東京・横浜 先進事例調査
1999/12/10〜11
下宿屋バンク/
参加者: 6名
日時:1999年12月10日 13時〜15時ぐらい
●応対:NPO法人下宿屋バンク 理事長 崎野 早苗氏/事務局長 宮嶋 良氏
●場所:かながわ県民センター・ボランティアルーム
    (横浜駅前でボランティア団体が自由に使えるスペース。下宿屋バンクも事務局として利用している。団体ごとの貸しロッカー・FAXなどの事務機器や会議・事務処理等に自由に利用できるテーブルがある。)
下宿屋バンク

1 機能・目的
     高齢者が安心して住める下宿や共同住宅の斡旋という本来機能の他に、高齢者のぼけ防止のための生活支援や空き家の有効活用の情報発信や情報交流といった機能を持っている。
2 組織
  • 会員組織で現在は会費のみで運営している(会費年3000円)。運営はまだ手弁当で、経費のみに会費を充当している。
  • 事務所は県民センターで運営。(将来独立した事務所を持ちたい。)
  • 月1回新聞を発行しているが、新聞の発行経費はすべて広告料で賄っている。
  • 会員は約200名でその内の3分の2が住みたい人である。当初は全国的な組織で会員約500名だったが、大阪、群馬に下宿屋バンクが出来てそれぞれに分散し、神奈川県を中心とした組織となっている。
  • 会員の平均年齢は、最初73歳ぐらいだったが、20代から40代の人が入って平均年齢が下がり、現在は62歳になった。
  • 平成9年5月、任意団体として出発した下宿屋バンクだったが、平成11年10月、NPO法人「下宿屋バンク」となった。
3 具体的活動状況
  • 今までに手がけたのは2件(既に下宿生活の始まっているもの)で、概ね年に1件である。今は情報を待っている状態にある。
    グループハウス欅(神奈川県伊勢原市) 6人募集で現居住者3名(現在2名募集中)
    シェアハウス柏(千葉県柏市)       3名募集で現居住者2名(現在1名募集中)
  • 今の下宿屋バンクのシステムでは高齢者が下宿を決めるまでに半年、実際に転居し終わるのに半年かかっている。対象物件現地での芋煮会や体験合宿、共同生活体験などの活動を何回も繰り返してから決めてもらう。高齢者の引っ越しは季節を選ぶし、引っ越すまでにゆっくりと時間をかけることが求められる。
  • 人間関係づくり、共同生活の適性確認などのため、サークル活動や生活体験旅行などを積極的に行っている。
    (サークル活動の例)
    共同生活養成講座/おしゃれ倶楽部/パートナー倶楽部/住まい探しクラブ/喜楽会/俳句の会/映画とランチの会/ソーシャルダンスの会/しゅうりすとクラブ(修理を学んだり、修理ボランティアをする)
  • オーナー研修をシステム化している(年2回のセミナー、来年はさらに講座として充実させる予定)。オーナー教育が大切。下宿屋はオーナーの個性によってかなり違う。
