<03>


―――朱いべべ着た小鳥さん

          朱い簪よく似合う 花の簪よく似合う―――



「あ……ッ」
自分の内で男の熱が溶けだしてゆく。
慣れた、熱さ。
上がったままの、息。
心地良く弛緩した意識に、階下で歌う遊女の声が響いた。
『小鳥』という言葉に、ふと格子の向こうの青い目の男を思い出す。


『…ぴーちくぱーちく煩ぇって事』


―――人を馬鹿にして。

男のその時の笑い顔を思い出して、眉を顰める。

―――なら、お望み通り啼いてやる。
だからアンタはいつまでもそこでオレの啼く声を聞きながら待ってれば、いい。

「…ロイ」
離れていこうとした男の躯に腕を回して軽く引く。
「…何だい?」
優しい笑みを浮かべてこちらの顔を覗き込む男に、強引に口付けた。
舌を絡ませながら、その手を取って下肢に導くと、男の指が緩く髪を撫でる。
「まだ、帰っちゃ、ヤダ」
濡れた唇で、男を誘う。
「珍しいね、君がそんなに積極的なんて。…何か、あったのかい?」
くすりと微笑う男の言葉に、青い瞳とあの言葉が頭をよぎる。

―――こんな時にあんな言葉、思い出すなんて。


……ムカつく。


「…別に、何も」
苛立つ心を悟られぬよう表情を作りながら、甘い声で男を促す。
「…それより、ねぇ」
その誘いにゆっくりと身体を這い始めた男の指を甘い嬌声を上げて感じながら、
掠れた声で囁いた。


―――もっと、啼かせて。



辺りはすでに闇。
男はすでに空になってしまった煙草の箱を弄びながら、格子に背を預ける。
「…何だ少尉さん、まだいたの?」
不意に背後からからかうような声がして、男は振り向かぬままそれに答えた。
「お前のせいだろ」
「あの人がなかなか離してくれなかったからさ」
格子越しにエドワードは男の頬に触れ、くい、と自分の方へ向ける。
「…ねぇ、イイ声で啼いてたでしょ?」
まだ情事の余韻の残る艶声で、エドワードが男の耳に囁く。
いつもは緩く編まれている髪が今は解かれていて、柔らかな金糸が男の額を擽った。
「…だから、煩いって言ってんだろ」
男が憮然とした表情を見せると、エドワードはしてやったりといった顔で愉しげに笑う。
それは、紛れも無く子供の表情で。


―――そうやって子供の顔してれば可愛いのに。


男はそう呟きそうになった気持ちを押さえ、エドワードの手を振り払った。
「少尉さん、怒った?」
エドワードは振り払われた手で着物の首元を緩めると、その金糸を編み始める。

露わになった首筋には、生々しい情事の痕。

男は相変わらず憮然とした表情のまま、エドワードから目を逸らした。
「ねぇ少尉さん、この簪、似合うだろ」
エドワードは傍らの小箱から朱塗りの簪を取り出すと、髪に刺す。

月色の髪に映える、鮮やかな朱。

「…似合わねぇよ」
男はそう答えると、格子から身を離して歩き始めた。
「エドワード、また近いうちに」
奥から情人の声がして、エドワードは男が格子から身を離した理由を悟る。
「…少尉さん、またね」
ひらりと朱い着物が翻る。
「…朱いべーべ着ーた、小鳥さん…」
格子の向こう側で、エドワードが小さく歌を口ずさむのが聞こえた。



「ハボック、待たせたな」
けばけばしく彩られた店の門から黒髪の男が姿を現す。
「いえ、仕事ですから」
ハボック、と呼ばれた男は色素の薄い青の瞳を皮肉げに細める。
「今日はあの子がなかなか離してくれなくてね。つい、長居してしまった」
黒髪の男は苦笑しながら、用意された車の後部座席に乗り込む。
ハボックは小さく肩を竦めた。
「大佐、狙われてるの分かってるんですか?そもそも、我が軍の若きエリートである
 ロイ・マスタング殿がこんな所に通って年端もいかない子供に執心してるなんて、
 外部に漏れたら格好のスキャンダルじゃないですか」
「…だからこうして有能な部下を連れて来てるのだろう?」
窘めるようなハボックの言葉に、黒髪の男――ロイは悪びれもせずさらりとそう答える。
「…ったく」
しかしそんなロイの態度はいつもの事らしく、ハボックは一つ息を吐くとそのまま
黙り込んだ。
「ハボック」
不意に後部座席からロイがハボックを呼ぶ。
「何か」
「今日は長い時間ご苦労だった。
 明日は休暇を取っていいぞ。私は中尉と例の事件の捜査に行く」
上司の突然の申し出にハボックは思わず苦笑を滲ませる。
「じゃ、お言葉に甘えさせていただきますかね。
 …今日は待ってる間小鳥の囀りがえらくうるさくて、疲れてんですよ」
「…それは済まなかったな。なら、尚更ゆっくり休息を取るといい」
ハボックの言葉の意味を理解しているのかいないのか。
その真意は薄い笑みを貼り付けたロイの表情からは読み取れない。
ハボックは、ロイを自宅の前に降ろすと一人車を走らせた。

「…朱いべーべ着ーた、小鳥さん…」

紅い小鳥が囀っていたせいでいつの間にか覚えてしまった歌を口ずさみながら。