住宅施策を考える/日本建築学会東海支部都市計画委員会 住宅部会
第6回部会 特別講演「市民が主役!豊中のまちづくり」 [1999.10.23]
参加者:16名
1 自己紹介・書記指名
2 前回議事録及び豊田市見学記録について
各自添付資料にて確認、内容に意見があれば後日、MLにて述べることとする。
3 次回の予定
11月18日(木)午後6時30分から 「今後の進め方、田原町まちかど交流サロン(案)について」
4 特別講演「市民が主役!豊中のまちづくり−豊中市のまちづくり支援に学ぶ−」
/豊中市役所政策推進部長 芦田英機さん
●豊中駅前まちづくりの経緯(ビデオ放映)
- 大型店の出店、駐輪場・駐車場の不足などにより商業にかげりが出てきた頃、勉強会をはじめたのがきっかけだった。若手商業者を中心にして行われ、マスコミなどにも取り上げてもらえた。次に、「豊中市産業振興ビジョン」の素案が作成され、住民や企業などにも声をかけるとともに、他地域の視察などを行った。そうこうしていると、次第に専門家の協力が必要になった。市民の情熱をくみ取りながらも、間違った判断には的確に指摘することが専門家に求められた。そして、「まちづくり支援室」が誕生する。受け身になった市民は陳情するだけだが、顔が見える関係づくりをしておけば、まちづくりは成功する。そういった中で、行政の考えを市民にきちんと伝えることが大切である。その後、「豊中駅前まちづくり協議会」となる。市民への学習の場の提供が必要になり、フォーラムの開催や情報誌の発行なども行われている。市はワーキンググループを作り事業化に向けて活動中。
●まちづくりへの取り組みの考え方
- 誰もが初めての経験。まちづくりは、施設を作る前に仕組みを作ることが大切なのであって、仕組み、仕事、施設の3つによって成立する。まちづくりは、市民だけでできるわけではなく、行政だけでできるものでもない。市民中心で行政がサポートすることになる。協議会は小さな商店や地域住民が自分の考えを主張でき、当初想定していたのとは異なる第三の答えが見つかる事が多い。
- 豊中の商工会議所ではそれまでも商業近代化事業などは行っていたが、産業振興担当として関わったとき、個店や商業団体ではなく地域をテーマに取り組んだ。
- 芦田さんは、元々役所にはあまり入りたくなかったし、今でも嫌い?。当初は、役所に企画課があることさえ知らなかった。こういう姿勢で取り組んだことで、かえって良いバランス感覚を保てた。まちづくりに当たっては、関わっている自分と冷ややかな自分がいて、両方の視点でいつも見ている。役所ではカットマンと言われたリベラルな人間であった。
- まちづくりは、最初の階段を昇るのが一番大変であり、徐々にその勾配が緩やかになっていく性質のものである。
- 大都市での講演に招かれることが良くあるが、名古屋を含めて大都市には豊中方式のまちづくりが合うとは必ずしも言えない。
- 専門用語は市民には難しい。市民に分かりやすく説明したら良いのに、分かりにくい用語を使っている。例えば都計道路などと言われると時計道路と、都結と言われると吐血と勘違いしたりする。そのため、本当に合意形成できているのか疑問が残るケースが多く見られる。
●まちづくりの進め方
- 豊中市のまちづくりは基本的に個人加入方式にし、区域の取り方も住民の任意としている。証券会社の営業マンにMMFなどのビラの裏に参加の案内を付けさせてもらい、市民に参加を呼びかけてもらった。行政の方は、各課の課長への忠誠心の低い頭の柔らかい人を集めた。
- 2年後に協議会になると見込まれる段階で研究会が結成される。研究会が結成されると、活動費の一部として30万円/年の補助金を2年間もらえる(まちづくり活動にかかる費用の合計額の3/4以内とする。)。また、まちづくり支援チームの派遣、まちづくりアドバイザーの派遣、まちづくりコンサルタントの派遣などが行われる。
- 2年後に協議会が結成され、まちづくり専門家会議の審査を受けて「まちづくり協議会」として認定される(組織率1/2以上が要件)。活動費の一部助成が150万円/年(3年以内)に増額される。
- そしてまちづくり構想の提案が行われ、構想実現のために各種部会が設置され、また活動拠点として豊中駅前まちづくりセンターが開設された。
