第六章


 四人はテレポートアウトした。
 久しぶりのシルバー・ミレニアムだった。
 崩れた廃墟は、今も変わらない。
「また、来ることになるなんてな………」
 ジュピターが苦笑する。二度と来ることはないと思っていたシルバー・ミレニアムに、四人は立っていた。クリスタル・パレスがあったはずのこの場所には、以前にも一度だけ来たことがある。
「出迎えはないようね」
 ヴィーナスは少しばかり拍子抜けしたように言った。シルバー・ミレニアムに着いた直後に、待ちかまえていた敵の軍勢と戦闘になると考えていたからだ。しかし、予想に反して、シルバー・ミレニアムは静かだった。相変わらず、生命の息吹は感じられない。
「妖魔の類はいないわ」
 ゴーグルで周囲を索敵していたマーキュリーは、安堵の溜め息を付きながら言った。セーラーテレポートの後だけに、戦闘になることは避けたかったのが本音だ。
「さて、どこに向かえばいいんだ? うさぎはどこにいると思う?」
 少しばかり苛立たしげに、ジュピターは言った。彼女としては、一刻も早くうさぎを救出したいのだ。
「うさぎは、敵のことをオリエンと呼んでいたらしいわ」
 フォボスとディモスから受けた報告を、マーズは三人に伝えた。
「オリエン………? まさか、あのオリエンなの?」
 マーキュリーが信じられないと言った顔をする。オリエンと言う名は、もちろん彼女たちも知っている。プリンセス・セレニティのフィアンセだった貴族の名だ。実直で、好感の持てる好青年だったと記憶している。
「決めつけるわけにはいかないけれど、ほぼ間違いないかもね。彼も転生していたって不思議じゃないわ。そして、何かの拍子に覚醒してしまった」
 ヴィーナスの言葉は推測でしかないが、否定する者はいなかった。
「でも、オリエンが何故………?」
 以前のオリエンを知っている者ならば、懸念を抱くのは当然だった。マーキュリーは合点がいかない様子で、視線を足下に落とす。
「プリンセスをエンディミオンに取られたことへの復讐か………? だとしたら、何故今になって………」
 ジュピターも考え倦ねている。
「そうね。以前にも幾らでもチャンスはあったはずだし、彼にはそれができたはずよ。転生した今の時代で、わざわざ復讐を企てるなんて、何か変だわ」
 ヴィーナスは言った。確かに彼女の考えは正論だった。崩壊する以前のシルバー・ミレニアムの時代に、エンディミオンに復讐を考える時間は、幾らでもあったはずだ。それに貴族であった彼は、強力な騎士団も配下に従えていた。もちろん、彼自身も優秀な騎士だったはずだ。
「今はここで議論をしている時間はないはずよ。オリエンに会えば分かることだわ」
 マースがこの場を仕切った。このまま憶測で話をしていても、結論が出ないのは分かり切っていることだ。
「よし! まずは、オリエンの屋敷のあったところへ行こう!」
 ジュピターは言うと、仲間の返事も待たずに走り出していた。


