移動体電話の歴史
〜最初はアナログの単信だった〜


 ここでは陸上における移動体電話の、歴史を追ってみたいと思います。


  世界初の移動電話(1946 年アメリカ)

 記録されているもので、世界初の移動体電話・・・。それは 150MHz 帯付近で単信(※1)、なおかつオペレーターを呼び出して、ダイヤルしてもらう・・・、というほとんど国際 VHF利用の船舶電話(※2)における JBK(電話交換業務基地局)のような、人手によるフォーンパッチ(無線と有線の相互接続)そのものだったのです。
通話中の様子

  ※1・無線と同じ片通話で、PTT スイッチを押して通話
  ※2・ある程度の規模の船舶に義務づけられる VHF 帯の船舶無線

 端末は写真のように、ほとんど無線機(車載用)と変わらない外観でした。まるで、現在の消防無線そっくりです。しかし、あまりにも使い勝手が悪いので後に、400MHz 帯を使った自動交換のものに取って代わりました。当然、この時代ですから無線機器は真空管による、構成です。

 このサービスは、1946 年に米ミズーリ州・セントルイスにおいて、サウスウエスタン・ベル電話会社により開始されました。写真にある端末のハンドセットには、初期の警察無線や現在の消防無線機の様に、PTT(※3)スイッチがついており、それを押している間にしゃべって、相手がしゃべるときはだまっていなければなりませんでした(これが単信)。

 また周波数の割り当ては、60KHz 間隔で 6ch が使われたそうです。もっと詳細にご覧になりたい方は、映画・「麗しのサブリナ」にこの形式の端末機が登場しますので、ご覧になると良いでしょう。
 私も、テレビ東京の名作劇場?で見ましたが、二度ほど通話場面を拝むことが出来ました(^_^;)。

 そして、これらはかつてのアメリカにおいて、現実にあった移動体電話の夜明けであり、まだほんの一幕にすぎません。


  ※3・PTT(Press to talk)・無線機における送信受信切り替えスイッチ



 なお本文は、移動体電話年表内にとりこむ形で制作してあります。(ちなみに、昔話が好きな私ですが i4004 と同い年で、真空管時代の無線機はよく知りません)



  ■移動体電話年表(^_^; [本文を含む]

   ・世界初の移動体電話('46 年アメリカ・本文は冒頭部分)
   ・'61年、UHF 化(大ゾーン方式:追跡交換無し)

 最初の UHF 化は、'61 年に残念ながら手動交換によって、なされたようです。自動交換化は後の '67 年に登場しています。

   ・'67年、自動交換化(アメリカ)

 67 年には、ようやく 400 MHz 帯を用いた、自動交換式の端末が現れました。それでも、まだ無線機部分は大きく、トランク等搭載箇所の、かなりの部分を占有するものでしたが、その無線機部分を分離し車内に、受話器を装備した基本形態は、ほぼ後の NTT 大容量方式とかわらない、と言えるでしょう。

 また現在と違い、大ゾーン方式(半径 30〜40Km)といってただ一つの基地局だけを使用し、その基地局のエリア内でしか使えないものでした。これは、業務用である MCA やかつてのマリネットホン、CRP と同じ方式といえます(MCA は基地局の手動切り替えが可能ですが)。

 当然、追跡交換無しですから(後述)もし他の地域で、同様のサービスが行われていても基地局間での、ハンドオーバーはできません。しかし、当初のオペレーター呼び出しに比べれば、自動交換ができたのですから、大きな進歩です。

 なお、大ゾーン方式はすべての端末を、一つの基地局で収容するため、設備投資がかからず、システムは非常にシンプルです。


   ・800MHz 帯の開拓(世界初の小ゾーン方式)
   ・'75年、800MHz 帯の実現性を確認(日本)
   ・'79年12月、電電公社によりついに東京 23 区内で自動車電話
    サービス開始。順次、80 年 11 月に大阪地区、81 年 03 月には
    首都圏へとサービスを拡大。


