APPLE PARADISE BBS Vol.14-Thread No.1264

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1264
date 2002/2/19(火)22:07
uname 夏みかん
subject Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)

いつも「どういう意味なんだろう?」と思っていたのですが、
AKIRA(映画)のラスト近くで、こんな会話ありますよね・・・
マサル:「もう、始まっているからね・・」
キヨ子;「あなたの、友達の・・・」
金田:「俺の・・・?(!)ケイっ?!ケイのことだな!」
・・・これって、どういう意味なんでしょうか?「友達の・・・(K)」が、何?!!
知人は「ケイの子供(あるいは子孫)が、アキラや鉄雄以上の力を持つ。
しかもその子は力を使いこなせる!」と言うんですが
でもそれだったら原作でもそのことに触れてもいい気がするのですが?
1266
date 2002/2/21(木)02:13
uname Jun'ya
subject re(1):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)

正直言うと、こういうご質問に対して返事することは非常にためらわれるんです。
物語の解釈というのは決まった正解があるものではなく、読んだ人それぞれが感じるもの
だからです。

それをここで僕が自分の意見を書いたら、もちろん多くの人は「なんか言ってるな〜」
程度に受け止めてくれると思うんですが、僕の解釈を「正解」と感じてしまう人も出な
いとも限りません。もちろん、僕は僕の解釈を自分なりの正解だと思っているのですが。

同様に、6巻ラストの「金田のゴーグルが徐々に消えていく描写」についての解釈
(No.150) も「正解」なのではなく、僕個人の意見だということです。

一応、お尋ねの部分についての僕の解釈は以下のような感じです。読みたくない方は
読まれない方がいいと思います。



鉄雄や実験体たちと同様ケイにも「力」があります。ケイの場合は彼らと違って「力」を
自らコントロールできる訳ではありませんが、「クスリ」の力を借りずに発現できます。
ちなみに、「力」が個々のの持っている何らかのエネルギーを元に放出されるものだと
したら、触媒となって「力」を伝えたり増幅したりするというケイの「力」も、鉄雄や
実験体たちと同様の「力」のひとつの形態と考えることが出来ると思います (超能力と
いう、現実に存在しているかどうか定かではなく、もちろん科学的に証明されていない
ものを論理的に説明するのは不可能ですが)。ということで、鉄雄、アキラおよびマサル
たちにも不可能だった、「クスリ」に頼らない「力」の発現/コントロール(=使いこな
すこと)が、自らコントロールすることは出来ないながらもケイには可能になっている
と考えられます。また、原作ではケイのみならずチヨコや金田にもその兆候があること
が示唆されていますよね (直接の言及は第6巻 p364-365。それ以前にも金田の「力」は
「勘の鋭さ」の様な形で示されています)。それを「(この大きな「力」を本当の意味で
使いこなせる人間の出現/人類の進化が) もう始まっているからね‥‥」と表現したの
ではないでしょうか。作中の言葉を使わせてもらえば、「分散された力の種」が「遠い
記憶の中」から「発芽」し、「人類の変化に曲折」がもたらされ (アキラ)、試行錯誤
し(鉄雄)、人類自身によって「選択」されて進化していく、この変化が「もう始まって
いる‥‥」のではないかと思います。

あくまで僕の解釈であり、感想です。異論、反論ありましたらお気軽に。
1267
date 2002/2/22(金)00:57
uname DIO
subject re(2):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)

自分の考えを他人に押し付けるということや
「正解」を一つに決めるということをしなければ、
掲示板で作品に対して感じたことやストーリーの解釈の仕方を
お互いに出し合うこと自体はイイことだと思っています。

ただこのシーンはなんかシビアで自分の想像したことを
上手く文章に出来ませんでした。


1273
date 2002/2/22(金)20:01
uname 真
subject re(3):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)

ケイは“K”ではなく、“Key”じゃなかったかな?
って、どうでもいいですね。すいません。

No.1266からの分岐スレッド。

1275 削除

No.1266からの分岐スレッド。

1276
date 2002/2/22(金)23:22
uname 夏みかん
subject re(2):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)→AKIRApsychoball

