翔の発見


「信じられないものを発見してしまった」
 受話器を取ったせつなの耳に飛び込んできたのは、宇宙翔の上擦った声だった。
「是非、キミの意見を聞きたい。申し訳ないが、すぐに天文台に戻ってくれ」
 一日の仕事を終え、帰宅したばかりのせつなは、その翔からの電話で、東京湾天文台にとんぼ返りしなくてはならなくなった。
 翔にしてはひどく興奮気味に話していたから、よほどのことがあったに違いない。新しい天体を発見したと、電話では手短に話していたが、具体的なことは何ひとつ聞かされていなかった。
 先頃、水星の内側に新たな惑星を発見したばかりである。その上、また別な天体を発見したと言うのだ。
 新しい天体の発見と言うことになれば、せつなとて興味がある。テーブルの上にメモ書きでほたるへのメッセージを残して、せつなはタクシーで東京湾天文台に向かった。
 再び天文台に戻ってきた頃には、十時を回っていた。今夜は天文台に泊まるしかないと、覚悟を決めるしかなかった。
 職員の殆どが帰宅してしまっている天文台は、ひっそりと静まり返っていた。最近、泊まり込むことがなくなっていたため、久しぶりに来てみると、やはり夜の天文台は不気味だった。
 しかし、相変わらず泊まり込んでいる職員も多く、ひっそりとはしているが、決して人気がないというわけではない。
 観測室にいるという翔のもとに急ぐため、せつなは足早に通路をエレベーターに向かった。
「冥王さん!」
 エレベーターが見えてきたところで、せつなは呼び止められた。
 交差する通路の右側に、赤城吾郎が立っていた。
「赤城さんも残っていらしたんですか………」
 意外だという風に、せつなは言った。赤城は仕事熱心ではあるが、時間外労働を全くしない人間だった。時間になると、例え仲間が忙しそうに仕事をしていても、「おさきに」とそそくさと帰ってしまう。自分のやるべき仕事が残っていたとしても、必ず時間になるとぱったりと仕事を止めてしまうのである。その赤城がこんな夜遅く、天文台に残っているのは、せつなにとっては不思議でならなかった。
「俺が残っていると変かな?」
「時間外労働拒否の赤城さんにしては、珍しいですよ。意外です」
 せつなははっきりと嫌みを言ってやった。遠慮する気はさらさらなかった。赤城は嫌いなのだ。
「心外だなぁ………。俺だって、たまには残業もするよ。………宇宙先輩を手伝っていたんだ」
 赤城はちょっと不満そうな表情をした。自分もたまには残業をするのだと言いたいのだろうが、生憎とせつなは彼の弁明を聞く気にはならなかった。
「そうですか………」
 呟くように答えるせつなは、本当に珍しいこともあるものだと、心では思っていた。喉まで出かかったのだが、何とか堪えることができた。言ってしまっては、あまりにも失礼だ。
 赤城は嫌いではあるが、翔の仕事を手伝っていたのなら、素直に労をねぎらってやらなければならない。
「翔さんは、観測室ですよね」
「さっきまではね。今は研究室に移った。俺はそのことをせつなさんに伝える為に、宇宙主任に頼まれてここで待っていたんだ」
「そうだったんですか。わざわざすみません」
 翔のことだ。きっと誰もいない観測室に向かったせつなが困らないようにと、配慮してくれたに違いない。実際、観測室に行って翔の姿がなければ、困って研究室という研究室を捜していたことだろう。
「じゃあ、行こうか」
 赤城はせつなの前に立って歩き出す。
 エレベーターに乗ると、赤城は目的のフロアの数字に触れた。数字の「3」が点灯する。
「三階ですか?」
 せつなは訝しんだ。翔の研究室は四階のフロアにあるはずだった。三階にはないはずだ。
「特別に借りてる研究室があるんだ。なんでも、大変な発見をしたから、その部屋の資料を見たいんだそうだ」
 にこりと笑いながら、赤城は答えた。
 三階に到着した。赤城はまた先頭に立って、せつなをエスコートするように歩き出した。
「ここだよ」
 赤城はフロアの中央辺りにあるドアの前で立ち止まった。せつなには、何の研究室があるのか分からなかった。三階にはあまり用事がないために、せつなは殆ど来たことがなかったからだ。
「宇宙主任。冥王さんが来ましたよ!」
