うさぎと衛


 西の空が黄昏に染まっていた。
 まことは十番診療所を出て、自宅のアパートに向かっていた。夏恋の言う「唐変木」氏は、とうとう戻ってこなかった。あまり長居しては迷惑になると考えたまことは、日を改めることにしたのだ。
 相変わらず待合室で居眠りをしているおばあちゃんを起こさないように気を使いながら、まことは診療所をあとにした。まことが診療所にいるあいだ、結局はひとりも患者は現れなかった。
 真っ直ぐにアパートに帰ろうかとも考えたが、ゲームセンター“クラウン”を覗いてみたい衝動に駆られ、家路へのルートを大幅に変更した。“クラウン”に寄ると、かなりの遠回りになってしまうのだが、何故かそこにいかなければならないような気がして、何かに引き寄せられるかのように、足が向いてしまったのだ。
 そう言えば、今日はまだ仲間の誰とも顔を合わせていない。きっと自分の心が仲間を求めてしまったために、自然と足が“クラウン”に向いてしまったのだろうと自分で納得した。家族のいないまことにとって、仲間は正に「家族」そのものなのだ。
 夏休みともなると、出歩いている学生が普段より多い。昼間だろうが、夕方だろうが、学生たちには関係がない。ただ、遊べればいいのだ。
 仲間たちとおしゃべりを楽しみながら通行している私服姿の女子学生のなかに、十番高校で見かける顔もある。部活帰りなのだろうか、制服姿の高校生集団が、コンビニの前でたむろしている。最近の女子高生の間では、制服が一種のファッションになっているらしく、外出着として着用している輩も多いらしいが、まことには理解できない趣味だった。
 そんな光景を何気なしに見ながら、まことはゲームセンター“クラウン”に向かっていた。
「あれ?」
 ふと、道路を挟んで反対側の歩道を走る人影に目が行った。人影は、まるで誰かを捜しているかのように、辺りをキョロキョロとしている。かなり慌てている様子だった。
(まさか、まもちゃん!?)
 見間違えかとも考えたが、まことには自信があった。
 両方向の車線の車が一瞬の切れ間を見せたところで、まことは一気に道路を横断した。横断禁止の場所ではあるのだが、今は交通法規を守っている場合ではなかった。
「まもちゃん!!」
 まことは大声で、その衛だろうと思われる青年に声を掛けた。青年は弾かれたように振り向いた。
「まこ………?」
 やはり衛だった。先程は気が付かなかったが、衛の横には女の子がいた。中学生ぐらいだろうか。ほたるやもなかと同い年くらいに感じた。
「まもちゃん、やっぱり帰ってきてたんだ………」
 まことは「やっはり」と言った。衛は、まことがある程度の事情を知っていると直感した。自分が仲間のだれにも告げず日本に戻ってきていることは、自分が考えていた以上にまわりに波紋を広げていたようだ。
「知ってるヒト?」
 衛の隣にいる女の子が、衛の顔を見上げた。黒いカチューシャが、街灯の明かりを反射した。陽が沈み掛けている。間もなく、夜の帳が降りてくる。
 衛の連れている女の子は、女のまことの目から見ても可愛いと思えた。それがかえって気に入らなかった。
「どういうことか、説明してほしいね」
 まことは女の子をちらりと見てから、少し強気で衛に尋ねた。別に衛を脅すつもりはなかったが、そうしなければ腹の虫が治まらなかったのだ。衛の答え如何では、暴力に訴えることも考えた。まことはそう言う過激な一面もあるのだ。
「説明はあとにさせてくれ。それより、うさを見かけなかったか?」
「うさぎを?」
 まことは訝しんだ。
「うさぎに会ったの?」
「ああ………。俺がきちんと話さなかったから、変な誤解をさせてしまったらしい」
「あら、半分は誤解じゃないわよ」
 衛の隣にいる女の子が、口を尖らせた。
「操! 頼むから、話をややこしくしないでくれ! うさにちゃんと謝るんだろ?」
「ご、ごめんなさい………」
 衛の剣幕に、操と呼ばれた女の子は首を竦めた。
「ちょっ、ちょっとぉ! あたしにも分かるように説明してくれない?」
 まことはふたりの会話に割り込んだ。いくらあとで説明すると言われても、ある程度は把握しておかなければならない。それにこの女の子と衛がどういう関係なのかが気になる。恋人にするには歳が離れすぎているような気がするが、万が一ということもある。衛が年下の女の子に弱いのは、うさぎや自分たちと接している彼を見れば分かることだ。衛はどちらかと言えば、年下好みなのである。
「ああ、すまない。もともとはこいつが茶目っ気を出したのが始まりだったんだが………」
 衛はそう言うと、操を睨む。操は再び首を竦めた。ただし、今回はチロリと舌を覗かせた。
