2005/3〜東武伊勢崎線踏切事故について個人的考察 |
今月つかう予定だったコラムを書き終えた時に、大きなニュースが飛び込んできた。東武伊勢崎線竹ノ塚の踏切での事故のことである。この事故についてちょっと考察してみたい。 各種報道であったとおり、この踏み切りは東武に3ヶ所だけ残されていた手動遮断機の踏切で、残る2ヶ所は竹ノ塚の駅をはさんで反対側にもう1ヶ所、北千住駅近くに1ヶ所ある。このような手動遮断機の踏切は全国に○ヶ所(報道では国土交通省の調べで76ヶ所といっていたが、訂正発表が国土交通省からあった)ある。ほとんどは引込み線など列車の往来の非常に少ないところとなっているが、竹ノ塚同様開かずの踏切対策として残っているのが都内では他に京成電鉄高砂付近の2ヶ所、全国で見ると他には名鉄に1ヶ所存在しているとか。 1,なぜ「手動遮断機」だったのか 報道の大半やネット上での一部意見として「手動の踏切なのが問題」という意見が結構見受けられた。特にマスコミ報道は明らかに「手動踏切が悪」という雰囲気がぷんぷんしている。これにはハッキリと否定の立場を私はとる 私は以前、京成電鉄の船橋駅横にある踏切をよく通っていたのだが、ここも手動遮断機だった(立体化事業の進捗により上り線だけ高架となったのに伴い、遮断時間が半減されたため現在は自動化されている)。この踏切は中核市船橋の繁華街のど真ん中にあるため人通りが非常に多く、遮断機が降りている間に遮断機のワイヤーのまえに幾重にも人がたまり、車道の車の前にまで踏切まちの人がいるという極限状況が日常だった。そのような状況であるから踏切が開いても人が流れるのに非常に時間がかかり、踏切が鳴り出して、踏切から出ようにも、前は詰まっているし戻るわけにも行かないしで、仮に自動踏切で画一的に遮断機をしめようものなら足の悪いお年寄りでなくとも確実に数人が中に閉じ込められても間違いない状態だった。これでは、自動踏切にしたくでもできないはずだ。機械では、刻一刻と変わる踏切の人の流れを確認することは不可能だからだ。自動踏切では、ダイヤ通りに走る列車の動きは確実に把握できるが、鉄道輸送のシステムとはまったく関係ない道路交通の状況を判別することはできないのだ。ついでに言っておくが、この踏切は普通の複線区間の踏切で特別渡る距離が長いわけではないのだが、渡るのに20〜30秒はかかるのが普通だった。これが、実際に地元住民として体感したかつての京成船橋の踏切の状況である。 さて、事故のあった踏切は、京成船橋の踏切ほどの通行量はない。しかし渡る線路の本数は京成船橋の2本に対してこちらは5本もあるのだ。そして、駅前にある踏切であることもあって、通行者も多く列車本数も多いので遮断時間も長い。逮捕されることとなってしまった掛員の証言に「次の準急まで2分30秒あったので上げられると考えた」というのがある。つまり、列車の通るわずかな隙をついて遮断機を上げて人を通す、という極限状況にあった踏切なのである。とすると、先ほど自分の体感として述べた京成船橋と同様、機械で画一的に遮断機を上げ下げするような踏切ではまともな通行が確保できない。鉄道側としても人件費を考えれば、自動化したほうが運営コストはかからない。それを開かずの踏切対策としてあえてコストがかかる手動式にしていたのである。手動踏切のほうが自動踏切よりも運営する側としてはマイナスだということを論じたマスコミやネットでの記述を残念ながらまったく私は見なかったのでここではっきりいっておきたい。 2,「手動式だから〜」という議論は無意味 そしてもうひとつ、「機械なら間違いはないから事故は起きなかったはず」といった論調も多かった。しかし本当にそうか?誤作動はないのか、といった見方が完全に欠落している。パソコンも機械だけど、誤動作でハングアップしたことはあるでしょう?同じように誤動作が自動踏切で誤作動が起こらないといいきれるだろうか?無論フェールセーフとして二重、三重系のシステムにはなっているだろうけれども。踏切の事例ではないけれども信号システムが「列車が通り過ぎた」と認識してポイントを錯誤転換してしまったという事故も実際におきている。列車が通過中は誤転換しないようにロックされるシステムが入っている二重系のシステムであったにもかかわらず、だ。同じことが自動踏切で発生してもなんらおかしくない。もしこの事故が有人踏切ではなく、自動踏切で起きた事故だったらきっとマスコミ報道は「機械は誤動作の可能性があるから危険」という今回とまったく逆の報道をするのだろうか。