吸血鬼マチュア
「あなただけは絶対に許せない! 知の戦士セーラーマーキュリーが、彼らに代わってあなたを倒す!!」
普段の戦いでは、殆どその感情を表に出すことのないマーキュリーだったが、今日の彼女は違っていた。激しい怒りに全身を震わせ、険しい表情で妖艶な笑みを浮かべているマチュアを、射るような視線で睨み付けている。
何の罪もない町の人たちを平気で犠牲にする、マチュアの卑劣さが許せなかった。
これ程までに怒りを露わにしているマーキュリーの姿を、ネプチューンは初めて見たような気がした。マーキュリーをリードすべき立場の自分が、彼女の迫力に圧倒されてしまっている。
こんなことは初めてだった。
「あたしを倒すですって? できるものなら、やってごらんなさい」
他人を馬鹿にしたような薄い笑いを口元に浮かべながら、マチュアは上目遣いでマーキュリーの表情を覗き見た。彼女の反応を楽しんでいるのだ。
「その余裕が、あなたの命取りよ!!」
マーキュリーは鋭い声で威嚇すると、パワーを充実させる。フルパワーで戦うつもりなのだ。手加減する気など、毛頭ないようだった。凄まじいまでの気迫である。彼女の内に秘められている未知なるパワーが開花したようでもあった。
「マーキュリー・パワー・フル・チャージ!!」
彼女の周囲に発生した聖なる霧が、彼女を守護するがの如く包み込む。光り輝く霧を纏ったマーキュリーのその姿は、美しく神秘的でさえあった。
「凄い………!」
ネプチューンは信じられないものでも見るように、マーキュリーを見つめていた。彼女がこれ程のパワーを秘めていたとは、想像だにしていなかった。マーキュリーは戦闘向きの戦士ではない。どちらかと言えば、戦闘を主軸で行う者のサポート的な役回りをすることで、その能力を発揮するタイプの戦士である。しかし、ネプチューンが今感じているパワーは、戦闘を主軸で行う戦士と同等のレベルである。
急激に気温が低下した。それが彼女から発せられる怒りのパワーであることは、疑いようがなかった。全てを凍て付かせる氷結のエナジーが、マーキュリーの全身を覆っていた。
「マーキュリー・アクア・ミスト!!」
マーキュリーは霧を発生させる。濃い霧は、マチュアの視界を遮る。
「目眩ましのつもりか!?」
マチュアは動じない。視界を遮られた程度では、怯むことはなかった。
「水蜃気楼!!」
水泡がマシンガンの如くマチュアに襲い掛かった。極低温の水泡である。だが、マチュアは慌てない。妖艶な笑みを浮かべたまま、踊るように水泡を避ける。目標を失った水泡は、地面に接触すると氷のリンクを作り出した。
再び放たれた水蜃気楼( も、マチュアに命中することはなかった。怒りに任せたマーキュリーの攻撃は凄まじい威力を持ってはいるものの、正確性を欠いていた。普段の彼女ならそんなミスを犯さないのだが、冷静さを失っている状態の今の彼女では、的確な攻撃はできなかった。)
「あたしはね。あなたたちと遊んでいる暇はないの。他にやらなければならないことがあるのよ………」
マーキュリーの動きを完全に見切っているマチュアは、歌うようにそう言うと、
「さあ、出ていらっしゃい。あたしの可愛いコドモたち………」
両手を前方に突き出し、指をくねらせて何者かを呼び寄せるような仕草をみせた。
「!?」
足首を掴まれたような感覚が、不意にマーキュリーとネプチューンを襲った。いや、それは感覚などではなく、実際に足首を掴まれていたのだ。地面から突き出た不気味な腕が、ふたりの両の足首をがっしりと握っていた。
「その子たちと遊んでいなさい」
瞳に残忍そうな光を宿すと、マチュアは体をふわりと浮かせた。そのまま重力を無視するような動きを見せると、闇の中に消えてしまった。
「待ちなさい!!」