 ドアを二回ほどノックすると、赤城はノブを回した。部屋の中から、翔の返事は聞こえなかった。研究に夢中になっているのだろうか。
 赤城に促され、せつなは研究室に足を踏み入れた。しんとしている。人がいる気配がない。
 カチリ。
 背後で乾いた音が響いた。せつなは驚いて振り返った。
 ドアに背中をくっ付けるようにして、赤城が真っ直ぐにこちらに視線を向けている。その瞳は、異様な輝きがあった。
「赤城さん。これはどういうことですか!?」
 せつなは目を吊り上げる。冗談にしては度が過ぎる。
「ずっと、狙っていたんだ………」
 瞳を不気味に輝かせて、赤城はくぐもった声を発した。
 せつなは僅かに後ずさった。お尻が事務机に触れる。
 部屋のほぼ中央に、事務机がふたつ。それぞれに一台ずつのディスクトップタイプのパソコンが置かれている。入り口に向かって右側には四つのロッカーがあり、左側には本棚が備え付けられていた。その他には何もない。
「宇宙主任の電話を立ち聞きしてしまってね。キミが来ることを知ったんだ。残業はしてみるもんだね」
 赤城は可笑しそうに喉を鳴らした。
「こんな部屋に連れてきて、何を考えているの!?」
 脱出方法を模索しながら、せつなは言い放った。先の赤城の言葉から、彼が何を考えているのかは容易に推測できる。
 赤城は無言で歩を進める。せつなはすり足で右に移動した。タイトスカートを履いていることが、ひどく悔やまれた。お気に入りのシルクのブラウスを着ていることも、少々気に掛かる。できれば汚したくなかった。揉み合いになって破れでもしたら、そちらの方がショックが大きい。相手がひとりならば、全く問題なかった。最悪の場合、変身して切り抜けることだってできる。
 ガタ………。
 ロッカーの方向から、小さな物音がした。その音に気を取られ、一瞬赤城から視線を放してしまった。
「!」
 しまったと思い、慌てて視線を元に戻した時には、赤城は目の前にまで移動していた。
 せつなは飛びかかってきた赤城を、寸での所で躱した。大きく右に跳ね、ロッカーに激突する。そのショックでロッカーの戸が開いた。中から何かが転がり落ちる。
「恭子!?」
 ロッカーから転がり出たのは、同僚の相田恭子だった。せつなは恭子を抱き上げる。ぐったりとしていて、生気がない。呼吸はしているが、意識を失っていた。
「恭子に何をしたの!?」
 せつなは赤城をキッと睨む。赤城はニタリと笑った。
「そいつは大司教様に献上する大事な女だ………」
「大司教………!?」
「大司教ホーゼン様………。我らが教団の教祖様だ」
「教団!? まさか、ブラッディ・クルセイダース!?」
 せつなの顔色が変わる。天文台にブラッディ・クルセイダースの教団員がいるとは、考えてもいなかった。
「我らが教団を知っているのか!?」
 赤城は表情を曇らせる。怪訝な瞳で、せつなを見つめた。ブラッディ・クルセイダースという組織の名は、一般には公開されていないはずである。
「まあ、いい………。どっちにしろ、俺はあんたを大司教に献上する気はない。あんたは俺のものだ………」
 赤城は舌なめずりをして、せつなの体を上から下まで観察した。異様な輝きを放つ瞳に、さすがのせつなも鳥肌が立った。
「あんたが俺のものになると言うのなら、恭子を解放してやったっていいんだぜ………」
 野獣のような瞳で、赤城はせつなを見つめていた。あまりにも卑劣な交換条件である。例え言いなりになったとしても、恭子を解放するとは思えない。
「あなたって人は………!」
 へらへら笑いながらそう言うと、赤城はゆっくりとせつなに歩み寄ってきた。ロッカーに背中を付けたまま、せつなは動くに動けない。恭子を交換条件に出されては、せつなとしても迂闊なことはできない。
 いざとなれば変身すればいいことなのだが、赤城がブラッディ・クルセイダースの構成員だと言うのならば、近くに仲間がいないとは言い切れない。しばらく様子を見る他はなかった。
 近づいてきた赤城が伸ばした手が、せつなの頬に触れる。ひやりとした冷たい手だった。
「おまえは俺のもんだ………」
 赤城の熱い息が、せつなの顔に掛かった。
「くっ………」
 生臭いその息に、せつなは思わず顔を背けた。赤城の顔が迫ってくる。
 バタン!