管理人さんはじめ、みなさんお答え頂いてありがとうございました。
配慮が足りない事書いて申し訳ありません。
考えてみたら一つの事柄において、人それぞれの考えがあって当然。
(国語の問題と同じですな。えっ?違う・・・?)
だからこそ作り手方は手応えを感じるのかもしれません。
「AKIRA」は私が今まで見た中で最も困難で、魅力的な作品。
K(真さん、確かコンテの中では彼女は『K』と表記されていましたよ、
最もただたんに略したのかも・・なんせ金田君なんて『金』とか書かれてましたし;
あ〜あと1巻のP244での金田の台詞とか)のことも含め、どんどん妄そ・・・
いや、考えてみたいです。
管理人さんの考え、「なるほど、そんな見方もあるなぁ」と思いました。
ところでスミマセン、かなり話変わるんですけど、みなさんAKIRApsychoball買いますか?
私は財布が火の車なんで買えません(泣)
1284
date 2002/2/24(日)16:37
uname 真
subject re(3):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)

夏みかん> 真さん、確かコンテの中では彼女は『K』と表記されていましたよ、
夏みかん> 最もただたんに略したのかも・・なんせ金田君なんて『金』とか書かれてましたし;
夏みかん> あ〜あと1巻のP244での金田の台詞とか
確かに“Kちゃん”って言ってますね〜。
しかも“Key”じゃなくて“Kay”だった(汗)。
二重に間抜けでした(笑)。名前かコードネームか微妙っぽいところがミソなんでしょうね。
夏みかんさん、つまんない茶々いれちゃって、ごめんね。

ちなみに僕の読み取り方では、あの圧倒的スケール感、描写力、テンポ、楽しさ、
それによって受ける快感の前では、そういう辺りはもうこだわってられなかった。
大体感じが解ればそれで良し、と。まあ、考えればいろいろ出てくるだろうけど。

「アキラ」の読み取り方って本当に様々で、それぞれの書評によっても全然違うんですよね。
そういうの、夏みかんさん、もし興味があれば書き出してみますけど、読みたいですか?
ただ、この場ではそういったものはあんまり向かないのかな?どうでしょう?
1285
date 2002/2/24(日)21:07
uname 夏みかん
subject re(4):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)

真> 「アキラ」の読み取り方って本当に様々で、それぞれの書評によっても全然違うんですよね。
真> そういうの、夏みかんさん、もし興味があれば書き出してみますけど、読みたいですか?
うっ・・読みたいですっ・・・
でも、混乱しそうな可能性大ですし・・・それに私も、いろんなサイトを覗き見(怪しっ!)
して、いろんな人の考え方を見たり、先日のように質問とかしてみたりしているのですが、
結果は「混乱」がほとんどです。特にラストなんて、本当に人の数ほど解釈があるみたいです。

1290
date 2002/2/28(木)09:00
uname 真
subject AKIRA評

夏みかん> 結果は「混乱」がほとんどです。
夏みかん> 特にラストなんて、本当に人の数ほど解釈があるみたいです。

それでは、村上隆の批評(アキラ評というより大友評ですが)はいかがでしょう?

「大友克洋の快作「メモリーズ」・物語解体の興奮」より
「(大友克洋による単行本の仕様、アニメ参入の経過、展開、および海外戦略等について、
それらのプロデュースセンスと戦略性を挙げてアーティストとしての評価が語られてから)
…大友氏の苦悩は劇場アニメ「アキラ」の完成からスタートしたのでは、と思われる。
大友氏のデヴュー時の最大の魅力は、宙づりにされた存在、登場人物設定、セリフ、
全てが重大なことのようでもあり、まるでシラっと宙ぶらりんでもある。
「ロボットカーニバル」での、演出がその好例だ。…画のリアリティによるハカイの生々しさ。
そのハカイの主がアニメーションのタイトルだったんだというストーリーティングそのものの崩壊、
このダブルミーニングをして、生々しい大友的リアリズムが生まれてくるのだ。
しかし、アニメ版「アキラ」ではそのダブルミーニング無しにただただリアルにストーリーを語る
ことに、終始してしまいラストにおける鉄雄の夢も空しくストーリーテーリングの徒労をつたえる
だけになってしまっていたように思う。…(このあとさらに「WAH」「老人Z」の否定的意見も
入ってから)…まんが版「アキラ」も…連載時のラストシーンをみても、アニメ版と変わらない、
大友克洋の限界をみたなという印象をもってしまっていた。
しかし、単行本でのラストシーンは、ガレキの中へ突進してゆく金田とその仲間達のバイク群。一見、
未来に向かってゆくという大団円にだけみえがちだが彼らが向かってゆく崩壊したビル群がナント、
奇妙にもあのリアリズムをもって、再建、再構築されていってるのだ。
いままで徹底した描写力で破綻の限りを描き出して来たそのラストが、その今まで積みあげてきた
リアリズムを全て否定しているのだ。
ストーリーにあってストーリーにあらず、まんが論としてポスト手塚の役割を「アキラ」は、
果たしおおせることに成功した。クリエーター大友の前進とアニメ版「アキラ」での失敗は
ここで見事に反転し結実したかにみえる。…(このあと本題の「メモリーズ」の評に入る)」

