小松崎茂美術館探訪 
岡嘉隆

小松崎茂。1915年2月14日生まれの氏は80を越えた今も、現役を貫く「異能の画家」である。

 昭和20年代の絵物語「太平原児」「地球SOS」。

 昭和30年代の、戦記ものブ−ムの牽引役となった零戦や戦艦大和の迫真のイラスト。

昭和40年代。その画業の代名詞ともなった夥しい量にのぼるプラモデルのBoxア−ト。とりわけ、サンダ−バ−ド! そして、オリジナルをはるかに越える迫真とスケ−ルの壮大さに圧倒されるロボットアニメのヒ−ロ−達。

 その半世紀以上に及ぶパワフルな仕事ぶりの一部が、所狭しと常設展示されている驚異の美術館が、岡山にある(モデルカ−ズNo.34 参照)。

 眠りながらも画筆が動いた、というエピソ−ドが生まれる程の全盛を極めた昭和30年代の絵物語や雑誌の数々の原画を一同にしての展示。
 印刷媒体を通してでは全てを伝えることが不可能ともいえる鮮やかな色づかい、豪快かつ繊細なそのタッチをここではたっぷり堪能することが可能だ。また、60年代に少年サンデ−の裏表紙に掲載されて以来、単行本にも未収録のカ−アクション・マンガ「スト−ム・ボ−イ」など、ここでしか眼にすることが出来ない珍品が多数展示されている。95年、失火による自宅全焼によって10万点に及ぶ原画やスケッチ類が失われるという非常事態に見舞われたこととも加え、ここに収蔵された品々の文化的価値は日を追って高まる事必至であろう・

 山陽自動車道の山陽I.Cで下車。県道27号線を北上し、英田町にて右折しTIサ−キットへと向かう道を行く。
 TIサ−キットの土産物屋をかねた休憩所と駐車場のある瀧宮の分岐路を左に入る。
 直ぐにトンネルがある。瀧の宮トンネル。このトンネルをくぐると辺りの景色は一転する。この先、何があるのだろう、と不安になる程の山道となる。車幅ぎりぎりのこの山道を走る事10数分・・ 集落に出る。ここは国貞という地名である。農家が4、5軒点在している。
 コンビニはおろか自動販売機の類いもまったくない、この集落の奥まった所に、「小松崎茂美術館」はある。

 このひなびた典型的田舎の光景を眼に焼きつけたまま美術館に入ると、視界に飛び込んで来る異世界とのギャップの凄さに目眩むような感覚を覚えるはずだ。

岡山県英田郡作東町は人口8000人ばかりの山間部の小さな小さな町だが、美術館がある国貞(くにさだ)は過疎の村といっていい程に人が少ない所である。人よりネコの数の方が多いといってよい・・ 右の写真は美術館の全景で、御覧の通りの、のどかこの上ない風景である。右手の蔵のような建物内が美術館だ。

 美術館の館長は竹中信清氏。神戸に拠点を置いた画家である。週の前半は神戸で活動し、木曜から日曜までをここ国貞で過ごす。従って開館日は木曜から金曜ということで、訪問には注意が必要だ。中央の銀屋根は明治期に建てられた農家の母屋を改装して「夢山荘」という民宿になっている。むろん、オ−ナ−は竹中氏。宿泊を兼ねての見学が出来るのだ。朝夕の食事込みで8000円なり。

 竹中氏は小柄ながら精力的で、とても50代とは思えぬ悪戯っぽい微笑みを浮べることが出来る、いい人。

 この辺りの詳細は以下、山本氏に紹介してもらう事にする。



昭和の光景         山本よしふみ

 画廊、あるいは美術館という名を聞いた時、意識的であれ無意識であれ、その言葉にイメ−ジされるのは、街中の一画とかオシャレなビルのフロアとか、何かそういった都会的な香りが漂う空間としてでしょう。それはほぼ例外なく誰の念頭にも浮かぶ想起だとも思われます。
「小松崎茂美術館」が出来たという事を聞いた時、私の念頭に浮いたのは横浜だか池袋だか、そういった繁華な街の、さらなる彩りとしてのイメ−ジでありました。それゆえに、「英田郡の作東町に出来たよ」と言われた時には、一種の迷妄を覚えて返答に窮しました。英田といえばTIサ−キットの名が全国に発信されてはいるけれど、人の声より川のせせらぎ音の方が大きい・・ そんな田舎なのです。
 なぜ、そんな所に美術館が? と訝しみつつ、とにかく現地へ赴いてみました・・

 作東町は岡山県の北東部に位置する人口僅か8500人にも満たない山間部のささやかな町ですが、美術館はその町の中心部から外れた国貞という所にあります。

 これが出向いて初めて判ったのですが、予想を遥かに越えた場所でありました。対向車一台すれ違えない細い道を駆け、空気がうまいと感じる程の辺鄙この上ない山の中へと入っていきます。

 ささやかな集落があります。こんな所にも人が住んでいるんだなぁ、とちょっと感嘆の溜息がもれる、そんな所に目的地があります。

「小松崎茂美術館」。小松崎氏を師と仰ぐ方の個人美術館です。

 カラスとノラ猫は見るが人の姿のないス−パ−過疎の村の一画であります。そんな辺鄙な箇所に我らをときめかせた画家の作品があるのですから不思議です。

 オ−プンは96年の12月。 一目で小松崎作品と判る、あの馴染み深い水彩の世界・・ 未来の夢世界の良質な具現としての小松崎ワ−ルドが、こんな山間部のひなびた場所にあるおかしさ!

