下らない事を分析してるのよアンタは。…その時、禅鎧と凍司は今着ているのと同じような服を着ていたわ」
 勝手な皮算用を続けるアレフを後目に、肩をすくめながらも先を続けるパティ。そこまで聞いてリサは、全て分かったような笑みを浮かべた。湯気が消えかかってきたコーヒーを啜ると、今度は彼女が口を開いた。
「なるほど、それは言えるかもね。つまり禅鎧と凍司は、外見ばかり磨いて中身を磨かないアレフとは大違いというわけか」
「でも、驚いたわね。シーラが、そういう事を自分から進んで言うなんて。まさか‥‥‥」
「もう、パティちゃん! そんなんじゃないったら‥‥‥!」
 無論、パティはシーラが同姓とは普通に会話できる事を知っている。従ってこの場合、異性に対してを指しているのだ。パティが言いたい事をいち早く察知したシーラは、頬を紅潮させながらパティの肩を若干強引に揺さぶった。そこでパティの台詞は途切れたが、意地悪い笑みを隠そうとはしなかった。再びシーラは、恥ずかしそうに俯いてしまう。パティはすぐにからかったことを詫びたので、何とかシーラは機嫌を取り戻した。
 ちょうどその時、用を終えたらしい禅鎧が2階から降りてきた。
「あ、禅鎧君。今コーヒーを入れるから、ちょっと待っててくれる?」
「ええ…、お願いします」
 凍司は、その声があまり正常ではない事に気付く。自分の隣のイスに腰掛ける禅鎧を見やる。少しだけ息が荒い。それに、顔色もあまり優れないようだ。
「どうしました? あまり元気がないように思えるのですが…」
「ああ…、ちょっとな‥‥‥。2階で軽い立ちくらみを起こしてしまった」
 全員の視線が禅鎧に集中する。その視線を感じ取った禅鎧は、すぐにいつもの静かな笑みを浮かべた。別に平静を装っているわけでもなさそうだった。
 そこへアリサが、温かな湯気を帯びたコーヒーを差し出してきた。
「禅鎧君、あまり無理はしないでね。仕事の方も大事かもしれないけど、私は禅鎧君の身体の方がもっと心配だわ」
「はい…、申し訳ありません」
 また以前のように暗い表情をしている禅鎧をとがめようと、テディはテーブルの上に飛び移る。
「禅鎧さん! みんなの前で、そんな暗い顔しちゃだめっスよ。このご主人様が入れてくれたコーヒーで、元気になって下さいッス」
「ああ、そうだな…」
 差し出されたコーヒーを一啜りしてから、禅鎧は目の前にチョコンと居座るテディを撫でてやる。テディは気持ちよさそうに、クリリンとした瞳を細める。それを見ていた凍司たちも、ホッと安堵の表情を表した。
 だが、禅鎧の心の中は自己嫌悪感で満ち溢れていた。凍司たちのみならず、アリサさんにまでも嘘を付いていること。立ちくらみなど、単なる他人に迷惑をかけないための建前に過ぎなかった。
 禅鎧は自室にて、今日で依頼を終えた仕事の伝票整理をしていた。いつもなら、1階でアレフたちと雑談をしながらやっていたのだが、今回は自分の楽譜も使用していたので、それをファイルに保管しておく事もあった為だ。
 ちょうどその時、禅鎧の頭を強烈な激痛が襲ってきた。声をあげないように堪えるのがやっとだった。しばらくしてそれは去っていったが、後には何とも言えない不愉快さが尾を引いていた。それが残ったまま1階へと降りていったが故に、アリサさんたちに入らぬ心配をかけてしまった。そんな思考が、禅鎧を自虐の道へと誘っていた。
 ふと禅鎧は、こちらを心配そうな表情で見つめているシーラに気付く。平静を装いながらコーヒーを再び一啜りしつつ、視線を横に逸らした。だがシーラは、禅鎧から視線を逸らそうとはしない。禅鎧にとっては余りにも気まずい雰囲気が流れていた。そして、それを打ち破ってくれる何かを求めようとしたその時。
 カラン、カラ〜ン!
