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2002/08

2002/09/02 (月) 0:26:32 会えて良かったって、自分が思えればそれでいい
 [ 8/30/土 ] もと同僚の子が転職した先の転勤で来週か再来週に大分へ行ってしまうことが分かったので急遽、最後の集いを開いた。あたしたちなんて、仲間のほとんどがまだ結婚もしてなくて、比較的自由な身なんだけど、やっぱり簡単に会えなくなるのはとてもさびしい。彼女がうちの会社をやめるときも淋しかったけど、人それぞれの人生だし、子どもの頃に出会って全然別の道を歩んだ友達たちよりも、社会人になって出会った友達の方が身近というか・・・とにかく心が離れる気がしなかった。なので今回も、大分と隣の県へ行ってしまうけどメールもあるし、こちらから繋がる限り大丈夫かなって思った。わたし、切れたくない人とは自分から繋ごうとする心意気。私、あなたと切れたくないからね〜。ふふ。覚悟しといてください。
 昼3時ごろ4人集合で、ご飯を食べて温泉に行った。ひとり、先輩は帰ってしまったけれど、あと3人でひとりの家に泊まりにいく。女の子って不思議。話しても話しても話は尽きず。私はずっと手塚漫画を読んでいたのだけど、もう二人はずっとひたすら何かを語り合っていた。寝たのは朝6時ごろでした。
 大分。といえば、温泉。次回は皆で、ペンションで待ち合わせしましょう。
2002/08/30 (金) 23:32:40 屈託無く、泣く
 つかれた・・・。一週間気を張っていた疲れがどっときた。ずっとこんなのが続くのかな。つらいなー。セーブもできない、暴走もできない、淡々と己の辛さに耐えるしかありませぬ。この疲れの原因はもちろん仕事のみってわけではないんだけど、そろそろ会社からもしばし逃げたい。去年もそういえば夏休みを理由に9月に京都のみおちゃんとこに逃げたなぁ。今年も逃げたい。今年は名古屋経由で三重にいきたいです。名古屋も三重も踏んだことのない土地なので、かなり行きたい!!休めるかなぁ・・・・
 友達に借りた有閑倶楽部を読もうっと。あれ、全編通して読んだことがないのです。でも面白かった覚えだけあって・・・。楽しみです。夏が終わると思考力をきちんと使いたくなるのは、気候がよくなるからでしょう。高村薫の新刊もそろそろ読み始めようかなぁ、数ページで終わっていたので。まだまだ読みたい本もいっぱい。やりたいことをやれる気力の出る秋です。
 ああ眠い。疲れた・・・こころ疲れました。もうねー。ぎゅっとしてほしい。こんなとき。誰でもいいからさ、女の子でもいいんだよ。あたしのこと大事だなぁと思ってくれる人を感じたらそれだけで嬉しいよ。だからあたし、誰かと一緒にいたい。ずーっと話してたい。この動かない気持ちについて。やるせなさについて。どうしようもなさについて。聞いてくれて笑ってくれてもそれでいい。何も言わなくてもそれでもいい。ひとりで黙って耐えてるのが一番つらい。話して、屈託無く、泣きたい。
2002/08/29 (木) 23:31:23 淋しいって想い、愛おしい
 なんか、自分の知らないところで、自分のことが話題になっているってのは、それが良い内容であれば、幸せなことだなぁーと思った。ある日突然、定時後くらいに、先輩のだんなさんに「うちの奥さんに、一緒に服可愛い服を選んであげて〜お願いね!ちなみにスカートはミニで!」と携帯メールで頼まれたり(それは先輩があんまり物欲のない人のため、最近は服も買ってないから可愛い服を着て欲しい!そして二人で一緒に街を歩こうぜ!という願い?を込めてのお願いだったらしい。結局先輩と二人で買い物して自分も服買って楽しかった♪ちなみに先輩夫婦は27歳)、友達に「彼氏に『蒼は変な子やなぁ、でも蒼と仲が良いのはええことや』って言われたよー(笑)」と言われたり(関西から追いかけてきた彼女は同棲していて、私は何度かそこに泊まりに行ったり、彼氏さん含めてカラオケに行ったりしたので、彼氏さんと面識がある。ちなみに二人は私より一つ年上)、なんだかこのように、知り合いの彼氏さんにやけに気に入られる機会の多い最近ですが、なんだろうーそれって面白いね。実際にだんなさんや彼氏さんとは彼女達を通じて知り合っただけでほとんど知らないんだけど。二人の間で私の話題が出るってのは、それはなんだかうれしいこと。ふふふとなる。ふと思ったのは「私は皆より年下なので、小動物的かわいがり方なのでは?」ってこと。それを同僚の子に言ったら「そうかもね〜。だってちいちゃい(152センチ弱)しね!」と言われた。なんだか納得。
 でもやっぱり違うな。きっと、彼女達が私のことを、親身に楽しく好意的に、相手に話してきかせてくれてるんだと思う。だから、だんなさん彼氏さんたちに私の印象が良いのは、その二人がとっても仲良しな証拠なんだと思う。二人のつなぎ役みたいなのが私の話題なんだろうなー。それって、なんかいいね。知らない間に役に立ってます!みたいな。自分の思いも寄らないところで、そういう話になっているのを知ると、ちょっと自分に自信がつく。誰かに思い出されるというのは、それだけ私がその人の中に位置を占めてるってことでしょう?しばらく夏休みで実家に帰ってた同僚の子は「高速でファンカーゴを見たら蒼ちゃんを思い出したよー」って言ってくれた。すごーくにこにこしてしまいました。嬉しいね。折に触れて、誰かにふいに思い出される人になりたいなー。だって私にとって、何か心動かされるものを見たときに、すぐに教えたいとおもうひと、楽しい面白いこと聞いて話してあげたいとおもうひと、その時にパッとすぐ浮かぶ数人はとても大事な人たちなんです。(もちろん好きな人も入ってます)誰かのこころのいつも片隅に私の場所があって、だから思い出してくれるんだろうなって嬉しかったなぁ。今日の幸せでした。
 今日のことば。自虐的だけど、そう思う。淋しいって想いがあればあるほど、それだけ何かを想っていることになるとおもうので。たとえば悔しいというような気持ちも、あればあるほど、あることに対するこだわりの大きさが分かるとおもう。マイナスな感情はプラスの感情を図るためのものさしです。だからマイナスな感情はあったほうがいいとおもう。マイナスの感情を認めて、プラスの方向を見ることができるから。表裏は常に一体です。
2002/08/28 (水) 23:35:20 あたしに全く揺れないとこ 芯の強いとこだよね
 昨日のつづき。こんなこと、あなたきっとこんなの他の人からあんまりもらうことないでしょう、と思うような言葉や気持ち私が照れも恥もなく言ったり表したりしても、やっぱり全然ゆれないよろめかない、芯の強いとこ、いいんだよなー。そう、それは決してこちら向いてもらえないってことの強い証明でもあるんだけど。それさえも含めて好きって、なんなんだろう。一筋縄ではいかないです。もういい加減にしなさいと、ここを読んでる人々は思っていることでしょうけど。もう飽きたよ、食傷気味だよ、とか思ってるでしょうけど。仕方ないよ、今は私、このことで一杯だもん。この風船はしぼまない。割れもしない。もうすぐ2年になるね。いつか手元を離れて飛んでくかな?どうだろうね。でもこう書いてると、なんだか私、ほんとう相手に嫌がられるくらいの好き放題しっぷりですね。本人が思ってるかもしれない「もういい加減にしろ、飽きた、食傷気味」って・・・。もしそうだったらかなりお笑いぐさ。そしてショック。
 日経BPブックニュースのメルマガを取っているのですが、今日の記事のなかで、ふーんと思った部分があった。
〜「隣の会社」でも通用する人材になる公式 「仕事の能力×成果×人間的能力×人間関係能力×運=価値」〜
 なんか妙に納得。あたしの中では五つの値のうち後半三つがかなり重要度高し。結局、その人自身の魅力によって、仕事で困った時に誰かに頼ることが容易に出来たり、誰かに「こいつに任せてみよう」と思われたりするのではないでしょうか。いくら仕事が出来ても人が悪かったらいつかつまづくと思う。人はひとりで生きてるわけでなし、周囲と協調、適合できない人はいずれ淘汰されるんではないかと思うわけです。最後の「運」というのは、場当たり的なものではあるけれど、これはそれが目の前に落ちてきた時に確実にモノにできるかどうかが問題。運はねー、大抵どんなところにでもパラパラ散らばっているものだと思う。それを小さいものでもきちんと摘んで育てることが出来るか、大きなものが与えられた時に重さに潰れないでうまくさばけるか、によると思う。あたしはどうなんだろうなー。我が身を振り返ってハッとしつつ。講釈を垂れるだけならイマドキ小学生でも出来ます。己の意地に恥じぬようやれたらいいなぁーーー。でも自分の意地って、あくまでも自分のものだからそのハードルは上げたり下げたり自由なのであった・・・それはあんまり根拠のない基準ではあるなぁ・・・まぁよいか。ははん。

