2002年9月

2002/09/29 (日) 22:54:06 楽しいことを感じる以上に楽しもうとする
 今日は明日の予行演習ということで、熊本城へ写真撮り。同期と後輩(共に男)と同僚(女)がつき合ってくれた。ありがとぉーーー休みだってのに、私が淋しいからという理由で誘ったのに、二つ返事で参加してくれて、嬉しかったなぁー。で、このメンバーは絶対面白いはずと、昨日からすごっく楽しみにしていたんだけど、行ってみると想像していた以上に楽しくてもうなんだか、普通に観光しまくった。めちゃめちゃ楽しんだ。休日!って感じでした。デジカメで撮りまくったけど、良い写真が撮れた。魚眼レンズでも撮らないといけなかったんだけど、こっちはシャッターがおりなくて、どうもうまくいかず・・・。いろんなところでセッティングしてあーだこーだと撮り方を考えていたら、お城で集合写真を撮るのを仕事にしているおばさんに「君たちは写真研究会か何か?」と尋ねられるはめに・・・。やっぱりプロとは思われなかったのね(笑)大学生?と聞かれて、女二人は「はい〜♪」と答えたのに、同期が「いえ、とっくの昔に社会人です」と真面目に訂正したため、「し〜っ!」と慌てる。もーここが男と女の違いね〜。後輩はハタチなので、まだまだ学生で通るけどなぁ・・・。でもまぁ、若く見られるというよりは子どもっぽく見られるというのが正しいでしょう。喜んでばかりもいられないわけです。そんなこんなで。明日ちょっと加工したりして早速仕事に使える。個人的にも使える。持って帰ってきて、アップしようっと。著作権は私だ(笑)ていうか・・・その前に明日は本番の取材だ・・・・。うまくいくのかなー。不安。作りたいものを作るには、今日撮った素材では明らかに足りないので明日はぶっつけ本番、しっかりやらないといけない。心配です。それにしても12時過ぎから4時間半ほど。ほとんど休みナシで熊本城を歩き回り、撮りまくった。体力的に相当疲れました。今日はもう寝ようっと・・・
2002/09/29 (日) 1:26:33 それが私の強み
 [ 9/28/(土) ] 聞いてくれる友達。感覚の似てる友達。いいよなぁ。私が好きで近く居たいと思う人達。求めれば、みんな、こんなあたしなんかにつき合ってくれる。やっぱあたしってしあわせ。
2002/09/28 (土) 0:58:52 君の中、しっかり刻みつけて痕にのこして
 [ 9/27/(金) ] こんなこと言ったりしたりする奴他に居なかったなー、すごい奴も居たモンだ、という存在であいての中に残れるように。そんな好きになり方で。んー。一歩間違うと怖いね。
 今月末で辞めるという人の送別飲みを行うとのことで話が回ってきたけれど、今日は月のモノ二日目で非常に苦しい一日だったし仕事もキリ悪くて断った。しかし今日は皆、引きが早かった〜。8時頃周りを見渡したらほとんど誰もいなくて。9時半ごろ、うち方面のバイトさん(31くらい)と一緒に帰った。私の家から30分くらいの、私がよく行くドライブコースあたりに住んでいる人なので、帰りがてら送っていってあげよーということに。でも駐車場に着くまでの間に、なんだか、美味しい食べ物のにおいがしてきて「ああっ!週末のにおいがする〜!おなかすいたー!」ってことになり、よっしゃラーメン食べいこ!という話になった。何軒かピックアップして、そのうち私のお薦めがある健軍のラーメン屋に行った。バイトさんはラーメンは様々なのを食べ歩いてるらしいんだけど、今回のとこは初めて来たとのこと。どうかなーお口にあうかなーと思っていたら、もう最高に喜んでくれて、すごくうれしかった。自分が好きでオススメしたものを喜ばれると嬉しいよねー。もう本当に心の底から美味しい!と言ってくれて、おもしろいほど感激していた。んー結構レベルの高いラーメン屋だったらしい。連れていって良かった。二人で「あたしら肥後の女ですけん(笑)」とジョークを言いながら、とんこつをすする。あー美味しかった。明日もまた仕事行くんだけど・・・ブレスケアでも飲んでかんとね・・・とんこつはもとより、にんにくチップ入れて、さらに餃子も食べたからなぁ・・・。ふう。でも美味しくて満足満足。そのバイトさんは、年が離れていることもあって、あんまりご飯を食べに行く機会のないひとで、私は良く考えたら外でご飯を一緒に食べたのは初めてだった!レアでした。また今度一緒に行って貰おうっと。
2002/09/26 (木) 23:26:04 そういう風になっている
 神様というのはとても気まぐれ。彼の人は何者に対しても冷淡に宣告することを全うするのが存在意義で、その職業的率直さをもって「やめなさい」「あきらめなさい」と手厳しく言われてるのかなーとあたしを俯かせ肩を落とさせる。次の機会にはこころをぎゅっと冷たい手で握られるような、びっくりするような嬉しいことをヒョイとさも簡単に与えてくれて、のどの奥から笑顔をこみ上げさせたりもする。神様は一体何を考えてこんなものをあたしに与えては取り上げているのか。子どもの手遊びみたいに自由気ままにあたしのこともてあそんでるのか。なんて。ちょっと恨みがましくふてくされてみたりもする。そんな出来事のたびにあたしはうれしさとかなしさと両端を行ったり来たりして、そのギャップの大きさゆえに、幸せ感度がとぎすまされる。小さな事ですごく嬉しくなってそれを味わう喜びを知る。それがないときの寂しさ、哀しさも知っているから普段から人に優しくしたいと思うようになる。それはよいこと。よいことな気がする。幸せを感じるときも哀しさを感じるときも、何も損なことはないなーって思うようになった。それを知りなさいってことなのかなぁ。結婚してる先輩夫婦にこのあいだ言われたこと。「その気持ちが大事」って。そうなんだよね。そう思うようにする。今だから味わえる緩急。人に自分が幸せに見えてるかどうか、人のことが幸せそうに見えるかどうか、誰かの幸せの基準に誰かが達してるかどうかなんて、全く何の意味もない。人のことを幸せかどうか想像、判断しても、何の参考にもならない。ただ自分のことしか判断できない。あたしは人から今、聞かれたら照れ笑いでこう答える。「相対的に、幸せです。喜びも哀しみもあるんだけど、哀しみあるおかげで幸せが、よりきわだってるみたいです」「今はこういう風になっているみたいです」
2002/09/26 (木) 0:16:19 このいたずらは何を示しているんだろう・・・
 [ 9/25/(水) ] 会社へ行く前に熊本城のパンフレットを貰うために県庁へ行った。そしたら熊本城は市の管轄だからパンフレットは無いと言われ市役所へ行く。総合案内書で尋ねたらその後ろの棚から出してきた。最初から市役所行けばよかったー。9時半に会社へ着いて、9時45分から宮崎へ向け出発。出張なのです。2時間半かけて高速で宮崎へ行き、空港と駅とバスセンターを往復。一日立ち仕事でへとへと・・・。システムの変更をやっていた同僚はかなり大変そうだったけど、私は何だかすごく楽しかった。毎日机に座ってパソコン向かって仕事ってのも、まぁ多少は私の性にあっているみたいなんだけど、こういうのもいいね。動くのはいいもんです。行き帰りの2時間半は長いけど、制服着たままドライブしたと思えば楽しいったらない。帰り道、夜の高速を宮崎から熊本まで運転した。運転は楽しい。平均時速115キロ。頑張りました。社用車は排気量が1700らしく・・・1300の蒼カーゴに比べると断然パワーが違う。よけいたのしかった。会社へ帰着したのが10時半。はーやっぱり疲れた。寝よう。
2002/09/24 (火) 0:15:41 このいたずらは何を示しているんだろう・・・
 [ 9/24/(火) ] 運命のいたずら、じゃないんだけど。なんか最近特にそういうのを感じる。なんでかな。なんでだろな。まぁいいや。なるようになる。目の前で起こること、耳に入ること、真摯に受け止めて生きましょう。
 ?ところで夜呼さん、なぜああいうメッセージを下さったんでしょうか?意味分からんかった・・・・のですが、なんとなく心配。・・・大丈夫ですか?
