Chase In Labyrinth -後編-

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「Chase In Labyrinth -後編-」 輝風龍矢　 (MAIL)

The last song

第１部：POWER SCALE
第２４章：Chase In Labyrinth -後編-

　リカルドとトリーシャの家は、自警団事務所のすぐ近くに建てられてある。自警団はそれぞれ６部隊に分かれ、それを統率する隊長が１人ずつ、計６人の隊長がこのエンフィールドの自警団を創設した団長の下に位置している。その中でも一番、団員たちからの信頼や尊敬は勿論のこと、エンフィールドの住民たちからの信頼も得ている第１部隊長のリカルドだけに、緊急事態に備えて事務所近くに家を建てた事も納得がいく。
「それじゃあお父さん。もし出掛けるようなことがあったら、ちゃんと戸締まりとか確認するようにね」
　トリーシャは愛用のリュックを肩に掛け、下駄箱の中にビッシリと入れられた靴を探している。流行の最先端を突き進む彼女の事、恐らくは新しい靴が発売されるたびに買い集めてきたものなのだろう。それに比べて、リカルドの靴の占拠率は鷹が知れている。
「トリーシャ、何処へ行くんだ？」
　１人娘の声を聞きつけたリカルドが、新聞紙を片手に居間から姿を現す。
「みんなで、ピクニック。後は、茸狩りかな？」
　リカルドは訝しげな表情を浮かべる。ピクニックなら未だ分かるが、後者の茸狩りというのはいまいち理解しがたいものがあった。そんなリカルドの心を見抜いてか、含み笑いをしながら『目薬茸』の事を説明をする。
「ほお…、アリサさんの。それはいい事だが、何処に生えているのか分かっているのか？」
「昨日、お父さんに聞いた『天窓の洞窟』を抜けたところにあるんだって。大丈夫だよ、リサさんや…禅鎧さんたちも一緒に来てくれるって言ってるから」
　トリーシャは、一瞬禅鎧の名前を出すことをためらったが、例の強盗事件でリカルドと禅鎧は共同捜査を行っていた事を思い出し、思い切って出してみた。心なしかリカルドが眉毛をしかめたように思えたが、理解したように頷いた。
「‥‥‥そうか。それなら、安心だな」
「うんっ！　それじゃあ、行ってきま～す！」
　いつの間にか靴を履いていたトリーシャは立ち上がると、少し小走りでフォスター家の門を後にした。その背中を見送るリカルドは、少し複雑な心境だった。
　かつて禅鎧は、自分が逮捕した犯罪者の１人だ。保釈金が支払われたが為に釈放はされたものの、ひょっとしたら終身刑も免れなかった罪人が、現在自分の大事な１人娘と行動を共にしている。通常ならば、そんな事は父親としても、自警団の隊長としても許される事ではなかった。だが強盗事件からだろうか。そんな感情が、徐々に緩和されていっているのが自分自身にも分かっていた。それが何故だかは、リカルド本人にも分からなかった。更には逆に、それに対して安心感も感じていた。
　ふと門の方から、見覚えのある長身の青年‥‥‥アルベルトが、こちらの方に近寄ってきたことに気付く。玄関先に佇んでいるリカルドの元へ歩み寄ると、ビシッと敬礼をした。
「アルじゃないか。今日は確か、非番ではなかったのか？」
「ええ。ちょっと近くまで来たものですから、隊長にご挨拶をと思いまして。‥‥‥そう言えば、先程トリーシャちゃんとすれ違いましたが…」
　そこでリカルドは、少し考えてからアルベルトの質問に答えた。
「詳しいことは分からないが、何でも『薬』を採りに行くらしいぞ。『目薬茸』とかいう‥‥‥」

　午前９時半…。温かい光のシャワーを浴びせる太陽は既に南東を通過していて、徐々に街路に浮かぶ影もその身を縮ませてきている。ジョートショップには、既に全員が集結していた。バスケットを１つずつ持ったパティとシーラ。腰に長剣を携えた凍司と、リサから借りたバトルナイフを手にしたアレフ。リサはいつも通りの黒いジャケットに、腰には２本のバトルナイフを付けている。そして、案内役のトリーシャ。また昨日は来ていなかったが、クリスも凍司やアレフと一緒にここに来ていた。
「流石にみんな、時間通り来てくれたな」
　ジョートショップの扉が開かれると、支度を終えたらしい禅鎧が姿を現した。続いて、アリサとテディも見送るために外に出てくる。凍司・シーラ・トリーシャは、ペコリとお辞儀をして挨拶を交わした。
　ふとアレフが、禅鎧のその姿に不自然さを憶えて尋ねてくる。
「おい禅鎧、お前は武器とか持って行かないのか？」
「…ああ、一応は持ってきている。恐らく、使うことは無いだろうけど…」
　すると禅鎧は上着の内ポケットからそれを取り出した。太陽によって微妙な光沢を見せた銀色の物体は、片方が斜めに切断された直方体のような形をしていて、切断された方には黒いプラスチック製の蓋のような物が取り付けられてある。一見しただけでは、良く分からない物体だった。禅鎧はそれを元の場所に入れ直す。
「？　クリスも、一緒に来てくれるのか？」
「うん。さっきアレフ君から『目薬茸』の事を聞いて、それで僕も無理にお願いして連れてきて貰ったんです。お邪魔じゃなければ、僕も連れていってくれますか？」
　真剣な表情でクリスはそう言ってきた。禅鎧は一度、クリスが攻撃魔法を使えるところを見たことがあった。クリスの魔法はきっと役に立つだろう。無論禅鎧は、迷うことなく頷き返した。パッと表情を輝かせると、「ありがとうございます！」と深く頭を下げた。
「アハハ、そんなにかしこまる必要はないですよ。禅鎧だって、クリスの能力を見抜いてこそ許可したんですから‥‥‥」
　凍司にも褒められたクリスは、エヘヘ…と自分のスカイブルーの髪の毛をクシャクシャと撫でた。
「禅鎧、ちゃんとお弁当作ってきたわよ。特別にシーラにも手伝って貰ったから、全部食べて貰わないとね、シーラ」
「え？　う、うん‥‥‥」
　少し恥ずかしそうに、シーラは頷いた。時折、禅鎧の方に視線を移動させるが、すぐにパティのところで視線を留めた。
「へえ…。それは楽しみですね、禅鎧」
「‥‥‥あ、ああ」
　パティの言葉に、少し戸惑っていた禅鎧を助けようと、凍司が口を挟んできた。
「禅鎧さん、そろそろ行こうよ。暗くなる前には、帰ってきたいしね」
「ああ、分かっている。‥‥‥それじゃあアリサさん、テディ。行ってきます」
「ええ‥‥‥。みんな、くれぐれも気を付けてね」
　そのアリサの胸に抱かれたテディが、大げさに手を振って見せていた。

