scene.11


「ひとりで来たから、後で怒られちゃうかな………」
 決してひとりでは行動するなと言われていた絵美菜だったが、演劇部の部室までひとりで来てしまった。みんな熱心に練習をしていたので、声を掛けづらかったのだ。
「え………と、あたしの鞄は………」
 部室に入ると、絵美菜は自分の鞄を探した。お昼時にみんなに食べてもらおうと、夕べクッキーを焼いたのだ。
「あれ? ここに置いたっけかな?」
 鞄を見付けることはできたのだが、何か違和感を感じた。確かにロッカーの上に置いたはずなのだが、見付けた鞄は床の上にあった。
「まっ、いっか」
 自分の記憶違いかもしれないし、他の部員が移動させたのかもしれない。絵美菜はさして気にも留めず、鞄を開けるために屈み込んだ。
「?」
 背後に気配を感じた。普段なら気が付かなかったかもしれないが、今の絵美菜は神経が過敏になっていた。だから、自分の背後に何かが接近してきたことに瞬時に気が付いたのだ。
 振り向いた。
「ひっ!」
 悲鳴を上げたつもりだったのだが、声が潰れてしまって悲鳴にならなかった。
「馬鹿なやつだ。そんなに死にたいのか?」
 くぐもった声がした。声がくぐもって聞こえたのは、仮面を被っていたからだ。能面だった。何かが打ち付けられたのか、額に大きな罅がある。
 スーツを着込んでいた。体格からして、男性だと思えた。声も女性のものとは思えないほど、低い声だった。どこかで聞いたことのあるような声だったのだが、すぐには思い出せなかった。
「なんでお前はあの台本を選んだ? お前は何を知っている?」
 能面を被った男は言った。じりっと絵美菜ににじり寄る。
 絵美菜は床にお尻を付いた状態で、男から離れようと後退した。しかし、すぐにロッカーに背中が当たってしまった。
「あ、あなたが犯人なの?」
 やっとの思いで、絵美菜は声を絞り出した。男が笑ったような気がした。
「俺の質問に答えろ」
 男は絵美菜の問い掛けには答えなかった。自分の質問に先に答えろと言うのだ。
「あの台本に何があるって言うの?」
「そんな簡単に分かるものか………! だが、気付いてしまうんだよ。何れね」
 くくくっと、喉の奥の方で笑うのが分かった。
「だから、ヒロインを殺したの? 気付かれる前に」
「そうだ。だから、お前も気付かれる前に殺す」
 能面を被った男は、言いながらスーツのポケットから太いロープを取り出す。
「ここでは殺さない。ここで殺してしまったら、わたしが犯人だとバレてしまうからね(・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 能面の男は絵美菜の恐怖心を煽るように、ゆっくりと足を踏み出した。
 絵美菜はもはや声も出ない。
「おっと………! なんてタイミングのいいところに………」
「むっ!?」
 能面の男は狼狽し、背後を振り向いた。腕組みをした長身の女生徒が、こちらを睨み据えていた。
「き、木野………」
 まことが現れたことに余程驚いたのか、能面の男は思わずまことの名を口にしてしまった。
「絵美菜に変なコトしたら、セクハラでPTAが黙ってないよ、先生」
「………わたしの正体を知っていそうだな、木野」
「まぁね。あたしの仲間は優秀だからさ!」
 まことは少しばかりオーバーに肩を竦めて見せた。だが、実際のところは、まことは犯人の正体を知らない。犯人の調査についてはうさぎや亜美に任せていて、自分と美奈子は絵美菜のガードに徹していたからだ。「先生」と言ったのも、当てずっぽうだった。自分のことを「木野」と呼んだことから、探りを入れたにすぎない。しかし、相手はそのハッタリにまんまと引っ掛かった。
「どうする? ふたりいっぺんに相手にするかい? 絵美菜を人質にここから逃げだそうとしたって無駄だぜ。警察も来てるしな」
 まことは努めて平静を装った。余裕を見せることで、相手にプレッシャーを与えようと考えたのだ。
 長い沈黙があった。
 能面の男はロープを手にしたまま動けないでいた。まことは油断なく、その男の動向を探っている。少しでもおかしな行動を取ろうとしたら、いつでも飛び掛かれるようにだ。例え絵美菜が襲われようとも、自分のスピードなら男を制止することができると考えていた。
「絵美菜、こっちへ来い」
 能面の男が動かないと見るや、まことは絵美菜に向かって笑顔で言った。絵美菜は怯えたように男の背中を見上げるが、まことは大丈夫だと言う風に大きく肯いた。
 恐る恐る絵美菜が腰を上げたその時―――。
「ふははははっ………!!」
 能面の男が、突然狂ったように笑い出した。
「何がおかしい!?」
「とんだ茶番だ」
 能面の男が笑い出した意味が分からず、まことは少しばかり動揺した。反面、男は落ち着きを取り戻していた。
「お前が現れたことで、少しばかり動揺してしまった。だが、よくよく考えてみればお前がわたしの正体を知っているはずがない。お前が頼りにしている水野は、間もなく木っ端微塵に吹き飛ぶことになる」
「な、なんだって!?」
 今度はまことが慌てた。亜美の身に何かが起こったことは明白である。
「俺の忠告を無視したからだ。結城と一緒に、間もなく木っ端微塵だ」
 能面の男は言うと、くくくっとくぐもった笑いを漏らした。左腕の腕時計に目をやる。
「あんた、麻理恵も!?」
 麻理恵の危機を知り、絵美菜の顔から血の気が失せた。
(時間を気にしている? まさか、時限爆弾か? 亜美ひとりなら大丈夫だと思うが、麻理恵と一緒だと言うのが気になる………)
 まことは素早く考えを巡らす。例えどんな状態であっても、意識を失ってさえいなければ亜美は変身して脱出を謀るだろう。だが、麻理恵と一緒だと言うのならば話は別である。
(のんびりしているわけにはいかないか………)
 まことは唇を噛む。このまま悪戯に時間を浪費するのは、得策でないような気がした。だが、状況を一変させるためには自分が動かなければならない。一番簡単な方法は、この場で変身して一気にケリを付けてしまうことなのだが、それでは絵美菜に自分の正体がバレてしまう。
「あんたはひとつ、重大なことを忘れているよ」
 だからまことは、もう少し時間を稼ぐことにした。亜美の救出は、きっと他の仲間がしてくれる。自分は目の前の真犯人ひとりに集中すればいい。
「重大なこと?」
「亜美は世界一の天才だって言うことだよ」
「何かと思えば………」
 能面の男は、愉快そうに笑った。
「いくら天才少女とはいえ、手足をロープで縛られた状態で何ができると言うのだ?」
「あたしには、他にも仲間がいる。その仲間が、今頃亜美と麻理恵を救出している」
「そう願いたいな」
 能面の男は、まだ余裕を見せていた。再び腕時計に目をやる。次いで、顔を窓外に向けた。
 が、次の瞬間、慌てて腕時計を見直した。様子がおかしい。
「へへへっ。どうやら、あんたの負けのようだな」
 まことは確信した。方法はどうであれ、結果的に男の目論見は失敗したようだ。
「くっそぉ!」
 喚いたかと思うと、反転して絵美菜に詰め寄った。
「しまった!」
 能面の男の目論見が失敗したと分かったことで、僅かに気を緩めてしまったまことは、反応が遅れてしまった。
「一緒に来い!」
 能面の男が絵美菜の右腕を強引に掴んだ。異変はその直後に起こった。