 仕事がまた込み入ってきている。ちゃんと全う出来るのかなーー。これかあ3週間でボロボロになりそうだ。
2002/09/24 (火) 0:15:41 雑多に整頓された自分の好みの場所
 [ 9/23/(月) ] 6時ごろ寝た。目が覚めたら13時半。色々とメールしたり電話したり。その後、熊本にひとつしかないヴィレッジに行くためだけに1時間ほど車を飛ばして出かけた。ショッピングセンターに入ってて。雑貨屋さんかなと思うけど本屋。ここは今日で2度目なんだけど、入ろうとしたら店の前のメモに「パルコ店オープンのためバイト募集!」て。パルコに出来るの!!めっちゃ会社から近いし。(とはいえ平日には行けなさそうだけど)というか、うちからも近い。どのくらいの規模のができるかわかんないけど。すごく楽しみです。オープンが待ち遠しい。今日は「カフェのごはん」という本と雑貨の本を買ってきた。くりおさんちで眺めていて、いいなぁーと思っていた本。かわいくて。美味しそうで。楽しそうで。この本が部屋にあるだけで、ちょっとうきうきするような。えへへとなる。あと、ブラブラ見てたらなんか見覚えのある絵が目に入って・・・・。作者は高野文子とある。見覚えがあるような聞き覚えがあるような。でもわからない。5分くらい考えてやっと分かった。北村薫のお嬢様探偵ものの絵を描いていた人!なんか、ヴィレッジ特有のポップがすごく興味深かったのでこの人の漫画を2冊買ってみた。今週末はなんだか、濃かった。会社に二日出たけど、嫌々じゃなくて充実していたのはよかったとおもう。最後の締めがヴィレッジだったので幸せに終わりました。明日からまた大変だけど・・・がんばろうと思った。
 昨日先輩夫婦にも色々お話を聞いて貰ってしてもらって。その結果考えたこと。私は今、何かとアイタタと思うことが多いけれど。そのアイタタが、この2年、常によりよくなろうとする私を保ってきたし、事実よりよくなれてきたと思っている。よりよくなりたいと思う自分の活力としてアイタタがあるなら、それはそれでいいんじゃないかと思った。今のアイタタが今後どういう結果になるかは分かんない。でも、そのアイタタのおかげで今の私があるんだし。そのことは素直に認めて感謝できるなって思った。それは相手にじゃなくて、こういう気持ちを持てた自分に、だけど。ん。この件のおかげで相当考えたし人にある点では優しくなったしある点では厳しくなったし。精神力は相当鍛えられました。オブラディ・オブラダってことで。人生は続くんだし。流れさすらってみることに抵抗はない。自分が不幸だ、辛いことだけだ、大変だ、どうしてこうなんだろう、どうしてどうにもならないんだろう、っていう風には考えないで、幸せだけどちょっと今の好きな人のことだけは、なんともかんともなんだよねって感じで適当に生きてける気がした。そうそう、あたし基本的にすっごい幸せなんだからさ。ハナとおでことあごで風切って歩いてくんです。それでいいんです。
2002/09/24 (火) 0:15:41 魅力ある人達から何かをもらう
 [ 9/22/(日) ] 目覚まし9時にかけて起きたのは10時前。会社に行くまえに、デパートのコスメデコルテで化粧水と乳液を買って、パルコのLandryでTシャツを買った。可愛いんだTシャツー。この季節だから、長袖を買った。そのあと12時ごろ会社へ行き8時ごろまで仕事。それから約束していた先輩と飲む。先輩夫婦と朝5時まで街で飲んでた。楽しかった。面白かった。なんであたしなぞとつき合ってくれんのかなーってとても不思議だった。こんな人達が!なぜ私と?大好きな人達が私と話してくれる、飲んでくれるのを厭わないでくれること。それは自分にとって何かの自信に。ありがとう。嬉しいなーと思った。
2002/09/22 (日) 3:08:17 心持ちで好転する身の回り
 [ 9/21/(土) ] 昨日は4時半に寝て、今日は11時半に起床。お昼の12時頃行こうと思っていたのに、会社に着いたら1時だった。先輩から借りたスピッツのアルバムを聴きながら仕事。ひたすらモクモク。平日よりも仕事がはかどる。本当は平日にそれだけ出来たらいいんだけど、平日は平日で色々と雑事が発生するから仕方ないんだよね。2時過ぎごろ、一緒の仕事をしている同年代の女の子もやってきて、隣の席同士、ひたすら集中してそれぞれのやるべき事を着実にこなしていった。
 気がついたら夜8時を過ぎていた。次にふと気がついたら9時半。次に気付いたのは警備会社の人が「何時までしますか?」と見回りに来た10時半。そのときは「11時くらいには帰ります」と伝え、二人ともかなりそのつもりだった。で、深夜にいきなり電話。なんだろ、こんな時間に仕事の電話なわけない、なにごと?!とびくびくしながら電話取ったら、警備会社の人から「12時過ぎましたけど鍵がかかってませんが・・・」と。12時過ぎた事にもふたり気付いてなかった('△')「んーーーすみませんあと1時間くらい・・・」と警備会社の人に伝える。もうやってられっか!とクサクサして帰ることなく、あとちょっと、あとこれだけなんだよね。この部分だけは!と、すごい集中力でこなした。とちゅう「お腹空いたねー」「帰りたいねー」って。言葉には出すけれど、どちらも全く帰る気配なし。お互いに対して気を遣って仕事しているわけでもなく、自分のことを進めるのに集中して。時間が過ぎるのも忘れる集中力って、久しぶりに感じた。気も散らないし、充実感でいっぱいだった。やっと12時半に仕事終わらせて帰ってきた。
 帰りがてら話したこと。平日の横やりは、尋常じゃないほど入っているんだなぁということ。休日のほうがはかどるなんてことは本当はおかしいんだけど、それが真実だねぇって。イライラもせず、むしろ充実感とともに仕事を終わらせたのが久しぶりでなんだか疲れたけど、それ以上に今日は満足してるよねーって。少し先が見えてきたので。明日も二人出ることで、合意。とにかく、この仕事だけはなんとかやり通したいって思ってる、ふたり。ころころ仕事が変わるうちの会社で、私はもうすぐ半年、もうひとりの人は3ヶ月。同じ仕事を任せて貰っている幸運。うちの会社では本当に珍しいこと。そのことに感謝しないといけないなって思った。この運の良さに。なぜか、そんなことを考えた。この会社に入ってから1年半、随分残業したり無茶なやらせられ方してるけど、時間的・体力的にはきついんだけれど、一緒にやっている人には私はいつも恵まれているなって思った。
 一緒にやってる子が話の中でふいに言った「私が今やってる仕事は恵まれてるし、ふたり一緒でよかったなぁ」という言葉が、なんか、嬉しかった。私もそう思ってきたけれど、何せ私は一つの仕事を任されるのは初めてだし、段取りやペースもばらつきがちだし、なんだかあまりうまく進められていないと自己嫌悪になったり、でも初めてだし誰も教えてくれないし仕方がないよねーってちょっと投げやりになったりしたこともあったし、手探り状態の進め方できたので、相手がそう思っているとはあんまり思ってなかった。一緒に仕事した人に「あのときはきつかったけど楽しかった」「一緒に仕事できてよかった」って言われることは、仕事をきちんとやり遂げるのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、私にとっては大事。どんなにきちんとやり遂げても、一緒にやる人にもう二度とやりたくない、と言われるんだったら、何かが違うんじゃないかなと思う。今回は思いがけず当人から聞けたけど、今まで私とやった人達にどうだった?と聞きたい気もする・・・・けど怖いね。いつか聞けたらいいなぁ。お世辞やおべっかじゃなくて、本当にそう思ってもらえてたら、いいだろうなぁ。
 今日思ったのは、物理的にどうしても、どうしようもないことって、確かに世の中にあるけれど、人は自分の心持ち次第で変えられる精神を内に抱えていて、そのコントロールは自分自身で出来るんだから、せめてその部分は楽観的でいたいなーということ。社会人になって、そういうの、すごく実感することが多くって、実際そういう風に考え行動してたら、身の回り、好転することって結構多かった気がする。経験上。17日の日記にもあるけれど”ものごとは「ちょうどよく」進むようになっている”んだなぁと思うことが最近多い。巡り合わせや流れっていうのが、なんかしら、ある。予定調和みたいなのって、結構信じるんですわたし。
 不遇な時には不遇な理由がある。実らない不遇はないはずなんだって、思って、いろいろ頑張ってこーと思うんです。それか、もしくは不遇を不遇とも思わないあっけらかんとした楽観。不遇を不遇と思ってそれになにくそと対抗するのもありだし、その結果好転することはもちろんあると思う。それはそれで、自分で決めたことに対してあとには引けないプライドがあれば、頑張れるし、その結果好転するってことも当然あって、そういう処し方も人によってはあるでしょう。でもあたしは不遇を不遇と思わないあっけらかんタイプです。なんだいーじゃんこんなの、そのうちなんとかなるよ、今はこれが自分にとっての流れなんだから受け止めるよって、思う派みたいです。これも両親から学んだ、人生哲学なのかも。そう思うと、なんかあたしって幸せなんだなぁ。つくづく思う。そして今日また一つ増えた座右の銘。「柔軟性のあるマイペース」