　『天窓の洞窟』は、死火山でもある雷鳴山の頂上へと続く山道を、道なりに１時間ほど歩いたところに出来た小さなこやり。そこにまるで、異次元世界へと万物を誘うかのようにポッカリと入口が出来ていた。こやりは一面の草原になっていて、誰が作ったのかは不明だが草原を這うように、小さな道が洞窟の入口まで作られていた。
　中へと足を踏み入れれば、砂利を踏む音や心地よい足音がエコーのように響き渡り、より暗闇への恐怖心を仰ぐ。しばらく歩いていると、奥の方から何やら木漏れ日のようなものが確認できる。また、出口から吹いてくるのだろうか、水気を帯びた涼風が頬をくすぐり、登山で火照った身体を冷やしてくれる。その光の正体を目の当たりにしたとき、人は幻想的な光景を目にする事だろう。
『アンティス‥‥‥ルプス‥‥‥フィリス‥‥‥』
　更に奥に進むと、今度は草木の香りを湛えた微風が、洞窟の出口から吹いてくるのが分かる。それに逆らうように進んだ先にある出口を抜けると、そこにはまた草原があるが、その植物の種類は入口のそれとは違っている。
『インペディオ‥‥‥イモータリス‥‥‥インペリウム‥‥‥』
　その草原のほぼ中央で、謎の呪文を唱えている男の人影があった。男の身体は謎の光を帯びていて、地面にはそれを中心に中規模の魔法陣が描かれている。呪文に合わせて、魔法陣に書かれた文字が順に光っていく。
『‥‥‥ファース！！』
　最後の呪文を唱え終わると、魔法陣が高速回転を開始する。男の動体視力でも追いつけない程までの速度に達すると、魔法陣から巨大な光の柱が天空に向かって発射された。それを見ていた男は不気味に微笑を浮かべ、これから起こりうる事を頭の中でイメージしていた。
「ククク…、久々に暴れてやるとするかっ！！」

「‥‥‥‥！？」
　同時刻、山道の途中で足止めを喰らっていた禅鎧が、何らかの力の波動を感じ取っていた。正直言って、あまり気持ちの良いものではない。色で例えるならば、どす黒い波動といったところだろうか。同時に、以前にも同じ様な『氣』を感じたことがあるような錯覚も憶えた。だが現在は、自分たちの置かれた状況を何とかしなくてはならない。
　雷鳴山の登山道を歩き初めて３０分経ったころ、山道の両端を固めている茂みから現れたオーガー２匹と睨み合っていた。
「朝倉くん…、どうしたの？」
　禅鎧の服の袖を掴んでいるシーラが、少し不安げな表情で話しかけてきた。彼女だけでなく、パティ・トリーシャ・クリスも同じ事が言えた。
「…いや、何でもない。それよりも…、この状況を何とかしなければな」
　シーラの方を向いて小さく頷くと、彼女は静かに禅鎧の袖を離した。氣を練りながらオーガへと歩み寄ろうとすると、それを凍司が手で制してきた。
「オーガ如き、禅鎧が手を煩わせる必要はないです。ここは僕１人に任せて、貴方はシーラさんたちを守っていて下さい」
　余裕の笑みを浮かべながら凍司。背後ではリサが、興味深そうに静かな微笑を彼に向けていた。禅鎧もクールに微笑むと、凍司に一任するように頷いた。
「…分かった。だが、油断はするなよ」
「ええ、分かりました…。それでは、これを預かってて貰えますか」
　そう言うと、腰に携えていた長剣を禅鎧に手渡した。どうやら、素手でオーガと対決するらしい。凍司の戦闘能力を見抜いている禅鎧は、ためらうことなくそれを受け取った。
「えっ？　オーガ相手に、素手で闘うつもりなのかよ！？」
　凍司の信じられない行動に驚愕の色を示す。戦闘に関しては素人のアレフだが、モンスター相手には武器を使うのが普通だという事ぐらいは分かっているつもりだ。
「凍司なら、この程度のモンスターは１０秒で倒せる。瞬きしてると、多分見えないだろうな」
　と、禅鎧。これにはアレフのみならず、クリスとパティも絶句してしまっている。
　シュン…！！
　そんな会話を繰り広げている間に、凍司は行動を開始した。イニシアティブは完全に凍司となり、一瞬にしてオーガとの間合いを詰める。この辺で１秒。
「『画龍点睛脚』！」
　予め練っていた氣を利き足に具現化させ、アッパーカットのように足をオーガ腹部に喰らわせる。それによって創られる『氣』の軌跡が上空に舞い上がる龍を想像させる事から、その名が付けられた。オーガは上空に大きく吹き飛ばされたかと思うと、既に上空には凍司の姿があった。ここで３秒半。
「『水月掌』！」
　オーガが仰向けになった瞬間、鳩尾に掌底を叩き込むと同時に、溜めていた『氣』を続けざまに発射させる。オーガは地面に叩き付けられ、そのまま昏倒してしまう。凍司も、器用に着地する。これで、４．５秒。
『ウオオオオオッ！！』
　仲間が倒されて怒り狂ったオーガが、地響きを挙げながら凍司に襲いかかってくる。ブウン！…とパンチを繰り出すが、凍司は難なくそれをかわした為、それは地面に小さなクレーターを作るだけで終わった。６．５秒。
「終わりです。『掌』‥‥‥『蹴』‥‥‥『烈』‥‥‥『封』！」
　背後に移動していた凍司は、空かさず赤手空拳の連続技を次々とたたき込む。流石のリサも、１つ１つの動作を見るのがやっとだ。禅鎧は無言で、凍司の戦いを見守っている。そして『式』まで繰り出したところで、オーガは力つきてしまった。これで…。
「１０秒ジャスト。流石だな‥‥‥」
「最後の『八雲』は、中途半端なところで終わってしまいましたが…。さて、それじゃあ先を進みましょうか」
　禅鎧から預かって貰っていた長剣を腰に挿し直すと、いつもの人の良い表情でそう言ってきた。トリーシャやクリスたちは、我が目を疑っているように目を何度も瞬きしている。
「いや、その前にやっておくことがある」
　凍司は怪訝な表情を浮かべるが、禅鎧は構わず昏倒したオーガの中心に立つと、全員を離れさせるように凍司に目で促した。そして禅鎧はその場に跪くと、地面に例の指輪がついた左手を押しつけると、何かの呪文を詠唱し始めた。