 ジョートショップ入口にかけられたカウベルが、激しく打ち鳴らされた。あまりの音に、全員がそちらを振り向くと、そこには顔なじみの少女の姿があった。
「みんな〜! 大ニュースだよ、大ニュース!!」
 大きなリボンがトレードマークでもあるトリーシャだった。下校途中らしく、エンフィールド学園の制服を着たままだった。膝に手を付いて、何とか呼吸を整えている。
「どうしたんだ? そんなに血相‥‥‥でもないな。その表情からして、朗報といっても過言じゃないだろう」
 禅鎧の言うとおり、現在のトリーシャは疲労の色で彩られているが、それは徐々に、だが確実に明るく塗り替えられていっている。呼吸が整ったトリーシャは、ほのかな照れ笑いを浮かべた。
「エヘヘ…、やっぱり分かっちゃった? …あのね、アリサさんの目が治るかもしれないんだよ!!」

 再びハメットサイド。
「な、なるほど。『目薬茸』をあの憎きジョートショップの連中が狙っていると。だから、この私めがそれを阻止しろというわけですね?」
 不気味な笑みを浮かべている眼帯の男から一通りの説明を聞いたハメットは、早速頭の中で今後の計画を練りながら静かに頷いた。
「無理に倒すつもりはない。少しばかり、時間を稼いでくれるだけで充分だ」
「分かりました! 全てこのハメット・ヴァロリーにお任せ下さい。ですが、流石に1人では無理だと思いますので、早速人手を集めに‥‥‥うわあっ!!」
 バサバサバサッ!!
 高ぶる気持ちを抑えきれないのか、足早に部屋を出ていこうと扉を開けた瞬間、漆黒の烏が羽根を散らしながら部屋へと侵入してきた。弱々しい悲鳴を上げながら、尻餅を付くハメット。その鴉は、眼帯の男が突きだした腕の上に止まると、何やら男に話しかけているようだ。男が不気味な笑みを浮かべたまま静かに頷くと、烏は再びハメットの部屋から飛び立っていった。
「な…何だったんですか、今の烏は!?」
「驚いたかい? 俺の使い魔<ファミリア>みたいなもんさ。興奮してるところ悪いが、そんなに急ぐ必要がなくなってしまったようだ。どうやら、今日はもう遅いからとかいって明日に変更したらしい」
 残念そうにそう言うが、勝ち誇った笑みは相変わらずとして不気味な『氣』を漂わせていた。だが男の言葉を聞いていたのか否か、ハッと我に返ったハメットはスーツに付いた埃を払い落とすと、再び外に出ようとする。
「ですが、『善は急げ』という古の良き言葉もございます。人集めもそれなりに骨の折れる事なんですよ? というわけで、私は早速行動を開始させていただきます」
「…フフッ、頼もしいねえ。俺もアンタみたいな相棒持つ事を誇りに思うぜ」
「ありがたき幸せでございます。それでは、私はこれで! ここから出るときは、怪しまれないように注意して下さいね!」
 ハメットはそう忠告した後、軽い足取りで部屋を出ていった。1人取り残された男は、肩を震わせながら声にならない笑いを浮かべていた。
(クックック…、目薬茸の探索を明日に延期するとは如何にもお前らしいな。だが同時にそれは、俺に強力な獣を召喚させるための時間を与えている事にもなる。それをたっぷりと、後悔させてやるぜ!)