 さ、明日も仕事はかどりますように。
2002/09/21 (土) 4:25:19 へれへれ2
 [ 9/20/(金) ] 9時半ごろ会社を出て、先輩と後輩を自宅まで送っていくことに。その道中、なんだかご飯食べたくなってファミレスへそのまま3人でなだれこんだ。先輩は私よりみっつ上の女性、後輩は私よりみっつ下の男。妙な3人組。それぞれの年代、それぞれの性別によって話にギャップがあるはずなのに、全然会話がとまらなくて、3人で2時半まで喋ってた。何をそんなに話したんだか。会社の話はもちろんしたけれど、そればかりではない。ひとえに後輩のしゃべり上手っぷりからくる、話題の尽きなさだった気がする。よく考えるとすごい奴だ・・・。それにしても、明日出勤だというのに何時まで遊んでんのか私。明日は12時から行こうっと。
2002/09/20 (金) 1:40:30 へれへれ
 [ 9/19/(木) ] 久しぶりに0時越えを記録。5ヶ月ぶりくらいで、ちょっとよれよれ。朝から飲食禁止の状態で健康診断。採血したんだけど、なんと中指くらいの長さの試験管?みたいなやつに3本も抜かれた!!!くらくらした。その状態で仕事で日付越えって。信じられん。なので日記は断念。いっぱいいっぱいのことよ。
2002/09/18 (水) 23:39:53 満身の一瞬で向かってきた
 電話もメールも実際相手を目の前にして話しかける時も、あたしいつも満身だったなー。と思う。行動に移す直前は、不安とかなしさとうれしさとなんとも言えないむずむず感。一番ひどい、自虐的な返答を予測しておいてこころに保険をかける。それよりちょっと上等な返答だと、それだけでもうこころいっぱいに嬉しいもんだった。あの人はそんなこと知らないんでしょうけど。というか、この気持ちあたし以上に分かる人なんていないから知らなくて当然なんだけど。たとえ知ったとしても嬉しく思ってもらえないんだろう、苦い思いをさせるんだろうなーとさえ思ってたから。そんなあたしは、自分を通じて、人が、からだいっぱい、こころいっぱいで行動するかもしれないことを知っている。それによってあたしの、男の人を見る目、というか行動・しぐさ・その他色々について許容する幅というのはとても大きくなったと思う。難しかったからそうなったんだろうな。ちょっとだけそう思った。
 夏期休暇から帰ってきたら仕事が変わりかけていた。たった3日会社に行かなかっただけでこんなに変化激しいとは、なんと恐ろしいところだ。というか、上としては、今の仕事と同時進行させたいのかな?意味不明。は?何ですと?今、何と申された?と、はてなの連続。とうとうまわってきた提案書。んー。何がどうなるのか。ボーっとしていたら自分がボロボロになるのは見えてる気がする。何をすべきか考えなければ。あーあどうしよう。今日はとても気分が落ち込んで、愚痴も多くなってイライラしていたんだけど。なぜか好きな人に電話やメールで話したいという気は起きなかった。3月の大変な時はすごくその思い強かったんだけど。もうそういうことをして気に掛けて欲しいと思うような余裕さえないというか。そこまで頭がまわらなかった。いっぱいいっぱいだった。きっと以前は話して頼ってそれで優しくして貰いたいって気持ちがあったんでしょう。まーそれでもいつものれんに腕押しで優しくしてもらった覚えなんてほとんどないけれど。(ああ、イタタタタ)なんというか。メールしたり電話したり頼っているうちはまだ余裕があるんだろうなと思った。本当いっぱいいっぱいだったらきっとひとりでダメになってる。そんな気がした。とりあえず、頼らなくても優しくされなくてもその人が絶対こっち向いてくれないて分かってても、ただその存在が好きだって2年近くも思え続けてきたという、この自分の気持ちがよう分からん。そんなのあり得るのかなぁ?と思える今日この頃。ちょっと笑っちゃうね。
2002/09/17 (火) 22:28:18 何かが自分の背中を押す、そんな時が私にも来るのでしょうか
 日常世界への帰国。10時半過ぎにくりおさんが夜勤から帰宅。ちょっとボーっとしたのち、くりおさんちへお別れを告げ、くりおさんと二人で11時半ごろに名古屋空港へ向けて出発。4時間見とけば大丈夫カナーということで。ドライブ。23号線をひたすらまっすぐ進む。津、鈴鹿、四日市を経て名古屋へ。総計3時間半ほどかかりました。雨が降っていて渋滞もあったので間に合うかなーと不安な時もありましたが着いてみたらちょうど良かった。家を出る時間が、私がぐずぐずしていたので少し遅れたし、途中一度、マクドナルドに寄って食べ物を買ったりしたのに、着いてみればちょうど良いなんて。早すぎず遅すぎずで、びっくりした。子供じみた発想だけれど、ものごとは「ちょうどよく」進むようになっているのかなって、思いました。
 3時間半かけて三重から名古屋まで行ったのに、名古屋→熊本間は、1時間10分・・・飛行機ってすごいなぁと思う。毎回思うけど、よくあんなのが飛ぶよね。何となく、落ちても文句が言えないような気がする。まー商売に出来るほどの技術と信頼をチケットとして買って乗ってるわけだから安全の保証はしてもらいたいけど。でもあんな不確かな乗り物に乗ってる人間も肝が太いといえばそうなんじゃないかなと思った。無事に家に着けてよかった。
 親が空港まで迎えに来てくれたので私が蒼カーゴを運転して帰りがけ、家の前のショッピングセンターに寄った。そこで会社の姉さん肌のバイトさんと出会う。なんかなにやら、会社がすごいことになっているらしい。一体なんなんだか。ちょっと呆れた。何がしたいのか。ちょっとおかしいんじゃないでしょうか。アホらしくて会社に行くのが少し憂鬱になった。でもまぁ・・・なんとかなるっていうか、なんとかしなくちゃっていうか。とりあえずは、2,3,4月の怒濤の頃を思い出して、踏ん張りたい。あの時期以来、その時以上に酷いようなら、去ってもいいという自分にハードルを掲げています。自分にも他人にもこの先何があるかなんて誰もしらないんだし、なにか起こるならそれはとりあえず、手にとってみなくてはね。はーでも明日、私の身に何がふりかかるのかな。こわいなぁ・・・。
2002/09/17 (火) 1:04:11 ひとり自分を見つめたとき確固たる意思があるか
 今日は一日ひとりぼち。くりおさんの帰りを待ちつつ、過ごす日でした。朝8時前にくりおさんが出ていったのですが 私は11時ごろ起床。机の上にくりおメモがある。だらしなーい私に対して優しいお言葉。ちょっとシューンとちいさくなる。 お昼ご飯と朝ご飯をかねて、昨日コンビニで買っておいたインスタントあさりスープと天むすを食べる。 あとはぼーっとテレビを見ながら雑誌読んだりごそごそしたり。なんかこのまま一日ゴロゴロしてても勿体無い 気がしたので、本屋に出かけた。行って楽しい見て楽しい、ヴィレッジへ出かける。土曜日行ったときは 人がまばらで見やすかったんだけど今日はやたら人が多くて居心地が悪かった。ウロウロブラブラして 1時間半くらいそこにいました。その後、夜ご飯の買い出し。くりおさんが7時頃に帰ってきて、引き続き 夜の11時半ごろには夜勤に出かけてしまうので、帰ってきたときにご飯を用意しとこうと思って妙に張り切る。
 なぜか、すっごくカボチャかナスが食べたかったので売り場で素材を物色。そこで、おつとめ品のカボチャ 1/4カット60円を手に入れた。良いカボチャが手に入ったのでナスは今回はパス。主食はまたパスタにしようと 思っていたので、葉っぱ付きの小さなかぶを購入。持って帰って早速調理♪カボチャはふつーにふかし?てしょう油と砂糖と みりんあたりで味付けして和風にしようかなーと思っていたのだけど、皮をむいてる途中に突然カボチャスープが 飲みたくなった!ということで細切れにしてゆでて牛乳を入れて塩で味付けして、おとといのご飯であまっていた アルトバイエルンのウィンナーを小さく切って入れて、カボチャスープ完成。 パスタは、またしても冷製。トマトと、かぶと、かぶの葉っぱと、粉チーズをまぜまぜしてソースを作る。味付けは塩。 おととい解凍しっぱなしの鮭があってそれも早く使ったほうがいいかなーと思ったので具にしようと思ったんだけど 炒めるための油が見つからなかったのでマヨネーズであえてからフライパンで炒めてみた。マヨネーズって なかなか使える・・・美味しく炒められました。
 くりおさんが帰ってきたときにちょうど全品が揃ったところで。なんて良いタイミング!パスタにちょっと塩味が 足りなかったけれどふたりで美味しくいただきました。んー。久しぶりに料理していて思ったけれど、 料理って、ひとりでする分には、材料も器具も時間も全部が自分の支配下で好きなように自分勝手にやれるから 楽しいかも。とはいえ、時間がないとする気が起きないのは確かですが・・・・。実家に帰ったらまた全部を 甘えちゃうんだろうけど。なんとなく、ひとり暮ししても、ご飯の面では困らないかなーという予感。 まぁひとり暮しする予定はないんだけどもね。ははは。確実に言えるのは掃除より料理が好きだ!ってこと。 こんなあたしは良い奥さんにはなれません。