「まもちゃん、だいたいこのコは誰なんですか? ま、まさか………!」
「いや、違うよ。実は妹なんだ」
 衛は言う。だが、まことは信じない。衛が一人っ子なのは、仲間なら誰でも知っていることだ。今更妹がいると言われても、すんなり受け入れられるはずがない。
「まもちゃんは一人っ子のはずじゃないか! そんな、すぐバレるような嘘を付くなんて、見苦しいよ。まもちゃんを見損なったよ………」
 まことは鋭い視線で衛を睨んだあと、顔を背けた。
「きちんと説明した方がいいわよ。あたしたちの、か・ん・け・い」
 操はピトリと衛に寄り添う。衛の耳に、プチッとまことの堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた。
「お前はしゃべるな! 話が滅茶苦茶になる!!」
 まことのストレートパンチが飛ぶ前に、衛は操を怒鳴っていた。怒りに任せてパンチを繰り出そうかとしていたまことは、そのタイミングを逸した。たが、軽蔑の眼差しで衛を睨むのだけはやめなかった。
「まいったな、何を言っても信じてくれそうな目をしてないな………」
 衛は小さくぼやいた。
「初めから、ちゃんと説明しておけばいいのに、秘密裏に行動してたまーくんが悪いのよ」
「話をややこしくしたくせに、よく言うよ………」
「ま・も・ちゃ・ん!! いい加減にしないと………!!」
 ふたりのじゃれ付きように、業を煮やしたまことは、もはや爆発寸前だった。衛は一‐二発のパンチは覚悟した。まともな話は、今はできそうにない。
「あ、まこちゃん!! ………あれ? 衛さんだ………」
 突然声を掛けてきたのは、なるちゃんだった。衛は再び救われた。走ってきたのか、息が荒かった。何やら尋常でない様子だった。
「まこちゃん、衛さん! 大変なのよ!!」
「どうしたんだい!? なるちゃん」
 いつになく興奮しているなるちゃんに、まことは少々上擦った声で聞き返していた。
「う、うさぎが………!」
「うさを見たのか!?」
 割って入ってきたのは衛だった。なるちゃんは頷いてから、
「そ、そう! 大変なのよ!! うさぎがホテルに入っちゃったのよぉ!!」
「え!? ホテルって………」
 操は衛の顔を見上げた。
「二の橋の近くのカプセルホテルのことじゃないよな………」
 なるちゃんの慌てようからすると、違うと言うことは想像はできたが、まことは念のため訊いてみた。
「違うわよ、『ラブホ』なのよ!!」
 まことのボケに突っ込む余裕がないほど、なるちゃんは慌てていた。しかし、そこに入るには、相手がいるはずだ。
「………ひとりで、なわけないよな………?」
 おそるおそるという感じで、まことはなるちゃんに訊いた。
「そうなのよ! その相手ってのがやばいのよ!」
「まさか!?」
「そのまさかよ!!」
 居ても立ってもいられないという風に、なるちゃんは急かすような口調で言った。
「場所は!?」
「“クロスロード”っていう、最近できたばかりのところよ!」
「“クロスロード”だと!?」
 衛が険しい表情になる。
「まーくん!!」
 急かすような操の声。ふたりは瞬時に駆け出していた。
「まもちゃん!?」
 慌ててまことがあとを追った。
「え!? ちょっと、待ってよぉ!」
 情けない声をあげながら、なるちゃんは皆を追うようにして走り出した。

「どうした? まさか、ここまで来て嫌だなんて言うんじゃないよね」
 十文字はベッドの上に腰掛けて緊張して堅くなっているうさぎに、優しげな口調で声を掛けた。
「………そんなこと、ないです」
 うさぎは小さな声で答える。成り行きで連れてこられてしまったが、もちろんうさぎが望んだわけではない。後悔と不安が入れ乱れて、うさぎの頭の中は真っ白になっていた。
 十文字にリードされ、気が付くとホテルの前に立っていたのだ。
「先に、シャワーを浴びるといい。落ち着くよ」
 慣れたような口調で十文字は言うと、冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルトップキャップの口を開けた。
「………いえ、あの………あたし、そんなつもりじゃ………」
 消え入りそうな声で、うさぎは言った。
「シャワーを浴びようが浴びまいが、俺はどっちでもいいんだけどね」
 十文字の行動は素早かった。うさぎはあっと言う間に、ベッドに押しつけられてしまう。
「ま、待って下さい!!」
「イ・ヤ・だ・ね」
 口元に猥褻な笑みを浮かべながら、十文字は答えた。
「あいつ、女の子ならだれでもエッチしちゃうわよ」
 先ほどのレイカの言葉が、脳裏を過ぎった。
 パシッ!