上記のとほぼ同時期同内容の評「大友克洋という名の才能」より
「(『気分〜』『AKIRA』を挙げてハイセンスぶりや影響力などに言及し)…大友克洋がマンガ家
としてだけでなくアーティストとして評価される理由にこのエポックメーカーという部分が大きい。

もともと手塚が造りあげたマンガというシステムは、…本当はフィルムを作りたかったが現状が
それを許さないジレンマからのコンプレックスによってできてしまったメディア、それがマンガだ。
その手塚版、“映画のようなマンガ”を大友はその画力で早々と切り抜け、“マンガのような映画
のようなマンガ”の創作へと転身してゆく。『童夢』はその完成体とみてよいだろう。
大友の実写FILMへの憧れは、…『ワールドアパートメントホラー』は、『マンガのような映画』
を試みて、完全に失敗したと言わざるを得ない作品であった。しかし作家は前進してゆくため欲求に
忠実であることが必要である。愚作であろうとも造りつづけるのが、アーティストの正しい道である。
…『ロボットカーニバル』、『工事中止命令』では、大友のフィルムセンスが最大限に発揮されたと
思われる。…説得力、表現力ともに言うことなしの完成度を見せつけてくれた。

『AKIRA』ほど当時のマンガファン、アニメファンが待ちこがれた作品はなかろう。
…ヒットアニメのエッセンスをすべて叩き込んでのスーパーハイクオリティー画面。
しかし、ここからフィルムメーカー大友の苦悩は始まったと私は見る。ドラマとして90分を越える
時間軸のコントロールを舌足らずな短編体質だった彼がKEEPできなくなり、いきおい、通例のドラマ
構成に頼り、はじめての弱気な演出に迷ってしまったのではなかろうか。…プロデュースセンスには
冴えていたとは思うのだが、いかんせん本編が弱気だったのだ。のちにマンガ版『AKIRA』が単行本
で完結した時点では、アニメにおいてのこの弱気な部分。作家大友克洋ストーリーテラー願望を裏
の裏までねじり込み、ストーリーマンガへの敗北宣言として、マンガを完結させた。その意気に
アーティスト大友克洋健在なりと涙と感動のエールを送ったものだ。…(『メモリーズ』評へと)」

そして「美術手帳」98年12月号の「AKIRA」評
「大友克洋がストーリーマンガ家と呼ばれていた手塚治虫をターゲットにしつつ、マンガの
新レボリューションを造り上げようとした野心作。…これ(手塚治虫)を乗り越えるとなると
ストーリーの円環は閉じなきゃいけないわ、見たことないヴィジュアルをつぎつぎ出さなきゃ
まずいわで、10数年かけて描きに描きまくったが、最終巻ラストにおいては10年間使って
きたストーリーをすべて捨てて、マンガよりマンガ評論を成し遂げてしまい、ストーリーを
きりもみ飛行で着陸を放棄してしまったというアクロバティックなラストをみせてくれた。」

※“…”は中略です。

1303
date 2002/3/8(金)23:45
uname 夏みかん
subject re(1):AKIRA評   吹き替え(前Ver)が見たいっす!