『母なる大地へ　己が肉体と共に帰還し　新たなる輪廻転生の命を得よ』
　禅鎧の静かな声を合図に、オーガたちを囲むように目映い光を帯びた円が描かれた。やがて円全体が光り始めると、中にいた禅鎧とオーガ２匹はその光に飲み込まれた。
「！　この技は‥‥‥」
　しばらくすると光は徐々におさまっていき、後には禅鎧だけがそこから姿を現した。
「え、あれれ？　さっきのオーガたちは何処に行ったの？」
　クリリンとした大きな瞳を丸くしながら、トリーシャが興味ありげに問い掛けてくる。…と突然、地面から大きな蒼白い光の珠が浮き出てきた。そしてそれは、シャボン玉のようにゆらゆらと中空を揺らめきながら、快晴の青空へと消えていった。
「禅鎧さん、今のは一体‥‥‥」
　そう言ったクリスだけではなく、その場にいた誰もがそう思った事だろう。
「オーガの肉体を土へと返したんだ。光の珠は、それのエクトプラズムだと思えばいい」
「あのまま放置しておくのは可哀想だから？」
　と、これはトリーシャ。しばらく間があったが、禅鎧はふと苦笑いを零した。
「単なる気まぐれ‥‥‥かな。さて、先に進もう」
　アレフたちは合点のいかないまま、再び洞窟との距離を縮め始める。だが凍司だけは、密かに禅鎧の本音を聞き取っていたかのように、静かに微笑んでいた。
　‥‥‥そして更に歩く事３０分。禅鎧たちは、小さなこやりに出来た草原に到着した。奥の岸壁には、洞窟の入口とおぼしき洞穴が確認できた。
「禅鎧さん、あそこが天窓の洞窟の入口じゃないかな？」
「…どうやら、そうみたいだな」
　入口を確認した禅鎧は、開けられた岸壁の向こうに視線をやった。雷鳴山がそびえているのは当然だが、それよりも１つ手前にもごく小さめの山が確認できた。この他にもいくつか山岳が見えていて、どうやらこの辺りから見える山岳全てを総称したのが『雷鳴山』ということなのだろう。
　あらかじめ禅鎧は照明器具代わりに、以前も使ったことのある『円月光輪』を具現化しようとするが…。
「ちょ～っと、待っていただけますかぁ！？」
　不自然に甲高い男の声が、こやりにこだました。そちらを振り向くと、ソイルカラーの髪の毛を逆立て、奇妙な仮面で素顔を覆ってたスーツ姿の男が、こちらに大幅で歩いて近づいてくる。その後ろに、側近と思われる２人を引き連れてきている。
「どうも、初めまして。私はショート財閥にこの人ありと詠われている、ハメット・ヴァロリーと申します。誠に残念ではございますが、『目薬茸』は私どもが頂いていきますよ」
　仁王立ち且つ、自信満々な表情でそう言うハメットだが、後ろの２人はあまりやる気はなさそうに思えた。あまりのテンションに禅鎧と凍司以外は呆気に取られている。ハメットは改めて禅鎧たちを見渡すと、わざとらしい口調で禅鎧を指差してくる。
「おや？　そちらにいらっしゃいますのは、何でも屋『ジョートショップ』に居候しているという朝倉禅鎧さんではございませんか？」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「風の噂で聞いておりますよ。お金欲しさのあまりに、美術館の絵画などを盗んだそうでございますね。全くもって嘆かわしい！　確か今は信用を取り戻すべく、死にものぐるいで働いていると訊きましたが、まさかこんな所で油を売っているとは思いませんでしたよ」
「何だと、貴様！！」
　次々と鼻につく台詞を吐き出すハメットに業を煮やしたアレフはそう叫ぶが、それを禅鎧本人が手で静かに制した。
「フン…、私は善良なる一市民として正論を述べたに過ぎません。今すぐこんな茸狩りなど放棄して、住民の信用を取り戻す方に精を出した方が世のため身のためですよ。ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ！！」
　言いたい事を一気にぶちまけたハメットは、勝ち誇ったように禅鎧を笑い飛ばす。禅鎧が苦し紛れの捨て台詞を吐くのを待っているかのようだ。だが‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥で？」
　禅鎧の冷淡な言葉に、ハメットは凍り付いてしまう。
「なっ‥‥‥、『で？』とは何事ですか！？　私は貴方のためを思って‥‥‥ひいっ！」
　ハメットが全てを言う前に、禅鎧は『指弾』で威嚇射撃を行った。
「言いたい事は、それで全部か？　それならば、先に進ませて貰‥‥‥ん？」
「待て～～っ、朝倉ぁ！！」
　更に禅鎧たちの来た道から、見覚えのあるシルエットがこちらに近づいてくる。見覚えのあるグレイヴを携え、見覚えのある逆立てられた漆黒の黒髪。自警団員のアルベルトだ。
「話は全て聞かせて貰ったぜ。アリサさんに『目薬茸』を持っていくのは、このアルベルト・コーレインだ！！」
　こちらもまた、あまり乗り気じゃない同僚を２人引き連れての登場だった。思わずアレフとリサたちは、頭を抱え込んでしまう。
「よりによって、アルベルトもかよ。全く、どっから情報を仕入れてきたんだか‥‥‥」
「ちょっと待ちなさい！　『目薬茸』を手に入れるのは私共です！　自警団など、黙ってエンフィールドの治安を守っていれば良いのです！」
「フン、あいにくとオレは非番なんでね。我々にとっては大事な非番だが、アリサさんの為を思えば火の中水の中！」
　言い訳になってないと思うけど…と、心の中でツッコむトリーシャ。２人のテンションの高さに呆気に取られていたシーラはハッと我に返ると、掴んでいた禅鎧の袖を軽く引っ張る。
「あの…、朝倉くん。今のうちに、中に入った方がいいんじゃないかな？」
「ああ…、そうだな。それじゃ、先を進もうか」
　未だ言い争っている２グループ…正確には２人だが…をよそに、禅鎧たちは洞窟内へと侵入することにした。