マーキュリーはマチュアを追おうと試みたが、地面から突き出た腕に阻まれて、動くことすらできなかった。その場面でも、マーキュリーは冷静さを欠いていた。今の彼女のパワーなら、地面から突き出ている腕を凍て付く波動で破壊することは容易なことのはずだった。しかし、彼女はそれをすることができなかった。逃亡するマチュアに気を取られ、そのことに気付かなかったのである。
「なんて力なの………!?」
ネプチューンも必死に腕から逃れようと藻掻いていたが、不気味な腕はビクともしなかった。彼女も同じである。突如覚醒したマーキュリーのパワーに圧倒され続けていたネプチューンも、彼女らしからぬミスを犯していた。目先の敵を強引に追おうとした結果、その敵を逃してしまったのだ。
「!?」
自らの足首を掴んでいる腕を憎々しげに凝視していたふたりの表情が、ほぼ同時に変わった。
今度は地面から「頭」が突き出てきたのである。数秒で完全に「頭」は地上に出現し、真下からふたりの顔を見上げてニタリと笑った。
「こ、こいつ!?」
のっぺりとした頭には全く毛がなく、死んだ魚のような目が、ギラギラと異様な光を放っていた。鼻はなく、そこと思われる場所に、ふたつの小さな穴が開いているだけだった。鮫のようなギザギザの歯を、これ見よがしに見せつけながら、不気味な笑みを浮かべていた。
ズズズズッ。
ふたりの足首を掴んだ状態のまま、二体の奇怪な怪人は、その全身を地面から出現させた。
ふたりは逆さまの状態で吊し上げられる格好となった。地面がかなり下に見える。
二体の怪人の身長は、少なく見積もっても二メートルはあると思えた。
ケタケタという不気味な笑い声が、足の方向( から聞こえてきた。)
「その手を、離しなさい!!」
逆さまの状態で、マーキュリーは反撃に転じた。ウォーター・ストリームを出現させ、足首を掴んでいる怪人を弾き飛ばす。
放り投げられた格好となったマーキュリーだが、身を反転させて華麗に着地した。ようやく冷静さを取り戻したマーキューリーは、鋭い視線で二メートルの怪人を睨み付けた。その横に、マーキュリーと同様の手段で脱出したと思われるネプチューンが並んだ。
「レディを逆さまに吊し上げるなんて、失礼な話だわ!」
二体の怪人をその視界に捉えているネプチューンは、悪態を付きながらも技を放つ準備をしていた。彼女の周囲に、水の粒子が渦のように巻き起こる。
「ネプチューン・オーシャン・スプラッシュ!!」
聖なる水の粒子が、唸りを上げて二体の怪人を飲み込んだ。
「ぎゃああ!!」
怪人が悲鳴をあげた。直撃だった。全身がどろどろに溶けている。聖水を浴びせられたのだから、当然の結果だった。魔の眷属にとって、聖水は天敵だった。
苦しみ藻掻きながら、二体の怪人は溶解していった。あとには異臭だけが残った。しかし、怪人は二体だけではなかった。溶解した怪人と入れ替わるように、四体の怪人が出現した。
「消えなさい!」
ネプチューンは再びオーシャン・スプラッシュを放った。四体の怪人は、異臭を放ちながら瞬く間に溶解する。
「!」
怪人がまた増えた。今度は八体の怪人が、彼女たちのぐるりを包囲した。
「どういうこと!?」
調査しろとばかりに、ネプチューンはマーキュリーに視線を流した。既に彼女はポケコンを手にして、目まぐるしくキーを叩いていた。戦況の分析は、マーキュリーの専売特許だ。今や測定不能の彼女のIQと、シルバー・ミレニアムの超科学力で作られた高性能のパソコンに掛かれば、分析できないものはないとさえ思えるほどだ。
「溶けているように見えて、実は分裂していたようです。彼らに水の技は逆効果のようです。別の手を考えましょう」
