2005/11/ 3



参加者:計6名
東陽町名店街
 刈谷市見学は少数精鋭。今回は事前の部会は開催せず、見学会のみの実施。JR刈谷駅に集合し、自由通路から駅南側の再開発予定地を眺めた後、北側に移動し見学を開始した。
 
  駅南再開発予定地(長い間、市有グランドになっている)    駅北のペデストリアンデッキから見たロータリーと東側の景観
  
           駅北の景観                    駅北の再開発予定地               駅北に林立するマンション
 刈谷の駅を降りても何もない、と言われる。駅の南北に再開発事業が予定されているのだが、長らく構想のままとなっている。しかし実際には駅を降りても自宅や会社へ直行するだけだから、特に商業需要もないのだろう。
  
       アクアモール              アピタに面する駅前商店街       アピタの真ん前でがんばっている八百屋
 駅の北側から、名鉄に平行して斜めにJRを横断する通りは、明治用水を埋め立て、親水空間を整備したアクアモールとなっている。しかしモールに面した商店は必ずしも多くないし、駐車中の車も多い。風俗店が多いのも気にかかる。踏切を渡ると新装なったアピタがあるが、商店街に対して壁が面していて向かい側の商店街を拒絶している。
  
          東陽町名店街                県営東陽町住宅(昭和35年築)          「かた〜ら」のギャラリーコーナー
 アピタを過ぎると、県道刈谷知立線の広い道路に出る。東陽町の交差点から西に老朽化したアーケードが残る寂れた商店街がある。東陽町名店街。シャッターの下りた店舗やアーケードの向こう側に空き地があったりする。商店街の中心に残っているのが、県営東陽町住宅。1・2階が店舗付き住宅(14戸)で、3・4階に公営住戸(32戸)が乗る併存住宅だが、借地ということもあり、新たな入居者募集は停止している。その中に、障害者の就労支援等を目的としたNPOが開設する喫茶店「かた〜ら」が、この6月にオープンした。あいにく休業日で誰もいなかったが、コミュニティスペース、ギャラリーコーナーを見学してきた。
  
万燈通りの景観
 新栄町の交差点から、銀座商店街の方向に入っていく。途中、交差する万燈通りは刈谷環状線の一部で、歩道には祭りをイメージした装飾がされている。アクアモールも合わせて、高水準な公共空間の整備に驚いた。
  
         刈谷浴場                  刈谷銀座商店街          市営併存住宅(昭和34年築)
 万燈通りを過ぎると銀座商店街。照明灯ばかりがやけに目立つ。市営住宅があるが、1階店舗部分は閉業していた。
  
          松秀寺                       秋葉神社                    松秀寺前の民家
 このあたりは古い寺社や民家も残っている。秋葉神社は万燈祭りの発祥の地である。民家の屋根には鍾馗様が乗っていた。この北側に残る密集地を歩いたが、道は狭いが、緑は豊かに残り心地よい。駐車場はもちろん外側の街路にあり、どうやって建築したのかわからない新築住宅があった。
 刈谷銀座地区再開発予定地
刈谷銀座地区優良建築物等整備事業 
 銀座商店街の一画では再開発事業に向けて建物の撤去が進んでいた。まだ事業化の目途は立っておらず、駐車場として利用されている。その北側にそびえる高層マンションは、刈谷銀座地区優良建築物等整備事業により建設されたもので、平成11年度に完成している。住宅棟 地上15階建て 73戸  店舗棟(銀座プラザ) 4店舗
  
        旧本町に面する屋敷跡                   椎の木屋敷跡         民家、直交する路地に面した時計が目を引く
 主要地方道岡崎刈谷線は旧大浜街道。現在のUFJ銀行の角に、札の辻跡碑がある。ここを過ぎると城下町の雰囲気が漂ってくる。旧本町(銀座商店街のあたりは、旧中町、旧末町、旧新町)通りの北側に広い屋敷がある。元御用商人だった家だそうだ。その裏手にあるのが、椎の木屋敷跡。徳川家康の生母である於大の方が、松平広忠に離縁された際に一時暮らした屋敷があった土地だ。屋敷跡の路地を抜けて、亀城小学校の前を通って、亀城公園に向かう。1533年水野忠政が築いた刈谷城跡。お堀端の紅葉がきれいだ。
 
 刈谷市郷土資料館
 亀城小学校の隣にあるのが、刈谷市郷土資料館。亀城小学校の本館として昭和3年に建築。大中肇設計、側壁鉄筋コンクリート造瓦葺き2階建てで、昭和11年に登録文化財に登録されている。縄文時代から戦国・江戸時代を経て現在に至るまでの刈谷の歴史について、学芸員の方に詳しく説明いただいた。
上天温泉   竹内産婦人科
 大中肇は、郷土資料館を始め、刈谷市内で多くの建物を設計している。数少ない現存する建物が、上天温泉と竹内産婦人科ということで見に行く。後者はまだ現役で利用されている。また前者も最近外壁がに手が入れられたそうで、近いうちに公開利用されるかもしれない。
● 最近の刈谷は、日本政策投資銀行の藻谷氏が様々な機会に、「日本一豊かな街の寂れた商店街」として紹介することから、中心市街地の衰退例として有名になってしまった。刈谷商工会議所では、その藻谷氏を呼んだ講演会を何度も開催し、商店街の活性化に向けた模索を始めている。
 あまりに立派な道路整備に対しては、藻谷氏の「公共施設整備に莫大な投資を行ったことが、土地所有者の土地活用意欲を削いでしまった」という指摘も頷ける。一方、郷土資料館では、地主と借家人が錯綜する複雑な土地関係が、活性化のための再整備が遅れた阻害要因ではないかという指摘もいただいた。今回歩いて、確かに商店街の衰退振り(老朽化したアーケードと閑散とした空き地)には驚愕したが、この街を再び商店街として再生することの勝算に対しては悲観的な感想しか出てこない。
 亀城公園周辺は趣のある城下町の佇まいが残っている。JR刈谷駅から銀座商店街までの間は、容積率400%の商業地域が指定されているが、それがそもそも地価の高止まりを招いているのではないか。帰りは名鉄刈谷市駅から電車に乗ったが、ホームの周辺にはぐるっと高層マンションが取り巻いていた。その間に挟まれて、戸建て住宅が残る市街地はあまりに不自然だし、住環境上も問題だ。徒に商業活性化を追い求めるのではなく、住宅地としての立地を活かし、高層マンションと低層住宅地・買回り中心の商店街との混在を避け、良好な環境づくりにつながる都市計画を行っていくことが必要ではないか。