中央改札 悠久鉄道 交響曲

 
「わっふる行進曲」 T.M(MAIL)

 その日、エンフィールドは朝から曇りだった。
 灰色の雲が低く立ちこめる中、昼間過ぎだと言うのに薄暗い町には、やがて途切れることない雨が降り始めた。
 シーラ・シェフィールドは、普段通り自分の屋敷で、ピアノのレッスンをしていた。屋敷の前の通りを見通せる広い部屋の立派なグランドピアノで、練習曲の慣らしを終えた彼女は、ピアノの先生から課題に言いつかっている曲の楽譜を取り出す。
 その曲は、ある日突然消えてしまった恋する男をひたすら待ち続ける、少女の想いを曲にした物だと聞いている。
 もっとも、シーラにはまだそういう経験はない。それどころか、父親以外の男性とは口を聞くのにすら抵抗があった。なぜ、自分がこんな風になってしまったのかは、シーラにも分からないのだが、とにかく、たまに外出しても男性に声をかけられる度に、半分逃げ回っているのである。
 音もなく降り注いでいた雨は、少し強まったようだ。少し、雨の打つ音をたてるようになった窓の外は相変わらず薄暗かった。家の前の通りも、見捨てられた空間の様に誰もいなかった。
 今、屋敷にはシーラしかいない。もう少しすれば、メイドのジュディも戻るだろうが、シーラはなんとなく寂しい気分を味わっていた。
 ふと打ったピアノのキーすらが、物悲しげな音に聞こえてしまう。その余韻が消えていくのを聞きながら、シーラは憂鬱気に楽譜を開いた。
 ……練習を始めよう。ピアノを弾いていれば何も考えないで済むから。
 そう自分に言い聞かせ、一息吸ったシーラは最初の楽章を弾き始める。澄んだ旋律が流れ出し、静寂に包まれた辺りに吸い込まれるようにして流れだす。
 楽譜を開いてはいる物の既に暗譜は済ませている曲だった。半ば勝手に動いている手を、他人の物のように思いながら彼女は、もはや半分癖になっているかの様に窓の外の通りに目をやった。そして、そのまま譜面に視線を戻そうとして彼女はその目を止める。
 屋敷の前には、少し立派な樫の木が生えている。その根本に一人の人影を認めたからだ。どうやら、その人影は雨宿りをしてるようだ。静かに目を閉じ腕を組み、木に寄りかかっていた。シーラの曲に聞き入っているようにも見えた。
 ……誰かしら。
 その人物は、シーラの記憶のあるどの人物とも符合しない。曲を弾き続ける手をそのままに、シーラはその人物の観察を続ける。
 茶色で短い髪に、意志の強そうな顔。年齢はシーラと同じくらいだろうか? その青年は……そう、その人影は男だった。それに気がついてもシーラは何故か、それを不愉快には思わなかった。
 ふと、旋律が終わる。曲が終わってしまったのだった。そしてその青年は、魔法が解けてしまったかのように目を開く。そして、一瞬シーラと目があうと、そっけなくきびすを返し雨の中を走り去っていった。
 ……あの人、誰なんだろう。
 そう思うのと同時に、なぜかシーラは胸に穴が空いたかのような痛みが残った。
 ……人に視線を逸らされるのは、こんなに悲しかったの?
 ふと、今まで男性に自分がやってきた事を重ねながら呟いた。しかしシーラの問いは静寂した空間に流れただけだった。
 その日、エンフィールドの雨は止まなかった。


