<04>


―――指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます―――



自分は一体何をしているのだろう。
折角の休日だと言うのに。
気が付けば、いつもの花宿の、いつもの格子の前に続く道を歩いている。
今日は非番なので軍服ではなく、比較的ラフな私服を着ていた。
華やいだ街の通りを歩くたびに、客引きの遊女達に甘い声で誘われる。
「ちょいとお兄さん。遊んでいかない?」
困ったように笑い『持ち合わせが無いんだよ』と言えば女達は離れて行った。
いつもの花宿、いつもの格子。
朱色の格子から、灯りが漏れているのが見えた。


――あいつは、居るんだろうか――


しかし護衛の任務があるわけでもないのに、店の前に立つと言うのは如何なものか。
そんな事を考えているうちに、頬に冷たい雫が当たった。

ぽつり。ぽつり。

「雨、か」
変わりやすい夏の空模様に、眉をひそめた。
雨足は段々強くなっていく。

――仕方無い。

ここらで雨宿り出来るような廂があるのは、あの場所しか無い。
足早に駆けて、昨夜エドワードとやりあった店先まで急ぐ。
廂の下に体を入れ、いつものように格子にもたれた。


――これは雨宿りだ。
決してあいつに会うために、こんな所に居るんじゃない――


そう自分に言い聞かせるように、煙草に火を点ける。
格子から見える室内にエドワードの姿が無いか、横目で探す。
そこにはエドワードの姿は無く、畳の上には小さな鳥籠と金糸雀だけがあった。

ぴちゅちゅ、ちゅんちゅん…

突然降りだした雨に驚いたのか、それとも人の気配を察知したからか、
金糸雀が啼き出した。


『ぴーちくぱーちく煩ぇって事』


ふと、昨日自分がエドワードに言った言葉を思い出す。
時折聞こえたエドワードの嬌声が、今も耳にこびりついている。

――何をやってるんだ、俺は――

馬鹿馬鹿しい、と雨に濡れた前髪を掻き上げる。
通り雨だったのだろう、雨足は弱まって来ていて、これなら帰る事が出来そうだと
足を踏み出した、瞬間。
「あれ?どしたの少尉さん」
格子の陰から、エドワードが顔を出した。
「……見りゃ解るだろ。雨宿りしてんだよ」
煙草を取り出し火を点けようとしたが、雨で湿って中々火が点かない。
エドワードはその様子をクスクスと笑いながら眺めていた。
「…あれ、今日は私服だね。護衛じゃないの?」
吸う事を諦めて、煙草を胸のポケットにしまう。
廂があるとは言え、やはり体は相当雨で濡れてしまっていた。
「ああ…ちょっと見回りにな。ウチの大佐、ちょっと敵が多くてね。
 なのにこんな処に足しげく通うモンだから、いろいろ逃げ道の確保とか、
 路地がどう繋がってるのかとか調べたりさ」
色々やる事があるんだよ、と両肩を竦めてみせる。
「へえ。少尉さんも大変だね」
三つ編みの先を指でくるくると弄びながら、エドワードが感心したような声を上げた。
「さん付けすんなよ。少尉で良いよ。大した階級でも無いし」
『少尉さん』と呼ばれるのは、何処かよそよそしくて好きでは無い。
エドワードは最初ぽかんとした顔をしていたが、あどけない笑顔で笑うと、
『じゃあ、少尉って呼ぶね』と俺の申し出を受け入れた。


――可愛い顔して、笑うなよ――


胸の奥に、ちくりと針が刺さったような痛みが走る。


――お前の顔、結構好みなんだから――


言い掛けて、言葉を飲み込んだ。
「雨、止んだな」
「うん、止んだね」
何を話せば良いのか解らず、どうでも良い天気の話しか頭に浮かばない。
雨も止んだのだから、『それじゃ』と適当に言って立ち去れば良い。
たった、それだけで良いのに。
足が、動かない。

「少尉」

金糸雀が微笑う。
あどけない、子供のような顔をして。
可愛い声で囀って、俺の心を掻き乱す。
「また非番の時、遊びに来てよ」
そっと、指を絡め取られる。
互いの小指を絡ませ、エドワードがにこりと笑う。
「約束、ね」


『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます』



――金糸雀の啼き声が、耳から離れない――