マーキュリーは分析結果を説明しながら、ゴーグルを装着する。水の技が無効だと言うことは、ガラリと戦法を変えざるを得ない。彼女たちの最も得意とする戦法を封じられたことになるからだ。ポケコンからのデータが、ゴーグルに転送される。マーキュリーは素早くそれを読み込む。
「打撃には脆いようです。ポイントは………、頭です。頭を粉砕すれば倒せます!」
「OK!」
マーキュリーが弾き出した答えなら、百パーセント信用できる。ネプチューンは素晴らしいスピードで怪人に接近する。
そのスピードに、怪人たちは対応できない。
「スプラッシュ・エッジ!」
超水圧を帯びたパンチを顔面に叩き込む。怪人の頭は木刀で叩き割られたスイカのように、無惨に粉砕される。続けざまにもう一体の頭を潰した。
マーキュリーは頭を粉砕しろと言った。だから、それ以外のダメージの与え方では、先ほどのように分裂してしまうか、もしくは再生してしまうのかもしれなかった。打撃に脆くても、すぐに再生してしまっては意味がない。だから、ネプチューンは、マーキュリーの指示通りに頭を粉砕して見せたのである。全てを説明されなくても、そのくらいのことは彼女ならば瞬時に理解してしまうことだ。戦闘中であるから、マーキュリーも必要なこと以外は説明しない。もちろん、その必要がないからである。
続けて二体の怪人を血祭りに上げたネプチューンは、次のターゲットを捜す。
マーキュリーも負けてはいなかった。ウォーター・ブリットで、あっという間に四体の頭を粉々にした。
彼女が地面に着地する間に、ネプチューンは二体を行動不能にしていた。残っていた二体も、再び繰り出されたマーキュリーのウォーター・ブリッドの直撃を受けて、その機能を停止させた。
「終わりましたね」
マーキュリーは小さく深呼吸をする。ウォーター・ブリッドは、体力を消耗する技なのだ。普段なら、連発はしない。
「逃げられたわね………」
夜の闇を見つめながら、ネプチューンが悔しげに言う。マチュアの気配は、既に感じなかった。彼女たちが戦っている間に、かなり遠くまで移動してしまったのだろう。
ふりだしに戻ってしまったのだ。
「新月は、どう?」
ネプチューンが訊いてきた。
マーキュリーがポケコンを操作する。ウェアバットにさらわれた新月には、小型の発信器を持たせていた。途中までは関知できていたのだ。だが………。
ネプチューンの視線に、マーキュリーは首を横に振って答えた。新月も見失ってしまったのだ。
最悪の結果である。
「手懸かりは、彼らだけね………」
マチュアに操られていた町の人々に、ネプチューンは視線を移した。マチュアのコントロールから解放され、未だ気を失ったままだ。朝になれば、意識を取り戻す者も出てくるだろう。それまでは、じっと待っているしかなかった。
彼らから情報を得るしか、彼女たちには他に手段がないのだ。
「何か知っていればいいんですけど………」
マーキュリーが悲観的になるのも、無理はなかった。
夜が明けた。
マチュアに操られていた町の人々は、次々と意識を取り戻したが、彼らは何の情報も持ってはいなかった。人狼( に変貌している間の記憶がないのである。自分たちが、何故町外れのこの場所で倒れていたのかさえ分からないのだ。逆に質問されてしまったネプチューンたちは、答えに戸惑ってしまった。)
宿に戻った。ふたりとも無口だった。やるせない気持ちのまま、時間だけが悪戯に経過した。
町は日常と何ら変わりはなかった。夕べ起こった出来事は、まるで夢物語のようでもあった。
間もなく、日が暮れようとしていた。
不意に、ドアがノックされた。
「!?」
悪寒が走った。鳥肌が立つ。
妖気を感じた。しかし、弱々しい妖気だった。
ふたりはドアを挟んで、両側に立った。壁に背中を付けた。
ドアの右側にいるみちるが、ゆっくりとノブを回す。勢いよく、ドアを開けた。