 翌日。
 ジュディが買い物に出かけるのを見送ると、シーラはそのまま屋敷の衣装部屋へ向かった。彼女はこれから出かけるつもりだったが、少し変装をしていくつもりだったのだ。
 最初に見つけたシーラにサイズのあう物は、ふりふりでピンク色のワンピースだった。なんとはなしに、彼女はそれを来た自分を想像してみる。少し惹かれる物はあるが、さすがに嫌だった。しばらく探すと、紳士服、礼服、ドレスなどを経て、シーラはセーラー服のような意匠の服を見つける。
 ……これならいいかしら。
 とりあえず、決断を下した彼女はその服を身につけると、長い髪を二本の三つ編みにして両脇に垂らす。用意してあった、色の透明なサングラスをかけると、側の大きな鏡の前に立ってみた。
 ……なんだか、私じゃないみたい。
 そこには、眼鏡をかけた三つ編みで、ちょっと落ち着いた雰囲気の学生風の女の子が立っていた。満足気に彼女が鏡に笑ってみると、鏡の中の女の子も眩しすぎるくらいに笑う。
 ……そういえば、誰かの前でこんなに楽しそうに笑った事があったかしら。
 とりあえず、準備を終えると彼女は裏口から出かける。どうせ、今日も夕方までは屋敷に誰もいないのだ。シーラの居ないところでそれに気がつく人間などいない。シーラはそのまま昨日、青年が歩いて行った方へ歩き始めた。
 シーラは昨日の青年を探し出してみるつもりだった。どこの誰で何をしている人なのか。何故か知らないが、彼女にはそれが気になって仕方がなかったのだった。


 しばらく歩くと、道はさくら亭の前を通る。道行く人に不審がられない程度にシーラは、青年の姿を求めて街を歩いた。
 ……私がシーラだなんて、誰も気がついていない。
 そう。既に彼女は二、三人の知り合いとすれ違っていたが、気がついた者はなかった。ほっとした反面、シーラはなぜか楽しくなってきた。『さくら通り』と呼ばれるその道をさらに進むと、左手に陽のあたる丘公園が見えてくる。
 昨日の憂鬱な雨が嘘のように、今日の空は晴れ渡っている。所々に見えるちぎれ雲も、真っ白でシーラはとても気分が良かった。
 ふと、公園から出てくる者がある。
「じゃ、あるま。これからもサボらないでがんばるのよっ☆」
「……なんで、マリアにそんな事を言われなきゃならないんだ?」
 片方の自分より大きい人影に偉そうに宣言しているのは、マリア・ショート。シーラも何度か言葉を交わしたことがあった。この街で最大の商家、ショート財団の一人娘である。そして、ほうきを片手に答える青年の顔を見て、シーラは思わず息を飲む。とっさにシーラは、そのまま近くの夜鳴鳥雑貨店の物陰に隠れた。
「さっき、サボってたのはドコの誰よっ☆ アリサおばさんに言いつけるわよっ?」
「あれはただの休憩だっ。あれだけの広さの公園を、早朝から一人で掃除する方の身にもなってみろ」
 間違いない、昨日の青年だ。シーラは思いがけない偶然に感謝した。青年はどうやら『あるま』というらしい。
「……ま、細かいことは気にしないの。じゃねっ☆」
「はいはい、じゃ〜な」
 マリアと別れた青年−あるまは、そのまま公園から歩み去る。シーラは慌てて後をつけた。そのままあるまは、『ウインザー通り』にさしかかりゆっくり歩く。
 ……マリアちゃんと、仲が良いのかしら。
 なぜだか分からないが気になった。シーラは今度会ったらマリアに、青年の事を聞いてみることにした。
 ……あれっ?
 少し気を逸らした隙に、視界からあるまの姿が消えている。彼女は慌てて、風見鶏館の脇の小道へ走り込んだ。しかし、視界の限りに彼の姿はない。
「……なにか、用か?」
 ……!!
 不意に後ろから声をかけられたシーラは、急いで振り向く。
「多分、見覚えはないよな…誰だ?」
 そこには、やはり腕を組んだまま、シーラの方に油断のない視線を送るあるまが居た。
「用事は……ないです」
 言いたいことはたくさんあったが、ぐちゃぐちゃになった頭で、とっさにシーラが口に出来たのはそれだけだった。あるまはさすがに白昼堂々尾行をかけた相手に、『怪しい』という態度を隠そうとはしなかったが、それ以上はなにも聞いてこなかった。
 しばらく間を置いて、あるまは口を開く。
「そうか、それじゃ一つ頼まれてくれるとうれしいんだが…」
 黙って自分の方を見るシーラを、肯定と採ったかあるまは言葉を続ける。
「実はな……道に迷った」
「……はい?」
「いや、公園を出てしばらくした辺りから、君の尾行には気がついていたんだけど、対処を考えていたら、いつの間にか知らないトコにいた」
 あるまは、困ったような、なんとなく恥ずかしそうな表情でそう言うと組んでいた腕をほどいた。
「……ここは……風見鶏館の側です」
「うーん、聞いたことがないな。実は俺、この街には来たばっかりで、まだ街を一周した事がないんだ。君さえよかったら、知ってる場所まで案内してくれるとうれしいんけど……」
 苦笑いのあるまは遠慮がちに聞いてくる。
 ……悪い人ではないみたい。どうしよう……。
「そ、そりゃ、警戒するのもよく分かる。嫌なら無理にとは言わない、悪かったな」
 やはり沈黙するシーラに、あるまは通りの方へきびすを返す。
「……待ってください」
「ん?」
「……案内します」