「…『ドープライト・ブリング』！」
　呪文の詠唱を終えたクリスがそう叫ぶと、彼の手の平に小さな光の灯火が現れると、それは先頭にいる禅鎧の前まで移動する。本来は禅鎧が『円月光輪』を具現化するはずだったが、クリス自ら自分にやらせて欲しいと言ってきたからだ。
「クリス君、疲れてきたら今度はボクがやるからね」
「うん、ありがとう」
　光の灯火が召喚されている間は、魔力が徐々に削られていくのを知っていた…同じく修得している…トリーシャがそう言ってきた。クリスの内に秘められた魔力を見抜いていた禅鎧は、その必要はないと口には出さずに、心の中だけで留めておくことにした。
「けっこう亀裂などが目立ちますね…。みなさん、足下に気を付けて下さい」　　
　魔法の灯火が照らす範囲はおよそ半径３～４ｍだが、灯火は禅鎧の前方を誘うかのようにフワフワ浮いている為、後ろを歩いているリサとアレフは前を歩く禅鎧たちの影によって、足下がよく見えない状態になっている。
「シーラさんも、あまり僕と禅鎧から離れないようにして下さいね」
「うん‥‥‥、キャアッ！」
　と、突然シーラが小さな悲鳴を挙げたかと思うと、グラリと身体が傾いてしまう。だが寸前で、禅鎧がそれを抱き留めた為に事なきを得る。
「怪我はないか‥‥‥？」
「う、うん…。ちょっと、つまづいちゃったみたいで‥‥‥あの、ありがとう」
　カアッ…と頬を紅潮させながらシーラ。禅鎧は安心したように、シーラの体勢を元に戻す。チラリとパティの方を見ると、安堵と天の邪鬼さが入り交じったような笑顔をこちらに向けていた。
（フ～ン、なかなか見せつけてくれるじゃない）
　目でそう訴えかけてくるパティ。何とか反論を試みようとするシーラだが、今回ばかりは自分が招いてしまった事のため、恥ずかしそうに俯いてしまうだけだ。
「もう少し、灯りを手前に持ってきた方が良さそうですね」
　クリスは凍司の言葉通りに従い、若干ながら魔力の灯火をこちらに近付ける。これで後方にいるアレフたちの足下にも照らすことが出来るようになるが、その灯火が早くも用を終える時が来てしまう。
　コオオオオオ…。
　怖れていたモンスターとの遭遇もなく、またアルベルトとハメット一行がまだ追ってこない事に疑問を感じてきた頃、前方から何らかの光が漏れているのが確認された。同時に、何処から吹いてくるのか、温かな微風が自然の匂いを引き連れてくる。
「‥‥‥？　クリス、悪いけど灯火を消してくれないか？」
「え？　分かりました。『ドープライト・イレイズ』！」
　クリスの声と同時に、灯火はその任務を終えた。すると凍司やアレフたちにも確認できるらしく、どうやら幻ではないようだ。それとの距離が縮まってくるたびに、見てるだけで温もりを感じさせてくれる自然の光は、徐々に暗闇に慣れた目の奥をズキズキと刺激してくる。そして禅鎧たちは、その光の正体に呆気に捕らわれてしまう。
　『別世界』…。そう、正にその言葉が相応しいであろう。自分たちよりも半ば低い位置に、視界一杯に広がっている地底湖。その中央には小さな陸地が作られている。そして、他と比べるとかなり高い天井に開けられた穴からは、ちょうど南天に辿り着いた太陽の温かな光線が木漏れ日のように内部を照らしており、まるで天使の降臨を思わせるような光の円柱が、地底湖中央の陸地を中心に作られていた。また、温かな微風も上方にそびえる穴から吹いてきているらしい。
「うわぁ、キレイ‥‥‥‥」
「ホントね…。こんな洞窟が、エンフィールドにもあったんだ…」
　思わず見惚れてしまっているのは、何もシーラとパティだけではなかった。彼女たちをよそに、禅鎧と凍司は何かが分かったような、知的な表情を浮かべていた。
「なるほど、だから『天窓の洞窟』というわけですか…」
「えっ…？　どういうことなの、それ？」
　好奇心旺盛な口調でトリーシャ。凍司は静かに、天井に作られた『窓』を指差した。
「いや、そのまんまですよ。一般の民家には、太陽の光を取り入れるために、屋根に窓…『天窓』を付けている所がありますね。それと同じように、洞窟の天井に『窓』のような穴が開けられてあるが故に…と、それだけの事です」
　ふ～ん…と、腕組みをしながらトリーシャ。更にその後を、今度は禅鎧が補うように口を開いた。
「ああ…。そして俺たちは今、かつて『火口』だった所にいるわけだ」
「ええっ！？」
　禅鎧のその言葉に、クリスは驚愕の声を挙げる。シーラやパティも禅鎧の言葉が聞こえていたらしく、こちらを振り向いた。
　まるで円錐、もしくは四角錐の内部にいるような天井の構造からもそういう事が言えるのだが、それではただの山岳内部でも同じ事が言える。だが『火口』と禅鎧が言ったのは、この何処から湧いて出たのか分からない程の水を湛えた地底湖。かつてここの地核にはマグマが存在しており、火口に侵入した雨水がそれによって水蒸気になる。だがやがてマグマは地核へと退いていき、それによってたまり溜まった水蒸気は急激に冷やされ、やがて『水』に戻る。そして、現在のような地底湖が出来上がった‥‥‥というのが、禅鎧の考えだ。
「何だか、自然科学の講義受けてるみたいだね…」
「うん…。でも、こういう話は嫌いじゃないです」
　かなり専門的な話に苦笑いを浮かべるトリーシャとクリスだが、後者の台詞通りどちらかというと興味があるらしく、ウンウンと頷いている。ふとアレフが、何かを思い立ったように口を開いた。
「ちょっと待て！　だとしたら、俺たちが進んできた道は‥‥‥」
「ああ。恐らくは溶岩の通り道だったのだろう。まぁ…、あくまで推論の域だけどな。…凍司、ハイドロポット貸してくれるか？」
「ええ、構いませんが…。何に使うのですか？」
　ハイドロポット‥‥‥いわゆる金属製の水筒‥‥‥を受け取る禅鎧。
「ちょっと気になる事がね。もしこの先に、目薬茸が生えているというのであれば‥‥‥」
　禅鎧がそこまで言ったところで、凍司にも合点がいったようだ。シーラたちには、禅鎧が何を言っているのか分かっていない。凍司とリサにシーラたちを任せてから、禅鎧は地底湖へと通じる岩場を器用に飛び越えていった。地底湖はかなり低いところにありながら、階段のようなところは一切無い。自然の洞窟なのだから当然のことなのだが。
「たぐいまれな戦闘術にも驚いたけど、ああいう知識にも詳しいとはね」
　岩場を次々と飛び越えていく禅鎧の背中を見ながら、感心したようにリサ。
「ああ…。だがますます、禅鎧が一体何者なのか分からなくなってきたぜ…」
　帽子の上から白い髪を撫でながら、アレフは苦笑いを零した。
「フフッ、今はあまり深く考えない方がいいですよ。禅鎧は禅鎧ですから…ね、シーラさん？」
「えっ…？　う…うん、私も壬鷹くんの言う通りだと思う…」
　不意打ちを食らったように戸惑うが、すぐに凍司の言葉に同意する。それでアレフも、一時は納得したようだ。
　ジャリッ…。
　ふと後方にいたシーラの耳に、奇妙な音が聞こえた。驚いて背後を向いてみるが、そこには何事も無いかのように闇が居座っているだけだ。自分かそれ以外の誰かが、地面を踏みにじった音だったのだろうと胸を撫で下ろし、ちょうど地底湖の畔に到着していた禅鎧に視線を戻す。その音が、背後の岩陰の方から聞こえてきた事に気づきもせずに。