  • 共同生活の情報提供のため、第2回住まい展や「下宿屋バンク情報」(年刊誌)を予定している。また、HPの開設に向けて準備中である。(現在「下宿屋バンク」でいくつか検索は可能。)
4 下宿の具体的状況
  • 家賃等は現在は入居金150万円、 家賃 3万円から6万円程度。家賃・入居金はオーナーが決めるが、下宿屋バンクとして調整する。居住に年限を設けた募集は断っている。
  • 最低3人以上で住むことが条件、最低3人で4LDK以上は必要。下宿屋にするにあたり、ある程度改修をしている(必ずしも条件にはしていない)。大きい風呂を作った事例があったがあまり利用されていないなど、現実の状況を説明することも支援の一つ。
  • 人間関係が一番の問題。「人とひとを結ぶ−結縁づくり」が下宿屋バンクのコンセプト。男性が今のところオーナーに断られる例が多いのが残念。
  • 下宿の提供は家族、特に相続予定者の同意を得ることを条件にしている。
5 設立のきっかけ
  • 崎野さんが親を介護している中で考えた。
     以前は運送業を自営していたが、父親の介護を契機にホームヘルパーになったことがさらに実現を早めた。事務局長も高齢の男性だが、学校の夜間警備員のため、昼間の自由時間を活用して、設立時から参加している。
  • 設立経緯
    95年にベンチャービジネスアイデアの募集があり、下宿屋バンク構想を応募したらアイデア部門で当選。そこで説明会を企画したところ、新聞で大きく報道され、多くの人が集まった。説明会の後、スタッフが30人ぐらい残り、会員組織の中心となった。設立後2ヶ月ほどでできた第1号が、下宿屋らしい3人住まいのモデルケースとなり、現在に至っている。下宿屋風からコープ住宅まで「居住者が支え合って生活する」というコンセプトを持つ全ての共同住宅が対象なので、下宿屋バンクではこれらの住まいをシェアハウスないしシェアリビングと呼称している。
6 今後の抱負
     「集まって住めば、ぼけ防止になる」というのが理念。団塊の世代の3分の2は持ち家に住んでおり、今後住宅が余ってくるので、その空き家を埋めていく取組が必要である。大阪と群馬に下宿屋バンクが出来ているし、北海道にもグループホームが多くできている。下宿屋バンク的なものが全国に広がると良いと思う。
     オーナーセミナーを更に充実させること、ある程度の実力を持つコーディネーターを早急に養成して世に送り出すコーディネーター養成講座を始めること、共に支え合って住む住宅や共生のまちづくりを情報パックとして提供できる「情報バンク」づくりが、当面する2000年の目標である。
●日時:1999年12月11日 9時30分〜14時ぐらい
●応対:谷中学校 副代表 西河哲也氏/同 中島尚史氏/同 椎原晶子氏
●場所:東京都台東区谷中
谷中学校