「‥‥‥駄目だ。2人は連れていかない」
「朝倉くん‥‥‥‥」
「ちょ、どうしてよ禅鎧!? 場合によっては、あたしだって怒るわよ!?」
 同時刻、ジョートショップは先程までの明るい雰囲気は一変していた。
 トリーシャの説明では、どうやら『目薬茸』という目の病気を治す薬が、雷鳴山のふもとにある『天窓の洞窟』の奥深くに生えているという。未だにアリサに恩返しと呼べる恩返しを一度もしていない事もあり、禅鎧は返事2つでトリーシャの情報を受け入れた。話はこのまま、順調に進んでいたかに見えた。
 だがリサ曰く、ここしばらくの間に雷鳴山の麓で魔物たちが見られるようになっているらしい。それを聞いた禅鎧はしばらくの間考えた後、パティとシーラは連れていかないという条件を付けてきたのだ。
「そうだぜ禅鎧。俺も置いていくというのなら分かるが、なぜシーラとパティは連れていかないと言うんだ? そう差別するのなら、俺も黙っちゃいないぜ!」
「‥‥‥モンスターの巣窟に、女性はあまり連れて行きたくはない、危険な目に会って欲しくない。これはいくらアリサさんと言えども、撤回するつもりはありません」
「禅鎧君‥‥‥‥」
 そうやって釘を刺すことで、予想されるアリサさんの忠告を阻止する禅鎧。案の定、アリサは口を封じられてしまっていた。
「朝倉くん‥‥‥‥」
 シーラは再びそう呼ぶが、禅鎧は俯いたまま何も答えない。今にも泣きそうな表情でこちらに訴えかけてくるシーラの視線が痛かったのだ。
 禅鎧は当初、人手は大いに越したことはなく、連れて行ってもいいだろうとその意見には賛成していた。だが深層意識に潜む何かが、空かさず警告のランプを禅鎧の頭脳に発したため、その思考は急ブレーキをかけざるを得なくなった。
(龍矢‥‥‥)
 凍司は当初、親友らしい冷静な判断だと禅鎧のもっともな意見を肯定していた。だがいつもと違い、少し感情的だったことに気付く。俯いたままの禅鎧を観察するうちに、ある1つの答えに辿り着いた。
(まさか…、まだ『あの事件』での傷が‥‥‥)
 ここでいう傷とは、肉体的なものではなく精神的なそれを指している。そんな事よりも凍司は、この答えに辿り着いてしまった事を少し後悔した。恐らくはアレフや誰かが、禅鎧の親友である自分に、何か言ってやるように振ってくるのは間違いない。だが自分も知っているそのトラウマが分かってしまっては、意見を言いづらくなってしまう。
「ちょっと凍司。あんた親友なんでしょう? 何とか言ってやりなさいよ!」
 無常にも、その役が自分に振られてきてしまった。アレフたち6人+1匹の期待の視線が、一斉に凍司へと降り注がれる。苦笑いを浮かべつつ、禅鎧に近づく。凍司の陰に気付いた禅鎧は、そちらへと顔を上げた。その表情は、何処か悲しげだった。
(参りましたね‥‥‥)
 そう心の中で呟く。何とか言葉を探そうと、手を口元に当てながら頭の中をフル回転させる。凍司が何か考え事をしている時の癖の1つだ。そして幸運にも、凍司は禅鎧の言葉にあるたった1つの落とし穴を発見した。
「禅鎧‥‥‥。今貴方は、『女性』は連れて行きたくないと仰有いましたね?」
「ああ…、それがどうかしたか」
 ためらう事なく禅鎧。凍司は、フフッとクールな笑みを浮かべて先を続けた。
「そういう事でしたら、何故貴方はトリーシャやリサを連れていく事を否定しなかったのですか?」
 凍司の言葉に、誰もが怪訝な表情を浮かべた。だが当人のトリーシャとリサは、凍司の言わんとしている事が分かっているらしく、微かな笑みを浮かべた。
「? 当然だ。トリーシャは天窓の洞窟までの道のりを知る唯一の案内役、そしてリサの戦闘術はかなり頼りになるからな」
 禅鎧も凍司の問い掛けに一瞬訝しげに思ったが、すぐに言葉を紡ぎだした。それでもひるむ事なく、凍司は更にその上を行く言葉を投げつける。
