大司教の正体


 本拠地の孤島を捨て、日本を去ってから、丸一日が経過していた。
 浮遊戦艦カテドラルは、何の問題もなく「目的地」に向かって飛行を続けていた。
 戦艦に搭載されている強力なジャマーは、世界各国のレーダーから逃れるのに、充分すぎる程の性能だった。直視しない限り、発見されることはありえなかった。その唯一の発見方法も、空間を湾曲させて周囲に幻影を作り出す特殊装備によって、全く役に立たなかった。つまりは、そこにそれがあると思って向かわない限り、戦艦を発見することができないことを意味していた。
「結局、兄上たちは戻らなかった」
 ブリッジに程近い位置に設置されている展望室から、外の代わり映えのない景色を眺めながら、ファティマは独り言を呟いた。
 イズラエルも、セレスも、スプリガンも、そしてセントルイスも、誰ひとりとして「カテドラル」に戻ってきてはいなかった。あの程度の戦闘で全滅してしまったとは考えられなかったから、恐らく、四人ともそれぞれの考えの基に「カテドラル」に戻らないことを決めたのだろうと思う。しかし、彼女の考えでは、兄のイズラエルだけは戻ってくるはずだった。
 北アメリカより、セントルイスを呼び寄せたのが、イズラエル本人だからである。わざわざセントルイスを呼び寄せたのには、それなりに理由があるはずだった。それを知りたかった。
 しかしながら、ファティマはイズラエルの真の野望には気付いていなかった。セントルイスが彼の持ち駒として動かされていたなどとは知る由もない。もちろん、そのセントルイスがイズラエルの手によって無念の死を遂げていることも知らなかった。
「母上も、もはや当てにできない。わたしはどうすればいいのだ………」
 ファティマはひとり悩んでいるが、考えがまとまるはずもなかった。ただひとりの肉親であり、組織の指導者であるはずのマザー・テレサは、娘にすらうち解けることはない。実際、組織の実質的指導者は、今や大司教ホーゼンだった。組織の行動は、全て大司教ホーゼンの指示通りに行われている。母親の思想を信じ、その母親に付き従っていたファティマにとって、それはこの上ない屈辱であった。ファティマは未だ大司教ホーゼンを、組織の一員とは認めていなかった。それはイズラエルも同じらしかった。血の繋がりのない兄ではあるが、考えてみれば肉親以上に本音を言える相手であった。
「ん?」
 彼女の目には殺風景としか映っていない青空の中で、太陽の光を反射するものがあった。ファティマの視界に入っているということは、当然ブリッジのレーダーにも感知されているはずである。〈カテドラル〉は一般の航空機の高度以上の位置を飛行している。そのことから推測すれば、おのずと接近してくるものの正体は限定できる。
 雲の切れ間から、何かが姿を見せた。次第に近づいてくるのが分かる。
 飛空艇だった。三十メートルクラスの高速飛空艇である。もちろん、ブラッディ・クルセイダースのメンバーの持ち物だった。でなければ、確認不能の〈カテドラル〉に接触できるはずがない。
 ブラッディ・クルセイダースには、その存在が確認されているだけで、合計四隻の飛空艇がある。イズラエルの大型飛空艇レコンキスタ。スプリガンの戦闘飛空艇ギスカール。ジェラールの高速飛空艇シャトー・ブラン。そして、今「カテドラル」接近してきているサラディアの高速飛空艇ヴィルジニテである。
「あの女を呼び寄せたということは、大司教の奴め、いよいよ本気であいつらを葬るつもりだな………」
 ファティマはひとり毒突いた。サラディアは、大司教ホーゼンの秘蔵っ子と言われている女戦士である。大司教ホーゼンがマザー・テレサの前に出現したときから、あの男に使えていた。もちろん、十三人衆に彼女を加えたのはホーゼンである。
 十三人衆は現在、各拠点に拠点の管轄者として配置されているのが殆どである。長であるイズラエルと、マザー・テレサの警護を第一任務としているファティマ、そして新参者のセレスを除き、残りの十人は全て各支部に配置されている。かのスプリガンとて、日本支部を任されているのだ。その中にあって、サラディアだけは例外だった。特定の任務を与えられず、勝手気ままに行動している。所在すら掴めないありさまだった。
 そのサラディアが、自分の方からやってきたということはまずありえない。ホーゼンが呼び寄せたはずである。
「会っておかなければならないな………」
 ファティマは展望室を出た。気に食わない女ではあるが、〈カテドラル〉へ来るのならば挨拶ぐらい交わさなければならない。あの女の口から目的が聞けるとも思えないが、確認してみる価値はある。
 ファティマは通路を足早に移動し、後部に設置されているドッキング・ポートへと向かった。 〈カテドラル〉は千メートルクラスの超大型戦闘飛空艇である。五十メートルクラスの飛空艇ならば、後部の格納庫に収容できる。恐らく、〈ヴィルジニテ〉はそこに収容されるだろうと思われた。
 〈カテドラル〉の内部は広い。ファティマとてどこにどんな施設があるのかは、全てを把握しているわけではない。現在、艦の最下層部に数百人の女子学生を収容し、数名の科学者のための研究設備が置かれていることは分かっている。ブリッジの根本の部分に、簡易聖堂が造られていることも知っている。しかし、それ以外のことはよく分からなかった。技術者でないファティマが、〈カテドラル〉の製造に際して、関与することはなかった。知らない部分が多いのは、当然といえば当然だった。
「ん? こんなところに通路があったのか?」
