![]() <07> ―――雨々降れ降れ母さんが 蛇の目でお迎え 嬉しいな――― …ぱちり。 …ぱちり。 雨の音の合間に響く、ビー玉同士のぶつかる音。 ……かつり。 ビー玉を弾く指が奏でる音は、僅かに硬い。 ちらりと紅い袖から覗くのは…鈍い銀色の義肢。 「ぴちぴち…ちゃぷちゃぷ、らんらんらん…」 エドワードは小さな声で口ずさみながら、またぱちりとビー玉を弾いた。 …口ずさんでも、母親は、二度と迎えに来ない。 ―――母さん。 こんな雨の日は思い出す。 紅い蛇の目で自分と弟を迎えに来てくれた母の事を。 …胸が痛む。 独りでいる事が酷く息苦しい。 ……誰かの温もりが、欲しい。 ―――おやまぁ、あの子はずぶ濡れだ…… 感傷に沈みながら機械的にビー玉を弾いて遊んでいたエドワードの背後で、 不意に歌の続きが聞こえた。 「…誰?」 エドワードはビー玉を弾く手を止めて振り返った。 鋼の義肢は紅い袖に隠れてその姿を潜める。 「…何だ、少尉か」 格子の外で歌を口ずさんでいたのはハボックだった。 「何だとはご挨拶だな」 ハボックはいつかのように廂の下で雨宿りをしていた。 その姿が軍服ではなく私服なのを見て、エドワードは寂しげに微笑う。 「…今日は、護衛じゃないんだ」 護衛ではないという事は、今日ロイは来ないという事。 僅かに落胆の表情を滲ませたエドワードを見て、ハボックは眉を顰めた。 「やっぱ、寂しいのか?」 苛立つ気持ちを押さえてハボックはわざと揶揄するような口調でそう訊ねる。 「……別に」 エドワードはそう答えて軽く笑ってみせる。 …ぱちり。 エドワードはまた左手でビー玉と弄び始める。 涼しげな色をした硝子玉と戯れながら、ふとエドワードが呟いた。 「…ただ」 エドワードの表情は雨雲で陰った薄闇と頬に流れる長い前髪に遮られて、 よく見えない。 「……ただ?」 ハボックは、静かな声で先を促す。 「ただ雨の日は、昔を思い出して…ちょっと人恋しい、だけ」 ……からから…かつん。 エドワードの弾いたビー玉が、部屋の隅にあった朱い鳥籠にぶつかって、止まる。 中にいるはずの金糸雀は、姿を消していた。 「エドワード、そこの金糸雀は?」 ハボックの言葉に、エドワードは鳥籠へと視線を向ける。 「……逃がした」 「どうして。あの人から貰ったんだろ?」 朱色の鳥籠は、きっと、ロイが彼に贈った物。 「…でも、閉じこめられてて、可哀想になっちゃってさ。 ……金糸雀もオレも、同じ、籠の鳥だから」 エドワードはそう言うと、立ち上がって格子へと歩み寄る。 その瞳は何処か儚げで。 「エドワード、…」 ―――俺じゃあ、駄目か? 思わずそんな言葉が零れかける。 しかしその言葉が紡がれる前に、エドワードが格子から左手を差し出した。 白い小指を立てて、艶然と微笑む。 「約束、覚えてる?」 『また非番の時、遊びに来てよ』 『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます』 エドワードの無邪気な声がハボックの脳裏に甦る。 「…非番の時は、遊んでくれるんだろ?」 小指を差し出したまま、エドワードが小さく、くすりと笑う。 「だったら、オレを買ってよ。…代金は、秘密の共有」 ね?と琥珀色の猫を思わせる瞳が三日月型に歪められる。 ―――こんな顔して誘うのは、反則だ。 ゆっくりとハボックはその指に自分の小指を絡めた。 「…ロイには、内緒」 そう囁いた表情が、一瞬だけ子供のそれに戻り、そのあどけなさにハボックは 無性にエドワードを抱き締めたい衝動に駆られる。 絡めた指先に、自然と力が篭もった。 「…後悔、すんなよ」 格子に額を付けて目を閉じ、ハボックは低い声でエドワードに問う。 「後悔なんてしないよ。…後悔は、昔いっぱいしたから。 今は後悔より…少尉が、欲しい」 同じように格子に額を付けて目を閉じたエドワードが、甘い声で囁く。 「…少尉が、欲しい」 微かに、でも何故か雨音の中でも鮮明に聞こえたその蜜言に。 「…俺も、エドワードが、欲しい」 ハボックはそう答え、ゆっくりと絡めていた指を解いた。 ―――暫し、互いに見つめ合う。 色々な思いを含んだ視線が、交錯する。 先に目を逸らしたのはエドワードだった。 くるりと紅い着物を翻して、背を向ける。 「…向こうから、入って来て。店には言っとくから」 そう言い残して、エドワードは奥へと姿を消す。 ハボックはまだ止まぬ雨の中、静かに格子に背を向けた。 ―――誰もいなくなった朱格子の部屋は、まるで主を失った鳥籠のよう。 雨音の向こうで、微かに金糸雀の鳴く声がした。 |