 突然ドアが破られ、何かが弾丸のように飛び込んできた。不意を付かれた赤城は、その飛び込んできたものに弾き飛ばされた。
「D・J!?」
 せつなは我が目を疑った。何故ここに、D・Jが………。理解ができない。
 大道寺は困惑しているせつなにチラリと視線を向けると、口元を僅かに歪めてみせた。
「何だ、貴様は!?」
 跳ね飛ばされた赤城はゆっくりと起きあがると、鬼のような形相で大道寺を睨んだ。
「正義の味方だよ」
 言うが早いか、大道寺は赤城に挑み掛かった。
 裏拳、正拳、回し蹴り。目にも止まらぬ連続技を放つが、赤城はそれをことごとく躱した。
「こいつ!!」
 大道寺の渾身の右ストレートをするりと躱すと、赤城は大道寺の背中に手刀を浴びせた。 前につんのめり、動きの止まった大道寺の腹部に、突き上げるような蹴りが炸裂する。
 吹っ飛ばされた大道寺は、せつなの足下に転がった。
「颯爽と現れたにしては、格好悪いな、俺………」
 床に転がったまま、大道寺はせつなの顔を見上げた。ついでとばかりにスカートの中を覗くと、
「きょうは、ブルーか………!」
 ピョンと勢いよく飛び上がった。
「み、見たわね………!」
「男のパワーの源! ラブリーな下着ちゃん!! やっぱ、ナマ足は最高だぜ!」
 訳の分からんことをぬかして、大道寺は跳躍した。せつなのラブリーな下着が、ポパイのほうれん草の如く、大道寺にパワーを与えたようだった。事務机に飛び乗ると、上から赤城に蹴りの連続技を叩き込む。
「ちっ!」
 数発の蹴りを食らって大きく仰け反った赤城は、舌打ちすると体当たりで窓をぶち破って、脱出を計った。
「しまった! 逃がしたか!!」
 破られた窓から身を乗り出し、大道寺は悔しげに叫んだ。
「説明してもらうわよ! D・J!!」
 振り向いた大道寺の目の前に、せつなの顔がアップで迫っていた。

「あの赤城ってやつは、ブラッディ・クルセイダースとかいう、いかがわしい教団の信者なのさ」
 事務机の上に腰を降ろし、大袈裟に足を組むと、大道寺は話し始めた。
「最近、天文台内部でも女性職員の失踪が目立ってね。ある人に依頼されて、調査をしていたんだ。………で、あいつが浮かび上がった」
 大道寺は胸のポケットから赤い箱を取り出すと、煙草を口にくわえた。が、灰皿がないことに気付くと、残念そうに煙草を元の赤い箱に戻した。
 せつなは床に横たえている相田恭子の隣で、大道寺の話を聞いていた。恭子は気を失ったままだった。
「その依頼主から、彼女が帰宅していないって情報を貰ってね、天文台に調査に来ていたんだ。ちょうどその時、せつながやってきた。そしたら、赤城が現れた」
「あなたはあたしたちを尾行した」
「そういうこと」
 大道寺はニコリと笑った。
「タイミングがよすぎると思ったわ………」
 溜息混じりにせつなは言った。
「どの辺で出ていったら一番かっこいいか、考えていたんだよ。絶妙のタイミングだったろ?」
 飄々とした態度で、大道寺は答えた。
「実は、もう少しだけ見てようと思ったんだけどね………」
 正直なやつである。本音をポロリと口にする。だが、せつなは真剣な表情を崩さなかった。
「………でも、あの組織は危険よ」
 ブラッディ・クルセイダースがどういう組織が知っているだけに、せつなは大道寺にこの仕事を降りて貰いたかった。だが、言って聞くような相手ではないことも、充分分かっているつもりだった。
「教団のことは俺も調べた。危険は百も承知だよ。だけど、せつなたちがやっていることよりは、俺の仕事の方が安全だと思うがな………」
「D・J!? それって………!!」
「せつなたちの使命は分かっているつもりだから、止めはしない。だが、くれぐれも無茶はするなよ」
 驚きの表情のせつなに、大道寺は真顔で言った。ピョンと事務机から飛び降りると、ゆっくりとせつなに向かって歩き出す。
「D・J。あなたは、どこまで知っているの? あなたは何者?」
「今は、言えない………」
 大道寺はせつなの目の前まで迫ってきていた。
「俺とお前は、直接の面識がなかったから、覚えていないのも仕方ないがな………」
 大道寺は遠くを見つめるように、視線を泳がせた。
 しんとした研究室の中では、お互いの心臓の鼓動が聞こえるほどの距離だった。お互いの鼓動が、激しく高鳴っているのが手に取るように分かる。
 大道寺はせつなの肩をそっと抱き寄せた。
「D・J………」
 せつなはゆっくりと瞼を閉じた。
「せつな………」
 大道寺の声が、耳に心地よかった。彼の息づかいが伝わってくる。このまま身を預けたいと思った。
「………宇宙翔氏が、観測室で待ってるぜ」
「へ!?」