 さて明日はもう熊本に帰る日です。あーーー現実と日常には、やはり立ち向かわないといけないわけね。 はいはいやりますよ。やったろうじゃないの。しのごの言うな。胸張って顎上向けて真っ直ぐ見据えて やったります。今回、勝手にくりおさんの日常に転がり込んで、くりおさんワールドの中でいいなと思ったもの、 あたしもこういう風なものに興味あるんだって気付かされたもの、あった。新しい発見でした。 さらには、ちょっとぼーっとする時間なんかあって、考えたこと。あたしは、あたしのことを必要としてくれる人に 優しくすべきであって、そうでない人に何かを求める必要はないということ。その価値を判断すべきだということ。 あたしは、あたし自身そのものをすっぴんとして捉えたときに、あたしはこうだって言えるものを持っていたいということ。 そのために前に進む義務が自分に対してあるんだってこと。そのための原動力は他人でなくて自分であるべきだということ。 そして周りの人たちの中で、そんな風に考える人のことが好きだということ。そういう人と繋がっていたいということ。
 友達でも、好きな人でも、上司でも、後輩でも、とにかく人間関係を築くに際して今まで無意識に私が行ってきた行動パターンの解析をしてみた。 まず一つ。基本的に、繋がりたいと思う人について、これはもう自分から繋がろうとする。必死で。待たない。行く。 繋がりたいと思う人にから拒まれないのであれば、それは私のことを受け入れて認めてくれているということ。 それはありがたく嬉しい。その事実は自分で行動し獲得したもの。自分に人間的魅力があるからとまではいかなくとも、自分への自信に繋がります。 自分が繋がりたいと思う人について、繋がろうとしても拒まれた場合。これが一番難しいと思うけれど。 自分が人間的魅力を感じた人から、自分には魅力を感じてもらえないということは、価値観が違うのかもしれないから なんとも言えない。そういう場合は黙って引き下がるか、自分の価値を少しでも認めてもらうために精進するか。 たいていの場合は逆切れして、自分のことをわからない相手をけなして終わりなんでしょうけど。 自分が価値を見出した人のことをけなすということは、自分の見る目をも疑うことになる。賢明ならやはり精進するに限ると思う。 そうすれば、自分では思ってもみない理由(誰かに認めてもらえなかったこと)によって成長することになる。
 次に、特に繋がりたいと思えない人について、向こうから繋がろうとしてくる場合はその可能性を考慮して繋がってみるということ。 案外面白い繋がりが生まれたりする。この場合は自分に見る目が無かったということに気付いて、そのことに気付いたことによって自分は成長します。 反対に自分が繋がりたいと思えない、魅力も得るところもないと考える人について、向こうから繋がろうとしてこない場合は私にとっては必要がないということ。 接触しない。自分も相手も必要ないと考えている、価値観が違うということに関してものすごくマッチしているということかなぁ。それまでです。
 そんな風に。常にどういう場合でも、人付き合いする上で、マイナスになるということは私にはありえない。と勝手な考え方に基づいて、考えている。 誰かを知るたびに味方に、頼り強く、優しく、楽しく、いろんな方向に成長したいなーと思う。 類は友を呼ぶという。あなたと繋がれて本当に良かったー、と言える相手をたくさん持ちたいし、自分もそう思われたい。 そう思って人付き合いをしています。
2002/09/15 (土) 23:54:21 楽しい時間と密度の関係
 昨日は3時ごろ就寝。本棚を見てまったく趣味の合う!と驚いたくりおさん所蔵の絵本があったのですが、 絵本好きなら多分知ってると思うのだけれど、がまくんとかえるくんの物語。小学校の教科書なんかに 載っているのですが、やけにシュールで難しい童話。この本は本屋で立ち読みしたことは あって、いつか買おうと思っていたのだけれどいまだに買っていなかった本。くりおさんちの本棚を見たら 4冊が、ちょこんと鎮座しているのを見てついつい「わーっ!これって!」と嬌声をあげてしまいました。 昨夜はこれを読んでいたらいつのまにか眠ってしまっていた。何て贅沢!”本を読みながら電気も つけっぱなしでいつのまにかガクッとなり、朝気持ちよく目覚めたら本が枕の横に落ちている”というような シチュエーションって私にとって最高に贅沢なものなのです。中学・高校・大学時代はいつもそうだったなー。 贅沢な日々でした。そして今はその暑くもなく寒くもなく、このシチュエーションをベストな状態で 味わえる良い季節なんです。そんなわけで、夏休み中であること、旅先であることを除いても今日の目覚めはかなり幸せでした。
 お昼12時過ぎ出発でくりおさんの実家へ。車で走っている間いろいろと村の解説してくれて、それがまた 楽しい時間。どんどん森が濃くなってきて「あー深い」ってかんじになってくる。なんかよくわからないけど そんな感じ。熊本でもよく山へのドライブ、水源やら峡谷やらに行くのが好きな私ですが、その、私にとっては ドライブ先にある非日常、誰か知らない人の日常、としか思えなかった深い山の中の村の家ってのが、 知り合いの家で、そこに行けるってのは本当にわくわくするような。くりおさんにとっては日常というか生まれ育って きた郷なわけで、そこに行ってみたいーっていうのはハタから見たら都会(?というほど都会モンではないが・・・)で育った 者のおごりみたいに思えるかもしれないけど、でもなんだか、本当に行って見たかった、のです。 最終的に帰るところが田舎にある人ってのは、いいことだなぁと前から思っていた。 私だって、世の大多数の大都市に住む人たちから見れば九州の田舎モンですが、いわゆる 望郷の念が起こるような意味での”田舎”ではありえないなぁ今住んでいるところは。 ということで、なんとなく、そういうものに憧れがあるという気持ちで私は今回行かせていただきました。 おかあさんもおとうさんも、楽しく優しかったです。行ってよかったーー♪楽しかったです。
 そういえばその村に流れる川は日本でいちばん水がきれいな川っていう証明?をもらったらしい。 その川でちょっとバチャバチャしたりしてきれいさを味わってきました。冷たくてあおくてほんときれいだった。 で松阪に帰ってきて名古屋とその周辺県一帯にフランチャイズ経営をしている”コメダ珈琲”というところへ 連れてってもらいました。そこのシロ・ノワールっていうメニューを食べて欲しくて、と言ってくれて。 食べた。美味しかった!メイプルシロップの染み込んだ温かいパンケーキの上に美味しいバニラソフトクリームが のってるというメニューです。何かの雑誌で、スピッツのマサムネさんが「ライブで名古屋に来たらこれを食べる!」 と語っていたらしいとくりおさんから聞いていたのですが、帰り際ふとレジを見たら、その記事がレジに パウチして張ってあった!(笑)んーでもほんと、マサムネさんが言わなくてもこれはすごく美味しい! 名物らしいので、名古屋近辺に行くときにはぜひコメダ珈琲のシロ・ノワールを食べてみてください。
 明日はくりおさんが日勤(朝8時ごろ〜6時ごろ)で、夜勤(夜11時ごろ〜翌5時ごろ)のため、私はほぼ 丸一日お留守番!!!昨日9時間ほどひとりぼちだっただけでも携帯メールを尋常でない数、いろんな人に 送りまくっていたというのに明日はどうするというのか・・・・。幸い、車を使っていいよーといってくれるので その言葉に甘えて一人ぷらぷらしようと思います。ヴィレッジに行っちゃおうかなー。というか、くりおさんが 夜勤から帰ってきたら私は車で空港まで送ってもらって自宅に帰るんだよね・・・。5泊と思ってのんびり していたけどあっという間だった(@_@)あ、あっという間とはいえ、なんだか名古屋城に行ったのは もうずいぶん前のことのようです・・・・あっという間というのは、2週間分くらいの日々をたった5日で濃く過ごした という意味でのあっという間なのかなーと思います。それは、言いかえれば楽しかった!ってこと。 んー、楽しめた自分が、嬉しいな。残りあとちょっとだけど、よろしくお願いします。
2002/09/15 (土) 1:014:26 考えるのって行動するのと全然違うようで、すごく似てる
 [9/14/(土)]   今日は10時過ぎに起床。くりおさんは午後3時から夜勤のため、それまでちょっと近くをぶらぶら。 ヴィレッジヴァンガードという本屋さんへ行く。こないだ、たまたま熊本のショッピングセンターで入った 本屋さんがすごく良かったと思っていたんだけどどうやらそれがヴィレッジヴァンガードだったらしくて、 それが名古屋発の本屋さんだということを知って驚く!全国展開の営業を行っているようです。 皆さんもご存知?いいよね!ヴィレッジ!
