ヤナギタ -在上海日子-

柳田くん。 北京師範大学で一年半漢語進修に在籍した後、2000年9月より上海復旦大学の本科に入学した柳田くんの留学生活日記をお送りします。全て柳田くんの気まぐれなメールに頼るしかありませんので、不定期更新となります。


2001年1月13日

 今日いきなり引っ越ししました。ホントは今までのとこを冬休み中借りる予定だったのですが、同屋がいないなら二人分出せとか言われて、しかも、今日中に決めないと追い出すとか言われ、ホント泣きながら引っ越し作業をしました。今はとりあえず、日本に帰る友だちの部屋を1月中は借りて住むことにしました。ホント、緊急時には友だちのありがたみが身にしみて分かります。彼らがいなかったら本当にどうなっていたことか、、、今思うとぞっとします。
 全く何があるかわからんですねぇ。今日はそのおかげで腕がだるく、とてつもなく眠いです。

2001年1月9日

 なんか日本や北京は大雪の様子ですが、ここ上海は昼間普通に暖かくホントに冬かいなと思うほどでした。夜になってから少し雨が降ってきましたが雪にはならないでしょう。

 テスト勉強の他に、僕を悩ませるものが増えてしまいました。それは、部屋問題。僕はもう中国に来て2年近くになります。そろそろ1人で住みたい。プライベートな時間が欲しくなってきました。現在予定中なのは、3,5ドルの部屋を一人で借り切る。これは、金額的にはいいのですがなにぶん人気があるので取るのはちょっと難しいとのこと。しかも、共同トイレとシャワー。まあ、これは全く問題ないのですがなにぶん建物が古いので結構汚いです。しかし、クーラーがない。これは上海ではかなり死活問題のような気がしてなりません。
 もう一つは外に部屋を借りる。これはだいたい一月1500元ですむことができます。しかもクーラーや冷蔵庫、テレビまでつきます。更にかなり部屋は広いです。北京に比べると、外にすむ環境はかなり整っています。なのでかなりの学生が外に住んでいます。しかし、外にすむのは手続きが結構面倒なんですよね。さて、どっちにしましょうかね。なんて悩んでないでテスト勉強せんと・・・

2001年1月5日 ---テスト一部終了---

 テストまずは2教科終了しました。結果の方も終了しました。さすがに難しかったです。もう1教科あると思うだけでうんざりします。 テスト内容は、ほとんど最初は穴埋め。そして、単語の解説。文章の説明。 著者あて。そして短い論文。穴埋めと単語の説明まではなんとかなったのですが、著者あてとか、論文なんかはさすがにかけませんでした。結果がかなり恐いです。C異常でないともう一度受けないといけないのです。しかも有料。 1教科40ドル。ちなみに中国人学生は40元です。なんかかなりかねずるにされているような気分です。実際そうなのかもしれないのですが。あと、極秘情報として、ここでは1単位2000ドルで買えるそうです。あまりお金のお世話にはなりたくないもんです。

2001年1月3日 ---テスト前日---

 明日はいよいよ初のテストです。かなり緊張気味・・・ちゃんとできるのでしょうか。はい、できません。一つは教科書やノートを見ながらやっていいのですが、一つはホントのテスト形式。全く困ったやつです。自分で決めたことなので、頑張りたいです。単位も落としたくないもので・・・

 それにしても、プレステ事件はかなり問題ですね。ウサギよりたち悪いかも。今年はなんか正月気分には浸れそうもありません。テスト終わったらやっとゆっくりできそうですけどね。それでは、また。

2001年1月2日

 ついに21世紀です。しかし、年越してから辛いのが留学生。いきなり4日からテストです。しかも2教科。どうしましょう。 語学班のころが懐かしく思われます。おかげで新年を気分良く祝うこともできず、今では日々徹夜です。早く冬休みこないかなーーそればっか考えている今日この頃です。それではみなさんよいお年を。

2000年12月20日 ---猪木復活?---

 1998年4月4日東京ドームに猪木の引退試合を見に行った自分としては、今日の猪木復活のニュースはものすごくうれしいものです。同屋がまだ寝ているのにも関わらず、大声をだしてしましました。きっとこんな風に喜んだ人はものすごくいたことでしょう。2000年を「1.2.3.ダー」で締めくくるなんてなんて猪木的な発想。もう最高です。なんかとっても日本に帰りたくなってしまいました。何とかこっちでも放送してくれんもんでしょうかねぇ?

