中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想

はったり幻想曲2 T.M(MAIL)
 早朝のエンフィールド、高級住宅街近郊。
 無実の罪の再審請求の為、ジョートショップの青年ことミストは、仲間達と仕事に精を出す。
「……うげぇ、臭っせえ〜」
「つべこべ言ってないで、手を動かしなさいよっ!」
「へいへい〜ったく。あんましぎゃあぎゃあわめいてばっかりいると、皺だらけになるのは遠くねーぜっ」
「なんですってえぇぇ!?」
「二人とも、やめてくださいよ……ってやっぱり聞いてませんね」
 作業はしながらと言う物、ハイテンションで怒鳴りあいを続けるお手伝い一号ことパティと、ミストを止めようとするお手伝い三号ことクリス。例によって、さくっとシカトされるのもいつも通りの光景だ。気の毒になったお手伝い二号ことシーラは、苦笑いを浮かべながら言葉を探す。
「それにしても、朝から大変ですね。ドブさらいなんて……」
 全員作業着姿の中、何故か一人普段着のシーラは、なんとなく居づらい物を感じていた。
 何でも屋ジョートショップ。今日の午前中のお仕事はなんと、高級住宅街近郊のドブさらいなのだった。ミストとパティが不機嫌なのもしかたがないのかもしれない。
「それにしても何で、僕達三人がドブさらいでシーラさんだけ……」
「うっせえっ、がたがた言わずに手を動かしやがれっ!」
 遠い目で呟きかけたクリスに、すかさずミストの怒号が飛んだ。
「アンタもよっ!」
 一方、パティの声とともに飛んだ作業用のバケツは、ミストの後頭部にヒットする。
 ごいん〜。
 間抜けな金属音を響かせたそのバケツは、溝の汚泥の中に落ちた。
「ったぁぁ……なにしやがる、この暴力女っ!」
「何度言っても解らないからよっ! アタシのような花も恥じらう乙女にこんなことさせておいて、アンタには『申し訳ない』って気持ちが湧かない訳っ!?」
「当たれば病院送りになりそうな物体を、気軽にぽいぽい投げる乙女がいるかっ!」
 そして、汚臭まみれの三人とは別口で、シーラの午前中には何故かピアノの臨時講師の仕事が入れられていたのだった。パティが絶叫したくなるのも少しだけ解るかもしれない。
「あの……私もお手伝いした方が……」
 いたたまれなくなったシーラは、ミストに頼んでみる。
「駄目に決まってるだろ。こんな臭いがついちまったら、ピアノの講師になんか行けるかよ」
「で……でもっ」
「気にすんな、適材適所ってな。俺達にピアノの講師はできねーだろ。どっちも仕事には変わりねーんだ」
「はあ……」
 そこにスコップを休めたパティも言葉を続ける。
「そうそう、シーラが気にすることないって。どーせこんな依頼を受けた、どっかのはったり野郎が悪いんだからっ」
「あんだとっ!? ……って、そういえばこの依頼、誰が受けたんだ?」
「へっ? アンタじゃないの?」
「ああ、なんか俺が留守の間に来た依頼人から、なし崩し的に受けたってアリサさんから聞いたんだが。俺はてっきりパティが受けたのかと……」
「アタシじゃないわよっ?」
「私でもない……」
 しばしの沈黙が支配し、三人の視線がゆっくりクリスに向かう。一人黙々と汚泥をかき出していたクリスは、ふと冷たい物を感じたのか顔を上げる。
「……ク〜リスぅ〜。この依頼を受けたのって、おまえ?」
「う……ばれました?」
 言葉に詰まって浮かべたクリスの笑顔に、ミストとパティが揃ってキレる。
「アンタ一体、なに考えてるのよっ!」
「お仕置き上等……だな」
 パティのバケツがスコップが宙を飛ぶ。そして続くミストの蹴りに、哀れクリスは汚泥の中に沈んだのだった。


「……ったく、昨日はさんざんだったぜ」
「でも、洗濯代と風呂代の追加報酬なんて、あの依頼人、意外に気が利いてたわよね」
 翌日四人は、やはり高級住宅街の一角を歩いていた。果てしなくダルそうなミストに比べて、パティは心持ち機嫌が良いようである。
「ま、クリスのおかげかもな」
「ううっ……」
 最後尾をうなだれて歩くクリスを、ちらっとだけ見たミストは、そのまま前に注意を戻す。ちなみにクリスいじめで溜飲が下りたのか、その後もの凄い効率で作業をこなしたミストとパティの活躍で依頼の方は大成功だった。そんな様子をちょっとだけ羨ましく見ながら、案内をかってでていたシーラは、たどり着いた家の表札を確認する。
「ここです」
 シーラの言葉に、三人は目の前の屋敷に注意を向ける。さすがにシェフィールド家程ではないが、この辺りでも目立って大きな屋敷である。今日の依頼人は、直接依頼の件を頼みたいとの事で、メンバーを屋敷に呼びつけていたのだった。
 入り口で身分と来意を告げると、四人は応接間へと通される。