「トリーシャは大事な案内役ですから、まあ良しとしましょう。確かに、リサはこれまで傭兵の仕事をしてきたという事もあり、今回の探索でもかなり頼りになることでしょう。ですが先程の貴方の言葉通りに取るとなると、『女性』とかなり大きな範囲を限定している事になります」
「‥‥‥‥‥‥‥‥!」
 凍司がそこまで説明したところで、アレフたちにもやっと合点がいったようだった。禅鎧の堅い表情にも、少しだけ変化が生じた。
「『戦闘慣れしていない女性』と貴方が言ったのであれば、僕も納得が行きます。ですが、ただの『女性』となると話は別です。リサが幾ら戦闘慣れしていようとも、所詮は『女性』。いくら僕らと同じく戦闘慣れしていようとも、かなり体格的にも体力的にも差が生じてくるものですよ。そう言う事でしたらトリーシャとリサも連れていかず、僕と貴方、そして戦闘慣れしていないものの、体力的には見所のあるアレフだけで…。天窓の洞窟までの道のりはトリーシャに地図を書いて貰ってから、出発すれば宜しいのではないですか?」
 凍司が淡々と自分の意見を述べていくと同時に、アレフたちの表情及びジョートショップ内の雰囲気が、徐々に明るい方へとベクトルが動いていくのが分かった。禅鎧にももはや反論する様子は見られなくなっている。
 後一押しですね…と心の中で呟いた凍司だが、自分はここまでだと悟り、パティとシーラの方に目配せをする。それに気付いた2人は、凍司に感謝するように頷く。そして凍司も頷き返すとリサの方に振り向き、申し訳なさそうに軽く頭を下げる。
(アンタが謝る必要はないよ。ああでも言わなければ、あの子は絶対に一歩も退かなかっただろうしね‥‥‥)
(ありがとうございます…)
 凍司は禅鎧から離れるのを見計らい、パティとシーラが禅鎧の説得に当たろうとするが、何故かシーラだけが禅鎧の前に歩み出た。シーラは一瞬戸惑ってパティの方を振り向くと、ウインクをしながら小さく手を振っていた。照れ笑いを浮かべながら、シーラは1つ深呼吸をすると、真剣な面もちで口を開いた。
「あの…、朝倉くん? 私たちの事を気遣ってくれるのは、とても嬉しいです。だけどね、私たちだってアリサおばさまの目が治る為のお手伝いはしたいんです。確かに私やパティちゃんは、あまり戦闘とかを経験した事は一度もないけど…」
 そこまで言って言葉を詰まらせてしまったシーラ。そんな彼女の肩にポンと手を置いたパティが、その先を続けた。
「そうよ、禅鎧? アンタが何を思ってそんな事を言ったのかは知らないけど、アリサおばさんにお世話になっているのは何もアンタだけじゃないのよ!? ここにいる人みんな、ううん。少なくともエンフィールドに住む人々は、一度は必ずお世話になっていると言っても過言ではないわ。そして、誰もがいつか恩返しをしたいと思っているわ。さっきのあんたの言葉は、それを独り占めしている事にもなりうる可能性もあるのよ?」
 そしてその先を続けるように、シーラが再び口を開いた。
「それに…、それにね。仮に私たちが…私が危険な目にあったとしても、きっと…その、朝倉くんが守ってくれるって思ったから‥‥‥」
「え‥‥‥シーラ?」
 思わず伏せていた顔を上げる禅鎧。桜の花びらを散りばめたかのように、シーラは頬をほのかに紅潮させていた。この言葉には禅鎧のみならず、凍司や側にいたパティたちも驚いていたようだ。
「‥‥‥フフフ、貴方の負けですよ禅鎧。シーラさんにそこまで言われてしまった時点でね‥‥‥」
 クールな、そして何処かしら意地の悪い笑みを浮かべて凍司。禅鎧はしばらく沈黙したままだったが、突如堰を切ったように静かに笑い始めた。
「ハハハハ…、そうだよな。俺とした事が、また変に1人で突っ走ろうとしてしまったらしい。これでは、あの時の二の舞になってしまう」
 この場合のあの時とは、ジョートショップの仕事をやり初めた時の、あの絶望感に見回れていた時の事を指している。その時も今のように、勝手に1人で考え込んでしまい、アリサさんに余計な心配をかけさせてしまった。
「それじゃあ…、禅鎧さん!」