2000年12月19日

 もうすぐクリスマスであります。彼女もおらず、クリスチャンでもない僕には全く関係ないなんてもんでは無いですね。今年は友だちと酒でも飲んで騒ぎたいと思っています。(去年と一緒かも・・・)
 中国にいると食べたくなるのが日本食。ここ復旦の周りには日本食屋が一軒あるのですが、さすがに北京の語言の周りほどではありません。上海で結構日本食を食べたのですが、やっぱりばんりを越える味には出会っていません。 たまーに「ばんり」にいきたいなーなんて思ってしまします。ああ、こんなことを書いているからまたおなかが減ってきてしまった。

それにしても明日の日韓戦・・・見たいなーー

2000年12月16日

 こないだ同屋のパソコンがシステムダウンしてしまって、全くメールが書けなくなってしまいました。なので、メール送れませんでした。それも何とか復活したようです。
 最近の北京はどうですか?やっぱ、寒いんですかねぇ。去年の今頃北京にいたのがつい最近に感じられてしまう今日このごろです。なんか北京の雪がなつかしっす。上海では雪がほとんど降らないらしく、其の替わりよく雨が降ります。今日も降っているんですが。。。北京にいたときは感じなかったのですが、冬に降る雨はかなりうっといです。寒いですしね。なんか、日本の地元の気候そっくりな感じがしてしまって。
 世の中はHSKでざわざわしていますが、こっちは期末テストによってかなり日々を悶々とした気分で過ごしています。今学期は単位ほとんどおとしそうな勢いです。やはり一筋縄では行かない。。。出席で何とか憂慮してほしかったのですが、いっつもとんないし・・・まあ、始まったばっかなのでとにかくがんばって見ます。さすがに物にするのにはかなりの時間がかかりそうです。

2000年11月21日

 上海は最近ほんとに冷え込んできて、ヒーターが欲しいです。一応暖房がついているんですが、まだ始動していません。ヒーター買っても電気代は個人もちなので、あんまり使えない。全くここは不親切です。北京ならいくらヒーターつけてもただだったのに。。。そうそう、ここ復旦大学では電気代と電話代はすべて個人持ちなのです。電気代は超過料だけですが、一月約30元ぐらいです。
 上海のうちの大学の周りでは、今イカ焼きがはやっているようです。夜になると、イカ焼きの屋台がどこからともなくやって来てにぎわっています。でも、僕的には虫いるよなーーなんて思ってしまい、食べません。いつも羊肉串を食べています。同じかな?

2000年10月30日

 ここに僕の記事が載るようになって結構経つと思うのですが、振り返って見るとあまり授業内容について話していないような。なのでここで一つ。基本的に留学生なので今学期の授業は少ないです。しかもかなりの少なさ。
月曜日、授業無し。
火曜日、午後から3コマ、社会学概論。
水曜日、午後から3コマ、専門中国語。(とかいいながら実は刑法。しかも留学生のみ)
木曜日、午前から3コマ、政治学原理。午後から3コマ憲法。
金曜日、午前から3コマ、法理学。
といった感じです。基本的に週休4日制。これからが恐ろしいです。でも、授業の進むのがとても早いので、かなり大変です。授業内容は、概要的なものばかりなのでかなりつまらない・・・さすがの中国人学生もつまらんらしく、寝ている学生続出。しかも、欠席とらないのです。確か、中国ではまず出席ありきだったのでは。。。なんか現実はかなり違いました。これからどうなるかは分かりませんが・・・まあ、実際ついていけてませんけどね。ハッハッハ!!!!(;>ω<)

2000年10月22日 ---雨、雨、雨---

 最近上海はずっと雨。なんか日本みたいです。北京生活に慣れている僕としてはちと絶えがたい。とはいっても日本と変わらないといえば変わらない。特に、家の地元と結構にている。でも、北京も寒かったなーーああ、懐かしい(T-T)降っては止んでまた降ってとかなりうっとうしい。
 最近なんか怪しげなバイト話が入ってきました。それは、大学の留学生専用医務室の通訳のバイトです。確か1時間20元。まあ、ほとんど患者さんが来ないそうで暇らしいですが。しかし、この僕にそんなことができるんでしょうか。っていうかできない。(;-;)何せ病名何も知らないんですから。(*^^*)知っているとしたら「感冒」ぐらいですかねぇ。ってこれは病名じゃ無いか。 まだまだ中国語の知識のなさを痛感させられる日々です。やはり、このバイトは断った方がいいかもしれません。さすがに間違った翻訳はできません。

