中心都市における中心市街地居住支援シンポジウム
日本建築学会東海支部都市計画委員会 |
●日時 2000年7月15日 午後2時〜4時30分
●会場 (社)地域問題研究所 会議室 |
●パネラー
三宅 醇(豊橋技科大)、尾崎智央(愛知県)、石田富男((株)スペーシア)、讃岐(田原町)
●出席者 25名 |
●問題提起及び主旨説明/三宅 醇
今回の研究テーマは非常に難しいことであり、何かやったというよりはやり始めたということであろうと思う。北大の真嶋教授が「3シコウ=思考、試行、施行」を提案しているが、今回行政ではなかなか取り組めない「試行」が取り組めた意義は大きいと思う。こういう試行を自由に試みられるような環境が重要である。
都心の空洞化は、日本の大きな課題であるが、どうも東京中心となって地方が忘れ去られる傾向がある。都心地域の定義にもよるが、周辺部との関係で成立可能な都心が東京で100箇所あるとすれば、地方部では1箇所にすぎない。地方部で商業活性化を図れるのは一部だけで、居住地として生きていく以外にないのではないか。
今後人口構造が変化し、都心部も高齢化が進むとともに、人口が減少していくことになる。人口増の時のモデルは東京でよいが、人口が減少して行くモデルは、農村のお互いに助け合って生活して行くようなイメージではないか。
東京・大阪は都市が密集していてそれぞれの商圏が関連・競合していると考えられるが、東海はそれぞれの都市が離れていて、商圏も独立性が強いものと思われる(よそから客を引っ張って来るという論理が成り立ちにくい)。また、それぞれの都市を見ると、旧街道沿いや旧城下町など歴史のある核を持つものが多い。東海地域は、郊外区画整理を積極的に行った歴史があり、都市計画の結果中心部が疲弊しているという状況もある。
中心部はすばらしい財産を持っており、これを生かしていくことは重要であるが、人口をよそから持ってこようというのはうまくいかないと思われる。その地域内だけを対象にする活性化の取組がよいといえる。方向としては、高齢者が住める町づくりを中心に考えていく必要がある。
●報告1 中心市街地すまい研究会の成果から/尾崎 智央
報告書の1章から4章までを報告する。仕事で住宅マスタープランの作成を担当しているが、今は住宅政策の転換期で、これまでの「つくる」から「いかす」「くらす」に転換しつつあると思う。たとえば、高浜市で駅前再開発を取り組んだが売れ残っている。居住を広く考えることが重要である。
この研究会は昨年の3月に始まったが、市町村、県、大学、コンサルタントなど多様な人々が集まって取り組んだことが今回の成果につながっていると思う。
第2章の「東海地域自治体アンケート調査」は、まだ分析が充分ではないが、@中心市街地の課題としては人口減よりは商業対策が中心であると認識されていること、A住宅対策は住宅供給しか認識がないことなどがわかる。
第4章の「田原町高齢者居住調査」は、田原町の65歳以上がいるすべての世帯のアンケート調査と中心市街地の高齢者世帯へのヒアリング調査などを実施している。高齢者の意識としては、中心市街地は「歴史のあるまち」「商業地として」とらえられている。またヒアリング結果からは、中心部の商店で、売り上げは無いのに人付き合いのために店舗を開いている高齢者がいるなど、人と人のつながりが高齢者の生活を支えているのがわかる。
第3章の「中心市街地事例調査」は、市町村の人に来ていただき、1時間報告、1時間議論をして、後日見学会を実施し、さらにメーリングリスト等も活用して意見交換をするという形で行った。対象の4都市は、やれるところからやった結果ともいえるが、ある程度典型が集まった。
豊田市の場合、市も業務地区として整備しようとしていて、街区道路まで市が積極的に整備を進めているが、そのような中でも、住宅が張り付いていて、居住地が残っていることが確認できた。