「それで依頼ってのは?」
「ふむ……とその前に、なにか臭わないかね?」
「き、気のせいだろーぜ。それより、幽霊関係だって聞いてるが?」
 屋敷の当主でサレードと名乗った男の言葉に、軽く鼻を動かしたミストは、変わらない調子で答えた。思わず苦笑いがこぼれてしまったシーラは、慌ててごまかさなければいけなくなる。
 部屋に微妙な芳香が漂い始めているのは事実だったが、ミストの言葉にサレードは話を続ける。ミストはいつもこうだった。ちょっとした事でも、自信たっぷりに語るので、つい相手は引っ張られてしまう。
 シーラの事が好きだとも公言しているのだが、こんな調子ではさすがに彼女も素直に信じる気にはなれなかった。それ以前に、シーラには自分自身の気持ちすらも掴みかねている節があった。ここしばらくの憂鬱の一つにはまりかけた所で、半ば無理矢理依頼人の声に注意を戻す。
「……一応、これからの話は他言無用で頼むぞ。私の依頼というのは、妻の幽霊を成仏させてやって欲しいのだよ」
「そんなのは聖職者にでも頼めばよいだろーが」
「既に頼んだのだが、情けないことに片っ端からさじを投げられたのだ。でなければ、何でも屋なんぞに駆け込んだりはしない」
「へいへい、何でも屋風情で悪かったな」
 悪態をついてみせるミストにサレードは、顔をしかめる。
「なに、そう卑下したものでもあるまい? 最近、困った時のワイルドカードとして、割合有名なそうじゃないかね」
「どん底って状況でも、実は上げ底だったってのを、思い知るだけかもしれねーぜ?」
「い、いえっ。そうならないように、最善の努力はさせていただきますから、大丈夫です……多分」
 あからさまに不安な顔になったサレードだったが、間に割り込んだパティの笑顔にどうにか話しを続ける。看板娘スマイルは伊達ではないらしい。
「私の妻−レイリアは大層モテてな。社交界でもいつも引っ張りだこだったのだ。それを私が射止めた時には、多くの男がため息をついたものだよ。絵画収集が趣味で知り合ったのだが、それは美しい女性だった。豊かな金髪に涼しげな瞳……たおやかでほっそりした体は、私でなくとも、守ってやりたいと思ったものだ」
「なー、のろけを聞きに来た訳じゃねーんだがよ……って、ぐあっ!」
「きゃぁ、ミストさんっ!?」
 いきなり響いた蛙を潰すような声と悲鳴に、ぎょっとしたサレードは、何故かそばのソファーの下敷きになっているミストに気がつく。
「あはははっ、続きをお願いできます?」
 さすがに冷や汗が浮いたが、再びのパティの看板娘スマイルに、逆らいがたい威圧感を感じサレードは話を続ける。
「とにかく、ようやくレイリアを射止めた私だったのだが、その幸せは長くは続かなかった。この間の流行病で、彼女はあっさり亡くなってしまったのだ……」
「それはお気の毒に……」
 パティのあいづちに気落ちした様子で語るサレードだったが、意外にさばさば話した。少しひっかかったシーラだったが、ミストの身を案じつつ話しの続きに耳を傾ける。
「レイリアの部屋に入ろうとすると、気味の悪い歌が聞こえドアが開かない。それからだよ、こんな事が起き始めたのは。哀れなレイリアを……どうにかして成仏させてやって欲しい。実はもう引っ越しを始めていてな。できれば早めに頼めるかね?」
 通りで屋敷の中ががらんとしていた訳だ。シーラはここに案内されるまでに見えた屋敷中の光景に納得する。これだけの規模の屋敷なのに、ここ応接間以外の場所には既にほとんど家具がなかった。使用人も、この家に残っているのはもう、ここまで案内した老執事だけのようである。そこでふいに奇妙な物音を聞いたシーラは、思わず体を堅くする。
「……おっけー、事情は解ったぜ。依頼料の方は必要経費は別の日割りな。期間の方はとりあえず一週間として、こんな感じでどうだっ?」
「ちょっとミスト、幽霊を成仏させるなんかそんなに簡単に引き受けて良いのっ?」
 物音はミストだった。いきなし復活し、サレードに請求書を走らせる。それに非難の声をあげるパティ。
「なーに、俺に任せておけって」
「ふむ、費用の方はこれでかまわぬ。但し後払いだ。これだけは譲れん」
「ちっ、わーったよ。んじゃ、早速今日からかかるぜ」
「なるべく早めに頼むぞ」
 どうやら依頼は成立したらしい。しかし、本職の投げた幽霊なんかを本当に成仏させることが出来るのだろうか? シーラは一抹の不安を覚えずには居られなかったのだった。


 そして三日後。
 何度目になるか解らないため息をついたシーラは、読んでいた本を丁寧に閉じる。さすがに午前中も早い時間では、ここエンフィールド図書館にも人影は少ない。蔵書の数はかなりを数え、中には封印書までもが含まれると言うが、実際訪れるのは久しぶりだった。