 でも、館内の画廊に入って絵を眼の前にした瞬間、ド田舎の気配はかき消えます。さっきまで眼前に繰り広げられていた杉の並木や栗の木の枝葉は消失し、一瞬に時空が超越されて、あのワクワクするような嬉しい感触が重量ある手応えとして蘇ります。

 かつて通過した少年誌の、その表紙絵の数々を前にすると、追憶と穏やかな親和感とが鮮烈な色彩を伴って去来してきます。

 入場料は300円。

 その300円を美術館オ−ナ−は口に出して要求しません。それどころか、「よ−来てくれたなぁ」と、コ−ヒ−を出してくれます。サイフォンでちゃんとたててね。最後の最後まで入場料を取ろうとしないので、半ば強制的にお金を置きます。

オ−ナ−は画家です。竹中信清氏。

 月曜から水曜までは神戸にいらっしゃる。神戸で絵をかき、また絵画教室も主宰なさっていらっしゃる。従って、「小松崎茂美術館」が開くのは木曜から日曜にかけての4日間です。

 床面積にして20坪強の美術館は二階。一階の大きな囲炉裏のそばでコ−ヒ−を呑みつつ、話を聞きます。

 柏市の小松崎家が全焼して作品の多数が失われてしまったという現実にも関らず、御年80オ−バ−の氏は今だ現役!
「まだまだ、これから描きますよ」
 と、おっしゃっているそうで、その旺盛さには頭が下がる思いです。
 まさに巨星。その潤沢なる光輝!
 この巨星が放つ強大で魅惑的な引力に導かれて、美術館を立ち上げた竹中氏の労もまた相当なものだったでしょう・・

 昭和という一つの時代の文化面を大いに担った画家の一人として、もっと賞賛されてよい筈の小松崎茂の、その不当とも思える現状に悲憤を覚える事しきりの竹中氏・・
「95年の9月から10月にかけて、小松崎センセの住まう柏市で郷土の異能作家として{小松崎茂展}が開催されたんやけどな。この時初めて、氏が健在でしかも自分達の街に住んでる事を知ったという人が、これが実に多いんやわ・・ まったく」 竹中氏の50代には見えぬ若い目許に苦渋めいた色合いがフッと滲みます。
「自分らが子供の時、小松崎センセには皆なが皆なお世話になって育ってきたというのに、まったく」
「私が初めて柏市のセンセの自宅を訪ねた時もそや。駅前の古本屋で道を聞いたけど、エ、それ誰やねん、知らんなぁと言いおって・・」
 嘆きの声はけれど決して罵詈の気配を含みません。

 原画はおよそ200点強、収蔵しているとおっしゃいます。近い内には目録など整備する予定だそうですが、何しろ膨大な仕事をこなして来た小松崎茂氏ですから、その追跡と網羅は至難この上ないものでしょう・・ その至難を問うと、

「難儀やけど、楽しい作業や。発見発掘の探検みたいなもんやデ」

 竹中氏の眼が輝きます。血色のいい頬に血がさして眼差しが少年になってます。キララと輝いてます。こんな眼に女性は弱いのではないかしら・・

 魅力ある小松崎茂の原画の数々と魅力ある館主の、豪奢な2本立てであります。

 見学を終えて外へ出ると、訪問時には違和と感じた山野の光景が変化しています。一瞬に悔悟しました。ここは昭和の、かつて日本のどこにでもあった典型としての風景の、その最良の部分が残されている場所だったのです。ド田舎ではなく、「昭和の光景」そのものでありました。それゆえに、この光景の中にあっては小松崎茂の挿画の数々はミスマッチどころか、置かれるべく箇所に置かれているのだ、という事になります。

 かつて国書刊行会から出版された画集「ロマンとの遭遇」のオビには(昭和っ子渇望の小松崎茂作品集)なるフレ−ズが入っていました。

 昭和。昭和のロマン・・

 未来に夢を繋ぐ事が出来た時代のその最良の上澄みが、この作東町の山中にあります。

 この場所はかけがえのない「宝物」でありました。郷愁としての回顧ではなく、ここでは小松崎茂の絵が呼吸しています。

来訪をお薦めします。

 

小松崎茂美術館

岡山県英田郡作東町国貞662

08687-5-2766



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