2005/1〜名鉄美濃町線と三岐北勢線

 昨年横浜に転居して以来、久しぶりに暇を見つけ3連休ででかけてきました。最初の標的は名鉄美濃町線と三岐鉄道北勢線です。
 「ながら」に乗るのも久しぶりのこと。熱海からJR東海の運転士に替わるのですが、いつもJR東海の普通電車に乗って思うことは、停車のときに上手くとまっていないこと。ずっと前から思ってはいたのですが、ブレーキの1ノッチから停止位置手前でノッチを2に入れている運転士が多いように感じるのです。JR東海の313系をはじめとする左手ワンハンドルの新型車のブレーキ特性が扱いにくいせいなのかなとずっと思っていたのですが、熱海までのJR東日本の運転士さんはスムーズに駅に停車させていました。が、熱海からJR東海の運転士に交代してから、やはり停止の瞬間にブレーキを一段進段している感じなのです。やはり運転士の力量の問題なのかなと再確認したのでした。しかし、車内で睡眠をとる乗客の多い夜行電車ではやはりブレーキの扱いはしっかりして欲しいと思うのです。実際、停止のショックで睡眠を妨げられるような感じでした(個人的には)。そうしてとりあえず岐阜に到着。


 名鉄の新岐阜駅の美濃町線専用改札を通り、電車に乗り込むとすぐに発車、上芥見駅ここから次の田神までは各務原線の線路を走ります。田神駅でも低床の専用ホームに止まります。田神駅の先にセクション区間があり、1,500Vから600Vに架線電圧がかわります。このため、新岐阜に入る電車は複電圧対応車両となっています。さて、今乗っている車両は870形、元は札幌市電のA830形で名鉄に来てからは連接車で輸送力があるという理由からか新岐阜に入る運用に入っています。休日の朝比較的早い時間の列車という目で見ても乗客はやはり少ないように見えました。新型半低床車両を導入するなど、名鉄も路線存続の道を模索していたのは間違いないですし、企業としての判断では、廃止も仕方なかったのかなと思うのですが、このように道路端を拝借するように走る開通当時からの鉄道施設の雰囲気が残っているのはおそらくここが最後。そういう意味では美濃町線は産業遺産(?)と言ってもいいのかなと思っているので正直廃止は残念です。外国企業が海外のLRTの経験を生かして路線を継承すると言う話もあったようなのですが、どうなったのでしょうか…。
 路線は岐阜をでて各務原線から別れてまもなく道路の中央を走るようになり、街中を外れると国道に平行して専用軌道を走ります。途中の交差点では道路信号に従い進行。国道は途中から関に向かう道と美濃に向かう道が分岐してそれぞれまっすぐ関、もしくは美濃に向かうのですが、電車は関に寄ってから美濃に向かうルートをとっていました。つまり美濃に向かうには電車は遠回りしていたわけです。それが関から先の区間が先に廃線となった理由かと思われます。
 さて関まで美濃町線はずっと国道に沿って走っているわけではなく途中で国道から離れ、集落をひろっていくためか、生活道路に沿う感じで走っていきます。上芥見駅は専用軌道から生活道路にポンと出てきたところにある駅。道端の歩道がそのままホームになっているような感じです。ここで最初の途中下車。ここから隣の白金駅まで美濃町線に沿って歩いてみました。線路は道端を淡々と進み、やがて右へと専用軌道で別れていきます。道路はやがて長良川沿いの道路に合流。長良川に沿って続くその道路を進んでいくとやがて美濃町線の踏切が現れました。線路はここから左手の長新関〜関への線路良川を鉄橋で横断していくのですが付近に長良川を渡る道路橋がなく、ずっと先に見える橋までしばらく美濃町線とは対岸の道を進んでいくことになります。やがて橋に到達して横断するとすぐそこが白金駅。ここからさらに関へと向かいました。ここから乗った電車は長良川鉄道と接続する関のひとつ手前の新関どまり、関〜新関は美濃までの路線が廃線となった際に、代行輸送機関となる長良川鉄道への接続のために新設された路線で区間は短く、徒歩でもそれほどかかりません。それくらい短い区間ではありますが、路線を新設したというところを見ると、名鉄としても路線の存続の道を探っていた、ということがわかります。私の乗った電車は新関止まりなので、新関から関まで歩いて長良川鉄道に乗り換えることにしました。関駅の近くまでは訳なくたどりついたのですが、肝心の関駅の入り口がわかりにくい。越美南線時代の関駅の駅舎は反対側にあり、名鉄美濃町線が関まで延びた際に乗り換え用の出入り口を新設しているのですが、そこへのアクセスが非常に分かりにくかった。地元の人の利用が多いにしてももう少し案内が欲しかったと感じました。三岐北勢線の電車