 こんな旅先で本を買ってどーすんねん!て感じなんだけど、藤原薫のマンガを買った。 この人の小説は、なーんか、独特で、好きなんです。買ってしまうのです。ゴシックっていうか とにかく好いんだよなー。てことで、もし重かったら郵送しようと思う。
 2時ごろ家に帰ってきてお昼ご飯はサラダスパゲティ♪トマトのみじん切りと粉チーズを混ぜて 塩で味付けしたソースを冷やしたパスタにかける。トッピングはツナとレタス。これがすーごく美味しくて しかもかなりお手軽だった。初めて作ってみたけど、また今度作ってみようと思う。 冷やしたパスタがお好きならオススメですよーこのレシピ。
 3時になりくりおさんが出勤。なんか、ひとりぽつんと残された飼い犬のような気分に・・・とほほ。 とりあえず読むもの、聴くものには困らないので、それを満喫しようと決意。ゴロゴロしながら おもしろおしゃれな雑誌、本を眺めて、くりおさんの所蔵CDをかけてすごい優雅に過ごしてみた。 あっというまに夕方になって、おなかがすいたからご飯をつくる。高菜チャーハンを作ろうと思った のだけど、なんか高菜から塩が抜けておらずしょっぱかったので甘みが欲しいなーと思い いり卵を混ぜることをおもいつく。ついでに昨日のスープに使った残りのウィンナーを 細切れにして入れてみた。卵と高菜て!とちょっと自分でも挑戦だったけどなかなか美味しいものが できました。行き当たりばったりって結構当たるもんね。
 それを食べながらテレビを見て本を読んでだらだらしてたら10時半すぎていた。 お風呂に入って上がってまたテレビ見てゴロゴロしてたらいつの間にやら12時。 あらあらと思ってカルアミルクを作って飲みながら日記の更新しようと思ってパソコンを 立ち上げてこれを書いてたらくりおさんがお仕事から帰ってきた。
 んー。これ読むだけで・・・・自堕落っぷりがわかります。お世話だけかけてますくりおさん。 あと少しよろしくね。それにしても、くりおさんが3時にでかけて後、友達に送った携帯メールの量が 半端じゃなかった・・・・やっぱり淋しかったのかなー?明日はくりおさんの実家、宮川村という ところへいってきます。トトロに出てくるようなすごく素敵な村。楽しみです。
 ひとことを下さったお二人の方へ。ありがとうございます。メールのお返事、今はちょっと旅先なので 出せないですが、ちゃんと読ませていただき、考えさせられた部分もありました。 読んでる人がいるんだなーという意味では嬉しかったです。またいずれ余裕のあるときに お返事でも書きたいと思います。でももし忘れてそうだったら催促してください(って・・・)
2002/09/14 (土) 0:08:16 カタを付けるのが怖いから、逃げてきただけ
 [9/13/(金)]   それをちょっと実感。まぁいいや。時には必要。逃げ腰、及び腰、あとずさり。
 朝8時頃起きて、10時前にチェックアウト。金山にあるくりおさんオススメの、 名古屋ボストン美術館へ行った。 名古屋ボストンて!眉唾!?って思うかもしれないけど、これはウソはったりではないですよ。米国ボストン美術館と姉妹美術館なんですって。 そんな制度?があるとは知らなかったから、ちょっとびっくり。見に行ってまたびっくり。常設展示しか見なかったけれどすごい展示品でした。 この品がここにある(ボストンから借り受けている?)ということは、ボストンの人達はこれを見れないということだと思う。 なんかすごいもんがあるんだなーって、ほけーっとしながら見ました。1時間半くらいほぼ沈黙で、二人でゆっくりじっくり鑑賞しました。 美術館ってあの独特な空間がいいなー。全体が薄暗くて、光を浴びてるのは、動いてる人間でなく、時の止まった展示品たちだけ。 ひさびさの感じ。おもしろかったです。
 そのあとは矢場町というところのパルコに行って昼ご飯。中華でした。ご飯後タワレコをちょっと見て今度は大須観音というところの 古着屋さん街をウロウロ。古着は気に入ったのが見つからなかったけど、古着じゃなくてもいろいろと安いものがあって 気に入ったニットのベストを購入。おおー荷物が増えた。でも可愛いからいいんだ。
 そんなこんなでいっぱい名古屋を満喫しました。今日からはしばらくくりおさんの家に厄介になります。ということで 名古屋駅へ戻って三重の松阪へ向かう。JRで1時間くらい。夕方5時前にはついた。しばしボーっとして夜ご飯の材料を買い出しに。 阿蘇高菜をお土産に買って行ったので、それでチャーハンを作り、あとは春雨のスープが食べたいなーと思いつく。 お酒も買って、おつまみもちょろちょろ買って、帰宅。美味しいご飯ができました。んー。美味しかった。
 ご飯の材料ついでに雑誌なんか買ってきて、人のうちで悠悠自適に暮らそうとしている私。ずうずうしいです。くりおさんが 仕事から帰ってくるときにはご飯を作って起きて待っているような、献身くらいはしたいなーと思う(笑)でも出来なかったらごめん。 明日は昼3時からくりおさんが準夜勤。すこしさみしー。
2002/09/14 (土) 0:08:16 いらないものを片付けたら、そのときが旅に出るとき
 [9/12/(木)]  朝9時半自宅出発で名古屋へ向けてGOでした。機内のラジオ放送は何があるかなーと思ってみてみたらマイラバが新曲を出していた。 それを聞いたらもうあとは聴きたいのもなかったので、全日空寄席のチャンネルにかえて、あとは寝た。いや、寝たかったから寄席を聞いたという わけではなくて、ほんとは起きて聴く気満々だったのですよ、寄席。ただ、今回は寝ちゃったというだけで。前はどこかからの帰り道、寄席をきいて ひとりで笑っていたしね。若年寄な蒼でございます。
 すごく寝入っていたようで、地面に車輪が着いたときに、やっと起きた。コンソメスープをもらって飲んだらひたすら寝ていたようです。 1時過ぎ。空港に着いたら、くりおさんが迎えに来てくれていた。ありがとおーー(T_T)名古屋ははじめて降り立った地だったしちょっと心細かったので 嬉しかったです。1年半ぶりの再会。くりおさんはちーとも変わっておらず、相変わらずなかんじ。嬉しいなぁー。以前は熊本に来てもらったね。 今回はお世話になります。
 小牧空港から名古屋駅まではバスで30分くらい。駅に着いたら森作品でちょっと気になっていたナナちゃん人形を見に。 スタイル良いんだか悪いんだか。今回はちょうどオフシーズン?で何もお洋服を召してらっしゃいませんでした。 のっぺりとした白い巨大マネキン。んーでも頭が駅の天井につかえてそうだったなー。一応名物?というか待ち合わせ場所とかに なっているらしいですね。おもしろかった。
 そうそう、名古屋駅前の8階建てくらいのビルの窓に、窓ひとつ1文字の割合で、ジョン・レノンのイマジンの歌詞が張り出してあった。 ちょっと異様だったけれど、ああー、9.11への願いというか、そういうのね、ってちょっとじんとしました。考えた人とそれに賛同した人達、 そして行動に移すことを許したビルの偉い人(?)みんなの心がおっきい気がした。すごいなー。
 それから名古屋、丸の内にパックで取っていたホテルに荷物を置いて、名古屋城へ。金のしゃちほこを見たかった。 お城を見たかった。ちょっと時間が無くて城内には入れなかったけれど、真下までは行けました。お城ってやっぱりすごいよねー。 名古屋城は熊本城と比べてちょっとこじんまりしていた。わかんない。私にはやっぱり熊本城がいちばん格好良いと思えた。 身内バカっぽいけど(笑)男らしいんだよ熊本城!やはり私は九州女なのか・・・他の地域の観光地において 自分のアイデンティティを垣間見た一瞬でした。そんなんあるから旅っていいね♪
 6時ごろホテルに帰って(もぐりこみ、友達と二人で泊まったのです)2時間くらい居眠りしたりうだうだしたりして、 そのあとホテル近くの居酒屋へ行き夜ご飯を食べた。美味しかったです。夜は二人で12時半ごろ寝た。 けど暑かったりトイレた近かったり寝つきが悪くて結局私が寝たのは4時半過ぎでした。
2002/09/12 (木) 1:28:13 悩める日常へは、しばしさようなら
 [9/11/(水)] 12時まで仕事してた。しかし明日から夏休み。名古屋へ降り立ち、三重へいってきます。あーん何も準備してない!ちなみに可能ならば日記の更新、旅先でもします。多分できるかなー。明日はホテルだから無理ですが。メールチェックもオッケーなので今まで通りです。それではこれにて。
2002/09/10 (火) 23:33:00 優しくされることに慣れてると傲慢な弱さに負けることがある