 地元紙の夕刊に、小学校の同級生の男の子が懲役判決(8ヶ月)を受けた旨の記事が載っていた。母から聞いて、ふーんというかんじ。どうやら大麻を3本ばかり自宅のプランターで栽培していたらしい。その男の子は小学校低学年の時に同じクラスだった程度で高学年以上になってからはほとんど付き合いはなかったものの、小学生おきまりのお誕生会なんかには来て貰ったことがあったり、その時もらったコアラのぬいぐるみは今もそこの本棚にあったりで、なんかちょっと複雑だった。このぬいぐるみを持ってきたときの何も知らない幼い男の子は今、もう大人で、今日、実刑を受けたと新聞に載っている。私は毎日普通に会社に行ってくだらないことで笑ってお弁当食べてクサクサしてプログラム動いたと喜んだり分からないと頭抱えたり、それが日常。今も思い出そうと思えば結構鮮明に思い出せるあの日の子どもは、十数年後の今、こんな風になっているなんてことを想像すらしてなかったわけで・・・・。なんだか不思議だった。あの日と今日が確かに繋がっているんだなーって・・・。目の前に長い自分の年表巻物を広げて、あるポイントポイントを改めて指でなぞって確認したかんじ。こうして考えてみると「その分だけ過去がある」という点だけで見ても、長く生きるのはなかなか悪くないと思った。って、道を踏み外した男の子から連想して人生というものに感動するのもどうかと思うけどね、私よ・・・。しかし大麻ってフツーに庭先で栽培できんだ・・・。それに驚き。さらにそんなこぢんまりした家庭栽培が摘発されるってのも意外。悪いことはできませんな。
 先輩にビートルズのベスト番CD3枚組を借りた。ビートルズの似合う季節になり申した。しっくりじんわり聴いてます。
2002/08/27 (火) 23:39:09 匂うような月
水に映したらこの手に取れるでしょうか
 あの小林少年はないだろう!TBSの江戸川乱歩原作「明智小五郎 対 二十面相」 勘弁してくださいどうもどうも入り込めなかった。陣内孝則バージョンの方が何倍もよいです。ビートたけしもミスキャストだと思ったんだけど・・・何から何まではずしまくっていたような・・・。どうせ小林少年をやるなら、2度目の事件で誘拐?された少年の方が丸刈りなのに目がつぶらでよっぽど美少年でした。今日の小林少年役の子はどちらかというとポケット小僧系だと思ったんだけど・・・人の容姿についてとやかく言うのは気が引けるのですが、なんとも・・・顔がシベリアンハスキーか秋田犬って感じだった。んー、愛嬌はあって、笑顔は好いんだけど素朴すぎるんです。小林少年ってのは、健康的だけど雰囲気にはちょっと恥じらいのあるような賢明さと品を持ち合わせた紅顔の美少年でないと・・・。今回の子は美少年からはほど遠かった。ああー本当に許せませんでした。というか、マニアックなところにこだわりすぎです私・・・というひとりつっこみもしつつ。でも多くの明智ファンが思ったはず。「なんか違うって!」唯一の救いといえば、宮沢りえが、最強に可愛かった。あの人今一体、いくつなのでしょうか?かわいすぎー(>_<)苦境を乗り越えて確実に人間として成長したんだなーって感じ。とても素直に好感の持てる演技と容姿だった。可愛かった。
 涙も笑顔もいっぱい欲しい。浮きも沈みも全部貴重かも。相手いなければそんな感情あるとも知らないまま。ほんの少しのことで揺れに揺れて涙にくれて、それを知らなかった頃の自分を幼く可愛いと思う。それを知った自分もやっぱり幼く可愛いと思う。おもしろい。おもしろい。駆け引きも、見栄も、自信も、恥もなく、動いて追いかけて、だめでも、頑として気持ち動かない。これだけ生きてきて初めて知る自分をようく見る。自分の想い方を知る。発見。発見。知らず諦める時の自分も、きっと新鮮なんだろう。今、そんなの全然来るとは思えないけど、来たら来たで興味深いことでしょう。社会人になったけど、世間一般で呼ばれる大人になったけど、まだまだ全然未知の自分が居るなぁと思えるのは楽しい。
 ところで、好きな人、流されないところが好きなとこ。良いとこ。頑固、自分を曲げない、あまのじゃく、人の想いに誠実に対応する(それはもう冷たいほどに)、ちょっと抜けてる、お酒が大好き(でも飲んだらすぐ寝る)、変なくしゃみ、怪獣みたいなあくび、笑顔目尻のしわ、おおきな手指、もそもそ歩く格好、大きな背中、ちょっと太め首の後ろ、丸い鼻、クセっ毛ばさばさ黒い髪、うすい唇、私奮わせる不思議な低い声。んー嫌いなとこ。あまり周りのことを気にしない、見えてないことが多いかも。(でもそれは一つのことに集中してるから?)私に警戒して冷たくする(目を見て話してくれないとき)。自分の興味あること以外すぐ忘れる。人の気も知らないでひどいこと言う(でも自分でない他人の気持ちなんて分からないモンだから仕方ない?)あー・・・あんまり見つからない。嫌いなとこ見つかるほど、その人のこと知らないのかも。それはそれで哀しい。というよりは、他人にとってはマイナス点になるところを好きな点として挙げすぎという問題もあったりして・・・。本人に好きなとこ、これだけ好きなんだけど、って言いたい気もするけど・・・まー警戒されてるから言う機会もないでしょう。はぁ・・・。ってしかし、好きなとこ考えてたらなんだか嬉しくなってその後哀しくなった。どっちにしろひとり芝居なんですねー。まぁいいです。これだけ誰か思える容量を持ってることは確認された。人として、女としての度量、大きくなりたい。いい女になる。女前になる。それが只今の目標。
2002/08/27 (火) 0:35:08 レッチリのベストを聴きながら
クーラーをつけてアイロンをかける
 [ 8/26/(月) ] クーラーをつけてアイロンを掛けるのって、何かに逆らってる感じがして楽しい。そこはかとなく、矛盾です。今日はレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズという洋楽バンド。ロックかなー?ハードロック?)を聴きながら掛けていた。好きな人に借りたやつ。ははは。一緒にビートルズのベストも借りた。んー、いいなぁ。
 ところでみなさん、好きな人は優しい人がいいですか?それとも冷たい人?私はどっちが良いんだろうと最近悩む。優しければ優しいほど諦めきれないし、冷たければ冷たいほど、傷つくような気がする。んー。冷たければいつか憎く思えて吹っ切れるのかもね。でもやっぱり優しい方がいいかな。今日は哀しいけど嬉しい、嬉しいけど哀しいっていうふしぎな感情を知った。昨日夜出したメールについて考えさせてしまったみたいで申し訳なく思いつつ、でもありがとうーって感じでした。優しくされると泣きそうになるって。でも嬉しいし。なんか、いろいろだなぁ。人の感情というのは本当に底知れないものだと思いました。自分の感情でさえ、ね。
 昨日は、結果は何となく分かっていたとはいえ、多分今年に入ってから一番か二番に打ちひしがれた日でした。そんな今日。定時後、私が隣の人に言われたことには「今、幸せでしょ?」との一言。えええええ!?と驚いた。すっごく。すっごく。でもでも。なんか、それはそれで、私は心穏やかになった。こんなに打ちひしがれた日に「幸せそうに見える」ってのは、なんかそれって、ひどく、すごくないかな?見るからに「あたしって不幸ー、もう身も世もないわ」って、見えてないってこと。周りの人を巻き込まない、それ以上に、プラスな雰囲気に見えたってこと。すごいねー。21日や24日に考えたことが、今、実を結んでいるのかなー?って感じだった。実際はその子には「今年最大の出来事が昨日あったばかりなんだけどね」と言って驚かしたけど。哀しさを哀しさとして知って欲しいと、無意識に身にまとう暗さは、悲劇のヒロインを気取ってるようで嫌だ。私、好きな人のこと以外は幸せだもん、ってぴんと顎上げて歩くんだ。仕方のないことは仕方のないこと、分かってる。それでもどうしようもないのなら、そのまんまだよね。好きな人からは時々、優しさもらえればいい。ウザいと思ったり、いい加減にしろ、と思われてるかもしれないと思っていたけれど、今まで通り普通に接していくこと許してくれてるみたいだし、むしろ向こうから気を遣ってくれたことが泣きたいほどでした。それだけで私は大満足です。好きでいる自由を、好きな人に認められない恐さがなくなって、元気になった。ありがとうー、ほんとね。まーまたこれで、諦める日が遠のいたわけだけども・・・あーうー
2002/08/25 (日) 22:49:50 ごめん
 好きな人いるから応えられないって何回も言われてるのについつい好きと言ったり態度を示したりしてしまい相手を困らせる自分に自己嫌悪なのです。そのため面と向かう時には警戒されたり冷たくされたり、哀しいことも多いんですがそれも期待を持たせないための相手の優しさなんだろうなーと思うとどうしようもない日々です。ウザがられたり迷惑に思われるのだけは避けたいけれど、抑えられない時は仕方がないし・・・。むずかしぃ。あーそれにしても季節は秋です。切なさ倍増です。きっと違う人好きになった方が好きな人にとっても自分にとってもいいんだろうということは分かってるんだけど、どうにもならないことって、あるんだよね。ごめんね。