2000年10月12日 ---さ、寒い。。。---

 昨日まで半袖で汗かいていた程気温があったのに、今日突然寒くなりました。なので、急いでクローゼットからウインドブレーカーを引っぱり出しました。全くなんで中国の気温はこう突然変わるんでしょうか・・・謎です。確か北京でもこんな感じだったような。もうちょっと人間をいたわって欲しいものですね。
 こんな日には風呂にでも入ってあったまろうかな。これは北京ではできなかった贅沢。後こたつでもあれば最高なのだけども・・・どっかに売ってるという噂なんですがちょっと欲しいです。

2000年10月10日 ---大人になれば・・・---

 昔、っていっても高校2年ぐらいですが、大人と子どもの定義について考えたことがあります。結局結論は出なかったのですが、最近になってまたふと考え出しました。原因としては、上海に来てからやたらと自分より年下と接する機会が多いためだと思うんですが、はっきりとわかりません。
 昔から20過ぎたら大人って言う考えにも疑問があったし、ちょっとぐらい長く生きている人たちを大人と認めたくはなかった感があります。(かくいう自分もかなりの子どもというかガキ)大人には子どもとは違う何かがないといかん!と考えていました。(まあ、前からひねくれもんでした。)
 それは結局、知識でも経験でもなく、自分の足りないところを素直に認める事のできることだと思います。これがかなり難しいのですね。結局日本において大人と子どもは年齢差と上下関係の同意語でしかなく、とても画一的な感じです。知識なんか覚えりゃいいし、経験なんかは生きてりゃそのうちついてくる物だし。やはり、自発的に自分の持っている空白の部分に向き合える人は、凄いと思うのです。
 利己的にわがまま放題に生きてきた自分にとっては遠い存在・・・ホント最近自己嫌悪感がどんどんわいてきてなんかいやな感じです。なーんて事をちょっと考えてしまいました・・・

2000年10月9日

 最近視力が弱まってきたらしく、黒板が全く見えなくなって来ました。っていうか、教室広すぎ、、、しかも、先生の字かなり汚すぎ。おかげで全く見えん。なので、明日伊勢丹に行って眼鏡買ってきます。大体400元ぐらいを予定しています。
 後、最近公安の制服が変わったそうですね。なにやら紺色。僕個人的に言うと、あの亀さん的な感じが好きだったんですが、、、みなさんはどうですか。

2000年10月6日

 いやどうもこんにちは。お元気ですか?国慶節はなかなか大変そうですね。
 僕は、おととい北京から来た友達(ぷーの部屋の人)達が帰っていったのですが、その後すぐに39度程の熱がでて凄いことになっていました。今日もまだちょっと喉が痛いです。いやですねぇ風邪は。
 同屋の小林がホームページを作ったので、リンクしてやってはくれませんか。なかなか凝ってますよ。
http://tools.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/3713/ です。
 それでは。さようなら。

2000年10月1日 ---国慶節!!!---

 うーん、今日は国慶節です。去年は北京でベットの上でごろごろしながら大行進を見ていたのを思い出します。もう1年経ってしまったのか・・・早いもんだ。
 今年は北京から友達が来たので、一緒にバンドや南京路に行って来ました。 しかし、そこには人人、、、かなり大変でした。行く先々で休憩を取り、なんか休んでいたほうが多かったような。
 バンドに行ったのはいいのですが、付近は交通規制で車が通れず、帰りのタクシーが全く捕まりませんでした。仕方ないので規制がなくなるところまで延々と歩きました。疲れたーー
 バンドはいつもより綺麗にライトアップされていてかなり綺麗でした。しかし、道にはものすごい量の種の殻。さらに羊肉串、イカ串等の屋台。なんか日本の縁日みたいでした。でも、屋台は実際禁止らしく公安に見つかった屋台は強制撤去でした。(でも、すぐ場所を変えて商売しているんですけどね。まあ、ここら辺はどこでも一緒です。)きっと、明日頃になったらバンドはかなり汚くなっているんだろうな・・・