「ジョートショップって所に、連れていって貰えると嬉しいんだけど。……っと自己紹介が遅れたな。俺は、あるまって言ってジョートショップで働いているんだ」
 しばらくして、シーラはあるまと一緒に道を歩いていた。
「私は……ジュディと言います」
 シーラは自分の名前に嘘をついていた。さすがに昨日あんな出会い方をした所、素直に自分の名前を名乗るのがためらわれたからだった。
「ジュディか。本当に助かったよ」
 シーラは学問の小道を右に折れると、エンフィールド学園前を通り過ぎた。
 ……少し遠回りになるが、彼は気がつかれないと思うし。
 自分でも信じられない事に、シーラはあるまと名乗る青年と少し話をしてみたかった。理由は自分でも分からなかった。
「……気にしないでください」
 そんな事が言いたかった訳ではなかった。昨日、あそこで何をしていたのか。どうして、私と目を反らして去ったのか。だが、シーラにはうまく言葉が出なかった。
 不意に柔らかい風が吹き抜ける。軽く伸びをしながら、あるまは道の両側に植えられた木々に目をやっていた。
「今日は気持ちが良いな。こんなのんびりした気分も久しぶりだぜ」
 ……笑顔が自然な人。
 誰ともなしに呟くあるまに、シーラはそんな感想を抱いていた。
「俺、この街が気に入ったよ。まだ来て間もないけど、平和だし、綺麗だし。そうそう、それから、いろんな人に良くして貰ったし」
 学生寮を通り過ぎる頃、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
「うーん、ピアノかな」
 ひたすら無言のシーラに、あるまは独り言の様に続ける。曲は、学生寮から聞こえてくるようだ。
「……『わっふる行進曲』と…言う曲のようですね」
「そうなのか? ジュディ、詳しいな」
「……結構有名な曲ですし。音楽、お好きなんですか?」
「俺は音楽のことはよく分からないけど、綺麗な曲は好きだな」
 あるまはそう言うと笑ってみせる。
 ……なんだか、暖かい。
 そう感じたシーラは、不意にずっと引っかかっていた胸のつかえが取れた気がした。
「『わっふる行進曲』というのは、昔、ワッフル屋さんが、ワッフルを作りながら作曲した曲だっていわれているんです。今となっては、本当かどうかは分からないんですけど」
「ま、作者不明って曲も結構あるらしいしな。そう言われてみれば、どっかで聞いたようなメロディだぜ。なんだかお腹が空いてきたな」
「ふふ……。面白い人ですね」
「こっちも、ようやく笑って貰えてほっとしたよ。ずーっと、黙んまりだったからな」
 そう言うとあるまは、心底ほっとしたような表情を浮かべる。
「ごっ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「ま、いいさ。それより次の角はどっちなんだ?」
 橋を渡りきった所の、『科学者の遊歩道』を右手に進むと再び橋を渡る。その間も二人はいろいろな話をした。大半はあるまの話すことにシーラが相づちを打つのだが、以前よりはずっと普通に会話できるようになっていた。
「あ、この辺はさすがに見覚えがあるな」