 うさぎの平手打ちが、十文字の左の頬を打った。
 十文字の表情から、優しさが消えた。飢えた狼のように、獰猛な野獣の表情になった。異様にギラ付かせた瞳で、うさぎの体を舐めるように見た。
「お前は、俺のモンだ………!」
「いやぁ!!」
 全身の力でうさぎは十文字をはね除けた。ベッドから抜け出すと、ドアに向かって走った。
「え!?」
 ドアが開かない。鍵は掛かっていないのだが、ドアはビクともしなかった。
「ホホホホホ………。無駄よお嬢ちゃん。この部屋からは逃げられないわよ」
「だ、だれ!?」
 突然響いてきた女性の声に、うさぎは戸惑った。部屋には他に人影はない。いや、いるはずがない。
「ここからは逃げられないよ」
 醜悪な表情で、十文字が迫ってきた。うさぎの恐怖を煽るように、わざとゆっくりとした足取りで。
 うさぎは再びドアノブに手を掛けたが、ドアは一向に開く気配を見せなかった。
「ねえ、ママ。この()ボクが貰ってもいいかな? その代わり、またいっぱい女の子を連れてくるからさ」
 いったい誰に話しかけているのか、十文字は甘えた声で喋りだした。
「坊やはその()がお気に入りなのね。いいわよ。存分にお楽しみなさい」
 先程と同じ、女性の声が部屋に響いた。この声を聞くと、十文字は満足そうに微笑んだ。
「ママのお許しが出たよ。さあ、ボクと楽しいことをしよう。どうせ、キミはもうここから出られないんだし………」
 ゆっくりとした足取りで、十文字は近寄ってきた。一気に詰め寄らないのは、うさぎの恐怖心を煽る為なのだろう。
 うさぎは乱暴にドアノブを回してみたが、結果は同じだった。十文字がすぐ側まで迫ってきている。腕を伸ばしてきた。
「触らないで!」
 うさぎはその手を平手で叩き落とした。
「そう、そうだよ。少しは抵抗してくれないと、面白みが半減してしまう。でも、遊ぶのももう飽きちゃったよ」
 ニタニタと怪しげな笑みを浮かべると、突然十文字の表情が急変した。ぐんっと、二周りほど体が大きくなると、口は耳まで裂け、耳は鋭く尖った。めきめきと音を立てて牙が生え、瞳はは虫類のように変化した。体色も黒っぽい緑色に変わっていた。
 十文字は、もはや「人」ではなかった。
「あ、あなたは………!?」
 うさぎは息を飲んだ。次の言葉が出てこない。思考も働かなかった。
「特別大サービスだよ。普段は他人にはこの体は見せないんだ」
 十文字の肩と脇腹から、しゅるしゅると触手のようなものが複数伸びてきて、うさぎの手足の自由を奪った。そのままうさぎを持ち上げると、ベッドへと移動した。
「自分でもつくづく便利な体だと思うよ。まるで、アダルト向けアニメのモンスターみたいだろ? 気に入ってるんだ、この体………。ママがくれたんだぜ、この体………」
 怪物に変貌した十文字は、満足げに高笑いをした。そして、は虫類のような瞳がうさぎを捉える。獲物を狙う、鋭い目だ。
 うさぎは正に蛇に睨まれた蛙のように、身を硬直させていた。ましてや触手によって手足の自由を奪われているために、殆ど動くこともできない。
「ゆっくりと犯してあげるからね………」
 十文字はうさぎの襟元に手を掛けた。彼の手は二本とも自由なのだ。その自由な手で、うさぎの服を裂くつもりなのだ。触手の一部が、太股を伝って上部へ移動しているのが感覚で分かった。その触手がどこを目指しているのかを、うさぎは本能的に感じ取った。
 触手が、その場所に触れた。
「やめてぇ!!」
 うさぎは絶叫した。それが銀水晶のパワーと共鳴して、十文字を弾き飛ばした。触手は千切れ、緑色の体液を滴らせた。
「な、なんだ!? 今のパワーは………」
 十文字は狼狽した。うさぎのその未知なる力に。信じられないものを見るように、パワーを解放して半ば放心状態のうさぎを見つめた。
「………大丈夫。坊やの力なら、そんな小娘、すぐに思い通りにできるわ。だけどね、その前にお客さんがいらしたようよ」
「お客………?」
 部屋に響いた声に十文字は返事をすると、訝しげな表情をした。
 ドーン!