 自分が人にどう思われているか、どう見えているかということを気にするあまりの弱さってものがあたしは嫌い。それは自分で自分を信じれない弱さだから。自分を信じれない人がどうして他人を、あたしを信じてくれるんだろう。きっと自分を疑う以上に他人を疑うはずなのです。「信じるということは他人への期待ではない、自分への決意だ」って、あたしの好きなポストカード作家の言葉。これが全て。自分のことも他人のことも、信じるという根本は一つ。結局は自分なのだと思う。ひとまず私は何をおいても自分を信じてる。それだけは確か。それで、なんとかやってゆくよ。
 ああ、たくさんやりたいこと、行きたいとこ、話したいこと、見たいこと、あるなあ。シーズンを過ぎて途方に暮れてたたずんでるみたいな、海を見に行きたい。茶色く色を失っていく草原を見に山へ行きたい。高いテラスで木にかこまれてご飯を食べる、美術館の喫茶店に行きたい。自分の知らない土地の空で、夕焼けを見たい。ひとかじりのパンとホットミルクティーをかたわらに、一日中部屋に閉じこもって、積みっぱなしの本を読みたい。どんどん高くなってゆく昼の空、夜の空、車に乗って、空気のきれいなところで見上げたい。誰にも声をかけられずに、誰にも邪魔をされずに、じっとうずくまって考え事もしてみたい。温泉に入って、お風呂上がりにお酒を飲んでいい気持ちになって、畳でゴロゴロしたい。思いついたときに何かを食べ、飲み、寝て、無駄に部屋の中で一日を過ごしてみたい。そんな野望。この秋冬、ひとつずつ叶えてこうかな。
2002/09/09 (月) 23:23:43 あなたのその目を誰よりも追ってたのは
報われないあたしだから あたしだから
「相合傘(汗かきMix)」 aiko
 土曜に立ち読みした音楽誌「ロッキンオンジャパン」aikoが表紙のやつ。1年以上ぶりの新作ということでロングインタビュー。写真も妖しいかんじの、やらしいかんじの、なんだか匂い立つような、浴衣のサービス。インタビュー読んでて、心臓がしと鷲掴みにされた部分。相合傘のところでした。この曲について語ってる部分。分かる、というよりそのまんま。あたし。これ、あたしだって思った。あたしもこんな風な想いに2年近くずっと蝕まれてんだ、って思った。ほんとうに、ほんとうにまんま自分の気持ちとおんなじだったからびっくりしたというよりは、自分の気持ちこんなとこにかたちになって落ちてたんだーって、途方に暮れたかんじでした。相合傘をカップリングで初めて聴いたときから好きだった。けど今回、上の2行が加筆してあったなんて気付かなかったなぁー。なんというか、この詞は曲の中に、あんまりにもしっくりきすぎていたから。そうなんだー。加筆だったのか。シングル集のCDなくしちゃって、かなり長い間聴いてないから、忘れちゃってました。
 それにしても、aiko、アルバムもシングルも全部音源持ってて、随分ヘビーローテで聞いたし、想いの強さも哀しさも喜びも、だいたい感じ方が似てるなーって思ってたけど、まさかここまでとは。インタビューの言葉、完璧には覚えていないのでここには書かないけれど。ロッキンオンジャパン買ったらまた紹介しようと思います。このインタビュー読んで思った。あたしはaikoというアーティスト自身がきわめて好きです。単に見かけや声が好きだとか理想なんだとかそういう憧れのようなのでなく、人の心のなかの痛いもの、見たくないような哀しいもの、利己的な部分、犠牲的な部分、かわいさ、いとおしさ、切なさなんかを、優しく、時には手厳しく、彼女自身をさらけ出すようにして、印象的な言葉でありありとあたしの目の前に突きつけてくれる歌うたいとして。ほんとうに、大好き。これからもいっぱい、彼女の心の丈を自分のものと照らし合わせて笑ったり泣いたりしながら聴きたいなぁと思う。3歳年上で、いわば同年代。ずっとずっと頑張って欲しいアーティストです。
2002/09/08 (日) 23:31:13 一度出会ったら、人は人をうしなわない
「神様のボート」江國香織
 先週水曜に買って半分読んでた神様のボートを昨夜、一気に読了。んー。江國香織の作品は、私は物語としてはいつもそれほど面白いとは思わないのですが、ひらがなの使い方や、ところどころにぽつりぽつりと落ちているきれいな文章を拾ってそれを自分の中に刻みたいという想いから時々読みたくなります。私にとって江國作品を読む行為は、道に落ちているこんぺいとうを一つずつ拾ってポケットにしまいこむイメージ。一作品読めば、2,3個は拾える確信があるから、疑わずに購入できるんです。私が読んだ江國作品の登場人物たちの恋愛は、もれなく痛々しい。たとえ彼らが幸せな恋愛をしていたとしてさえ、痛々しい。江國作品を読むと「誰かを好きになるという感情の動きそのものの幸不幸と、その相手とどうこうなるという結果の幸不幸は、まったく別のものなのかもしれない」と思わされます。江國作品登場人物の誰かを好きでいる想いは、それはもう壮絶なまでに孤独で、強いので、時々その果てしなさに哀しくなるほどです。幸せな作品を読んでいてもそうなる。江國作品、その登場人物たちは、自分でない誰かを好きになることの孤独をいつも抱えているので、いつも、どこか哀しい。でもその孤独さと凛とした強さが私は好きだな。その孤独を怖がらないで、自分のおもうまま自然体で過ごしてる様子は、読んでいて幸せにおもうのです。今回拾ったこんぺいとうたちを以下に。
 あのひとは、どんなお酒もきれいな動作で、すうっとしずかに身体に入れた。私はその液体があのひとの喉や胸を通り、胃にまっすぐおちるところを想像したものだ。きっと正しい栄養になる。あのひとはそういう風にお酒をのんだ。
 たとえばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる。あのひとがいたら何と言うか、あのひとがいたらどうするか。それだけで私はずいぶんたすけられてきた。それだけで私は勇気がわいて、ひとりでそれをすることができた。
 いい。特に上の方のくだりが好きです。素敵な視点。いいなぁ。こういう視点は、無意識に私も持っていたようで、ここを読んだとき、妙に納得してしまった。こんなふうな感じ方。ある。たぶん男の人たちはそういうのを考えないから知らないだけで、女の人たちはとてもいろんな事を考えているものなのです。みんな、口に出さない、かたちにしないだけで。そう思っていることに自分でも気付かないだけでこういう場面でハッとさせられるものなんだと思う。何かを読んだり見たり聞いたりして感動するってことは多分自分の感情の再発見なんだとおもう。「こんなところに感動するんだ」っていう風に、自分の感動点を知る。そして自分の中にある設計書みたいなのを修正してゆく。そのためにもやっぱり本は読んでいきたいなぁーとおもう。そのためにも、色んな人と知り合って、自分より年下の人、自分より年上の人、怖がらずに誰ともたくさん話して、たくさん考え方知る。そやって、すこしずつ成長したいなぁ。
2002/09/08 (日) 17:27:32 *****
 [ 9/7/(土) ] 11時前ごろ、もそっと起きる。7時過ぎごろ彼氏さんがごそごそ起きて準備して仕事に行っていたのをぼんやりと思い出しながらコーヒーを頂いてまったり。朝起きて隣の部屋見てみたら「うおっなんか小動物が一匹増えとる!(=□=)」て思われただろうなー、ごめんなさい彼氏さん。ぼけーっとTV見て1時頃、近くのショッピングセンターに行こうということになってふたりでぶらぶらり。本屋行ったり、家電やさんうろうろしたり、家具を見たり、お金を使わずにかなり楽しんで、気がついたら5時を過ぎていて、おお!ってかんじ。意味もなくブラブラしていて、でもかなり充実感でおもしろかった。帰り道「不思議だねぇー、こんな一緒におっても嫌にならんし飽きんし疲れんし。ちょっとした恋人同士だね(笑)」というはなしになった。「合うんだよね結局、お互いにマッチする人間的魅力ってやつがあるんだよー」って。笑える。そうゆう友達がいるのはいいことだ。そういう言葉をあちらからもらえたのは嬉しかった。なんだろうー、そんな大事なの、嬉しい。でもそれはいつか絶対なくなってしまうものだって知ってるからかな。楽しいって思えば思うほど淋しい。それしかないわけではないけどね。かたちあるものはこわれるし、楽しいことにも終わりはくる、同じ状態はいつまでも続かない。んー生きることの命題ですね。
2002/09/08 (日) 15:47:12 *****