また機械であるがゆえに故障ということもおこりうる。このたびの報道等では「機械は絶対」という観念がありすぎではないか? なにがいいたいかというと、手動式の踏切も自動踏切も、絶対の安全はありえない、ということなのだ。問題は、それを扱う人間の側にあるのが本質なのに、手動式だから、自動式だから、という視点での論議は最初から論点として完全に間違っている。 3,「なぜ」起きたのか 報道によって当の係員はロックを外して遮断機をあげた、ということのようである。このロック機能は「間違って遮断機を上げることがないように」設けられた仕掛けのはずだ、それを外す、という操作は想定されたものではないのである。分かりやすく踏切ではなくて列車の運行にたとえれば、ATSという、信号を守らずに走ってしまった場合のバックアップ装置を故意に切って列車を走らせている、というのと同じようなことだということなのだ。無論ATSを切った状態で列車を運行することは想定されたものではない。つまり「ロックを外す」という扱いを行わない限り、間違って遮断機があがるということはなかったはずなのだ。このことからも、手動、自動を論じるのは意味がないという先に書いたことがわかる。 どうやらこの竹ノ塚の踏切ではロックを外すという操作が日常化していたようなのである。なぜそのようになってしまったのか。ここが一番大事だと思われるのに、ここを指摘する報道をまったくみられないのであるが…。 ここからは、あくまで推論での話となる。とある報道で「『どうなってるんだ』と踏切詰所に文句を言っている人を何度となくみたことがある」という話があった。とすると、このようなことが減るように何とか「遮断機が上がっている時間をとろう」という方向にもっていく、といった行動になっていったのではないだろうか。そして、そのためにロックを外す、というような扱いが日常化したのではないかということがあったのではないかと思われるのである。 4,上り準急を見落としたのはなぜ 踏切番の供述に「上り準急が遅れていた」という証言があった。逆に東武本社の会見では「当時、列車は時刻どおり運転されていた」となっていた。最初のころニュースなどではこの食い違いもいわれていたが、数日でこのことはまったく触れられなくなった。実際はどうだったのか、このあたり碌な報道がない。 しかし、事故発生の2日後のワイドショー番組で事故と同時刻に現場の踏切に立ったときの映像が流れた。映像には竹ノ塚駅を出発した普通が踏切を通過、それの3両目くらいの車両が通過したあたりで外側線を走る準急がさしかかってきた、おそらく列車の末尾が抜けるのは2本の列車ともほぼ同時だったと思われる。 もし、問題の映像が定時通りの運転であったとするならば、当日の準急は1分程度遅れていた、ということになりはしないか。この程度の遅れなら旅客案内上では「平常通り」とされるかもしれないが、先に述べたような「わずかな隙を突いて遮断機をあげる」といったような現場では「遅れ」と断言するレベルではないだろうか。運転の現業にかかわる係員は日々の列車の動きが頭にはいっているものなのだ。とすると。
という仮説を考えてみたのだがいかがなものだろうか。これが事実だとすると本社会見でも本来なら「1分程度準急が遅れていた」と言っていなければならなかったはずだ。もちろん仮説でしかないから説得力はないが。 5,最後に いずれにせよ、この事故は、社内規定と、手動遮断機の取り扱い(ロック装置)をきちんと守っていれば起きえなかった事故といえる、したがって批判されるべきはそのような取り扱い自体と、もしあるとするならばそれを黙認していた、そしてそれを把握していなかった、と言う部分にある。しかしながら「手動遮断機」そのものの存在を「悪」とするような報道には断固として否定の立場をとりたい。問題の本質をすりかえるような報道は許されないと思う。再発防止として、ロック装置の変更が一番確実なのではないだろうか、以前国鉄〜JRで使用されていたATS装置も確認ボタンを押してしまうとその後は事実上運転操作は運転士任せになりその結果事故につながると言う抜け穴のあるものだった、それが原因で関西線平野や中央線東中野の事故が発生してしまっている。今はATS−Pとなり、保安度は向上している。しかし、手動踏切では今後なくなっていくシステムのため、ATSのようにコストをかけにくく、装置の改良が行われず放置されっぱなしだったのではないだろうか。手動踏切を残すなら残すで、安全度の向上を図る改良をしていくべきなのではないだろうか。 |