夜空の天使


「夜天くん。これ、受け取ってください」
 下駄箱で下履きに履き替えている時、夜天は不意に声を掛けられた。
 顔を上げると、見知らぬ女生徒が顔を真っ赤にしながら、可愛らしい絵柄の封筒を自分に向かって突き出していた。
 このシチュエーションなら、封筒の中身は十中八九ラブレターである。

 またかよ。

 心の中でこう呟いた夜天だったが、
「ありがとう」
 言葉では礼を言っていた。もちろん、笑顔で答えている。
 女生徒は夜天に封筒を手渡すと、くるりと反転して校舎の奥へ消えていった。
「モテるじゃないか、夜天」
 冷やかすような声が聞こえた。
「星野ほどじゃないよ」
 相手が誰なのか、わざわざ確認するまでもなかった。自分を冷やかすのは、十番高校では星野ぐらいのものだ。
 夜天はオーバーに肩を竦めて見せながら、星野の声が聞こえた方に向き直った。
 星野はお団子頭の女の子と一緒だった。
「あの子、確か………」
 お団子頭の女の子は、夜天に封筒を渡した女生徒が去っていった廊下を見つめながら、怪訝そうな表情をしていた。
「彼女を知ってるのか? お団子」
「うん。確か、隣のクラスの柊 蓮花さんだったと思うけど………」
「なんか、気になることでも?」
「うん。彼女、病気で入院してるって聞いたんだけど………。いつ退院したのかな?」
「元気そうに見えたけどな」
 星野もお団子頭の女の子と同じように、女生徒が消えていった廊下を見つめた。
 夜天はもう一度肩を竦めると、制服の内ポケットに封筒をしまい込んだ。

 夕方から、しとしとと雨が降ってきていた。気温も、ぐっと下がっている。少し肌寒く感じるくらいだった。
「嫌ですねぇ、雨は………」
 新曲の振り付けの練習が一段落したので、三人は休憩室で一息付いていた。
 閉められているカーテンを少しばかり開け、窓から外の様子を眺めていた大気が、溜め息混じりにぼやいた。外はすっかり暗くなっていた。
「星野、あなただけステップが遅れてましたよ。大丈夫ですか? 新曲の発表は、明後日ですよ」
「ああ、大丈夫だよ。俺は本番に強いんだ」
 ベンチシートに腰掛けて、スポーツドリンクを飲みながら、星野は答えた。その視界の隅に、夜天の姿が映った。
 夜天は壁に掛けている高校の制服の内ポケットに手を突っ込んで、なにやらごそごそとやっていた。
「さっきもらったラブレターか?」
「あ、ああ。ヒマだから、読もうかと思って」
「読まないでいつも捨ててるあなたにしては、珍しいですね。そんなに可愛い子だったんですか?」
 大気は少しばかり驚いた表情をしてみせた。最後の質問の方は、星野に向けて言ったものだ。
「取り立てて可愛いって子じゃなかったよ。大人しそうな子だったね」
 星野は答えた。一瞬しか見ていないから、星野としてもそれ以上は答えようがない。
 夜天は封筒を開け、手紙を読んでいた。
「え!?」
 急に顔を上げて、時計を見た。
「ごめん、ちょっと出掛けてくる!」
 夜天はそう言うと、そのまま休憩室を飛び出していった。
「何だよ、あいつ………」
 星野は、夜天が落としていったラブレターを拾い上げて、内容を読んでみた。
「え!? おいおい」
 星野も時計を見上げた。不思議そうな表情で寄ってきた大気に、ラブレターを手渡す。
「四時に体育館裏って………。でも、もう八時ですよ。それに、雨も降ってる」
 ラブレターは、
「四時に体育館の裏で待ってます。必ず待ってますから、絶対に来てください」
 そう締め括られていた。

 雨の中、夜天は十番高校へと戻ってきた。何故戻ってきたのか、自分でも分からなかった。約束の時間はとっくに過ぎている。しかも、雨までも降っているのだ。普通なら、待っているはずはなかった。
 校内は真っ暗だった。
 特に体育館裏には街灯はない。
「ウソだろ………」
 体育館裏に回った夜天は、我が目を疑った。人影が見えたのである。
 ゆっくりと近付いていった。
 人影が自分に気付いた。
「あは! 夜天くんだ。来てくれたんだね」
 その人影は、自分にラブレターをくれた相手―――柊 蓮花だった。
「なんで、いるんだよ………」
 もう少し気の利いた言葉を掛けてあげるつもりが、つい本音を口にしてしまった。
「夜天くん。絶対来てくれると思ったから………。それに、わたし、今日一日しか外出を許してもらえなかったから」
 蓮花は夜天を見ると、愛らしい笑顔を見せた。思わず、胸が熱くなる笑顔だった。
 お団子頭の女の子の言葉が、夜天の脳裏を横切った。
「病気で入院してる」
 そう言っていた。
「テレビでね、いつも見てるんだよ。凄い人気だよね。毎日、必ずどこかの番組に出演してるよね」
 夜天に話し掛ける蓮花は、とても楽しそうだった。
「あたし悔しかったんだ。だって、夜天くんわたしのいる高校に通ってるのに、わたしの方は学校に行けないんだもん。だからね、昨日わがまま言って、今日一日だけってことで、外出許可をもらったの」
 蓮花はどうしても自分に会いたかったのだろう。会って、自分と言う女の子がいることを、夜天に知ってもらいたかったのだろう。
「ゴメンね。こんなに遅れちゃって」
「いいよ。だって、夜天くん、ちゃんと来てくれたもん!」
 蓮花は笑った。その笑顔を見た夜天は、彼女が愛おしくなった。
「とにかく、どこか暖かいところに行こう。制服も乾かさなきゃいけないだろう?」
 夜天は蓮花に歩み寄った。蓮花が力無く、夜天の胸にもたれ掛かる。
「! 熱い!?」
 蓮花の体は、燃えるように熱を帯びていた。