「ああ。パティとシーラも、明日手伝いに来てくれるか?」
「わ〜い、やったぁ〜〜!!」
 心底嬉しそうに、トリーシャがそう叫んだ。パティとシーラも、安心したようにお互いに微笑み合う。だがそこで、パティはある事に気付いてしまう。
「あっ…。でもシーラ、明日ピアノのレッスンは…?」
「ううん、大丈夫。休日は、いつもレッスンはお休みだから」
 水を差してしまうのかと思い恐る恐るパティは尋ねたが、シーラの言葉に『入らぬ心配だったわね』と、安堵の溜め息をもらした。
「良かったッスね、ご主人様!」
「ええ、一時はどうなる事かと思ってたけど…。入らない心配だったようね」
 そう言って、胸に抱いたテディの頭を撫で上げるアリサ。いつもの静かな笑みを浮かべている禅鎧の方に、視線を送りながらも…。
「うん! そうと決まったら、明日のお弁当は気合いを入れて作らないとね」
「お弁当‥‥‥?」
 訝しげに思いながらも、禅鎧は思い立ったように切り出したパティにそう尋ねた。
「そうよ。雷鳴山ということは、当然山登りをするわけでしょう? だったら、ピクニックみたいなものよね?」
「そうですね。洞窟内部に茸が生えているというのは例外を除けばまずないでしょうし、恐らくは洞窟を抜けた開けた場所に生えてあるのでしょうから。そこでお弁当を広げるというのも、悪くないんじゃありませんか?」
 凍司の冷静な分析に、ウンウンとパティが頷く。前髪を掻き上げたまま、動きが止まってしまう禅鎧。
「おい、俺たちは別に遊びに行くんじゃ‥‥‥!」
「な〜に、禅鎧? まだ何か言い足りない事でもあるのかしら?」
 意地の悪い笑みを浮かべつつ、パティ。先程までの一件もあってか否か、禅鎧はそれ以上何も言えなくなってしまっていた。
「ハァ、勝手にしてくれ‥‥‥」
 結局、先に骨が折れてしまったのは禅鎧だった。シーラはそんな禅鎧を見て、クスクスと静かに笑っていた。
「よしと、話はまとまったようだな。‥‥‥と、大事なことを忘れてた。ところで禅鎧、明日の集合時間を教えてくれ」
「あ、ああ‥‥‥。トリーシャ、天窓の洞窟までの道のりはどれくらいか分かるか?」
「うん。トーヤ先生の話だと、大体1時間ぐらいのところにあるんだって」
「そうか‥‥‥。だとしたら、ちょっと早いかもしれないけど、明日午前9時頃にここにみんな集まってくれるか?」
 禅鎧の言葉に、全員がほぼ同時に頷いた。そう判断した禅鎧を見て、凍司は微かな笑みを浮かべていた。洞窟までたどり着くのに1時間、そしてその中を探索するのに約1時間かかるだろう。だとすれば、目薬茸が生えていると思われる場所に出るのはおよそ午後3時過ぎ。正午ピッタリに昼食を取っていたとすれば、ちょうどその頃胃の中が空っぽになる。ピクニックの事を否定しておきながら、ちゃんとその事も頭に入れて時間を弾き出した禅鎧に、凍司は心の中で敬意を表していた。 
 ピッポ、ピッポ、ピッポ‥‥‥‥。
 リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン‥‥‥。
 ちょうどその頃、ジョートショップの掛け時計から、時を知らせる鳩が飛びだし、6回鳴くとまた時計の中へと戻っていった。それと同時に、セント・ウィンザー教会の聖鍾もエンフィールドに刻を知らせ始める。窓の外は、既に暗くなりかけていた。
「あら…、もうこんな時間。みんな、もう帰った方がいいんじゃないかしら?」
「おっ、それもそうだな。さあシーラ‥‥‥、俺が家まで送っていっt‥‥‥痛ででっ!!」
 得意の甘い声でシーラに近づこうとするアレフだったが、パティが背中を強くつねってきたのだ。情けない声を挙げるアレフ。
「ダ〜メよ。アンタみたいな獣が、シーラを送っていったらどうなるか…。シーラは、禅鎧に送っていって欲しいって言ってるから‥‥‥ねっ!」
 そう言って、シーラにウインクをする。
「‥‥‥‥‥‥!」
「え‥‥‥、パティちゃん…!!」