 我孫子武丸の「殺戮にいたる病」というミステリを読んだ。新本格というふれこみだったけど、解説にもそう書いてあったけど・・・・そうなのかなぁ?面白かったけど、なんか釈然としなかった。確かに叙述トリックにだまされてはいました。けど、読者が途中で気づけるような布石はほとんどもなかったと思う。読者に対してフェアじゃないというか・・・。最後の最後の種明かしで「 ?・・・はぁ?何それ?」と怒りを覚えてしまいました。もう一度最初の方を読み直しても、納得いかなかった。同じような叙述トリックでは、綾辻行人の「殺人鬼」の方が「騙された!!!でも違和感に気付きながら見過ごしていた自分が悪かった!ああー!もう、悔しい!」っていう感じで、トリックに気付いた時の悔しさと「ああっそうだよね!」っていう快感がすごかったと思う。ある程度、読者にそれと気付かせるようなチャンスを何個か用意してある「殺人鬼」の方が私は好きかなーと思いました。あれもまぁミステリと言えるかといえば何とも言えないんだけども。スプラッタ・ホラー・ミステリ、かな・・・?(笑)もしかして私が読み落としたところがたくさんあったのかも。今度、本を貸してくれた子に色々聞いてみようと思う。んーどうもつじつまも合わないような気がするんだけどもなー・・・んーー(納得いかない)それにしても今回の「殺戮にいたる病」も「殺人鬼」も、性描写の部分は結構すごかった気がするなー。なんだろう、スプラッタにはそういうのがつきものなのかなぁ・・・まぁ狂ってる感じを出すには変な性描写をねちねちと書くのが一番効果的なのかもしれませんが・・・。
 久しぶりに本を読み始めた。納得いかなかったとは言え、やっぱミステリはいいなー。夏休みは本を読みまくろうかしら・・・でも、その前にちゃんと取れるように働かないと・・・。
2002/08/25 (日) 0:14:47 自信と感謝と笑顔が大事
 [ 8/24/(土) ] おとといの日記と同じような内容のメールを、この日記を知らない友達に携帯で送っていたのだけれど、その人達はとても私と感覚の似たメールをくれた。それなりに日々小さな悩みや苛立ちや後悔はあると思うけれど、彼女らは、やっぱり自分の生きてきた道、今の生活、人間関係、自分のこれからについて、多少の自信があって、今はとりあえず、私、幸せなんだよねって、言い切れる人達。すっごく幸せ!なんてわけじゃなくて、んーとりあえず幸せかな、っていう、落ち着いた穏やかな、それでいて後ろ向きでないとっても普通なありがちな応え。でもこれって、実はそんな簡単に応えられるような人はあんまりいないと思う。そんな彼女たちを友達として持ててるからこそ、私は幸せなんだーって思えるんだよね・・・私がそう思ってくっついていることは彼女たちにとっては、あんまりプラスではないにしても、あなたなんかいらなーい、って突き放さないでいてくれるってことに、私は少しの喜びを感じていたりして。それなりに友達、なんとなく友達、っていう存在の人はたくさんいるけれど、私はその人達とは、とっても友達で居たくて、それを保てていることが私のある部分の自信に繋がっているんだなって気付きました。友達は言った。「自分が幸せだって気づけてる分だけ偉いし凄いよ」って。そして「そういう風に思っている蒼ちゃんは良い。良かった」って。泣けるよね。ありがたいよね。ほんともう。社会人になってからこんな風な友達できるとは思わなかったです。世の中には本当に色々な人がいる。いつ、合う人が現れるか分からない。いっぱいの人と知り合って知ってゆきたいなーと思います。
 で、やっぱり生きるには、ある程度の、自分に対する自信と、そしてそれに導いてくれた存在(もし運や自然の流れであってさえ)に対する感謝、それをうまく表現できる笑顔が大事なんだなって思った。私も、好きな人の前では出来るだけ笑っていようと思った。面と向かったりすると、切なかったり哀しかったりすることが多いんだけれども、でもやっぱり好きなんだし。自分の一番いいところを見せられるチャンスってあんまりないんだから。好きな人になかなか想い通じないこと以外は、けっこう幸せなんだし、そのことだけでも十分に輝けるじゃないですか・・・って、だから別に卑屈になることないんだよなー不幸なんかではありえないって、だから笑っていられるよねって思った。好きな人に、私好きなんだよって伝えられる自由もあるし、嫌われなければそれでいい。好きな人のこと、まだまだずーっと好きでいる自分のことそれ自体が、なんらかの自信になってる気もするね。って相当好きすぎですけれど。うん。自信と感謝と笑顔、目に見えない三種の神器ってかんじで。抱えてゆこう。
2002/08/24 (土) 23:42:16 多くは望まない この気持ち知っててくれたら
 [ 8/23/(金) ] 宅飲みは良いなぁ・・・。楽しかった。けど、すごい失礼なこと言う後輩(といっても留年していたらしいので同い年)がひとり居て、こいつには相当切れた。言葉を選ばないというか、それがキャラクターなのかもしれないけれど、周りの人の気持ちを嫌にさせるような言葉を平気で言う様子には辟易。本人はそれを面白い、タダの冗談というつもりで言っているとして、今まで彼の周りの人はそれを静観、傍観してきて、彼にそういう素行を許してきたんでしょう。それって、彼のことを本当に思う友達が居なかったってことだと思う。本当に大事に思ってくれる人がいるのだったら、そういうことは言わない方が良いとか、もうちょっと言葉に注意した方がいいとか言ってくれるもの。別にこの人はそういう人だからね、仕方ないよね、と放っておかれたのは、彼自身の問題というか・・・それはちょっと哀しいことではないかと思った。そんなまま、大人になってしまう人、哀しいね。とはいえ私もやっぱり放っておくのですが。だって私には別に影響しない人ですもの。良い方向へ向かって欲しいとも特には思わないし。んー。酷薄な私。
 夜8時くらいから8人で焼きそばを作って、お酒飲んでだるだるして、途中寝たり話したりしながら朝5時半ごろ帰途についた。ホットプレート係だった私は車できていたのでお酒が抜けるまでは帰れなかったわけなんですが・・・5時半とはいえ、全部は抜けきっていなかったはず。ちょっと怖かった。6時に家について寝ました。ああ、毎週毎週、ただれた週末です・・・・ごめん父母。
2002/08/22 (木) 23:24:31 満ちても欠ける 欠けても満ちる
 今日は帰り道、月がとてもきれいだった。最近は寝る前に、二日で一編のミステリ短編小説を読むペース。秋だなぁ・・・。NHKのニュースを聞きかじったところによると、明日は処暑ですって。夏よ、さようならー。あー結局水着は一度しか着なかった・・・しかも海で撮った写真は、たまたま全部浮き輪の中にいたので水着全然写ってなかった・・・アホー。あとはプールにいくか、来年だなぁ。
 そんな、水着に思いを馳せつつ、今日はホームズコートを購入!!!!かわいいのーかわいいのー。しあわせです。でもこの熊本で自然に着れるのは一体いつだ?て感じなんだけど。んー10月とかかなー。はぁー。でも着るまでの楽しみにしてる時間も、また楽しいね。寒くなるのが嫌じゃない。部屋でハンガーにかかってるところを見てにんまり。これもまた小確幸でございますな。
 明日は飲み。いつの間にか企画されていた、1、2年合同の、宅飲み。楽しく飲みましょう。ちなみに私は呑んでくだまいて潰れる確率51%・・・・。宅飲みだと寝てもいいからいいよねー。ほんと、飲みまくります。で、その飲み会で食べようと思って寒天ゼリーを作った。好きなんだよなー寒天。フルーツはみかん、パイナップル、桃の三種類がどっさりです。デザートはばっちり。あとは酒だ酒〜、あとおつまみね。よっし。気合いいれて飲んできます。いつもだけど今週末も例に漏れず日記の更新は止まるでしょう。ではおやすみなさい。
 あー忘れてました。猫丸さん・・・メルアドも出身も性別も年齢も存じ上げませんがいつもいつもありがとうございます。頂く一言、なんだかありがたくうれしく、ほんもりしてます。元気の糧です。
2002/08/21 (水) 23:07:50 幸せ上手は生き上手
 週末ごとに、順番に行きたいような場所がいくつもあって、一緒に行きたい人もいて、そこに行くための足も燃料もあって、そのためのお金もそこそこあって、そのための週末をちゃんと二日休めることができて、そんなのってすごく幸せなんだと思う。好きな人とは行けなくてもつき合ってくれる心から信頼を置けて安心できる友達も両手で数えるくらいはいるし、週末ごと朝に帰ってきても特に怒らない親もいるし住んでる場所は実家だし・・・あれ?もしかして私ってば、好きな人以外はなんでも揃っているのかしら?・・・・。これはかなり・・・私は贅沢モノなのかもしれない。いま、本当に、いま気付いたんだけど。私はかなり幸せなのかもしれない。不幸だと思ったことはないのだけれど幸せだと思ったことは、ここ最近なかった気がするので。幸せな自分を幸せだと気づけないことほど不幸なことはないです。一部でもそんなところを見つけたらまず自分で拾っていかなければならないと思います。幸せを見つけるのが上手なら、生きやすいと思うし、小さな幸せで幸せになれる人の幸せな気分は多分周りの人も幸せにできるんだろうな。よし、この秋は、幸せ上手になろうと思う。
 手始めに今日の幸せをあげてみようと思う。
その(1)・・・涼しくて夏は着れなかった濃い上下(濃いえんじシャツと紺のスカート)の組み合わせも暑苦しくなく着れた。
その(2)・・・いつも朝ご飯は食べないんだけど今日はなぜかふと目に入ったメロンパンを食べて出かけた。
その(2)・・・駐車場で、ちょうど大好きな曲(ビートルズ・レディマドンナ)の終わり部分でエンジンを切ることができた。
その(3)・・・朝一番で入った会社のトイレでビル掃除のおばさんに挨拶したらきちんと返してくれた。
その(4)・・・私の仕事のお供のインスタントコーヒーが意外に美味しかった。
その(5)・・・昼ご飯の時たまたま見かけたネットの市町村合併の記事が面白くて先輩とやけに盛り上がった。
その(6)・・・仕事の一番大事な部分の展望が近い順に見えてきた。残業も辛くない!