真さんレス(返信のこと・・・ですか?すいません、パソ歴数ヶ月単位なもので・・)
ありがとうございました!
村上隆先生の、「大友の苦悩は〜」のくだりですが、たしか先日「日本のアニメ」・・だったかな?
似たような記述がありましたよ。「『AKIRA』は今も尚SF作品において大きな壁となっている。
大友本人にとってもまたそうなのだ。」
といった感じでした。資料名についてはまた後日、ハッキリさせますのでご勘弁〜
あと、「図柄、台詞・・・すべてが重要なようでいて宙ぶらりん・・・」も同感です。
「ユリイカ」を見るとこういうAKIRA関連の評論ってたくさんあったらしいのですが、
今は見かけませんね〜
よし!探してみせませう!
なにはともあれ、真さんご丁寧にありがとうございました(^−^)

管理人さん・・・ぶっきらぼうな言い方(書き方?)してすみませんでした。
質問する前のわたしは某知人の説しか頭になくて、K自身が「新しい意味の能力者」
(この解釈、間違ってたらすいません〜)
という考えは全然考え付かなくて、拝読した時は「ああっ!なるほど!」
と眼からうろこ状態だったので、ああ書かせていただきました。

謝りついでにお尋ねしたいことがあります(^^;)
現在発売されているDVD、「AKIRA spetial edition」・・・
素晴らしいです、グレイとです!
ただ、コレに収録されている英語吹き替えは何回目かに収録されたもので、
最初に米国で発売されたビデオとは
キャストが違うとか・・・是非ともそのバージョンを聴いてみたいです!
と言うわけで、吹き替えはそのキャストで、
日本語字幕つきという素敵なビデオはないのですか?
ご存知でしたら教えて下さい〜
1304
date 2002/3/10(日)10:34
uname 真
subject 夏みかんさんへ

夏みかん> 真さんレス(返信のこと・・・ですか?すいません、パソ歴数ヶ月単位なもので・・)
そうレス。なんて、僕もこの手の用語は全然詳しくありません。
レスポンス?だかポン酢だか(バリー)ボンズだか・・のことだそうで。

夏みかん> 村上隆先生の、「大友の苦悩は〜」のくだりですが、
夏みかん> たしか先日「日本のアニメ」・・だったかな?
夏みかん> 似たような記述がありましたよ。
夏みかん> 「『AKIRA』は今も尚SF作品において大きな壁となっている。
夏みかん> 大友本人にとってもまたそうなのだ。」
夏みかん> といった感じでした。
つまんない指摘をするようで恐縮ですが、・・いや、私の抜き出し方が悪かったのかもしれませんが(汗)、
その部分の記述は、全く逆の意味で示されていると思います。
後者のほうは、劇場版『AKIRA』が大傑作ゆえ、という意味で言っており、
村上隆のは、行き詰まりとしての苦悩、つまり劇場版『AKIRA』を、
満足いかない作品として挙げています。
省いてしまった僕が悪いのですが、「〜・物語解体の興奮」の中の「…ラストにおける鉄雄の夢も
空しくストーリーテーリングの徒労をつたえるだけになってしまっていたように思う。…」
のあとに、「もちろんアニメ界のエポック的な事件をつくれたとしても、だ。」というのが続きます。
要するに「日本のアニメ」の書いているようなことを言っているわけですね。

やはり、批評などは全文で読まないと、書いてある意味や意図がつかみづらいものなんですね。
全文転載というのも問題があるのでしょうし、そのものを手に入れていただく他ないようです。
「〜・物語解体の興奮」は(以前書きましたが)「コミックボックス」96年6月号、
「大友克洋という名の才能」は「テックウィンMPEGスペシャル」1996-vol.2で読めます。

夏みかん> 資料名についてはまた後日、ハッキリさせますのでご勘弁〜
「日本のアニメ」で合ってます。【292】からのスレッドをどうじょ。

夏みかん> 「ユリイカ」を見るとこういうAKIRA関連の評論ってたくさんあったらしいのですが、
夏みかん> 今は見かけませんね〜
たくさんありますし、今も定期的に出続けてます。未だに決定的な評価というのがないから、
また、そういう性質の作品ともいえるから、なんでしょうね。

夏みかん> よし!探してみせませう!
他の方はどうか分かりませんが、少なくとも僕は読みたいので、いろいろ見つけたらぜひ教えられたし。

夏みかん> なにはともあれ、真さんご丁寧にありがとうございました(^−^)
参考になればいいですね。
1306
date 2002/3/10(日)13:02
uname 夏みかん
subject re(1):夏みかんさんへ


