2000/8/26
参加者:    計15名
●見学コース
□牛久保
 牛久保駅(かつての物資集散拠点)−牛久保城跡(今はただの広場に)−長谷寺(山本勘助の墓)−常磐通り(家具店で栄えた商店街)−八幡社(うなこうじ祭り)−一色城土累・大聖寺(今川義元胴塚・河岸段丘の景観)
□豊川
 豊川駅(アーチ型の自由通路)−門前通り(土産物店多し)−豊川稲荷−駅前通り
 
牛久保の常磐通りは、あまり困っているように見えなかった。郊外への家具店進出で店がなくなったということだが、実は常磐通りの家具店が移転したのではないか。
移転した店もあるが、多くは廃業している。
JR駅やバス路線にも近く、住宅地へ変わりつつある街という印象だ。
通り沿いに一皮だけ間口の狭い土地が続くが、その後ろは広い土地の住宅地が拡がっている。それらは一部、土地を切り売りしたり分家が建ったりして、長屋や狭い分譲宅地となっているが、全体的には豊かさが感じられる。買い物は車でサティなどへ出かけ、仕事は豊川市内や豊橋、場合によっては名古屋へも便利な土地であることから、さして生活に困っている様子が感じられない。
市役所の自主研究グループが作った「タウンウォッチング 豊川の巻 牛久保の巻」は見事だ。
今川義元胴塚/八幡社

牛久保と豊川の間が、整然とした区画の中に、住宅地が続いているが、どうしてこうした街ができたのか。
元々は荒れ地や桑畑だったところを、豊川海軍工廠が立地するにあたり、戦前に区画整理を行った結果である。
人口の推移としては、もともと4万人程度の街に、工廠ができて一挙に5万人ほど増えて9万人となり、空襲等により戦後6万人近くに減ったところが、インフラ等は整備されていたことから、次第に発展し現在は12万近くを数えるようになった。
JR豊川駅

豊川稲荷の門前通りには、確かに正月だけ開店するというシャッターの降りた店もあったが、最近改築された店舗も多く、そこそこ賑わっていた。都市計画道路の拡幅を再検討という方向が見えてきたことによって、店舗改修の動きが出てきたのではないか。
駅前通りの優良再開発計画(共同建替)は依然一部の地権者の反対もあって進んでいない。門前通りから一歩はずれると、精肉店舗など近隣住民を対象とした店舗が多く並んでいる。
正月以外はシャッターを降ろした店も。

駅前商店街の駐車場入り口