（別に濁ってはいない、一見普通の水だが…）
　念のため手で水を一すくいして、匂いを確かめる。異臭などは感じられず、むしろ正真正銘の自然の水といっても過言ではなさそうだ。そして、一口。苦味も甘味も感じられない、何の変哲もない冷たい水。それを確認してから、凍司から借りた空のハイドロポットの蓋を開ける。と、その時‥‥‥。
　コオオオオオ‥‥‥。
　突然、禅鎧の懐が蒼白い弱い光を放ち始めた。不審に思って懐を確認してみると、光っていたのは例の銀色の物体だった。光が弱くなったり強くなったりと点滅している様子は、まるで何かと共鳴しているかのようだ。
（これは、いったい‥‥‥）
　しかしそれは、すぐに油を失ったランプの灯火のように消えていった。訝しげに思いながらもそれを懐に戻し、再び作業を始めようとするが…！
「キャアアアアッ！！」
　凍司たちのいる方向から、絹を引き裂いたような女性の悲鳴が聞こえてきた。それと同時に、ゾクリと寒気を憶えるかのような冷たい邪気も感じ取った。禅鎧の脳裏に、考えたくもない思考がよぎった。あの悲鳴の主は‥‥‥。
「まさか‥‥‥、しかしなぜ！！」
　だが悠長に考えている暇など無い。『氣』の力を借りて高速で走り抜けると、そして４～５ｍはあろう断崖を一気に飛び越えると、そこには皮肉にも禅鎧の予想通りの光景が広がっていた。
「う…うう…、朝倉くん‥‥‥」
　右肩を押さえて、凍司に守られるように地面にうずくまっているシーラ。その向こうには、リサとアレフがパティら３人をかばうかのようにナイフを構えている。そして凍司たちの目線の先には、こちらを嘲笑うかのように見下ろしている巨大なコウモリが３匹。
　キシャアアアッ！！
　そのうちの一匹が、甲高い声を挙げて禅鎧に飛び掛かってくる。それを裏拳で払いのけるが、あまりダメージは与えられなかったらしく、飛行能力には何の被害も及ぼしてはいなかった。どうやら普通のコウモリではないと判断した禅鎧は、素速く臨戦態勢にはいる。
（クッ‥‥‥、シーラ）
　横目でシーラを見つめる禅鎧。肩に怪我をしているが、「無理はしないで」とこちらを気遣うように見つめている。だがその視線が、禅鎧にはとても痛々しく感じられた。
　だが悔やむのなら後でも出来る。懐から銀色の物体を取り出すと、一呼吸置いた。
「『空』よ、集え！」
　ヴオンッ！！
　禅鎧の静かな声に反応したかのように、目映い程の光の刃が禅鎧の持っている機器に具現化された。
「あの武器は…！？」
　禅鎧の持つ武器に一瞬驚いてしまうが、それと同時に更なる確信を憶えた事に、静かな笑みを浮かべる凍司。またリサたちの中では、巨大コウモリに対する警戒心よりも、禅鎧の持つ武器に対する驚きの方が上回ってしまっている。
　キシャアアアアッ！！！
　体勢を立て直したコウモリが、一斉に禅鎧に襲いかかってくる。だが禅鎧はまだ動こうとはしない。あともう少し…。３ｍ、２ｍ、１ｍ…。
　ヒュッ‥‥‥！
　余計な動作を一切削除し、光の剣を横一文字に一閃させる。巨大コウモリの身体が真っ二つに切り裂かれると、誰もがそう思っていた次の瞬間…。
　ヒュオッ！！
　突風が耳の側を吹き抜けたような音と共に、３匹の巨大コウモリは謎の光に包まれたかと思うと、強い閃光と共に四方八方にはじけ散った。
「消えた‥‥‥？」
　そう言ったのは、他ならぬ禅鎧だった。禅鎧の持つ武器の特殊効果だと誰もがそう思っていたが、彼の一言によってそれはすぐに否定されてしまった。
「消えた…って。今のは禅鎧の仕業じゃないのか？」
　半信半疑な表情でアレフは問い掛けてくるが、禅鎧は静かにかぶりを横に振るだけだ。禅鎧は静かに凍司の方に振り向くと、凍司は静かにこちらに頷いた。どうやら同じ考えのようだ。今のコウモリは、何者かによって『召喚』されたものだと…。
「シーラ、しっかりしてっ！！」
『シーラさん！！』
　パティたちが、肩を怪我しているシーラの方へと駆け寄る。
「パティちゃん‥‥‥」
「禅鎧！　はやくシーラを‥‥‥」
　パティに言われるまでもなく、禅鎧は既にシーラの側へと駆け寄ると、彼女に負荷が掛からないようにゆっくりと抱き上げる。その行動に、凍司は半ば驚いてしまっていた。
「禅鎧‥‥‥？」
　禅鎧は辺りを見回している。シーラを寄り掛からせることが出来るような場所を見付けると、そこまで彼女を運びゆっくりと降ろした。
「…あてがあるのですか？」
「分からない…。シーラ、ちょっと手を退かしてくれないか？」
「う、うん‥‥‥」
　恐る恐るシーラが手をよけた瞬間、禅鎧と凍司は奇妙なことに気が付いた。衣服に切り裂かれた跡はあるのだが、出血が何処にも見られない。シーラの手の平にも、一滴たりとも血は付いていなかった。
（実際に傷を見てみないと分からない…か。しかし‥‥‥）
　…だが、そんな事を考えている余地はない。下らない思考を断ち切るように、かぶりを横に振った。
「ごめん、シーラ‥‥‥」
「え？　あ‥‥‥」
　禅鎧が何を言っているのか一瞬理解できなかったが、次の禅鎧の思わぬ行動でその意味が分かり、シーラは思わず頬を紅潮させてしまう。
　禅鎧はゆっくりとワインレッドのストールをはずすと、白いブラウスのボタンに手をかけた。全てのボタンをはずすと、布生地が傷口に擦れないように肩を露わにさせる。彼女の下着の紐が見えてしまったため、アレフとクリスは思わずシーラに背を向ける。
「！　これは、禅鎧‥‥‥」
　凍司のディープブルーの瞳が大きく見開かれた。汚れを知らぬ柔肌に包まれた肩には、出血どころか切り傷１つ見られない代わりに、不気味な漆黒の紋様が刻まれていた。
「シーラ、痛みはあるか‥‥‥？」
「う、うん‥‥‥。…うっ！」
　突然紋様が紅く光ったと思うと、シーラの顔が苦痛の色を発した。
「くっ、どうすれば‥‥‥！」
　ふと禅鎧の意識に、何らかの情報が急激に流れ込んできたため、一時的な目眩いを起こしてしまう。フィードバックして来たそれは、何処かしら懐かしい温もりを与えてくれると同時に、もう１つの確信的な事を思い出させた。
　そうだ、俺はこの紋様の解法＜ディスペル＞を知っている‥‥‥。何故だかは分からなかったが、今はそんな事はどうでも良かった。やがて、情報という名の『急流』は、堰が造られたようにその流れを止めた。
「どうしました、禅鎧？」
「‥‥‥何でもない。どうやら、何とかなりそうだ」
「え？　それじゃあ‥‥‥！」
　パティの表情がパッと明るくなる。禅鎧は凍司の方を振り向くと、確信に満ちた笑みを浮かべつつ静かに頷いた。
「シーラ、紋様が隠れないように下着の紐を退かしてくれないか？」
「う、うん‥‥‥」
　少し恥ずかしがりながらも、言われた通り下着の紐を少しだけよけると、落ちないように手で軽く押さえる。シーラは先程から、禅鎧と目を合わせようとはしない。
　禅鎧は懐からシルバーリングを取り出して中指に付けると、その手で紋様を覆い隠すようにシーラの華奢な肩に手を静かに置いた。少しでも力を入れたら壊れてしまいそうな肩の作り。禅鎧は意識の中で、別の感情が生まれるような、そんな錯覚に見回れる。
「しばらく、じっとしていてくれ…」
　そう言うと、禅鎧は１つ静かに深呼吸をする。そして、何らかの呪文を唱えているらしく、口を動かし始めた。…しばらくすると、禅鎧とシーラの身体が触れた肩を通じてボウッとオーラと思しき光を放ち始める。凍司はトリーシャら女性陣３人に、２人から離れるように促す。また、後ろを向きっぱなしだったアレフとクリスにも、肩をポンポンと叩いてＯＫの合図を送った。ちょうど禅鎧が、２人の視線の壁になってくれるからだ。
「禅鎧のヤツ、大丈夫なのか？」
「ええ、恐らく…いや、必ずシーラさんは助かりますよ」
　先程の禅鎧の瞳は、凍司の良く知る確信めいたいつもの輝きを帯びていた。それが今までに何度助けてくれた事か、とても謀り知ることは出来ない。
　コオオオオオ‥‥‥‥。
「朝倉くん‥‥‥」
「大丈夫だ。もうすぐ、終わる‥‥‥」
　シーラを安心させようと、声のイントネーションを和らげる禅鎧。少しずつ効果が出てきているらしく、シーラはゆっくりと顔を禅鎧に向けた。始めて間近で見る、禅鎧の細い瞳。見た目は切れ長だが、優しく包み込んでくれるかのような温もりが感じられる蒼い瞳。
　トクン‥‥‥。
　そして不思議な安堵感と、それとは別の温かい何かが胸の奥にこみ上げてきた為に、シーラの心臓が１つ大きく波打った。真っ白な頬に更に桜の花びらを散りばめた彼女は、無意識に顔を俯けた。
　やがて禅鎧とシーラを包み込んでいた光が、その役目を終えたかのように消えていった。それと同じくして、シーラが安堵の表情を浮かべたまま禅鎧の肩にもたれ掛かってきた。彼女のことを一番心配していたパティが、真っ先に駆け寄ってくる。
「シーラ！　禅鎧‥‥‥」　　　
「大丈夫。ちょっとした副作用で、眠ってしまっただけだ」
　よく見ると、シーラは穏やかな寝息を立てていた。ホッと胸を撫で下ろすパティ。
「それじゃあ、先を急ごうか。…リサ、悪いけどシーラをおぶってくれるか？」
「ああ、お安い御用さ」
　グッと親指を立てるリサ。禅鎧も頷いてそれに応えると、再び岩場を降りていった。地底湖の水を組んでいる途中だったからだ。地面に転がったハイドロポットについた砂利を払拭すると、水をなみなみと汲む。それを穏やかな目つきで見つめる凍司。
（フフッ…。昔から少しも変わっていませんね、禅鎧）
　火口の穴から指す太陽の光は、既に南西側から指していた。