真> 真> つまんない指摘をするようで恐縮ですが、
真> ・・いや、私の抜き出し方が悪かったのかもしれませんが(汗)、
真> その部分の記述は、全く逆の意味で示されていると思います。
真> 後者のほうは、劇場版『AKIRA』が大傑作ゆえ、という意味で言っており、
真> 村上隆のは、行き詰まりとしての苦悩、つまり劇場版『AKIRA』を、
真> 満足いかない作品として挙げています。
うあああああああぁ〜やったいましたうっかりミス!
そうですよね、よくよく考えればそういった内容ですよね。
どうかあのヘンテコリンな解釈は忘れてください(泣)
ちなみにそんな私は国語のテストの「評論」の成績が激悪です。(冷汗)

ところで今CMしてたのですが、[AKIRA」で作画監督をなさった
なかむらたかしさんが監督のアニメ映画がこんど上映されるらしいですね、
確か・・・「バラム・・・」ん?「パラム」だったかも・・・(おいおい)
とにかく「バ(パ)らむの木」というタイトルで、木の人形の少年の話らしいです。
「僕を人間にしてよ!」と叫んでました。

最後になってすいませんが、真さん、再びありがとうございました。・・・・ポン酢(爆笑)

No.1290からの分岐スレッド。

1305
date 2002/3/10(日)10:43
uname 真
subject re(1):AKIRA評

夏みかん> 特にラストなんて、本当に人の数ほど解釈があるみたいです。

鶴見済の「長すぎた“終わらないドンチャン騒ぎ”の終焉」という書評
「「AKIRA」はなぜあんなに長かったんだろうか。…長さの割にストーリー性に乏しい。僕のまわり
では、…3巻くらいで離れていった人が多かった。確かに4巻以降…は、あまりにも間延びしていた。
が、それでも僕が熱心に読み続けたのは、その設定や出てくる要素に圧倒的に惹かれたからだ。
その要素を列挙してみると、…省略…。僕にとっての「AKIRA」は、そうした優れた設定のなかで
限りなく繰り広げられる、楽しいドンチャン騒ぎだったのである。
…大幅に中略…
最終巻には、ネオ東京がもとの姿に戻っていくという結末が描き加えられている。が、これは
なくてもよかったかもしれない。この不安定でガラクタでクスリ漬けの東京が“終わらない”
ことのほうが、この長すぎた物語のエンディングにはふさわしい気もする。」

「フラッシュバックは圧巻 〈意味〉を持たないゆえに受容する解釈」という書評(著者甲木善久)
http://www.reviewers.jp/jihyou/dokusyojinn/93/9304.htm
「…そして、このフラッシュバックの中で行われるのは、「友達」「仲間」という
キーワードの横行するコミュニケートへの回帰である。これをどう見るかによって、
ラストシーンの解釈のされ方も変わってくるのだろう。」

山崎浩一の「新しい映像表現 極限まで」という書評
「『2001年宇宙の旅』を撮り終えて、スタンリー・キューブリックは言った。
「映画作家は紙とペンの自由を獲得した」と。…
だとすれば、逆に「紙とペン」の側から「映像の自由を獲得した」のが大友克洋だった、と言って
いいかもしれない。ただしそれはもちろん映画とも、また、ひょっとするとマンガや劇画とも違う、
まったく新しい映像表現なのだった。
…大幅に中略…
そして手塚≪マンガ≫の言語体系を鮮やかにクリアした、単純だが重畳的なストーリーは、読者に
さまざまな解釈を許すことになる。この作品がテーマやメッセージと無縁の職人的エンターテイン
メントだという俗説は、実はあまり当たっていない。読者が読み取りさえすれば、ここには…、
戦後と同時代が孕むあらゆるテーマが発見できる。その豊かな映像的メッセージを、一度じっくり
読み取ってほしい。それは≪大友マンガ≫という新メディアの特性を最大限に楽しむ法でもある。
たとえば、単行本で新たに加筆された三十五nのエピローグ。徹底して<破壊>を描き続けたこの
作品にとって、それはいかにも取ってつけた蛇足的な<再生>イメージのようにも思える。が、
それはこの作品が戦後の廃墟から生まれたマンガという「力」と「流れ」の物語でもあることを
象徴しているのだ。このラストシーンが『火の鳥・未来編』のラストを連想させ、また、そこに
手塚治虫の献辞が添えられているのも、けっして偶然ではない。
大友もまた、確かに「手塚の子」なのである。でも、「紙とペン」がついに“そこ”から
遥か“ここ”まで来てしまったことも、やはりまちがいないのである。」