その(7)・・・私が1ヶ月半程、世話をした今年の新人君が年の割にしっかり仕事を任されてる様子を見てほっこりした。
その(8)・・・駐車場までの帰り道、Tomorrow landから秋冬ジャケットコート再入荷の電話!(>_<)明日見に行く。
その(9)・・・車を運転しながら、風が気持ちよく、月もきれいだった。お月見の季節だなぁー
その(10)・・・夜、日記を書いていたら案外自分が幸せであることに気がついた。

 とりあえず10コ。おおー。結構幸せ多いみたい。村上春樹の小確幸思想、最近忘れていた。明日もちゃんと拾っていこう。
2002/08/20 (火) 23:12:29 目も耳も肌も体全体できもちいい夜です。
 ねむいねむいー。季節の変わり目は眠いものなのか。きっと過ごしやすいからでしょう。すごくきもちよくて、涼しい風の肌心地の良さがうれしくて、他の人もきっとそんな気分だろうなーと思いつつ、好きな人にもメールしちゃうのなんのって仕方がないね。書き出しは今日の言葉で。私が感じてること私の言葉で送って、それを知ってくれるだけでいーです。変に重荷に感じたり警戒したりしないで、返事もいらないから読んでくれればいいんです、って思ってるだけなんですけど。まぁいいや、です。
 ねむいので早めに眠りにつく。寝る前にちょっとミステリ読んで、まったりしたいと思います。そういえば御手洗シリーズ新刊出るんですか?全然チェックしてなくて、ちょっと聞いたのですが・・・まー。どんな設定なのかわからないけれど・・・設定によっては、読みたいかもしれません。
 全部知ってる友達、ここを読んでくれている全然知らないネットの友人達、日々会って話して仕事する友達、そのみんなが私の元気の糧だなーと思う。人の存在意義の一部は、自分が他人に影響されること、あるいは他人に影響すること、そのどちらもが重要なんだなーと思う。私の信条は、「声は自分から掛けないと、誰からも声を掛けられない」というかんじ。他人とのコミュニケーションにおいては、自分の方が求める回数が多いことが大事だと思う。私はね。あんまりそればかりだと疲れるけれど。自分がアクションおこした分の半分だけでも還ってくればそれでいいんだって。なんで自分から・・・?なんで自分ばっかり・・・?とか変なプライドいらない。恥も外聞もなく、自分からいかないとだめです。まぁその分私は多分かなりの寂しがりなんだろうけど。そして「蒼ちゃんて週末、いっつも誰かと一緒だよね、予定がないことが少ないよね」とか言われるんだけど。それはちょっと心外というか・・・。断らないでいてくれる友達がいるってことだから、私はそれは好いことだと思ってるんだけど。まぁ捉え方次第です。私は大学時代は、かなりの時間、ひとりで本を読んで過ごしてきた。今はちょっと他人と関わりたい時期なんだ、ってそう思ってるだけです。本は色々なものを与えてくれるけれど応えてくれない、人は色々なものを与えてくれて、応えてもくれる。中には間違いもあるけれど、その辺がいいんだと思うのです。人ってかわいいし、面白い。好きなんだよね、相手が誰でも、人と話すの、一緒にいるの。
2002/08/19 (月) 23:21:27 期待はしないし見返りはいらない
ただ私がそっちへ向かうことをわずかでも嬉しいと思った時は教えて欲しいんです
 片思いで、相手がこちらの気持ちを知っている場合、そして相手がこちらに期待させないように警戒、もしくは気遣っているような場合には、それはとても難しいんですけどね。こちらもこちらで、相手の何気ない普通の態度にあんまり嬉しげに反応してしまうと「勘違いされたら困るなー」って重く受け取られるかもしれない、それは嫌だと思ってなんだかよそよそしくなってしまうのですが。ああでもやっぱり1年経った今でも、気持ち伝えて良かったなーと心から思う。言わなかったら多分ずっとそこで止まってた。好きになった日から言う日までの8ヶ月くらいの間は悩みはしたけれど、たぶん成長がなかったと思う。伝えた後に、ものすごく成長したと思うしね。この気持ち、この先の行方は知らないけれど、恥ずかしさもなく、負い目もなく、胸張って、私が言えること。私はすごくすごく、好きな人を大好きなんだってこと。この一年、好きな人が私のこと好きになってくれなくても、見向きもされなくても、冷たくされても、何度か酷いこと言われても、なんでだろー本当に全然平気みたいなんだけど。そりゃ何かダメージ受けたときは一週間くらいは打ちのめされた時もありましたが、最後には「やっぱり好きなんだよね」というところへ落ち着く。ここ数日色々と考える機会があって、やっぱりそうなんだよなーって。両の手のひらの中にしっかりと抱えてるみたいに壊れないもの。それを自分の中に見つけられたのは、気持ち伝えて自分なりに紆余曲折があったからだろうなと思う。もしかしたら自分にこんなのがあるなんて知らないでずっと過ごしていってたかもしれないのにね。なんか、やっぱりこの1年は私にとってすごーく大切なものだったように思う。辛かったり泣いたり、感情の起伏が激しかったけれど、そして多分まだそれは続くんだろうなという予感もあるのだけど(^_^ ;)
まぁ、私にとって人生とはTmorrow is Another Day てなもんです。

 今回のドラマは、ランチの女王だけ毎週見ている。竹内結子、可愛いし、山田孝之くんが好きだし。べたべたな恋愛ドラマじゃない月9はやっぱりいいなと思う。というかやっぱり竹内結子に尽きるんですけど。彼女の笑顔を見るために、見てるようなものです。笑顔には力があるんだなって思わされる。憂鬱な週はじめでも、彼女の笑顔見て、なんか幸せになる。彼女みたいな笑顔が近くにあったら誰もが幸せになっちゃうんだろうな。笑うことを大事にしなくちゃと思う。嘘じゃなくて心の底からにじみ出る笑顔。ああ、この人いると場が和らぐなーっていう笑顔。憧れるなー。竹内結子に学ぶ私でした。
 昨日は友達に心の深層メールを書いていたら1時になってしまい・・・金土日に遊び過ぎた疲れも祟ったのか、朝起きたら8時だった。会社は9時からなんですけど。月曜は朝礼もあるんですけど。焦りつつ友達に「今起きてしまった」とメール。そんなことするひまがあるなら急げって感じだけど、人は何故かせっぱ詰まった時ほど冷静なものです。20分に家を出て35分に駐車場へ着き、47分に会社へ着いた・・・。間に合うではありませんか。でもなんだか朝から調子が出ず。やっぱり寝坊はいけません。明日は早く起きるぞー。
2002/08/19 (月) 0:09:52 自省で己のかわいさを知る
 [ 8/18/(日) ] 人間、一番かわいのは自分だなぁと思う日々。大人になるということは、自分がいかに子どもじみた人間であるかということを知ってゆくことなのだと思った。人生とは深いものです。
2002/08/18 (日) 22:50:25 やっぱりね
 [ 8/17/(土) ] 友達と、友達の同僚含め3:3で飲んだ。まー友達は彼氏が居るので、誰か良い人見つけるぞーというような気合いの入った合コンというわけではないけど、とりあえず、楽しむ飲みだった。相手の人達の全員と面識のない飲みというのは初体験だったので新鮮新鮮。案外自分が、だんまり系だということを知る。盛り上がっている人々を、ふや〜と眺めて楽しそうなのを見て美味しいモノつまみながら楽しむ系。楽にまったりしながら美味しいモノ食べて美味しいお酒飲んでかなり楽しかった。久々に色んな種類のお酒を飲んで大々満足。2次会で久々にお気に入りのバーにも行ったし。ああまた行きたいな。そのバーはマスターがすごい個性的。洋楽のCDやMDが大量にあって、リクエストした洋楽をかけてくれるんだけど、リクエストしたやつでお店に無いって場合にほとんど出会ったことがない。大抵の曲はある。リクエストも、曲名だけしか書かなくてもかけてくれるし、昔流行ったあの曲〜、とニュアンスで伝えても、解ってくれることが多くて、なんというか、洋楽のソムリエって感じ。楽しくって、お酒は美味しくって、落ち着けて、大好きな空間。今度はもっとまったり出来る人と行って、カウンターなんかに座ってマスターに人生相談でもしようかなってところ。その時はお気に入りの洋楽ベストを焼いといて進呈しようと思う。