津島市は、歴史のある街である反面、マンションも多く立地している。市内の繊維工場などが、廃業して土地利用転換が進んでいて、スーパー、銭湯などになっていたりする。歴史や景観を生かしたまちづくりが提案されているが、同時に土地利用コントロールの重要性が認識された。
犬山市は、名古屋からの立地に優れているにもかかわらず、中心市街地の土地利用転換が進んでいない。これは犬山祭りなどによって中心市街地のコミュニティがしっかりとしていることが関係していると思われる。
田原町は、財政的には豊かだが、中心部は衰退してしまったという状況があり、がんばり方が違ったのではないかという反省がある。今いる人が財産であるという発想で、まちかど交流サロンを取り組んだ。
「活性化とは何か」という問いに対して「まちが継続すること」という意見があった。居住を繋いでゆくシステムが必要である。
●報告2 先進事例調査にみる中心市街地の居住支援の教訓/石田 富男
先進事例の調査対象も基本的にメンバーが面白そうと思ったところであるが、結果的に良い選択であったと思う。
1 中心市街地のストックの有効活用
中心市街地の空き家活用は借地権がネックとなるが、町家倶楽部(京都)の場合、借り手と貸し手の顔が見える関係を作ることによって乗り越えている。下宿屋バンク(神奈川)でも、人間関係づくりを重視しており、時間をかけて取り組んでいる。西新道商店街(京都)では、空き店舗を活用した、高齢者食事サービスを実施している。 谷中学校(東京)では町家を活用した芸工展を実施している。
2 地域のコミュニティの場としての商店街の重要性
西新道商店街では、「ものを売る」から「暮らしを支える」商店街をめざして、FAX宅配サービスや高齢者への訪問活動などを実施している。早稲田商店街では、夏枯れ対策に環境イベントを実施したのが成功して、「楽しく売 って儲かるまちづくり」を標榜している。
3 高齢者支援
4 外部からの関わりによるまちの活性化
谷中学校は、よそから来た専門家集団が町に住んで活動するスタイルであり、当初は 地元の人たちとしっくりしない面もあったが、地元でマンション反対運動があり、その際谷中学校のメンバーが専門家としての役割を担ったことから、関係が改善し地元に受け入れられるようになった。町家倶楽部は、もともと、区域外の芸術家などが町家に住むためのネットワークであり、外部から来た人による活性化といえる。 早稲田商店街では、乙武氏との関わりや、修学旅行のコースになったために活性化したという面もある。
5 まちづくりによるインターネットの活用
早稲田商店街、町家倶楽部ではホームページを開設しているし、早稲田商店街ではメーリングリストの活用によって広範囲の人から情報支援を得ている。西新道商店街では、FAXネットの次に、インターネットによる情報サービスを企画している。それぞれの先進事例は中心的メンバーの人間的魅力を基に、昔ながらのコミュニティを大切にしながら、最新技術によるネットワークも広げている。
●報告3 施策実験「まちかど交流サロン」の成果と今後の課題/讃岐 俊宣
田原町は人口37,875人の人口微増のまちである。田原町の中心市街地は面積55haの区域に昭和39年には人口5千人であったものが現在2600人と、空き家と高齢者世帯ばかりが目立つまちになり、個人的に「骨粗しょう症のまち」と呼んでいる。
町としては、この地域の人口を増加させるため、住宅供給や、住宅リフォームに対する助成なども考えているが、今回は、町の施策とは少し距離をおいて、「まちかど交流サロン」を実験的に実施してみた。これは、中心市街地で空洞化が進み、老人子供が住みにくくなっているという認識があり、それに対し、そのような人たちが生き甲斐に充ちた生活をつくる手助けとして「まちかど交流サロン」が有効であると考えたからである。また、以前に町で「人にやさしいまちづくり計画」に取り組んだ際にも、交流サロンの提案があった。
交流サロンは住んでいる人を使った実験であり、住んでいる人の協力が必要であるので、ワークショップを開いて、住民の意見を企画に取り入れるという方針を、昨年の11月に決めて、12月に参加者を人選し、1月15日にワークショップを開催した。
