<05>


―――開いた 開いた 何の花が開いた

                蓮華の花が開いた

                      開いたと思ったら いつの間にか萎んだ―――



窓の外から童女の遊ぶ声が聞こえる。
「開いたと思ったら、か」
睨んでいた書類から顔を上げ、ロイは苦笑を浮かべた。
「何がですか?」
丁度執務室に入ってきたハボックがロイの呟きを聞き、そう尋ねる。
「…この事件さ。進んだと思ったら、また、手詰まりだ」
ロイは手にしている書類を指で弾いた。
「…ああ、例の遊女ばかり行方不明になっては殺されている…」
ここ二ヶ月程続いている花街の人間ばかりを狙った拉致殺人事件。
被害者はどれも二十歳以下の若い子供ばかりだ。
「なかなか手掛かりが出て来ませんからねぇ」
「ああ。上から早く何とかしろと五月蝿くてな」
ロイは鬱陶しげに前髪をかき上げた。
「…なかなかあの子に会いに行けなくて残念ですね」
ふとエドワードの姿を思い出し、ハボックは冗談ぽくロイをからかう。
「あの子…ああ、エディの事か。そうだな、様子を見に行きたいのは山々だが、
 最近上からの呼び出しが多くてね」
『エディ』と彼の愛称を口にした一瞬だけ、ロイの唇に柔らかな笑みが滲むのを見て、
ハボックは表情を僅かに歪める。
ロイが己の欲望を処理する為や道楽の一部などでエドワードを囲っている訳では
無いとその笑みが証明していて、何故か胸が痛んだ。
「…随分とあの子にご執心で」
ハボックはそう言って肩を竦めた。
「ハボック。お前は五年前のA-S115事件を覚えているか」
ロイはハボックの軽口には答えず、不意に話題を転換した。
「A-S115事件…あの、人体錬成を…」
ハボックは記憶を辿りながら懐から煙草を取り出し火を点ける。


―――A-S115事件。
分類は、alchemical…錬金術。
錬金術は一般人にはすでに忘れ去られつつあったが一部ではまだ研究が続けられ、
軍内にも何人かの術者が属していた。
目の前にいるロイもその一人で、彼は焔を扱う錬金術を得意としている。
錬金術はその特殊性故に通常の事件とは別に分類して扱われていた。
中でも『S』は特に重要な事件に付けられる頭文字である。

alchemicalのA。

特級を表すS。

その名を持つ事件とは、法で禁じられている錬金術での人体錬成を、まだ幼い
子供達が行った事件だった。


死んだ母親を生き返らせたいという子供らしい純真な願いが引き起こした、
凄惨な結末。


「確か大佐はあの事件の担当でしたね」
ロイは小さく頷く。
彼は自身が錬金術師故に、こういった事件を扱う事が多かった。
「現場は酷い状態だった。血まみれの部屋の片隅には、子供が二人。
 一人は右腕左足を失い精神が崩壊し、一人は身体のあちこちを
 失い重傷を負って瀕死状態だった。
 …そして、その部屋の中心には、不自然な形に組み合わされた、人の欠片」
ロイは静かに目を伏せる。
何かを思い出すかのように。
「…ハボック。何故軍は人体錬成を禁じていると思う?」
「さぁ…俺は錬金術師じゃないんで、詳しい理由は」
「錬金術の基本は、等価交換だ。
 では…人間の命の代償とは、どの位だと思う?
 人体錬成が禁じられている理由は、それが非常に危険で多くの代償を
 必要とするからだ。
 そして、それだけの代償を払っても術者が死亡するケースが殆どを占める」
「じゃあその子供達は歳の割にすごい才能の術者だった訳ですね」
ハボックの言葉に、ロイは頷いた。
「その事件の後、子供はまだ幼かった為軍事裁判には掛けられず、
 失った身体を義肢で補い軍の監視下にあった。
 しかし…三年前から、行方を眩ませている」
ロイは書類を机の上に置くと、立ち上がり、窓際に歩み寄った。
窓の外には、楽しげに戯れる子供の姿。
「実はその子供達のうちの一人が、花街に身を隠しているという噂があってね」
「え?じゃあもしかして例の事件は…」

―――その子供が関係している可能性がある?

ハボックはロイに視線で問う。
ロイはさあね、と肩を竦めてみせた。
「ならA-S115事件の担当だった大佐が狙われてるのも納得がいきますね。
 しかし本当もしA-S115事件が関わっているのなら、犯人はその子供を
 どうするつもりなんでしょうね」
ハボックは細く紫煙を吐き出す。
「…分からん。だが、不完全とはいえ人体錬成を行って生きているという事は、
 天才的な素質を持った術者と言ってもいい。利用価値は十分だろうな」
そう言うとロイは掛けてあった外套を纏った。
「ハボック、車の準備を頼む」
「調査ですか?」
ハボックがそう問うと、ロイは否、と言って薄く笑う。
「お前に言われたら、エディに会いたくなった。護衛を頼む」
そう言うとロイは黒い外套を翻して執務室のドアを出て行った。
「…了解」
ハボックは苦々しげに呟くと、主のいなくなった部屋を後にした。