 世界に先駆けて小セル方式(俗に言うセルラー方式)を実用化した、自動車電話システムが東京 23 区で、'79 年にスタートしました。このときの諸費用は、補償金 \200000、基本使用料月々 \30000、通話料が 6.5秒/10 円というものでした。

 このときの無線装置(無線機本体)は、もちろんトランクに装備されますが、その体積がおおよそ 6.6 リットル程度でしたから、いかに現在の小型化が進んでいるか、おわかりになるでしょう。
 下記に初代、自動車電話端末機一式の写真を掲載しておきます。受話器はともかくとして、無線機本体は軍用無線機?、と思うほどごつくて大型ですが、ここから歴史が始まったのです。


初代端末のいろいろ
左上から、初代携帯・ショルダー
自動車電話受話器及び、無線機
中期〜後期の端末での通話風景


   ・移動体電話の基礎技術〜位置登録と追跡交換〜

 それでは、一般的にセルラー方式等と呼ばれる、移動体電話を実現するための、最も基本的な技術を紹介します。

 セルラー方式とは、例の会社名の元にもなっていますが、小さな無線エリアが複数集まった様子が、まるで細胞(セル)の様に見えるのでついた通称です(Cellular:細胞状の意)。アメリカ英語圏では、「セルラーフォン」、と言えば携帯電話のことを指す代名詞です。

 ちなみに、ポケベル(商標)は正式には「Radio pager」ですが、スラング的には、「Pocket beeper」という、実にかわいらしい呼び名が付いています(^_^)。

 それでは本題にうつりましょう。自動車・携帯電話では、複数の無線基地局で構成される、無線サービス・エリアを通信回線として使用するわけですが、まず「さて、使おうかな?」、と思って電源を入れた移動電話の中では、一体なにがおこっているのでしょうか・・・?。


  位置登録〜どの基地局を使うか移動局側端末が決める

 最初に、端末機はページング・チャンネル、というものをスキャンして、受信します。ここには、基地局が無線ゾーン情報を流しており、これを使い最も電波が強く安定した基地局を探します。

 そして、自己メモリ内の最後に電源を切った際の、基地局の位置と比較します。そのときに、もし違がう基地局エリアにいれば、アクセス・チャンネルにて位置登録要求を出します。すると、ホームメモリというデータベースに、移動局の使用する基地局がどこなのか登録され、端末はそのままページング・チャンネルにて待機します。

 この一連の動作が、位置登録と呼ばれ携帯・自動車電話や、PHS などに共通する技術です。位置登録には複数のグループ(群)があり、各グループでは複数の基地局をまとめたあるゾーンごとに、位置登録を要求するように定められています(実際には更に群の中で階層をなしている)。

 このグループとゾーンの組み合わせは複数あり、これにより特定セル境界に位置登録要求が集中することがなくなり、基地局や制御局の負荷軽減に寄与しています。またこのため、同じ事業者の携帯電話を同じ場所に置いても、位置登録群の違いやタイミングなどにより、アンテナピクトグラム表示に相違が現れるのです。

 これらを多層構成位置登録エリアといいます。

 また通話する際には、アクセスチャンネルにて基地局側に発呼要求を出し、同チャンネルにて通話をするためのトラフィック・チャンネルの指定を受けます。
 トラフィック・チャンネルの指定を受けたら、そちらにチャンネルを移して、通話用無線回線のリンクを確立し、相手が出たら通話を開始します。これらの動作手続きは、非常に煩雑ですが FDMA(周波数分割多重)方式において、いずれも必須の条件です(後の TDMA でもほぼ同じとみなしてよいでしょう)。

 また、着呼をうける際にネットワークは、ホームメモリ(移動局の所在データベース)を検索して移動局が、収容されている基地局を見つけます。そして、該当する無線基地局のページング・チャンネルを使って着呼信号を送ります。するとアクセスチャンネルにて、通話チャンネルの指定後そちらに移行し、無線リンクを確立します。