●具体的に行われた内容
- シンポジウムの開催にあたっては、ホテルのオーナーに副会長になってもらって、そのホテルを無料で使わせてもらった。ワークショップは中華料理屋で行ったが、ワークショップの意味を知らない人が大勢いた。また、協議会メンバーと市職員のメンバーの会合も行われた。継続してフォーラムが行われてきており、豊中まちづくりフォーラムは今度で13回目(13年目)を数える。まちづくり実践大学があり、まちづくりのリーダーを育成している。リーダーになるためには、資格を得るための試験を受けなければならない。中学・高校生のまちづくり講座「みんなでまちを体験しよう」が開催され、若い世代の人達にも参加してもらい、親子でまちについて話し合うようなキッカケづくりを行った。さらに、まちづくりセンターの開設をしたが、空店を利用しており役所はなんら関与していない。センター内にはリサイクル文庫がある。
●豊中駅前まちづくりの経緯(ビデオ放映)
- 豊中市は、梅田から阪急鉄道の急行で13分。人口42万人の都市で、見渡すばかり家ばかりの大阪のベッドタウン。大阪国際空港があり、幹線道路も多く通っている。大正時代に阪急が団地開発を行ったことで発展してきた。
- バスターミナルができると交通の中心になり、商業も繁栄した。しかし、モーターリゼーションの発達とともに、駅前での交通渋滞の激化や駐車場の不足、路上の放置自転車などの問題が深刻化し、駅前商店街のお客が減少し、商売にかげりが見えてくる。そこで若手の商業者を中心にまちづくりビジョンを考えた。ハイライフステージ豊中。ビジョンの素案作成と同時に、まちづくりシンポジウムも行った。さらには、記念講演が行われ、市民の質問で盛り上がった。まちづくりは良きの長い活動が必要である。
●5年後の経緯(ビデオ放映)
- 総会を行ったが、会員の参加は少なく、出席者もあまり関心がない様子。 ワークショップは、商業者、一般住民、障害者、コンサルタント、学生などが参加し、楽しみながら様々な意見を出し合っていた。
- 七夕祭りが年に一回開催されるが、このときは駅前が歩行者天国になる。毎日がこうだった良いのになあ。協議会は古本の店を出店した。
- 「音楽を生み育てるまち」にしたい。豊中市には音楽に携わっている人が多くおり、その人達を呼んでサロンコンサートを行った。
- 大池小学校の建て替え計画では、地下駐車場の建設をめぐってPTAと対立した。地域の人を含めて、公開討論会を行った。
- 勉強会では、2時間のうちの最初の30分間、地域のボス的存在の高齢の商売人に昔の自慢話をさせた。すると、とてもご機嫌になって非常に協力的な態度に変わった。
- 市民への参加の呼びかけには、証券会社の営業マンが営業を兼ねて回った。参加の勧誘という名目で各戸を回ることで財産調査ができるというメリットがあった。
|
4 意見交換
●商業地の状況、一般住民との関わり
○ 愛知の状況と豊中とでは大きく異なるのではないか。例えば、交通渋滞があっても駅前に買い物に行くのは、愛知の状況とは異なるように思う。例えば、中心市街地の後継者問題などはないのか。
■ 後背人口があるせいか、空店舗が出ても店舗は埋まっていく状況がある。ただしそれらの多くはマクドナルドや(地域発展を約束しない)プロミスなど。早くから地域のリーダーとパートナーシップを作ってしかけてきたことが、多少は成果となって現れていると思う。
○ 商業者が中心となっているようだが、一般住民はどの程度参加しているのか。
■ 音楽会などのコミュニティの活動を担っているのは一般住民である。最初は商業者のまちづくりとしてスタートしたが、バリアフリーや通りの安全対策など、商業者サイドが次第に一般のまちづくり問題も対象とするようになり、一般住民も参加をしてきている。実はPTAなど、地域も縦割り社会なので、オピニオンリーダーをうまく取り込むことが重要だ。
◎ 専門家は場を設定し、住民のエネルギーを引き出す役割、まちづくりにゴールはない、という意見に感銘した。住民組織率が50%を超えると協議会になれるということだが、現在の参加状況はどうか。
■ 入ってくる人もいれば、出ていく人もいるが、少しずつ膨らんできている。参加者は増え方には急に弾みがつくときがある。コミュニティには、テーマコミュニティとローカルコミュニティがある。どういう形であれ、地域に定住したい人だけ残ってもらえれば良い。