 衝撃が部屋全体を揺さぶった。ドアが周囲の壁ごと吹き飛ばされる。
 噴煙の中から、何かが飛び出してきた。影はふたつ。
「なに!?」
 影のひとつが、怯んだ十文字に突進した。電撃が炸裂している。
「無事か!? うさ!!」
 ベッドの上で朦朧とした意識でこの光景を見ていたうさぎの耳に、懐かしい声が響いた。「立てるか?」
 優しくうさぎを抱き起こすと、床に立たせてくれた。
「まもちゃん………」
 夢でも見ているようだった。一番助けに来てほしかった人物が、絶妙のタイミングで現れてくれた。
 いつもそうだった。うさぎがピンチの時、どこからともなく絶妙のタイミングで助けに来てくれる。そして、身を挺して自分を守ってくれる。それが「彼」だった。
「危機一髪だったね。うさぎ!」
 セーラージュピターが、うさぎの目の前にやってくる。
セーラージュピター(まこちゃん)!?」
 うさぎは驚きで目を見開いた。思考が混乱していた。
「気を付けろ、ジュピター(まこ)。やつが立ち上がるぞ」
 ジュピターの雷撃で体勢を崩していた十文字だったが、ゆっくりと、まるでスローモーションの映像のように立ち上がると、は虫類のような瞳で衛を見据えた。
「き、貴様は地場衛!? 日本に来ていたとはな………」
 憎々しげに、衛の名を口にした。
「貴様を追って来たんだ。十文字!」
 衛はうさぎを庇うようにして立つと、鋭い視線で十文字を捉えた。十文字は悔しげに顔を歪めた。
「まもちゃん、彼を知っているの?」
 うさぎにとっては意外な衛の台詞だった。衛は僅かに後方を振り向くと、静かに頷いた。
「ごめんねうさぎさん! 今は説明している時間はないけど、きっと分かって貰えるはずだから、まーくんを信じてあげて!!」
 破壊された壁の向こう側から、声が響いた。衛と一緒にいた女の子───操だった。その横
に、不安そうな表情のなるちゃんの姿も見える。
「ふふふ………。そうか、その女は貴様の女だったのか………。迂闊だった。遊んでいないで、とっとと()っちまえばよかったぜ」
「あなたの頭の中は、それしかないの!?」
 壁から顔だけを覗かせて、なるちゃんが声を張り上げる。しかし、もはや「人」でない十文字に、何を言っても無駄であった。
 十文字はは虫類を思わせる瞳で、なるちゃんを捉えた。耳まで裂けた口が、にたりと笑った。恐ろしさのあまり、なるちゃんは首を引っ込める。
「愚かなやつよ、地場衛。生娘を三人も引き連れてくるとはな………。飛んで火にいるなんとかとは、貴様のことだな………」
 如何にも楽しげに、肩を振るわせた。
「貴様の思い通りにはさせん!」
 衛はタキシード仮面の姿にチェンジする。同時に自分の背後のなるちゃんと操のいる通路側に結界を張った。
「タキシード・ラ・スモーキング・ボンバー!!」
 合わせた掌から、強烈な衝撃波を放った。不意を付かれた十文字は、それをモロに食らった。
 至近距離からスモーキング・ボンバーの直撃を食らった十文字は、緑色の体液を噴出させながら、窓の外に弾き飛ばされてしまった。不意打ちを食らったにも関わらず消滅しなかったのは、それでも何とかガードをしていたためなのだろうが、その強烈な衝撃だけは相殺できなかったようだ。
 窓の外に弾き飛ばされた十文字だったが、醜悪な顔を更に醜く歪めながら、部屋の中に舞い戻ってきた。
「ゆるさん! ゆるさんぞぉ!! 俺の楽しみを邪魔しやがってぇ!!」
 雄叫びを上げ、全身から触手を放出した。鞭のように唸らせながら、その場にいる全員に同時に襲いかかる。
 ジュピターはその触手のひとつひとつを、サンダー・ナックルで撃ち落とした。
「あばよ! ナンパ男!」
 ジュピターは、全身にいかずちを纏った。部屋全体がビリビリと振動する。タキシード仮面の張った結界で守られていなかったら、変身していないうさぎやなるちゃんたちは、その強烈な電撃で感電死していただろう。ジュピターの体を包んだ電撃は、それほど凄まじいものだった。
 床と壁に亀裂が走った。
「ジュピター・エレクトロニック・カーニバル!!」
 無数の電撃が踊るように跳ねた。
「ぐわぁぁぁぁ!!」