 それにしても他の人との飲み。それで確認するのはやっぱり好きな人とその他の人の、絶対的な、差。はー・・・・・・、なぜなぜこんなにも・・・?と、いうかんじ。全っ然、私の感傷のひとすじも揺れませんでした。驚きでした。
2002/08/17 (土) 1:23:01 あてもなく
 [ 8/16/(金) ] やっぱり大好き、夜のドライブ。やめられないのです。好きな音楽をかけて、行き先決めず、青看板見て適当に曲がる。知ってる町の名前見かけて曲がってみる。楽しいです。夜の道。見える範囲が少なくて、自分の目で処理できる量だけが見えて、あとは真っ黒で、きっと、それがいいんだろう。海へまた、夜ドライブに行きたいな。近いうち。
2002/08/15 (木) 22:43:44 自分の選ぶこと。
正しいか間違いかじゃない。
信じるか疑うか。
 それは、あたしの信条。物事が正しいか間違いかなんて、そんなの誰にも決められないこと。誰かにとって正しいことは誰かにとって間違ってる。そんなことに逡巡して無駄な時間を過ごすくらいなら、何も考えず進めばいい。たどり着いたそこが自分にとって真実です。それを間違ってたと悔やむことは、時を過ごしてきた自分に優しくない。あたしは絶対自分を悔やまない。あたしは絶対自分を守ってあげる。そのための思考や言葉が、負け犬の遠吠え的な強がりでも、あまのじゃくゆえのはったりでも。(すでにここがあたしにとって、そういう場所なんですけども)言葉は曖昧で、空虚な音や形でしかなくて、本当はとてももろいものだってことは知ってるけど、それを振りかざす自分の弱さを私はとても頼りにしている。言葉の殻で自分を守るのです。強い言葉も弱い言葉も、好きなように連ねれば自分を守れる。確認できる。あたしにとって、言葉が全てではないけれど、それがなければあたしはきっと、立っていられない。そう思う。
 そしてあたしはこれと同じような度量で、弱さゆえの強い思いこみで、大切な人の何もかも守ってあげたい。もちろんあたしの弱さの部分も守ってほしいけれど。男女問わず、体力や精神的な強さ弱さの如何に関わらず、あたしは自分の大切な人のことは信じることで守ってあげる。たとえ大切な人が何かについて間違っていたとしても、自分と違っていても、世の常識からかけ離れていたとしてさえ、あたしはそれを信じるなぁ。大切な人が間違っていることについて、それを全面に正当化して「それは正しい」と思い込むことで信じるのではなくて、ただ、その事実自体を受けとめるという意味での信じる、ということ。嫌な部分、許せない部分があっても、それのせいで全面拒否はありえない。だから大切な人は、たとえ間違っていても、愚かさや冷たさ醜さ汚さずるさも何もかも含めて、あたしにとっては大切です。あたしにとっての大切な人とは何の引き替えもなくそんな風に信じたいと思う相手のことです。好きな人も、友達も、親も兄弟も・・・・自分のそういう風な、人の見方に気付いたこの2年なのです。
2002/08/14 (水) 22:44:34 私の決意 揺るがないし
あなたでさえも揺るがせられない
 朝はダル寝をしようと思っていたのにゴミを出さなくてはーーという強迫観念があり、8時半に起床。あーもー休みの日だってのに・・・。せっかく早起きした割には昼過ぎまでダルダルしていた。2時頃、一番下の弟を自動車学校まで迎えに行き、その後真ん中の弟と蒼カーゴで本屋巡りをした。「きらきらひかる」という漫画(ドラマで深津絵理&鈴木京香がやっていたやつ)を買いたいらしく、総計6件の本屋古本屋をまわった。疲れました。数冊購入できて、満足満足。真ん中の弟は明日山口に帰ってしまうので、まぁこのくらいのサービスはしとかんと・・・・。
 明日は会社出勤。あーきっとやる気が出ないんだろうなー。まぁ・・・いっか。また後日夏休みは別に取る予定なのでなので。一番取りやすいのはこの時期なので今休んどくのが一番いいんだけど・・・。あとあと休めるかなぁー。んにゃ、休めなくなったら困る、休むぞ。
 aikoの新曲を買った。痛い。痛い痛い痛い。aiko、痛いよ。最近痛い曲が多いんだけど・・・aiko自身の恋愛は大丈夫なのでしょうかと心配してしまう。はー。痛いと感じる自分が痛い。最近は何だかもう、常にあることが頭を占めていて、そのことに対する自分の対処方法を悶々と考えている。どう考えても自分の答えは出なくて、正解は絶対にない。ただ自分がどういう方向へどのようにエネルギーを使いながらどうやって進みたいかというとそれはもう決まっていて。叶わなくても報われなくても他人には無意味だと思われてさえも、それに向かって努力することは私には意味があって、たとえ声殺して泣いても声を出して誰か傷つけても、とにかく考えたまま素直に行動するだけが私にとっては真実だなぁと思える。最初は混乱して意味が分からなくていたずらな筋書きを恨んだりしたけど、ある時突然思った。苦しいこと、笑顔になること、嫌だなと思うこと、嬉しいこと、耐えられない哀しいこと、逃げたいこと、幸せなこと。嫌なこと哀しいこと逃げたいことと無理してつき合っていく必要はない。人は生きてれば絶対ぶつかったり傷つけたりするものなのだから、無理して角が立たないようにして苦しむことはない。私はそう決めたし。今まで、自分に嘘はつかないできたから、今の自分がいる。この自分以外になることはできなかった。もしかしたら過去現在そしてこれから、この存在自体が誰かを傷つけるかもしれないけれど、私も誰かの存在自体に傷つくことだってありえるだろう。いま、そのまま受け入れて、そしてこれからどうか過ごしていく自分のこと、素直に行動できるように心に決めたことがある。それは多分とても自分本位で誰かに冷淡で酷い決意かもしれない。でも誰もがそれぞれに様々な決意を秘めているんだろうきっと。自分でさえ気付かない心の深淵では誰もが自分を一番可愛がってるんだろう。それが人間、って思ったら、なんだかぽっかりとした。汚さとか醜さまで愛してゆきたいよ、自分のこと。
2002/08/14 (水) 1:00:20 儚いものを求めてる
 [ 8/13/(火) ] 花火。ここ3年で一番よい場所で見れた。大きくきれいで怖くて切なかった。花火を好きなのって、なんか刹那的なかんじ。あんなの見て何が面白いの?っていう人の気持ちも分からなくもないけど、というかずっとそう思って20年くらい過ごしてきてたんだけど、一度真下で見てしまうと、もう毎年見に行くようになってしまう。とりつかれたように。一年に一度というのもあるし、とにかく体中で感じたいってのがある。花火っていいなー。勇気だして浴衣着れるのもこのときだけだし。花火の日は毎年、朝から花火のことだけ考えて、花火のために準備して、浴衣を着て、写真を撮って、会場まで30分以上歩いて出かけます。私の夏の儀式みたいなもの。暴力的な暑さの昼を終えて、なんだか人恋しいきれいな夕暮れが来て、紺色の空に大きな花火を見る。夜空に広がる大きな大きな花火はそれはそれは儚いものであって、それを儚いものだと認識するためにみんなして、じっと見てるみたい。綺麗だけどすぐに消えてしまう。去年は見ながらなぜかとても哀しかったのだけども、今年は単純に楽しめた。去年も今年も好きな人とは来れなかったけども。いつか、好きな誰かと来れるといい。今日は女の子3人浴衣で行ったのですが・・・それもまた楽しいんだけどね。ちょっぴり現金にもそんなこと思った夏の夜でした。
 帰ってきてお風呂上がりにカシスオレンジを飲む、あー眠い。明日も休み取ってよかった。まったりドライブでもするぞ。
2002/08/12 (月) 23:34:15 祭りが始まれば夏も終わり