老人会を中心に44名の参加があり、すまい研究会のメンバーや豊橋技科大の学生、町の職員当で運営にあたった。そこ出てきた機能は、団らん、食事、趣味を生かす、技術の伝承、情報、商いなどであった。この結果をまとめて、第2回のワークショップを開き、開催方針を提示した。37人の人が集まったが、提案についての特別な意見はなく、高齢者の勘違いに答えるというのが主な内容であった。
2月20日(日)から2月26日(土)までまちかど交流サロンを開設した。寒い日もあったが、内容的にイベント的なものも多く、多くの人が集まった。男性の年寄りは少なかった反面、予想に反して、子供たちが良く来た。平日も多かった。
実験の成果として、(1) 世代を越えた交流が可能であること、(2) 民家という私的な場所の自由さ・使いやすさ・楽しさがあったこと、(3) ・約800人の人が集まる魅力があったこと、(4) ちょっとした発表の場も好評であったこと、などがあげられる。
課題としては、(1) 続けて中心的にやる人がでてきてくれることを期待したが、でてこなかったこと、(2) 私がやるなら手伝うという人は多く教育が課題であること、(3) 継続して行くためには安定的な資金が必要であること、(4) これらの活動をコーディネートしてゆく力の必要性、などがある。
また、サロンの利用状況からは、(1) 居住支援としての有効性はあると思われる、(2) アンケートでは55人中54人が楽しいと答えている、(3) 空き家利用はいい雰囲気だった、(4) 意外に、老人クラブの社会参加意欲が低いということが判明した、(5) 老人クラブに交流サロンをまかすことはできない、などが言えると思う。
■質疑応答、意見交換 (○:参加者、□:パネラー)
● まちかど交流サロンはデイサービスのような役割だったかと思うが、行政との関わりはどうか。
■ 行政施策としてやっている例は、高浜市の「じぃ&ばぁ」などがあり、この場合、市が作って、運営も社協が運営している。 しかし、今回期待したのは、住んでいる人が主体となるということである。住民が主体となって立ち上がれば、町が何らかの助成をすることは可能と思う。
● それははたして期待してうまくいくのか。アクティビティだけであれば老人福祉の家等いろいろあるがどうか。
■ もともと田原町は行政中心にいろいろやってきたが、それではいけないと思うところがあった。そこで今回住民ベースで進めようと考えたが、ある程度の芽はあると思っている。
□ まちかど交流サロンは宅老所とはいっていない。高齢者だけでなく、地域の交流の場である。地域のコミュニティの場として期待している。
○ 三宅先生の資料(人口ピラミッド)では、2025年になると今の高齢者はいなくなり、さらに25年たつと縮小均衡してしまう。このような取組は、いまの老人には有効かもしれないが、長期的に見た場合はどうか。新規供給をするという話もあったが、埋まるのか。
● 商店が中心市街地にあまり残らないとすると、誰が住むことになるのかというようなことについてはどうか。
■ 人口構造はどこでも75年たつと均衡する。以前の論理では、都心に商業が立地し郊外に住宅が立地するということだが、車社会になった今日、名古屋、豊橋など大きなまちの中心は周囲の集客力のある商業地として一部残るがあとは無理である。したがって、田原は現地商店とならざるをえない。このようなまちでも、(1) 町中の地価が高い、(2) 住宅が移転する、(3) 中心市街地の人口が減る、(4) 商店も郊外に移転する、(5) 中心市街地が疲弊する、(6) 老人も外にでる、というような展開は考えられる所ではあるが、田原町の場合はまだ、老人が住んでいる段階で、老人対策が大切である。 都心にまだ魅力のある段階では、若者が戻る可能性もあると思う。
一つの提案であるが、町中の人たちは子供が帰ってくると信じており、そうした期待をもっている人に、2世代同居可能住宅の建設に対する公的な助成をして、等分の間は定期借家制度を活用して家賃を安くして貸し出せば、若者が住むのではないか。