 亜美から除霊の話を聞いたレイは、慌てて十番高校へとやって来た。巫女装束のまま走ってきたので、かなり体力を消耗してしまった。十番高校の正門前に辿り着いた頃には、完全に息が上がっていた。
 大きく深呼吸をして心拍数を整える。“気”を練って、体力の回復を謀った。
「亜美?」
 レイは正門で亜美の姿を捜した。彼女のことだから、当然正門まで迎えに来てくれていると考えてのことだった。しかし、正門前には亜美の姿はない。
「亜美はドコにいるのよ………」
 少しばかり苛立たしげに、レイは言った。亜美が犯人の手に墜ちて、時限爆弾と共に小屋に閉じこめられていることなど、夢にも思わなかった。
 もう一度周囲を見回してみる。やはり、亜美の姿は見えなかった。気配も感じない。
「手遅れになる前に、急がなきゃ!」
 もはや亜美を待っている時間的余裕はなかった。除霊を止めさせなければならない。そのために、レイは十番高校まで来たのだ。
 レイは休む間もなく、今度は商業科の校舎の裏手に向かって走った。除霊を行うならば、自分が学校側に連絡したポイントのはずだ。だが、
「!?」
 レイの肌が粟立った。悲しげな悲鳴が、レイの体を突き抜ける。
「ダメ!! 今、彼女を消してはダメ!!」
 レイの霊力が爆発的に増大した。姿の見えぬ霊能力者の力を、この場から封じようと試みたのだ。しかし、僅かに遅かった。除霊を行った霊能力者は、不完全な力でそれを行った。だから、中途半端に霊の力を弱めたに留まった。
「彼女が抑えていたものが、解放された!?」
 レイの表情から血の気が失せた。