1 概要
     谷中学校は、昭和60〜63年に東京芸大の大学院生と谷中界隈の地域有志で行った「上野谷中根津千駄木の親しまれる環境調査」のネットワークを母体に、調査成果を具体的に町に還元し、まちづくりに役立てたい、とまちと住まいの専門家や町の有志により、平成元年7月に発足したもので今年で10年を迎えた。
     保存改修された町家の一部を事務所として借用し、専従の事務職員が週3日間在駐し、ガイドブックなどのグッズの販売も行っている。事務局として専従職員以外に4名、その他に運営会員が20名、賛助会員が30名、一般会員が200名いる。
2 これまでの主な活動
    (1) 町家の保存・再生、修理
     明治の町家の保存活用や銭湯のギャラリーへの改修など
    (2) 公共施設やまちづくりへの提案
     谷中小学校前のポケットパークの整備において住民の意見を整理して行政に提案「台東区下町型住宅のあり方調査」(1992〜94年)に参画
    (3) まちと住まいの相談室(住まい班)の開設(1998年)
     谷中に合ったすまいづくりを考えていこうと、すまい班を新たに発足し、建て替えや増改築のアドバイス、設計、地元の工務店の紹介等を行っている。
    (4) まちを舞台とした芸工展(1991年〜)
     まちじゅうを展覧会場にみたて、谷中に関わり、愛着のある職人・作家や町の人の絵や音楽、暮らしの道具や手作りの食べ物を紹介し、地図をガイドに町をめぐる企画。毎年10月半ばの1週間開催。江戸時代からの職人文化と芸術の森・上野という芸術的素地を持つ地域であり、そんな魅力を大切にしながら、住む人、訪れる人が歩いて谷中の文化を再発見し、谷中を考える交流の場となることをめざす。
    (5) その他
     谷中ジャングル探検隊などの環境学習、リサイクルフリーマーケット、各種出版物等の制作・販売など
3 谷中学校の活動が認知されるきっかけとなった「マンション見直し運動」
     このように様々な活動を展開してきた谷中学校であったが、外からやってきた人間が勝手にやっているとか若い者がどうやって食っているのか、バックに政治団体や宗教団体がついているのでは、という見方もされてきたところがあったという。
     そんな中で、谷中学校が地域の人々に認知される機会となったのが、9階建のマンション計画の見直し運動である。昨年10月に大京による計画がもちあがったが、その計画がこれまで地域の不文律として成り立っていた街並み形成を逸脱するものであった。しかし、法的には合法な計画に対して住民エゴではなく、地域にふさわしいマンションにするよう見直しを要求する組織を結成し、その事務局となったのが谷中学校である。建築・都市計画の専門性を生かし、技術的な支援を行っている。事務局経費として100万円(住民たちが集めた!)を受け取っているが、これは、実費のみであり、人件費は該当していない。
     最終的には最高で6階建、道路側は4階建とし、谷中にあった建築意匠・外構とするよう合意され、工事が進められている。
 「マンション見直し運動」のより詳細な経緯 http://yanaka.site.ne.jp/
4 1999年の主な活動
    1) まちとすまいの相談室
    * 谷中三坂崎ライオンズマンションの計画見直し
    * 住まいの建替相談
    2) まちにとびだす谷中芸工展 10月9日〜17日
    *今年で7回目。芸術文化振興財団助成事業
    3) テーマ別自主研究
    * すまい班−高齢者の住まいと町の環境にとりくむ
    * 初音の道研究会−初音の道沿道の人々を中心に暮らしの道復権をめざす。(都市計画道路として拡幅が予定。沿道の古い建物がすべてかかる。谷中学校も対象に)
    * リサイクル班−地球環境の視点より、地域からの発信としてリサイクルの問題を考える。
5 課題
     課題としては活動の経営基盤をいかに確保していくか、ということであり、中心メンバーは一方で食うための仕事を抱えながら、活動しているといった状況である。芸工展などの事業の助成金の一部を家賃(月6万8千円)や事務局員のアルバイト代等に当てるべくやりくりしたり、助成を受けて様々なグッズを作成しておいて、それを販売するなどの苦労もしているという。受託調査などの受け皿として有限会社を設立しているが、これをNPO法人に改組すべく検討している。NPO法人化をめざした新・事業体制(案)としては以下の3つの事業があげられている。
    (1) 普及事業
     谷中学校の主旨に沿い、谷中のホッとする町を町の人と共に育てていくことを目的とした事業
     1) まちとすまいの相談室  2) まちにとびだす谷中芸工展  3) テーマ別自主研究
    (2) 収益事業
     谷中学校の他事業を経済的に支援するための収益を目的とした事業
     1) 谷中学校グッズ・谷根千関連物品販売 2) 谷中界隈のまち案内(ガイド料) 3) リサイクルバサー 4) 「谷中学校」紹介の講師料  等
    (3) 公益委託事業
     谷中学校の主旨に沿った公益法人等(都市基盤整備公団、ハウジング&コミュニティ財団等)からの委託・助成事業。将来的には行政からも委託を受けられることをめざす。
 中心メンバーの西河氏、中島氏の話しを聞いた後、子連れで駆けつけてくれた椎原さんとともに、町歩きにでかけた。まちの人が3人に話しかけてくる。まさに地域に密着しているという感じだ。最後は、ちいさなレストランの前の道路で食事をした。ゲリラ的オープンカフェの出現である。
 谷中では、魅力ある地域資源が存在し、それに価値を見いだす人々が外から移り住むことによって、刺激が生まれ、まちに活力を与えているといえる。そこに住みつきたいと思わせるような魅力が地方都市の中心市街地に見いだせるかが、活性化の試金石の1つになるのではないだろうか。