「ふう……」
 読んでいた本をゆっくり閉じたシーラは、脇の本の山に目をやる。『満月の墓地で』、『退魔の法・一巻』、『初心者にでもできる成仏のさせ方』……などなど、幽霊関係の専門書に混じってホラー小説も混ざっているのが解る。その一番上に、今調べ終わったばかりの本を置いた。
 『恐怖の闇鍋パーティ』。
 一人の妖怪が、一人で闇鍋をつつく様子が延々一冊に渡って描写されている、ある意味今までで一番怖い本だった。作者の顔が見てみたい。シーラは素直にそう思う。
 ふと奇妙な音に隣の席を見ると、パティが開いた本を枕に穏やかな寝息を立てていた。ちなみにシーラの調べている本を選んだのは、ほぼ全てパティである。数時間前の「二人で手分けして調べましょっ。」と言う彼女の言葉を思い出し、ちょっとだけ笑いがこぼれてしまう。
 きっと、さくら亭とジョートショップの手伝いの兼業は、想像以上にハードなのだろう。そう思ったシーラは、見なかった事にして作業を続ける。
 今頃クリスの方は、そのミストと教会へ足を運んでいるはずである。なんでシーラが朝も早くからホラー小説の斜め読みをしなければならなくなったかは、パティがここで情報収集をしようと主張したからだった。依頼を受けてから早三日が経つが、実際の所はなにもしていないのと一緒だったからである。
 依頼を受けたその日は、ジョートショップに戻って作戦会議という名のお茶会をした。アリサさんお手製のパイをおいしくいただきながら、珍しく穏やかな雑談が続き、ミストはいつもより早めに解散を宣言した。ついでに昨日はミストがこっそり休日に設定した。サレードには活動費を要求するつもりらしい。さすがに業を煮やしたパティの怒号で、三日目にしてようやく情報収集に動き出したのである。
「それにしても、ミストさんがここまで消極的なのも珍しいわ。依頼を受けるときはあんなに張り切っていたのに……」
 次の本に幽霊と言うキーワードがない事が解ると、シーラはその本をチェック済みの山に加える。ミストは言動こそはかなり適当な物の結局の所、受けた依頼はしっかりこなす。この間のドブさらいが良い例だ。今日の情報収集についても、ミスト自身はあまり乗り気ではなかったようだ。
 考えを巡らせてみるがシーラには想像も出来なかった。作業を続けるうちに、やがて図書館の閉館時間がやってくる。
「……そろそろ閉館です」
 見回りついでに声をかけていったイヴに、目を擦りながらのパティがようやく体を起こす。
「あれ……ってアタシ、また寝てた?」
「ええ。でも、本の方はあらかた調べ終わったから……」
 残り数冊になった本の山をシーラは指さす。本を読むのは、さほど嫌いではない彼女に取っては、半ば楽しい作業でもあった。
「ごめ〜んっ。本って、開いていると何故か眠くなんのよね」
「あまり大した収穫はなかったけれど、そろそろ帰りましょうか?」
「閉館なら仕方がないわよね」
 苦笑いで本を片づけだしたパティに、シーラも手近な本をまとめる。
 特定の場所に居座る人間の亡霊は、生前にその場所になんらかの執着を持って死んだ場合が多いこと。その場合は、通常の成仏を拒絶するため、その執着理由を取り除いてやること。
 この二つが辛うじて今日のシーラの収穫と言えることだった。はっきり言って自分でも、全く役に立たないと思う。ミスト達の方はうまく行っているのだろうか。


 外に出ると少し日は少し沈みかけていた。暖炉の置き火のような赤い光が、暗くなり始めた街にうっすらにじむ。とりあえずジョートショップに戻る道すがら二人は、簡単にそれぞれが見つけた情報を交換しあう。めぼしい事は特になかった。
「できれば、納得して成仏させてあげたいわ……」
「シーラは優し過ぎるのよ。ミストの馬鹿にも、なんだかんだで肩入れする事が多いし」
「ミストさんはしっかりやっている思うわ。確かに不真面目な所も多いけれど……」
「はいはい、解ったわよ。アイツが言動通りの馬鹿野郎なら、アタシもここに居ないって。クリスも同じだと思う。どっか放っておけないのよね」
 シーラの反論にパティは肩をすくめると、先に立ってジョートショップの扉を開けた。
 からんからん〜。
 耳当たりの良いベルの音が鳴り響き二人は中に入る。
「あ、シーラさんにパティさん」
「……あ、おばさまどうかしたんですか?」
 珍しく慌てた様子で出迎えたアリサに、シーラは胸騒ぎを覚える。
「サレードさんのお宅から使いの方がいらっしゃってね。ご主人が暴れ出した幽霊に捕まったらしいの。大至急して欲しい欲しいそうよ」
「大変っ! シーラ、屋敷へ急ぐわよっ」
「え、パティさん? ここでミストさんを待った方が……」
