![]() <12> ―――鬼さんこちら 手の鳴る方へ――― 入り組んだ細い廊下を裏口目指してひた走る。 後ろから追っ手の来る気配は無い。 「…待って…、ちょっと、待ってロイっ」 くい、とエドワードがロイの手を強く引く。 ロイは周囲を確認すると、仕方無い、と独りごちて足を止めた。 「…は…ぁ」 息が上がって苦しいのか、エドワードは大きく息を吐く。 「何で、オレが、狙われて…」 荒い息の間からエドワードがそうロイに問う。 「…さぁね。あの女は人柱だと言っていたが、それが何を意味するかは私にも 分からない。ただ…奴らはあの事件を知っている」 ―――あの事件。 …A-S115事件。 「自分で自覚はないかもしれないが、君の錬金術の才能は希有の物だ。 不老不死を求めて錬金術を研究し、暗躍しているという噂を持つ組織がある。 不老不死の妙薬を錬金術で錬成する為には、優秀な術師の魂が必要らしい。 もし奴らがその組織の人間で…不老不死の妙薬の為に人柱…生贄を求めて いるのなら、君は格好の素材だろうな」 「…さっき、軍の奴らがオレ達を撃ったのは? オレが軍から追われてるからじゃないのかよ?」 エドワードは唇を噛みしめて俯く。 ―――自分のせいで、大事な人が傷付くのは、嫌だ。 「違うな。君を好きになって、その気持ちを受け入れてくれた君を勝手にここへ 逃がしたのは私だ。だが、それを軍に悟られる程私は甘い男ではない。 組織が君を見つけたのは先刻あの女が言っていた通り、偶然なのだろう。 そして、その組織には軍上層部が一枚噛んでいる」 ロイはそう言って苦々しげに唇を歪めた。 「とにかくここから逃げよう、エドワード。車まで走るんだ。後は、何とかするから」 ロイはエドワードを抱き締め、宥めるように髪を撫でる。 「…君を、誰にも、渡したくない」 『誰にも』 その言葉にエドワードがぴくりと肩を震わせる。 「……ロイ」 顔を胸に埋めたまま、エドワードが呟く。 「オレは、ずっとロイの物だよ」 …まるで、自分に言い聞かせるように。エドワードはそう、囁く。 「あの血だらけの悪夢ような風景からオレを連れ出してくれたあの日… …初めてオレに他人の温もりを教えてくれた、あの日から、ずっと」 ぎゅっとロイの服を掴むエドワードの指先に力が篭もる。 「…行こう、エドワード」 身体を離し、ロイがエドワードの手を掴む。 が、エドワードは小さく首を横に振る。 「…少尉がまだ向こうで戦ってる。ロイ、戻ろう」 見上げる琥珀の瞳は、驚く程真摯で。 しかしロイは厳しい目で首を横に振る。 「…駄目だ」 「どうして!」 「それが彼の仕事だ。…有事には、私を守る事」 ロイは淡々と言葉を紡ぐ。 「そんな…っ!」 金の瞳がきっ、とロイを睨み上げる。 「彼は大丈夫だ。あの数なら、負けたりはしない。本人も、大丈夫だと言ってただろう?」 その口調には、ロイの絶対の信頼が込められていて、エドワードは言葉を失う。 「行こう、エドワード。……惚れた男の言葉を、信じなさい」 ロイの言葉に、エドワードはきゅっと唇を噛んだ。 「…惚れた男って、ロイの事?それとも……少尉の事言ってんの?」 低い声で、尋ねる。 「それは君が一番よく解っているだろう?」 再び裏口に向かって歩き始めたロイの表情は、見えない。 「とにかく、今は君を無事に逃がす。…それだけだ」 エドワードは無言でロイに従った。 時折背後のハボックを気にしながら。 裏口を出て、車まであと少しという所で、背後に人の気配を感じ二人は振り返る。 「間に合ったみたいだね、おチビさん」 そこにいたのは黒の着物を纏い、長い黒髪を垂らした少年だった。 乱れた太股の袷からちらりと己の尾を噛んだ蛇の入れ墨が見えた。 「姐さん、アンタたち侮って痛い目見たみたいだから…容赦なく行くよ? まぁそっちの黒髪の方も上等の生贄になりそうだし。 …死なない程度に遊んであげる」 少年が合図すると、数頭の獣が姿を現した。 数種の生物を合成した、異形の獣。 「キメラ…か」 ロイが小さく舌打ちする。 「エドワード、下がっていなさい」 しかしエドワードは動かない。 「エドワード!」 苛立った声で再びロイがエドワードを促す。 だが、やはりエドワードは動かない。 「アンタ勘違いしてない?オレだって錬金術師だ。 守られてばっかなのは気に入らないんだ…よッ」 ―――ぱんっ! 小気味良い音を立ててエドワードが両手を合わせ、床石に触れる。 淡い光と鈍い音がして床が隆起し、一振りの槍に姿を返る。 「…そう…だったな。だが、無茶するんじゃないぞ」 ロイはそう言って苦笑すると、黒髪の少年を睨んだ。 「悪いが私も容赦しない。覚悟するのはそっちだな」 ―――ぱちり! 指を弾く音がして、朱い火花が空を走った。 「…ちっ、思ったより不利だなぁ」 少年が顔を不快げに歪める。 数頭いた獣はすでに息絶えていた。 「仕方無い…また出直しますかね。じゃあ、またね、おチビさん」 「…あ!」 いきなりくるりと背を向け逃げ始めた少年に慌ててロイが火花を飛ばすが、 そのまま少年の姿は闇に溶けて消えた。 「…逃がしたか」 ロイが唇を歪めた。 「怪我は無いか?」 「平気」 ロイが頷いたエドワードの手を掴む。 「今のうちにここから離れるぞ」 「…うん…」 エドワードはハボックの事がまだ気になるのか、店の方をちらりと見たが、やがて ロイに引かれるまま歩き出した。 と、その時。 ―――ドォン!! 何かが爆発したような音がして、店の向こうから煙が上がる。 振り返った二人の顔から血の気が引いた。 「…少尉っ!」 慌てて走り出そうとするエドワードの手を、ロイが痛い程強い力で繋ぎ止める。 「ロイっ!離して!離せってば…ッ!」 「駄目だ、エドワード」 ロイは厳しい顔でエドワードを睨む。 「だって…あそこには、少尉が…っ!」 「お前が戻ってどうする。彼の気持ちを無碍にする気か?」 ロイの漆黒の瞳が真っ直ぐにエドワードを射抜く。 …しかし。 「……ッ」 その手を強引に振り解いてエドワードは店に向かって走り出す。 「エドワード!」 背後でロイが叫ぶのが聞こえた。 「…ロイ、ごめん…」 小さく謝りながら、ひたすら走る。 「…少尉…無事でいて…」 そう祈りながら、エドワードは走り続けた。 |