 頬を真っ赤に染めながら反論してくるシーラを、たやすく突っぱねるパティ。
「あら? じゃあさっき禅鎧に言ったあの言葉は、何だったのかしら?」
「あ、あれは…その‥‥‥」
 可哀想なほどに、耳まで真っ赤になるシーラ。だがパティは、ウフフ…とからかいに満ちた笑みを崩そうという様子は見られない。
(何だ‥‥‥、この感覚‥‥‥)
 また禅鎧の心の中でも、今までに経験した事のない別の感情が生まれようとしていた。流石の禅鎧でも、口では説明しづらい。だがそれでいて心地よく、安らいでいられるもの…。だがそれは、すぐに何かによって闇へと葬られてしまった。
「…というわけだからアレフ。あんたは私とリサを送っていくこと…いいわね?」
「チェッ…。はいはい、分かりましたよお嬢様方。‥‥‥じゃあな禅鎧、途中で変なことするんじゃねe‥‥‥ギャアッ!!」
 そのアレフの言葉には、嫉妬等の私情は感じられなかった。だが余計なことを口走ってしまったが為に、今度は左右から背中をつねられてしまう。
「馬鹿言ってないで、さっさと私たちを送っていきなさい! …シーラ、また明日ね」
「う、うん。バイバイ」
「明日、しっかりやろうぜ禅鎧!」
 紅潮した頬をそのままに、シーラは笑顔でパティに手を振った。禅鎧も軽く頷き、アレフを見送った。
「さてと…、それじゃあ邪魔者は消えるとしますか。行きますよ、トリーシャ」
「ハ〜イ♪ じゃあね禅鎧さん、シーラさん」
 何処まで本心なのか分からない事を言う凍司。トリーシャもそれを分かっているのかいないのか、口裏を合わせたように振る舞う。
「それじゃあ龍矢、明日また‥‥‥」
 ジョートショップの外に出たため、凍司はいつものように本名で呼ぶ。
「凍司…、悪いけど俺をそう呼ぶのは辞めてくれないか?」
「えっ?」
「仮に俺がお前の言う通りの『隼霧龍矢』だとしても、恐らく今の俺はそう呼ばれるのは相応しくない。今ここにいるのは、ジョートショップの一店員『朝倉禅鎧』だ…」
 心配そうな表情でこちらを伺っているシーラに気付くと、心配するなと小さく苦笑した。
「…そうですね、分かりました。いつか貴方を再び『隼霧龍矢』と呼ぶ事が出来るのを、楽しみにしていますよ。それじゃあ‥‥‥」
 軽く一礼して、トリーシャの家へと向かおうとするが、ふと立ち止まってシーラの元へ歩み寄ってくる。
「壬鷹くん‥‥‥?」
「禅鎧の事、宜しくお願いしますよ。どうやら、貴女の事を気に入っている節があるようですからね」
『‥‥‥‥‥‥!』
 突然そんな事を言われたが為に、シーラは再び桜の花びらを頬に散りばめてしまう。そして禅鎧も、何かは分からないが奇妙な感情に取り憑かれる。そしてそれはまた、闇の奥底へと消えていった。
「じゃあ、今度こそ‥‥‥。また明日、お会いいたしましょう」
 その言葉を最後に、凍司はトリーシャと共に闇の中へと消えていった。
 ジョートショップの玄関前に、ポツリと取り残されてしまう2人。シーラは恥ずかしさのあまり、さっきから禅鎧と目を合わせようとはしない。両手を絡ませつつ、モジモジとしている。
 困ったように苦笑いを1つ零すと、禅鎧は静かに彼女の前へと手を差し伸べた。ピクリと身体を1つ震わせると、静かに禅鎧を見上げる。
「そろそろ、行こうか‥‥‥」
「‥‥‥うんっ」
 しばらくためらっていたのだが、やがて照れ笑いを浮かべながら、自分の手を禅鎧のそれに重ねてきた。しっとりとした、柔らかい感触の手。禅鎧は自分の心臓が、1つ大きく波打った事に気が付いた。
(また…、この感覚‥‥‥)
 だがやはり、それはすぐに散り散りとなって夜の闇へと翻っていった。
「? どうしたの?」
 訝しげな表情でこちらを伺うシーラ。我に返った禅鎧は、彼女を気遣うように静かな笑みを向けた。
「…いや、何でもない。じゃあ、今度こそ行こうか」

To be countinued...


中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