1 尾西市の概要
●尾西市制50周年記念ビデオの放映(2004年秋)
●尾西市の中心市街地のスライドと説明
(1) 尾西市の現況
人 口 | 2000年国勢調査 | 57,956人 |
平成16年12月現在 | 59,128人 |
昭和30年10月 | 44,286人 |
人口増加率 | 1995〜2000年 | 1.5%増 |
世 帯 数 | 2000年国勢調査 | 18,112世帯 |
平成16年12月現在 | 20,109世帯 |
高齢化率 | 約15% |
市域面積 | 22km2 (木曽川を除くと18km2) |
位 置 | 愛知県北西部 |
- 昭和30年に起町と朝日村が合併して尾西市になった。
- 市全域が旧尾張藩。市内に美濃路が通っている。
- 明治時代から織物の生産が発展。その後、ガチャ万の普及により、毛織物の生産地として知られるようになる。一時は2000社以上の毛織物業者がいた。現在でも全国の毛織物の35%のシェアを占めている。
- 今年の4月に一宮市、木曽川町と合併して新市(一宮市)になる。
(2) 新市の概要
人 口 | 363,000人程度 |
世帯数 | 118,000世帯程度 |
面 積 | 113km2 |
中核市の要件を満たす。 |
新市の基本理念 | 安心、元気、協働 |
- 冨田一里塚:東塚と西塚がペアであるのは、美濃路ではここだけ。
- 三岸節子記念美術館:地元出身画家の美術館。
- 歴史民俗資料館
- 古くは木曽川沿いの起宿として賑わう。
- 1956年(昭和31年)に美濃大橋が完成し、岐阜の羽島市とつながる。
- 1998年(平成10年)に東海北陸自動車道のインターチェンジが完成。
- 現在でも起宿の街並みや脇本陣(旧林家)が残っている(ただし、脇本陣は大部分が建て替えられている)。また、木曽川の渡船場も残っており、現在も渡し舟を利用できる。
- 木曽三川により地下水が豊富なため、繊維工場が多く建てられた。ただし、現在は繊維業の衰退により、工場跡地の利用が行政課題となってきている。跡地利用としては、物流業が増えてきている。
- 染色工場から排出される汚水処理のために昭和36年特定公共下水道も整備されている。
- 工業専用地域は45haあり、41haが利用されている。
- 木曽川に面しており、国営公園では日本一の面積を有する木曽三川公園の一角を占めている。また、サイクリングロードも整備されており、名古屋市西部の大治町に繋がる名古屋市上水道の上部がサイクリングロードとして整備されている。木曽川の川幅は900m位あり、木曽川に3つある渡しの一つである「中野の渡し」が現在も続いている。また、河岸にはアスレチック施設を持つ冨田山公園や県が管轄の宿泊施設「グリーンプラザ」もある。また、平成4年より10億円を投じて尾西緑道(1km強)を整備しており、東屋やトイレも付設している。
- 平成10年には東海北陸自動車道の尾西インターが開通した。
- 一宮市から起町に続く起街道には、昭和28年5月まで路面電車(名鉄起線)が走っていたが、廃線に伴い名鉄バスの起線に変わった。そのため、バスの運行便数も多く、市役所から名古屋駅まで最短30分程度の通勤範囲内にあるが、その利便さがあまり知られていない。起街道には、以前は映画館が3つあり活気があったが、現在は空き店舗が増えてきており、シャッター通りとなりつつある。
- その他には、人にやさしい街づくり条例に基づいて整備された遊歩道がある。また、市の新庁舎が昨年の3月に完成した。合併して新市となった後も尾西庁舎として使われる。なお、本庁舎は市の産業であるテキスタイルのT型をモチーフとして外観がデザインされている。また、平成2年にゴミ焼却場の近くに公共版のスーパー銭湯である「ゆうゆうのやかた」が整備された。ただし、その後に民間の類似施設ができたたため、現在は利用者が減少している。
- 日光川から木曽川へショートカットして強制排水用の3号4号放水路のポンプ場があり、日光川下流域の浸水災害を防いでいる。放水路の途中に、中継点として広口池があり、親水公園として利用されている。地元高校のデザイン科がポンプ場外観のデザインを行った。
(3) 尾西市の住宅政策
市営住宅 | 14団地 | 657戸 |
県営住宅 | 1団地 | 461戸 |
公団住宅 | 1団地 | 267戸 |
雇用促進住宅 | 4団地 | 680戸 |
分譲住宅 | 10団地 | 613戸 |
- 分譲住宅は、繊維産業がピークに達した昭和41〜55年頃に住宅需要が増大したのに伴い、県住宅供給公社からの業務受託の形式で建てられた。
- 民間分譲住宅(一反開発)
- 尾西市は耕地整理地区が多い。なかなか区画整理が進まないので、一反開発が行われた。一反は10間×30間でそこに5〜6戸の住宅が建てられた。
| 昭和40年代 | 現在 |
工場数 | 約2,000 | 約1,000 |
従業員数 | 約20,000人 | 約5,000人 |
- 工場跡地の活用が課題。市にも跡地の買い取りを持ちかけられることが多い。繊維工場の跡地に、県住宅供給公社が去年と今年で新たに59区画の分譲住宅を予定している。当初は福祉施設を建設する予定であったが頓挫したので、計画を分譲住宅に変更して公社に買い取って貰った。過去県公社分譲住宅の供給は約23年前で、公社分譲住宅の信頼性により好評である。
- 名古屋へは公共交通機関を使って40分で行ける。
- ここ数年は人口がわずかに増加。市内および周辺市町村からの流入による。
- 海抜が3〜7mあり、過去に大きな水害に遭ったことはない。
- 土地改良事業は進んでいるが、都市計画事業は進んでいない。市街化調整区域の面積も広い。はじめに工場があり、その立地をみて用途地域が指定された。
(4) 中心市街地活性化の取り組み
- 住民・商業者主体での取り組みがあったが、結局、解散してしまった。
平成14年 | まちづくり協議会が発足した。一宮女子短期大学の先生や商店街の商店主を含む17名で構成。 |
平成15年 | 商店街再生への道をテーマに検討。 |
平成16年 | 報告書が作られたが、協議会は解散してしまった。 |
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