戦士たち


 亜美はブレーメンの市内の公園を、ひとりで散歩していた。淡い日差しが、肌に心地よかった。紫外線はお肌の大敵だが、真夏のような強い紫外線ではない。
 ドイツでの暮らしにも大分慣れてきていた。授業は難しかったが、付いていけないレベルではない。自分のまだ知らない事実を勉強でるので、とても楽しかった。毎日が充実していた。
 公園は亜美の安らぎの場所だった。十番街近くの有栖川公園に、どことなく雰囲気が似ている場所があるのだ。そこが、亜美のお気に入りのスポットだった。
 公園内をしばらく散歩して、その景色が見渡せる場所のベンチに腰を下ろし、日本から送ってもらった本を読み、気分をリフレッシュさせるのだ。亜美は唯一この場所でのみ、日本語の本を読むことにしていた。それ以外は、ドイツ語か英語で書かれた本である。
 亜美はいつものように公園内を散歩すると、お気に入りのベンチにやってきた。
「なにかしら?」
 人だかりが見えた。興奮して声が上擦っている男の子もいる。
 興味が沸いた亜美は、その人だかりの方へ歩いていった。
「なにかあったんですか?」
 気のよさそうな婦人に問い掛けてみた。
「大きなカエルがいるのよ。でもね、人が近づいても逃げないの。死んでるのかもしれないわ」
「カエルですか………?」
 亜美は、は虫類は好きではない。見ないで済ませることができるのなら、敢えて見ようとは思わない生物なのだ。期待はずれな内容が帰ってきたので、亜美は少しばかりがっかりした。
「ホラ、見える?」
 気のよさそうな婦人は、亜美のためにわざわざスペースを作ってくれた。あまり見たくはなかったが、婦人の親切を無にしたくなかったので、亜美はその「大きなカエル」とやらを見てみることにした。
「あれって、カエルですか?」
 亜美は首を傾げた。確かにカエルに見えないことはない。ただ、カエルにしては丸っこい体型をしているし、後ろ足がない。短いけれども尻尾がある。だが、カエルの特徴のひとつである、大きなギョロリとした目が、どこにも見当たらない。それに大きすぎる。体長は五十センチはあると思えた。
「?」
 気のせいか、カエルに似た生物が、自分の方に向き直ったような気がした。亜美は本能的に、少しばかり後ずさった。
「今、動かなかった?」
 どうやら婦人も気付いたようである。しかし、「動く」と言う動作をあからさまにしたわけではなかった。気付いたときには、体の向きが変わっていたと言う感じだ。
(あたしを、見てる………?)
 亜美がそう感じた瞬間、異変が起こった。カエルに似た生物が、突然大口を開けて亜美に襲いかかってきたのだ。
「えっ!?」
 咄嗟のことで、亜美は回避することができない。
(噛み付かれる!?)
 巨大な口が目の前に迫ってくる。しかし、この口は亜美に噛み付くことはなかった。亜美の少し手前で地面に落下すると、そのまま動かなくなってしまった。
 亜美は何がなんだか分からない。
「亜美」
 自分を呼ぶ声がした。男性の声だ。しかし、姿が見えない。
「下だ、亜美」
 その声に促されるように、亜美は足下に視線を向けた。真っ白い猫が、足下から自分を見上げていた。
「アルテミス?」
「ああ、そうだ。………すまない、こんな位置から見上げてしまって」
 亜美はアルテミスが謝った理由が分かったが、気にしないことにした。今更気にしても仕方のないことなのだ。
 それに、既に亜美の興味は他のことに移っていた。アルテミスがここにいると言うことは、彼女も来ているということだからだ。
「美奈は茂みの向こうにいるよ」
 亜美の考えを察したアルテミスが、先に答えていた。
 亜美は、再び動かなくなった生物をしげしげと眺めている野次馬たちをすり抜け、アルテミスとともに左手に見える雑木林へと向かった。
「元気そうね、亜美ちゃん」
 茂みの中から美奈子が姿を現した。その後ろから、エロスとヒメロス―――澪と望のふたりが現れる。
「あたしを助けてくれたのは、美奈子ちゃんね?」
「うん。クレッセント・ビームでちょっちょっとね!」
 美奈子は何事もなかったかのように笑う。
「なんなの? あの生物………。知ってるんでしょ?」
 亜美は美奈子が、ドイツに遊びに来たとは思っていない。遊びに来るのならば、事前に連絡があるはずだ。
「プラネット・イーターの幼生体だよ」
 足下からアルテミスが説明する。
「プラネット・イーター?」
 亜美は首を傾げた。そんな生物の名前は、聞いたこともない。