 二つ目の橋を渡ったところで、あるまが辺りを見回しながら言う。
「ありがとう、助かったぜ」
 ……そう、もうお別れなのね。
「あるまっ!」
 いきなり道の向こうから怒鳴り声が聞こえてくると、黄色い両お下げが走ってくる。
「なんだ、マリアか」
「『なんだ』じゃないわよっ☆ あれだけ、サボるなって言ったのに、どこほっつき歩いてた訳っ?」
「おまえは、俺の監視か上役かっ」
 目の前まで文字通り走ってきたマリアに言い返すあるま。
「そっ、そんな事関係ないでしょ☆ ……っと、それよりそっちの娘は?」
 不意にマリアの視線がシーラの方を向く。
「えっと、その……」
 その場から走り去りたい衝動を必死にこらえると、シーラはどうにかこの場を作ろう口実を考えようとする。
「……どっかで会った事ない?」
「なんだ、それは」
 マリアの反応に呆れるとあるまは続ける。
「この人はジュディさん。俺が道に迷ってた所をここまで案内してくれたんだぜ」
「ジュディっ!? ……うーん、どっかで聞いたような」
「あっ、あの、あるまさん。私……」
 シーラがようやく口実を思いついた所で、マリアが叫ぶ。
「あーっ、ひょっとして……シーラっ?」
 言うが早いか、マリアはシーラの伊達眼鏡をむしり取っている。
「シーラっ!? ……って、誰だ?」
「だぁぁ、この間紹介したばっかりでしょっ! シェフィールド家にお嬢様が居るってっ!」
「…そだっけか?」
「あんたっ、脳味噌に雲丹湧いてるんじゃないのっ?」
「馬鹿、雲丹が湧くか。……思い出したぞ。男が苦手で、目を合わせるだけで失神するから『近寄るな』とか言ってただろ。全然大嘘じゃないかっ」
 少し考えるそぶりを見せたあるまは、マリアに言い返す。
「そこまで言ってないわよっ☆ ドスケベナンパ野郎のあるまが、シーラに迷惑をかけると悪いからちょっと釘を指しただけでしょっ!」
 どうやら昨日の件もマリアの誇張が原因だったらしい。当の本人を置き去りにして、言い合いを始める二人に、シーラは苦笑いをするしかなかった。
 ……この二人を見てると、さんざん悩んだ私の方こそ馬鹿みたい。
 この日を境に、シーラと普通に話の出来る数少ない男性が誕生した。エンフィールドじゅうの同年代の男を敵に回したその男の名を、あるまという。

おしまい


後書き
えっと、あるまさん、8000hitおめでとうございま〜す。
…って、もう9000近いですが。(笑)

お話の方はいつもの馬鹿話とは少し感じを変えて、静かなお話になっています。
主人公がエンフィールドに来たばかりの頃。
どうして男が苦手なシーラが、主人公とは比較的普通に会話をしてるのか、
ってあたりにお話を入れてます。
って訳で、オフィシャル設定ではありません。
SSのリハビリ中ですので、レベルの方は許して頂けるとうれしいです。(^^;
それでは、HPの方、これからもがんばってくださいね〜。
あの『マリ・ピザ』も待ってます。(笑)

#分かる方は分かると思いますが、もろにあれの影響を受けてます。
 雨でわっふるで、三つ編みですからねぇ…。(謎)


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