 [ 9/6/(金) ] 久しぶり11時過ぎまで仕事。今日までと言われていたものにケリをつけられずに終わってしまう。一緒にやってる人にも多少めいわく。残っていたのは女子3人。疲れ切って、ぐったり帰る。他の二人は駐車場に行くための終電はなくなっていたので、歩いて取りに行ける距離の私が車で二人を駐車場まで送っていった。時間は12時頃。ひとりは帰り、あとひとりと一緒にご飯に行った。結局1時半ごろになってそのままその子のうちに泊まりにいく。んーーーかなり頻繁に行ってるなぁー。彼氏さんは翌日仕事なのでもう寝ていた。結局5時ごろまで色々話して、話疲れて寝た。女の子同士だなぁと思った夜。
2002/09/06 (金) 1:03:01 わかってる
 [ 9/5/(木) ] くどすぎるんです、重すぎるんです。全部強がりなんです。でもここで考えてるようなこと、そのまま生活に表したりしてないですから。大丈夫です。一応、色んな適応は上手なほうだと自負しているので。大なり小なり、人を好きになれば誰でもこんな風に考え込むんじゃないかなと思っていたのですが、やはり私は人より比重が大きいのでしょうか。いつも読んでる方にびっくりされてしまった模様。純粋でもなんでもない。単に自分を励ましてるだけです。鎧です。殻です。はりぼてなんです。こんなに想いがあるから分かって欲しい、認めて欲しい、なんてことじゃない。それを本人に全部伝えてるわけでも伝えたいわけでもない。重いなんて思われたくないから、そんなのは現実世界では少ししか表してません。だって自分自身にも重すぎるくらいですから。そんなことはやりませんいくら私でも。ただ、ここで、私のこころ内側と外側が少し混ざり合ってるこのスペースで、自分にはそれがあるんだよねってことを自分自身に言い聞かせてるだけです。
 つまるところ、私がいなければ、私の思いがなければ、誰かにとってはすんなり物事が良い方向へ進んだんだろうなーということが自明なのだけど私はどうしても自分の強い思いを否定できないでいる、といった状況が自分にのしかかり非常に辛いわけです。そこを否定してしまえば、わたしは何もすがるものがなくなる。きっと誰が見ても明らかだと思うから関わってきた大事な友人達も私をそう見てるんだろうなと疑います。自分でそう考えることは、ひどく惨めで、とても醜い。もしかしたら好きな人にもそう(いなければよかったのにとか、何で好きになったんだよとか)思われてる可能性も否定できず。そんなのって哀しすぎます。なんだか混乱してるだけなんですけど。それで、やけに必要以上に自分を励ましちゃうんでしょう。結局は信じるも信じないも自分の心次第なんだけれど。今は自分以外、誰も信じられない時期で、そんな自分が嫌なんだけれど、自分のことは好きでいてあげたい。そんな自問自答の日々なんです。そして、こころはもう疲れて絞りきった。ほんとはもう誰にも会いたくないよ。しゃべりたくもないよ。何にも知らなかったころに戻りたい願望だけ。
2002/09/04 (水) 23:32:45 どんないいことも、たのしいことも、
すぎてしまえばかえってこない。
すぎたことは絶対変わらないもの。
いつもそこにあるのよ。
すぎたことだけが、確実に私たちのものなんだと思うわ。
 すぎたことはみんな箱のなかに入ってしまうから、絶対になくす心配がないの。すてきでしょう?「神様のボート」江國香織
 江國香織の小説は新潮文庫がよく似合う。高村薫の小説も、新潮文庫が一番映える。というのも、新潮文庫の書体は他社の文庫に比べて、一文字一文字、こころもちなめらかで繊細で日本語をきれいに見せてくれるからだと私は勝手に決めつけている。私が読む文庫で次に好きなのは創元推理文庫の書体。これも新潮文庫に近い文字。講談社は正方形に近い、かっちりしたイメージ。角川は・・・あんまり読まないから分からないけれど。そんなわけで私にとって江國香織と高村薫の小説を新潮文庫で読むということは、内容の良さに心揺れるのはもとより、文字そのもののうつくしさにも見とれてしまえるという一石二鳥の行為であって、単に本を読むという事実以上の幸せで楽しい行為なのです。今日は「神様のボート」を購入。読んでいて、私のこころにそっと撫で入ってきた文章を載せてみました。いいなぁ。
 あたしの優しさ、気遣いは、自分にその余裕さえあれば色んな場面で、色んな人に向けられるものだけれど、なかにはとても特別なものがあって、それはいつどんなときも、心の隅で動ける機会を待っている。他人に構うような余裕がなくても、きっとその部分だけは別のエネルギー供給源があるみたいに、なにを差し置いても、すぐに差し出す準備が出来ている。それはいつもいつも待機しているので、まるで自分の一部になってしまったみたいに、自分のなかに存在している。あたしは自分のなかで一番まっすぐなその存在を疑うことなく、信じている。それを見つけた、気づけたってことが、今のあたしのエネルギー源かなぁ。そういうのをあたしは確かに持ってるっていう自信。笑ったり泣いたり得たり失ったり、今、自分の身に起きている全部のことがそれに関わってきてる。何かに感動するときも誰かに幻滅するときも、基準はそこにある気がする。なんだろう・・・たとえ今の好きな人に嫌われてさえも、この大切な部分は傷つかない気がします。あたしにはこれがある。その自信でいつでも胸張って立ってられる。あたしの全部の色んな感情がここに収斂してるんだと思う。うーん、よく分からないけれど、意訳すると結局は自分のことを一番信じてるってだけなんだろう。おお、なんてわがままな・・・。
 とりあえず、こんな全部の自信を持ってあたしは好きな人も仕事も生きることも頑張ってる。ちょっとの笑顔とへらず口と思いやりとかなしさとせつなさ。そのくらいのものでしか、外の世界には表せないんだけど。ちっともつらくない。最近思うこと。ちゃんとハンカチ・ティッシュ持ってるかな、ごはんちゃんと食べてるかな、作ってあげたいな、しっかり寝てるのかな、体きつくないかな、どんな音楽聴いてるのかな、同じの聴いてもらって感想が聴きたいな、なに考えてるのかな、教えてほしいな、この空見てるかな、電話したいな・・・などなど。こころなか、こんだけいっぱい想いがあるって自分が知ってればいいや。いや、って、やはり自分が知ってるだけじゃだめなんだけど。あたしはしたいときにしたいことをする。動きたいように動いてそれを知ってくれて、少しでも嬉しく思ってくれたらそれでいいです。前のあたしなら、ほんとは会って、目を見るのだけでもすごく怖かったはずなのに、今はどうしてこんなに穏やかなんだろう。不思議です。達観かもしれない。
2002/09/03 (火) 23:32:45 Ob-La-Di,Ob-La-Da
 今朝はオブラディ・オブラダ(今、ホンダのステップワゴンのCMで流れてマス)を聞きながら出勤。オブラディ・オブラダってどういう意味かなぁー語呂が良いし可愛いし好きな言葉だなーとか色々考えてたら、いつもの右折車線に入るところをうっかり通り過ぎそうになった。時差式のおかげでなんとか右折車線に戻れてよかったー。もしそのまままっすぐ車線に行ってしまっていたら会社に着くのが30分は遅れたはず・・・よかったよかった。で、会社についてから早速検索。
 結果。「ナイジェリア周辺に在住するヨルバ族の言葉で"Life gose on"という意味です。つまり日本語では「人生は続く」という意味になります。」ふーん、そうだったのか。なんて素敵な言葉だろうなー。この言葉について朝一番に考えたから、なんだか今日は一日中幸せだった。あのメロディで、あのセリフが、頭の中をぐるぐるしてるってことが自分を元気づけるというか。自然頭に湧いてくる言葉がそういう意味のもので、それにハッと気付く瞬間に、ほわ〜んとなる。良い言葉であるうえに、なんとなく呪文っぽくて、俗世ぽくないのがいい。口ずさみやすい、自分だけの元気が出るおまじないの言葉。まー自分にとって好きな人の名前だって、そんなモンだけどね(って、中学生か?って感じだなぁ。笑)
 で、家に帰ってビートルズフリークの父親に「オブラディ・オブラダの意味知ってる?」と聞いたら、しばし考えて答えた。「人生は続く、つまり良いことがあっても悪いことがあっても気にするな、いつでも人生は続くんだからくよくよするなってことだよ」って。さすがだなー。ていうか、あたしらって、やっぱり親子。なんかそこまで意訳して解説してくれたのが、嬉しかった。しかし父はレコードかテープのみで、あたしが聴けるメディアでビートルズを持ってないので、誰かに借りるしかない。皆にビートルズを借りるここ最近です。
