![]() <06> ――向いの山に 光るもん何じゃ 星か蛍か黄金の虫か 今来る嫁の松明ならば差し上げて点しゃれ優男―― 華やいだ歓楽街。 夜になってからハボックはエドワードの居る花宿に向かって足を進めていた。 『ハボック、これをあの子に届けて来てくれないか』 半月前にエドワードに会いに行ったきり、事件の捜査に忙殺され、なかなか会いに 行けない事を気にしていた上官からの、頼まれ事だった。 『…これも任務ですか?』 洒落た柄の千代紙に包まれた小さな荷物を預かりながら、ちくりと皮肉を言った事を 思い出す。 ロイは苦笑を浮かべ『お前にしか頼めないんだから、頼むよ少尉』と、ハボックの肩に 手を置いた。 ――畜生、なんだって俺がこんな使い走りみたいな事を―― 苛々する気持ちを堪えるように、煙草に火を点ける。 いつもの店が、見えてきた。 店の玄関の前を素通りし、女郎達の控え部屋がある格子まで歩く。 普通、女郎達の控え部屋は大人数で待しているものだが、エドワードだけは特別待遇 なのか、一人部屋の控え部屋があてがわれていた。 「おい、エドワード」 四畳半ほどの小さな支度部屋の格子から呼びかける。 「…少尉?どうしたの?」 ハボックの姿が見えた事で、自分の待ち人が来たと思ったのか、エドワードの顔が 綻んだ。 「ロイは?」 子供が何かを強請る時のように、甘えた声でハボックに訊ねる。 ハボックが首を横に振ってロイの留守を告げると、寂しげに眉を下げて、苦笑を浮かべた。 「そっか…仕事、忙しいって言ってたしな」 「その代わり、お前に此れを渡してくれって預かってきた」 そら、と格子に手を伸ばしてエドワードにロイからの贈り物を手渡した。 その包みを受け取ると、エドワードは心底嬉しそうに微笑んで、大事そうに懐に仕舞った。 「少尉、ありがと」 はにかんだように笑う。 ハボックの胸の奥が、ちりりと痛んだ。 「じゃあ、用件はそれだけだから」 これ以上此処に居ても無意味だと、ハボックが立ち去ろうと踵を返した時、どこからとも なく祭りの賑やかな音がこえて来た。 今日は遊廓の川向こうで、夏祭りが行なわれているらしい。 「お祭り、か。此処に来てから一度も行ってないなぁ…」 ぽつりとエドワードが呟いた。 「行きたいのか?」 帰りかけた足を、再びエドワードに向ける。 「そりゃ、行きたいさ。お祭り好きだもん。……でも……」 そこまで言うとエドワードは瞳を伏せた。 遊女達はよほどの事が無い限り、外を自由に出歩く事はない。 情人に見受けされるか、見つかったら殺されるのを覚悟で足抜けするか。 その二つしか、選択肢は無い。 「…なら、我慢するんだな」 夏の暑さに耐えかねてハボックは軍服の詰め襟のホックを外し、エドワードにくるりと 背を向けて元来た道を歩き出した。 エドワードは遠ざかる背中を見つめながら、そっと格子を握り締める。 「なんだよ…そんな言い方しなくたって良いだろ。……少尉の、馬鹿…」 俯いて小さく呟く。 自分から望んでこんな所に居る訳では無いのに、と格子を握る手が微かに震えた。 「俺だって…行きたいよ……お祭り……」 昔のように金魚掬いをしたり、駄菓子を頬張りながら打ち上げ花火を眺めたい。 叶わない願いだからこそ、尚更外に憧れるのだ。 気分を変えようとロイから送られた包みを懐から取り出して開けてみると、朱塗りの 艶やかな簪が姿を見せた。 金粉で施された見事な唐草模様に、見ているだけで心が軽やかな気分になっていく。 「良い趣味してんじゃん」 鏡の前で、試しに髪にさしてみると、蜂蜜色の自分の髪に簪の朱色が綺麗に 映えている。 エドワードは嬉しくなって、何度も髪に付け替えて鏡を眺め、送り主の恋人を 思い浮べては照れたような微笑みを浮かべていた。 半刻ほど経っただろうか。 格子の外に人の気配を感じて、エドワードは外を見た。 するとそこには、先程自分に対して随分な事を言った男の姿があるのを知って、 整った眉を顰める。 「おい、手ぇ出せ」 不意に、ハボックが格子に向かって腕を差し出した。 「なんだよ」 「良いから、手ぇ出せって」 エドワードは憮然としながらも、言われた通りに腕を差し出す。 差し出された掌を開かせ、そこに何かを握り締めた自分の掌を置いたハボックは、 エドワードに中身を握らせると両手でエドワードの手を軽く握り締めた。 「…やるよ。大したモンじゃねえけど、夏祭りの気分だけでも味わえるだろ」 掌の中の不思議な感触。 エドワードは自分の胸に引き寄せるとゆっくり指先を開いていった。 きらきらと光輝くガラス玉が、指の隙間から転がり落ちる。 「…ビー玉…?」 畳の上に転がったビー玉を拾うと、掌の中で泳がせる。 ガラス玉が触れ合うかちかちと言う音色が、エドワードの胸に心地良く響いた。 「もっと他のが良いかと思ったんだけど、お前の好きなモノとか知らないから…」 そんなので悪いな、とぶっきらぼうに言うとハボックは軍帽を深く被った。 照れ隠しなのだろう、深く被った帽子から見える頬が紅く染まっているのが解る。 「ううん、嬉しいよ。…すごく嬉しい……ありがとう、少尉」 化粧台の抽斗の中に大事そうにビー玉を入れる。 「…それから…」 ハボックが胸ポケットの中に手を入れて、何かを取り出そうとしていたが、 思いがけず2人からの贈物に気分を良くしたエドワードが、些か興奮した 面持ちで話し掛け、ハボックが良い掛けた言葉を遮った。 「あ、ねえねえ少尉。 さっき少尉が持って来てくれたの、ロイから簪の贈物だったんだ。 見て見て、結構似合うだろ?」 満面の笑みを浮かべて自分の髪にさした簪を指差し、頬を染めるエドワードの 表情に、ハボックは苦笑を浮かべて胸ポケットに入れた手をそのまま抜き出す。 所在無い手を煙草の箱を探す事で落ち着かせ、小さく溜息を突いた。 「……まあ、良いんじゃねえの」 「あれ、今日は似合わないって言わないんだ?」 ふふん、とエドワードが鼻で笑う。 「…煩ぇよ、お前」 苦笑まじりでそう言うと、ハボックはエドワードにくるりと背を向けた。 「少尉、ありがとね」 「ああ」 「……あの…ロイにも…ありがとうって…」 「………ああ」 それじゃ、と片手だけ上げてハボックは歩き出した。 「ロイにもありがとう…か…」 川向こうの祭りの音が、遠くから聞こえてくる。 どぉん、と夜空に大輪の花が咲いた。 「…報告に行くとしますかね…」 軍帽を深く被り直して、賑やかな通りを歩く。 どぉん。 花火の音が、やけに強くハボックの胸に響いた。 |