 ここで初めて移動局側端末のベルが鳴る、というわけです。


  追跡交換〜無線エリアをまたいても通話を可能にする〜

 追跡交換は、複数の無線サービスエリアが重なり合って、面的なエリアを確保するセルラー方式には、やはり必須の技術です。日本語ですと、ものものしいのですが携帯マニアの方や、無線家の方には、「ハンドオーバー」、と言った方が、話が早いかもしれません。

 無線エリア構成概念の図解については、「デジタル携帯電話方式の基礎
」にて解説していますので、そちらをご参照ください(^_^;。

 さて、ある端末が通話状態の時、もしそれが移動していたとすると、徐々に無線基地局からの電波は弱くなり、通話品質が劣化してきます。そして、しまいには無線サービスエリアをはずれて、通話が切断されることになります。

 しかし、現実の移動体電話において移動時にも、きちんと通話が確保されるのは、追跡交換のおかげなのです。たとえば、半径 3Km のエリアをカバーする基地局があったとします。
 複数ある基地局は、交換局で結ばれさらにそれらは制御局により、統制・制御されています。

 もし、車で走っていたとするとものの数分で、そのエリアを通過してしまうことになります。通話中、現在使用している基地局エリアから移動を続け、その境界まできたとします。

 すると、常に端末の電界強度を監視している基地・制御局側では、隣接する周辺の基地局へ、「Chxx で通話中の A さんの端末を受信できる局ありますか?」、という感じで問い合わせるのです。そして、一番電界強度が強く安定している、と思われる基地局へ制御を渡すのです。

 その際、無線エリアをまたぐため、通話チャンネルの切り替えが発生しますが、ほんの一瞬なので気づきにくいでしょう。このように、制御局を介して基地局間で通話をリレーするかのようにして、次々とエリアをまたいで行く、これが追跡交換です。


  補足:デジタル方式でのハンドオーバー

 なお現在では(代表的な PDC を例にあげます)、端末側が通話中にも常に周辺セルの電界強度を測定し、一定間隔で基地局へ向け報告しています。この報告を受け制御局では、より品質の高いセルを見つけ、空きチャンネルなどの条件を満たした場合、ハンドオーバーの制御へ移ります。

 これにより基地・制御局側の処理を減らすことができ、電界強度を繰り返し測定することで精度もよくなるので、セルの小径化にも対応できます。電界強度を基地局側が測定するか、端末側が測定するか、という点がアナログ時代との大きな違いです。

 またこれを、モバイル・アシステッド・ハンドオーバーと言います。


   ・'81年、AMPS 方式開始(アメリカ・小セル方式)
   ・'84年、全国へサービスを展開
   ・'85年09月、ショルダーホン登場(重量 3Kg程度・写真は後期のもの)

 筐体に貼ってある札は、無線局免許証票といい包括免許制度ができるまでは、携帯電話にも必要だった(携帯は小さいシールでした)。
 また、出力は最大 5W(DC12V 入力時)と強力で山間部でもばりばり使えた。しかし、その弊害でちょっと長電話をすると、頭がぼーっとして来るという恐ろしい、電磁波ハザードが体験できた(^_^;)。

 この端末は、車載兼用で簡単に脱着して使用できました。アンテナは逆 F 型平面空中線が採用されており、無線局免許証票が貼付される面に内蔵されています。


後期のショルダーホン
TZ-803A  '89年05月

無線局免許証票のアップ(実物)

   ・'86年05月、航空公衆電話サービス開始
   ・'87年04月、携帯電話サービス登場(出力1W)
   
 87 年に登場した、初期の携帯端末。なんと、中〜後期あたりの端末には、リチウム二次電池が採用され、充電時等に発火のおそれが発生、リコールする、といういわく付きだった(電池メーカーは不明)。

    TZ-802B

 そして、このときの加入時に必要な料金が、工事負担金等(有線電話の施設負担金みたいですね)が \72800、補償金がやはり \100000 となっていました。気になる、月々の基本料金は \23000 とやや値下がり。
 携帯カタログ・ミュージアムにもありますが、なんとそのときの商品名がそのものズバリ”携帯電話“でした(^_^)。さすがに、私もこの端末だけは使用したことがありません(;_;)。