2000年9月25日 ---上海で初散髪---

 一度北京で髪を切り失敗して以来。僕は二度と中国では髪を切るまいと誓っていました。そのため、師範大にいたころは1年髪を切らず、かなりの長髪になってしまいました。(かなりうざかった。)
 しかし、この間帰国子女の友だちに
 「最近前髪がじゃまなんだよねー」と言ったら、
 「じゃあ、いい店を紹介するよ。」と言い、そこで切った時の写真をみせてくれました。その写真が結構普通だったので、怪しみながらもついて行きました。その美容室は、僕の中国美容室の常識を覆すものでした。中はかなり綺麗で、店員さんもかなりいて(客より多かった。)そして、髪を切ってくれる人も指名できるのです。北京では考えられん。ちなみに僕の髪を切ってくれた人は、香港から来たちょっとかっこいいお兄さん。例えていうなら村野武則の若いころって感じ。お任せでやってもらったらその村野さん、
 「私の理想を達成させるためにはパーマが必要」
などと金の無い僕に容赦ない一言。さらに友だちも悪ノリで薦めてくるし。。。仕方なく、パーマをあてることに。ああ、僕の生活費が、、、そんなこんなで、出来あがってみると、これが意外と普通。最初に比べたらものすごい進歩です。でも、なんか藤井隆みたいになってしまった。今回はパーマをあてたのでお代はしめて380元。
 高い!!!!!!!!!
 カットだけなら55元。次からはカットだけにしよっと。。。

2000年9月24日 ---ア、アメリカに・・・---

 ま、まさかアメリカに負けるとはおもわなんだ。しかも、PKで。なんとも悔しい。余裕で準決勝だぜ!って友だちに言っていた俺の立場は。。。
 でも、この結果はかなり恐ろしい。なにせ、アメリカの前監督は今の中国の監督。きっと中国も強くなるんだろうな。日本にも頑張ってもらわねば。
 今日は友だちに観光名所を教えてもらいに行ってきまーす。

2000年9月22日

 僕が留学を決意して早2年。はやいもんです。最初北京にやってきた時は「ニイハオ」ぐらいしか知らなかったのですが、何とか予定通り(?)本科に入ることが出来ました。とは言っても、やっとスタートラインにたったばかりなんですけどね。その間にホントにたくさんの素敵な人に出会いました。
全く中国語のわからない僕のために毎日発音を教えてくれた方。
一緒にぼけーっとテレビを見ていた奴。
お昼毎日同じメニューを食べに行った人。
礼儀知らずな僕をいろいろ説教していただいた方々。
毎週末アホみたいにゲームしていた奴ら。
ガンダムの素晴らしさを教えてくれた人たち。
あげればきりがないです。
振り返ってみるとなんか変な人もいっぱいいたなぁ。でも、ホントに楽しくて充実した1年でした。今では北京は第二の故郷のようなものです。

 高校を出てすぐ留学するのはどうか?大学の中国語科に入った方がいいんじゃないのか?と言う事を、ずいぶん多くの人から言われました。確かに前までは自信がなかったです。でも、今では留学して良かったと思います。これからもずっと。日本では経験出来ないこともいっぱい経験出来たし。。。
 それにしても今考えてみると、高校の先生が一番留学を進めていたような気が。。。絶対止められると思っていたのに・・・かなり乗り気だったのは気のせいか。。。よくよく考えてみると我ながら運がいいなぁ。

 そして、学科変更に関して親切な意見をいただいた鈴木さん、武村さん、山本さん、立木さん、石山さん、そしてもちろん森下さん。ありがとうございます。みなさんのおかげで生きてます。

2000年9月21日 ---上海は今日も雨---

 本科の授業が始まって以来、(とは言ってもまだ2週間ですが)ずっと木曜日は雨です。しかも、木曜日が1番授業が詰まっているのでかなり憂鬱。。。
 今日はちょっと面白いことがありました。午前中の政治学原理の授業での出来事ですが、なんとこの授業、多くの学科が必修科目の上に教室が狭く座れない生徒続発。教室に入りきれないぐらいです。実はこの授業、先週もこんな感じだったのです。そのときは先生が教室管理の先生に何とかするように言っておくと言うことで中止になったのですが、またもや同じ状態。なんの手も打ってありませんでした。先生もあきれた様子でした。そのときの先生の言葉ですが、この学校の実体をよく表していました。
 「一流的学生。二流的教師。三流的教室。四流的管理。」
 ホントよくぞ言ったって感じです。
 その後、何とか大きい教室で出来る様になったのですが、それは来週から。なんか怪しいです。しかも、今日の授業はなぜか10時まで。うれしいやら悲しいやら。まあ、こんな感じでちょっと変わった学校です。法律科だけなのかなぁ。