 帰り道、aikoのニューアルバムを購入。早速聴く。歌詞カードも読む。んー痛い。超痛いんですけど。全体的に。あまりの痛さに、しんみりと泣けた。友達数人にメールしてしまった。ほんとねぇ。ところでaiko・・・・ファーストアルバムの「小さな丸い好日」はともかく、2「桜の時」3「夏服」4「秋 そばにいるよ」と、春、夏、秋、とテーマにしてますね。てことは来年は冬かぁ・・・。今から来年が楽しみ。
 「相合傘」がRemixで入ってたんだけど・・・なんちゅーアレンジだ、と、かなりびっくり。全然違う曲になってるなぁ。私は普通バージョンが好き。なんかー違う。「花火」のカップリング。普通バージョンの方が哀しさがしみじみと伝わってきてすごい曲のような気がします。カップリングと言えば私は「ナキ・ムシ」が、カップリングも含めてaiko最高のシングルだと思っているのですが。aikoの曲の中で、痛さにおいて他の追随を許さない「二時頃」がとにかくすごすぎます。初めて聴いたとき、あまりの痛さにしばしのけぞりました。おすすめ。あーあ焼いてたCDどっかにいっちゃったから。もうシングル買おうかなー。
 そうそう、昨日書いた内容について考えてたんだけども。よく考えたら、そういう考えって「ひとりでも大丈夫じゃん」って思われるのかもね。たしかに、あたし、一般的に、精神の強い部類に入る自覚あるし。こういうのってかわいくないのかも。んーでもこれがあたしだからなぁ。しかたないなぁ。あそうそう、右折車線に入るのを忘れたのも、そういえばこのことを考えていたからだった。「好きな人のことを誰が何と言ってても(例え悪いことでも)、あたしは全然構わないなぁー」って。これは今の人に限らずよく友達に言われてきたことなんだけど。「それだけ好きな人のこと文句言われたりバカにされたりネタにされても怒らないあんたって、変だよー」ってよく言われた。でもねぇ。「あの人はあそこがダメだねぇ」って、好きな人のこと言われても「ふーん、あなたは気付かないんだね」とか「まぁ価値観が違うからねー」ってかんじで、不思議に面白がるタイプ。好きな人が誰かに良い評価を受けるから嬉しいとか、悪い評価を受ける部分があるからそこが嫌とか、ない。好きな人に対する他人の評価であたしの好きな気持ちが傷ついたり汚れたりするわけでなし。好きな人が誰かに素晴らしいと言われたり誉められたりすると嬉しいってのは、ひいては自分の見る目を認められたってことで、満足なのかなぁ。あたしだったらむしろ「あなたに何が分かるのですか」とヤキモチやく方かも。好きな人の相対的な価値があたしのステイタスではないので。あたしの絶対的な気持ちがあたしのステイタスなので。なんか。あたしって、常に全力投球であたしと相手のみでしか物事を考えないのかも・・・他の人の評価、想い、入る余地無し。もしかしてあたしって思いこみ激しくて、怖い人なのかも・・・とか考えていたら、右折車線を通り過ぎるところだったのでした。運転には集中しないとねぇ。
 明日はaikoを聴きながら、秋を感じつつ出勤しよっと
2002/09/02 (月) 23:32:16 あなたに構ってる暇なんてないよ
 月曜日。何かとブルーなはずだけど、いつもより元気。昨日の楽しいお食事会のおかげです。すごいパワーでした。ふつふつと、自分の中の向上心が刺激された。誰かへのポーズでもなく、自分への叱咤でもなくナチュラルに楽しんで勉強して努力して笑って過ごしてる人。素敵〜。はぁ本当に。ほんと、自分が好きな人、尊敬する人に構ってもらえなくなるのは、絶対嫌だ。それは自分が気を許し認めた価値観の中での結果であるから、かなり痛い。普段は誰にどう思われようと何ともないんだけど。例え親にでさえもね。バカにされこきおろされ罵倒されても「だから何」って言える。でも自分で選んだ人たちに心底、幻滅されたり呆れられたりするのは嫌だな。そうならないように頑張ってる。それが私の今の考えです。取るに足らない人には、ならない。一目置かれなくてもいいから、一目置いた人に捨てられないように居たい。
 好きな人を好きすぎるこんな自分のことを、あたしはとても大好きで誇らしいなぁと思う。独りよがりの思いこみの自意識過剰の鼻持ちならない感情だけども。あたしがあなたのこと好きだってこと、ただその事実だけで、あなたを輝かせてゆける自信がある。他の誰にも出来ないほどに、自信と強さをあげられる。あたしが好きだってことはそういうこと。あなたのいいとこ好きなとこ全部引き出して大好きって言うし、あたし自身はもとよりあなたも、より輝かせてゆけます。あたしは好きな人に対して、そういう人になる。まぁひとり勝手に思ってるだけですけど。それじゃぁ世話ないんですけど。でもなんでか分かんないんだけど。何故か妙にそんな気がする。あたしの好きにはパワーがあるってね。まだまだ小娘だけどね。んー。早くこのパワー幸せに使いたいなぁ。どこかでいつか自然に使えるとき来るまでじっくり溜めておこうと思う。
2002/09/02 (月) 1:01:49 輝いている人
 [ 9/1/日 ] 仕事相手の、担当の人は私より3つ上の女の人Wさん。Wさんとは5月半ばに対面して、その後ほぼ毎日仕事でメールやりとり、実際に先方へ伺うこと週3日と、かなり身近なスパンでお付き合い。最近では週1なんだけどとにかく、Wさんは初めて会ったときからすごかった。話していると引き込まれる。いつでもにこにこと笑っている。仕事もてきぱきとこなしている様子。壁を作らない人。つき合いやすいなーと思っていた。今日は一緒に担当している同僚と、夕方からWさんのおうちへお呼ばれしていた。一人暮らしで、新しいマンションへ引っ越したので、友達と引っ越しパーティをかねたお食事会を行うのでいかがですか?とのこと。そんなところに行っていいのかなー?と思いつつ、二人ででかけた。
 結果。とにかくすごかった。すごく楽しかった。Wさんという人はすごい。生き生きとしていた。輝いていた。料理は全てWさんの手作り。(フレンチにイタリアン!)どれもすごく美味しい。食べながらの話題は、とてもとても興味深くて。Wさんの底の深さと人付き合い、行動範囲の広さを思い知った。なんて人だろう!Wさんの全てが屈託無く、素直に自分の生き方を楽しんでいた。こんな人がいるなんて。自分の幅の小ささ、甘え、逃げ、そんなのが頭の中でたくさん駆けめぐった。普段なら、強がり、あまのじゃくの私、それは人それぞれの生き方だから、自分はこうでいい、これでいいんだって、逃げの思考に入るもの。でも、Wさんの話は、不思議と卑屈にならずにストンとこころに入ってきて、心底、感動した。この人は凄いんだ、って。なんて素敵な人なんだろうって。こんな風になりたいって、思わされた。すごいすごいすごい。こんなすばらしい人と知り合えたことに感謝。
 Wさんのお友達3人もそれぞれ、Wさんが色んな場面で知り合ったという、素敵な人たちで。でも、このすばらしい楽しい人達は、最初から皆知り合いなわけではなくて。Wさんが仕事を通じて知り合った人達とのこと。つまり全部Wさんがそれぞれの場面でゲットしたひとたち。ひとえにWさんの人柄によって、自然と彼女の周りに集まった年齢も職業もバラバラなひとたち。そこに私たち二人。こんな風に、ある一人一人と仲良しであることはある意味簡単だけれど自分をコンパスの針のようにして別の点の場所にいる人同士を結びつけるのはすごい。それぞれのパーソナリティが豊かだから誰かと誰かを引き合わせてこんな会を開けるんだと思った。そんな豊かなパーソナリティを持つ人がWさんの周りに集まるということは。Wさん自身の魅力でしかありえないと思う。本当にすごい人だと思いました。単なる仕事上で、業務がたまたまそれになったために知り合った人のこと、意外な展開によって、こんな風に深く知ることが出来るなんて思わなかったなー。いつも同じ社内にいる同僚なら仲良くなるきっかけはいくらでもあるけれど。この縁に感謝!!!!偶然による偶然で知り合えたこと。不思議。とっても感動しました。
 こんな風に、社会人になってこその、意外な深い付き合いってのもあるんだなーって思った。色々な人と知り合って刺激を受けたい。すばらしい人に対して、素直に感動したい。私も誰かにとってそんな存在になれたらいいんだけれど。とりあえずは、Wさんその他から、輝きの少しを糧に分けてもらえるように、努力努力、卑屈になったり不幸ぶったりしないで、自分の生き方見据えて、しっかり頑張ろうっておもった。とても良い日曜日だった。
 とは言え。仕事相手、私たちにとっては客先ということなので、なあなあになってはいけない。でも仕事が切れたからって縁の切れるような付き合いはしないでおこうと思った。たいしたことない、つき合う価値もない人だ、なんて思われないように。しっかりやる。尊敬できる人、憧れる人のことは絶対に離したくない。愛想尽かされないよう精進したいなー。