「プラネット・イーター………つまり、惑星そのものを餌にしている生物のことだ」
「そんな生物が本当にいるの?」
「でも、見たろ?」
「信じられないわ。あんなに小さな生物が惑星を餌にしているなんて………」
「だから幼生体なんだって、あれは。最終的には、地球と同じくらいの大きさまで成長する」
 アルテミスの説明を受けた亜美は、自分の理解を超えていると言う風に、深い溜息を付いた。後方を振り向いた見た。野次馬たちは、既に絶命してるはずのプラネット・イーターの幼生体を、未だに珍しげに眺めていた。
「あたしを襲ったのは何故? プラネット・イーターは惑星を食べるんでしょ?」
「臭いだよ」
「臭い!? あたしから惑星の臭いがしたって言うの?」
 そんな馬鹿なと言う風に、亜美にしては珍しく語気を荒げた。
「スター・シードよ、亜美ちゃん」
 美奈子が説明した。アルテミスと亜美の間で漫才が始まりそうだったので、美奈子が止めた形となった。
「スター・シード?」
「そう。プラネット・イーターの幼生体は、どうやらおつむが悪いらしくって、星の輝きを感じたら、それが惑星だと勘違いするみたいなのよね」
 美奈子はオーバーに肩を竦めて見せた。
「あたしの中のスター・シードを感じ取ったって言うの? だから、あたしを星と勘違いした………」
「そう。あたしもエライ目に遭ったわ………」
 美奈子はポリポリとこめかみの辺りを掻いた。その言葉の様子から、美奈子も亜美同様、プラネット・イーターの幼生体に襲われたのだろうと言うことが推測できる。
「幼生体だからね、分別が付かない。本能のまま、星の輝きを感じたものに飛び付いたってわけさ」
 アルテミスは美奈子の肩に、ぴょんと飛び乗った。
「ああ、だから、一般の人には反応を示さなかったのね」
 亜美は納得した。プラネット・イーターは、取り囲んでいた一般の人々には見向きもしなかった。近づいていった亜美にのみ、反応したのだ。
「誰でもみんなスター・シードは持ってはいるが、セーラー戦士ほど強烈な輝きを放つスター・シードじゃない。幼生体には分からないんだろう」
「で、次はどこに行くつもりなの?」
「流石は亜美ちゃん。察しがいいわ」
「戦力が欲しいから、わざわざあたしんトコに来たんでしょ?」
 答えながら、亜美は微苦笑する。
「もちろん! 亜美ちゃんの索敵能力はピカイチだもん」
「でも、あんな小さな幼生体を探して、ヨーロッパ全域を渡り歩くのは、大変よ」
「そんな面倒なことしないわよ! とにかく最初に頭を潰す! 群れてる相手とケンカのする時の鉄則よ!!」
「ケンカって………」
 亜美は半ば呆れたように美奈子を見た。確かに言ってることは間違ってはいないような気がするが、例えがどうも亜美の趣味に合わなかった。
「交渉はまとまったのか?」
 背後で声がした。振り向くと、そこにはふたりの男性が立っていた。清宮と美園のふたりだった。
「そう言うことか………。ま、これだけのメンバーがいれば、多少の相手は怖くないわね」
 惑星を食べると言うほどのモンスターとまともに戦うには、自分と美奈子、澪、望、アルテミスの五人では少々心許ないと思っていたが、清宮と美園がいるのならば、戦力的には申し分ないと思えた。
「のんびりしていて、親玉が動き出すと厄介よ。早めにケリを付けちゃいましょうよ」
 美園もやる気満々だった。
「調べるのはいいけど、闇雲にって言うのは勘弁願いたいわ。時間が掛かりすぎるもの………。ある程度“あたり”は付けられないの?」
 亜美がいくら索敵能力に優れているからと言って、全面的に亜美に頼られても困るのだ。亜美にだって限界がある。時間さえ掛ければ地球全域を調査することはできるだろうが、今回はそんなにのんびりしているわけにもいかないだろう。
「ポイントは幾つか絞ってある。澪と望に説明させよう」
 アルテミスの言葉に、澪と望は肯く。
「場所を移しましょう」
 澪はやんわりとした口調で言った。

 爆音。唸るエンジン。
 風を切り、はるかはマシンを疾駆させる。
「よし! 後一週!!」
 はるかはアクセルを踏み込んだ。

「お疲れさま、はるか」
 ピッチに戻ると、彼女を真っ先に出迎えたのはみちるだった。
「久しぶりの鈴鹿はどお?」
「大丈夫、カーブのタイミング、位置取り、全て思い出したわ」
 はるかはヘルメットを脱ぐと、薄い笑みを浮かべた。自信があるときのはるかの笑みだった。
「ところでみちる。ほたるやせつなとは連絡が取れたの?」
「さっきも電話したんだけど、ふたりとも出ないのよねぇ。どうしたのかしら………」