 この形の携帯端末は、世界的にもかなり出回っており、中にはこの形式の端末を模した AM ラジオまで出回る始末でした・・・。しかも、そのラジオのエンブレムには”KTT“というにくい文字が!(ボカスカ)。

 そしてこの年('87年)、自動・携帯車電話加入件数が、10万件を突破します。

   ・'88年05月 NTT がアナログ秘話サービス開始(エコーがひどかった)
   ・'88年12月 IDO が東京 23 区でスタート(写真:下部左側は NTT 後期
    の端末 TZ-803B '89年02月開始。右は、IDO 初期の携帯端末機)
   

初期の IDO アナログ携帯端末(1W)

   
   ・'89年07月 関西セルラーがサービスイン。以後、91 年までに IDO
           エリアを除く地域でサービス開始 (TACS)
   ・'89年10月 関西セルラー マイクロタック発売

    いま、改めて見るとぜんぜん”マイクロ“な感じがしないところが、恐
   ろしい(^_^;)。しかし、開発関係者やユーザーに与えた衝撃は、鮮烈だ
   った。
   
   ・'90年03月、NTT・IDO・セルラー通話料を一斉値下げ。競争の始まり
   ・'90年09月、IDO 戦略的小型端末、ミニモ(松下通工製)登場
   
   NTT 大容量方式(HICAP)ミニモ・当時画期的なサイズだった(出力1W)

   ・'90年 イリジウム計画発表
   ・'91年04月、超小型端末アナログムーバ登場

 NTT が発表した、当時最小を誇るムーバシリーズ。注文が殺到し、半年待ちなどざらだった。しかし初期のものは、落とすとほぼ一発で壊れるくらいヤワだった。後に、数m の高さに放り投げて、ビルの床に落としてもビクともしなくなった(^_^;。(実際にムーバ P で実験しています)

 ちなみに、待ち受け時間は 12〜17 時間(S 電池)で、連続通話時間は 55〜70 分(同電池)でした。L 電池では、110〜140 分・待ち受け時間が 21〜31 時間と長時間化されるものの、電池の方が本体よりも大きいくらいになってしまう、という今では考えられない、すごいフォルムとなってしまうのでした。

   
   左から、ムーバ F・P・D・N(もちろん、全部アナログで秘話無し0.6W)
   
 ちなみに、このときの新規加入料金は、\45.800 で他に補償金 \100000 が必要でした。さらに、月額基本料金は、\16000。今では、考えられない水準ですが、当時これでも安くなった方だったのです。
 いちばん初め、基本料などは \3 万円(自動車電話のみの時代)もしていたのですから・・・。現在の価格水準は、自由競争による結果です。なお、補償金は 2 年後に無利息で還ってきました。

 さらに、昼間の通話料は 160Km までは 7.0 秒/10 円で、160Km を越えると 5.5 秒/10 円に跳ね上がりました。これは、交換機設備が古かったため、課金単位が切り替えられないからです(クロスバー交換機など)。

 当時、160Km 以内の移動電話にかけるときは、局番に 030 を付け 160Km を越えるときは、040 を付けて発信したのです。96 年 10 月ころには廃止されましたが、携帯に電話をして「おかけになった番号に 040 をつけてお掛け直しください・・・」のアナウンスが聞こえると、所持者が遠くへ出かけているのがわかる、という便利な面もありました(^_^;)。

 ちなみに、インフラ面では NTT 基地局 1 局あたりの実装通話チャンネル数が、大都市方式に置き換わりつつあった、旧中・小都市方式(自動車電話のみの時代からの方式)が標準で 12ch(増設可)でした。今では、即輻輳のおきる信じられない値です。

 そして大都市方式では、ナロー化とともに 120ch となった模様です。また、IDO のハイキャップ方式では、標準で 48ch(増設可)とのことです。

   ・'91年05月、各社間で、相互接続開始
   ・'92年、IDO 東京 23 区で TACS 方式(トョーキョーフォンとして)開始

   
   トーキョーフォンのカタログと、マイクロタック II(0.6W)