　地底湖から水を組み終わると、禅鎧たちは先に進むことにした。シーラをおぶるリサを守るように禅鎧が先頭を、凍司が後方を歩く事にした。ここから風向きが変わっている事から、出口が近い事が予想される。
「それにしても、アルベルトとハメット…とかいったか。彼奴等は、まだ追ってこないのかよ？」
「恐らくは、俺たちがさっき遭遇したコウモリ以外の魔物に手こずってるんだろう。わずかながら、数匹のモンスターの『気』と人間の『氣』が感じ取れる」
　そうは言うものの、禅鎧には未だ引っかかる事があった。明らかに見かけ倒しのハメットはともかく、戦闘訓練を受けているだろうアルベルトまでも追いついていないところをみると、先程のコウモリ以上のモンスターが潜んでいる…いや、召喚されているというべきだろう。そしてその召喚主は誰なのか‥‥‥。
「出口‥‥‥ですね。…ぐ！？」
　ちょうど向こうから、太陽の光が差し込んできた。風もそちらの方向に吹き抜けている所から、出口と見て間違いないだろう。そしてそれと同時に、今までとは比べものにならない程の強い邪気を感じ取った。その先にいる者こそ、恐らく‥‥‥。
　洞窟内でも太陽光を見ていたため、目が慣れるのはそれほど時間が掛からなかった。出口を抜けると、そこはこやりと同じように小さな草原が広がっていた。そしてそのほぼ中央に佇んでいる、銀髪の男。
「待っていたぜ！」
　ジャリリと地面の砂を踏む音。クルリとこちらに身体を向ける。両目は不気味な紋様が描かれた眼帯に覆われ、胸元を大きく開けた漆黒のジャケットが、それの不気味さを助長して居るかのようだった。
（こいつは、まさか‥‥‥）
その男の出立ちに、意味ありげな反応を見せたのは他ならぬ凍司だった。たが凍司の反応に気付いた者は、誰１人としていない。
「誰だ、お前は？」
「‥‥‥シャドウ、とでも呼んでくれれば結構。ククッ、俺の用意した余興は楽しんでくれたかな？」
　しゃあしゃあとした口調でシャドウ。その言葉に、禅鎧は細い瞳を更に細めた。
「あのコウモリは…、お前が召喚したのか？」
「ケケケ、他に誰が居るんだよ。…そうとも！！」
　不気味な笑い声を零しながらシャドウ。すると禅鎧は顔を俯かせると、「そうか…」とポツリと呟いた。そして…！
　バキィィッ！！
　禅鎧の拳が、シャドウの顔面を直撃した。口から血を吹き零しながら、シャドウは慣性の法則に従って吹き飛ばされる。瞬く間に禅鎧はシャドウの吹き飛ばされた方向に移動すると、更に背中に回し蹴りを喰らわせる。シャドウの身体は、洞窟の壁に激しく叩き付けられ、大きな砂埃を挙げた。
「ス、スゲェ…」
　思わず生唾を飲み込んでしまうアレフだが、それと同時に禅鎧に半ば恐怖感を抱いていた。砂埃を凝視する禅鎧の瞳は鋭く、まるで獲物を狙う銀狼のように思えてならなかった。
（やはり、何度見てもあの龍矢の瞳は、恐ろしいものがありますね）
　凍司の端正の顔にもまた、一滴の汗が流れ落ちていた。
「クッ…クククク、ヒャーッハッハッハ！！！」
　甲高い笑い声と共に、シャドウの無傷な姿が消えかかってきた砂埃の中から現れた。禅鎧は身構えたまま、素速くシャドウとの間隔をとった。
「いいねえ、お前の身体から滲み出る憎しみのオーラ！　クククッ、憎め憎め！！」
「‥‥‥何が狙いだ」
　シャドウは禅鎧の左手が懐に入れられているのを確認すると、意味ありげに口元をにやけさせた。
「ククッ、安心しろ。今日は、お前たちに顔見せだけで来たつもりだからな！」
　無論禅鎧は、戦闘態勢を崩そうとはしない。やはり含み笑いを浮かべながら、禅鎧を見つめるシャドウ。そしてシャドウは、凍司の方にも視線を移した。
「‥‥‥ほぉ。そっちの青髪は、どうやら既に『自分を取り戻している』みたいだな」
「！　やはりお前は‥‥‥」
　凍司が全てを言おうとした瞬間、シャドウが禅鎧に向けてビシッと手を差し出した。そして人差し指と中指だけ立てると、その二本の指が紅く輝きだした。
「ククク…。この俺に傷を付けた事に免じて、お前の記憶の糸を１本だけ紡いでやろう」
「何…？　‥‥‥があっ！！！」
　シャドウが紅く輝いた手を天に掲げたかと思うと、突然禅鎧が頭を抱えて苦しみだした。
「あばよ。次に会える時を、楽しみにしているぜ！　ヒャハハハハハハッ！！！」
　鼻につくような高笑いをこだまさせながら、シャドウの身体が背景へと溶け込むように消えていった。凍司は、頭を押さえつつ苦しむ禅鎧の元に歩み寄ってくる。
「禅鎧、しっかりして下さい！」
「禅鎧さん！！」
　禅鎧の意識の中では、信じられない変動が起こっていた。シーラの治癒方法がフィードバックしてきた時ほどではないが、知られざる…失われた記憶の糸が合成されていっていた。そう、それはエンフィールドを始めて訪れた時の光景。頭が割れるかのような激痛は、その情報の侵入に対する反作用と考えれば良いだろう。
「ぐう‥‥‥くっ！」
　シャドウが姿を消したからだろうか、激しい頭痛が徐々に退いていった。肩で息をしながら、嫌な汗をビッショリと書いている禅鎧。やっとの事で落ち着けた禅鎧は、ゆっくりと立ち上がった。口からこぼれ落ちた唾液をぬぐい取る。
「大丈夫ですか、禅鎧」
「あ、ああ…。それよりも、目薬茸を捜そう…」
　禅鎧たちは何事もなかったかのように、目薬茸を捜し始める。
「あ、禅鎧！　ひょっとして、あれが目薬茸じゃない！？」
　パティが指差しているのは、草原に一本だけ生えていた樹の根本だった。そこに緑色の傘と、真っ白な茎を持った茸が数本生えていた。
「うん、間違いないよ！　トーヤ先生の図鑑で見たものと同じだよ！」
「よしと、それじゃあ早速幾つか拝借していこうぜ！」
　早速といわんばかりに、トリーシャとクリス、そしてアレフはそちらの方へと駆け寄っていった。
　ふとパティが、早起きして作った弁当が入ったバスケットを見ながら、苦笑いを零した。
「このお弁当、どうしよっか…」
「シーラさんが、こうなってしまいましたからね。山を下りてから、みんなで食べる事にしましょう」
　凍司のその言葉に、半ば残念そうにパティが頷いた。
「禅鎧、やっかいな敵が出てきましたね」
　先程とは違い、凍司はかなり真剣な表情で禅鎧にそう言った。禅鎧もまた静かに頷くが、やはりまだ心に引っかかるものがあるようだ。あのシャドウと名乗った男、今回初めて会ったのだろうが、これ以前にも会ったような錯覚を憶えていた。それはいつだったか…。ダメだ、思い出せない‥‥‥。
「朝倉！　ハァ…、ハァ…。やっと追いついたぜ！」
　ちょうどその頃、アルベルトが息を切らせながら出口の方から姿を現した。付き添いの２人の団員も、少し遅れて現れるが、槍をつっかい棒にしていなければ立っていられない状態のようだ。
「…遅かったな、アルベルト！　目薬茸は、俺たちが全部手に入れたぜ」
　アレフは勝ち誇ったように、目薬茸を高らかに天に掲げた。だがアルベルトはアレフの言葉を聞いていないのか、自分の身長ほどはあるグレイブを禅鎧に突きつける。
「ま、待て朝倉。このオレと、勝負しろ！」
　粋がるようにそう言うアルベルトだが、その足下はふらついていて、２本の足で立つのがやっとといったところだ。禅鎧は前髪を掻き上げながら、１つ大きく溜息を付く。
「…あいにくと、疲労困憊の人間と闘うような趣味は持ち合わせていない」
「禅鎧さん、早く山を下りてアリサさんに持っていこうよ！」
　カゴ一杯に目薬茸を積んできたトリーシャ。禅鎧が静かに頷くと、我先にと洞窟の中へと戻っていった。それに続くようにクリス、パティ、アレフも帰路に着いていった。
「ま、待てと言ってるだろう‥‥‥」
「…疲れてるところ申し訳ないが、今の状態ではお前が負けるのは目に見えている。先が見えた勝負は、あまりやりたくはない。それと‥‥‥」
　禅鎧は少しだけ間を置くと、再び血に飢えた銀狼の如き冷たい瞳で、アルベルトを睨み付ける。
「むやみやたらに、刃を向けるな。こっちには、けが人がいるんだ」
　そう一言忠告すると、リサの背中で安らかな寝息を立てているシーラを見据える。アルベルトはその鋭い眼差しに根負けしたのか、その場に座り込んでしまった。