「幽霊相手にあんなはったり馬鹿が役にたつ訳ないでしょ。向こうが実力行使でくるなら、アタシとシーラの魔法があれば十分よっ!」
「で、でも……」
「良いから早くっ。依頼人にもしもの事があったら大変でしょ? アリサさん、すいませんがミスト達への連絡をお願いしますっ!」
 結局パティに押し切られたシーラは、そのままジョートショップを出てサレード家に向かう。


 「……ったく、なんで俺がこんな事っ」
 一方、ミストは文句を垂れながらも教会の倉庫の掃除を手伝っていた。不浄な物に効果のあるという聖水を受け取りに来た所、笑顔の老神父に交換条件を提示されたのである。
 ちなみに、ローラの居着いている孤児院の併設された教会ではない。エンフィールドの街と誕生の森の境界に位置する、朽ち果てかけた小さなほこらに近い物だった。エンフィールドに来てからさほど経っていない割に、ミストの人脈には何故か変わった相手が多い。
「うむ、丁度人手が欲しかった所でのぉ。助かったわい」
「……って、なんでてめーがここに居んだよっ。聖水を調合するから、代わりに掃除しろって話だっただろっ? 大体、三日も前に頼んだ物がなんでまだ出来てねーんだよっ!」
 いつのまにか戸口の側の書物を整理している老神父に、ミストは非難の声を上げる。依頼を受けたその日、ミストは一人でここに足を運んでいた。そして聖水の製作を依頼して置いたのである。
「調べてみたところ、やっぱり少し作り置きがあっての。代金代わりじゃ、見張っとるからさぼるんでないぞ、ミスト」
「……ちっ、聖職者のくせに陰険なやろーだぜ」
 クリスの方は、今頃礼拝堂の窓拭きをしているハズだった。
「適当に片づくまでで良いんじゃ、そう邪険にするでないわい」
「へいへいへいへい」
「まあ良い。それより、こんなものはどうじゃ?」
 そう言った老神父は、手近ながらくたから一つ取ると、それを無造作にミストの方へ放る。なんとなく受け取ったミストは首を傾げた。その古ぼけた赤銅色の腕輪は、とても装飾品に使えるとは思えないシロモノだったからだ。
「なんだ……こいつは?」
「整理していたら出てきたんじゃ。確か、魔法を弾き返すフィールドを構成する物だったと思うんじゃが……」
「なんでそんな物が、仮にも教会の倉庫に転がってんだよ?」
 呆れた声のミストはそれを軽く光にかざしてみる。しかしそれはどう見ても、普通の古ぼけた腕輪だった。
「古い物でな、燃費が悪くて起動に多少大きな魔力を必要とするのじゃよ。おまえさんになら生かせるしれないと思ってのぉ」
「こんなボロい動作も怪しいもん、いらねーよ。燃えないゴミの日にでも出すんだな」
  顔をしかめたミストは、それを側の箱の中に放る。
「ほう、それなら聖水もいらんかのぉ?」
「……なんで、そーなるんだよ」
「こんな爺の作った聖水の効き目なんぞ、効き目も怪しいじゃろうからな」
「ったく、すぐへそを曲げやがって。わーった、ありがたく貰っとく」
「そうそう、若者は素直が一番じゃて」
 しぶしぶさっきの腕輪を回収したミストは、小声で文句を言いつつ掃除に戻る。かなり埃っぽい倉庫の掃除が終わるのは、まだ当分かかりそうだった。そして、そのまま無言の片づけが続き、どうにか一段落が見え始めた頃。
 狭い倉庫にいきなり声が響く。
「ミストさ〜ん。大変っス〜大変っス〜!」
 ミストが入り口の方へ目をやると、クリスの肩に乗った魔法生物−テディが興奮した様子で叫んでいた。作業をしていた老神父も、驚いた様子で手を休める。
「どーした、またジョートショップにアルベルトでも現れたか?」
「そ、そうなんっスか!?」
「聞いてるのは俺だろーが」
 床を拭いていた雑巾を脇に放り出すと、いつも通りの笑みを浮かべたミストは、立ち上がって体をほぐした。
「……ふざけてる場合じゃないっス〜。本当に本当に大変なんっス〜!」
「そー思うんだったら、さっさと用件に入れよ」
「サレードさんが幽霊に襲われました。それを聞いたシーラさんとパティさんは一足先に屋敷に向かったそうですっ」
 横から言葉をさらわれて不満そうにしているテディを無視すると、クリスは簡潔に用件だけを伝える。シーラが絡む事で問題を起こすと、ミストは本気で怒る。とばっちりは嫌だった。
 例によって即座に表情の変わったミストは、続きを促すように鋭さを秘めた視線でクリスを射抜く。
「い、今解っているのはそれだけのようです」
 うわずった声でどうにか返事をしたクリスにミストは、そのまま無言で考えを巡らす。
「急いだ方が良さそうじゃの、ミスト。普通の人の幽霊は、直接この世に物理的な干渉をすることなぞできぬ。せいぜい、話しかけるのが関の山じゃ。それが生ある物を害したと言うことは、魔力を操っているか、何かを使役しているかじゃろうて」