 眠いです。お盆になると社内に人が少なく、なんだか妙にそわそわして、仕事が進まない。みんなばらけて取っているにしても、やっぱり人は少なくて少なくて。今日は市内のお祭りでした。おてもやんの総踊りとやらで。私は23年間も市内に住んでいるのに実は一度も見に行ったことがない。今日もやっぱり見ないで、ちょっとだけウィンドウショッピングして帰ってきた。本当は先週の木曜にTomorrow landでチェックしていためっちゃかわいいジャケットコートがあったのだけど、なんともう売れてしまっていた・・・インスピレーション、一目惚れはやっぱり信じないとダメだなーと思った。ショックだったので店員さんに聞いたら「再入荷したらお知らせします」とのことでした。あーもう、ほんとに良い!と思った時には買わないとね。そのジャケットを私はホームズコートと勝手に呼んでいるんだけど、とにかくかわいいのです。あうー。入荷されないかな、かな、かな。見込みがあるのかないのかちょっとわかんないので残年度は本当に高い。今度からは一目惚れは信じるぞーと心に決めた出来事でした。
 帰りに、友達とラーメンを食べて帰った。とんこつがちょっと薄い感じがした。私はとことん、濃いものが好きみたい。でも、やっぱりラーメンはいいね、美味しいね。とんこつのメッカ熊本に生まれて良かったと思うときです。
 明日は近くの湖で市内最大の花火大会。浴衣で行きます。もうここ4年、毎年ちゃんと浴衣で行ってる。大衆に迎合するのをあんまりよしとしない、あまのじゃくな私でも、この日だけはなんだか、流されちゃってもいいかなーって思える日。だって。浴衣、着れるのは夏のお祭りの時だけです。着ない手はない。この日だけはちゃんとお休みを取って、行くことにしてるのです。浴衣に下駄に、扇子を帯にきゅっとさして、行ってきます。今年は友達二人も浴衣で来るとのこと。写真いっぱいとるぞーーー。
 花火大会が終わると、図ったように秋らしくなる夕暮れ後が本当に愛おしいです。お祭りって、夏を終える儀式みたいだね。
2002/08/11 (日) 23:49:26 私が思う私 他人が思う私
 そのギャップを怖いと思うか、嬉しく思うか。私は嬉しく思う。そのギャップが、私ひとりでは気付いてない自分の長所だったり短所だったりする。ギャップが大きければ大きいほど、そこから私が受ける影響も多大なもの。私一人であったのならば決して解ることのなかったはずのもの。それを教えてくれる人が幸運にも私のことを知り、関係してくれた運命と、さらにその人が私から何か感じ取ってくれる似た感覚の持ち主であった偶然と、そんな風に私から受け取った何かを、感性のぶつかり合いを怖がらずに伝えてくれることを厭わないでいてくれたことに、感謝せずにはいられません。
 伝えてくれた内容がたとえどんなものであっても、「それはかいかぶりすぎだ」とか、逆に、「みくびらないで」とか、そんなのは微塵も思わない。素直に驚き、嬉しく、興味深く、ある人から見た私を知る。私とは違う人間が、私のことを評価するとき、その人はその感性の全て、培ってきた人間性の全てで判断しているのだと思う。その判断結果をむげに一蹴は絶対にしない。そういう見方もあるもの。その人の今までの全てをもって私を見たときの評価を知ることは、逆にその結果によって私はその人の何かを知ることができるのです。人の行動、思想の全てに、その人自身が現れている。私はそれを信じているから、誰か他人の言うことは、とにかくじっくり、よく咀嚼して、その人を知る手がかりにし、判断するようにしています。
 今日はそんなことを考えさせられるメールを頂きました。私はどういうことで、こんなに幸せなメールを貰えているのかなと、不思議な思いで一杯です。驚きます本当に。彼女は言う。「この先も会う事はないのかもしれないけど 」。・・・多分そう。今は会う予定も予感も願いもない。4、5年ほど前にお互いのHPをきっかけに知り合った彼女が、この4年間どんな生き方をし、考え、過ごしてきたのかは、一部しか知らない。現在、お互い自分の夢や仕事やこの先どうしたいのかというのも、特に伝えあいたいわけでもない。けれども彼女が確かに日本のどこかで生き、考え、過ごしていることは、時々HPの日記を読むことで知っていて、彼女も私のことを時々知ろうと日記を見てくれていて・・・それが解っただけで私はとても安心している。今回みたいに彼女から時たま思い出したように来るメールはいつも強さと優しさと涙をくれて。実際に会って、話して、ご飯を食べて、遊んで、ケンカして、そういうことは何にもできないのだけども。彼女とはこれでいいんだと私は確かに思う。そういうつながりが不思議で・・・。知った風な口をきく新聞やテレビが、ネット世界のつながりを希薄だと何だと言おうと、私がそれを信じて頼りにしているのだからそれでいいんじゃないかと思う。多分ネットでの人との繋がりは音楽を聴いたり、小説を読んだりするのと一緒だと思う。自分が好きだと思って、それを信じられて、頼りにして、慰めにして、少し幸せになる。そういうものなんだと思う。
 なんだか、ネットは、この4,5年で随分良い部分も悪い部分も進んでしまったけれど、今も繋がっていると感じている、私がネットをはじめて最初の方で知り合った人たちとの関係はここにきてとても強固な頼りになっている気がする。知り合った頃ほどめったに連絡を取らなくなった人が思いもかけずメールをくれたり、ちゃんと今もネットで密かに息をしていることを知ると、なんだか嬉しい。不思議な世界。私がまだ細々と続けている中で、もちろん新しい人たちと知り合うこともちゃんとあり、それはそれで、とてもとても大事ですけども。そう思うと日記はやめられないのだなとつくづく思うのです。ここは私がまだネットに息づいてる証拠の場所だから。私には直接連絡をしていない、昔少しでもネットですれ違ったことのある人がもしかして見てるかもしれないから。私がここで特定の誰かに伝えたいことはないにしても、愚痴でも泣き言でもとにかく息を吐いていれば、私の片鱗を誰かに知らせることが出来るんだ。それを強く確信させてくれた、今日のメール。そのこととは別に、私が私であれることを肯定してくれる内容が私を励まし、背すじをぴんとさせました。ありがとうね、ほさ。
*** ***
 [ 8/10/(土) ] 今日は昼から会社の先輩が服を買うのにお供する予定。友達の家を12時ごろ出て、街に1時過ぎに着く。先輩のだんなさんから「服を買うのにつき合ってあげてー。可愛い服を選んでください」と指令がきたので、一緒に行ったんだけど。もーすごい可愛いの選んじゃった。先輩はスタイルが良くて美人で仕事も出来て人柄もよく、とにかくもう完璧なんだけども、あんまりそういうのに頓着しておらず、会社にも制服で通っているような、とにかくなんていうか、気取らない人。でも、化粧もオシャレもやることやれば全部がすごく似合うんだろうなーっていうイメージがあったので、まさにその通りで一緒に服を選んでいて楽しかった。二人が一番、滞在時間の長かったお店はas know asで、私なんて「先輩!!私、今月の給料入ったらその日に半分くらいここで使ってそうです!!」と豪語したほど、私好みの服が揃っていて、ウワーとなりました。ああーお金がある時に行きたいような行きたくないような。服やお化粧は女の子の習性だけど、罪だよなー。お金が欲しいです・・・と思った時にはもうジャンボ宝くじの発売は終わっているのであった・・・。
 夜は会社の集まり・・・(会社しか最近つながりがないなぁ・・・休日だってのに)。なんと、焼き肉バイキング。女の子同士では絶対に行かない集まりであって、想像通り女の子の集まりが悪かった。女の子は私と友達の二人だけだったんだけど、男の子はかなりすごい参加率。さすがこの20代前半の男の人は焼き肉、好きなんだなーとびっくり。私も焼き肉はなーと思っていたんだけど、めったに参加されない4つくらい上の先輩主催で、とにかくレアな飲み会だったのでとにかく参加した。2ヶ月くらいのお子さんをお持ちのお父さん先輩で、やっぱり想像通り待ち受けが子どもさんだった。まったくもー、と思いながらも、ほんわかする。色々考えること有り、何も考えなくてもヨシの楽しい食事会でした。2次会カラオケで12時くらいまで歌い、その後夜ドライブして2時半ごろ家に帰った。週末は何故か車に乗っていたくなる。なんで人間って、寝なきゃいけないんだろう。そんなこと思う、夏の夜。