 大道寺はせつなの耳元で囁くように言うと、するりと離れた。足下に横たわっている恭子の容体を確認し始める。
 拍子抜けしてしまったせつなは、呆気にとられて、恭子を介抱する大道寺を見ていたが、やがて、
「あんたってヒトは………!」
 弁慶の泣き所に蹴りを一発ぶちかますと、プイとそっぽを向いたまま、スタスタと研究室を出ていってしまった。
「くおぉぉぉ………」
 弁慶の泣き所を押さえ、涙を流して痛がる大道寺は、怒って研究室を出ていくせつなの形のいいお尻を見つめながら、
「この娘がいなかったら、ちょっとやばかったよな………」
 結果的に自分の理性に歯止めを掛けることになった存在の恭子に、視線を移した。
「うーむ。それにしても、この娘、どうしよう………。せつなに行かれちゃったのは、失敗だった………」
 後悔、先に立たずである。

 観測室には、翔ひとりしかいなかった。中央に設備されている超天体望遠鏡の横に、じっと佇んでいた。
 せつなの姿を確認するや、翔はひとつのデータを彼女に見せた。
「翔さん、これって………」
 戸惑いの表情で、せつなは翔から渡されたデータに目を通す。
「俺も、初めは何かの間違いかと思った。しかし、調べれば調べるほど、このデータが正しいと言うことの証明になってしまう。………キミはどう思う?」
 翔の持っているデータは、ある惑星のデータだった。巨大な惑星である。木星とほぼ同じ大きさを持つ天体。
「こんな大きな惑星が、どうして今まで発見できなかったんですか?」
「俺が発見したのも偶然に近い。この惑星は、明らかに発見されることを拒否していると思える」
 翔は惑星発見までの経緯を、せつなに手短に説明した。
「発見前後に確認されているこの電波は、妨害電波ですか?」
「キミもそう思うか?」
「ええ………」
 せつなは神妙な顔付きで頷く。翔はおもむろに床に視線を落としたあと、超天体望遠鏡を見上げた。
「俺はとんでもないものを発見してしまったのかもしれない。この発見は惑星ヴァルカン発見の比じゃない。太陽系誕生の謎に迫る世紀の大発見だ。しかし………」
 翔は力無く、せつなの顔を見つめた。その表情は、世紀の大発見をしたにも関わらず、不安げに曇っていた。
「NASAに打診はしたのですか?」
「ああ。もちろんだ。しかし、NASAの観測システムでは、この惑星を発見できなかったんだ」
「妨害電波のせいですね………」
「………だと思う」
 翔が思い悩む理由はそこにあった。この妨害電波は、明らかにその惑星上から意図的に放たれているような節があるのだ。
「もし、これが妨害電波だったとしたら………」
「そう。この惑星に知的生命体がいる可能性に繋がる」
 翔は意を決したような深い溜息を付くと、傍らのパソコンのマウスをクリックした。太陽を中心に公転をしている惑星のスクリーンセイバーが映し出されていた、十七インチのディスプレイの映像に変化が見られた。
「これを見てくれ」
 翔はせつなに、発見した惑星の進路のシュミレーションを見せた。三通りのシュミレーションされた映像を見せられたが、その全てが同じ結果で終わっている。
「翔さん、この進路は………」
 せつなは表情を凍り付かせた。確率は九十パーセントだと翔は言う。
「このままの状態だと、ちょうど二ヶ月後に、地球と衝突する」
 絶句するせつなの横で、翔は意外にもあっさりと説明していた。緊急事態だと言うのに、翔は冷静だった。いや、努めて冷静さを失わないようにしているのだ。二ヶ月間と言う時間は、何を準備するにしても、あまりにも少なかった。
「俺はきょうにでもNASAに行こうと思っている。キミさえよければ、準備ができしだいで構わないから、NASAに来て欲しい」
「どうして、あたしなんですか?」
 素朴な疑問だった。確かに、せつな自身もこの惑星について徹底的に調べたいという願望はある。いや、調べなければならないのだ。セーラー戦士としてのせつなの勘は、この惑星が、地球にとって非常に危険な存在であると知らせている。
 侵入者である。せつなの直感だった。
「俺はキミに、何を期待しているのかな………」
 翔自身も、自分が何故せつなを選んだのか、見当が付かないようであった。彼の直感が、せつなを指名させたのだろうと判断できる。翔はせつなに、特別な能力を感じているのかもしれなかった。
(この人には、あたしがセーラー戦士だと明かした方がいいのかもしれない………)
 翔には、全てを話して協力してもらった方がいいのかもしれないと感じた。翔ほどの人物が、自分たちをサポートしてくれれば、心強いことこの上ない。この件については、早急にルナと相談しなければならないだろう。
 せつなは翔の澄んだ瞳を見つめながら、そう感じていた。