 そう言い立ち上がった老神父は、懐から取り出した聖水の小瓶をミストに手渡す。
「……片づけ、途中になってすまねーな」
「一応、気をつけるのじゃぞ」
「ああ。……ったくあいつら、無茶しやがってっ!」
 そのままミストは一気に駆け出す。置いて行かれそうになったクリスも、老神父に一礼すると慌てて追った。


「ちょっとっ。一体どうなってるのよ、これっ!」
「ポルターガイスト、という奴かしらっ?」
「そんな生優しいものには思えないけどっ!?」
 サレード家にたどり着いたシーラは、その様子にただ驚くしかなかった。半開きになった玄関からどうにか中には入れた物の、そこは家具の舞い踊る世界だったからである。さっきも手近な柱時計に襲われた二人は、とっさにシーラの魔法でどうにかそれから身を守っていたのだった。
「確かレイリアさんの部屋は、二階の一番左端だったはずだわっ」
 宙を漂って襲ってきた外套を細めの柱に堅結びしていたパティは、シーラの言葉にうなずくと先に立って階段へ向かう。相変わらずいろんな物が襲ってきたが、事態に慣れだしたのか、パティは容赦なく蹴り落とす。
 そして意外にあっさり二人は、レイリアの部屋とおぼしき場所のドアまでたどり着くことが出来た。当たりを見回すとちょっとしたホールになっていて、何枚かの絵が飾られているのがシーラには見て取れる。不思議とこの場所には、宙を踊り狂う物体はないようだ。
「歌なんて聞こえないじゃない」
「もしかして、ご主人はもう……」
「……シーラ下がってっ!」
 固い声を出したパティの見る方へ視線を凝らしたシーラは、そこに闇が集まっていくのに気がつく。
「魔族っ?」
「契約主との盟約だから。排除させて貰うよー」
 そう言うと曖昧な人型をなしたソレは、前触れもなしにかざした手から緑に輝く光球を放つ。それはまっすぐ手近のパティへと延びる。
「なめんじゃないわよっ!」
 あっさりかわしたパティは一気に間合いを詰める。気合と共に正拳を放った。しかし、それがヒットする直前に、いきなり宙から現れた机が殴打する。軽く悲鳴を上げたパティは、そのままかなりの飛距離をはねとばされる。
「パティさんっ!」
 叫んだシーラは行使していたアイシクルスピアの魔法の照準を、魔族から机へを変更する。そのまま慌てて解き放った。
 ばきぃっ。
 倒れたまま動けないパティを押しつぶそうと落下していた机は、半壊して木片をまき散らすと、どうにか狙いを外す。もの凄い音を立てて、パティの脇の床に衝突した。
「助かったわ……」
 どうにか体勢を立て直してシーラの側まで駆け戻ってくるパティだったが、ダメージはかなり大きそうだった。その隙に魔族の周りには、大きめの下駄箱と傘立て、食器棚にコート掛けのような物が重さを感じさせない様子で現れる。
「大丈夫っ?」
「うん。でも、さすがに今度、あんなの喰らったら動けないかも」
 珍しく弱気を漏らすパティにシーラは必死に考えを巡らす。何故か浮かんだのはミストの顔だった。それに勇気づけられるようにシーラは、とりあえず口を開く。
「……あなた、魔族よね? どうしてこんな事をするの?」
「馬鹿だなー。さっきも言ったとおり、契約主の命令だからさ」
 返った返事に混じる幼い物を少し意外に感じながら、シーラは次の言葉を探す。既に余裕なのか、子供くらいの人影の周りで凶器と化した家具は、無駄に踊り回っている。
「契約主と言うのは誰なのかしら?」
「レイリアって女だよー。あんた達こそなんでこんな所に死にに来たのさ?」
「アンタと同じよ。今捕らわれているって言う、この屋敷の主人に雇われたの」
 時間稼ぎをパティに任せたシーラはさらに考えた。今解っている相手の武器は光球と、宙を舞う家具。さっきの机は、三日前に応接間で見た物に違いない。どうやら家具の方は、この家にある限りいくらでも呼び出せるようだ。そして今、この家はたしか……。
「ふーん、それじゃボク達はやっぱり敵同士って訳だ」
「……ま、まーね」
「もう飽きちゃったー。そろそろ消えちゃえっ!」
「ちょっ、ちょっとっ!」
 魔族の宣言に、宙を舞っていた家具が再び統制のとれた動きを始める。
「パティさんっ、片っ端から家具を壊して。メインは私が魔法でやるわ」
「えっ?」
 その間に食器棚が二人の方へ飛来する。ためらいなく、用意して置いた魔法を叩きつけるシーラ。その隙に飛来した傘立てとコート掛けはパティが軌道を反らしてやる。どうやら、自分から離れすぎた対象には、細かい動きをさせることは出来ないらしい。それを認めて安堵したシーラは続けて飛ぶ下駄箱に、唱え置きの攻撃魔法をぶつけた。激しい音がして、家具達の破砕音が響く。
「やっぱりきりがないわよ、シーラっ!」