◎ 駅前の商店街であゆが280円で売られていたが、かなり高い。商店街を支える人がいるということか。
■ 確かに、庄内地区と豊中駅前ではかなりの所得格差がある。
◎ ワークショップに障害者を含めていることに感心した。
■ タウン・モビリティの社会実験も行っている。道路の段差の問題などを通じながら、学習することによって意識を高めている。
◎ 中高生や主婦など、多様な階層の参加を仕掛けている点が興味を引いた。
■ 参加することで、親子でまちづくりを考えるキッカケになればよい。肩書きを背負った会社員や退職者などが、すぐに仕切ろうとするなど、なかなかうまく協議会にとけ込めない状況がある。麦ふみ、麦ふみ。 |
●建築・土木行政との関係
○ 密集住宅市街地整備やデネブなどのコーポラティブ住宅で知られる豊中市庄内地区のまちづくりの現状と評価はどうか。
■ 庄内地区は参加型まちづくりと言っても代表制なので、必ずしもうまくいっていない。専門家が関わりすぎ、手を広げすぎた感がある。市としては現在でも担当職員を100人程配置し、コミュニティ道路作りなどもやっているが、個人的にはあまり評価していない。このうち建築出身者が30人程度いるが、学校で専門を学んでくると頭が固くてかえって良くない。。
○ 中部と関西では状況が違うように思う。中部はもっと保守的なので、庄内地区のやり方の方があっていると思う。
◎ 自分は建築出身者だが、もっと外の人と触れ、頭を柔らかくしたいと感じた
■ 頭の堅い上司に負けない人は好き。パッション!が大切。 |
●行政組織、行政計画とまちづくり活動との関係
○ 市の計画と住民のまちづくり構想とのギャップはどう調整しているのか。
■ まちづくり支援チームは市の計画を知っているので、そのことを踏まえて対応している。それでも、食い違う部分は話し合いで折り合いをつけている。
○ まちづくり協議会のエリアが行政が考えていたエリアと異なる場合はどうするのか。
■ 研究会からまちづくり協議会に至る2年間の間の協議で調整する。
○ 政策推進部の体制と人員はどうなっているのか。
■ 企画調整室、まちづくり支援課、防災課、情報政策課、広報公聴課と市政研究所の5課1研究所体制で、80人程度の陣容である。
○ まちづくり支援チームの派遣職員の人選方法はどうしているか。
■ 一つは、産業振興ビジョンを作った人達で当初はボランティアで行っていた。もう一つは、各セクションで一番頭の柔らかい人。現在は全員にお金を付けている。3年間で9800万円の予算が付いた。総勢23人。できない理由ばかり考え、手続きだけで満足するような行政マンなどいらない
○ 施設改善などは目標をはっきり提示することができるが、こうしたまちづくり活動の場合、目標設定や達成度を測るための指標設定などはどう考えているか。
■ ゴールはない。エターナル・エボリューション。仕組みをしっかり作ることが重要だ。建物を造って完成というのはおかしい。
○ 施設整備よりも人を対象とした施策を推進しているのは、税収などの事情もあるのか?
■ いや、豊中市は大阪近郊の中でも比較的所得の高い人が多い地域であり、財政力は高い。しかし市役所職員にボンボンが多く、危機感がない。
○ 公債費についても、愛知県では1割を超えたら県から指導があるが、関西圏では2割位は普通であり、そこからも財政的な事情というのは少ないのではないか。
◎ 市長の姿勢が行政運営に大きく関わると思うがどうか。
■ 政治家市長というのはわかりやすくてよい。例えば、野党議席が1/4なら1/4なりの意見は聞くものだと思っていたが、今の市長は反対勢力であった野党の意見は全く聞く必要はないと言う。 |
●その他
○ 若いときからコミュニティの大切さを考えていたのか。
■ 親が国鉄職員で転勤が多かったので、コミュニティから外された人間だった。親がPTAの代表として挨拶をすることがあっても、みこしは担がせてもらえなかったことが、今の自分を作っているかもしれない。
◎ 現在、大阪大学大学院博士課程で学ばれているのはどういう目的からか。
■ 豊中のまちづくりのことをきちんと整理して、若い世代に引き渡す必要があると思っている。思いきりやれという事を伝えたい。 |