「ただいま、アリサさん…」
「お帰りなさい。みんな、無事に帰ってきたのね。良かった…」
　禅鎧たちがジョートショップに姿を見せると、アリサがいつものように優しい笑顔で出迎えてくれた。続いて、凍司やアレフたちも中に入ってくる。そして、帰路の途中目覚めたシーラと彼女をおぶっていたリサも。ふとトリーシャは、ジョートショップに来る事は珍しい人物がいる事に気付く。
「あ…、トーヤ先生も来てたんだ」
「ああ…。疲れて帰ってきたところ申し訳ないが、ちょっとトリーシャに言い忘れていた事があったんだ」
　淡々とした口調でトーヤ。思わずトリーシャは、額に大きな汗の粒を浮かべてしまうが、禅鎧がトリーシャの肩にポンと手を置いてくる。そして、凍司から例の地底湖の水が入ったハイドロポットを受け取り、それを差し出す。
「ひょっとして、これの事ですか？」
「？　それはまさか、地底湖の水か？」
　禅鎧は静かにかぶりを縦に振った。トリーシャは流石に、頭の上に疑問符を浮かべているようだ。
「知ってると思うけど、茸というのは日陰且つ、湿気の多いところに生える植物だ。日陰はクリア出来ているけど、もう１つの湿気を運んできてくれるのは天窓の洞窟から吹いてくる風。そしてその微風には、地底湖の新鮮な水気が含まれてあるはずだ」
　禅鎧の説明を補うように、トーヤが先を続ける。
「そうだ。つまりは、目薬茸は単体では意味を為さない。その湿気の源となる場所…地底湖の水で煎じることで、始めてその効力が発揮できる訳だ」
「ハァ、良かった～。ボク、びっくりしちゃったよ。でも、流石禅鎧さんだね」
　トリーシャのみならず、これにはトーヤ自身も驚いていた。このような植物学者でなくては分からないような知識を、目の前にいる青年が知っていた事に…。
　そんなトーヤをよそに、パティは台所を借りて、早速禅鎧が汲んで来た地底湖の水で目薬茸を煎じ始めていた。　　　　　　
「僕、何だかドキドキしてきたよ」
「ボクもボクも！」
　鉄製の大きな鍋の中では、目薬茸がグツグツという沸騰音に合わせて、ダンスを踊っているかのようだった。トーヤも沸騰加減を確認するために、鍋の中を覗き込んできた。
「うむ、その位で良いだろう」
　パティは火を止め、１つずつ目薬茸を取り出す。お玉で軽くかき混ぜてから、コップにお待ちかねの薬を注いだ。そして気持ち程度だが、切り取った茸の傘の部分も薬の中に入れた。
「さあ、アリサおばさん。飲んでみて」
「ええ、ありがとう。…でも、まだ何だか信じられないわ」
　パティが差し出したコップを手に取ると、少し息で冷ましてからゆっくりと喉に流し込んだ。その場にいた全員の期待の視線が、彼女一点に集中される。
　コトッ…。
　やがてアリサは、薬を全部飲み干した。閉じていた瞼を、ゆっくりと開けるアリサ。しかし彼女は、残念そうにかぶりを横に振った。
「…何とも、ないみたい」
「‥‥‥‥やはりな」
　アリサの言葉に、禅鎧と凍司を除いた全員が半信半疑な声を挙げる。その後、小さな溜息を付いてトーヤが説明を続けた。
「アリサさんの目の病気は先天的…つまり、生まれつき患っていたものだ。だがこの目薬茸は、後天的な目の病気を患った人にしか効かないんだ」
「ええ～、そんなぁ～…」
　トーヤの言葉に、トリーシャはガックリと項垂れてしまった。
「‥‥‥‥‥‥‥」
　ふと禅鎧は何も言わずに、誰にも気付かれないようにジョートショップの外へと出ていった。