 魔族は続けてソファーを二つ宙へと呼び出す。そして少し間が空いて、大きめの本棚が一つ現れた。
「あれが片づいたら全力で本体を攻撃して、パティさん」
「また家具を呼び出されるのがオチよっ!」
「多分大丈夫、あれで打ち止めだから……」
「えっ?」
 返事を返す間もなくソファーが動き始めた。とりあえず本体へとダッシュしたパティは、その二つをかわす。そこへ、魔族との間を遮るように本棚が飛来した。しかし、シーラの蒼い魔法の槍がそれをうち砕く。勢いを失ったそれをジャンプでかわすと、パティは魔族に向かって渾身の蹴りを放った。
「ぐあっ?」
 妙に子供じみた悲鳴を上げた魔族はそれをまともに喰らってしまう。そこに隙を見たパティは、そのまま全力の一セットを叩き込んだ。なすがままにそれを喰らった魔族は、その勢いで反対の壁まで吹っ飛ぶ。
「一体、どうなってるの?」
「あの魔族はこの家の家具しか召還できないようだったわ。そして、この家は今引っ越し中だったはず」
 確かな手応えを感じた様子で振り向いたパティにシーラは答える。召還には多少のタイムラグが生じる。その上で、最後に魔族は三つしか家具を呼び出さなかった。正確には呼び出せなかったのだ。
 そこで魔族がゆっくりと体を起こす。同時に、例の緑の光球が一発迸る。とっさに危険を感じて後ろに飛び退いたパティのいた場所の木の床には、黒こげの穴が開いた。
「しつこいわねっ!」
 叫んだパティだったが、直後言葉をなくしてしまう。稼いだその隙で、魔族はその回りに四つの緑の光球を浮遊させていたからだ。
「本来はこっちがボクの攻撃方法なんだ。呼び出す方が楽だからさっきまでは、遊んでいたんだよー。少し痛かったからお返しだーいっ!」
 言葉と同時に魔族の光球の二発が、まっすくパティへと飛ぶ。そのスピードは家具とは比較にならない。どうにかかわした所の隙へ、待ちかまえたように残りの二発が襲う。ガードはしたものの、もろにそれを喰らって悲鳴を上げたパティは、力無く床に崩れ落ちる。
「パティさんっ!」
「もう終わりかなー」
 楽しそうに言った魔族の回りには間髪入れず、ゆっくり光球が現れる。一つ二つ……。
 シーラは終わりを覚悟した。自分の残りの魔力で防げる物ではない。ましてや、あの威力の物を喰らって無事で済むとは思えない。家具がなくなった以上退路はあったが、パティを見捨てて行く気にはとてもなれなかった。
 光球が揃った所で魔族は手を振り上げた。
「行っちゃえーっ!」
「……待てよ」
 そこに不意に現れた人影は、その場の雰囲気を無視してずかずか歩くと、パティと魔族の間に立つ。
「なんだおまえー、邪魔するのかー?」
「黙れクソガキ。俺のシーラに乱暴を働いたんだ。覚悟はできてんだろうな?」
「が……ガキっ!? ボクのどこがガキなんだよー」
「全部だな」
 いつも通りどこか飄々立ちながら、ミストの目は静かな怒りに包まれているのが解る。どこか冷たさを覚える声で、そう宣言すると彼はシーラの方を向いた。
「怪我はないか、シーラ?」
「……はい…………」
 その様子にシーラは、それだけで不思議と安堵を覚えてしまう。それも、魔族の前に素手で立った彼の身を案じる前に。どうにかなる状況とも思えないのに。シーラの安堵を見透かしたかのように、ミストはそのまま魔族へ向き直る。
 そこへ不意に背後からクリスのささやきが聞こえた。
「合図をしたら僕とタイミングを合わせて、全力の回復魔法を自分にかけるようにって、ミストさんが」
「どういう事なの?」
「僕にも解らないんです。とにかく伝えましたからね?」
 ささやきが終わるか終わらないかのうちに、ミストは再び口を開いた。
「さて、クソガキ。こいつがなんだか解るか?」
「イヤリングだろー。それがどうかしたのかよー」
 右耳に手をやって、赤いイヤリングに触れたミストへ、光球を漂わせたまま魔族は怒鳴る。
「ご名答だ。ついでに、封魔環って名前に聞き覚えがあればもっと楽なんだがな」
「……なっ、普通の人間がつけたら一瞬で魔力を吸い尽くされて死ぬはずだろー。それが封魔環の訳っ!」
「確かに嘘かもしれねーな。だが、ホントだったら。こいつを外せば、次の瞬間オマエはこの世から消えてるだろーな。今、俺は本気で怒ってんだ」
「膨大な魔力を封じる封魔環の持ち主が、もし全魔力を解放したらー。したらー……ボクはーっ!」
 そう叫ぶと、魔族は四つの光球を正面で一つのより大きな緑の光球へと変化させる。
「そうそう、全力で来ねーと効かねーかもしれねーからな」
 ミストの言葉にさらに焦りを見せた魔族は、光球の前に手をかざす。力を込めたその両手からさらなる緑色の光の奔流を生み出すと、それを光球と融合させ解き放ったっ!