亜美が素早い動きで、外に飛び出す。みちるも続いた。
「なっ!?」
亜美は言葉を失った。そこには、傷だらけのマチュアが倒れていたのだ。
「マチュア!?」
みちるも我が目を疑う。しかし、油断はしていなかった。周囲を鋭い視線と五感で探る。
マチュア以外の妖気は感じなかった。
「人に見られるとまずいわ! とにかく、部屋の中へ!」
みちるは判断し、亜美とふたり掛かりでマチュアを部屋に運んだ。
マチュアは深手を負っていた。出血もひどい。
(もう、助からないかもしれない)
部屋に運び込んだマチュアを診察した亜美は、みちるに視線を向けると、そのことを目で伝えた。
「………ま、まさか、こんなことに、なるなんて………」
息も絶え絶えに、マチュアは言葉を紡ぎだした。掠れてしまった声は、非常に聞き取りにくかった。
「仲間割れなどという、単純な理由ではなさそうね」
みちるが尋ねた。
「あ、あたしたちの村を、やつらから、救って欲しいの………」
マチュアの耳には、もはやみちるの声は聞こえていなかった。自分が伝えたい事柄を、必死に口にしているようであった。
「やつらの力を、あたしたちは侮りすぎていた………。や、やつは危険なのよ………。このままほおって置いては、この星が滅んでしまう………」
「星が滅んでしまうほどの力? やつって、何者なの!?」
亜美とみちるは顔色を変えた。今のマチュアは嘘を言っているとは思えない。だとすると、彼女の言う「やつ」が何者なのかを聞いておかなければならない。しかし、ふたりの問いに、マチュアは答えられなかった。
「あた、しは………、あ、あたしたちは、必、死に戦った………。でも、やつには、勝て、なかった………。や、やつの力は、む、無限………」
「!?」
その瞬間、強烈な殺気が部屋を包んだ。
凄まじい衝撃が来た。ふたりは瞬時にセーラー戦士に変身すると、防御シールドを張った。
衝撃が唸りを上げる。瀕死のマチュアは、一瞬で塵となった。変身するタイミングが少しでも遅れていたら、ふたりともマチュアと同じ運命を辿っていたことだろう。
防御シールドごと、ふたりは後方に吹き飛ばされた。
「なるほど、セーラー戦士が絡んでいたのか………」
背後で野太い声がした。しかし、振り向けなかった。前方から凄まじいパワーの衝撃波が迫ってきたからだ。ふたりは、それに集中しなければならなかった。そうしなければ、マチュアの二の舞になってしまいかねなかった。だから、背後に敵の存在を感じながらも、その敵に神経を向けることができなかったのだ。
(あたしたちの事を知っている!? いったい何者なの!?)
自分たちの姿を見て、セーラー戦士だと断言できる者は限られてくる。考えられるのは、過去に因縁のあった者たちである。
ネプチューンはマーキュリーに視線を送った。
危険! 注意しろ!
目で合図を送った。
マーキュリーは緊張した表情のまま、ゆっくりと頷いた。
(敵はふたり………? いや、もうひとりいる!?)
ネプチューンは瞬時に気配を探る。前方にふたり、後方にひとりの“気”を感じた。
(なんて“気”なの!? セーラー戦士( と同レベルか、それ以上だわ………))
ネプチューンは心の中で舌を巻いた。敵の戦力は、“気”を判断する限りでは自分たちと同等か、それより上である。迂闊には仕掛けられない。
「背中ががら空きだぞ」
先程と同じ野太い声が耳を打った。やはり背後からだ。
自分たちが招いたミスだった。背後の敵を知りつつも、それに対応を怠った結果だった。いや、対応を怠ったのではない。対応ができなかったのだ。それほど、彼女たちの前方にいた敵の力量が高かったのだ。
「ネプチューン( !!」)
マーキュリーの声が聞こえたが、反応が一瞬遅れた。
背中に激痛が走った。
意識を無くした。