　ジョートショップの玄関は建物の構造上、通常より高いところに作られており、小さな階段で外と玄関を結んでいる。そして玄関には、小さなバルコニーのような場所が造られてある。禅鎧はそのバルコニーにもたれ掛かりながら、澄み切った青空を仰ぎ見ていた。アリサの目を治すことが出来なかったのは心残りだが、不思議と悔やみなどは感じなかった。
（これで、良かったのかもな…）
　他人からの反感を買うかもしれない事を心の中で呟くが、禅鎧には少しばかり心に引っかかる考えがあったからだ。それは‥‥‥。
「禅鎧くん‥‥‥」
　ふと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向いてみると、ちょうどシーラが玄関から出てきたところだった。頬をほのかに紅潮させたまま、こちらに近づいてきた。
「シーラ…。もう、肩の方は大丈夫なのか？」
「うん…、もう大丈夫。禅鎧くんが、回復してくれたお陰。ありがとう‥‥‥」
　精一杯の笑顔を浮かべながら、シーラ。その笑顔が、禅鎧は変に照れ臭く感じてしまい、コホンとわざとらしく咳払いを零した。そして思い立ったように、言葉を紡ぎだした。
「怖い思いをさせてしまって、すまなかった…。俺が、もう少ししっかりしていれば…」
「…ううん、そんな事ないよ。不躾かもしれないけど、けっこう楽しかった‥‥‥。それにね‥‥‥」
　禅鎧は何も喋らずに、シーラの話を聞いている。ふと、彼女の艶やかな漆黒のロングヘアーを、穏やかなそよ風が浚っていく。その髪の毛を手で押さえながら、シーラは先を続ける。
「あの時の禅鎧くんの優しい瞳と、肩に感じた禅鎧くんの温もり。それが、私をすごく安心させてくれてた。ううん、とても嬉しかった。だから、自分をそんなに責めないで…」
「シーラ‥‥‥、ありがとう」
　ポツリと静かな笑みを浮かべながら禅鎧。彼女もまた、頬を桜色に染めながらクスリと優しい笑みを零した。禅鎧はそんな彼女の笑顔に、わずかながら戸惑いを感じていた。今俺は、彼女に何をしてやればいいのか…。どのように、対処すればいいのか…。つまりは、あまり女性と‥‥‥２人切りで‥‥‥会話したことがない禅鎧故のあまりに当然な事なのだが、本人にはそれが何故なのか分からなかった。まるで、肝心な部分が抜き取られた未完成なパズルのように…。
「今回は残念でしたね、禅鎧‥‥‥」
「あっ、壬鷹くん‥‥‥」
　そこへ凍司が、まだ騒いでいるジョートショップ店内から避難？してきたようだ。思わずシーラは、頬を赤らめたままそっぽを向いてしまう。当の禅鎧は、表情にこそ表さないものの、わずかながら安堵感を浮かべていた。
「…まあ、仕方ない。でも、これで良かったのかもな‥‥‥」
「‥‥‥『モリノックス問題』ですか？」
　一瞬禅鎧の言葉が理解できなかったが、すぐに凍司は言葉を紡ぎ出すことに成功した。禅鎧は静かに頷いた。
「ですが、アリサさんは『弱視』ですので、見えている事は見えているはずです。それをアリサさんに当てはめるのは、間違いだと思いますよ」
　生まれ付き目の不自由だった人間が視力を回復したとき、その視覚で物体を判断できるかどうか…という『モリノックス問題』。目の不自由な人間は、物体に『触れる』ことで形や重さを判断する。だがある日突然視力が戻ったとき、果たして触感で判断していた物体を正確に判断できるのか、というのが主な主旨だ。
　だがその哲学的な問題を、アリサさんに当てはめるのは間違いだと判断し、禅鎧はほのかに苦笑いを零した。
「そうだった…な。それにアリサさんは、素晴らしい心の目を持っている。…アリサさんの『目』に関しては、また別の方法を捜せばいい」
「ええ、そうですね。ところで、余った目薬茸はどうしましょうか？」
「折角トーヤが来ているのだから、クラウド医院に寄付すればいいだろう。何も目の病気に悩んでいるのは、アリサさんだけではないからな…」
　禅鎧の提案に、シーラと凍司は満足げに頷いてみせた。トリーシャが張り切り過ぎたあまり、必要以上の目薬茸を採ってきてしまったのだが、そう言う意味では禅鎧は彼女に感謝していた。
「それじゃあ、みんなでローズレイクに行きませんか。パティとシーラさんが作ってくれたお弁当を、無駄にするわけにはいかないでしょう？」
「…それもいいかもな」
　禅鎧もクールな笑みを浮かべながら、それに賛成した。凍司はジョートショップ内に戻ろうとするが、シーラに呼び止められる。
「壬鷹くん。あの…『さん』付けじゃなくて、禅鎧くんたちと同じように普通に呼んでくれませんか？」
「‥‥‥ええ、貴女が宜しければそう呼ばせてもらいますよ。ただし、僕のことも禅鎧と同じように下の名前で呼んでくれますね？」
　人の良い静かな笑みを浮かべながら、凍司は逆にそう要求してきた。しばらく考えてから、シーラはこくりと頷いた。
「うん、凍司くん」
「フフッ…、いい返事ですね。それじゃあ、早速みんなを呼んできますよ」
　フッ…とクールな笑みを浮かべながら、凍司はジョートショップの中へと入っていった。凍司がいなくなったせいか、シーラの表情が心なしか和らいだような気がした。
「お弁当、冷めちゃってるかも‥‥‥」
　そして、思い出したようにポツリとシーラはそう言った。
「大丈夫…、心配する必要はない。みんな、そんな事で文句言うような人間じゃないからな…」
　少し不安げな表情のシーラに、禅鎧はあくまで静かな口調でそう言った。するとシーラは、クスリと無邪気な笑みを浮かべた。
「フフッ。うん、そうだよね…」

Part.I : POWER SCALE End．．．

Continued on the Part.Ⅱ

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