「クリス、シーラっ、今だっ!」
 ミストの声に、シーラは高めておいた魔力を、暴発気味にミストへと叩きつける。クリスからも飛んだ魔力はミストへ至ると、彼の腕から淡く紫の光がこぼれ出した。そこへ、魔族から延びた目の眩むような緑色の光芒がミストへと突き刺さる。
 ミストを案じて、シーラが叫び声を上げそうになった瞬間。ミストの前に紫の薄い壁が現れた。鏡にあたった光のようにその壁で反射した緑の奔流は、そのまま魔族へと殺到する。
「ふざけるな、人間の癖にー……」
 そして、その言葉を最後まで言い終える事が出来ず、その光の中で魔族は消滅した。屋敷の壁をもぶち破った魔法は、いつのまにかすっかり暗くなった夜空へと消えていく。
「ふー。本当にガキで助かったぜ。神父の野郎にも感謝しねーとな」
 そう呟いたミストの声に、ようやく辺りに静寂が戻る。 体の強ばりが消えたシーラは、ようやく口を開くことが出来た。
「……ミストさん」
「よー、シーラ。無事でなによりだな。ここは一つ再会の抱擁でも……って、おい?」
 不思議とシーラは、自分からミストに抱きついていた。いつもの調子で笑っていたミストの方がとまどいを見せる。
「な、なんか怖い思いでもしたのか?」
「あまり無茶はしないで……。さっきも私、心配でっ……」
 そのまましゃくり上げるシーラに、ミストは困った顔でうろたえる。
「お、落ち着けって。魔族の奴も居なくなったんだし、もう万事解決だろっ?」
「……お取り込み中、申し訳ないけどっ!」
 そこに響いた冷たい声に、二人は慌てて体を離す。
「終わってないでしょ、全然っ! アタシ達はここに何しに来たのよ」
 クリスの神聖魔法で応急処置を受けたらしいパティは、かなり不機嫌そうに怒鳴る。それは一番の重傷者なのに、ほったらかしにされていれば腹も立つ……だろう。彼女の冷たい視線に、ようやくその事を思い出したシーラは、ミストの持ってきていたランプを手に取ると慌てて扉の方を見る。
「そういえば……」
「そーだったな、急ぐかっ」
 その場の空気をごまかす様に移動を開始するミストとシーラ。ジト目で睨むパティの後ろには、余計な事を言ったらしいクリスが延びていた。


 レイリアの部屋のドアはあっさり開く。ランプで中を照らしてみると、そこにはロープで拘束されたサレードが居た。脇には無骨な木槌が落ちており、これで強硬手段とやらに打って出ようとしたのだろう。安全を確認したシーラは、ランプをミストに渡すと、小さめの魔法の明かりを宙に放った。扉から入ってきた三人を認めたサレードは、怒りに顔をゆがめて叫ぶ。
「きさまら、よくもおめおめとっ! この三日間一体何をしていたんだねっ?」
「幽霊退治の準備に決まってるだろ。そっちこそ、なに短気起こして事態をややこしくしてんだよ」
 サレードの剣幕にひるんだ様子もなく、ミストはしれっと言って返す。歩み寄ったシーラは、その縄を解いてやる。
「なっ、なんだとっ!?」
「この件はもう解決してたんだよ。アンタのせいで、こっちは死人が出る所だったんだぜ?」
「そ、それがおまえ達の仕事ではないのかねっ!」
「そいつはそーかもな。そんなら、とりあえず危険手当は上乗せして貰うぜ」
「結局、なにもしてない連中に何故金を払わなければならないのだっ!」
「んじゃ、今からレイリアを除霊してやんぜ。それで文句はねーな?」
「そこまで言うならやってみるか良いだろう。その代わり、この後に及んで失敗するようなら一切金は出さないっ」
「そうそう、多少は器物破損するかもしれねーが、多めに見ろよ」
「レイリアを成仏させてくれるのなら、かまわんがね」
 ようやく立ち上がり手足をほぐし出した主人を、戸口の方まで押しやると、ミストは無人の部屋に向かって声をかけた。
「レイリアさんよ〜? 居るんだろ?」
 返事はない。無言で見守る三人の前で、ミストは変わらない調子で続ける。
「魔族は片づけた。さっさと出てこいよ」
 その言葉に部屋の奥にあった絵の前に、曖昧な人影が姿を現す。長い髪にほっそりとした体。どうやらレイリアの幽霊らしい。サレードから聞いていた特徴を思い出しながら、シーラは耳を澄ます。
「……なによ、後少しで目的が達成できたのにっ!」
「どーせ、自分の魂でも引き替えに契約したんだろ? 相手が消滅すれば、魂の契約はチャラだ。少しは感謝して欲しいもんだぜ」
「だったら、新しい魔族と契約を結ぶ事も出来る訳ねっ」
「おお、レイリアよっ。何故私の邪魔をするのだ?」
「そっちこそ自分の都合で、木槌を振りかざしてレディの部屋にまで来ないで頂戴っ!」
「聞き分けのないことを」
 言葉を失ったサレードはそのまま沈黙する。恋愛結婚だと聞いていたが、死んでしまえばこんなものなのだろうか。シーラは少し寂しい気持ちになった。
「ちっ、いい加減にしろよ。てめーがこの世にしがみついてる理由は解ってるんだぜ?」
「で、でたらめを言わないでっ!」
 焦りを見せるレイリアに、シーラは回りの二人と顔を見合わせる。無論、ミストからそんな話をされた事はない。
「そいつはある物の消去。……違うか?」
「うっ……おまえらさえ来なければ、サレードを拘束した後に魔族にやらせた物のにっ!」