 見覚えのある部屋だった。
 質素で落ち着いた雰囲気の漂うその部屋に来るたびに、安らぎを感じていた自分を思い出していた。あの頃は、あんな未来が来るなどとは思ってもいなかった。
「覚えていてくれて、嬉しいよ。セレニティ」
 うさぎの表情から、その心情を読みとったオリエンが、うれしそうに言った。
 うさぎか連れてこられた場所は、幼い頃幾度となく足を運んだオリエンの部屋だった。
 オリエンにエスコートされ、うさぎは部屋の奥へと進んだ。見覚えるある白い椅子があった。オリエンの部屋の中にあって、唯一自分専用だった椅子である。
 オリエンはうさぎに、その椅子に腰掛けるように手で示した。うさぎは、それに素直に従った。懐かしい感触だった。うさぎの中のセレニティが、その椅子の感触を覚えていて、それを懐かしがっている。オリエンの部屋に来るたびにこの椅子に腰掛け、窓から見える美しい景色を眺めていた。窓の外では、オリエンが時折剣の修行をしていた。
 だが、いつの頃からだろう。足を運ばなくなったのは………。
 今は、窓から見える景色は、荒廃した荒れ地だけだった。美しかった庭園は、そこにはなかった。以前の状態に戻っているのは、オリエンの部屋だけのようだった。これも、オリエンの妖力の成せる技なのだろう。
「地球でエンディミオンに出逢ってから、あなたがこの部屋に訪れることはなくなってしまった………」
 またもや、うさぎの心を読んだがの如く、オリエンは言った。悲しげな瞳が自分に向けられたとき、うさぎは思わず視線を下に落としてしまった。オリエンに対し、後ろめたさを感じたからだ。
 エンディミオンと出逢うまでは、自分はオリエンに嫁ぐものだと思っていたし、周囲もそれを認めていた。しかし、ふとしたことで地球に降り立ったセレニティは、地球国の王子エンディミオンと出逢い、彼の魅力に惹かれてしまった。
 オリエンに不満があったわけではなかった。いつでも自分には優しかったし、時には自分の力になってくれた。しかし、エンディミオンはオリエンに欠けているものを持っていた。
 仲間からの熱い「信頼」である。
 エンディミオンには四人の親衛隊がいた。それはまるで、自分と四守護神の関係に似ていた。エンディミオンの四人の親衛隊は、彼の忠実な部下であると同時に、よき友人でもあった。そして何よりも、四人の親衛隊はエンディミオンを信頼していた。主としての服従ではなく、仲間としての友情だった。そして、それは四人の親衛隊に留まることだけではなかった。多くの国民からも、彼は慕われていたのである。
 月の王女として生まれたセレニティとしては、見習わなければならないことが多かった。初めは遠くからエンディミオンを観察しているだけだったセレニティだが、次第に彼の魅力の虜になっていったのだ。
 対してオリエンは、自ら指揮する騎士団の団長でもあったが、配下の者からそれほど慕われていたわけではない。強引すぎる彼の指揮に、異を唱える者も少なくなかった。
 当初はそう言った声が気にならなかったセレニティだが、エンディミオンに出逢い彼の行動を観察するに連れ、下々の声をよく聞くようになった。その結果、オリエンに対する不満の声が聞こえるようになったのである。一度注意をしてみたのだが、オリエンは聞き入れてくれなかった。セレニティはオリエンに対して疑念を抱くようになった。
 そして、オリエンから離れていった。
「だが、ボクの愛は永遠に変わらない。いや、誰にも変えることはできない。例えあなたが、他の男を愛してしまっても………」
 オリエンは実直そうな瞳をうさぎに向けたが、彼女は視線を落としたままだった。
「ボクたちふたりの手で、再びシルバー・ミレニアムを築き上げよう」
 オリエンは続けた。うさぎは答えない。
「セレニティ………」
 オリエンはうさぎを椅子から立ち上がらせると、自分の元に引き寄せた。お互いの息がかかるほどの距離で、ふたりはしばし見つめ合う。
 うさぎの肩は小刻みに震えていた。オリエンを見つめる瞳に、涙が溢れた。
「あなたの心の中には、ボクはもういないんだね………」
 うさぎの瞳を見つめていたオリエンは、小さく呟くように言うと、彼女の側を離れて距離を取った。僅か一メートル程の距離なのだが、永遠に縮まることのない距離だった。その距離を無理矢理にでも詰めるのなら、やらなければならないことがあった。
「あなたの心を完全にボクのものにするためには、やはりあの男を、抹殺しておかなければならないようだね」
「待って、オリエン! あなた、まさか!?」
 うさぎは色をなした。オリエンが言う「あの男」とは、即ち衛に他ならない。現在の衛がどういう状態にあるのかは分からないが、あのダメージがそう簡単に回復するとは思えない。今度オリエンに襲われたら、間違いなく殺されてしまうだろう。
「約束が違うわ!」
「約束………!?」
 オリエンは眉間に皺を寄せた。その表情を見たうさぎは、思わず口を噤んでしまう。
「初めに約束を破ったのは、あなたの方だ………」
「………」
「ボクとの誓いを破り、あなたはエンディミオンを選んだ………。そして、今もボクを拒んでいる………」
「………」
「ボクの元に来ると言っておきながら、あなたの心はここにはない。あなたは、ボクを見ていない。あなたが、そうしてボクを拒絶しているかぎり、ボクの心は永遠に癒されることはない」
 オリエンは諦めの表情で、大きくかぶりを振った。
「セレニティ、ここで待っているがいい。あいつを殺したら、直ぐに戻ってくるよ」
 オリエンは言うと、その体は陽炎のように揺らめき、やがて消えていった。
「オリエン!!」
 部屋には、うさぎだけが取り残されてしまった。


「パパちゃま、ママちゃま!!」
 ディスプレイを凝視していたダイアナが、突然声を上げた。
 ルナとアルテミスが、同時にダイアナに目を向けた。
「空間の歪みを発見しました! シルバー・ミレニアムから何かが地球にやってきました!」
「みんなが戻ってきたの!?」
 ルナの声が弾んだ。
「いえ、セーラーテレポートによる歪みとは違います!」
「とすると、敵か!? 美奈たちはどうしたんだ!?」
 アルテミスが血相を変えた。敵だけが現れて、ヴィーナスたちが戻ってこないと言うことは………。
 司令室に緊張が走った。


 オリエンは一の橋公園に立っていた。
 上空に浮かぶ月を見上げる。
「ボクは、何をしているんだ………?」
 苦悩の表情で、オリエンは視線を正面に戻した。
(月の者たちを憎め………。お前からセレニティを奪った、エンディミオンを憎め………。そして、ミレニアムを滅ぼした、地球の民を憎め………)
 どこからともなく、声が聞こえた。
「うるさい! ボクに命令するな!!」
 虚空に向かってオリエンは叫ぶ。
(その力、誰が与えてやったと思っている………。その力がなくなれば、お前は自らの野望を果たすことができんぞ。大人しく、わたしに従え………)
 声は威圧的だった。
(妖魔たちを呼べ。大群を持って、地球の民を滅ぼせ)
「その必要はない。………やつが来た」
 オリエンは闇から響く声を制した。前方を凝視する。
 トンネルを潜って、何者かが現れるのが見えた。