町家(元酒屋)を再生した谷中学校事務所

ハウスメーカーによる住宅だが、街並みにそぐわないということで谷中学校に相談。木の外構を施している。谷中学校が木造しか手がけないという誤解から建設する段階は相談がなかったという。

小学校前のポケットパーク。谷中学校のアドバイスにより、テントの張れる空間を確保。地域にある大名時計博物館をイメージさせるモニュメントを設置。

西河氏の住まい。4軒長屋の1つ。

谷中学校の手によって改修された住宅

地区内のレストランで。店の前にテーブルをおいてゲリラ的オープンカフェの出現。
マンション見直し運動の経緯を示す掲示板


     
 電脳谷中芸工展1999
谷中西庵
●日時:1999年12月11日 16時〜17時30分
●応対:早稲田商店会長 安井 潤一郎氏
●場所:東京都新宿区西早稲田 稲毛屋ビル2F
早稲田商店会

1 きっかけ、モットー
     早稲田商店会は大正期創設の商店会。早稲田大学周辺にある7つの商店街で連合会を作り、エコステーションなどの事業は共同で行っている。連合会も本職の片手間で事務局となっている者がいる程度。全体で700店舗が470に減少している。早稲田商店会もかつてよりは商店数が減っているが、最近は70が77に増えた。これはコンビニなどの貸店舗が増えたもので、土地持ち店舗経営者は減少している。
     早稲田は大学の街。学生3万人に対し、その他の住民は2.2万人。学生が帰郷する夏休み期の夏枯れ対策として、8月にイベントを実施した。何か話題となるテーマをということで「環境」をテーマにエコフェスティバルを開催。それがマスコミに取り上げられ、活動として広がった。
     商店会はけっして一体の組織ではなくライバルでもある。また全員参加などはとても不可能であり、常時動くのはその規模に関わらず5人程度だ。そこで「できることをやる、できないことはやらない、動きながら考える」などをモットーに活動を行っている。イベントを実施することを目標にはしない、イベントによる街の変化に興味を持つ。
     街を動かす力は、「儲かること」と「楽しいこと」。
2 エコステーション
     早稲田商店会内のエコステーションは1ヶ所。空き缶を入れるとゲームが始動し、割引券等が当たる仕組み。空き店舗利用で家賃7万円、機械のリース料9万円余、他の経費3万円の計19万余の支出に対し、広告料2万円、当たり券を出す協賛商店から3000円×36社(の予定が現在30社)、これに加え月に1週間また貸しレンタルをしており
    10万円で、全体としてペイしている。ちなみに割引分は食品メーカーに負担させるようにしている。
     合わせてこの場で月3回福祉作業所の商品販売を実施。生ゴミ処理機やペットボトル処理機も導入予定だが、これには管理のため常時人がいる必要があり、これは高齢者雇用につながる。
3 ネットワークとテーマの広がり
     第1回エコフェスティバルの際にエコステーション7基を設置しこれらを電話回線でつないだことから、メーリングリストに発展。現在約100名が参加。その中には東大の地震研、エコマネーの通産省加藤課長、NHKロンドン支局など多彩なメンバーがいる。またホームページやフェスティバルのチラシなども町内の高校生が、新潟から来た高校生とともに作成している。障害者も狭い店には迷惑な存在と思っていたが、乙武に出会い、能力の高さとさわやかさに脱帽した。また最近は修学旅行のコースに訪れる学校が出てきた。
     今は全国色々な所に呼ばれて講演をしているが、そこで新たな商品を発見しつながっていく。全国の小さな商店街がつながることで売れるものはいくらでもある。
     この活動をしてきて、子供達が変わった。早稲田商店街にはいわゆるジベタリアンはいない。大人が変われば、子供達も変わってくる。
     始めは、商店街振興のためのテーマとして環境がブームだろうということで始めた活動だが、防災や情報、障害者、高齢者福祉など、幅がどんどん広がってくる。役所では縦割りで重いことも、街では軽くできる。
 早稲田いのちのまちづくり 参考図書:「スーパーおやじの痛快まちづくり」(講談社)
   著者:安井潤一郎 早稲田商店会会長
   定価:1680円(税込)

早稲田商店会(都会のどこにでもある商店街)

エコステーション

空き缶回収ゲーム機