 基本料金が安く、補償金がいらないことで話題になった、トーキョーフォン。中身は、TACS なのですが厳密には、セルラー地域との規格差がありました(当時の端末で、JTACS/NTACS という違い)。このサービスは、政治的背景により IDO が開始したものでしたが、もともとアメリカの広大な土地をカバーするための規格なので、最後の最後まで都心ではほとんど使い物にならなかった、という印象しかありません(関西では、至極マトモだそうですがこちらでは、お話になりませんでした)。

 しかも、端末側での空間ダイバーシティーが行われておらず、寝そべって通話したり、車で移動したりしていると、「パサパサ」というフェージングによる、耳障りなノイズが多いのも、特徴でした。

 さらに、都心の JR 中央線などでも「ザーザー」などと、ものすごいノイズだらけで通話にならないどころか、切れまくるというていたらく(切れたら、ザーッとスケルチ[雑音制御]が開きっぱなしになるのも特徴でした)。しかも、エリア内である我が街でも、ノイズだらけで結局発信はできても、通話は厳しい状態という、ひどいものでした。

 その後数年経っても、一向に改善される気配はありませんでしたが、2000 年 09 月 30 日ついにサービスを停止、国内最後のアナログ携帯電話規格になってしまいました。

 ちなみに、加入時に必要な料金は、新規加入料などか \45.800、月額基本料金が \12000 でした。メチャクチャな通話品質、という致命的な状態でスタートした、トーキョーフォンでしたが当時、私やその周辺では \100000 の補償金をケチると、ろくなことが無いという良い教訓を生みました(^_^;)。

 IDO の HICAP 方式は、首都圏ではそこそこ NTT と遜色なく、使えていただけにその落差は激しく、期待を裏切られた感が強かったのです。

   ・'92年03月、NTT 移動体部門を分離、NTT DoCoMo 設立
   ・'92年中頃、アナログ・ムーバで秘話サービススタート
   ・'92年12月、IDO・セルラー間のローミングスタート
   ・'93年02月、携帯・自動車電話 100 万加入突破
   ・'93年03月、NTT DoCoMo PDC800 スタート/デジタル化
   
   初期のデジタル・ムーバのカタログ(0.8W)

 警察無線の基幹系がデジタル化して早、6 年。ついに、携帯電話にもデジタル化の波が、押し寄せてきました(^_^;)。なにしろ、それまでの移動体電話といえば、話は垂れ流しで簡単な受信機や、改造無線機があれば受信し放題でしたから、高度なスクランブル(暗号化)が標準的に行われる、デジタル化は願ってもないことでした。

 アナログ秘話はありましたが、音質も悪くその秘匿性は多少疑わしいものでした。なにしろ、エコーがひどく話しづらかった印象しかありません。そこへ来ての、デジタルですからかなり期待がありました。

 しかし、その音質はビブラートのかかった不自然な、おかしな音だったのです。これには、私は愕然とし耳を疑いました。後に、その原因がコーデック(音声データの圧縮伸張処理)にあることがわかるのですが、この音質は秘匿性との引き替えか、とつくづく思ったものです。

 なお、PDC で用いられるスクランブルは、高度化暗号鍵方式といい、呼毎に秘匿鍵を設定し、それを暗号化して伝送し、通信を開始するものです。PHS の簡易鍵暗号方式と比べ、かなり秘匿性は向上しているといえるでしょう(PHS は 16bit 長の鍵で、平文で暗号鍵を渡す)。

 また、困ったのが通話の突然の切断です。サービス開始当時、都心で使用しているのも関わらず 2〜3 回に 1 度程度の割合でしたが、しばらく車で移動しながら通話していると、よく通話が切れました(デジタル携帯の昔話参照)。

 アナログ携帯では、通話品質(電界強度)が低くなってきて、ノイズが増えくればそれを耳 S(S:シグナルメーター/信号強度計)として使い、それなりに対策ができましたし、切れそうなときはだいたいわかったものです(無線家の特権?)。

 これは、アナログ時代にはほとんど考えられないことで、そのいきなりのブツ切れぶりに、さすがはデジタルと感じたものです。やはり、開始当初は基地局数がかなり少ないようでした。