おまけで、「スタジオヴォイス」(切り抜いちゃったので号数、著者不明)にあった、ちょっとした評
「日本の音楽シーンに「YMO環境以前/以後」という明白な一線があるとすれば、同様にマンガ
界に言えるのが「AKIRA環境以前/以後」だろう。では『AKIRA』はいったい何を変えたのか?…
まずは世界観。…省略…
それから情報量。80年代の音楽がデジタルプログラミング技術によって1秒間のトラックの情報量
を飛躍的に増大させたように、『AKIRA』の1コマには従来の見開き位の情報が圧縮されている。
すでにリスナーの耳が後戻りできないのと同様、読者はもう古き良きマンガへは帰れない。
それが「AKIRA環境以前/以後」である。」
1313
date 2002/3/17(日)08:21
uname 真
subject re(2):AKIRA評

夏みかん> 特にラストなんて、本当に人の数ほど解釈があるみたいです。

「荒廃した80年代のイメージ」という書評(著者三田格)
「…しかし、1980年代的といえば、これほど80年代的な作品もなかった。…中略…、80年代が
どうしてこれほどまでに廃墟や暴力にとりつかれていたのかということは不思議にも思えてくる。
むしろ、バイオレンス(消費)の果てに最後の戦いが終わって(バブルが崩壊して)、話が
なんだか元の木阿弥になってしまったようになると、「AKIRA」はまるで未曾有の生産と消費
に明け暮れていた80年代の心象風景を、これだけ日本は荒廃していたのだと、大友克洋はそれ
を描写していたのだと、読む気持ちにも変化を来すようになっている。「アキラはまだ俺たち
の中に生きているぞ!」という金田少年の最後のひとことは、従っていつでもまた80年代は
再現されるという意味にも取れなくはないし、それが人間の進化のビジョンと結び付いている
ことは資本主義のさらなる高度化を宣告されたようでいささか恐ろしい。」

村上知彦の「物語は、閉じられてはいない」という書評
「…80年代のキーワードの一つに“新人類”というのがあった。例えば…省略…。
…連載終了からでも約三年を経て、ようやく上梓された『AKIRA』最終巻は、そんなとうに忘れ
ていた時代の気分を、いきなり読者に突きつける。超能力も宗教も、廃墟や破壊衝動さえも消費
しつくされた荒野に、アキラはそれでもやって来る。……などが入り乱れて争奪戦を繰り返す。
延々と続く破壊のイメージと、予想される未曾有のカタストロフ。誰もが息をのんで見守った
物語を、大友克洋はまるでコンピュータ少年がゲームをクリアするように、冷静に描き終えた。
結局はもとの地点に回帰したかのような物語は、しかし決して閉じられてはいない。単行本で
加筆されたラストシーンで、「どうだい、一緒にやらないか」と誘う金田とケイに「遠慮して
おこう」と答える大佐。宿敵同士がかわす一瞬の交情は、これが大友版「ワイルドバンチ」で
あることを思わせる。そういえばペキンパーも、子どもと老人を好んで撮し取っていた。
大友克洋の描いた“新しい人”は、最後の西部男のように頑固で孤独だ。」

・・・ネタ尽きた。

No.1276からの分岐スレッド。

1298
date 2002/3/7(木)03:33
uname Jun'ya
subject re(3):Kって・・・(AKIRAの内容の質問です)→AKIRApsychoball

夏みかん> 配慮が足りない事書いて申し訳ありません。

いえ、DIO さんが仰るとおり、解釈内容を強制しないという前提であれば作品解釈の
議論は問題ありません。ただ、【266】を補足すると、この掲示板が不特定多数の
閲覧者のためのものであるという点が問題を孕んでいるのです。逆に、内輪でいくら
議論しても、相手の考え方がある程度わかるので問題は生じません。解釈に関する
質問投稿が悪いのではなく、その返答に配慮が必要だということです。

夏みかん> 管理人さんの考え、「なるほど、そんな見方もあるなぁ」と思いました。

そうですか‥‥。

No.1264からの分岐スレッド。

1300
date 2002/3/8(金)15:11
uname 真
subject ケイ誕生

ついにケイの誕生した日がやって来ました。

いや、4月だ、03年だ、04年てのも・・、といったデータもあるようですが、
とりあえず今日が、“ケイ誕生記念デー”になるのでしょう。


八ッピバースデーケイちゃーん♪


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