「彼女の容態はどうなの?」
 人影のない待合室の椅子に腰を下ろして俯いていた夜天に、聞き慣れた声が掛けられた。
 顔を上げると、お団子頭の女の子が、心配そうな表情で立ちすくんでいた。
 夜天は首を振った。自分には分からなかったからだ。容態は、大気と星野が聞きに行っているはずだった。
 足音が響いた。見ると、中年の男性がそこに立っていた。
「夜天さんですね?」
 夜天は無言で肯く。
「蓮花の父です。今日は、娘がご迷惑をお掛けいたしました」
 深々と頭を下げた。
「いえ、謝らなければならないのはボクの方です。ボクがもっと早く彼女に会っていれば………。彼女はボクを待っていたために、あんなことになってしまって………」
「いいえ、お気になさらないでください。あなたが忙しい身なのは、蓮花も充分分かっていました。もちろん、わたしもあなたを咎めるつもりはありません」
「ですが………」
「蓮花は白血病なんです。既に、医者からは覚悟するように言われています」
「白血病?」
「そんなっ………!?」
 夜天は「白血病」と言う病名の示す意味は分からなかったが、お団子頭の女の子の反応を見れば、それが命に関わる病気であることは推測できた。
「今は目を覚ましております。もしお時間がおありでしたら、もう一度娘に会ってやって頂けませんか?」

 夜天に続いて、星野、大気、そしてお団子頭の女の子が、蓮花のいる病室に入っていった。
「わぁ、スリー・ライツ勢揃いだぁ」
 ベッドに横たわる蓮花は、顔だけこちらに向けると、弱々しい笑顔を浮かべた。
「早く元気になって、ボクたちのコンサート見に来てよね」
 夜天は蓮花に近付くと、笑顔を作った。だが、反対に蓮花は、寂しそうに微笑んだ。
「コンサート、来月だよね。でも、もう無理みたい。自分で分かるんだ。わたし、その日までは生きられないから………」
「何言ってるんだよ! 特等席用意しとくからさ、絶対に来てよね!」
「夜天くん。ホラ、雨が止んでるよ。星があんなに綺麗………」
 蓮花は話題を変えた。カーテンが開け放たれている窓に目を向けて、眩しそうに星を見つめた。
「わたしも、星になるんだよね。星の海かぁ。東京じゃ空気が汚れていて、あんまり星は見えないんだよね。たくさんの星、見たいな」
 蓮花の瞳は、遠くを見つめていた。
「じゃあ、見に行こうか」
 夜天は蓮花に手を差し伸べた。ベッドに横たわっていた蓮花を、優しく抱き上げた。
 夜天は後ろの三人に顔を向けた。三人は揃って肯いてくれた。

 ふわりと宙に浮いたかと思うと、次の瞬間には外に出ていた。病院が小さく見える。
「え!?」
 蓮花は呆気に取られていた。病室にいたはずなのに、自分が夜空に浮かんでいたからだ。
「東京だって、かなり上空に行けば星が綺麗に見えるはずよ」
 自分を抱き抱えている夜天が言った。
 夜天、いやセーラースターヒーラーはゆっくりと上昇する。サポートしているのはセーラームーンだった。彼女が銀水晶の力で、蓮花を保護してくれているのだ。だから、上空に昇っても生身の蓮花が凍えるようなことはない。
「うわぁ♪」
 空一面の星の海を見て、蓮花は感嘆の声を上げた。
「凄い、凄い! 夜天くんて、魔法使いだったの!?」
 夜天はその問いには答えなかった。その代わりに、彼女のために歌を口ずさんだ。
 「流れ星へ」
 コンサートのみの特別バージョン。自分のソロパートの部分だった。

 星の海に 天使が舞う
 儚い夢 この胸に秘め
 届く日を信じて

 夜の帳 降りる頃に
 天の星は 流れてゆく
 明日に向かって

 Search for Your LOVE 星の輝き
 Search for Your LOVE 見つめていよう
 Search for Your LOVE ぼくの歌は きみだけのために

 きみの香りずっと
 ぼくの声を届け
 いまどこにいるの
 ぼくのプリンセス

 こたえて・・・・・


 病院を見上げたまま、ヒーラーは涙を流していた。
 ファイター、メイカー、そしてセーラームーンは、その後ろ姿をただ見つめていた。
「なんで………。なんで、彼女が最後に恋をした相手があたしなのよ………。あたしは、彼女の想いに答えてあげることはできないのよ!!」
 ヒーラーは肩を振るわせて泣いていた。本当の自分の姿で。
「男である夜天は仮の姿。本当のあたしはセーラースターヒーラー。女なのに………」
 ファイターもメイカーも声を掛けられないでいた。
「そんなことないよ」
 セーラームーンだけが、ヒーラーに声を掛けた。
「彼女、あんな嬉しそうだったじゃない。きっと、ヒーラーの………ううん、夜天の想いは伝わったはずだよ」
「そうだよ、ヒーラー」
 ファイターが続いた。
「次のコンサート。彼女のために、席を空けて待っていましょう。彼女は、きっと来てくれますよ」
 メイカーが言ってくれた。
「うん。そうだね」
 ヒーラーは蓮花が眠っているだろう病室を見上げると、優しい笑顔で肯くのだった。





作品中の「流れ星へ」の歌詞は、一部わたしのオリジナルです。