 ふみなは目を覚ました。
 病室は闇に包まれている。自分以外の生き物の気配を感じなかった。
「衛クン?」
 ベッドを見た。衛の姿はそこにはない。
 衛が眠っていたであろう、その場所に手を触れてみた。まだ、少しだけ温もりがあった。ベッドを抜け出てから、まだそれほど時間は経過していないようだ。
 トイレかと思い、少し待つことにした。
 丸椅子から立ち上がり、窓に歩み寄った。カーテンを開け、そとの景色を見やる。
 白い月が美しく輝いている晩だった。
 十分が経過したが、衛は戻ってこなかった。トイレにしては長すぎる。
 ふみなの心の中で、警報が鳴り響いた。
「まさか、衛クン………!」
 衛は病院を抜け出した。
 そう直感した。
 衛と対峙していた少年。突然現れた異形のモンスターたち。そして、周囲にいたセーラー戦士たち。少年に連れ去られてしまったうさぎ。
 ふみなにとっては夢を見ているような出来事だったが、全て事実であることは確かだった。
 衛はまた、あの少年に会いに行ったのだろうか。
「止めなくちゃ」
 ふみなは意を決して、病室を飛び出した。


「うさぎ!!」
 騒々しい破壊音とともに壁が破壊され、何かが部屋の中に飛び込んできた。
 煙が晴れ、その人物の姿が明らかになる。すらりとした長身。子馬の尾を思わせる髪型。セーラージュピターだ。
 僅かに遅れて、ヴィーナス、マーズ、マーキュリーの三人が姿を現した。
「みんな!!」
 うさぎは感激に瞳を潤ませながら、四人に駆け寄ってきた。
「うさぎ、無事なの!?」
 マーズの声に、うさぎは「うん」と肯いて答える。
「でも、みんな、よくここが分かったわね」
「ダイアナのお手柄よ。僅かな空間の歪みを辿ったらしいわ」
 マーキュリーが言った。
「オリエンはどこだ!?」
 ジュピターは臨戦態勢だ。この場で決着を付けるつもりでいる。
「たぶん地球よ! まもちゃんが狙われる!!」
 思い出したようにうさぎが言った。仲間との再会の喜びで、オリエンの目的を一瞬忘れてしまったのだ。
「くっ。また、一足遅かったの………?」
 ヴィーナスが悔しげに呟く。オリエンが地球に行ったとすると、地球の守りが心配だった。残してきたメンバーだけでは、妖魔の大群を完全に押さえることはできないだろう。
「どうする?」
 ジュピターがヴィーナスを見た。リーダーからの指示を待つ。
「鈍行列車でのんびり帰るってわけにはいかなくなったわね………。来たときと同じように、新幹線を使うわ」
「セーラーテレポートで帰る気!?」
 ヴィーナスの下した判断に、マーキュリーが異論を唱えた。四人は今し方、セーラーテレポートで月まで飛んできたばかりだった。パワーがまだ完全に回復していない状態なのだ。
「他に方法がないわ!」
 ヴィーナスはきっぱと言い切った。誰が何と言おうと、強行するつもりだった。
「うさぎを地球に送り届けられれば、それでいいのよ」
 ヴィーナスの真剣な眼差しに、マーキュリーは小さく微笑んだ。
「そうね。うさぎちゃんが地球に戻れれば………」
「みんな、何を言ってるの?」
 四人の会話の意味が理解できていないうさぎは、首を傾げた。
「なんでもないわ。さあ、うさぎ。セーラームーンに変身して。あたしたちが、セーラーテレポートで地球まで運ぶわ」
 マーズがうさぎの左肩に手を添えた。
「え!? あたしも力を使うわよ。五人でテレポートしようよ」
「ダメよ、地球に戻ったら戦闘になるわ。うさぎは万全の状態でオリエンに挑まなければならないわ」
 ヴィーナスはいつになく厳しい表情で言った。この戦いの決着は、確かにうさぎ自身の手で付けなければならなかった。
「分かった。今はみんなの行為に甘えることにする。決着は、あたしの手で付けるわ!」
「この貸しは大きいわよぉ、うさぎ。パーラーで、スペシャルビッグパフェだかんね!」
「あたしは、スペシャルフルーツサンデーがいいわ」
 ヴィーナスの軽口に、珍しくマーキュリーが乗ってきた。しばし和やかな雰囲気が流れた。
「さあ、外に出ましょう。この部屋の中では、セーラーテレポートができないわ」
 ひとしきり笑った後、ヴィーナスが真剣な眼差しで、仲間たちの顔を順に眺めた。