 何か凄まじい力に、三人は弾き飛ばされた。
「いてててて………。なんだ、今のは?」
 床に打ち付けた腰をさすりながら、まことは立ち上がった。素早く教室内に視線を走らせて状況を把握する。
 弾き飛ばされたのは自分だけではなかったらしく、幸運にも能面の男は絵美菜から大きく離れていた。だが、油断できないことには変わりはなかった。
「くそっ! 今の揺れはなんだ!?」
 能面を被った男はよろよろと立ち上がった。絵美菜の姿を見付け接近しようとするが、まことが威嚇をしたのでその場に留まった。
 もともと尻餅を付いた状態だった絵美菜は、最初の位置からは殆ど移動していなかった。能面を被った男は僅かに絵美菜から離れたものの、依然としてまことよりは近い位置にいた。
「ん?」
 ふと、まことは窓の外に視線を向けた。知っている人物の影を見たような気がしたからだ。
「レイ?」
 まことは校舎裏手に向かって走っているレイの姿を見付けた。すぐに通信機でレイを呼び出す。
「レイ! 今のは何だ!? お前が何かしたのか!?」
「まこ!? どこにいるの?」
「演劇部の部室だよ。あたしの位置からはレイがよく見える」
 立ち止まって校舎を見上げるレイの姿が見えるが、自分のいる細かい場所をレイに説明している時間はなかった。
「今の揺れ、レイも感じたか?」
「え、ええ。もちろん」
 まことの姿を探すのを諦め、レイは通信機での会話に集中してくれた。まことの考えを察してくれたのかもしれなかった。
「敵さんが勝手にやってくれた除霊が原因よ」
「除霊が?」
「大した能力も持っていない霊能者がテキトウに除霊なんかしたモンだから、逆に厄介なものを目覚めさせてしまったのよ」
「厄介なもの?」
「目の前にいるでしょ!?」
「目の前だって?」
「まこちゃん!!」
 絵美菜の叫び声を聞き、まことは窓外から視線を部室に戻した。
「!?」
 何かが目の前に迫ってきたので、まことは仰け反ってそれを躱した。
「な、なんだ!?」
 流石のまことも狼狽えた。
「や、やめろ! やめろぉ!!」
 能面の男の叫び声が耳を打った。見ると、壁に体半分をめり込ませている。何かとてつもない力に引っ張り込まれているのだ。
「なんなんだ、いったい!!」
「いやぁぁぁぁぁ!!」
 次いで、絵美菜の悲鳴。慌てて視線を向けると、絵美菜は宙に浮いていた。何か見えない力によって、体を持ち上げられているのだ。
「絵美菜!!」
 絵美菜を救うべく、まことが猛ダッシュする。が、目一杯伸ばされた腕は、絵美菜に届くことはなかった。
 絵美菜は見えない力によって、窓を突き破って外に放り出されてしまったのだ。
「絵美菜ぁ!!」
 演劇部の部室は地上四階にある。この位置から地面に叩き付けられれば、普通の人間なら無事ではすまない。

 窓ガラスが砕ける騒々しい音を耳に受け、レイは音の響いてきた方向に顔を向けた。窓ガラスを盛大に割り、何かが教室から飛び出してくる。
 教室から身を乗り出すまことの姿が見えた。
「人!?」
 すぐさまレイは、教室から飛び出してきたものが何であるのかを理解した。窓ガラスを突き破って教室から飛び出してきた物体は人間―――絵美菜だった。
 助けなくてはいけない―――。
 レイはそう感じたが、あまりに唐突な出来事だったので反応ができなかった。恐らく、教室から身を乗り出しているまこともそうなのだろう。
 悲鳴の尾を引き、絵美菜は地上に向かって落下する。
 レイもまことも目を閉じた。「呪いの台本」による犠牲者が、今年も出てしまう―――。