   ・'93年07月、ドコモ地域分割(関東の CM はサザンの桑田さん)
   ・'93年秋〜札幌で PHS システム実証試験スタート
   ・'94年04月、移動電話端末売り切り制スタート。ドコモ(関東・関西)、
    ツーカーホン関西および東京・関西デジタルホンが、PDC1.5 に参入

   ・添付資料:売り切り制導入時の各社 TV CM 出演者リスト(^_^;

 '94年ついにそれまで、レンタル制だった端末機が自由に、購入できるようになりました。当時、諸外国ではごく当たり前のことだったのですが、そこは規制や許認可でがんじがらめの日本の悪いところ、大幅に後れをとったのです。

 端末の売り切り制は、真の自由競争を生む必須条件です(^_^;)。なんでも、アメリカでは行き過ぎた販売競争のあげく、携帯を買うとキャッシュバックがあったそうです(当時耳を疑いました)。

 その後激しい競争により、ランニングコスト、初期コスト(加入時)ともみるみるうちに下がっていったのは、言わずと知れたところです。ただなぜか、通話料だけはほんの少しずつしか、下がっていません(^_^;)。

   ・'94年04月、関西セルラー PDC800 スタート
   ・'94年06月、ツーカーセルラー東京スタート
           IDO PDC800 スタート
   ・'94年04月、東京大手町、日比谷、銀座付近で PHS 実証試験スタート
   ・'95年03月、ポケットベル端末の売り切り制導入
   ・'95年04月、ドコモ PDC にて、9600bps データ通信サービス開始
   ・'95年07月、NTT パーソナル/DDI POCKET PHS サービス開始

 当初の予定より長めの実証試験を経て、ついに低ランニング・コストをうたい文句にした、新しい移動体通信サービスとして PHS が登場します。当時、月額 \2700、通話料 1 分/\10+1 通話に付き \10 という、低廉な料金からかなり話題となり、マスコミでもよく取り上げられました。

 しかし、フタを開けてみると所詮は、”公衆コードレス・ホン“で各事業社が宣伝で謳ったような、安く使える携帯電話ではなかったのです。それにあの、詐欺的な”簡易型携帯電話“などという、紛らわしい名称も誤解を助長した、張本人です。

 極端に狭いスポット的なサービスエリア、度重なる通話切断・・・。一般ユーザーからは、使えない移動電話として、レッテルを貼られてしまいます。

 それでも最初の 2 年ほどまでは、それなりにユーザー数も伸びましたが、その後は頭打ちでずっと微減が続いています。

 各事業社の戦略の失敗もさることながら、携帯との棲み分けが出来ずついには、携帯の競争激化による低廉化により、料金面でも差別化が難しくなってしまいます。

 そして、更にユーザーが離れていく結果となりました。PHS が計画された当初は、まず家庭用デジタル・コードレスホンとしての、位置づけと普及が挙げられ、その上での PHS 公衆サービスだったはずです。

 さらに最近、事業者によっては完全に携帯と競合させる、という本末転倒な戦略まで打ち出しています。利便性が向上するのは、願ったりかなったりですが、これではユーザーは混乱します。

 しかし、金儲けに走った各事業者は、巨額の負債を抱えるだけで、結局商売にはなっていません。現状においても、状況が好転しているとは言えず、経営面ではかなり厳しい状況です。

 詳細については別途、「携帯 PHS の徹底比較」、をご覧いただくとしても、かなりの潜在能力がある PHS システムだけに、現在の状況が残念でなりません。

 おそらく、このまましばらくユーザーの微減はおさまらず、通信事業者のお荷物化してしまうのでは?、と危惧してしまいます。

 今後、家庭用デジタル・コードレスホンとして、事業所用システムコードレスとして、はたまた公衆サービスでは、データ通信のさらなる高速化、とまだまだ発展の余地があるので、温かく見守っていきたいものです。