 ブリッジと自分の部屋、そしてマザー・テレサの私室以外、殆ど出向いたことがないファティマだったが、艦のだいたいの見取り図は入手していた。どの通路を通れば、どこへ行くことができるかぐらいのことは知っている。しかし、今発見した通路は、配下のシスターから入手した見取り図には記されていなかった。
「何故だろう。気になるな………」
 既にファティマは、その通路に足を踏み入れていた。
 狭い通路だった。人ひとりがやっと通れるほどの幅しかない。
 だしぬけに視界が開けた。別の広い通路に出たためだった。どうやら今の通路は、先程の通路とこの通路を結ぶためのものだったようだ。
「しかし、ここは知らないな………」
 新たに移動してきた通路も、見取り図にはない通路だった。
「わたしが知らないだけなのかもしれないな。気の回し過ぎか………」
 自嘲気味に笑った。自分がシスターから入手したものは、簡易見取り図である。必要がないから記されていなかったにすぎないのかも知れなかった。
 特に変わった様子はなかった。メイン通路に比べ、やや狭い感じがする他は、特別気になるような作りをしているわけではなかった。
「ん? 何だ、この妖気は………?」
 ふと、通路の先から異様な妖気を感じた。今まで感じたことのない妖気だった。
「誰のものだ?」
 気になった。強い妖気だったからである。これ程の妖気の持ち主が、組織の中にいれば気付くはずである。
「四人? いや、五人か?」
 それぞれ独特の妖気を、五種類感じた。ファティマは慎重に歩を進めた。当然、自らの気配は消している。戦いは専門ではないファティマだが、そのくらいの芸当はやってのけることはできる。
 小部屋があった。ドアが半開きになっている。妖気はこの小部屋から感じられる。
 息を殺し、隙間から中を覗いた。薄暗かった。中の様子は全く分からない。しかし、中がどういう状態になっているのか分からない以上、入ることはできなかった。
「我々は、いつまでこの殻を被っていなければならないのだ!?」
 声がした。男の声だった。張りのあるしっかりとした声だった。初めて耳にする声である。静かに語ってはいるが、彼が憤怒しているのであろうことは、その声の調子から感じ取れた。
 更に奥を覗こうと、隙間に目を近づけていたファティマは、ドキリとして目を離した。感づかれたのかと思ったのだが、違うようだった。
「今しばらく待て。じきにそこから出してやる」
 (なだ)めるような声が聞こえた。この声は。
(ホーゼン!?)
 聞き取りにくかったが、確かに大司教ホーゼンの声だと思えた。
(ホーゼンめ、誰と話しているのだ………?)
 ホーゼンと直接的に話ができる立場の者は、組織の中では決して多くはない。ましてや、この〈カテドラル〉に乗り込んでいる人物は限られている。ファティマの記憶の中には、今ホーゼンが会話をしている人物の声は存在しなかった。現在〈カテドラル〉に乗り込んでいて、ホーゼンと対等に話をできる立場にいる人間を、ファティマが知らないはずはないのだ。
(わたしの知らない人物が、この艦の中にいるのか!?)
 そう結論付けるしかなかった。
「植え付けた『種』は順調なのか?」
 先程と同じ男性の声だ。
「いや、植え付けてからしばらく経つが、全く変化がない。失敗したと考えるべきだな………。やはり『畑』は新鮮でなければならないようだ」
「呑気なことだな。『種』を保有している者は、貴様ひとりなのだぞ」
「案ずるな、次の目星は付けておる」
「誰を使う? 例の月の王国の者たちか?」
「そうしたいのは山々だが、リスクが大きすぎる。確かに、あの娘たちならば最高の器となるだろうがな………。セレスという女がいる。月の王国の者共と同等かそれ以上のエナジーを有している」
「貴様にセレスが押さえられるのか? あやつの戦闘能力は計り知れない。自ら能力を押さえているようだが、本気になれば貴様程度は一瞬で灰にされるぞ」
「ふん。あとは取り急ぎなら、テレサの娘のファティマが最適だろう。あれならば母親以上の潜在能力がある。幸いにもこの船に乗り合わせている」
 ホーゼンらしき声が、自分の名を口にした。その瞬間、押さえていた“気”が乱れた。気配を殺していたのだが、自分の名を耳にしたことで、一瞬気が緩んでしまったのだ。
「ネズミがいる」
 女性の声だ。これも知らない声。
(しまった!)
 ファティマは心の中で舌打ちしたが、既に遅かった。彼女の存在は、この密談をしている者たちの知るところとなってしまった。
 殺気を(はら)んだ妖気が、彼女の四方を囲んだ。
「ファティマか………」
 彼女の眼前に、大司教ホーゼンの姿があった。
「ホーゼン! 貴様、何を企んでいる!?」
 自分の行動を迂闊だと感じたファティマだったが、それを後悔している時間はなかった。冷ややかな視線を自分に向けているホーゼンと、ひとりで対峙しなければならないのだ。
「活きの良さそうな娘だ。初めから、この娘に『種』を植え付けておれば、既に発芽していたやもしれぬものを………」
 先程の男と同じ声が背後から聞こえてきた。身の毛もよだつ妖気だった。
「可哀想に、怯えているわよ」
 自分の気配をいち早く感じ取った女性の声だった。前方から聞こえてきた。ホーゼンのやや後方の位置に、頭からすっぽりと全身を白い布で覆っている人物が視界の中にいる。恐らく、その白頭巾が声の主だと思われた。
「お前たちは何者なのだ!? ブラッディ・クルセイダースを利用して、何を企んでいる!?」
「お前が知る必要はない」
 ホーゼンの声が、冷たく響いた。その声に導かれるように、ファティマはホーゼンの瞳を覗き込んでしまった。
「!?」
 後悔したが、時既に遅かった。淡い光を放つホーゼンの瞳に魅入られた瞬間、ファティマの意識は瞬く間に薄らいでいった。