ウォーキングトレイル・プロムナード
1999/6/26

寺下通りの民家

寺下通りの寺

先回来たときはあったはずの建物が壊され空き地に。

ウォーキングトレイル・城のみち
田原町見学会を讃岐氏の案内で11名(三宅先生、三宅研の学生2名、川端、尾崎、山下、山川+1、吉村、脇田、石田)の参加により行いました。梅雨の合間にしては雨に降られることもなく、見学会としてはちょうどよい気候でした。
川あり山あり起伏ありの魅力的な地形。歩行距離範囲でおもしろそうなまちができそうに思いました。それに、歴史と誇りがありそう。

空き家を倉庫に利用

渡辺崋山の墓

会館内の凧と山車

田原まつり会館

旧郵便局 今は空き家
清谷川の北側は、高齢化と緩慢な安楽死が進む旧市街地。清谷川の南側は、新興住宅と新興店舗の発展する新市街地。二つの顔をを田原町は持っています。
旧市街地だけに着目せずにこの二つを視覚的にも精神的にも南北に大きく結ぶハードとソフトがいるのでは無いでしょうか。

駐車場長屋(!?)
まつり会館・博物館等の和風もどき、福祉専門学校の洋館もどき、証券会社・郵便局の大正洋館風、古い町屋と「はなとき通り」の商業デザイン等々の脈絡のない雑炊状態は、日本の都市景観デザインの縮図を見る思いでした。
これからつくる建築や街路は、もう少し共通のデザインコードを持つべきでしょう。
様々なデザインが入り乱れている点については否定はしませんが、それが気になるような状態とまでは感じませんでした。違和感があるのは、古い町屋の中の空き工場や空き地であり、大正洋館はむしろ混乱した景観を引き締めていました。
人工的な景観は、かえって嫌悪感を抱きます。デザインコードは、規則でなく、共通の理解とまちへの愛着を生むようなものである必要があると思います。

田原証券所有の洋館

空き工場

馬場道
トヨタが資本の論理で将来撤退し、一挙に財政困難な赤字自治体にならぬよういまから考えるべきです。田原町は一種のバブル経済状態にあるのではないでしょうか。
箱物行政で、人員や維持経費を膨らますのではなくアウトソーシングで自治体は「小さな自治体」であるべきでしょう。また「文句をいいサービスを要求するだけの住民」から「自立し自分達でやれることは自分達でする住民」を育成するプログラムを、「時代を見通す見識」をもってつくる必要があるのでは無いでしょうか。

田原博物館

辻広場

田原福祉専門学校
駅前通りの歯抜け状態のすごさとまつり会館、博物館をはじめ田原町の整備のすごさ・裕福さの対比に驚きました。
住宅の状況としては、比較的規模が大きいものが多いように感じました。空き家もまだまだ使えそうなものもありそうです。

空き家
いつまでも実現できない再開発計画が街を壊している。
白木屋はなぜ取り壊してしまったのでしょうか。あれだけの面積が空き地のまましばらくみんなの目に晒されるのは、良くない。古く空き家になった建物がいつまでも残っている方がまだ歴史が描け、次につながるような気がします。

渥美病院(移設予定)

老人保健施設
図書館を渥美病院跡地につくると、車でしかアクセスできません。そもそも図書館とは、ハード(箱物)でなくソフトなのです。私の年来の主張は、新規に箱物をつくらずに駅ビルを図書館にするもしくは駅前貸しビルを借りて図書館にする等の「外観のない図書館」でかつ「交通弱者にやさしい図書館」です。
図書館は、規模の大きなものよりも、身近で気軽に訪れることのできるものの方が田原町の中心部にふさわしいのでは。地域の人に親しまれ、活用されるものこそが、これからの施設づくりに求められているのではないでしょうか。
はなとき通り 東   西
 白木屋跡

ここかしこにある再開発用地
渡辺崋山という住民が胸をはって誇れる偉人を持っている事をうらやましく思いました。やはり街には歴史と物語性がいると痛感しました。
まつりや渡辺崋山の存在がまちに対する愛着を生んでいるように感じました。町を愛し、そこに住みたいと思わせる条件は整っている。問題は、その思いをどう実現するかではないでしょう
特に今後高齢者が増えるとき、物語性を持ったまちづくりというのは大事だと思います。渡辺崋山も重要な財産ですが、それ以降のまちの歴史も目に見えるように配慮していくべきです。

○ 田原21世紀の祭りの提案−−−ここに渡辺崋山あり、「報民倉」の復活
名称: 
田原−地獄の夏祭り (現地語に変更可)
日時: 
8月12日6:00AM〜16日6:00AM
内容: 
◇12日の夜明けとともに口にできるには、一汁一菜の三度の食事だけ(白米禁止)。これは、旧盆に精進料理で済ませ、殺生を避ける習 いに準ずるもの。飽食を戒め、断食に近い食で疲れた身体を休 める。簡単な食事で主婦が助かる。
◇食費は当然浮きます。金持ち田原は、ケチじゃない。1日一人3食で1,000円、四日分で4,000円、町民36,000人で計1億4,400万円にな る。町民がこぞって現金カンパ。これを貯えるのではなく、飢えている世界にポーンと気前良く贈るのです。後日、町の代表が直接届けます。顔の見える国際貢献です。21世紀「報民倉」は、世界に手を差し伸べるのです。
◇盆といえば若い連中が都会から戻ってくる。それなのに貧乏食では、ひどすぎる。暑くて休みとくりゃ、ビールぐらい飲みたい。こういう 場合、どんどん外食する。屋台は町で用意する。但し、出費はすべてお布施。原材料・光熱費以外すべて「報民倉」へ。一般 の商店も大いに営業していいが、粗利はお布施。労働もすべて布施。盆踊り・花火大会いろいろ布施が集まる。何やかやで「報民倉」は2億にはなる。
◇飢えている世界は地球のあちこちに。毎年どこへ贈るかは、町民みんなが考える。小中学校では世界の現代史・地理を積極的に議論する。贈り先は関心の的になり、町民の目が世界の向かう。視野の広い人物を輩出する契機になる。これは、ひとづくり。そして、まちづくり。
◇15日の夕方6時過ぎ、解禁。鐘楼流しも早めに終えて、街中一斉に飲めや喰えやの大爆発。せっかくのダイエットも台無し。15日は朝から周到に準備。この時ばかりは、誰彼となく、町外の人にも大盤振舞。金の出所は、なんて細かいことは考えない。青空宿舎も用意し、朝まで遊ぶ。いろんな小道具も必要でしょう。
◇二十数年後、東海沖地震あるいは南海大地震で東海地方が壊滅的被害を被る中、田原町だけには、すぐさま全世界から救援物資が到着。死者をだすことなく、短期間に復興を 果たす。新たな伝説の始まりとなる。
◇「報民倉」の民とは、世界の民です。悩めるハンディを背負う人たちに、ちょっぴり報いるイヴェントです。