*** ***
 [ 8/9/(金) ] 仕事終えて友達の家でお泊まりゆずビデオ鑑賞会をする。友達は今、自らに外食禁止令を発しているので、ご飯は外で食べず家に材料を持ち込んで作って食べることに。何が食べたいー?という話になって。ドリアに決定。蒼家からお米やコーンやシーフードの具を持っていき、スーパーで他に足りないモノとお酒を買って、8時くらいから1時間半ぐらいかけて作る。ドリア。最高に美味しかった。具が良いにしても美味しすぎます。やっぱり手作りはいいね。ホワイトソースはいつも自分で作るんだけど今回は缶詰を買ってきて利用してみた。こっちの方が美味しいような(笑)でもまぁ手作りにこだわりたいときはソースも手作りだけど・・・。お酒はウォッカとグレープフルーツジュースとカシスリキュールで、とりあえずソルティドッグ・カシスグレープフルーツを作れるような準備だけは万端に。グレープフルーツそのものも5個くらい買ってきて、それをスプーンでぐりぐりくりぬいて、生グレープフルーツとカシスをまぜて飲む。美味しいーー。次にウォッカとグレープフルーツとカシスリキュールを混ぜる。美味しいーーー。お酒も手作りだと色々試せてすごく良い。楽しいお泊まりでした。2時ごろ寝ました。
2002/08/08 (木) 22:53:55 深く重い濃紺に沈む
 黙って黙って周りと関わらないでひたすらじっと座り仕事していた一日。他人と関わるのがおっくうだった。誰も私のことをわからないかわりに、私も誰のこともわからない。とにかく耳を閉ざして目はパソコンの画面だけを見つめ他を見ず、口も閉じて出来るだけ身じろぎせずに小さくなっていた。こういうのもいいかも。というか、本当はひとりも好きかも。自分に対しての神は自分だから。思うようになる。分かる範囲だけ最低限のことだけ分かる。それがラクなのかもしれません。
 大事な大事なメールがあって、その存在を普段は忘れてしまっているんだけど、時たま思い出して読み直してみると相当に驚く。それは気持ち伝えた夜に相手に改めて書いたメール。というか、ちょうどお盆で一周年なのだけども(読み直したのは今日で2,3回目・・・)。はー。はっきり言って、かなり恥、恥、恥。恥ずかしいこと平気で書いてる。そしてすっごく青い。けれど・・・・こもってる気持ちは全く全く全く今と同じ。今読み直してみて思った。本当に変わってない。驚き。今もリアルにこのメール書いてた自分が思い出せるしこのメールにすごく共感してる自分がいるし・・・びっくりでした。私の気持ち、とことん手強いなー。それにしても不思議だなー。最近こればっかりだけど。ほんと不思議。色々なかたち知ってるけど、でも私は自分のでいいや。こういう風にしかできません。体全部心全部で哀しんだり笑ったり怒ったり落ち込んだりするよ。それが私。
2002/08/07 (水) 23:22:07 かみしめるのは自分の愚かさ
 でも人の愚かさってとてもシンプルで人間らしいものであるような気もする。自分とはこういう人間だったのかと気付かされるのは、いつも恋愛に関することにおいて。誰かに想われる時も誰かを想う時も。それに対して自分がどう考え行動するかというのは、ただそれに対面しない状況で「自分はこう考えているしこう行動するだろう」と予測していたような方向へは全く行かず、その見当違いっぷりに思わず笑ってしまうようなことになってしまったりもする。不思議だなー。ほんと、こんなことになるとはね。こんな、なりふり構わず見栄も恥もなく、心底、理屈抜きの目に遭うとは・・・想像もしませんでしたよ。時々、男の人でも女の人でもかまわないから、ぎゅーってして欲しいときが無性にあったりなんかして、そうゆうときは、誰かそういう人が居たらいいのになと一瞬は思うけど、でもだからってそのために一緒に居てくれる彼氏を見つける、というのとはなんか違って。たぶんきっと、そうゆうのしてほしいときにしてくれなくても、全然構わなくて、好きな人はその存在が世の中のどこかにあるってことを私が知ってるだけで、好きみたい。今まで好きだった人のことについても、今考えてみて、そう。全然会わないけど、今の好きな人に比べると度合いは全然違うけど、あの人たちちゃんとしっかり生きてるんだろうねーどっかで、私のことなんて全然忘れてさ、と想像してみても、やっぱり同じように好きは好きだし。どうやら私はそういう人種らしい。なんだろうね。こんな考え方、特殊なのかもね・・・。す・・・好きになりすぎか、これ・・・。もっとドライに生きなならんのかも・・・・。ううん。
 しかし、どういうわけで好きになるのか。もう遺伝子とか染色体レベルの問題のような気がします。(それって、スケール大きすぎなのか、ある意味スケール小さすぎるのか一体どっちだ・・・)それが片方しか反応しないのなら、そういう情報を埋め込むなよーとか神さま?を恨んでみたりするけれど。まぁそういう反応があるということはきっと何かの意味があるんだろうなと想像してみて。やっぱり運命は全部受け入れるつもりになる一日の終わりです。
 そんなこんなで、メールくれたORIORIさん。自分だけなのかなぁ、なんてひとりよがりですよね。自分に酔ってるだけみたい。バカですよね。ほんと泣けました。ありがとうございました。頑張ろうとも諦めようとも言えないけれど、今の状況は、たとえそれがどんな辛い目だったり大変な目だったりしても、きっと今しか味わえない?ものなんだろうなーとか考えて、ダメな自分もかわいい自分も罪深い自分も全部「人間らしいなぁ」と思って受け入れようというくらいしか言えませんけど・・・。ほんと。ありがとう、ありがとう。
 ピロウズで元気を出す日々。なんか、いいなーほんとー。でも残念なことにカラオケだと一曲あるかないかなんだけど・・・。一番のオススメは「RUNNERS HIGH」かなー。今は「Smile」を聴いてます。これ、すっごいジャケットがかわいいの。こんなとこにスマイル!みたいな。ピロウズ中期以降は、ジャケットがいちいちセンス良し。特に「RUNNERS HIGH」「LITTLE BUSTERS」「HAPPY BIVOUAC」「Smile」のジャケットは秀逸です。ジャケ買いしても中身が伴ってるからこれは損ないねってかんじです。
2002/08/06 (火) 23:49:05 傷ついたり傷つけたり
仕方ない
 あたしは他人の幻滅が怖くない。幻滅する人とあたしの価値観が違うから。それもまたひとつの見方であって、その一つだけが世界の真実なわけではないから。同じように誰かの怒りも哀しみもあんまり共感して感じない。自分が怒る時だけ怒るし哀しい時だけ哀しむ。他人の喜びだけは、なぜか私も同じように喜んだり、喜んでもらえるために何かしたいと思うけれど。とことん私は自分しか頼りにしていない。本当ひどい奴、勝手な奴、友達甲斐のない奴。私なんかで悩まない方が良い。所詮小さな人間なのだから。
2002/08/05 (月) 23:21:21 日が暮れきってしまう直前のわずかな時間
できるなら両手の中にいつも握ってたい
 人差し指と親指の間のカーブで喉のカーブをそっとなぞるように自分の手のひらを喉に置いて、ちょうどそのまま手のひら一つ分下にスライドさせた胸の奥あたりをぐずぐずとくすぶらせるようなのが、本当にもう随分長い間続いている。いつまでも立ち止まってないで、早く次に行けばって、何も知らないたくさんの声が気軽に言うけれど、このどうしようもないくすぶりって、そんなに簡単になくなるもんなのかな。他の人が誰かを好きになるってどんな風なんだろう?こんなのは自分だけなのかな。考えても自分は他人にはなれないし他人は自分のことを完全には分からないし、仕方がないんだけれど。すごくすごく謎だし、不思議だし、だからこそ誇りなのかもしれない。仕方ないよなー、こんなんだもん、自分。もう23年間もこの自分とつき合ってきた。簡単には変わらないの分かってる。まんま受け入れるしかない。心痛さも人生の糧。・・・・かなぁ。
2002/08/05 (月) 0:52:41 どんな靴を履いてても 歩けば僕の足跡
立ち止まればそれまで 僕が終わる印
the pillows 「ONE LIFE