   ・'95年10月、アステル東京、サービスイン
   ・'95年12月、PDC ハーフレート実用化
           デジタル・ムーバ 101 HYPER シリーズ発売
          (ハーフ初実装)
   ・'96年03月、N-STAR(自前静止衛星)による、衛星移動電話開始
   ・'96年04月、ドコモ携帯・自動車電話 500 万加入突破
   ・'97年02月、ドコモ携帯・自動車電話 1000 万加入突破
   ・'97年12月末、ドコモアナログ大容量方式の新規加入受付を終了
   ・'98年07月、cdmaOne の導入(セルラー・エリア[現 au])

 携帯・自動車電話では初の通信方式を採用した、ウワサの cdmaOne がついに西日本地域でサービスインしました。”音質が良く、途切れづらい“を謳い文句にした同方式は、開始後好調な出だしを見せました。

 cdmaOne の通信方式は別項に譲るとして、PDC のハーフレート化やユーザーの激増など、音質が悪くなる一方だった携帯電話に、一石を投じるというインパクトがありました。
 それだけでも、意義があるというものですが社運をかけての事業だけに、ほんとう意味での自由競争が始まったとの感もありました。

 また当初は、TACS(アナログ)方式とのデュアルモード端末からの発売でしたので、電池の持ちが非常に悪く、普及の足かせとなっていましたが、後のシングルモード機の登場でおおよそ、数年前の PDC 端末並みのバッテリーライフになってきました。

 その他にも数々の工夫による、周波数の繰り返し利用効率向上、都市部など悪条件下に比較的強いなど、今後ますます需要の切迫する移動体通信において、重要なファクターをおさえた方式の先駆者です。

   ・'98年08月、ドコモ携帯・自動車電話 2000 万加入突破
   ・'98年09月23日、イリジウム(低軌道周回衛星)・サービススタート
   ・'99年03月末、IDO/ドコモ アナログ大容量方式終了
   ・'99年01月、02:00 移動体電話、電話番号が 11 ケタ化
   ・'99年02月、ポケットベル発信者課金サービス開始(O2・DO)
   ・'99年04月、cdmaOne 全国展開
   ・2000年03月17日、イリジウム・サービス停止
   ・2000年09月30日、ついに公衆サービスとして最後のアナログ方式、
              TACS サービス終了
   ・〜IMT-2000・そして未来へ〜

 世界に先駆け IMT-2000 が我が国でサービスインしてから早、7 年目。第三世代(3G)方式携帯電話もすっかり定着しました。近年では更にそれらを高度化・高速化したサービスも次々と開始され、4G を含む次世代規格開発が続けられています。

 世界的に見ると従来まで、テレビ放送の規格が違うように国や地域によって、携帯・自動車電話の方式もバラバラでした。これを極力一元化し、より高い能力と品質を実現しよう、というのが IMT-2000 の趣旨でしが残念なことに、複雑な背景により複数方式が認められ混在する、といった結果になっています。

 そのため国内では W-CDMA(ドコモ/ソフトバンクモバイル)に加え、au が cdmaOne の発展系である CDMA2000 をサービスするといった状況になっています。また海外では北米・韓国などの地域で例外的に、CDMA2000 が主に提供されるに至っています。
 しかし、冒頭の日本はもとより世界的には GSM 圏である EU を含め多くの地域は、W-CDMA として提供されます。そのため現在、GSM+W-CDMA のデュアルモード端末機であれば、ほとんどの国と地域で使えることになります。

 近年では 3G の高度化・高速化に加え WiMAX や 次世代 PHS 等高速な無線規格が目白押しです。それでもあくまでどれを選ぶか、どう使うかは我々ユーザーの手に委ねられています。通信インフラの中でも特に無線系は、多くの複合的なノウハウが必要になりますし、今後これらのワイヤレス市場は、予想も付かない広がりを見せるかも知れません。

 通信インフラは長期的に使われる物ですから、安定性や将来性などを見据え、これらを十分に吟味し総合的な信頼性の確保を願いたい、と強く感じます。



 以上、最後までご覧頂き誠にありがとうございました。またこの場を借りて、取材をさせていただいた各関係者様に、お礼を申し上げますm(_ _)m。


記事一覧にもどる