 レイリアが魔族と契約を交わしたのは、サレードが強硬手段に打って出た直後の事だった。物理的な力を持たない彼女が、この部屋を守るにはそれしかなかったのである。そして、自分の留まっている理由の解決を頼もうとしたところで、パティ達が屋敷にやってきた。そう言う事だったのだ。
「そんな訳で、さくっと成仏してくれねーか? アンタのこだわる理由は、魔族の代わりに俺がやってやるよ。そうしねーと、俺達の給金が出ないらしいからな」
「くっ、誰がなんでも屋風情にっ!」
「だーったら、とりあえずその理由をアンタの主人にバラすぜ? 別に俺はどっちでも構わねーんだ」
「わ……解ったわ。ならば、私の背後の絵を燃やして」
 そう言うとレイリアは、輪郭のぼやけた手で背後を指さす。
「そんなトコに隠してたのか」
「……捨てられるものでもないでしょ」
「だからって死んでしまえば、恥ずかしいも糞もないと思うぜ?」
 ミストが手にしたランプからその絵へ火を移そうとした所で、不意にサレードが暴れ出す。
「な、何をするんだ何でも屋っ! 辞めろ、辞めるんだっ!」
「……って言ってるが、出して焼くのは駄目か?」
「人目に触れるのが嫌だから、夫には頼めなかったのよ?」
 その言葉にレイリアは無言で首を振る。ため息をついたミストはサレードの方を向いた。
「うっせーな。さっき破損には目をつぶるって言ったろ。金持ちなんだ、絵の一枚や二枚でがたがた言うな」
 そう言ったミストはゆっくり絵に火を移した。塗料が可燃性のせいか、その火は瞬く間に画布全体へ広がる。その様子に満足したのか、そのままレイリアは宙へと消えた。
「……ありがと………………」
「ああっ、なんと言うことをっ!」
 部屋へ飛び込まないように押さえていたパティの腕の中で、サレードは力無くへたり込む。やがて、絵が一差しの灰と化すると、ミストはサレードの方を見た。
「これで妻は成仏させた。依頼金の文句はねーな?」
「依頼金は出ぬよ……」
 へたり込んだサレードは、ようやくそれだけを口にする。
「なんでだよっ、依頼はしっかり果たしたはずだろ!?」
 そのままつかみかかろうとしたミストを、シーラはどうにか押しとどめる。
「オマエが燃やした絵が、私の最後の財産だったのだ。家も家具も借金の返済で消えた。あの絵が金にならなければ、私は破産なのだよ」
「な……なんだとっ?」

 サレードの話はこうだった。生前、絵の収集が趣味だったレイリアは、一枚の絵に目を付けた。もっとも目の飛び出るようなその値段はサレードと言えども、簡単には買えるものではなかった。しかし、それに執着する故にレイリアは、詐欺師に引っかかってしまったのだ。
 本来の値段に上乗せして、さらに高額の値段でそれの価格を請求されたサレード家はあっという間に傾いてしまう。そして、離婚寸前と言うところで、彼女は死んでしまった。そしてサレードの、家計の穴を埋めるための最後の手段が、さっき燃やした絵なのだったのである。

「終わりだよ、すべてな……」
 そのまま狂ったように笑い出すサレードに、ミストはがっくし膝をつくのだった。


 二日後。
 サレードの家の破産が正式に決定した。売ろうとしていた家が、一部激しく破損していたのもその理由だそうだが、サレード自身が正気を手放してしまった為、それを追求する物もなかった。
 お昼休みのジョートショップで、パティからそんな話題を聞いたシーラは、ミストに声をかける。
「そう言えばミストさん。結局レイリアさんの成仏できなかった理由って、なんだったの?」
 そして、封魔環と呼ばれるイヤリングの話し。今もミストの右耳には紅く輝くイヤリングが揺れる。考えたらあまり装飾品に縁がなさそうな彼だったが、シーラが初めてあった時からそれはそこに揺れていたはずだ。
 なんとなく聞くのをはばかられてしまう本当に聞きたかった事は、とりあえず後回しにすることにして、シーラはミストの返事を待つ。
「ん、大した事じゃねーよ」
 デザートに出ていたパイを頬張りながら、ミストは適当に答える。
「アンタだけが納得してるのも気に障んのよ。さっさと話しなさいったらっ!」
 パティの剣幕に逆らう気が失せたのか、ミストは案外あっさり白状する。
「ラブレターだよ」
「……はい?」
 思わずはもった二人の反応に、紅茶で口の中のパイの残りを流し込むと彼は続ける。
「最初の依頼の時、レイリアはめちゃくちゃもてたって言ってただろ? そんな奴が自分の部屋を死守してんだ。無論レイリアの反応を見るまでは、単なる予測だったんだけどな」
「……片や借金返済、片やラブレターの始末。そんなどうしようもない理由で、アタシは死にかけた訳?」
「どーせパティは、ラブレターなんか貰った事ねーんだろ。だから、そんな事が言えんだよ」
「なんですって!? アタシだってラブレターの一通や二通……」
「見栄なんか張ったって虚しーだけだぜっ……て、なに持ち上げてやがんだパティっ!」
「やかましいっ」
「きゃぁぁ、パティさんっ?」
 ごいんっ。
 そして、振り下ろされたデスクチェアに、ミストはめでたく意識を失ったのだった。


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