  [ 8/4/(日) ]  目覚める直前まで見ていた夢がとてもかなしい内容で、とてもリアルで、ああどうして夢でさえこんななんだろうと泣きたくなって窓の外を見たら、空の青さが鮮烈で、雲の白さも立体感もすさまじくて、そのあまりの夏々しさにぽっかりと胸をすかれて何だか、ただただあっけにとられた。私の状況がどんなでも、空は正直だなーって心から思った。空みたいに大きく、優しく、激しく、寂しく・・・とにかくあの姿みたいに色んな場面で正直に自分を見せたいなーとさいきん思う。あんまりめまぐるしいのも周りに迷惑をかけるのだけれど。
 もう寝ないと。昼に起きた後、一日ピロウズのCDを焼いていた。外に一歩もでなかった。引きこもりでした。ノーメイクデー。ええこっちゃ。明日の朝礼がちょっとどきどき。一週間のはじめから、嫌な雰囲気になりませんように。そう思いながら、お風呂上がりにそのまんま丸絞りフルーツを使ったカシスグレープフルーツを飲む日曜の夜。明日からまた一週間が始まります。とにかく人に左右されず、自分のやり方で、自分のペースで、仕事を一生懸命、楽しく、する。そして今の自分に身に付いていないものを新たにいくつか身につける。それが今の心意気です。
2002/08/04 (日) 3:49:22 誰もひとりでは平気じゃない
  [ 8/3/(土) ]  今日は私の大学時代のすっごく面白い女友達を、会社の友達二人にぜひ引き合わせたい!という気持ちから4人でご飯を食べることに。その後カラオケで、夏休み中の大学生弟も参加させるという不思議な会。大学の友達は気さくでサバサバしてて、会社の友達もやっぱり同じようにサバサバしてて、絶対に仲良くなれるはず・・・と踏んでいたとおり、すぐになじんでフツーに楽しんでもらえた。こういうつながりを増やしていくのって楽しい。お互いには絶対に接点のない、私の別方面の友達が友達どうしになってくれるのは、なんだかすごくいい。この人達は、きっと合うはずと思ってそれが本当にそうだと、なんだかフフとなる。今回は両方女の子だったけど、もしかして私、仲人系なのかもしれません(笑)うちの弟も、何故か社会人女4人のカラオケに乱入してもなんとかフツーに歌ってていい感じだった。弟のカラオケの評判もそこそこによろしいかんじで、身内としてはエッヘンとなる。身内びいきっていうか、私、家族バカですから。ほんとほんとたのしかった。一ヶ月半、弟がこっちにいる間にまたカラオケいきたいなー。気兼ねせずに歌えるカラオケメンバーって貴重ですから。
 12時前ごろに終わって皆とは解散。そのあと「熊本港行く?」って、いつも通りドライブ・・・。誰を巻き込んでも、巻き込まなくてひとりでも、結局私は夜のドライブが相当に、好きなよう。だらだら走りながらピロウズを聴きながら、話をする。弟が饒舌に、今までは話さなかったような話をした。おー兄弟っていいなと思う。いつも側に居るわけではないけども、一生の成長を長期的に観察できる、他人。自分のことを客観的に、でも身びいき的に、考えてくれる他人。その反対も言えるのであって。とにかく兄弟ってのは仲に良いに限ると思った。込み入った話は私の方は今回しなかったけども、あえて聞かないでいてくれたし、でも自分のことは話してくれる。弟の話を聞いていると、なんだか、ほんわか幸せになった。兄弟が楽しく、幸せにやってるのは、とても嬉しい。私の方は特に今は話せる状況でもないし、まとめることもできないし、自分のことはなんとも言わなかったけど、それでもそっとしといてくれるあんた、なかなか大人だよね、いい男だよ、ってそのことでも嬉しくなる。こっちに居る間に彼女と3人でご飯たべよーよーという話をしてえへへとなる。かわいい奴め。近い楽しみがひとつ増えました。いつ行こっかなー。結局阿蘇までドライブに行って帰ってきたらもう3時でした。ドライブしすぎです蒼さん。
 あー。なんともかんとも。言葉にもカタチにも態度にも固まらないもやもやとしたものがあって、それをカタチにしてとせがまれてもどうしようもないのだけれども。一番私を表すのはこの日記なのだけれども。教えることは絶対にしたくないし、私が私を保つためにここで吐露している感情を知られたくもない。それにしてもお互い、相手に対して、どうしてもっと非情に冷淡に無責任に身勝手になれないのか。それが最大の問題の根底であるんでしょう。あー。なんともかんとも。
2002/08/03 (土) 2:35:52 誰かの密かな決意を私は決して知れないように
私の決意だって表に出すまで誰の干渉も受けない
  [ 8/2/(金) ] やっぱりひとり行き先を決めないあてもないドライブの行き着く先は熊本港。3号線から熊本港に至る道が好きで好きで。ただ両側がまっくらで、街灯だけが規則的にきれい。今日は友達とご飯を食べて家に送ったあとひとりふらふらさまよっていた。周りの人に悪いけど、やっぱり大好きな音楽を大きな音量で。眠いけど行ってしまう。車があってよかった。自分ひとりの大好きな空間があってよかった。小回りの利くかわいい子を選んでよかった。ファンカーゴはやっぱり大好きです。ほんとー。大好き。
 表に出す出さないは決意の問題であって、そこに至るまでには心の中でもう、自分なりに随分と多大な量の感情の咀嚼があったのだということを、あんまり分からないから、突然そんな態度を見せられるとどうしてだろうなぜだろういきなりどういうことだろうと思うのは当然かもしれない。穏やかに過ごしているように思える他の人でも、自分の想像もしない、思いもよらないところで、それぞれに決意や後悔や躊躇があって、それがその人の心の中だけで終始するか表に出るかで他からの印象や評価が変わるのだなぁと思うと、それは出すのがいいのか、出さないのがいいのか、考えるところ。ああ、でもやっぱり私は相当に、心が曲がっているのかもしれない。悪あがきでも嫌がらせでも、そんなつもりはないんだけど。でもどうにもならないからこそ、今の私にはこういうふうにしかできない。仕方がないのです。でもこっちから繋がろうとしないと、繋がらない人、流れに身を任せるって。人付き合い友達付き合いに関する、そういう部分にも甘え、問題があると思ったりもする。結局それって他人任せなんです。あんまり、自分で決めてないんです。何かあったとき、自分の責任を認めたくないからそうなるんです。そういう風になってしまうなら仕方がないって、そう思えるのはそれだけの思いしかなかったってこと。多分私のことだってそうなんだろうなーと思うと、じゃぁ私もそうしますって思ってしまうのですよ。こっちから問いかけるのには、繋がろうとするのには、もう疲れました。
 ・・・でも、きっと私もわがまま。今いちばん自分勝手なのはきっと私。考えれば考えるほど、難しい問題です。
2002/08/01 (木) 23:30:37 どうなってるのか。自分じゃないとこから。
全てを冷淡に鳥瞰したい。
でもほんとはもう全部捨てたい。
  あることに関して、私の直感は当たらなかったことがほとんどない。今日の直感は決定的なもので、あまりに怖くてつらくて苦しくて全然認めたくなかった。直感の内容を確認もできなかった。確認してもしなくても自分の知らないところでその事実が動いているのなら結局同じだし、そうでなくても私がそういう風に想像してしまうような状況だってことは変わらないんだけれども。やっぱり無理だと思う。子供じみていても、大人げなくても。ダメだダメだ。どんなに笑ってても思い出せば泣き笑いで涙がにじむ、そんなの。いやだいやだ。それだけはいやだ。何かを疑ったり穿ったりする心持ちの自分が嫌になるほどなら、全部、断絶。遠く、遠くから眺める。つらさもかなしみも見えないくらい遠くに。心配したり気遣ったり優しくしたり大切だったことも忘れて、つまづいたり転んだりしそうになっても知らないふりをして、本当にそれを知れないよなところへ。本当に痛いの感じるのは自分のつらさかなしみだけだから。ここまできてもやっぱり結局は自分です。疑ってしなうことを悪く思うからじゃなくて。疑うことの繰り返しでよくない心持ちの自分が疲れるし、嫌なだけです。自分に正直に生きる。もうこんな、疑ったりするマイナスなの嫌なんだ。どっちがどっちって、比べも出来ない。痛くないくらいに離れるしかない。そうでしか対処できない。気がする。でも。ねぇどうしたらいい?