 全てが一瞬の出来事だった。
 気が付いたときには絵美菜は教室の外にいた。
 落下する。地上に向かって。
「あたしは絶対に死なない」
 みんなにそう約束をした。だが、それは叶わなかったようだ。
 楽しかった思い出が、走馬燈のように頭の中を巡る。
 体が浮いたような気がした。
 落下の感覚に慣れてしまったための錯覚だと思った。しかし―――。
「大丈夫か?」
 自分を覗き込む顔があった。仮面舞踏会などでよく見掛けるアイ・マスクが目に飛び込んできた。マスクの奥からは、深い澄んだ瞳が自分を見つめている。
 柔らかい着地の感覚。
 絵美菜はそこで初めて、この奇妙なマスクの人物に抱き上げられていることを知った。
「立てるか?」
 幻聴のようなその声に、絵美菜は反射的に肯いていた。
「大丈夫だった?」
 ゆっくりと降ろされ、地面に足をつけてから前方を見やると、
「セーラームーン?」
 信じられない人物がそこに立っていた。
「危機一髪だったわね」
 セーラームーンは自分に向かって笑いかけてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
 我に返った絵美菜は、自分の窮地を救ってくれた人物―――タキシード仮面に向かって深々と頭を下げた。
「少し、じっとしていてくれ」
 タキシード仮面は言うと、右手を翳した。淡い光が自分に向かって降り注いでくる。
「傷はすぐに治る」
 言われるまで気が付かなかったが、体の各所に裂傷があった。窓ガラスを突き破ったときに出来たものだろう。
「もう大丈夫だ」
 タキシード仮面に言われて自分の体をチェックすると、先程まであった裂傷が跡形もなく消えていた。裂けたセーラー服も元に戻っている。
「タキシード仮面。急がないと!」
 急かすようなセーラームーンの声が聞こえてきた。
「ああ!」
 タキシード仮面は肯くと、絵美菜に向かって小さな微笑を向け、すぐに背を向けた。
 セーラームーンとタキシード仮面は、そのまま体育館の方に向かって走り去ってしまった。

 絵美菜の無事を確認したまことは、すぐさま視線を部室に戻した。
 能面を被った男は、既に三分の二ほど壁に飲み込まれていた。
「助けてくれ、頼む! 助けてくれ!!」
 情けないまでに声を張り上げて、能面の男は懇願していた。
「除霊を指示したのは、あんたか?」
 凍えるほど冷たい声で、まことは尋ねた。ゆっくりと能面の男に近付く。
 バチッ!
 何かがまことの体に触れたが、彼女の全身を包んでいる雷電のシールドが、それを弾き返した。絵美菜を襲った「霊」が今度はまことを標的にしたのだが、彼女を包む凄まじいまでの雷電のパワーが、それらをいっさい寄せ付けない。
「違う! 学校側の指示だ! 確かに雇ったのは俺だが、あくまでも指示されてやったことだ! これは何だ!? 除霊は失敗したのか!?」
「さぁな」
 まことの返事は冷え切っていた。
「学校側の指示だって? そうするようにし向けたのは、あんたじゃないのかい?」
「うっ………」
 能面の男は答えに詰まった。それは、まことの考えが正しいことを意味していた。
「除霊はただ行えばいいと言うものではないわ。そこにいる霊と対話し、相手の理解も求めなければならない。その霊が、何故この場に留まっているのかも確かめる必要があるのよ」
 無惨にも破壊された窓から、セーラーマーズが姿を現した。「騒動」を起こした元凶が、この場にいることを知ったために、変身して飛び移ってきたのである。
「た、助けてくれ! お願いだ! 俺はまだ死にたくない!!」
「あんたを助けてやる義理はないね」
 凍てつかせるほどのまことの言葉だった。能面の男は、最早言葉を発する気力すらない。ただひとり、救ってもらえるかもしれない相手から見放され、絶望に打ちひしがれているようだった。
「なにか、気配を感じるわ」
 マーズがまことに耳打ちした。まことは何も感じなかったが、マーズはその霊感で何者かの存在を感じ取ったようである。

 先生………。今回だけ助けてあげる。あとは、この人たちに任せましょう。

 どこからともなく、声が聞こえてきた。優しい声だった。
「この声………。有栖川か!?」
 能面の男が驚きの声を上げた。声が上擦っていた。

 この人はしばらく、逃げないようにわたしが監視します。あなた方は、早くこの霊を沈めてください。

 声は、まこととセーラーマーズに語りかけてきた。能面の男は、壁に飲み込まれて消えていく。
「あんた、夢ちゃんのお姉さんか?」
 まことが尋ねる。

 時間がありません。悪霊たちが校内に溢れています。みんなを守ってあげてください。

 声は、まことの質問には答えなかった。だが、否定もしなかった。
「分かった。まずは、こいつらを片付ける。あとで、ゆっくり話をしよう」
 まことはセーラージュピターに変身した。