 ガードの為に再び放出させた触手をものともせず、電撃は十文字に襲いかかった。高電圧を受け全身を炎に包まれながら、十文字は蒸発していった。
「派手にやりすぎちまったかな………?」
 大きく深呼吸をすると、無惨にも破壊された部屋を一望して、ジュピターは自嘲気味に言った。
「さて、じゃあまもちゃん。うさぎとあたしが納得出来るように、説明してもらうよ」
 足下のおぼつかないうさぎを支えているタキシード仮面を見やって、ジュピターはウインクした。
 操となるちゃんも、部屋の中に入ってきた。
 タキシード仮面は観念したような笑いを浮かべたあと、不安げな表情のうさぎを見つめた。
「オホホホホ………。困りますね、お客さん。部屋をこんなに荒らしてしまっては………」
 だしぬけに声が響いた。女性の声だった。
 ジュピターは身構え、周囲を見渡した。
 なるちゃんは怯えたように、身を硬直させた。
「部屋の修理代を請求しなくちゃね。代金はもちろん、あなた方の命よ」
 ガシーン。
 スモーキング・ボンバーによって破壊された窓に、鋼鉄製のシャッターが降りた。
「迂闊だった! ここが十文字のアジトだったのか!」
 タキシード仮面は悔しげに呻いた。
タキシード仮面(まもちゃん)。さっきの十文字のあの姿………。あいつはやはり、ブラッディ・クルセイダースの………?」
 油断なく辺りに気を配りながら、ジュピターは訊いてきた。タキシード仮面は頷く。
「やつらは、ドイツでも同じように女性ばかりをさらっていた。俺はあと一歩というところまでやつらを追い詰めたんだが、逃げられてしまった。やつらが日本に行くという情報を掴んだ俺は、密かに戻ってきて、やつらのことを探っていたんだ」
「………そうね。あなたには、ドイツでのカリを返さないとね」
 タキシード仮面の言葉に答えるかのように、女性の声が響いた。しかし、一向に姿が見えない。気配すら感じなかった。
「くそっ! どこに隠れていやがるんだ!?」
 声だけしか聞こえてこない相手に、ジュピターが焦れてきた。ワイド・プレッシャーを壁側に放ち、大穴を開けた。
 穴を通り、隣の部屋に移動してみる。こちらにも人の気配は感じない。更に廊下にに出てみた。自分たちのいるこの五階のフロアには、今のふたつの部屋の他に、四つの部屋がある。廊下に出て気配を探ってみたが、他の四つの部屋からも人の気配は感じなかった。
 今思えば、受付もいない、変なホテルだった。先程は急いでいたために、その異常に気が付かなかったが、考えれば妙である。自分たちは侵入者なのである。もしここが、タキシード仮面の言う通り、敵のアジトだとしたなら、もっと抵抗があっていいはずである。侵入した賊を排除するために、敵が出てきて当然の場面である。
 隣の部屋から、操を連れ立って、タキシード仮面が出てきた。そのあとに、うさぎとなるちゃんが続いている。
タキシード仮面(まもちゃん)! 敵が出てこないうちに、ここを脱出しよう。なるちゃんや、そこの彼女だっている。戦闘になるとまずい」
 うさぎはセーラームーンに変身すればいいが、なるちゃんや操は非戦闘員である。敵が多数出現すると、非常に厄介である。彼女たちを守りながら戦わなければならない。
 タキシード仮面もそのことは分かっていた。ジュピターに顔を向け、頷いてみせた。
「オホホホホ………」
 エレベーターに向かって移動し始めた一同の耳に、不愉快な嘲笑が届いてきた。例の女性の声である。
「何がおかしい!?」
 嘲るような笑いに、ジュピターは怒りを露にした。やり場のない怒りが、出所不明の声に向けられている。
「逃がしはしないわよ………。あたしの可愛い坊やを倒したお礼もしなければいけないしね………。それにあたしの出世のためには、お嬢ちゃんたちには捕まってもらわなければならないし、その優男さんには死体になってもらわなければならないのよ」
「お前もブラッディ・クルセイダースの十三人衆なのか!?」
 ジュピターは勢い込んで訊く。既に臨戦態勢である。姿の見えない敵に対しても、警戒を怠らない。
「残念でした。あたしは十三人衆じゃないわ。あたしはスプリガン様が配下のひとり、からくりのお里………」
 自己紹介をするその声には、エコーが掛かっていた。