 みちるは僅かに表情を曇らせた。
「夏休みだからね、ふたりして旅行に行ってるのかもしれない。後で、うさぎたちに聞いてみよう」
 はるかはそれ程心配していないようだった。何かあれば、連絡が来るはずである。
「お疲れさまです、はるかさん! どうです? マシンの方は?」
 メカニックマンが声を掛けてきた。まだ若いメカニックマンなのだが、腕は確かだった。はるかが最も信頼しているスタッフのひとりだ。
「エンジンや足回りは問題ないわ。だけど、ステアリングの位置、少しズラしてほしいわ」
「えっ。どうしてですか!?」
「胸が苦しいのよ!」
 はるかは、メカニックマンの頭をポンと叩いた。
「っかしいなぁ………。前回のレースの時と、同じ位置で調整したはずなのに………」
「日々成長してるんだよ!」
「おっきくなったんなら、教えてくれないと分からないっすよぉ」
 メカニックマンは、はるかの胸元をチラリと見ながら、困ったような表情をした。
「んなこと、いちいち報告できるか!!」
 噛み付かんばかりの勢いで、はるかはメカニックマンに怒鳴った。みちるがクスクスと笑っている。
「全く! シャワーを浴びてくる。みちる、悪いけどもう少し待ってて」
「いいわよ」
 みちるは肯いた。

 はるかを待っている間、みちるはひとりでスタンドからコースを眺めていた。一週間後、ここでレースが行われる。みちるはそのレースに参加するはるかを応援するために、日本に戻ってきたのだ。
「あら?」
 みちるは、スタンドに何やら奇妙な物体があるのを発見した。遠くから見るとゴミ袋のようにも見えたが、あれほど大きなゴミ袋を、清掃員が見逃すとも、置き忘れるとも思えなかった。
 みちるは、そのゴミ袋のような物体に向かって近付いていった。
「え!?」
 みちるは我が目を疑った。ゴミ袋だと思った物体が、生物のようだったからだ。体長は五十センチあまり、外見はカエルに似ているが、大きく発達した前足しか確認できない。「目」らしきものも、どこにも見当たらない。
「なんなの? あれ」
 目の前にいる生物は、みちるの知識の中にはない生物だった。
「人間が近付いているっているのに、逃げないわね………」
 それが不思議だった。置物かとも一瞬思ったが、みちるは目の前の物体から、生物の波動のようなものを感じていた。明らかに、「生命のある存在」であると思えた。
 コースの方を向いていた生物が、突然みちるの方に向き直った。
「!?」
 みちるが気付くと同時に、目の前の生物はガバリと巨大な口を開けて、物凄いスピードで飛び掛かってきた。
「くっ!」
 みちるは後方に飛び退いて、その生物の攻撃を躱した。更にもうワンステップ後方に下がり、生物との間合いを計った。
「ネプチューン・クリスタル・パワー・メイク・アーップ!!」
 即座に変身をした。無数の気配を感じた。変身完了と同時に、ネプチューンはいつの間にか複数のその生物に包囲されていたのだ。
「一体だけじゃなかったの!?」
 迂闊だったと舌打ちしたが、後の祭りだった。飛び掛かってきた一体をスプラッシュ・エッジで吹き飛ばすと、その空いたスペースに自らが移動した。
 ディープ・サブマージを前面に放って、更に二体の生物を消滅させた。
「あと、五体………」
 確認できる生物は、あと五体だった。だが、油断はできない。まだ隠れている可能性もある。
「お待たせ! ネプチューン(みちる)!」
 頭上で声が聞こえた。スペース・ソードを手にしたウラヌスが、風のような早さで、瞬く間に三体の生物を戦闘不能にした。残りの二体は、ネプチューンがディープ・サブマージで仕留めた。数だけで統制の取れていない相手など、ウラヌスとネプチューンのふたりに掛かれば、大した敵ではない。
「なによ、こいつら」
 ウラヌスはネプチューンを見た。
「分からないわ。突然襲ってきたのよ!」
 訊きたいのはこっちの方だと言わんばかりに、ネプチューンはウラヌスに怒鳴った。
「周囲を少し調べてみる必要があるわね」
 やや興奮気味のネプチューンに対し、ウラヌスは意外に落ち着いていた。ウラヌスも、今倒した生物が全てではないと感じていた。他にも仲間がいる。
 ウラヌスに影響されてか、ネプチューンも落ち着きを取り戻す。一回、大きく深呼吸をした。
「ルナに聞いてみましょう。何か知ってるかもしれないわ」
「そうね。ほたるたちと連絡が取れないことと、何も関係がなければいいけどね」
 流石にウラヌスも、表情を曇らせるのだった。