2000年9月20日

 オリンピック、北京でも見られないなんて、なんて悲しい。うちの寮ではチャンネルが5個ぐらいしかなくて、ほとんどVCDとプレステのためにあるような感じです。って、最近ではあんまりゲームしている暇はないんですけど。
 そうそう、今日青島さんとちょっとした交流がありました。なにやら徳重さんが電話で伝えた様です。僕は青島さんが思っていたよりずっと若くて、ちょっとびっくり。こっちに来ている華僑の人や、帰国子女の人はかなり大人びてみえます。今年復旦の法律科に入った日本人は全部で6人。そのうち帰国子女の方は3人なので、訳してもらったりしてちょっとズルしています。
 しかしこの復旦大学。もうホント苦情言いたくて仕方ないです。ここが上海一の総合大学ってーのもちゃんちゃらおかしいぜって奴です。あまりに大きすぎて先生たちも学生を管理しきれず、質問をストレートに淀みなく正確に答えてもらった試しがないです。
 師範大の先生は多分かなり優秀です。ここの先生は、教科書どこで買うかも知らないようで、今日僕たちが探した教科書を、どこで買ったんだって質問されました。何せ、中国人学生も持ってないんですからね。ホントあきれます。教科書ぐらいそろえとけってーの。さらに、学生をなんも考えないでいっぱい入学させたらしく、教室には座れない人が20人ぐらいいます。なんか、ホント大丈夫かな、、、この大学。

2000年9月19日

 オリンピックが見たい。。。
なぜか中央の1しかみれない。なもんで、あんまいいところはやらないのです。柔道も柔ちゃんいや、田村が勝ったのを知ったのはかなり後の話。
 それにしても、ここの大学の生徒管理は最悪です。北師大のすばらしさがわかった気がします。みんな責任逃ればっかで質問しに行ってもいつもたらい回しです。
 だんだん嫌気がさして来ました。
 上海に留学したい人がいたら、ちゃんとよく見に来ることをおすすめしておきます。ついでにちゃんと寮も決めておけばなお良し。学生もなんか遊びに来ているような人ばっかで真剣に勉強しようって人はかなり少ないです。やっぱ、北京の方が勉強はしやすいです。ここはなんか日本の大学みたいです。ここでは僕でもなんかマジメな部類に入ってしまいそう。。。

 青島さんとは以前関わりがないのです。なんかいつもの流れでこのまま関わらずに終わりそうです。はっはっは。それじゃ、また今度。

2000年9月17日

 ホント偶然なんですが、俺が第二公寓に住んでいたとき「青島」さんと言う人がいたそうですが、その人今俺の部屋の隣に住んでいるんですよね。なーんか似ている人いんなーって思って見てみたら本人だった。 第二公寓時代全く交流がなかったので今も交流ないですけどね。なんかびっくりです。こんな事もあるなんて中国もせまいですねーーーはっはっは。
 それではこの辺で。さようなら。

2000年9月14日

 北京は最高です。現在上海は台風の影響でかなり強い雨に見回れています。こないだやっと授業が始まったのですが、学生の数が多すぎて座れず3時間立ちっぱなしで受けました。今日なんて人がいっぱいいすぎるので授業にならんと言うことで、無し。全くどうなっているんでしょうか。しかも教科書が全体的に足らなくて2教科ほど教科書無しで挑んでいます。全くわかりません。事務所に問い合わせて見たところかえって来た答えは、上級生から譲ってもらえというものでなんかむなしい。きっと北京じゃこんな事にはならんかったんだろうなぁ。

2000年8月30日

 それにしても上海はとても便利です。寮のすぐそばには24時間の商店があり、日本のビールやカップラーメン、洗剤なんかがフツーに売っています。北京じゃそごうとか行かないとないのに。。。
 寮は調度新松みたいな感じです。1日7ドル。なかなか快適です。今日は台風が接近中ということでかなり風が強いです。
 それと上海語さっぱりわかりません。。。ちょっとへこみました。

2000年8月29日

 遂に来ちゃった上海。みなさんお元気ですか。
 僕は今年も又部屋の問題が発生し、昨日はもう少しで部屋なしになるところでした。今日やっと部屋が決まったのですが、部屋にはシーツも枕もない、、、自分で買うそうです。