○ その意見に賛成する。私も都心部に住宅を供給する絵をかいたことがある。
○ 私が言ったのは、もう10年か20年はそのままいけるので老人を大切にするのはいいが、それ以後はそれではいけないのではないかということだ。桑名で町中の区画整理をやったら、補償費で郊外にでていった。人が回帰するリアリティはあるのか。桑名では、駅前マンションと郊外一戸建て住宅の価格差が1千万円で、マンションは部屋数が少ないが、価格が安く利便もいいということでバランスしている実態がある。
● 桑名では、区画整理したところは人口が増えており、未整備地区は人口が減っている。三宅メモは閉鎖人口が基となっているが、現在は外国人が60万人ずつ流入しており、2025年には別の姿になっているのではないか。また、北欧の例では、出生率の1.34も再上昇することも考えられる。
■ 高齢者は75歳以上と考えている。今後50年は有効な議論であると考えている。
● 人口ピラミッドの問題は目先の問題である。労働人口が大きく減るのが問題で、所得を得る労働力が無くなったとき、日本はどうするかということだ。ドイツの状況を調べたことがあるが、移入労働者が子供が産むようになってくると問題が発生してくるというのが、私の考えである。それは社会制度が必要となるからである。低賃金労働者は、社会的コストがかかるということである。
○ 人口問題から見ると1960年代70年代の人口が増えていた時の価値観から、新しい価値観を持たなければということだが、それは何か。商業活性化はあり得ないということだが、
● 名古屋市内から多くの工場がスプロールしていったことから問題が始まった。
○ 中心市街地が今より悪くなるのか疑問である。地価が下がる、空き家が増えるということにも良い面もあるのではないか。
● 子供を戻らせようとする人は本当にいるのか。所有と利用を分離するという考えは良いと思う。
■ 地価がどこまで下がるかということで局面が変わってくると思う。
● 地価が安すぎても、区画整理事業が出来なくなるなどの問題があると思う。
○ それは、もともと、土地の補償で家を建て替えるということ自体が逆転した発想で、制度が問題ではないか。
● 基盤整備をしても人口は増えない。
○ 区画整理だけを悪くいう意見には承服できない。中心市街地の問題は周辺部も同時に考える必要がある。例えば、特別用途地区をかけて大型店舗を規制するという手法もあるがあまり利用されていない。
● 大型店舗規制は市町村にはメリットがない。自分の所を規制するとよそに食われてしまう。地域全体で考えないとできない。
○ 西三河全体で考えるという動きはあるが難しいようだ。
● それこそ県の仕事ではないか。
○ 県でも狭すぎると思う。最近区画整理は新市街地型が少なくなってきている。まちづくり再生整備型は良いのではないか。区画整理は制度としては良い制度だと思う。線引き制度も成長管理としては問題がなく、むしろ調整区域の問題が大きかったのではないか。
○ 田原町における人口流出の原因は何か。
■ 実際はよくわからない。トヨタ対策で住宅開発をたくさんした。これは人口の受け皿対策であったが実際には中心市街地の人が出ていく例が多かった。しかし、中心市街地の世帯数はあまり減っていないので、世帯分離して出ていったものと思われる。車社会になってまちで暮らす必要が無くなったのも要因であると思う。
● 継続は活性化ということについて説明してほしい。
□ 中心市街地は立地、コミュニティなど、住宅地としての可能性が高い。今後はその特長を生かし、居住の場として継続させていくことが活性化につながるのではないか。
○ 今回の研究を通して楽しかったというのは、何か良いことがあるということだと思う。今回の議論のキーワードとして「人間関係をつくる」「現在住んでいる人が財産」「中心市街地は貴重なストック」であり「貴重であるという認識が重要」といったことをあげられる。