 つづいて、三岐鉄道北勢線に。ご存知の通り、元は近鉄北勢線だった路線です。前回訪問したときは近鉄が廃止の方針を表明したころで、沿線で北勢線存続運動が行われており、桑名駅前でものぼりが立てられていました。北勢線廃線の理由として、ナローゲージのため、車両が老朽化しているが、近鉄の他の路線から車両を転用することができない、また線路設備も老朽化しているが、路線維持のための投資に見合う利用が見込めない、ということだったようです。一ファンからすれば廃止はもったいないと言う気持ちはありますが、名鉄も近鉄も一民間企業です。資本を投下するからには利潤を追求しなければなりません。しかし、その利潤が見込めない場合は投資できないのは当たり前のこと。損するとわかっている話にお金をかけられないのは鉄道企業も一個人も同じことですから…。私も北勢線の廃線はもはや避けられないと思っていました。しかし奇跡はおきました。富田から西藤原を結ぶ鉄道を運営していた三岐鉄道が路線を継承することにな西桑名の自動改札り三岐鉄道北勢線として再スタートをきることになったのです。三岐鉄道は一地方民鉄ではありますが、日本でもかなり早い時期に全路線CTC化するなど、先見性のある会社と言う印象が私にはあります。そこで経営体がかわった北勢線を再度訪れることにして、三岐鉄道に敬意を表して終点の阿下喜まで乗りとおしてみました。
 まず、始発の西桑名。なんと近鉄時代にはなかった自動改札機が設置されていました。本気でてこ入れしているのが伺えました。車両は近鉄時代と同じ車両ですが、黄色の車体にすそにオレンジをまとった三岐鉄道カラーに塗り替えられていました(一部塗り替えされていない車両もみかけましたが)。終点阿下喜に行く電車も増発されたとか。車内で待っているとやがて運転士がやってきました。よく見ると、乗務員の持っている鞄には近鉄のロゴが、どうやら近鉄からの出向で乗務員を賄っているようです。やがて出発、ゲージが狭いせいかそれほどスピードはだせないようで、このあたりがマイカーとの対抗上不利なのかなと感じました。途中の駅は基本的に近鉄時代からはほとんど変わらず駅名標が三岐のものに替わった程度の変化のようでした。廃止となった同じナローゲージの下津井電鉄の展望車両を譲り受けて北勢線で走らせるという話もあるようです。車内に目立つのは「いなべ市」の出している掲示。いなべ市は最近の平成の大合併で誕生した阿下喜駅市の一つで、北勢線廃線で一番影響をうけることになる街だと思われます。新市誕生のなかで北勢線廃止、という話題はどうしても避けたく、いなべ市が非常に北勢線存続に執心しているのではないかという印象をうけました。終点阿下喜は三岐鉄道東藤原駅とそれほど離れていないので帰りは「元祖」三岐鉄道に乗っていくことにしました。歩いてみると20分くらいでしょうか。「元祖」三岐線は1,067ミリゲージなので北勢線と比べると速度はでますが、対名古屋と考えると北勢線のほうが近道を取っているためわずかに北勢線のほうが所要時間は短いようです。いなべ市への足として定着することができれば北勢線にも活路が見いだせるかもしれないと思いましたが、状況を見ると先に訪れた美濃町線よりも状況は厳しいかも。策は講じたがやはり限界、ということにならないよう、三岐鉄道の取り組みから目が離せないかもしれません。先ほど触れたとおり、下津井電鉄の車両を入れる話があるようですが、やはり地元のかたがたの利用が伸びなければ企業として鉄道を続けていくことはできないわけで、いかにして利用を促進するか、が鍵だと思いました。

 このあと、アーバンライナーで大阪にむかったのですが、大阪のルポは来月に。

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